河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2162- バーバーVnコン、石田、ショスタコーヴィッチ15、高関、神奈川フィル、2016.7.28

2016-07-28 23:20:22 | コンサート

2016年7月28日(木) 7:00pm みなとみらいホール

ロッシーニ ウイリアム・テル、序曲  11′

バーバー ヴァイオリン協奏曲  11′9′4′
 ヴァイオリン、石田泰尚

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番イ長調  9′16+5′20′

高関健 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団


P席で指揮を見たのですがあらためて神経過敏棒のように感じる。カンヴァセーションわからなくてもグラマーをマスターしていれば、言葉は通じる。グラマーは彼にとってオーケストラ全メンバーが少なくとも共通ルールとしてわかっていてほしくて、何はなくともそれさえあれば、ザッツは合わせられる。音価レングスは正しく、強弱記号も正確に表現、、、、、といったその一点で演奏行為をすることができる。音が流れなくても。
基盤となる共通項の意識の上に、指揮者が何をどう伝えたいのか、それを理解し表現していくメンバーも大変な気がしますね。ここはこうだよ、練習通りに、と、早い話、息が詰まる棒。
とは言え、日々是音楽ですから、このような事態は軽く越えているかもしれませんね。音楽は正確ではあったけれど、全く流れの無い演奏だった、などと言った話の事はとうに越えていることなのかもしれない。というよりもむしろ、指揮者にとっての関心事項ではないのかもしれないと思ったのも事実。

静止したショスタコーヴィッチ、これは15番にはふさわしいかもしれない。最奥に鎮座した迷宮ワールド。確信犯的な1曲目配置のプログラム構成といえるロッシーニの序曲。後半のブラスの行進節は明確に15番で引用されるものではありますが、この日のような静止画像的演奏を聴くとそのことよりもむしろ、序曲序奏のチェロが第2楽章虚無的なブラスハーモニーのあとのチェロソロにエコーしているとの思いの方が強い。止まっている音楽とは妙な言い方ですけれども、そちらのほうの印象が一層濃いものです。
第1楽章から流れは無い。音の動きが律動に結びついてはいない。強烈な炸裂フレーズが出てくる楽章ですが、そういった噴出までに至る音に流れが無くて突然出てくる。だいたいそんな感じで、モザイク的な表現が濃厚です。このフレーズはここまでで、次はこれです。と、順番にひとつずつ。面白いものですね、引用された音楽が孤立しているように聴こえてく。終楽章頭のジークフリートの死は、引用よりも第2楽章のブラスによる虚無パッセージとのつながりを強く感じさせてくれる。なんだかいろんなモザイクが至る所に張り巡らされている。ところてん式な攻めながら時間の残像を感じさせる。
この指揮者の音楽の攻め方でしょうね。ショスタコーヴィッチの音楽がゆさぶりから不思議と落ちついたものに変化している。

終楽章の静止画像は指揮者の得意とするところかもしれない。上記のような攻め方をどんどん推し進めていって行きついた先の究極の20分。まるで、宇宙遊泳のスローモーション・ヴィデオでも見ているような雰囲気。ゆっくりと、でも、一度に二つの操作は出来ないの、順番にゆっくりゆっくりと。テンポの出し入れは無い。一定したものでそれはそれで驚異的なものです。最後の弱音パーカッションの饗宴まで一定している。落ち着きと不思議な空気。パーカッション饗宴を導くのは弦の長い長い一音。尾を引くような響きの継続とその上を割と強めに跳ね回るパーカス。線香花火が消え入るのではなくて、遠く宇宙の果てに吸い込まれていく。弦は宇宙の水平線。
今までわからなかったものが一つ解き明かされたような気がしました。見事な演奏でした。
14型(ベース7)対向


前半2曲目のバーバーは作曲家の語法がよくわからない。1910年生まれの作曲家の1939年の作品で29才30才頃のもの。若いころの作品が比較的多いと思いますが、それでもさらに10年後のピアノソナタと比べると主張の濃度の違いは明白。ピアニストでもあったとはいえ。
風貌に比してシャイな感じのアンビバレントさが魅力的なコンマス・ソリストのヴァイオリンは熱演でした。
おわり

 


2161- 蝶々夫人、チョン・ミョンフン、東フィル、2016.7.24

2016-07-24 23:00:10 | オペラ

2016年7月24日(日) 3:00-5:30pm オーチャードホール

プッチーニ 蝶々夫人  (コンサートスタイル)
ActⅠ 47′
Int
ActⅡ(beginning) 47′
ActⅡ(conclusion) 31′

キャスト(in order of voice’s appearance)
1.ピンカートン、ヴィンチェンツォ・コスタンツォ(T)
2.ゴロー、糸賀修平(T)
3.スズキ、山下牧子(Ms)
4.シャープレス、甲斐栄次郎(Br)
5.蝶々夫人、ヴィットリア・イェオ(S)
6.ボンゾ、志村文彦(Bs)
7.ヤマドリ、小林由樹(Br)
8.ケイト、谷原めぐみ(Ms)

合唱、新国立劇場合唱団
指揮、チョン・ミョンフン
管弦楽、東京フィルハーモニー交響楽団


一昨日の公演がほれぼれするもので、この日も、つい。
サントリーホールからオーチャードにかわっての公演。サウンドが少しゆったりとしている。
一昨日の公演と同様、熱い歌が繰り広げられました。
白熱、圧巻の蝶々さんイェオ、ピンカートンのコスタンツォ、この二人、デュエット最高、ソロ最高。
歌とオーケストラが一体化し、インテンポから駆り立てる圧倒的な説得力のミュンフン・チュンの棒。この流れでプッチーニの泣き節を全開にするあたり、さすがのオペラ極意棒で、もはや唖然とするしかない。

第一幕ファイナルシーン、ロール二人による泣き節が綿々と続く。カタルシス、どこまでも続いてほしい。細やかなグリサンドまで神経がゆきとどいたオーケストラ、指揮するミュンフン・チュンの棒もどこまでもさえまくり。

終幕最後のピンカートンのアリア、さらば愛の家、コスタンツォ最高の絶唱、グイッと持ち上げられたテノールサウンド最高でしたね。ここでのオーケストラ伴奏、舞台のような臨場感でました。
コスタンツォはカーテンコールでガッツポーズ出ました。彼の歌はことごとくきまっていましたので、当然と言えるかもしれない。イェオともども圧巻でした。

