J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001 18′
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002 29′
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005 24′
Int
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003 24′
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006 20′
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 31′
ヴァイオリン、前橋汀子
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叡智と体力の限界を越えた偉業プレイ・バッハ。原理的でプリミティブなものがうごめき、怪獣が殻から出る様に鮮やかでアクティブな創造。創造的行為を目の当たりにして言葉もない。無からの創造が強烈なコンセントレーションのもと華開いていく驚愕の佇まい。自由度の大きな音楽の作り込みはヴァイオリンが成しうることが出来るものと今更ながらにこのインストゥルメントに開眼しました。粗野とスタイリッシュなものの表現の大きな幅が自由度の大きさを示している。空間がこれほど音楽的であるとは驚くばかりなり。プレイバッハの空間に徐々に熱を帯びてくる気合いの唸り声が心地よい。
集中力とテンションの高さは自ら休憩を一度と課して追い込んでいって得たものというところもあるのだろうし、それは目的では無くて手段であって、音化、音によるリアリティがぐっさりと耳にくい込んでくる様は、音楽による脳への作用と言えるほどの成功の一因になっていたと言えよう。3曲の束は巨大なものでなにやら連鎖を感じさせてくれる。音楽が繋がっていくことによる積分的効果。譜面無しで最後までやり通すちからの凄味、技術と体力の勝負、それと、最初から最後まで、最後が見えている。インテリジェンスな物言いにひれ伏すのみ。
音楽を聴くというのはこういうことだったのかと。アクティブで前進性のプレイ・バッハに気づきというよりも原点を振り返らせてもらったという話し。これも音楽のちからといたく感激したひと時でした。3時間超の長丁場、実に有意義な時間でしたね。ありがとうございました。
おわり
http://www.toppanhall.com/concert/detail/201912211400.html
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