河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

NHKまるごと放送 バンベルク4 1990-5

2007-03-31 20:18:00 | コンサート




NHKまるごと放送 バンベルク4 1990-5
1990年バンベルク交響楽団の来日公演は4月28日(土)から5月11日(金)まで12回行われた。全部ブラームスである。
4月28日(土)初日から4日間連続でサントリーホールに通えばブラームスの交響曲と協奏曲をまるごと聴くことができる。その通りにした。
4月28,29,30日のことは書いたので、今日はブラームス・チクルス四日目。
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5月1日(火)7:00pm
サントリーホール
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ブラームス/ピアノ協奏曲第2番
ブラームス/交響曲第4番
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ピアノ、エリザベート・レオンスカヤ
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ホルスト・シュタイン指揮
バンベルク交響楽団
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交響曲第4番といえば、フルトヴェングラーの草書風にやつしまくった演奏から、晩年のジュリーニの空中分解のような演奏まで、いろいろと聴く楽しみがある。
4番は音色的に明るさを求めているような箇所が多く、中低音の織りなす分厚いサウンドの縞模様よりも、高音楽器の華やかさの方に耳を奪われてしまうことが多い。パッサカリア風の趣きがいい気持ちだ。バンベルクはそのような方面のことを強調しているような演奏であったのだが、そうすると、この曲で活躍する楽器の技術的側面が浮き彫りになる箇所が少なからずあり、また明るさが音楽の幅を狭くしているような気がした。音楽表現はこのように難しい。あっちをたてればこっちがたたず。ニューヨーク・フィルやベルリン・フィルのような完全な楽器でなければ、4番の成功演奏は成し遂げられないのかもしれない。
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの演奏はとんでもないが、指揮棒を持った震える腕の動きがそのまま音化したようなベルリン・フィルの演奏にかなうものはこの世にない。シュタインも別の楽器でこの曲の棒を振っていれば、より透明感あふれる素晴らしい演奏になっていたことであろう。
ピアノ協奏曲の方は、レオンスカヤが初日、第1番の協奏曲でエネルギーを使い尽くしてしまったのかどうか、というよりも、体力的なエネルギーだけが残っていて、神経の方は在庫が残っていなかったのかもしれない。
空回りというか、音は出るのだが、ラフ。
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とにもかくにも、ブラームスの交響曲協奏曲管弦楽をこのように通して聴けるというのはありそうで、ない。
五月晴れさえも秋の空にさせるバンベルクの演奏は総じて素晴らしいものであった。
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バンベルク交響楽団のこの来日公演のうち東京4公演は、あとでNHK-HMで放送された。
1990年バンベルク交響楽団
来日公演ブラームス・チクルス
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1990.4.28(土)7:00サントリーホール
ピアノ協奏曲第1番(1990.8.11放送)
交響曲第1番(1990.8.11放送)
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1990.4.29(日)2:00サントリーホール
悲劇的序曲(1990.4.29生放送)
ヴァイオリン協奏曲(1990.4.29生放送&8.12再放送)
交響曲第2番(1990.4.29生放送&8.11再放送)
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1990.4.30(月)2:00サントリーホール
交響曲第3番(1990.8.12放送)
ダブルコンチェルト(1990.8.12放送)
ハイドン・ヴァリエーション(1990.8.11放送)
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1990.5.1(火)7:00サントリーホール
ピアノ協奏曲第2番(放送なし)
交響曲第4番(1990.8.12放送)
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ピアノ、エリザベート・レオンスカヤ
ヴァイオリン、フランク・ペーター・ツィンマーマン
チェロ、堤 剛
ホルスト・シュタイン指揮
バンベルク交響楽団
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4月29日の昭和天皇誕生日の公演は生中継された。
5月1日のレオンスカヤによるピアノ協奏曲第2番は放送されていない。不調だったのかもしれない。それも、本人が聴いて確認するわけだからテープは残されているだろう。
4公演全部のテープはあると思われるので、是非CDで出してほしいものだ。
河童は生放送の分も含め、河童蔵に全部あるようだ。
但しメディアはDAT。
わりと明るい系の音色で収録されている。
また4月29日の生放送の方のDATは、こころもち迫力があるように感じる。音に力があるというか。
DATは淘汰されてしまったが、音質は抜群、長時間収録が可能で非常に便利。個人で楽しむには何の問題もない。
1500本のDATをCDRに焼き付けなおす作業はする気がしない。時間がかかる、というよりも、CDRの収録時間の短さが問題。DVDでもいいが、そんなことをうつらうつら考えているうちに、新メディアが出てくるに決まっている。
DATデッキが消滅する前に、新フォーマットの長時間収録メディアが出現すれば何の問題もおこらない。
おわり

