アハマド・ザキ・ヤマニ氏のこと

2021-03-10 00:00:48 | 市民A
2021年2月23日にロンドンで亡くなったとされるアハマド・ザキ・ヤマニ氏(1930年-2021年)のこと。以下、ヤマニ氏と書く。元サウジアラビア石油鉱物省である。一般に石油相といわれるが省の略称はPETROMIN(ペトロミン)。PETROが石油でMINがMINERAL(鉱物)の略。1962年、32歳で大臣になっている。1986年に退任(更迭)。

王族の出身ではなく祖父や父はイスラム法の大家であって、彼は米国の大学へ留学し、博士号を取得している。本物の頭脳のエリートだ。本物ではないエリートはどこの国にもたくさんいるが、彼は質が違った。

実は、私は石油会社にいて、後述するようにPETROMINの本社に行ったこともあるのだが、ビジネスの対極にいるような人物は同時代的には冷静にはとらえられないものだ。ただ、今となって、彼の時代を考えて「石油危機の元凶」みたいな軽薄な意見は捨て去ったほうがいいと思っている。

まず1960年代。この時代は世界の原油は7大メジャーが支配していた(セブンシスターズ)。エクソン、モービル、テキサコ、ソーカル(シェブロン)、ガルフ、シェル、BP。前の5つがアメリカで、後ろの二つが英国系。彼らが油田からガソリンスタンドまですべてを決めていた。産油国は色々な形態でメジャーと交渉していて、自国の取り分を決めて利益を確保するようなケースが多かったが、サウジは、メジャーと合弁会社を作って25%程度の出資をするという穏健的政策を選んだ。

しかし、70年代になると、取り分というようなことではなく、ほとんどの産油国は全面的に国有化する方向に突き進んでいく。一部をメジャーに売り戻すことになる。つまり立場が逆転。しかし、それでは需給調整が困難で、価格が上がるときも下がるときも行きつくところまで行ってしまうということになる。そして、最大生産国のサウジは国有化した原油を使って、調整役として減産を続けることになる。結局、これが、最終的に彼が更迭された原因だ。

なぜ、そういう損な役目をヤマニ氏が引き受け続けていたのか。

一つは、サウジの原油の質の問題。もう一つは彼の頭脳の中にあった未来のエネルギーの構造にあったと思う。

まず原油の質だが、サウジは人気の高い軽質油だけではなく、人気のない重質油も生産している。軽質油はガソリンや軽油、ジェット燃料などの付加価値が高い製品が多く含まれる一方、重質油はそのままでは重油とかアスファルトのような製品ばかりで、分解装置を作って改質しないと需要にはあわない。そして、サウジの地下に眠っている大量の原油はそういう安い重質油が多いわけだ。サウジが選んだ選択は、軽質油を相対的に安くして売ることだった。彼の予言にも関係はあるのだが、世界中の軽質油をやや安く導くことによって地球上に重質油ばかり残ることになった時、否が応でも重質油の価格は上昇するはず。また仮に石油の需要が代替品にとってかわるなら、その前に売れるものは売っておきたいということ。どちらに転んでも軽質油を安くする方がいいわけだ。

次に予言のこと。彼はいくつかの有名な予言をしている。いずれも石油時代が終わることを想定している。

石油相時代に米国に行ったときに、「米国の車社会が終わると、サウジは砂漠に戻る」と言ったといわれる。サウジはほとんど砂漠だが、首都リヤドは砂漠の中にビルが立ち並んでいる。工法の問題か気にしないせいかわからないが、舗装道路とビルの敷地の間に数メートルの砂地があったりして、靴はいつも白くなるが。

1990年代の講演で言ったとされる「石がなくなって石器時代が終わったわけではない。鉄の時代になったから石器時代が終わった」。代替エネルギーが現れたら石油時代が終わるということ。

2000年の講演会で予言したこと。「30年後(つまり2030年)にガソリン車は燃料電池車に置き換わる。」(実際は燃料電池ではなく電気充電車になりそうだが)


実は、首都リヤドの石油鉱物省の建物に行ったことがある。今は知らないが当時はそんなに高い建物ではなく、受付の門を入り、長い廊下が続く途中にいくつかの小型の建物が並んでいて、係の人から教えてもらったのだが、門のすぐ近くの建物が「大臣のオフィス」といっていた。一番奥は大会議室だが、その前に並ぶ建物は、身分が高い方が入口の近くに配置されていた。欧米的なわけだ。

係の人に「大臣は今いるのか」と質問をしてみた。場合によっては、帰りに挨拶とかなるのかドキッとしたわけだ。一応、余分に手土産はもっていたのだが。「今はいない。もうすぐラマダンなので欧州にいる」と言われた。イスラム法の専門家の息子も断食は嫌だったのだろうか。