今回の2公演、途中沸き立ったのは、第2幕第1場の、ある晴れた日に、終わったところの一か所のみ。あすこだけは指揮者が流れをきっちり止めました。ハミングコーラスからの第2場への進行もポーズ無しで前進。こうゆうあたりも、凝縮された音楽作りで締まったいいものになりました。もちろんコンサートスタイルでのコンディションの良さもありますし。
舞台だとなかなかこうはいかない。


このオーケストラの実力をあらためて実感できたのもうれしかった。新国立では波が大きいオケですけれども、こうやってチャイコン2位でパリオペラ座の音楽監督やった人が振ったからというだけでなくて、やっぱりやるときはやるんだと、さすがだと思いました。わかってる指揮者の棒だとオーケストラプレイヤーのやる気が全然違う感じ。

昨年卒業した荒井さんがゲストコンマスで奮闘しておりました。いいアンサンブルをさらに押し上げたものとなりました。
今回の2公演、大変に満足しました。ありがとうございました。
おわり 

 


 


2160- ヴィラ=ロボス、アイヴス、ベートーヴェン、ジョナサン・ノット、東響、20167.23

2016-07-23 23:13:33 | コンサート

2016年7月23日(土) 3:00pm ミューザ川崎

ヴィラ=ロボス  ニューヨーク・スカイライン・メロディ  3′

アイヴス  ニューイングランドの3つの場所  10′6′5′

Int

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 田園  12′12′5+4+10′

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


フェスタサマーミュージックKAWASAKI2016、初日公演に行ってきました。前半のアメリカ物が出色のプログラム。

1曲目のニューヨーク・スカイライン・メロディは、マンハッタンのスカイスクレイパーを遠景から見た時のスカイラインを写し取り譜面化したもの。
3分ほどの短い曲、初めて聴きます。ヴィラ=ロボスの角の無い澱んだ音楽が、マンハッタンの丸みの無い角だらけの摩天楼とそれを遠くから眺めたスカイラインも角だらけ、そしてアヴェニュー、ストリートは整然、ブロードウエイだけが一つが斜めに走る、そういったものと全くの真逆、ブラックジョークと思える響きにびっくり仰天。確信犯的な皮肉音楽と思いました。それにたった3分、これならワン・ブロック先にも行きつけない。(笑)

ノットもわかったうえでの確信犯としか思えない。そして、オーケストラル・セットNO.1の最初の曲、ショーと黒人連隊に、ノットとしては連続演奏で入るモードだったと思うが、せっかちな拍手で一旦とめて開始。相変わらず興ざめの日本人拍手なんだが、協奏曲の第1楽章済んだところや悲愴の3楽章終わったところでは静まり返っているという、いくら外国人にほめられても、ジャパニーズ・ファーストでは決して無いあたり、そこらへんは認識の必要あります。知ったかぶりは日本人に多い、心を鎮める技を持っているはずの日本人に。

スカイラインとオーケストラル・セットとの関連性は音楽の響きのモード親近性だけだとは思いますが、賛美というより祈りに近いアイヴスの1曲目は深い味わいがあるものだ。
2曲目のパットナムは一変してシンフォニーの2番を思わせる種々雑多な行進曲等色々面白い。はずなんだが、ノットの演奏は1曲目も含めてかなりシリアスな音楽づくり、派手さよりも心を鎮める方向に舵取りをしているようだ。3曲目のフーサトニック川も祈りに近い。そしてかすかにエコーするのは、夕焼け小焼けのメロディー、気のせいか。
アイヴスのインスピレーションは賛美より祈りなのだろうか。きれいなストリームが心を鎮める。と、答えのない質問もやってほしかった気がする。

ノットの祈りのような演奏解釈はユニークなものと思います。オーケストラのハイな演奏技術とテンションの高い進行、目に浮かぶアイヴスのニューイングランド。お見事な演奏でした。
おわり


2159- 蝶々夫人、チョン・ミョンフン、東フィル、2016.7.22

2016-07-22 23:52:26 | オペラ

2016年7月22日(金) 7:00-9:30pm サントリー

プッチーニ 蝶々夫人  (コンサートスタイル)
ActⅠ 48′
Int
ActⅡ(beginning) 48′
ActⅡ(conclusion) 30′

キャスト(in order of voice’s appearance)
1.ピンカートン、ヴィンチェンツォ・コスタンツォ(T)
2.ゴロー、糸賀修平(T)
3.スズキ、山下牧子(Ms)
4.シャープレス、甲斐栄次郎(Br)
5.蝶々夫人、ヴィットリア・イェオ(S)
6.ボンゾ、志村文彦(Bs)
7.ヤマドリ、小林由樹(Br)
8.ケイト、谷原めぐみ(Ms)

合唱、新国立劇場合唱団
指揮、チョン・ミョンフン
管弦楽、東京フィルハーモニー交響楽団


このストーリーには色々あるかとは思いますが、とりあえずそれは横に置いて、といってもなかなかそうもいかず、そこは、空気が動くからドラマが出来る。そうゆう話ですね。
若い主役二人、ピンカートン役のコスタンツォは1991年生まれということだから、平成生まれの25歳といったところか、ストレートな活きのいいテノールでフォルテへの推移に大げさなブレスもなくて滑らか、ピッチが安定していて聴きやすい。強弱がさらに大きくなれば劇性も増すと思うが今はこれでいいとも思う。なんか、ぶつけていってほしいですよね。正面突破で、このまま。
タイトルロールのイェオ、比較的キーンな声質で、リリックソプラノが自然にスピント風味に聴こえてくるようなところがありますね、大柄で自然な威力もいい方に作用していそうです。妙に丸みをおびていないあたりこのロールにマッチしているし、相手役とのデュエットも天空をストレートに見上げるようなそう快感がある。ヤング・デュエット、最高。
歌い手は、しもてから歌う都度出入りする。歌うポジションはオーケストラの前、聴衆から指揮者に向かって左半分を使っています。

そして、このオペラをビシッと締めるのはミュンフン・チュンの見事過ぎる暗譜棒。オーケストラのサウンドは締まっていて十分すぎる聴き応え、もう、これだけでオペラの醍醐味を満喫、伴奏をはるかに超えている。プッチーニ独特の擬音的なあたりのイメージ効果、コンサートスタイルでもなんか色々と目に浮かんでくる。また、あまりタメを作らない運びながらプッチーニの泣き節をホール全体に響き渡らせるあたり、あまりの素晴らしさに最初から最後までツボ状態で聴く。素晴らしい。オケの締まりがホントいいですね、この前、新国立でローエングリンをやったオケと同じとは到底思えない。別物です。指揮者が変わるとこうもかわるものなのかと!びっくりですね。