ブラ全 バンベルク3 1990-4

2007-03-30 21:17:00 | コンサート


ブラ全 バンベルク3 1990-4

1990年バンベルク交響楽団の来日公演は4月28日(土)から5月11日(金)まで12回行われた。全部ブラームスである。
4月28日(土)初日から4日間連続でサントリーホールに通えばブラームスの交響曲と協奏曲をまるごと聴くことができる。その通りにした。
4月28日と29日のことは書いたので、今日はブラームス・チクルス三日目。
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4月30日(月)2:00pm
サントリーホール
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ブラームス/交響曲第3番
ブラームス/ダブル・コンツェルト
ブラームス/ハイドン・バリエーション
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ヴァイオリン、
 フランク=ペーター・ツィンマーマン
チェロ、堤 剛
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ホルスト・シュタイン指揮
バンベルク交響楽団
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チェロ弱し、である。
二重協奏曲はもともとチェロ不利ではあるが、あまり音が前に出てこない。
すわる位置とか、曲のかけひきなど、オーケストラとあまり練習していなかったのではないか。
全く地味な曲であるので独奏、特に低弦であるチェロはかなり大きな音で鳴らさないと聴こえない。ワーグナーもので低音の声が全く出ない日本のテノール歌手のような様相を呈している。
でも自分にはよく聴こえるようで別に不服そうな顔もせず弾いていた。
練習のときに、遠方の席で誰かに音を聴いてもらい、適切なアドヴァイスをしてもらうべきだ。
日本では第一人者なので誰もそのようなアドヴァイスをしてくれる人がいないのであればそれは悲劇だ。
そもそも、このような曲の場合、音が大きいのが第一条件みたいなもので、ロストロポーヴィッチでもヨーヨーマでもみんな迫力ある幅広の音でビーンとホールを鳴らす。
それがないと音不足、力量不足、となってしまう。特に昨今聴衆はそう思うはずだ。今日のチェロの音小さかったね。って。これが最初の感想なのだ。
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プログラミングに関しては、第3番→協奏曲→ハイドン・バリエーションという順番はわからなくもない。
第3番というのは、ダイナミックさと繊細さを兼ね備えた素晴らしい曲であるが、どうしたことか、第1、2、3、4楽章の全楽章とも結尾がピアニシモで終結する。
後半にプログラミングしてしまうと、しりつぼみのような感じになり、聴衆がいま一つ高揚感をもつことができず終わるかもしれず、その意味では考えられたプログラミングではある。とはいってもブラームスの場合、管弦楽の曲数が多いわけではないので、定番のような順序なんだろう。
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交響曲第3番は、非常に大胆で音がむき出しになった演奏で、この曲に対する自信をうかがわせる。というか、第1,2,4番よりは注目度が少し落ちるため楽員はかえってやりやすいのかもしれない。
各楽章の結尾は非常に印象的で嵐で荒れた音楽模様に一呼吸つかせるような味わい深いもの。秀逸。
フルトヴェングラーの演奏はもっと巨大で激しいが、同じような大地を感じさせてくれる。
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ハイバリはもっと味わい深い。
ハイドン・バリエーションについては、昔ブラームスを聴き始めたころは、小曲、のような印象。
ほかの管弦楽、序曲と同じようなサイズの曲という印象しかなかった。
変奏曲から変奏曲へ移り目で一度しっかり区切る指揮者などもいて、ますます小曲の集積みたいなイメージしかなかった。
しかし、だんだんと聴きこむうちに、味わい深いというか、スルメ風というか、サラミ風というか、噛まなければ味が出ない、噛めば噛むほど味がわかるのである。
この曲の味わい深さを教えてくれたのはこれもやはりフルトヴェングラーの棒だ。
彼の残したハイバリの数はかなり多い。全ての音符に神経がいきとどいており粗末な感じがない。スタッカートの切れの良さ。そしてむせび泣くレガート。大きな曲に見せてくれたのはフルトヴェングラーの棒によるところが大きい。
シュタインはもっとあっさりしている。この曲にフルヴェンみたいにかかわったら神経が続かない、と言っていたかどうかは定かではないが、わりとぶっきら棒、である。
だからプログラム・ビルディングは良かったものの、味わいの深さでは最初の3番がよく、後半1曲目のダブル・コンツェルトはいま一つ。ハイバリはそこそこ流す感じ。
演奏は音を出しくれた結果でしか判断できないので何とも言えないものがあるが、結果がある程度わかっていたのなら、今日のプログラムの順番は、
ハイバリ→コンツェルト→第3番
が正解であったような気がする。つまり前半と後半を入れ替えた方が良かったような気がした。たまには静かな消え入るような音で終わって家路につきたいときもある。
おわり



銀座の安物売りの客失い

2007-03-29 21:40:00 | 銀座にて

タイトルからして、銀座では高い方がいいのだ、と言っているように思われるかもしれないがちょっと違う。

ある夜、銀座のバーにはいった。

外から見るとバーである。

静かな悪友S君とはいったのだが、カウンターだけだし、そこそこ飲んでそこそこの値段で帰れるだろうと思って軽い気持ちで飲み始めた。

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お酒の種類が少ない。

バーテンダーが全部女性だ。

そのようなバーはほかでも知っている。だからいいのだが。

というか、時間制のバー、らしい。どうも妙だ。

時間制のバーなんてきいたことがない。

グラス一杯ずつのカネはとるのに、30分以内だと合計が定額これこれ、といった感じ。

それにバーテンダーがよく飲む。これも、別に、進めれば飲むわけだから、違和感はあるもののありうる話。

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結局わかったのは、時間による定額合計というのは女の子の相手代らしい。なんじゃ、これは。

早い話、カウンターだけのキャバクラかっ。

そこまでは極端ではないが、スナックの少し進化したようなところ?

スタンド・スナック?

新手?

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それでも、カネのことにうるさい静かな悪友S君はシビアだ。

30分なら30分で帰ればお品書きに書いてあるシステムの通り払えばいいのだから、それで帰ろう、ということになりそうした。

そうしたからことのほか安く済んだ。計算通りだ。

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そして何日か日をおいて再訪してみた。

前回安かったし、それに一度顔を出して、あることないことしゃべっているので、バーテンダーと多少気心がしれているというのもある。

それで、前回より少し多めに飲んで一時間ぐらいいた。

S君の計算では前回の5割増しぐらいの請求だろう、ということで、まぁ、それぐらいは仕方がないなぁ、などと思いながら、お勘定をみた。

そこで、目が飛び出し、皿が飛び空中浮遊した。

なんだ、この値段は。

前回の5倍ではないか。

どこをどう計算すればこんな請求になるんだ。とさりげなく訊いたところ、事細かに前回なかったような話までいろいろと説明を始めた。

我々はすっかり憔悴、安い酒で悪酔いした頭はシラケドリも飛ばない。

最初の時のイメージのまま、調子に乗って再訪したわけだが、これでは三度目はあり得ない。

これって、もう来るな、っていってるんだよね。このお勘定っ。

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誰も三度目はない。

こうやって、安物売りしたバーは、再訪時にふっかけ、三度目の客の姿を見ることなく、時の流れに流されていく。なんでこうなるんだろう。

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一回目と二回目の収穫だけで三回分まで計算しているのかもしれない。客にとってはたまったものではないが、三回目以降は客の方が勘弁。行かない。

