河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2643- 芥川也寸志、交響管弦楽のための音楽、團伊玖磨、飛天繚乱、黛敏郎、饗宴、千住明、滝の白糸、大友直人、群響、2018.11.26

2018-11-26 23:07:24 | コンサート

2018年11月26日(月) コンサート・ホール、オペラシティ、初台

芥川也寸志 交響管弦楽のための音楽  4-5

團伊玖磨 管弦楽幻想曲 飛天繚乱  16

黛敏郎 饗宴  10

Int

泉鏡花 原作 義血侠血
黛まどか 台本

千住明 作曲 滝の白糸 序曲と第3幕 (演奏会形式) 4、2-7-18-13

キャスト
滝の白糸、中嶋彰子(ソプラノ)
欣也、高柳圭(テノール)
欣也母、金子美香(メッゾ)

二場・乗客1、三場・傍聴人1、北原瑠美(ソプラノ)
一場・口上、児玉和弘(テノール)
一場・観客1、二場・乗客2、櫻井淳(テノール)
一場・観客3、三場・傍聴人2、芹澤佳通(テノール)
一場・観客2、二場・役員、大川博(バリトン)
二場・乗客3、三場・傍聴人3、小林啓倫(バリトン)

二場・南京出刃打ち、清水那由太(バス)
三場・裁判長、金子宏(バス)

合唱、群馬交響楽団合唱団

大友直人 指揮 群馬交響楽団


滝の白糸 duration
序曲  4
第3幕
第1場(晩夏) 福井の芝居小屋  2
第2場(秋) 秋・高岡一石動間の乗合馬車  7
第3場(秋) 金沢地方裁判所  18
第4場(晩秋) 13

この日のプログラムは昨年2017年に大友が東響を振ったプログラムとほぼ同じ。違いは前半1曲目の芥川也寸志のトリプティークが交響管弦楽のための音楽になっていることだけですね。

2394- 芥川、トリプティーク、團、飛天繚乱、黛、饗宴、千住、滝の白糸、大友、東響、2017.8.20

それで、まずはメインプログラムの滝の白糸。
昨年同様、オペラの序曲を演奏してから第3幕に入る。配役のポジションも昨年の事を思い出させるもので概ね同じものだろう。
4シーンあって最初の場は芝居小屋での口上のみで短いもの。ドラマとしての盛り上がりはこの幕最長となる3場。そしてメロディーがとめどもなく溢れ出て流れまくる4場終場。
客席は少し明るめにしてあるのでプログラム冊子に挟んである日本語リブレットを読みながら見ることは出来るものの、日本語での歌とは言え、やっぱり、字幕が欲しかったなあという思いもある。

初演指揮者による演奏は素晴らしく流れの良いもので、緊張感に溢れ、歌、オーケストラともに充実の内容。前半のプログラムの演奏から感じていたのだが、群響、この-ホールで凄く演奏しやすそう。思った通りの音をプレイヤー自身が感じているようで、鳴りがしっかりとしていてバンバン響いてくる。やってるほうが手応えあるというのは心地いいだろうね。
合唱は男声がややザラザラな地声が飛んできてもうちょっと滑らかに削って欲しいなあというところもあるが女性陣の張りつめた歌などなかなかいいものであった。

ソリスト陣は沢山出てきて、同じ人が別の役を歌ったりするので、コンサート・スタイルだと紛らわしいものなので、やっぱり字幕が必要だったなあとなる。白糸、欣也、欣也母は指揮者のところでの歌なので、観るほうも彼らの部分は手に取るようにわかる。

ドラマチックな3場、悲劇のデュエット4場。悲しくも甘い結末に向かっていくその果ての終場4場はあまりにメロディアスでちょっと向き変えるとそのままイタオペ突入という流れの中、ギリギリで踏みとどまる千住オペラ。音響のダイナミクスを少し横に置き、日本人的な心象風景のアヤのほうにかじを切ったような雰囲気を醸し出すあたりは、やはり、格別の味わいではある。

白糸中嶋は貫禄もので切迫感と潔い諦めが綯い交ぜになった役どころを多彩な表現で歌い尽くす。濃い濃い渾身の歌唱でした。こうなると、欣也も頑張らないといけない。もはや、つられて快唱的なところも合わせて、吹き上げるテノールはソプラノ中嶋のオーラが伝播したかのようだ。初演歌唱の自負はあるだろうね。こんなに屈折した役はめったにないだろうから、歌と歌周りの香りを出していかないといけないし複雑だ。
ドラマチックな内実を歌で話す欣也母金子、泣きの入る親の切なさを切々と。本当に悲劇、悲しさ極まる。

大友の歌を救い上げていくタクトは見事なものだ。一瞬の弛緩もない。淡々と進めているようで、音楽に隙間を作らない、このオペラにまことに相応しいものでした。伴奏のオーケストラはまるで自家薬籠中のお品。泣きから咆哮までニュアンスの層が多く有り多彩なパレット。彫りの深い演奏で奥行き感も十分。圧倒的な演奏でした。

プログラム前半に置かれたいわゆる三人の会の三作品。
芥川也寸志の作品は、粒立ちよく単調なリズムが心地よい前半と、音響で攻める後半。良く鳴らした作品でオーケストラの機能的なあたりのことを味わえる。オケ好演。

團伊玖磨の飛天繚乱は、もう、結構聴き馴染んでいて、自然に描写が目に見えてくる感じ。ハープをはじめとして、天女が舞い飛ぶ。本当に才能あふれるお三方だったんだと思いを新たにする。オケの滑り具合が良い。飛び・舞う、素晴らしい演奏。

