闇討ちから三ヶ月

2005-08-28 22:27:24 | 市民A
25c56fbf.jpg三ヶ月前、暗鬱な五月闇の雲の拡がる深夜、都内某所で不意の闇討ちを受けた。そして見事に斬られた。

場所は、東京都と神奈川県の境に流れる多摩川に近い、ある私鉄の駅前。そして時刻は深夜24時を少し回っていたか・・

当日、所用でクルマで外出。ちょっと複雑な道を走っていて、方向感がなくなっていたのだが(ナビなし)、主要国道に近い私鉄駅に接近したので、駅前を通って国道へ出て、後は・・と考える。そして、もう人気の少ない駅前に出て、真っ暗なバスターミナルに紛れ込まないように、ゆっくりと見回すと、50メートル先に国道が見え、信号がある。問題ない。

そして、信号は赤なのでゆっくりと交差点に近づくと、右側から小柄な男が二人飛び出してきた。あぶないな、この酔っ払いめ!。あやうく止まる。と・・・

その小柄な男たち、なんとある種の地方公務員なのだ。そう別名○○官。最も必要なときに、最も必要な場所にいない職業である。そして「あなた、ここはツウキンですよ。」って言うのだ。ツウキン?何とか冷静になると通行禁止のことかと思い出したわけだ。

葉:通禁?信号があるじゃないの
官:あれはバス専用だから
葉:バスなんかもう終わってるじゃないの、なら信号消しなさいよ
官:通行禁止は時間指定じゃないから

らちがあかないのでここで作戦を変える。

葉:ちょっと道に迷い込んじゃって・・はじめてきたのでわからなかったのだけど・・
官:そんなの関係ないですよ、標識見えたでしょ。いくつもついてるんだから。
葉:標識?あっ、そこにあるけど、ここまで来なけりゃみえないでしょ。
官:後ろにもあるんだから・・クルマを止めて交番で手続きにきてくださいよ。

実は、この時、かなり怒りがこみ上げてきたわけだ。小学生の頃にあやうく無実の罪を着せられるところを完黙で耐え忍んだ時以来の怒りだ。”こんな小男の二人くらいボコボコにして多摩川に放り込んでしまえ”と、思わずドアポケットにいつも忍ばせている緊急脱出用の頭の先の尖ったハンマーを握りしめようかと考える。が、

よく見ると、小型公務員のうち一人は、交通専門ではなく、腰に三角形の皮ホルダーが見えるではないか。ハンマーでは武力不足だ。サマワの自衛隊のようなもの。しかたない、降伏する。

そして、とぼとぼと皮ホルダーと一緒に交番に向かうと、酔っ払った若い女性の先客がいて、わめきたてている。サイフを落としてカードを無くしたのでどうしたらいいか聞いているのだが、公務員がでたらめを答えているからだ。わめいていると酔いがさめてきて、さらに矛盾を攻め立てて口撃が高まる。そして、交番の中は規律違反の警察官だらけなのだが、権力とはこういうものだろう。

で、ごちゃごちゃ話したあと、青色切符の記入を始める。もうすぐ退職風の皮ホルダー氏は巡査長と書いていた。やたらと字を書くのが遅い。気長に付き合うことにするが、ちょうどその時に私が持っていた免許証は、大変複雑な裏書になっていたのだ。まず、書換中で臨時期限延長。そして住所変更、さらに、本籍の地番変更。特に、東京と神奈川ではこの期限延長の仕組みが違うのだが、交通でない皮ホルダー氏には理解されていない。しきりに期限切れでないか気にしている。そして思い出したように「酒は飲んでないか」と変化球を投げたりするが、もちろん飲んでいないが、こんな聞き方では誰も捕まえられないだろう。自転車泥専門だ。そして再三の書き間違えの訂正の末、30分後に一応完成。本当は、まだ間違っていたのだが実害がないので黙っている。そして拇印を押してくれと、「左人差し指で薄く」と言われたので、べたっと朱肉をつけ、紙の裏側までしみこむように押してあげた。ちょっと泣きそうな顔になったが、もう一度書き直す気力はなかったようだ。

25c56fbf.jpgそして、容疑者はただちに釈放され、巡査長の見送りに従って、クルマに向かうのだが、一体、どこに一枚目のツウキン標識があったのだろう、と探すと、高さ15メートルほどの上空に、光輝く標識があったわけだ。そして、クルマは駅の横の路地からこの標識の下に出てきたため、どうしても見ることはできないわけなのだ。またしてもムラムラと怒りが湧き上がってくる。巡査長に、葉:「いい月が出てるね~」と輝く標識を見上げて呟く。彼は、背伸びをして、もとより見えるはずのない五月闇の空に、虚ろな目で月を追うのだが、顎が伸びきったその一瞬をとらえて、皮ホルダーのちょっと上をポンとたたいてあげた。緊張して50センチほど飛び上がったように見えた。

後日、7,000円を支払い、領収書代わりに+2点を頂戴したのだが、しばらく違反歴がなかったので、点数を帳消しにするため3ヶ月ということ。順法運転をすることにした。40キロ道路では、後続車の白い眼を気にしないで35キロで走り、特にパトカーが後続の場合、さらに速度を25キロまで落として交通安全に協力してあげたのだ。