また、新しい客が適当に入ってくれるから問題ないのよ、って思ってるんだろうね。

このようなお店が、銀座に、あるなんて知らなかった。

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はじめて訪れたお店が思いのほか安くすんで、気分を良くし、再訪したら、かなり高かった、ということは、たまにある。

飲む方も気をつけないといけないのだが、安易な気持ちで気心を通じ合うと、というか気心は通じあっていない、こちらが勝手にそう思っていただげ、甘いよね、といわれればそれまでだけれども、世の中、それで終わりではないでしょ。

客にとって、再々訪はあり得ず、結果的にお店は客を失う。と思うけどね。

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ここ何年かの銀座は、道端でビラ配り、客引き、と、情感が失われつつある。

お酒を飲みに行くときの、ちょっとしたワクワク感のようなものが、ビラをみたとたんに、失せてしまう。

ストップウォッチがあるようなところでお酒は飲みたくないが、居酒屋とかがあまり好きではないものにとって、自由に飲めるお店がなんとなく少なくなったような気がしないでもない。

おわり

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ホルストのブラームス バンベルク2 1990-3

2007-03-28 21:49:00 | 音楽

1990年バンベルク交響楽団の来日公演は428()から511()まで12回行われた。全部ブラームスである。

428()初日から4日間連続でサントリーホールに通えばブラームスの交響曲と協奏曲をまるごと聴くことができる。その通りにした。

428日のことは書いた。今日はブラームス・チクルス二日目。

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429()7:00pm

サントリーホール

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ブラームス/悲劇的序曲

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲

ブラームス/交響曲第2

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ヴァイオリン、

 フランク=ペーター・ツィンマーマン

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ホルスト・シュタイン指揮

バンベルク交響楽団

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昨日のプログラムよりは少しばかり明るいか。

ヴァイオリン協奏曲は弦による第一音が出てくると、どうしても襟を正したくなる。そんな礼儀正しい音楽だ。あの音はたまらない。

オイストラフ、ジョージ・セル、クリーヴランド、によるあの素晴らしい演奏が忘れられなく、この曲を聴く基準のような演奏になってしまった。ただ、EMIのレコードの時はいいサウンドだったが、CD特にHS2088CDは音幅が狭くなったような気がして、昔のような感動に浸ることが出来ない。

それで、今日の協奏曲であるが、オケの弦の音が太い、少しざらざらしているかもしれない。

クリーヴランドのような透明感はなく、あくまでも交響曲風に押し切るようにも聴こえる。

そんななかソリストのツィンマーマンが弾いていくのは、チト、辛い。

音色が少し異なるのかもしれない。

太さはあるが透明度水滴のような音、ツィンマーマンの方が一歩上をいく。

でも第2楽章のチェロの秋風のあと、ちょっともつれ気味の第3楽章はそれなりにヒートし、やはり納得、というか、屈伏。

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2番の方は、オーケストラ、指揮者、ともに全開しているつもりだろうが、全開の方向が大衆の方向を向いていないようだ。

なにが大衆か?というところもあるが、みんな喜ぶ喜びの音楽ではなく、交響曲なのだ。

ホルスト・シュタインのチリチリするような熱は第4楽章で花開くが、その雰囲気がどうも第4番の第4楽章みたいな感じになっており、曲が在るよう自然に流れて盛り上がる。

オーケストラの音の重なり、アンサンブルが重なるところで自然に厚みが出てくるようにさせておき、ある楽器・セクションに突出した響きを求めない。これがシュタインのブラームスのバランス感覚なのかもしれない。

コーダでは圧倒的に盛り上がったものの、外に出ると何故か心はすこしばかり曇っていて、これから迎える季節は冬のような錯覚に陥った。

おわり

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シュタイン バンベルク1 1990-2

2007-03-27 21:54:00 | 音楽

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1990年のゴールデンウィークをねらってバンベルク交響楽団が来日した。

今なら、熱狂の日ラ・フォル・ジュルネ音楽祭、に組み込まれてしまいそうであるが、どっちにしろ、ゴールデンウィークにどこかに遊びに行ってしまうか、ひたすら演奏会に埋没するか、決断をさせてくれるにはちょうどいい日程の演奏会だったわけだ。

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1990年バンベルク交響楽団の来日公演は428()から511()まで12回行われた。全部ブラームスである。ブラームス・チクルス。ブラームス・サイクル。

さわやかな5月の緑の風の中、建物にとじこもりじっくりと聴くブラームスも格別だ。428()初日から4日間連続でサントリーホールに通えばブラームスの交響曲と協奏曲をまるごと聴くことができる。その通りにした。

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バンベルク交響楽団といえば、1982年に来日の折、カウンターチェアのような半掛けの指揮者用椅子に座りながら立ちながら振ったヨッフムのブルックナー8番が忘れ難い。

しかし、この戦後作られたオケに縁どりを与えていったのは、やはりカイルベルト、シュタイン、あたりのワーグナーこてこて系の人たちだ。

このオーケストラの音色のイメージは一言で言うと、茶色、です。

いつでもすぐに温まることができるオーバーコート。

チェック模様が少し大きめで、多少のほころびは気にしない、みたいな。

バンベルクの音は透明感というよりも力強く弾き、吹くのでなにか厚ぼったい感じがする。

ピッチより骨太な音楽の流れを重視。一度始めたら一気に流れていく感じ。ワーグナーの実演のようなところがある。始まったら最後まで流れる音楽の波。

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それで初日はこんな感じ。

1990428()7:00pm

サントリーホール

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ブラームス/ピアノ協奏曲第1

ブラームス/交響曲第1

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ピアノ、エリザベート・レオンスカヤ

ホルスト・シュタイン指揮

バンベルク交響楽団

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いやいや、たまらんです。

ゴールデンウィークの外は五月晴れ、中は秋の夜長。

それこそ第1番の交響曲に負けず劣らず超本格的な第1番の協奏曲。

一度この曲のスコアを見ながら聴いてみてください。交響曲みたい。

ピアノがなかったら3楽章形式の本格交響曲と思ってしまいそうな大規模なもの。

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バンベルクの音というのは重心が低く本格的なものであるが、ときとして大きな川のような流れを作る時がある。