黛敏郎の饗宴も、聴き過ぎている。オーケストラの咆哮。群響が腕まくりして全員吹奏、叩き、弾く。圧巻の内容でしたな。
ソプラノ、アルト2本、テノール、バリトン、計5本のサックスをウィンドレヴェル左側に一列に配し、目にも来る。右奥のティンパニはまるでジャズドラマー風味満載。ばちが低い天板にあたりそうだ。この派手さ、並ではない。終わったら整理体操要ると思うよ。
オーケストラという音響体をフルに鳴らした黛の傑作はいつ聴いても新鮮だ。オケの筆舌に尽くし難い爆演に大ブラボー。


ということで、三人の会の作品、そして千住明の滝の白糸。満喫しました。群響の快演にも大拍手。作品に寄り添った大友のタクトも見事なものでした。

千住さん終わったところでステージに。スペシャリスト大友だけではなく、たくさんの指揮者にこの作品を振って欲しいものですね。

今日は素晴らしいコンサート、ありがとうございました。
おわり













2642- バーバー、シェリー、コープランド、オルガンシンフォニー、鈴木優人、アイヴズ2番、広上、N響、2018.11.25

2018-11-25 20:30:43 | コンサート

2018年11月25日(日) 3:00pm NHKホール

バーバー シェリーによる一場面のための音楽  10

コープランド オルガンと管弦楽のための交響曲  6-8-11
 オルガン、鈴木優人

(encore)
バッハ
シュープラー・コラール集より第1曲 目を覚ませと呼ぶ声が聞こえるBWV645  4′

Int

アイヴズ 交響曲第2番  7+11-10-3+10


広上淳一 指揮 NHK交響楽団

今日も昨晩に同様、アメリカ物3発を満喫。
2641- バーバー、シェリー、コープランド、オルガンシンフォニー、鈴木優人、アイヴズ2番、広上、N響、2018.11.24

アイヴズは昨晩よりややテンポを上げた流れが美しい。
エンディングの強烈な不協和音はN響のあまりの能力に汚れなき美しさを感じるという驚愕感を味わった。抜けきったホルンがお見事でしたね。スバラシイ。
全5楽章を味わい尽くしました。

コープランド、バーバーもじっくりと聴くことが出来ました。昨日今日と筆舌に尽くし難い演奏会。楽しかったなあ。
おわり






2641- バーバー、シェリー、コープランド、オルガンシンフォニー、鈴木優人、アイヴズ2番、広上、N響、2018.11.24

2018-11-24 23:52:34 | コンサート

2018年11月24日(土) 6:00pm NHKホール

バーバー シェリーによる一場面のための音楽  10

コープランド オルガンと管弦楽のための交響曲  6-8-11
 オルガン、鈴木優人

(encore)
バッハ 我ら苦難の極みにあるときもBWV641  2

Int

アイヴズ 交響曲第2番  7+12-10-3+11


広上淳一 指揮 NHK交響楽団


バーバー、コープランド、アイヴズ、アメリカ物3発。広上の指揮による作品の内面に光をよく当てた実に見事な演奏であった。もはや、彼らの作品に同化し尽したパフォームで、あまりの素晴らしさに声も出ない。圧倒的な快演に感動感動、魂が揺り動かされました。

大好物のアイヴズ2番、鮮やかな演奏であった。終楽章エンディングのインパクトは取りあえず神棚に置いて、序奏的第1楽章の閉かさや、耳に染み入るオケの音。ゆったりとさらさらとした弦から始まる。音力階層を感じさせるコントラバスは弱音レヴェルでのニュアンス、揺蕩う波が美しい。
そのまま続く2楽章、それに次の3楽章。この二つは規模が大きい。錯綜と清流、27才の冷静な知恵者が描く描写は実に素晴らしい。引用作品の絡み合い、若き作曲家の心象風景、色々なものが混ざり合い淡々とした中に、演奏はややウェットな趣きをひたひたと感じさせるように進行していく、行間の隅々まで情感が染み渡っていく。各インストゥルメントのソロが美しく響く。何故か懐かしいあのアメリカ時代1902年、それ以前の事だろうか、ほのぼのとした、家の煙突から煙が出ていそうな、国は違えどなんだが色々と共感する様なところがあって、何故か懐かしい。ホルンソロの共感、チェロがホルンに負けないデカサウンドでありったけの力で弾き切る、いやいや、お見事過ぎて声も出ない。指揮の広上はパーフェクトな振りではなかろうか。錯綜と清流、太細、繊細、大胆、強弱、伸縮、作品と同化した完全な指揮であった。彼が作品に共感しているその思いがN響の全パート、全プレイヤーにストレートに伝播、まるで指揮者がプレイしているようなオーケストラという個体、それを眼前に観ているようで、音楽の内面が広上によって鮮やかに表現された長い長い瞬間だった。

第2楽章のウィットに富んだコジャレた、タタッのコジャレエンディング。まるで、ラ・ボエーム第3幕の最初の音、最後の2個の打撃音、どちらでもいいけれど、あの二つの音を限りなく弱めたようなタタッ、ああゆうところって本当に生で聴いて観てよかったなあと感慨ひとしお。広上はタタッの前の空白のあたりで聴衆を振りむき最後のタタッを振る。機敏なオーケストラの反応もさることながら、ああいった生きてる音楽を聴いている実感の呼吸ってホント素敵。ビューティフル。

