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ピストンエンジンは永遠か!な?

バイクを中心に話題を紹介します

アメリカンモーターサイクル1898-1981

2007年02月16日 | 書籍

人気blogランキングへ   今日は風もあまり強くなく、寒くはありません。                 

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第2回「明日のバイクを考える会」を開催いたします。

1、日時    本日 午後6時から

2、場所    池袋周辺 参加者には詳しくお知らせいたします。

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日本のモーターサイクル史の次は The  History  of  American  Motorcyclesです。

これは度々コメントを寄せていただいている、アメリカ在住のus051200Rさんから寄贈いだだいたものです。

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いただいたものの値段をとやかく言うのは失礼ですが、現地価格はこの通りですから、機会があれば購入されることをお勧めします。

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内容を少し紹介すると、1920年のインディアン スカウトもあります。

フロントフォークの形状も、映画で見たとおりですね。

フレーム後部の形状も、このあたりから今でもよくみる”リジッドフレーム”に近づいています。これ以前は自転車そのままという感じですから。

古いバイクの歴史をみると、バイク文化に触れた気がいたします。

人気blogランキングへ バイクの歴史が気になる方も、ソウでない方も、クリックお願いします。今日はこれから「明日のバイクを考える会」の準備を少々して出掛けます。


日本モーターサイクル史

2007年02月15日 | 書籍

人気blogランキングへ   今日は冬型気圧配置で風はありますが、寒くはありません。                 

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第2回「明日のバイクを考える会」を開催いたします。

1、日時    2月16日(金) 午後6時から、いよいよ明日になりました。

2、場所    池袋周辺 参加者には詳しくお知らせいたします。

3、お申し込みはコチラにお願いします。

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これは(株)八重洲出版が、ここのところ10年毎に発刊している永久保存版MOOKの広告企画書です。

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国内で最も歴史のあると思われる同社ならではの、1945年からの歴史が綴られた価値ある書物だと思います。

発刊は6月30日予定だそうですから、購入を予定されたらいかがでしょうか。

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ワタシの手元には第2弾しかありませんから、今回を楽しみにしています。

なにしろ次の10年先は、どうなっているか全く分かりませんからね。

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科学的思考法の勧め

2007年01月27日 | 書籍

人気blogランキングへ   桜が咲く気温だそうです。

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道路運送車両法の改正案パブリックコメント募集に関連した記事は、明日のバイクを考えるのカテゴリーです。(募集締め切りは今月31日までとなっています)

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S1_121 新潮文庫

著者カール・セーガン(1934-1996) ニューヨーク生れ、シカゴ大学大学院で博士号取得。

専攻は惑星科学。’78年「エデンの恐竜」など宇宙・天文に関する一連の著作でピューリッツアー賞受賞

’80年に発表された「コスモス」は空前のベストセラー、TVシリーズは世界60カ国で放映。

’97年火星着陸に成功したNASAのマーズパスファインダー探査機の着陸船を、博士の貢献にちなんで、カールセーガン記念基地と命名される。

宇宙人による誘拐、交霊術、テレパシー超能力・・・世にはびこる数々の似非科学を一つ一つ論破し、なぜ、「科学では割り切れない現象」などありえないかを明快に説く。科学する心、つまり「懐疑する精神と不思議さに感嘆する感性」があれば、科学のふりをしたトンデモ話に惑わされないはずだ。”科学者の良心”セーガン博士の遺書的エッセイ。(本書の解説より)

この文庫本を手に入れたのは5.6年前だと思う。最近やっと上巻を読み終えたばかり。しかし下巻は何処へしまったのだろう。

ワタシ達は科学技術の発展により高度な文明を享受していますが、反面、様々な弊害にも悩まされています。

それは、現代において科学の初歩も知らないのは、過去のどの時代ともくらべものにならないぐらい危険だということだ。オゾン層の破壊、大気汚染、有毒放射性廃棄物、酸性雨、表土の浸食、熱帯雨林の破壊、指数関数的な人口増など、地球的規模でさまざまな危険信号が出ている。こうした問題について一般市民が何も知らないのは、とてつもなく危険で無謀なことだといわざるをえない。