音楽の流れに身をまかせたいと思うことが人間、たまにあるが、バンベルクのはちょっと違っていて、たとえば、ベートーベンのエグモント序曲のコーダで、ブラスセクションがまわりの弦楽器の中をかき分け出てくるような、なんともいえないカタルシスをうまく表現出来ている。昔の音楽表現を思い起こさせてくれるといってもよいかもしれない。

このような協奏曲はこのようなオーケストラの音で聴かなければならない。

レオンスカヤは男顔負けの骨太のサウンドで場を切り盛りする。と言った感じでチャイコフスキーの料理法とは異なるが、決してオケに埋もれることはなく、オケが空白になったときのニュアンスをよく聴けば、微妙なニュアンス表現が日常的に聴くことができるのを、聴く側が怠っているということが自覚できるような素晴らしい演奏だ。このような演奏はもっと耳を傾けて聴かなければならないのだろう。

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交響曲第1番のほうは、自然なカタルシスがもっと素晴らしく、音楽を楽譜通りにやっているのに何故、音楽が熱く燃えてくるのか。

4楽章の身構えは唐突な時もある曲だが、このバンベルクのように自然であれば、第123楽章あっての4楽章の熱だということを明確に感じとることができる。つまり音楽の流れがドラマになっている。

言葉では言い表しにくいが、弦が光輝くとか、そんなことではなく、こまかな一人一人の揺れ動く体の演奏が同一楽器のアンサンブルとなり、さらに揺れ動き他の楽器とのセクションアンサンブルに発展していき、気がついたらオーケストラ全体がとめようもない一つの大きな流れを作っていた。

このような作り方もあるのだ。

それにしても明日の昭和天皇誕生日を前にして、なにか暗く重くのしかかられてしまったようなこころもち。第1番のコーダでそのときは弁が全開したような気がしたが、終わってみるとまた明日もあるかといったところか。

おわり

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238- シモン・ボッカネグラ ホール・オペラ 1990-1

2007-03-26 20:07:00 | オペラ



 

1988年1989年とバブル期にあって、リカーが先か音楽が先かという微妙な命題に悩まされながらも、悩んだ時はリカー、悩まない時は演奏会、という順序で物事に優先度をつけてゴアーズを続けておりました。
1990年はどうだったかというと、まだまだコンサート来日バブルがひたすら続いておりました。

だいたい12月1月2月頃は、来日団体は少なめ。オーケストラは自国での定期に余念がない時期だし、ソリストも当然稼ぎ時。だから日本では、日本の演奏団体をおとなしく聴くことになる。来日する演奏家演奏団体が全て素晴らしいわけではなく、むしろこの時期、のこのこ来るのはかえって変かもしれない。

ということで聴く方も、この時期悩まなくてもリカーに走り、2月頃から耳の試運転を始めた。
1990年の最初に聴いたのがこれ。

1990年2月6日(火) サントリー・ホール

ヴェルディ シモン・ボッカネグラ

ロベルト・パテルノストロ 指揮 東京交響楽団
二期会合唱団

シモン・ボッカネグラ  レナート・ブルソン
マリア  マリアーナ・ニコレスコ
ヤコボ・フィエコ  ロベルト・スカンディウッツィ
ガブリエレ・アドルノ  ジュゼッペ・サバティーニ

マリア役はダニエラ・デッシーの代役。ひと頃、サバティーニのお嫁さんになってその後ディヴォースしたデッシーはこの頃はまだシングルだったと思うが、急病、とかで来日できなかった。
コントラバスよりも歌の方が合っていると思われるサバティーニのやや細めで遠くまで突き刺すような光輝くテノールはパヴァロッティを思い起こす。

というわけでシモン・ボッカネグラであるが、なんでサントリー・ホールでオペラが出来るの?という感じであったが、今では、ホールオペラ、という名目のもと、猫も杓子も、ホールオペラである。簡単な装置でなりゆきの服装で、早い話が安上がりで出来る。そのオペラを見たことがない人はイメージをもっていないため、少々辛い。
初めてみるオペラがホールオペラの人にとって、これがオペラか、などと思われてしまったら、これまたとんでもない。オペラ常連の人は比較的イメージの湧かせ方を知っているからいいものの、それが、シモン、では、これまた上演数が限られているし。
いろいろと困難があるから逆にホールオペラで割とイージーに出来る、という部分もある。後ろ向きの折衷案のような気がしないこともないが、シモンだから、与えられたものはとりあえず食べてみよう。

このイヴェントは、サントリーホール・オペラコンサート・シリーズということで、モーツァルトのオペラ・アリア・コンサートが、1月21日と27日に行われ、続いて2月3日と6日にシモンが上演された。
日本でのシモン・ボッカネグラと言えば、1981年9月1日に上野で上演され生中継されたクラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座による公演が脳裏から離れない。あれと同じものは無理としても、その後の何度かのシモンを経験してみて、渋くブルーで黒青いサウンドな舞台のイメージ、そして世間離れしたストーリー展開など、わかりやすいものではないということは身をもって体験している。
このオペラはプロローグの25分間が非常に魅力的で緊張感をはらんだ音楽であり、そこでぐっと惹きつけられる。ただ、その後の第1幕が四半世紀後の時代に移ってしまうため、その瞬間、聴く方観る方もいきなり軌道修正しあれやこれや考えなければならず、糸がもつれていく。
また、最後の局面でシモンが毒を飲むがなかなか死なない。死ぬ間際の一瞬の走馬灯を一幕かけて観ているような錯覚に陥る。日本人はこのてのことは得意だ。抵抗感なく受け入れることができるのではないだろうか。
とはいっても音楽的にはプロローグの緊張した響きが圧倒的だ。このオペラ全体がドラマティックなものであり、ヴェルディの作品全部がそうではないか、と言われればそうかもしれないが、その中においても特に素晴らしい緊張音楽。