まあ、ここらあたりで音楽が引用の山らしいという話しはもはや横に置いて作品の中に入り込んで夢中で聴く。
ごく短い4楽章を終え、そのまま終楽章になだれ込む。ここもロングな楽章。振り返りもある。辻本の弾くチェロは太く美しく広上共々共感に溢れたプレイ、音楽作りに余裕を感じさせる。アメリカの音楽を実感しながらの弾きだった。脱帽もの。
音楽は2,3楽章の波を感じさせつつも、結末に向けて盛り上がりを魅せ、圧倒的に不可思議な全オケメンによるあらん限りの不協和音を引き伸ばして終わる。聴いているほうは路頭に迷う、このあとどこに向かえばいいのかわからない、茫然自失、唖然茫然の空間に放り出された状態になる。何回聴いてもなんだこれはという話しなんだが、まあ、演奏会ではこういったことも楽しみのうち。多くは語るまい。

バーンスタインのアイヴズ2番は音源3種聴ける。最後の1987年4月のライブDG盤は、昨今のテクノロジーではもっといい音で聴くことが出来るはずだが、とりあえずオリジナル盤で聴いても、凄さは変わらない。バスドラの強烈サウンド、重厚で何階層もあるコントラバス流れ、そして我らの音楽という共感のNYP猛者プレイ。炸裂フィニッシュには色々とあるのだろうが、もはや、受け入れるしかないこの説得力。広上の解釈は、ここ、ほぼ、このバーンスタインの解釈と瓜二つのものであった。ただの物まねになっていないのは、作品に対する心底共感が最初から聴けていて、誰もそんなことは思わない。こうなったらこうするしかない抜き差しならない音楽表現なのである。あれしかない。血が通った演奏とはこうゆうものをいうのであろう。音楽に真実を見た。圧巻。悶絶。

前半2曲目に配されたコープランドのオルガン・オルガン・シンフォニー、これも作曲者20代の作品。冷静さとギクシャクしたものが綯い交ぜになった音響空間は目いっぱい魅力的ですね。めったに演奏されることが無い作品、珍しさは越えてうならせてくれる内容。オーケストラやオルガンの底力も大きいですね。スキルもパワフルという感じで、やっぱり長けた猛者と実感する。
1楽章は静かなもので、響きを細めたようなオルガンサウンド、動きは細かい。これと一緒に小ぶりのオケがうまく合わさっていて、室内楽でも聴いているようだ。非常にバランスの良いものでしたね。2楽章に入り細かい動きはオケにも波及し幾何学模様の音響行進となっている。ミニマル風味というよりも、ミニマルの原点素材をそのまま放り出したような具合で、粗野な感じもする。いずれにしても魅力的なギクシャク幾何学模様ですな。鈴木息子の冷静なプレイが映える。
あちらが透けて見えそうなジャングルジム的幾何学模様が徐々に積分されていって響きの積み重ねが時間推移をあまり感じさせないほどになったあたりではたと気がつくとメラメラと燃え上がっている。凄腕オケの本領発揮、コープランドも草葉の陰で喜んでいることだろう。絶品でした。聴きごたえありましたね。

最初のバーバー、詩人シェリーの作品の1シーン。静かな喜び、音が何もないところから自然にペイントされていく美しい流れが高まり鎮まり、オーケストラのアンサンブルバランスが見事で美しい。広上の白鳥振りにも一段と力がこもる。空間をなぜていくような音楽でした。
おわり






2640- バッハ管弦楽組曲第1番、タケミツ夢の時、ストラヴィンスキー火の鳥1910、パスカル・ロフェ、新日本フィル、2018.11.23

2018-11-23 23:54:53 | コンサート

バッハ 管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066  10-2-2-2-3-2-2

武満徹 夢の時  13

Int

ストラヴィンスキー 火の鳥(1910原典版)  25-7-10-3

(encore)
ストラヴィンスキー 火の鳥(1910原典版) ホルンソロのところからのフィナーレ  3

パスカル・ロフェ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ケース・バケルスさんの代打でパスカル・ロフェさん、どちらにしてもお初で観る指揮者でしたね。

前半プロで音楽作りがこちら側に浸透してきた中、後半の火の鳥、これが切れ味鋭くて満喫。
アンサンブル・アンテルコンタンポランを振っていたという事を横においても、ロフェの棒無し現音風指揮振りはお見事というほかない。
火の鳥1910原典版、長さを感じさせない。長大な第1場は充実した演奏で、克明な振り、シャープなパフォーム、引き締まった進行、情景が鮮やかに浮かぶ。踊りが付いていたら最高だったろうな、と、欲を言えばキリがない。プログラム冊子の解説を読みながらでも眼前に絵が浮かぶような内容で、ビックリでした。素晴らしい指揮者ですね。あらためて、火の鳥1910、素晴らしい作品。
この原典版、最近聴くことが割とある。今日の演奏はバンダ付き。オルガンレベルの左にトランペット3本。右側にワーグナーテューバ4本。
第1場の夜明けシーン、トランペットはミュート付きの静かなところ。バンダでミュートとはこれいかにという気もするが、指揮者一流のこだわりなのかもしれない。当該シーンへの配置のこともあるのかなあと。
ワーグナーテューバの出番は少しだけ。トランペットは大詰めで活躍するがそんな派手なものではない。プログラム冊子にはテューブラーベルもバンダにセットされていたようだが自席からは見えなかった。
いずれにしてもそれぞれのシーンが深彫りされている演奏内容で、ソフトな新日フィルのサウンドがややスキニーになり、一つずつの音たちが集結してアンサンブル化した時の煮凝りのような素敵な響き具合はまことに絶品。ウィンド、ブラスの粒立ちはすっきりとした泡立ち感。作品がものすごく立体的なものになる。ロフェさん、お得意物件でしょうね。現代音楽指揮者が振ったストラヴィンスキーの感。ブラボー自然発火。