こうしたこともあってか、それにコンサートスタイルのコンディションの良さもあってか、タイトルロールのイェオさん、入魂の歌、役になりきり、時折涙しながらの白熱の絶唱でした、それに第1幕和服、第2幕前半ドレス、第2幕後半は白装束と、ホールオペラ風な展開で、ものすごく印象的な蝶々夫人となりました。

今日の主役二人は指揮者の力で呼んだものでしょうがお見事な歌唱でした。それに脇がいい。一層、髪が伸びた甲斐さんは余裕のシャープレス。そして女中役の山下さんは相応ななりで最初から最後まで通しました。彼女の立場ならではのなんともやるせない気持ちのようなものがよく出ておりました。この二人をそれぞれ主役と絡めた重唱、そしてソロ、両方とも聴き応えありましたね。脇がいいと本当に締まります。
合唱は第1幕と第2幕第1場の裏で歌うハミングコーラスまで。オーケストラ同様のいい締まり具合でオケとソリストとの絡みアンサンブルがお見事でした。指揮者の力がここでも光ります。


第2幕第1場の、ある晴れた日に、の美しいアリアから同場最後のハミングコーラスまで、ここは聴かせどころ多いですね。プッチーニの泣き節に、泣けます。声も出ません。あまりの素晴らしいプッチーニ節に、もう、浸りきる。
ハミングコーラスのシチュエーションと第2場大詰めの自刃シーンは障子の白黒シルエットをイメージしながら。また、子供が出てくるわけではありませんが、そのシーンは手に取るようにわかる。切なくやるせないものですが、ミュンフン・チュンの棒は冴えまくり、まるでそこに子供がいるようなこってりとした味付けの音楽がはかなくも美しい。

物語の場所、歌われる国の言葉、引用された音楽、歌う方の国籍の多様性、そして指揮者、とにかくいろんなものがミックスした国際性豊かな上演。そして高い完成度、指揮者の力量によるところが非常に大きいとはいえ、応える歌い手、オーケストラ、合唱、すべて見事の一点に尽きる素晴らしいコンサートでした。
満足しました。ありがとうございました。
おわり


2158- ベトVnCon、スクリデ、ブラ2、マイスター、読響、2016.7.19

2016-07-19 22:14:04 | コンサート

2016年7月19日(火) 7:00pm サントリー

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調  23′8+9′
  ヴァイオリン、バイバ・スクリデ
(encore)
ウェストホフ ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調から 第3曲「鐘の模倣」 2′

Int

ブラームス 交響曲第2番ニ長調  21′9′5′10′

コルネリウス・マイスター 指揮 読売日本交響楽団


今度このオケの首席客演指揮者というポジションにつく予定のマイスター、お初で聴きます。
楽章終わりごとに長めのポーズをとりますね。演奏はなんだか、カンブルラン以前に回帰していくさまをこれから見るようでもある。オーソドックスなもので作品に相応しいと言えばいえるかもしれない。重厚で正面突破の指揮です。
副主題の入りとかは殊の外あっさりとしたもので、あまり気にしていないといった感じで、ため息、ブレス、そういったあたりにことさら味わいを求めないのは現代系なのだろう。まぁ、過去を捨てつつドイツ物正面突破、これからが見ものです。
おわり


2157- フィガロの結婚、二期会、ゲッツェル、2016.7.18

2016-07-18 23:49:04 | オペラ

2016年7月18日(月) 2:00-5:35pm 東京文化会館

東京二期会 プレゼンツ
モーツァルト 作曲
宮本亜門 プロダクション

フィガロの結婚

キャスト(in order of appearance)
1-1  フィガロ、萩原潤(Br)
1-2  スザンナ、高橋維(S)
2-1  バルトロ、長谷川顯(Bs)
2-2  マルチェリーナ、石井藍(A)
3   ケルビーノ、青木エマ(S)
4-1  アルマヴィーヴァ伯爵、与那城敬(Br)
4-2  バジリオ、高田正人(T)
5   伯爵夫人、増田のり子(S)
6   アントニオ、畠山茂(BsBr)
7   ドン・クルツィオ、升島唯博(T)
8   バルバリーナ、全詠玉(S)

合唱、二期会合唱団
指揮、サッシャ・ゲッツェル
管弦楽、東京フィルハーモニー交響楽団

Duration
序曲 5′
ActⅠ 44′
P
ActⅡ 51′
Int
ActⅢ+Ⅳ 47+35′


伯爵が最初の出番からフィナーレに向けてまわりから色々と算段されていく様子が、伯爵自身でもわかっているような演出で恣意的と感じました。あまりいい演出ではないと思います。

この演出なら、サイドストーリーとしての、フィガロがオヤジ見てぶっ飛びアクションといった周辺事態の強調はもっとあればさらに楽しい。複雑ストーリーにメリハリがついて、記憶残像効果がでます。

歌い手たちは歌だけなくしぐさも慣れたものでレパートリーとしてのオペラ・フィガロを感じます。フィガロ未経験の歌い手がいたとしても、このようないい意味での慣れはバトンタッチされ継続していくものと感じます。

第1幕、第2幕での7重唱は非常にバランスのいいもので楽しめました。もちろんいたるところにある独唱も素晴らしいです。動いて歌える人、立ち尽くして歌う人、おりましたけれども、相応な場慣れ感はありました。雰囲気あっていいものでした。
また、ケルビーノの青木さんのようなスタイリッシュで見栄えが良くてメリハリのある歌い手がこれからどんどん出てくることを期待したいですね。


舞台は右端活用せず、左端活用せず。舞台の真ん中を中心に建物設定していて窮屈。最終幕で少し動きが出ますがぱっとしないもの。色合いはシックでいいと思いました。

休憩が1回というのは少し厳しい。3回欲しいところですがせめて2回はインターミッション欲しいですね。

オーケストラは新国立でのローエングリンのときのひどい演奏とは別物といったところか。
小型の編成も幸いしていると思いますが、指揮者の締め具合が違うのだろうなという実感。さえた棒でしたね。音楽が少し停滞してしまうところがあり、もうひとノリ、スウィングが欲しい場面もありました。
おわり