タイトルロールのブルソンは当時、日本で大受けで、なにをやっても拍手の嵐だったような記憶があるが、はずれる時もある。あのバリトンで一本調子でピッチが狂ったままだと、聴き手の耳が変なのかな、などと余計な心配までしまうこともあった。しかし、後半までには必ず矯正してくる。
それに比べれば、サバティーニは自信のかたまり、というか譜面のオタマジャクシの位置は、自分の声のピッチに合わせるべきだ、といってもいいような自信のかたまりのような声で歌っていた。
舞台の一点から細いレーザー光線のように突き刺す張りのあるテノールは、絶好調時代のパヴァロッティと少しダブったりもした。才能だけが素のままむき出しになっているような感じであった。

サントリーホールで上演されるホールオペラは、痛し痒しではあるが、ひとついいのは、ワインヤードの後方座席に合唱団が陣取り、客を置けなくすることである。観客の絶対数は少なくなってしまうが、なんとなく気持ちが落ち着く。自分があんなところには一生座りたくない、と思っているからかもしれない。
おわり


1988年と1989年の復習 と1990年の開始

2007-03-25 21:43:00 | 音楽

1988年と1989年のバブル期に通ったコンサートやオペラは以前に書きました。

興味のある方は、

1988年の復習と1989年 1989-1

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と、過去ログの

全項目一覧1

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を起点にリンクで見つけることが出来ますので、ご参照くださいませ。

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1990年の演奏会ドキュメントの一回目は、明日アップします。

ヴェルディのシモン・ボッカネグラをホール・オペラ形式でやったもの、あたりからの掲載となります。

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全過去ログは、

全項目一覧1

に、1回目から236回目まで一覧を貼り出しております。

全部リンクから探せます。

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今度、

全項目一覧2

をだしました。

237回目からの掲載となります。

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河童追加ワープ1940年代

2007-03-24 22:03:10 | 音楽

この前、週末を利用して1940年代にワープしてきました。

その時の写真がこれでした。

河童ワープ1940年代

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その後、追加の写真が出来ました。

1枚目の写真は、マンハッタンのかなり南の22丁目(東西)、そして南北にきれいに高架の鉄道が敷かれている9番街。

非常に美しい鉄道が9番街道路の上に一直線に延びてます。

マンハッタンの東西南北の網目のような整然とした道路にうまくマッチした線路が見事に映えています。

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2枚目の写真は9番街のウォーレン通りの高架の駅です。

ウォーレン通りは、2001年に消滅した二つのビルのあたりから北へ四つ五つ行ったあたりの通りです。

鉄骨に木造を積み上げたような、今見ると非常にシックでいい感じの建物です。2007年からワープしたのですが、このような建物が今でも残っていたら昔へのイメージが膨らむところでしょう。

白黒で撮って正解でした。

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0235- ライナー ニューヨーク・フィル in PA

2007-03-23 21:52:00 | 音楽




ヨーロッパでオペラにたたきあげられてたライナーは、1920年代初頭にはアメリカで活躍し始めていました。
1940年代にはメトロポリタン・オペラ・ハウスにもはいったりしましたが、その前の1920年代のオーケストラ相手の棒はどうだったのでしょうか。
いろいろなオーケストラを振っているなか、当然ニューヨーク・フィルも振っております。
1928-1929シーズンというのは、メンゲルベルク、トスカニーニによる巨頭体制で突進していたニューヨーク・フィルですが客演指揮者もおりました。
フリッツ・ライナーほか、ウォルター・ダムロッシュ、オシップ・ガブリローヴィッチ、アルトゥール・オネゲル、クレメンス・クラウス、ベルナルディーノ・モリナーリが客演の棒をとっておりました。
ライナーは、メンゲルベルク、トスカニーニに負けじとニューヨーク・フィルをぶら下げてフィラデルフィアまで行って公演をおこなったりもしました。
今日はライナーと一緒にフィラデルフィアに行ってきました。

1929年1月28日(月) 8:15pm
アカデミー・オブ・ミュージック
フィラデルフィア

ダニエル・グレゴリー・メイソン/
祝典序曲「CHANTICLEER」
レスピーギ/組曲「鳥」
バッハ/二つのコラール・プレリュード
 (シェーンベルク編)

プロコフィエフ/スキタイ組曲「アラとロリー」
イベール/寄港地

フリッツ・ライナー指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

はっきりいって、多彩すぎるプログラム、てんこ盛りということでしょうか。
メイソンさんだけはよくわかりませんけど。

ふくろうのような目つきで体を微動だにせず棒を振り、というのは変ですが、そう言いたくなるような微動棒で超ユニークな指揮姿が音楽への真摯な取り組みを思い起こさせてくれるライナーでしたが、人生後半のシカゴの時代は別にしても1920年代はもう少し動いていたのではないでしょうか。
5曲も振る日もあるわけですから、それなりにエネルギーの貯蓄と発散はあったものと思われます。
この1月28日の公演プログラムはフィラデルフィアでの演奏だったから、ということではありません。
これに先立ち、ニューヨークの定期で、1月24,25,26日の三日間、フィラデルフィア公演と同じ曲を振っております。練習は十分だったということになります。
そして、1月27日には、オール・ワーグナー・プログラムで面目躍如たるところを示しておりました。ですからぶっ続けの演奏会をこなしていたということになります。

ところで、ダニエル・グレゴリー・メイソンさんというのは、コロンビア大学の音楽部門のヘッドだったようです。この祝典序曲は、ライナーにゆかりの深いシンシナチ管弦楽団が初演を行っております。棒はもちろんライナーです。1928年11月23日が初演ですから、このフィラデルフィアでの公演でもいわばホヤホヤ状態の曲を聴いたことになるわけです。