前半に手応えの予兆があったわけです。バッハの直後に置かれた武満作品。アボリジニにインスパイアされた作品のようです。バレエ付きの姿が本来あるべきものかもしれないけれども、振り返ってみると、後半のストラヴィンスキー同様、鮮やかに情景がフォーカスされる。武満流の解けて流れるモードの真逆風味。そもそも作品自体がそのような方向性と軌を一にするものではないとは思うものの、ロフェの棒は冴える。拍、小節、克明な振りでリズミカルと言ってもいいほど。フレーズの膨らみ、煮凝り風味のかたまり具合、デリカシー、どれもこれも素晴らしい表現で、凝縮されてはずむタケミツ節、新発見のフレッシュさ。

バッハから始まった演奏会でした。長い作品です。何が凄いって、終わっても誰も拍手しない。やや、終わったのかな。ロフェさんに促されてようやく覚醒拍手。作品作風等々、あまり馴染んでいないということもあろうけれども、このような自然な雰囲気、ナチュラルに音楽を楽しんでいる、つまり中に踏み込んで聴いていたんだという実感のほうが強い。
フラットな配置、小規模編成、オーボエ2本、バスーン1本はここが踏ん張りどころの鮮やかなプレイ。やってるほうも気持ちよさそう。弦のアンサンブルがこのホールに馴染んでいる響きを感じさせる。なんか、アンサンブルで成り立つスタイルを感じさせるもの。
この演奏からしてロフェのツボ押しはしっかりとあったのだろうと、火の鳥を聴いた後にあらためて実感。
いい演奏会でした。
ありがとうございました。

天井から、4本、2本、収録マイクが垂直にぶらさがってましたが、マイクも垂直っぽい。縦長にぶらさがってる。あまりみかけないものでしたね。
おわり


2639- ワイル2番、プロコフィエフPC1、河村尚子、ショスタコーヴィチ6番、ミヒャエル・ザンデルリンク、都響、2018.11.21

2018-11-21 23:22:05 | コンサート

2018年11月21日(水) 7:00pm 東京文化会館

ワイル 交響曲第2番  10-13-5

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番変ニ長調op.10  7+5+4
 ピアノ、河村尚子

(encore)
プロコフィエフ 10の小品op.12-7 前奏曲  2

Int

ショスタコーヴィチ 交響曲第6番ロ短調op.54  18-6-7

ミヒャエル・ザンデルリンク 指揮 東京都交響楽団


3楽章の作品が3つ。ともに斜めに見たようなやにっこさが特色、と、勘繰ってみる。
プレイヤーがポイントですね。ミヒャエル、そして都響にこの手の音楽はピッタリ。思いっきり満喫。

ワイルのシンフォニーはシンプルな響きなれど、彼らしいものは全部そろっている感じ。進行はいいもの。フォーカスされるものはなくて拡散系。都響の硬質なプレイで作品の本質が光る。このように演奏すべきものだろうね。わかりやすかった。

河村さんの弾くプロコフィエフ。エキセントリックな作品、目には目を、の河村プレイに唖然茫然。圧倒的な水掻き技。鍵盤をかきむしっているような迫力。あっという間に終わってしまった。伴奏の都響が圧巻でしたね。この種の作品、やっぱり、このオケによく合っている。

最後のショスタコーヴィッチ。これが一番普通に聴こえるから面白いものだ。蒲鉾とか竹輪を切っている途中で終わってしまったような不思議な曲。澱みのない透明なオケサウンド、それに精緻さが加わり、さらに、ミヒャエルの一家言的な含みも併せ、この作曲家特有の響きを満喫できました。作品がものすごく大きく見えた。指揮者による深い彫琢のおかげと思う。

印象的な一夜でした。
おわり




2638- ブラームス、ピアノ協奏曲第2番、モーグ、交響曲第2番、ローレンス・フォスター、新日フィル、2018.11.17

2018-11-17 18:59:26 | コンサート

2018年11月17日(土) 2:00-4:10pm トリフォニー

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調op.83  18-9-13+9
 ピアノ、ヨーゼフ・モーグ

(encore)
ブラームス 4つのピアノ小品op.119 第1曲 間奏曲  4

Int

ブラームス 交響曲第2番ニ長調op.73  15-9-6-10


ローレンス・フォスター 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ローレンス・フォスターと聞くと何故か懐かしさがこみあげてくるのだが、今日の棒は花が咲いたようないい演奏を引き出してましたね。本当にじっくりと味わった。美味しかった。
2番シンフォニーが殊の外大きい構えで、ヘヴィーなコンチェルトと併せ、巨大な2作品を堪能、手応え十分、満点の内容でしたね。

ピアニストも指揮者も気力がものすごく充実していて、どっち向きこっち向きというこが無くて、双方のやる気度ベクトル一致、シナジー効果もあり、盛り上がりが盛り上がりを生む。結果、偉大な作品がさらに偉大に見えてくる。

ピアノのモーグは大人の音楽家といった雰囲気が漂う。弾き始めにやや不安定なところがあったが淡々と揃えていく。曲がデカすぎでゆるゆるぶかぶかになりそうな気配は微塵もない。十分な大きさで作品に立ち向かっている。
太いとも細いとも言えない、中庸の細さ。クリアで明快な響きを醸し出す中庸の細さ。まあ、ズボンのベルトでいうと緩くもなくきつくもなくちょうどよい締め具合。ズボンはさがらないしお腹がきつくなるというわけでもない。ちょうどよい。
自身の音を確かめながら進むピアノは大きな作品に立ち向かっている充実感がよく見えてくる。よっぽど得意な演目なのだろうし、また、合っているんだろうね。
フォスターの伴奏がいい。ピアノと同じような鳴り具合。余裕をもってじっくりと吹き鳴らす。弦のズシーンとした深い響きもいいですね。安定した進行のオーケストラにはモーグと同じように聴きながら進める余裕があって音楽が大きくなる。それぞれの旋律がよく歌う。
ホームホールで鳴らす安心感、心地よさ、ゼロからのスタートではなくて響きがわかっている一線からの音楽づくりであり、そういったことも実感させてくれる。ピアニストにもそういった利点が波及していたように見えました。いい演奏でした。味わい尽くしました。