2156- 金子、モツコン20、ブルックナー8番、ジョナサン・ノット、東京交響楽団、2016.7.17

2016-07-17 23:03:42 | コンサート

2016年7月17日(日) 3:00-5:30pm 横須賀芸術劇場

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466  15′9′7′
  ピアノ、金子三勇士
(encore)
ショパン ノクターン第20番嬰ハ短調 遺作   4′

int

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調 ノヴァーク版第2稿 16′15′29′23′

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


前日のサントリー公演に続きこの日は横須賀芸術劇場にて。前日のプログラムはブルックナーの8番だけでしたが、横須賀公演は前半にモツコンが追加されている。聴く前からそうとうなロングコンサートの気配。
横須賀まで少し遠いのですけれども、聴き逃すわけにはいきませんので、お初の横須賀芸術劇場にうかがいました。電車で駅まで着けばあとは至近距離にありますのでバタバタしないで済みます。

金子さんのピアノは1回だけ聴いたことがあります。バルトークの3番コンチェルト。伴奏はカンブルラン&読響。
今日はモーツァルトの20番です。このホールはステージが比較的奥まっていて音が前に出てくるのかちょっと心配でしたけれども、オーケストラのサウンドは厚みを保ったまま前に出てくるのでよく響くものでした。肝心のピアノが前に出ない。3階席で聴きましたけれども音が小粒。バルトークの時はそのようなことは感じなかったのでホールの特性かもしれません。この劇場5階席まであるので3階席はちょうどいいディスタンスだと思うのですが、どうもピアノの音が迫ってこない。この距離感でかなり遠めのピアノ音。
モーツァルトは全て見えてしまうのでこわいところもあります。ピアノの音価レングスにふらつきがあります。一様ではなくてまちまちなところがありますね。今一つ正確性に難があるような気がしました。アンコールのショパンはデリカシーに富んだもので、モツ同様の小粒感は否めないもののフィーリングや香りまで伝わってくる良いものでした。


後半は連日のブルックナー8番。演奏はかなりゆっくりめでした。ホールの音響配慮もあったかと思いますが、全体で昨晩より5分ほど長め。特に第3楽章の大河のような流れは間延びすることなく音がびっしりと敷き詰められたもので、その方針は前日同様ながら、ホール音を確かめるようなゆっくりした運びは余計な音の重なりが出ないよう進められたように感じました。美しい楽章でした。
オーケストラのハイテンションも昨日同様ながら、解放の進行が昨日より濃い感じで、まぁ、N響なんかもそうだが二日目のほうは経験則の積み重ねのフィードバックが瞬時に出来ていそうで、濃厚さと響きの余裕みたいなものを感じることがありますね。
東響のブルックナー、連日の高密度、高濃度、素晴らしい演奏を堪能できました。
おわり


小学生未満と思われるお子さん二人、お母さんとともに席を占めていて、とにかくせわしない。まわりにかなり迷惑をかけていて、私も声を掛けました。
第2楽章が終わったところで3人そろって自主退場。
あとで事務局の方にうかがったら、お子さんの入場が許可されていないコンサートとのこと。どのような経緯で誰が入れたのかわかりませんが、自分たちで作ったルールを自分で破ってもその自覚が無いのは権限者ですね。子供以下です。


2155- ブルックナー8番、ジョナサン・ノット、東京交響楽団、2016.7.16

2016-07-16 23:36:59 | コンサート

2016年7月16日(土) 6:00pm サントリー

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調 ノヴァーク版第2稿 15′15′26′22′

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


殊の外、柔らかい弦で始まった演奏で、充実した音が満ち溢れた演奏、弦の第1プルトから最後尾まで全員がものすごいハイテンションで弾いている。高弦の明るめの充実サウンド、チェロのしなり、ベースの豊かな鳴り。どれをとってもすごいが、チェロの弾きっぷりは全員最高峰テンションで、あれがあればこその、この演奏。ホルン、ワグナーチューバの鳴りも隙間なし。特にホルンはプリンシパルとともに2番3番あたりの活躍部分の力量的な充実感もありますね。ブラスセクションと同等に渡り合うストリングのバランスなども、もはやうなるしかない。こんな感じでびっしりと詰まった音が進んでいくさまはオーケストラを聴く醍醐味、快感が走る。
オーケストラの個々の技量が非常に高い、でもそれを誇示しない。ノットのコントロールと解放。この場合、解き放つ開放感というよりもコントロールが行き届いていて、そのようなコントロールの中にいることにオーケストラのメンバーはむしろ自らが快感をシンクロしているような気さえする。抑制されたものではなくて、インディーズ的な快感みたいなものではないかと思う。それがノットという指揮者を得て独立独歩ではない一点焦点のプレイにつながっているので破壊力がすごい。

ノットの作る音楽は造形美にも優れていて、バランスが最高に良いですね。
ソナタを例にとると、配分比率は以下。
第1楽章 15′
提示部1S,2S,3S   2,2,2
展開部         4
再現部1S,2S,3S   1,1,1
コーダ         2

第4楽章 22′
提示部(経過句含む) 1S,2S,3S  2,2,2
展開部               7
再現部(経過句含む) 1S,2S,3S  2,2,2
コーダ                           3

見事な構成の作品をこの日のような構成感で演奏すればこのように最高のバランスとなる。ノットはあまりテンポ動かすことなく、タメのような音楽的な息、ブレスは作らない。音がぎっしり詰まってなおかつよく動ける音の肉付けと言える。
終楽章における展開部の十分な展開、拡大された再現部は、第1楽章の流れからの正解を出していると思う。ちなみに第7番は終楽章が弱いのはこのように分解すれば自明で展開不足再現不足。8番の方が圧倒的に巨大でバランスがいいが、流れる音楽の美しさで7番が際立っていて、この8番はどちらかというと静止モード。
ノットは第1,4楽章ともに第3主題が速めで流れる。と言っても、7番のような流麗なものではなくて、もっと縦に突き刺すようなリズミックなもの。それから、経過句が濃い。ウィンドのハーモニーや川の流れのような束の弦のほんの少しの経過句を十分によく味わい深く聴かせてくれるので曲の充実感が濃い。印象がその分、濃くなる。
また、終楽章のコーダは第1楽章の第1主題の炸裂音回帰からとみなせばさらにバランスよく感じるもの。まぁ、見事に整理整頓された作品なので、炸裂音回帰は、全部終わったので今から最後のコーダをやるよ、というまとめ的なもの。ノットの作り出す音楽と言うのはこの四角四面な作品に対峙することなく、内面から音を外に照射するような輝きがジワーッとあふれ出る。全部の主題の同時出現の離れ業が進行する中、降下音型の終結部に向かう直前、ギザギザと登り続ける波形主題のトランペットが最後の光り輝く2音を放つと、怒涛のような下降音型が執拗に連続し、どちらかというとなで斬りエンディング。しつこく押すことはない。圧倒的な光の中で、下降音型で音楽は昇天するという奇抜なブルックナー8番、しびれました。