ライナーはオーケストラ・ビルダーとして名声を重ねるわけですが、思うに、ニューヨーク・フィルには極端なビルダーはふさわしくないような気もします。
いままでニューヨーク・フィルの常任指揮者としてそのような人物がなったことはないような気がします。極端に現代音楽が好きな指揮者はおりましたけど。
おわり




0234- トスカニーニ ニューヨーク・フィル in PA

2007-03-22 21:25:00 | 音楽




 

ニューヨーク・フィルの1929-1930シーズンは、1929年10月3日に始まり、1930年4月20日まで行われました。
113回の定期公演でした。
そして、このシーズンは4月20日に終了後、ヨーロッパ・ツアーを行っております。
このツアーは5月3日から6月4日まで約一か月の間、ヨーロッパ各地をまわるというものでした。
指揮はアルトゥーロ・トスカニーニ。
23回の公演を行っております。

これらとは別に、昨日も書きましたがフィラデルフィアでの公演も行っております。
今日はトスカニーニと一緒にフィラデルフィアに行ってきました。

1929年11月4日(月) 8:15pm
アカデミー・オブ・ミュージック
フィラデルフィア

ロッシーニ/アルジェのイタリア女、序曲
ベートーヴェン/交響曲第7番

トマジーニ/ヴェネツァのカーニヴァル
ワーグナー/神々の黄昏より、
 夜明けとジークフリートのラインへの旅

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

前半後半ともに、イタリアものドイツものをセットにした非常に興味深いプログラム・ビルディングとなっております。
トスカニーニならでは、という感じではあります。日本人がこのようなプログラムを組んでも奇異に思われる、というか誰も何とも思わないでしょう。
それにしても突進するベト7が目に浮かんできます。
ところで、このシーズンも12代常任のウィレム・メンゲルベルク、13代常任のアルトゥール・トスカニーニが定期を振り分けておりました。巨頭体制といったところでしょうか。
メンゲルベルクは1922-1930の間、トスカニーニは1928-1936の間、常任指揮者をしてましたので、1929年といえば、トスカニーニ時代の始まりということになります。
この11月4日のフィラデルフィア公演の前日は旧メトロポリタン・オペラ・ハウスで、トスカニーニの棒のもと、ベルリオーズのイタリアのハロルド、フランクの交響詩「アオイロスの人々」、レスピーギのローマの祭り、を振っております。
当時ニューヨーク・フィルが日常的に公演を行っていたホールは、カーネギー・ホール、旧メトロポリタン・オペラ・ハウス、ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック、の3ホールですから、今の東京のNHK交響楽団に例えると、NHKホール、サントリー・ホール、オーチャード・ホール、といったところでしょうか。
たまに、各地での演奏会を行うといったところも似てます。
N響は現在、週2公演、同一プログラムで通してますが、日本のキャパ的には妥当なところかなとは思います。ニューヨーク・フィルは当時すでに同一プログラム2,3回公演をこなしておりました。

メンゲルベルク、トスカニーニの時代はどのように光輝いていたのでしょうか。当時のこのオーケストラの音は今となっては貧弱な音でしか聴くことが出来ないのです。あの時代にワープしてきても、うまく言葉で表現することはままなりません。
音が残っていない時代の匠は語られることがあまりありません。この時代のメンゲルベルク、トスカニーニについて語られることは一般にはあまりありません。音が残っていない、というのは決定的に弱い。
このようなプログラムを見ながら過去に思いをはせるしかないものなのでしょうか。
おわり


0233- メンゲルベルク ニューヨーク・フィル in PA

2007-03-21 22:03:01 | 音楽



当時主にカーネギー・ホールで定期公演をしていたニューヨーク・フィルですが、そのさなかに近場に出かけていって定期公演というのもしております。
今晩はメンゲルベルクと一緒にフィラデルフィアまで出かけました。

1928年11月5日(月) 8:15pm
アカデミー・オブ・ミュージック
フィラデルフィア

チャイコフスキー/交響曲第4番
シュトラウス/ティル
コダーイ/組曲ハーリー・ヤーノッシュ

ウィレム・メンゲルベルク指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

1928-1929シーズンというのは、1928年10月4日から始まり1929年4月14日まででした。
カーネギー・ホール、旧メトロポリタン・オペラ・ハウス、ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックで、日頃の定期の演奏をしていたわけです。
このシーズンここでの定期公演回数は110回にのぼりました。
また、12代常任のウィレム・メンゲルベルク、13代常任のアルトゥール・トスカニーニが定期を振り分けておりました。
メンゲルベルクは1922-1930の間、トスカニーニは1928-1936の間、常任指揮者をしてましたので。
このシーズン110回のなかに、この日のフィラデルフィアでの演奏ははいっておりません。

11月5日にフィラデルフィアで演奏を行った翌日の11月6日は、またニューヨークに戻り、旧メトロポリタン・オペラ・ハウスで、メンゲルベルクの棒のもと、オール・ワーグナー・プログラムを演奏しております。
比較的近いのでこのようなことが可能なのでしょう。
1928-1929シーズンから半世紀後をみてみますと、フィラデルフィア管弦楽団もニューヨーク定期公演をもっていて、カーネギー・ホールで演奏を行った後、速攻でバスでフィラデルフィアまで帰る、といったことをしてたわけですから、ニューヨーク・フィルも同じようなことをフィラデルフィアでしていたのかもしれません。
余談ですが、いわゆるビック・ファイブのうちシカゴを除く、フィラデルフィア、ボストン、クリーヴランドはニューヨーク定期をもっていました。ビック・ファイブのニューヨーク定期におけるチケット価格は地元のニューヨーク・フィルが一番高い設定でした。競争心の旺盛なシカゴだけは、たまにきて、えらい値段をふっかけて帰って行きました。演奏そのものもすごいものではありましたけど。
おわり


グールド ゴールドベルク 再創造

2007-03-20 20:42:00 | 音楽

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どこの会社を宣伝するわけでもないのだが、こんなのが出るらしい。