後半のシンフォニー。
実に悠然とした歩み、ぶ厚い響きのブラ2を堪能。タップリと厚みのある弦楽合奏、奥行き感がよく出たウィンドとブラス。対旋律を割と濃く振るフォスター棒はもの凄く雄弁。ゆっくりとした流れに音が途切れることは無い。末梢神経まで血が通った演奏はプレイヤー達納得のフォスター棒への共感度が頂点にあるのだろう。
自然と大きな構えになった演奏でこのシンフォニーが巨木の森のように思えてくる。スケールの大きな演奏でしたね。手応え十分な2番。
大方埋まった客席、午後のひと時、いい時間が過ぎていきました。
ありがとうございました。
おわり




2637- ボーイト、メフィストーフェレ、バッティストーニ、東フィル、新国立劇場合唱団、2018.11.16

2018-11-16 23:14:24 | オペラ

2018年11月16日(金) 7:00-10:00pm サントリー

東フィル・サブスクリプション・コンサート プレゼンツ

ボーイト 作曲

アンドレア・バッティストーニ プロダクション

メフィストーフェレ (コンサート・スタイル 日本語字幕付き) 24-26-28、21-21-13

キャスト(in order of voices’ appearance)
1.メフィストーフェレ、マルコ・スポッティ(Bs)
2-1.ファウスト、アントネッロ・パロンビ(T)
2-2.ヴァグネル、与儀巧(T)
3.マルゲリータ、マリア・テレーザ・レーヴァ(S)
4.マルタ、清水華澄(Ms)
5.エレーナ、マリア・テレーザ・レーヴァ(S)
5.パンターリス、清水華澄(Ms)
6.ネレーオ、与儀巧(T)

合唱、新国立劇場合唱団
児童合唱、世田谷ジュニア合唱団

アンドレア・バッティストーニ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


Duration
プロローグ 5-5-2-5-7
ActⅠ 16-10
ActⅡ 10-18
Int
ActⅢ 21
ActⅣ 21
エピローグ 13


これがボーイトの神髄か、腰が抜けた。大波小波、駆り立て、静寂、ダイナミックでドラマチック、デリシャスでデライト。ロール4人衆が思う存分歌い尽くす。ボーイト節が炸裂。
圧巻、悶絶の充実パフォーマンス、エポックメイキング・ナイトとなりました。バッティの派手なやり尽し棒がツボにはまった瞬間ナイト。目から耳から鱗が5枚落ち。

タイトルロールではないがほぼ主役のファウストがジャンルーカ・テッラノーヴァからアントネッロ・パロンビに変更。パロンビは、2015年、沼尻オテロのロールで歌っていた方。
1774- オテロ、沼尻竜典、神奈川フィル、2015.3.22

コンサート・スタイル、字幕付き、動きともどもオペラティックな雰囲気はそこそこある。
P席合唱、LA席奥に児童合唱。オルガン・レヴェルの左側にバンダ、椅子をセッティングしてのじっくりバンダ。そのオルガン上部には大きく幕があり映像を出す。その右左に横長に字幕。指揮台は2段重ね。天井のライトがシーンに合わせてピカピカと光る。全体照明はかなり落としている。プロンプターはモニターで、ステージの前方下方の右左に一台ずつ。歌い手はシーンに合わせ出入りを繰り返しながら歌唱。

ストーリーはリブレットや解説に任すとして、プロローグと第1,2幕を一気に約80分、休憩を挟んで後半の第3,4幕とエピローグを一気に約60分。緊張とスリリングな吐息が全体を覆う極めて高濃度なパフォーム。


この夜の成功上演、いの一番にあげたいのが、ホールコンディションがベストだということ。ホールが良くて、とにもかくにも、歌い手たちがオペラ風味の余計なことに煩わされることなく思う存分歌い尽くすことが出来た。自身の声を聴きながら、また絡み合いの重唱、それにオーケストラや合唱の響きともども、ジックリと相互関係を構築、シナジー効果抜群の上演、このホールでの全体状態の良さを思わずにはいられない。

2幕1場の四重唱、2場の二重唱、など聴きどころ満載。後半、3幕の二重唱も圧巻過ぎて悶絶。レーヴァとパロンビのデュエットは最高ですな。初来日となったレーヴァの体当たり歌唱、渾身の歌、容姿共々あまりに魅力的で、とにかく、食い入るように見入る。素敵なシンガー。パロンビは最初の登場では太めでちょっと冴えない長髪という感じなんだが、一旦歌い始めると艶やかななめし皮テノールがものすごくきれい。デュエット、ソロ、ともに美しい歌唱が光りましたね。

かたや、スポッティと清水。タイトルロール、バスのスポッティは長身細め、ニヒルなキャラクターシンガー風味なのだがなにやら高潔なワル、クレヴァーな役どころが合いそう。今日のロールはうってつけのピッタリ役どころかと思う。バスは高音系に食われがちになるところしっかりとした存在感。あまり小細工をせずに、朗々と歌い尽くす説得力は大したもの。場の転換ポイント、要所出どころでの歌は見事なもので、欠かせないシンガーと思いました。清水はこのお三方に食われた形。