殊の外、柔らかく感じた冒頭の音色それから、それ以降のノットの解釈表現は、2年前のエポックメイキングな演奏となったブーレーズのノーテーションを思い出させてくれました。
1645- ノタシオン、夏の夜、サーシャ・クック、グレイト、ジョナサン・ノット、東響2014.6.14

一度そう思ってしまうとなんだかそれがずーと頭の中で響きはじめた。余計なものを全て削いだところから始まるブーレーズ。ノットのブルックナーは原点のフレッシュさを感じさせてくれますね。
素晴らしい演奏でした。ありがとうございました。
おわり


付記
演奏の前、静まったところで、フライングするなとあれだけしつこくアナウンスしているにもかかわらず、この日も迷惑行為のフラブラ発生。それも墓の中のブルックナーがロール・オーヴァーしそうななんともさえない間の抜けたもので、注意しに行こうと思ったら逃げたので何しに来たのか全くわからない。今回は色々とあって犯人が特定される気配。
この種のマリグナント・チューマーは取り除くしかてがないように思う。ノット、オーケストラ、聴衆、三位一体となって作り上げたブルックナーの巨大な世界を一瞬にして無にする迷惑行為、悪辣なもので残念でした。


2154- トリスタンとイゾルデ第3幕、飯守泰次郎、関西フィル、2016.7.15

2016-07-15 23:00:23 | オペラ

2016年7月15日(金) 7:00pm ザ・シンフォニー・ホール、大阪

ワーグナー トリスタンとイゾルデ 第3幕 (演奏会形式)  75′

(In order of voice’s appearance)
1. 牧童、谷浩一郎(T)
2. クルヴェナール、萩原寛明(Br)
3. トリスタン、二塚直紀(T)
4. イゾルデ、畑田弘美(S)
5. 舵取り、黒田まさき(Br)
6. ブランゲーネ、福原寿美枝(Ms)
7. メロート、松原友(T)
8. マルケ王、片桐直樹(BsBr)

飯守泰次郎 指揮 関西フィルハーモニー交響楽団

(elapsed time)
第1場 53′
第2場 10′
第3場  6′
第3場愛の死 6′


お初で聴くオケ、お初のホール。
梅田の駅近くにホテルを取って、そこから徒歩10~15分ほど。ホールの周りはあまりきれいではなくて、特にタバコのスパスパが割といて気になりました。
ホールはコンパクトなもので、どちらの席に座ってもまんべんなく音が伝わってきそう。
正面2階の最前列で聴きました。

第3幕だけのコンサートスタイルで、トリスタンの踏ん張りどころは長丁場とはいえ第1場だけですから、最初から飛ばしてほしい。ヘルデンテノールという雰囲気は無くて、力を込めて声を抑えているというのも妙な言い方ですが、そうとうに抑え気味の歌唱。オーケストラに埋もれてかき消されてしまうところもたびたびありました。聴く方としては悶々と第1場50分過ごした感じ。歌い手の事は知らないのですが、自身で感動しながら歌っているように見える。聴衆にうったえることに集中してほしい気がしました。最初からラストスパートが必要。正確な斉唱は好感が持てました。
ということでモンモン50分のあとに登場するイゾルデは、それまでのシーンと比して大きく響く声でスカッとした。強烈で安定していて余裕のイゾルデですね。愛の死の前だというのにスカッとする。イゾルデは20分ほどの出番ですし、飛ばしまくる感じで気持ちいのいいものでした。

周りを固めた方々はそれぞれの立ち位置で安定した歌で良かったと思います。第3場は舞台でもバタバタする場面であわただしいのですが、コンサートスタイルでも出たり入ったりと同じく忙しい。
いつも書きますが、愛の死の歌唱への移動は唐突感があって、第3場はワーグナーにもうひとひねり欲しいところですね。あと、20分ぐらい曲が続いてから愛の死へ、移動するとそうとう自然な滑らかさが出ると思うのですが。

オーケストラは、大阪だけにかどうか、トラが多い。オーケストラ特有の音、伝統的に、継続的に培われてきた音というものが感じられない。来年もう一度同じ曲やったら別の色具合になるかもしれない。ボソッとした感じでした。光り輝くオーケストラサウンドを期待していましたけれども幕が幕だけにこれはこれで良かったのかもしれません。

この指揮者だからカリスマっぽく触発された演奏になったというわけではない演奏でしたが、指揮者、歌い手、オーケストラ、聴衆が作り上げた80分を一瞬にしてぶち壊してしまうフラブラ病は全国津々浦々どこにでもあるものと、それだけ声でかけりゃトリスタンでも歌えよと文句の一つも言いたくなる。


始まる前に飲んだホットコーヒーは350円でした。
終ってから3軒ほどバー巡り(ハシゴ 笑)しましたが、その話はまた別途。
おわり


2153- アレクサンダー・ガヴリリュク、ピアノ・リサイタル、2016.7.14

2016-07-14 23:18:55 | リサイタル

2016年7月14日(木) 7:00-9:20pm コンサート・ホール、オペラシティ

シューベルト ピアノ・ソナタ第13番イ長調D664  9′5′8′

ショパン 幻想曲ヘ短調op.49  13′
ショパン 夜想曲第8番変ニ長調op.27-2  6′
ショパン ポロネーズ第6番変イ長調op.53 英雄  7′

Int

ムソルグスキー 展覧会の絵   31′

(encore)
シューマン 子供の情景 第1曲  2′
フィリペンコ トッカータ  3′
シューマン 子供の情景 第7曲トロイメライ  2′
バラキレフ イスラメイ  8′
ラフマニノフ 楽興の時op.16 第3曲  4′
メンデルスゾーン/リスト/ホロヴィッツ 結婚行進曲  5′

ピアノ、アレクサンダー・ガヴリリュク


ガヴさんを聴くのはこれが2度目。昨年2015年1月にノセダ、N響の伴奏でプロコフィエフの3番コンチェルトを2回聴いて以来です。
あの時は非常に精力的な演奏と思いました。今回、最初のシューベルトを聴いてるとメゾフォルテからメゾピアノあたりのダイナミックレンジ幅の中でほぼ全て表現できているような具合で、絶妙な演奏でした。曲のムードを自然とつかんでいるようで、滑らかに音楽が流れていきました。ナチュラルな演奏。
指使いは鍵盤を吸い上げそうな一体化したものでびっくりですね。