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サラウンドSA-CD

グレン・グールドの1955年デビュー・アルバムであるモノラルの、バッハのゴールドベルク変奏曲、を最新テクノロジーで分析・データ化。

そのデータをもとにヤマハのグランド・ピアノを自動演奏させ、それを最新DSDレコーディングしたそうな。

これは再生なのか再創造なのか。

CDタイトルが、

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955)の再創造

2007321日発売

ハイブリッドSA-CD

ソニー

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渋谷塔レコ6階のクラシックフロアに試聴スペースが出来て212223日と聴くことができるらしい。

ちょっと出かけてみるか。

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今後ぜひやってほしいのがモノラルの管弦楽録音の分析・データ化。

再創造でも何でもいいからステレオ最新音になったフルトヴェングラーの戦中の家庭交響曲など聴いてみたい。

クナのバイロイトのパルジファルなども戦後再開のものから全部聴いてみたいものだ。

素晴らしいサウンドで響き渡るこれらの演奏の輝かしさはいかばかりなことか。

DNAではないがほんのちょっとだけのデータがあれば全てを最新の音で再構築して、今ある演奏のような録音音質で聴くことができる。ようになる時代がくるかもしれないね。是非そうなってほしいものだ。

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河童ワープ1940年代

2007-03-19 23:04:35 | 音楽

この週末を利用して1940年代にワープしてきました。

1940年代のマンハッタンというのは高架の電車が風前のともしび状態。

それをカメラにおさめてきました。

雰囲気を出すため白黒となっております。

マンハッタンの地下鉄は厳密に言うと、1870年にアルフレッド・イーライ・ビーチさんの私的なもので、チューブ空気押し出し式の地下鉄の試みがあったらしい。すぐに閉鎖となったらしいがその理由はわからない。というか、郊外でお試しもせずにいきなりマンハッタンに穴を掘ったのかね。無謀だね。いかにもアメリカ人らしい。

オフィシャルな地下鉄の開通は1904年。

以後1930年代までに3つの会社がそれぞれ地下鉄の網の目を発展させ盛り上げた。

とはいっても高架の電車がすぐになくなったわけではない。最終的には1955年に高架は消滅。

消滅前の1940年代を撮ってきた。

1枚目は、9番街の高架。9番街というのはかなりハドソン・リヴァーに近い。その川と並行して南北に走る感じ。3車線!ですかね。

ちょっと雪が積もり気味でしたがすぐに溶けました。

2枚目は高架の電車の駅。たまりません。日本でもありました。電車乗換駅通路が木造の寄木みたいなところ。

そんなに古い話ではありません。

3枚目は、地面から見るとこうなります。馬車がシックな時代性を感じさせてくれます。

少し寒かったですけど、いい時代にワープしてきました。

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ジョージ・ショルティ

2007-03-18 22:46:52 | 音楽

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ジョージ・セルはGeorge Szellとした。

ゲオルグ・ショルティはGeorg Soltiである。

アメリカではジョージ・ショルティと発音された。

両者ともにハンガリー人である。そしてアメリカに渡った。

名前にそれぞれの矜持があるかどうか定かではないが、意識していたのはセルの方か。

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最近ショルティのCDDECCAから多量にでている。

異常に多量であるため買う方も大変だ。

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20世紀の巨匠シリーズ

サー・ゲオルグ・ショルティの芸術Vol.13

没後10周年特別記念

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Vol.1黄金時代のショルティ

シカゴ交響楽団

40タイトル

2007/02/21発売

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Vol.2ショルティ

ウィーン・フィル名盤

10タイトル

2007/03/07発売

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Vol.3ショルティ

Early Years

15タイトル

2007/03/28発売

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一か月余りの間に65タイトル買わなければならない。

没後10周年記念とはいえ、よくもまあこれだけ出してくれたものだわ。

最近のブリテンの多量発売のこともあるので強烈な驚きというにはいたらないが、それでも、これでもかの攻撃に唖然茫然。

ショルティは好きでも嫌いでもない。

ただ基本的にはオペラたたきあげ指揮者はだれであれ尊敬してしまうのが河童の癖だ。

1969年からシカゴ交響楽団に黄金時代をもたらしたのは、始まりではなく、結果でしかない。それまでのオペラ劇場でのたたき上げの結果でしかない。

オペラの指揮者にとって、オーケストラを指揮しての管弦楽なんて簡単なものだと思う。

神経の放射具合がオペラの場合360度であり、ありとあらゆることをしなければならない。

経験が大きくものをいう世界である。このような鉄火場修羅場で生きてきた人間にとってオケ演奏会ほど楽なものはないであろう。ただし、何事にもそのさきというものがあるとは思うが。

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それにしてもよくこれだけ出たもんだ。

Vol.2のウィーン・フィルとのものは全部ゲットしたが、Vol.1はまだ半分の20タイトルほどしか手に入れていない。Vol.3の発売はこれからだ。

好きでも嫌いでもない指揮者だが、最終的には全部買うことになるだろう。

こうなったらDECCAには、そう、このさい、ショルティのオペラも全部出してほしい。こちらも腹を決めた。全部出せ。全部買う。全部聴いてやる。

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CDジャケはいま一つチープ感があるが、余計な文字のないジャケでわずらわしさはない。

データは録音の年または月までしか記載がなく、また録音場所も書いてあったりなかったり、マスタリングについてはなにも書いてない。画竜点睛を欠く。ジャケにコストをかけすぎると11,200円とはいかなくなるのであろう。

それにしも昔のアナログ・ディスクの時代にこのような多量同時発売は考えられないし、1枚の価格についてもまた然り。ショルティの足跡を追うつもりはないが、これを全部聴けば道のりの半分は見えるかもしれない。あとはオペラの全部企画だ。