自在棒のバッティ、歌い手たちが実に歌いやすそう。まあよく乗せていく。呼吸がぴったりで、歌い手たちの呼吸を感じながらなのか、歌い手たちが指揮にうまくあわせているのか、どちらとも思えない。ナチュラルな歌い口で、双方無理なところが微塵もない。これだと本当に吹き上げるような流れでグイグイいける。オケのほうも指揮にコントロールされている雰囲気は無くて積極性が滲み出る。ドライブするかされるか、丁々発止のやりとりは前向きなもので、みんなで音楽を作っていっている手応えがあって、そういうときの音楽っていいものですね。東フィルの演奏は本当に鮮やかなもの、折り目の正しさ、端正、荒々しさ、振幅の大きな音楽となりました。

結果、オペラとしては物語がやや拡散気味なストーリー展開なところ、ギュッと凝縮していって中心点を感じさせるものになった。バッティ棒の見事さ、応える歌い手、オケ、合唱、そして良好なホールコンディション、そういったものが見事にマッチし、一大ドラマが完成した。このまとまり感、説得力のあるオペラ上演となったわけですね。
パワフル・パフォーマンス、出色の一夜となりました。
ありがとうございました。
おわり

 











2636- ハイドン、チェロ協1、アフナジャリャン、ラフマニノフ、シンフォニック・ダンス、ジャナンドレア・ノセダ、N響、2018.11.15

2018-11-15 23:17:03 | コンサート

2018年11月15日(木) 7:00pm サントリー

レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア第1組曲 2-3-5-4

ハイドン チェロ協奏曲第1番ハ長調 Hob. ⅦB-1  9-9-6
 チェロ、ナレク・アフナジャリャン

(encore)
カタルーニャ民謡(カザルス編) 白鳥の歌  3

Int

ラフマニノフ シンフォニック・ダンス  11-10-13

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


昨晩に続いて同定期。

2635- ハイドン、チェロ協1、アフナジャリャン、ラフマニノフ、シンフォニック・ダンス、ジャナンドレア・ノセダ、N響、2018.11.14

概ね昨晩と同じ、大いに楽しめました。アフナジャリャンはアンコールを昨晩と変えて演奏。

ラフマニノフはダンス炸裂。大パワー圧巻の演奏でした。ノセダの身体に音楽が巻きついている。説得力ありますね。スバラシイ。
おわり




2635- ハイドン、チェロ協1、アフナジャリャン、ラフマニノフ、シンフォニック・ダンス、ジャナンドレア・ノセダ、N響、2018.11.14

2018-11-14 23:27:33 | コンサート

2018年11月14日(水) 7:00pm サントリー

レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア第1組曲 2-3-6-3

ハイドン チェロ協奏曲第1番ハ長調 Hob. ⅦB-1  9-9-6
 チェロ、ナレク・アフナジャリャン

(encore)
ジョヴァンニ・ソッリマ ラメンタティオ(哀歌) 5

Int

ラフマニノフ シンフォニック・ダンス  10-10-13

ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


先週に続き、ノセダN響二つ目のプログラム。

2632- ラヴェル、ピアノ協奏曲、アリス紗良オット、プロコフィエフ、ロメオとジュリエット、ジャナンドレア・ノセダ、N響、2018.11.9


今週のプログラムは渋い。
レスピーギはシンプル・イズ・ザ・ベストのような佳作で、噛み締めるほどに味わいがありますね。ノセダの丁寧な棒で聴かせてくれた。風通しの良いN響サウンドも魅力的。NHKホールでの演奏なんかやめて全部こっちに移せばいいのではないかな。無理ならまともなホール早く立て直した方がいい。渋谷の小屋ではいい音楽が壊れる。

ハイドンのコンチェルトも渋谷小屋向きでは全くなくてここで聴くとまずコンディションで安心感が出る。
素晴らしく強靭なチェロ、色合いがものすごく濃い。隙間が無くて塗りこめられている。移り変わりゆく音楽の表情を楽しめました。N響の伴奏の事を忘れてしまうほどに。
アンコールはアフナジャリャンの声付きのもの。

後半はラフマニノフ。
さすがに3番のあとの作品だと思わせてくれる。巨大さとはなにかひとつ違う方向に舵を切っているように聴こえる。ノセダのリズム取りが極めて鮮やか。アンダンテ楽章のワルツはノセダの真骨頂で音楽がグワッグワッと盛り上がる。棒さばきと身体の動きが音楽を見事に誘導している。惚れ惚れする演奏でした。
N響はもっともっと反応できると思うのだが、このオケにはノセダのような駆り立て型の指揮者指揮が登場することは無くて、だからこそ本当はもっと反応しなくてはいけないのに。
シンフォニック・ダンスは言葉通りシンフォニックなもので手応え満載、これ以上長い作品とはならないだろうなと言う思いもある。振幅の大きいノセダの音楽を聴いているとさらにその感が強くなる。凝縮された逸品ですね。
いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり

 