調査によれば、アメリカ人のおよそ95パーセントは科学のイロハも知らないという。この数字は南北戦争以前に読み書きのできなかったアフリカ系アメリカ人の割合と同じである。

知識を得るための道具という点では、科学はとうてい完璧などといえた代物ではない。

ただ、人間が手にしている道具のなかでは、いちばん”まし”だというだけのことだ。この点一つをとってみても、科学には民主主義と似たところがある。科学は人間の進むべき道を教えてくれないけれど、どの道を選べばどうなるかは、はっきりと示してくれる。

科学的な思考法は想像力を必要とすると同時に、訓練によって鍛えられたものでもある。

そして、まさにその点こそが、科学を成功している理由なのだ。科学は、たとえ予想に反していても、事実は事実として受け入れるようにわれわれを励ます。また、仮説はいくつも用意しておいて、事実に一番合うのはどれかを見きわめなさいと教えている。そして、新しいアイディアが出れば、それがどんなに奇妙なものであっても心を開いて受け止める一方で、新しいアイディアであれ定評ある学説であれ、とことん疑ってみるよう強く迫るのである。

こうした思考法は、めまぐるしく変化する時代の民主主義にとっても欠かせない道具になてくれるだろう。

科学が成功したもう一つの理由は、その核心部にエラー修正機能が組み込まれていることだ。

エラーがあれば修正するというのは、なにも科学だけでの特徴ではあるまい、と思う人もいるかもしれない。しかし私に言わせれば、自己批判に努めたり、自分の考えを外界と照らし合わせたりするとき、人は科学しているのである。

逆に、ご都合主義にはまり込んで批判精神をなくし、願望と事実とを取り違えているようなとき、われわれは似非科学と迷信の世界にすべり落ちているのだ。

「権威者の言うことは信用するな」というのは、科学の偉大な戒律の一つである。

気分さえよければ真実かどうか気にしないというのは、金さえ手に入れば汚い金でもかまわないというのと同じくらい倫理的にたちが悪い。(1950年、「季節のめぐり」エドマンド・ウェイ・ティール)

最近日本でもスピリチュアという言葉を良く聴く。

英語のスピリット(精神)という言葉は呼吸するというラテン語に由来する。我々が呼吸しているのは空気であり、どんなに薄くとも物質であることに変わりない。つまり普段の使われ方に反して、「スピリチュアル(精神的な)という言葉は、必ずしも物質(脳を構成する物質も含めて)以外のもの、あるいは科学の範疇外のものを指すわけではないのである。

青字は本書からの抜粋引用ですが、正しい内容を伝えるには、あまりにも限定的であることをご了承ください。ご興味があれば是非購入されることをお勧めします。

しかし、考えてみれば、ワタシのバイクの故障を解決する手口は、博士の科学的思考法とソックリなのです。

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禅とオートバイ修理技術

2006年08月02日 | 書籍

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ワタシが本題の禅とオートバイ修理技術を購読したのはカレコレ10年ほど前でしょうか。あらましは解説とレビューを読んでも良く分かりませんが、1970年代にアメリカでベストセラーになったそうです。日本で和訳されたのは1990年ですが、意外と有名であり、読んだことはないが題名は知っているという声も多く聞きます。

ワタシが購読するキッカケは書店で見かけ題名に引かれたのですが、開いてみると難解(翻訳者もそう言っています)でしかも700ページもあり、薄めの文庫本であれば一晩で読んでしまうワタシも、休み休み読んで2ヶ月くらい掛かったのではないでしょうか。

10年前の記憶で申し訳ありませんけれど、電気ショック治療により記憶を失った大学教授が、今までと変ってしまった父親に戸惑う幼い息子と一緒にバイクに乗り旅行するノンフィクションです。

禅とオートバイ修理技術(以下の文の引用先)

出会いは某市のグルーヴ本店でした.