ショパンの3曲は小曲とはとても言えない。中規模なピース3個。ドラスティックな意気込みで聴きごたえ満点。巨大な演奏でした。ため息の呼吸がお見事でショパンの美しさをはっと感じさせてくれました。いい演奏ですね。

後半は、つい先日ロマノフスキーが演奏した曲と同じ。
ガヴさんの展覧会を聴いていると、先を読みながら演奏しているなぁ、と感じます。具体的にどういうことと言われるとなかなか難しいのだが、例えば、ここのちょっとしたフォルテの意味合い、速度感、といったものが、すぐ次に、解決案的に納得できる形で表現されていて、すごくつながりを感じる。伏線を敷きながらのプレイというのは先々のあるべき彼の表現、つまり、今鳴っている音が、先取りしている。考え抜かれたピアノだと思います。自然と身についているフィーリングというか。
展覧会の場合、もともとそのような関連性の濃いものがわかる曲ですし、作為的なところは微塵もなく、通奏低音的に心理的なつながりを感じさせてくれる。結果、拡散していくところが皆無で、中心に向かって引力、集中引力と言ってもいいかもしれません。凝縮した圧倒的な演奏でした。

アンコールは6曲、ロマノフスキーは5曲でしたので、ここらへんも、面白いですね。
あまりなじみのない選曲も含め全て楽しめました。圧倒的な30分アンコールでした。
ありがとうございました。
おわり



2152- ピアノリサイタル、松本和将、2016.7.12

2016-07-12 23:04:14 | リサイタル

2016年7月12日(火) 7:00pm パウゼ、カワイ表参道コンサートサロン

オール・ベートーヴェン・プログラム

ピアノソナタ第24番嬰へ長調 op.78 テレーゼ  7′3′
ピアノソナタ第25番ト長調 op.79  5′4′2′
ピアノソナタ第26番変ホ長調 op.81a 告別  7′4′6′
Int
ピアノソナタ第22番ヘ長調 op.54  6′5′
ピアノソナタ第23番ヘ短調 op.57 熱情  10′7′5′

ピアノ、松本和将


ベートーヴェン本人なら見た目どんな感じで弾いたんだろうと、ふとそんなことを思わせるところもあります。
ベートーヴェンの音楽を満喫できました。全般的に流れないプレイで時折見せる停滞するパッセージはさらにその感を強くさせるが、一つずつの音をかみしめながらの弾きは相応に理解できるもので、プレイヤーよりもむしろベートーヴェンの姿がそこに見える、そのあたりのことを楽しめました。
前方、両手の見える席に座ったのですが、位置のせいなのかどうか、左手と右手の強さが随分と違って聴こえる。圧力の違いか、左のバスが弱いというより右が強いのか、はたまた、例えば告別でのバスの切れ味が今一つなあたりのところをとると、別の問題なのか。ちょっとわかりませんでしたけれどもとにかく強さバランスが右と左でかなり異なり均質な音の響きを楽しめるところまではいかなかった。それと、25番第1楽章、22番2楽章の盛り上がり部分で音が整理されていないと感じました。
まぁ、それでもベートーヴェン5曲、どうせなら作品番号順に並べてほしいところもありましたけれども、色々と考えさせてくれるところもあり、良い時間を持てたと思いました。
おわり

 


 


2151- グラズノフ、四季、ショスタコーヴィッチ15番、ラザレフ、日フィル、2016.7.9

2016-07-09 23:34:40 | コンサート

2016年7月9日(土) 4:00pm サントリー

グラズノフ  四季   36′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第15番イ長調  8′、16+5′、18′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


前日の公演感想は以下に。
2150- グラズノフ、四季、ショスタコーヴィッチ15番、ラザレフ、日フィル、2016.7.8



ラザレフが日フィルの首席指揮者として振る最終公演。昨晩はP席で熱演を観ました。今日は定席の正面席で。開始時刻がいつもの2時ではなく4時なのは、後半のショスタコーヴィッチに臨席された天皇皇后両陛下へのスケジュール配慮のためと思われます。

ご臨席のためなのかどうかわかりませんが、それよりもラザレフ最終と言うこともあるのか、とにかく、異様にテンションの高い演奏。100人を数えるオーケストラの個々のメンバーがそろいもそろってこんなに集中力の高いプレイをするのを観たのは、ほんとうに久しぶりの出来事。この前のアシュケナージ、N響のシューマン2番、エルガー2番もすごかったが、あれを上回るハイエスト・テンション、空気が火のようだ。めったにない出来事でした。

ダイナミックさを強調した第1楽章の後、一服して、静かな2楽章。チェロのソロはこの前の横浜ドヴォルザークのソロの勢いそのまま、濃い。流れは横に置かれているが、ショスタコーヴィッチの沈殿していくような曲想にはふさわしい。ベースのソロは黒光りでチェロと同じスタンス。そしてむき出してグイグイ吹かれていくトロンボーンが続くのだが、この演奏ではそのトロンボーンは抑えられていてメゾフォルテぐらいのソロ圧力で、これは意外。この3ソロのバランスなんですが、正面席で聴くと同じ強さに聴こえてくるんですね。絶妙にバランスされたラザレフコントロールにうなる。深刻度をみんなで共有しているようなアトモスフィアが自然と醸しだされてくる。圧倒的な説得力の第2楽章。

この第2楽章と終楽章は前の晩よりもテンポが若干スロー。これは自然なものだろう。第1楽章は今日の方が激しかった気がする、これはノリの良さで迫ってくる感じ。初日より全体的にメリハリがさらに出た感じ。謎が謎を呼ぶ魅惑が魅惑を呼ぶ。大きく水平に展開されていく演奏でこの作品に終わりはないような気がする。
全プレイヤー渾身の演奏で火の出るような勢いの音が静かに進行していく、絶演の極み。
終楽章のパーカッションエンドに移っていくところの弦のユニゾン、もう、ため息状態。
お見事なショスタコーヴィッチでした。感動しました。声にならない。

フライング封じの振りは今日もさえわたり、ペンギン振りヴァージョン2、小さく上のほうで30秒ほど少しずつ両腕を下げながら空気振り。そしてダラッとその両腕をおろし、終わり。ラザレフの首席指揮者としての振りが終わった瞬間でもある。
素晴らしい演奏、ありがとうございました。


