金沢の話題の最後になるのが、加賀藩の武士のこと。といっても、武士道関係の話ではなく住居のこと。
金沢城と金沢駅の間を歩いて行くと、街並みが整備されている。武家屋敷群である。藩の要職の家系が住む、まさに高級住宅地がある。いくつかの名家は、そのまま公開されていて、観光客が次々に入館している。
で、問題は、その高給武家屋敷街を通り過ぎて、民家の建ち並ぶ住宅街に入る接点のようなところに、ガイドブックに小さく記載されたスポットがある。
「足軽資料館」
なにせ、足軽である。武士の最下層である。足軽というのは、戦争でいえば歩兵なので、馬を所有してはいけないわけだ。だいたいが、戦争の始まりの時に、槍を持たされて、敵陣に突入を図って、最初の犠牲者になる役目だ。
歴史の本によれば、足軽は長屋に住んでいるはずなのだが・・・足軽でなくても、幕末史の主役になった薩摩藩の下級武士たちは長屋住まいだった。
さすが、日本最大の加賀藩の足軽は違ったわけだ。
堂々の5DKである。もちろん床の間付き。一部屋も3畳、なんていうケチはない。
さらに、広くはないものの、庭付きである。植木付き。日当たり良好。
平屋なのは、さすがに足軽だから許されなかったのだろう。かえって上級武士になって馬の世話なんかするより気が楽だったのだろう。
たぶん、豊か過ぎたことが、幕末の時代に「日本の危機」に気付くことなく眠っていたこの藩の問題点だったのかもしれない、と思うのである。
金沢城と金沢駅の間を歩いて行くと、街並みが整備されている。武家屋敷群である。藩の要職の家系が住む、まさに高級住宅地がある。いくつかの名家は、そのまま公開されていて、観光客が次々に入館している。
で、問題は、その高給武家屋敷街を通り過ぎて、民家の建ち並ぶ住宅街に入る接点のようなところに、ガイドブックに小さく記載されたスポットがある。
「足軽資料館」
なにせ、足軽である。武士の最下層である。足軽というのは、戦争でいえば歩兵なので、馬を所有してはいけないわけだ。だいたいが、戦争の始まりの時に、槍を持たされて、敵陣に突入を図って、最初の犠牲者になる役目だ。
歴史の本によれば、足軽は長屋に住んでいるはずなのだが・・・足軽でなくても、幕末史の主役になった薩摩藩の下級武士たちは長屋住まいだった。
さすが、日本最大の加賀藩の足軽は違ったわけだ。
堂々の5DKである。もちろん床の間付き。一部屋も3畳、なんていうケチはない。
さらに、広くはないものの、庭付きである。植木付き。日当たり良好。
平屋なのは、さすがに足軽だから許されなかったのだろう。かえって上級武士になって馬の世話なんかするより気が楽だったのだろう。
たぶん、豊か過ぎたことが、幕末の時代に「日本の危機」に気付くことなく眠っていたこの藩の問題点だったのかもしれない、と思うのである。