「解かるヒトにだけ解かればいい」

という札とともに平積みにされていました.

いつ見てもうずたかく積まれており,

店長の趣味だけで置かれたことが一目瞭然でした.

この本は副題を「価値の探求」といいます.

難解です.しかし,私の心を突き抜ける本です.

私の仲間たちのバイブルです.

電気ショック療法で記憶をなくした著者と,

「お父さんなのだけれど,お父さんでなくなってしまった」

ことに戸惑いを覚える幼い息子との

オートバイでの旅の中で

オートバイのメンテナンスを例にとり,

物事の捉え方,考え方を書いてあるノン・フィクションです.

確かに,オートバイに乗っているときというのは

考える時間になりがちです.

私は著者ほど理論だった考え方は出来ないし,

哲学もありません.

しかし,私もやはり“考える葦”なのです.

内容を一部を以下に記します.

《古典的な理解とロマン的な理解》

【古典的な理解】

理性,または法則によって前進する.

すなわち,理性や法則が思考や行為の根本形式である.

例えばオートバイのメンテナンスは古典的である.

この理解様式には時に表面的な醜さが見出される.

しかし,「古典美学」というものがあり,

ロマン的なニンゲンはその緻密さ故に見逃しがちであるが,

古典的な表現様式とは

率直で飾り気がなく,理知的で,入念な釣り合いのもとに

簡潔に表現されている.

その意図は感情を奮い立たせることではなく

混沌から秩序を引き出し,

未知なるものを解き明かすことである.

それは自由で自然なものではなく,

表現の一つ一つが制御されている.

そしてこの表現様式の価値は

制御を維持するする技術によって評価される.

このような古典的様式から見るロマン的様式とは,

軽薄で一貫性がなく,信用ならない.実体がない.

寄生動物のようで,社会のお荷物である,となる.

【ロマン的な理解】

インスピレーションと想像力に富み,

直感的かつ創造的である.

感情,直感,感覚的分別によって前進する.

感情が事実より優位で,「科学」にたいする「芸術」は

しばしばロマン的である.

例えば,オートバイに乗ることはロマン的である.

ロマン的様式から見る古典的様式とは

機械のメンテナンスそのもので,

泥や油,基本構造に関する専門知識,

部品と構成部分とその相互関係,

全てが計算され,測定され,証明されなければならない.

退屈で,扱いにくく,醜く,果てしなく暗いものである.

この二つの現実観は,現在二分された状態で

統一点がなく,和解策を生み出そうと思索した

著者の思想の物語です.

私は明かにロマン的ニンゲンなのですが,

古典的理解にとても魅力を感じます.

その最たるものは,私の中で

「修理すること」「作り出すこと」です.

身近なものとしてボニーちゃんがいるわけで,

古典的理解を求めてバヤシ・モーターサイクルさん(仮)で

お世話になったりしているわけです.

ちなみに,私が考えるロックとは,

古典的様式側からぐるりと回って

ロマン的に行きついたものです.

何の根拠もありませんが,

古典的思考を右側とするなら

ロマン的思考は左側で,

とっても遠くでつながっており,

全体を見れば円になっているように思います.

*どなたが書いたか不明ですが、一つの解釈として引用させていただきました。

主人公が毎朝出かける前に、ドライブチェーン調整やバルブクリアランス調整などを失われなかった記憶に基づき行いますが、何のために行うのか自問する場面もあったかと思います。