前半のグラズノフは明らかに今日の方がよく揃っている。ブラスのバシャッと感もあまりなくてダイナミックな四季を堪能できました。これからはグラズノフの世界を広げていけそうだ。


それから、天皇皇后両陛下の退席にあたって、N響などは特になにもモーションはないのですが、日フィルさんは全員でラザレフ共々、深々と。このため、ラザレフに聴衆からのさよならは言えるタイミングがありませんでした。これがひとつ心残りと言えばそうかもしれない。今年後半来日してまた振りますからそれを楽しみに待ちましょう。
おわり


2150- グラズノフ、四季、ショスタコーヴィッチ15番、ラザレフ、日フィル、2016.7.8

2016-07-08 23:00:35 | コンサート

2016年7月8日(金) 7:00pm サントリー

グラズノフ  四季   36′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第15番イ長調  8′、15+5′、17′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


ジークフリートの死が終楽章の冒頭に出現する意味は作曲者のみが知るところだと思う。ヘンツェのトリスタンでブラ1が突然現れるあのインパクトに近い。
引用の山はアイヴスの交響曲第2番並みか。
15番と4番の相似性の結末はラザレフの言を俟たない。
謎が謎を呼ぶ曲、もう、ここまでくると、人それぞれ、みたいな作曲技巧で、謎を楽しむ。当のご本人ももしかして案外楽しんで作曲していたのかもしれない。肩の力を抜きながら。

手持ち音源は一番下にリンクしておきました。生聴き演奏会の整理はまだです。


ジークフリートの死のあと、しだれ柳風なヴァイオリンの美しくも不気味な一本線。続くブラスセクションのスタッカートな縦の線との対比が妙。この曲の白眉。いろんな白眉が何回も出てくる。このしだれ柳の再帰の後、曲はしぼみ続け、引き伸ばされたヴァイオリンに乗って弱音パーカッションの饗宴。ラザレフ棒では太鼓が結構な強さで明確。
そして一点光源の方に吸い寄せられるように消滅エンド。ラザレフは終わっても振っている。約30秒間、ペンギンのように両腕で一拍振りを続け、パタッとその両腕の力を抜いてエンディング表示。フライング封じのスペシャリストらしい。曲としてもミステリアスさが増すお見事なパフォーミングでした。

この曲は編成のわりに響きが薄められていて、一本の線の味わいが濃い。それぞれのプリンシパルにソリスト級の多いオーケストラらしくラザレフとしても認識のソロ目立たせ路線だったのかもしれない。線の太い演奏となりました。
あと、弦のパッセージを際立たせて、普段馴染んでいる演奏とは随分と異なる響きを感じました。ロシア的感覚ですかね。洗練されたものと地で行くものがうまくハイブリッドされた具合になり、ユニークな響きをこれまた堪能できました。独特な感性なのかラザレフが振るとあれが正しい響きバランスのように聴こえてくるから不思議。
それからブラスセクションのトランペット、トロンボーン、チューバのかたまりの揃い具合、充実していて緊密アンサンブル。ホルンはなぜか2番の隣にアシ(と思われる)。1番の代吹きはどこをちょん切っても困難かとは思われるのですが、不思議なポジショニングでしたね。

と言う具合で、注目のラザレフのテンポ。これはかなりの伸縮自在。全体的には殊の外、時間のかかった演奏となりました。終楽章にウエイトがありました。非常に濃い演奏。
ラザレフがいつぞやのトークで語った15番初演話。あれは楽しかった。あの頃とはまるで違う世界が今のラザレフには当然あると思う。
型のきまり具合が素晴らしく安定している。こういったところは初演の頃とはだいぶ違いうと思う。当時、細かい修正はいくつかあったようで、その後、色々とゆすって濾していい塩梅に落ち着いたのが昨今の演奏スタイルとは思います。ラザレフは初演当時から見て聴いてきているわけで歴史の生き証人みたいなところもある。4楽章構成、2,3、楽章がアタッカとなる曲、型が明確にわかる演奏で、また、主題の親近性が手に取るようにわかるのでがっちりした作品というのもよく理解できました。納得の演奏でした。
ありがとうございました。

前半のグラズノフは、非常にダイナミック。オケの方にちょっとバシャッとガラス割れたようなサウンド局面が少しありました。強奏のあたりですね。
フィニッシュは台上でラザレフがワインヤードの聴衆をなめ回すように1回転。初めて観る技でした。
おわり


2004- ショスタコーヴィッチ、交響曲第15番、河童ライブラリー

 


2149- アレクサンダー・ロマノフスキー、ピアノ・リサイタル、2016.7.5

2016-07-05 23:21:24 | リサイタル

2016年7月5日(火) 7:00pm 紀尾井ホール

シューマン アラベスクハ長調  8′
シューマン トッカータハ長調  5′
シューマン 謝肉祭       26′

Int

ムソルグスキー 展覧会の絵  29′

(encore)
ショパン エチュードop.10よりハ短調 革命  2′
ショパン ノクターン第20番嬰ハ短調 遺作  4′
リスト 超絶技巧練習曲集第10番ヘ短調  5′
スクリャービン 12の練習曲Op.8より 第12番嬰ニ短調 悲愴 2′
バッハ 管弦楽組曲第2番BWV.1067より バディネリ 1′

ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー


ロマノフスキーを聴くのは5回目、前回は今年の東京春祭り。
オーケストラの演奏会に行くことが多いのですけれども、昔通った演奏会の事を眺めてみると、ピアノ協奏曲が合わさったコンサートが非常に多い。そのような場でピアニストに興味が出てくるとリサイタルや室内楽の方まで足を伸ばすことになる。ロマノフスキーのソロ・リサイタルは初めて聴きます。

前半はオール・シューマン。ストイックな感じは無くて、心穏やかに弾いている雰囲気、冷静で知的でそれでいてメカニックなところは無い。起伏のあるパッセージも自然な流れが重視されている。謝肉祭は色々と変幻自在で目まぐるしくモードが変わっていく。素晴らしい演奏でした。アラベスクとトッカータは前段ということでもなくていきなり集中していく姿と音にうたれます。ギクシャク感がまるで無いというあたり、やっぱり、上のランキングの人だなぁとつくづく思いますね。

