三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

熊野市に対する抗議と要請

2006年12月27日 | 木本事件
■12月24日に、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会は、ことしの追悼集会参加者一同と連名で、河上敢二熊野市長と鈴木昶三熊野市教育長に、次のような抗議と要請の文書を公開を前提としておこないました。
 この公開での抗議と要請にたいしては、来年2月28日までに文書で回答することを要求し、さらにその文書回答を前提として4月下旬の「双方の都合のつく日」に熊野市長・熊野市教育長と面談することを要求しています。

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 公開抗議要請 
         
 2006年12月2日、わたしたちは熊野市の木本トンネルの追悼碑前において、13回目の追悼集会を開催しました。
 その前年に貴殿らに対して送付した「公開抗議要請文」にたいしては、1年が経過した今日においても、文書での回答どころか口頭での回答すら受け取っていません。
 わたしたちの会が社会教育課長に2度ほど電話で問い合わせたときには、すくなくとも紀州鉱山で死亡した朝鮮人労働者については「現在調査中なので待ってほしい」という返事であったため、回答を待っていたのですが、その回答すら送られてきていません。
 『熊野市史』の「木本トンネル騒動」における記述の訂正については、熊野市が削除すると公式に約束した一文「誠に素朴な愛町心の発露」というくだりは、訂正の文書さえ挿入されていない図書館がいまだに数多くあります。  
 熊野市の公共施設で所蔵されている『熊野市史』ですらその訂正がなされていないものがあります。
 たとえば熊野市の「鉱山資料館」に展示されている『熊野市史』においても、削除の表示がまったくなされないままに従来通りの記述が残されています。

 また紀州鉱山で死亡した朝鮮人労働者の調査は、行政当局で保管されている文書が重要な手掛かりになります。その調査を依頼してやはり1年が経過したにもかかわらず、何の回答もいただいていません。
 市民団体の問い合わせにまともに対応できない熊野市当局の無能力と無責任が露呈していると言わざるをえません。
 わたしたちは昨年提出した「抗議要請文」と紀州鉱山で死亡した朝鮮人労働者の調査についての要請文を再度添付いたします。
 熊野市の誠意ある対応を強く要望します。
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