2634- プロコフィエフ、イワン雷帝、ニコライ・アレクセーエフ、サンクト・ペテルブルグ・フィル、ニコライ・ブロフ、東京音楽大学、2018.11.13

2018-11-13 23:09:02 | コンサート・オペラ

2018年11月13日(火) 7:00pm サントリー

プロコフィエフ オラトリオ イワン雷帝 Op.116 (字幕付き) 67分

語り、ニコライ・ブロフ
バリトン、浅井隆仁
合唱、東京音楽大学合唱団

ニコライ・アレクセーエフ 指揮 サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団


指揮は当初のテミルカーノフからアレクセーエフに変更。内容についても変更があり、カット予定の「3.大海原」が省略されずに演奏。

また、昨年2017年同時期にソヒエフ、N響で同じ演目の公演がありました。

2450- プロコフィエフ、イワン雷帝、トゥガン・ソヒエフ、N響、他、2017.11.17

この時の公演ではメッゾの出番がありましが、今回は無し。テミルカーノフに替わるアレクセーエフでも同じようにカットしているという話しになります。


いやはやなんとも、一気通貫のやにっこさ。昨年のソヒエフでも同じような感触でしたけれども、あれをもう二回りスケールアップした演奏で、やにっこさも増す。プロコフィエフ特有の斜めに見た雰囲気はあまりなくてムーヴィー的なスペクタクルあり。とは言いつつも、合唱との掛け合いがものすごく印象的でこちらがメインといった気もする。合唱が素晴らしく美ニュアンスに溢れていて血が通っている。合唱と語り、それに管弦楽、それぞれの色模様が直列的になっているのでわかりやすいですね。

映画のストーリーは解説のほうに譲って、まずは、語りのブロフ。マイク付きで、おそらくマイク無しでも相当デカい声だと思われるが、それにマイクだからオーケストラの全奏すと同じぐらいデカい。これにはびっくりで、アンバランス感が漂う。ただ、自国の芝居物オーソリティの語りは圧倒的でグイグイと引き込まれる。ソヒエフのときの片岡も凄いものでしたがそれとはまったく別、ブロフの母国語での語りは圧巻の説得力。まるで歴史のその場にいるかのような原色カラー。まあ、けた外れの仰天パワーでした。
この語りと合唱の絡み合いがアンバランスにならず双方同じリキで受け応えする。語りが済むとブロフは後ろの合唱を見て促す。なんというか、いいコンタクトで、呼吸がよく合っていて音楽が非常によく流れていく。語りと音楽。音楽と音楽のようだ。
声が済むと今度は18型のオーケストラが唸りを上げ底馬力、センターバックの鳴り物、上手奥で炸裂するブラス・セクション、ぶ厚い弦のうねり。
上手に配したブラス・セクションは昔のレニングラード・フィルや他のソ連時代のオケを思い出しますね。ホルンが1列では無くて1,2と3,4の2列になるとほぼ昔通りの配置。あすこからかたまってトランペット、トロンボーン、ホルンが整然とした響き、一糸乱れぬアンサンブルというのはロシアらしいし、またあらためて秀逸、レヴェルの高さをまざまざと実感させてくれる。
とにもかくにも、もの凄い演奏に出くわしたものだ。腰が抜けました。

代振りのアレクセーエフは棒を持たず、しなやかな腕まわしでテミルカーノフ風味もあるかな。空気わしづかみ的なアクションは若い頃のロジェストヴェンスキーを思い出させる。全体に端正な振りで要所要所を締めているのだろう。語りと合唱の掛け合いの時はそちらを見たりしているオケメンも出番になるとアレクセーエフの腕のピクリにドドーンとものの見事に反応する。オーケストラは言わずと知れた高性能集団で、進むにつれて、その素晴らしいアンサンブルが合唱にも伝播、フルオケ、合唱がドドーン・ドドーンと見事に荒れ狂う。流れも実によくてめくるめく映画音楽の完成だ。

対向配置、18型、巨大編成のオーケストラ。女性奏者は十二三人でしょうか。この時代、随分と少ない男集団ですね。


イワン雷帝、満喫しました。
ありがとうございました。
おわり












2633- アルジェのイタリア女、チェネレントラ、セビリアの理髪師、シューベルト8番、バッティストーニ、東フィル、2018.11.12

2018-11-12 23:46:38 | コンサート

2018年11月12日(月) 7:00pm コンサート・ホール、オペラシティ、初台

ロッシーニ アルジェのイタリア女 序曲  8
ロッシーニ チェネレントラ 序曲  8
ロッシーニ セビリアの理髪師 序曲  7

Int

シューベルト 交響曲第8番ハ長調D.944 ザ・グレート  13-13-10-11

アンドレア・バッティストーニ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


東フィルの定期はだいたいいつも初台、赤坂、渋谷、3定期ともに同じ演目になるのだが、今回はこの初台での公演のみ別プロ。赤坂、渋谷と大物メフィストフィレを上演するのでそのせいなのだろう。

ロッシーニとシューベルトというあまり聴かない組み合わせプログラム。双方ともにバッティストーニが自由奔放に振ったもの。
彼のロッシーニ・クレシェンドというのはゼロから無限大というアンプリチュードでは無くて、比較的強めから始めてその勢いのままドンドン活気づく。若気の元気よさ、活力、そういったことが色濃く表れる。若い力学で楽天的で豪放磊落、ままよ。
ロッシーニのウィンド、難しそうだなあ、とあらためて思ってしまう。大変そう。
こだわりのない棒は魅力的でもある。

シューベルトのグレイト。元気が勝る。元気に草木をなぎ倒していく演奏はバッティ様式なんだろう今の。
オケもその元気につられて益々活気づく。耳を傾けているひまが無かった。
おわり