後半は、展覧会の絵。プロムナードは殊の外、スピードがある。響きの余韻を抑えてすっきりとブリッジしていく。キリッと切り替えて絵に移る呼吸の見事さ。それぞれの絵の色彩感とダイナミックな弾きがあでやか。色が鮮やかでビューティフルな演奏。力んでいる様子もなくて自然、このように、粗野さのないスタイリッシュなムソルグスキーはめったに聴けないものでしょうね。無骨さゴツゴツしたものの対極みたいな感じ。
堪能しました。

上着のボタンをはずしたらそれはアンコールの合図、5回も見ることに。
アンコールの革命は何回か聴いた。よほど好きなんだろうなぁ。
5曲もあって、なんだか後半プロのさらに後半と言う感じで得した気分。
素敵なリサイタルでした。ありがとうございました。
おわり





2148- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.4

2016-07-04 23:52:38 | コンサート

2016年7月4日(月) 7:15pm サントリー

マーラー 交響曲第8番変ホ長調  23′ 59′ 
(no intermission)

(in order of voice’s appearance at part Ⅱ closing scene from Goethe’s Faust)
1.法悦の教父、ミヒャエル・ナジ(Br)
2.瞑想の教父、シェンヤン(Bs)
3.マリア崇拝の博士、サイモン・オニール(T)
4.罪深き女、エミリー・マギー (S)
5.0.サマリアの女、合唱ソロアルト、加納悦子(A)
6.エジプトのマリア、中島郁子(Ms)
7.贖罪の女、ユリアーネ・バンゼ(S)
8.栄光の聖母、市原愛 (S)

栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


この日がミュージック・パートナーとしての最終公演。マーラー8番の3連発千秋楽です。
1回目、2回目は以下。

2145- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.1

2146- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.2

リストのファウスト・シンフォニーを聴いているとだんだんと主要主題が1個しかないと思えてくるのだが、このマーラーの8番も同じ実感。ファウストの出番はこんな感じなのかしら。特に2部はその様相が濃い。
今回、8番を続けざまに3回も聴いて、これは合唱とソロの曲とあらためて実感しました。大げさなストリングやブラス、ウィンド、パーカッションの鳴りでは全くなくて、声の曲と再認識。編成や位置関係については最初に聴いたときのブログに書きました。今日の3回目はホールがトリフォニーからサントリーに変わりました。自席は双方1階センターあたりですが、大きな違いはサントリーでは合唱が角度のあるP席に陣取るということですね。声の通り具合がかなり違う。トリフォニーが悪いというわけでなくて、サントリーのP席から聴こえてくる声と言うものは圧倒的な圧力で、ソリストの声も非常に明晰。オケ、合唱、ソロ、音量バランスがホールでだいぶ異なる。サントリーは声に関して圧倒的に表現力をつかみ取ることができる。
オーケストラはトリフォニーの時のようにフラットな位置ではなく、後方に行くにつれてひな壇が2段目3段目とある。16型概ね4管(ホルン8)で、合唱はP席に上がるので、トリフォニーよりは余裕のポジショニングでした。
といった感じで、
相応なでかい編成と言うより弱音に終始した色のパレットがあまり無い2部の頭からの長いアダージェの1個メロディーの単調さを先に感じてしまうのだが、ハーディング棒は今日もさえわたり、合唱が出る前の25分ほどの長い長いシーン描写が緊張感に満ち溢れ、荒涼たる地帯が心象風景のようなおもむきとなってじわじわと。
1個メロディーの濃度。絶妙なハーモニー・バランスや微妙な味付けニュアンスで聴かせてくれる。濃い演奏でした。
法悦さん瞑想さんはトリフォニーの時と同じ動きの移動、間近で柔らかでクリアな声で魅了されました。バリトンとバスの区別は明確にはないような気もしました。ここでの合唱はまだ、ポツポツと語りかけるようなものですね。
このアダージョ聴きごたえありました。ブラスに徐々にマーラー的なねばりっけが出始めます。これもいいもんです。

この後、10分ほどスケルツォ的な動き。天使、児童の合唱、そしてマリア博士オニールの斉唱。このからみは、もう、圧倒的。さえる合唱、上を向き、前を向き歌うオニールの声はヘルデンテノールの極みで細くビロードのような滑らかさで黒光りする。全くぶれない余裕の斉唱。美しいほれぼれする声です。この役どころにふさわしい。
ハーディングは合唱をコントロールしている感じは無くて、練習の成果を思う存分出させているような具合ですね。始終、口を開けて一緒になって歌いながらの指揮で、こうゆうことがそうさせているのかもしれない。合唱とオケ、あまり区別無く、一つの生命体のようになっている。まとまり、前進、といった指揮ぶりですね。曲がますます一つとなり、ハーディングの棒もさらにさえわたる。ここらたりまでくると、終わってほしくないという思いが強くなってきます。そして、罪、サマリア、エジプト、懺悔。ソプラノ、アルトが次々に独唱、女声陣は最高峰のマギー、そして全員バランスのよく取れたもので、うなる、この満足感。

スケルツォがおさまった後のアダージェシモの第1ヴァイオリンによるこれぞマーラーの泣き節の極み、ハーディング棒は特別な思い入れはあるようには見えないが、一瞬感情を排したというよりもそのような余計な感情系のことを忘れさせてくれる、自然に湧き出てくるような情感、これが今風な表現なのかもしれない。効きました。

マギー、オニール、ソリスト陣、合唱、圧倒的な鳴りが波となって伝わってきました。オーケストラは騒ぎ立てない品のあるもので、ハーディング棒ここに極まれりと、これで去るのは惜しいが、この別れも曲同様ひたすら前向きにファイナル・フィニッシュ!
今秋のハーディング&パリ管を待とう、と。
ありがとうハーディング。
最後、花束をもらいマイク・パフォーマンス、そして指揮台からスマフォ撮り。自分の席も近いので写ったかと。まぁ、いつか、みれるかもしれない。
おわり


おまけ、
トリフォニーでは両日ともフライングなくきれいな響きを堪能できました。サントリーでは、ハーディングが作り上げた90分を、意識された、故意による、壊滅状態にさせる、フライングブラボーにより、場がシラケてしまいました、残念です。
このてのマリグナント・チューマーはだいたい2階の奥。千円ブラボーの席に棲息。この心理的な解明は割と簡単かもしれない。
今回のGM8フライングを教訓に、叫んだやまいびとの顔を隠し撮りして、次回用にウォンテッドのプリントアウトを洋酒館に貼る、という奇策もありかと考えます。