1945年8月、ビルマ。そして原爆。

2014-08-15 00:00:31 | 市民A
お盆なので、ちょっと。

私の何代か前の先祖は、いわゆる本家から分かれて分家という形で独立したのだが、それは江戸時代のことである。そしていくつかの分家があったのだが、本家の方のことである。本家には、年齢的に、私の親と同じ位の代に長男がいたそうだ。そして69年前、陸軍に徴兵され戦死した人がいたと聞いていた。

その結果、本家には男子の跡継ぎがいなくなり、妹が婿をもらって家を継ぐことになっていたのだが・・婿は姓を変えることなく、いずれ亡くなってしまい、そのこどもはもう別の姓になってしまったわけだ。で、妹もほぼ90歳となっている。いわゆる墓じまいが近付いているのだろう。

で、今年、墓参りをした時に荒れてしまった本家の墓地を回ると、戦死者の墓石をよく見ることにする。石の表面がはがれかかっていたりして、不鮮明ではあるのだが、昭和ニ十年八月○日ビルマ ピグーにて戦死 と刻まれている。

後日、調べてみると、ビルマ戦線では、昭和ニ十年の7、8月にはまだ日本軍に戦闘能力が残っていて、ベク―山系で、飢えと病気と武器不足と戦っていた。相手は主に英国軍。2万人が亡くなったようだ。

実際、この最後の数ヶ月で亡くなってしまった国民は多い。


ところで、数日前、倉敷の町中で散歩中に旅行者の親子の会話を聞いてしまった。

原爆がテーマである。父親が男児に「原爆は威力が大き過ぎるので、絶対に使えないことになっている。」と言っている。男児の方は、「日本に3発落とされたら終わり」と教わった、と言っている。で、何か親子で言い合いをしていたのだが。