DECCAさん、期待してますよ。

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ということで何から聴こうか。

マーラー作曲交響曲第4

ソプラノ、キリ・テ・カナワ

シカゴ交響楽団

19834月シカゴの本拠地オーケストラ・ホールでの収録。

シカゴの音は厚い。淀みがなくそれでいて分厚い。

磨かれた良質のオケ・サウンド。

4番はこのような音で演奏されるのを望んでいたのかもしれない。

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ワーグナー作曲ジークフリート牧歌

ウィーン・フィル

196511月収録

ゾッフェンザールにける素晴らしいウィーン・フィルの響き。

人数を抑えた室内楽的アンサンブルのみごとに凝縮された響き。

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ところで、アップしてある写真は発売予告のパンフレットであるが、渋谷HMVにはあったが、渋谷タワーレコードにはなかった。

タワーで店員に訊いたらその存在も知らなかった。宣伝パンフを配ったり配らなかったりするのだろうか。

どうもこのパンフ、変だ。Vol.2の発売日に誤りがあるし、商品の記載にも誤りがあったりする。この前HMVでもすでになかったので、配布を止めたのかもしれない。

見開きで全65タイトルの一覧を一度に眺めることができるので、レコ芸の細かな字と違い、ものすごく便利なのだが。

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シカゴ交響楽団は1977年に初来日してマーラーの5番を演奏した。

現場にいあわせた潜入河童の生々しい感想はここ。

シカゴ 初上陸

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同曲同演フルトヴェングラー

2007-03-17 21:37:00 | 音楽

同じ内容で、新たなCDがまた発売された、ということだけが、聴きなおすきっかけになるようになってしまったら、音楽の聴き方を再考した方が良い。

フルトヴェングラーが振る戦中のエロイカはたしかに素晴らしいが、本当はエロイカが素晴らしい曲なのであり、昔のベルリン・フィルやウィーン・フィルよりも技術、機能では上をいくオーケストラがいたるところゴロゴロと存在してしまっているような現代においては、まずい演奏を探すのが難しいぐらいかもしれない。普通に演奏していればエロイカのもつ曲の魅力は自然と理解できる。

ウラニアのエロイカはスピーカーから押し出されたようなオーケストラの水際立った充実度、テンポに緩急をつけることにより、ある部分はより加速度的な流麗感を味わうことができ、他方ではスローなテンポにおいて静寂が強調された音の清らかさを味わうこともできる。

ベートーヴェンのドツキの音楽はときとして、第1番、第2番あたりで、既に辟易感をもってしまうような演奏もある。

聴き手をこんなにドツイて一体、何を伝えたいのか。自意識過剰で、まわりが戦う意志もないのに一人で闘争心をもってどうするの?といった演奏だったりするが、フルトヴェングラーの場合、このエロイカを聴いている限りドラマティックではあるがドツカれている感覚はあまりない。9曲ともそれぞれ完成したものとしてとらえているようで、この1曲、に専念して聴くことができる。

それにしても、だ。

よくもまぁ、何度でも出てくるものだ。

ウラニアのエロイカの場合、何が正規盤なのか知らないが、いろんなところから出る。

同じレーベルの再発もあるし、LPからの板おこしなどもある、フォーマットも種々、リマスタリングもよりどりみどり。

昔の録音が、昔聴いた音より改善されて良くなっている、だからその分の聴く価値はある。

今まで聴こえていなかった音、違っていたバランス、強弱、など、より正常なものを聴いて感銘をあらたにするのはそれはいいことだ。

しかし、もうそろそろ、いいのではないか。

河童がフルヴェンを聴かなくなった理由は、嫌いになったからではなく、ストックだけが増えた状態、になり、そこにあればいい、という心的安心感を得るだけでよくなってしまったからだ。

いくら在庫を増やしても、新譜はほぼないわけだから同曲同演奏再発集めになってしまい、ある程度集まってしまったらその後の展開はなく、あふれる「同じもの」のなかでもがいてる自分が見えてしまったから。でも、平林さんもどこかでいっているように、処分しないで置いておけばいつかまた聴くことがある、というコメントは実に納得できる。きっとその時が来ると思っている。のだが、今は同曲同演奏のCDはいらない。ひとつだけあればいい。聴きたくなったらそのときに手に取り耳にするものがあればいい。

同曲同演奏の音質聴き比べ、発売されたときが聴くとき。といったことはやめた。ほかに聴くものは山とある。

ちょっと話がそれるが、もうひとつ悩ましいのは、同曲異演の多量ストック。

エロイカならエロイカでいいが、そのエロイカをLP,CD,DVD,エアチェック、など、一曲に50種類ものエロイカをもつこと。

たしかに指揮者もオーケストラも違うと、聴く方としては曲を知っているため、その演奏の違い、オーケストラの音色の違いなどを聴く楽しみはできる。

しかしそれも一昔前までの話。今は文化の平板化がクラシック演奏にも波及しており、フランチャイズ的、ローカルな味わいはなくなりつつある。

むしろ指揮者の解釈の相違がおもしろい、といった、あまりにも有名な曲ゆえの逆説的な指揮者待望論にたどりつきそうな感じになるのは、なんか変だがこれも奇妙な事実かもしれない。

これにはクラシックの作品の幅が狭いためという側面もある。ある限られた時代の限られた作品を芸術として何度も繰り返してきているのだ。日本の古典でもそのようなものはあるが、引き継がれていくような、伝統、とはいったいなんなのか。よくわからなくなる。

昔、ここに道があった、というのと同義語のように聞こえてきてしまう瞬間もある。

幸い、クラシック音楽業界もそのことに気付き始めたらしく、昔なら全く知らなかったような作曲家や、有名作曲家の未知の曲、の掘り起こしが盛んだ。これはこれで聴く方も未知の歴史に足を踏み入れる感覚をいまさらながら味わうことができ耳がリフレッシュされる。ただし、昔のエアチェックやライブが、全部名演、みたいな売り言葉で売られている現状はみじめな音源探しのようにも見え、もうこれもそろそろ潮時にしてほしい。むしろ正規セッション録音に改めて力をいれてほしいものだ。カネはないかもしれないが。

ということで、フルトヴェングラーの話はどこかにとんでしまったが、カラヤンを非難する人たちというのは、ただでさえ狭いクラシックの世界をさらに狭くしていたと思う。という変な結論に至った。

おわり

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