2632- ラヴェル、ピアノ協奏曲、アリス紗良オット、プロコフィエフ、ロメオとジュリエット、ジャナンドレア・ノセダ、N響、2018.11.9

2018-11-09 23:33:39 | コンサート

2018年11月9日(金) 7:00pm NHKホール

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調  8-9+4
 ピアノ、アリス紗良オット

(encore)
サティ グノシエンヌ第1番  5
ショパン ワルツ イ短調  2

Int

プロコフィエフ ロメオとジュリエット 抜粋(ノセダ抜粋による14曲)  30-11-9


ジャナンドレア・ノセダ 指揮 NHK交響楽団


ノセダがN響を振るのは2015年の1月来で少し間が空いてしまった。あの時は3プロ6公演でそれぞれにソリストをたてたもので、2005年のN響初振りから聴いている身としても格別なものであった。あの時のリストの前奏曲は悶絶の大熱演でしたね。今回も存分に楽しめそうだ。

幾度となく弾いているラヴェルの両手、アリスのピアノはもはや枯れた境地で淡白とさえいえる。それが実にいい。炎の核だけが見えてくるようなシンプルさは、ゼロから色々と越えてきた後に出せる響きを感じさせてくれますね。
中間楽章のソロは絶品で、一つの境地の高みに達している。最初の一音で音楽のシーンが醸しだされる。行間のそこはかとなく湧いてくる香りのようなもの。軽く軽く空中を浮遊する。凝縮されて濃厚となった空気がこのように軽く漂う、これはやっぱり、一つの芸術に違いない。確信のラヴェル。
ノセダは以前のようなジャンプはしなくなった。力が抜けて音楽が軽くて、いい伴奏。分解能に長けたN響の響きがこのラヴェル伴奏にジャストマッチ。川面の筋が一つ一つ解かれていく。ガラスのような美演。
8-8-6-6-4型

後半のロメジュリはノセダ自身による14曲抜粋版、50分ロングの割とヘヴィーなものであった。大幅な順番も入れ替えも。急・緩の配置の妙や同種の塊化といった趣向もありそうだ。それぞれのピースの小タイトルを見れば大体イメージが湧くし曲想もそういった物腰なので、流れというよりも単発シーンの積み重ねのような聴き具合で向き合う。
2-1モンタギュー家とキャピュレット家
2-2少女ジュリエット
1-4メヌエット
1-5仮面
2-4踊り
3-5朝の歌
2-3修道士ロレンス
2-5ロメオとジュリエットの別れ
1-1群衆の踊り
3-2朝の踊り
2-6アンティル諸島から来た娘たちの踊り
1-7タイボルトの死
2-7ジュリエットの墓の前のロメオ
3-6ジュリエットの死

まず、それぞれのピースが活き活きと息づいている。シーンに息が吹き込まれ鮮やかによみがえる。活力ある演奏。ノセダの真骨頂ですな。圧倒的にグイグイと下からしゃくりあげる棒は時に激しく、リズミカルに、そして静寂が漂う。場に向き合う表現力が圧倒的に凄くてもの凄い説得力。グイグイと引き込まれる。聴く満足感しかない。
オーケストラをドライヴする、全員納得の説得力なのだろう。ハイレヴェルオケのコンセントレーションが凄くて、だから、こんな音になるのだろう。凄いもんだ。
踊りの活力は事程左様に素晴らしいもの。そして最後の2曲が大きい。対局の悲劇がドラマチックでそれを表現するノセダの棒はパーフェクト。
深刻な音楽が一分の隙も無く、全く弛緩することなく、滔々と流れいく。スバラシイ。

またまた、ノセダの熱演のミラクルにはまってしまいました。凄い指揮者ですね。
このあとも楽しめそうです。
おわり




2631- ブラームス、ヴァイオリン協奏曲、レイ・チェン、交響曲第4番、小泉和裕、都響、2018.11.8

2018-11-08 23:50:57 | コンサート

2018年11月8日(木) 7:00pm サントリー

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.77  23-9+8
 ヴァイオリン、レイ・チェン

Int

ブラームス 交響曲第4番ホ短調op.98  13-12-6+10

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


レイ・チェンのヴァイオリンはめっぽう大人びいていて落ち着きがある。そう見えるのは音出しのフレーズ前部分に次の音に対する見定めがあって、イメージを固めてから弾き始め、出てくる音を吟味している様子があるから。そういったあたり余裕に見えるのだが、意識されたイメージが一つ先を行く。先を行く弾き手はやっぱり、凄いなと思う。シックでたっぷりとした自在余裕弾きは結局、作品の偉大さをあらためて教えてくれる。
小泉の棒のもと随分と弾きやすそう。ピアノ伴奏では一滴もピアニストを向かず、アイコンタクトなんて言葉あったのか、といった振りなのだけれども、ヴァイオリンだと角度の違いがあるのか、アイコンタクトは全くないものの身体全体をレイのほうに揺り動かすこともあって、彼独特のコンタクト方法があるのだろう。


取り巻きの中に居ると居心地が良くなって、見失うものもある。ヨーロッパ公演で気づきを察知し、身を粉にして切磋琢磨が必要であった。別にツアーでなくてもいいのだが、居心地のいい世界から一度離れるのがいい。今日の演奏はオケ自身がプレイすればするほどに、自分たちに何かが足りない、そういうことをプレイしながら気づいてしまっている。空虚な鳴りを感じているのだがどうすればいいのかわからない。プレイヤー達が虚しさに気づいてしまっている。
鉄板に壁ドンのブラス、それの場も無くて、ざっくり目のザッツ弦、前進力推進力それも横に置いたとき、じゃあ、なにでこのブラームス4番を表現するのかと、何か必要なものがあるはずだともがくオケ。
小泉はなにやらわかっていそうだ。気づかせの棒はなかなかうまくいくものではない。空虚寸前の音響を小泉は踏みとどまらせた。
全体に音色を変えることなく、折りたたんでいくようなブラームス、そういった手応えはありました。
おわり