ところで、この書を紹介させて頂いたのはワケがあります。当ブログにコメントを頂きましたU.S.さんの貴重な情報を引用させていただきますと(勝手にごめんなさい)、

今は毎日環境の違う場所で環境の違う状態のバイクと格闘しています、40000マイル走ると流石のTC88も旧車の如く壊れてしまいますが、それがまた刺激的な毎日です。
30000マイルを越えるとことごとく配線ターミナルの継ぎ目のハーネスワイヤーが長期振動による”疲れ”により断線し始めます、点検に入ってくる車両には大抵トラブルコードが入っていて、OPENかSHORTしています。 ロックタイト(レッド)付きの200Nm以上で締められたのコンペンセーターナットが平気で緩んで入ってきて、スプラインの破損で普通にクランクを交換したり・・・。
古きも新しきも、限界を越えれば必ず壊れていくもので、昔、TC88は殆ど壊れないとお客様に言っていた自分を悔やみます。 ただ年間5000キロ程度ではよくよく整備されたパンヘッドでも壊れないんじゃないかと。

”古きも新しきも、限界を越えれば必ず壊れていくもので、”

「禅とモーターサイクル修理技術」の主人公が旅をした時代は1960年代と思われますが、丁度この頃から日本製のバイクは毎日整備をしなくても走れる信頼性を武器にして台頭してきました。1980年前後に一時ブームになったハーレーダビッドソンのオーナーの中でも、”裕福な旦那”たちには”近くはハーレー遠くはGL”という風潮さえありました。エボ以降は(’95年頃から特にかな?)急にレベルアップして故障も少なくなりましたが、日本に比べはるかに広い国土のアメリカ本国では、TCモデルでも苛酷な条件で使われると、日本で使う分には過剰品質とも思えるワイヤーハーネスもトラブルし、ストレートピンになり永久に使えそうなクランクも、つまらないことで壊れてしまうのですね。

パソコンもフロッピーデイスクを何枚も入れて立ち上げる時代から、あっという間にウインドウズになり、さすがにギガ容量のハードデイスクになってからは、そうはありませんが、今使っている一つ前のワタシのパソコンも画像をいじっているとスグにフリーズしたものです。

ココで何が言いたいかというと、壊れやすいものや性能が低いものは丁寧に扱いますが(承知さえしていれば文句も言わない?)、人間の欲望には限度がありませんから、性能が良くなったり壊れにくくなったと聞くと、苛酷に取り扱ったり、より以上のものを求めてしまうのではないかということです。

*再度引用すると、

ロマン的様式から見る古典的様式とは

機械のメンテナンスそのもので,

泥や油,基本構造に関する専門知識,

部品と構成部分とその相互関係,

全てが計算され,測定され,証明されなければならない.

退屈で,扱いにくく,醜く,果てしなく暗いものである.

この二つの現実観は,現在二分された状態で・・・・。

*ハーレーのオーナーはロマン的様式ですから、故障(オーナーから見て)に対して「こんなもんですよ」と言ってはいけません。

U.S.さんの情報の行間を読むと、故障しないハーレーダビッドソンを目標とするメーカーにとって振動は大敵であり、振動によっても故障しないワイヤーハーネスを開発するか、振動を減らすかの選択に迫られていると判断せざるを得ません。

「禅とオートバイ修理技術」は高価である上に難解ですので、特にお勧めはいたしませんが、読むことで自分のバイクや乗ることに対する思いが変るかもしれません。(もっと深い意味もありますがココでは書けませんね)

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古きを訪ねて・・・

2005年12月28日 | 書籍
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モーターマガジン社の「オートバイ」誌2006年2月号の付録です。
残念ながら現存メーカーの4社だけなので資料としては物足りないのですが、790円の付録としては充分だと思います。
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こちらは戦後の国産バイクを網羅した当時3000円の1987年に出版された八重洲出版の創立30周年記念本です。
これは手には入らないでしょう。
さ来年あたりに50周年記念を期待できそうですね。

バイクの資料はネットでも完成されたものは見つかりません。
モーターマガジン社や八重洲出版はクルマ、バイク雑誌の草分けですので、古い写真や資料をもっているからこそ、こういった資料本を作れるのでしょうね。
ワタシなどは1968年のCB750が発表されたときからリアルタイムで見てきたので感慨深いものがありますが、歴史を辿ってみるのもおもしろいのではないでしょうか?