河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

943- 今年も第九いきました。2009.12.26東フィル

2009-12-27 19:29:56 | インポート

2009-2010シーズン聴いたコンサート、観たオペラより。

20091226()15:00

オーチャード・ホール

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ベートーヴェン/序曲「コリオラン」

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ベートーヴェン/交響曲第9

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ソプラノ、中嶋彰子

アルト、山下牧子

テノール、笛田博昭

バリトン、甲斐栄次郎

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オンドレイ・レナルト 指揮

東京フィルハーモニー管弦楽団

東京オペラシンガーズ

第九の日にもう一曲というプログラムは久しぶりに聴いた気がする。いつ頃からか、たぶんカラヤンのせいだと思うのだが、一曲で終わってしまうケースがめっきり増えてしまった。今日みたいな日は第4楽章だけ聴けば気が晴れて帰路につける聴衆が多いのでそれはそれでいいのだろうが、こうやって一曲目のコリオラン悪くない。

ブローラのウィスキーをごくりとやるときなんだかステンドグラスではなく、ガラスにひびがはいったような割れたようなそんな趣と味わいのオーチャードホールのサウンドではあるが、ブローラほどには焦点が定まりきらず、音の中心が定位しないというもどかしさを感じないわけにはいかない。それでも平土間の前方に座ってみれば、直接音の響きを浴びることができるので十分な力強さを感じることができる。

コリオランの第一音は揺れていた。ストリングのヴィブラートがかなりきいている。弦の全奏がなんだか湯気が立つように歌っている。東京フィルによるオペラが始まるような錯覚。ヴァイオリンは6プルト、弦がかなりの厚みで聴こえてくる。年末の全員参加なのかな。とにかく弦の迫力がものすごい。もういちど埃の中へ向かった解釈ではあるまいがこのような超ヘヴィーの演奏もたまにはいい。

レナルトの棒は初めて観る。1942年生まれというから、バレンボイム、レヴァインあたりと同年だが、あすこらへんの指揮者が既に功名乗りを上げて炎の核を求め始めているのとは少し違い、たぶんまだまだ振り続けなければならないと察する。一気に10ページぐらいスコアをめくっての指揮ならば暗譜でもいいようなものだがそうもいかないのかもしれない。

4楽章コントラバスによる歓喜の歌への間髪をいれない入り方、最後のコーダの倍速、など局所的には特徴的なところがあるが総じて音楽の流れを崩さない。断面の切り口で見ればときにゆるいと思われる個所もある。東京フィルは鳴りが完全に弦主体であり、特にコントラバスのうねり、頑張りがすごかった。ベートーヴェンはあたりかまわず高弦セクションと同じような苦労をコントラバスに課しているのがよくわかる。このホールのせいか座った席の関係か、低弦の響きがすごく、地響きをたてる。

但し、アウフタクトが甘いのは棒のせい。

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歌、この4人のソリストのようにオペラを十分にこなしている歌い手にとって、第九はへでもないと思う。だから難しいということもあるが、そこまで掘り下げる前に曲は終わる。

個々人の技量、4人のバランスともに良いものでした。

オーケストラの奥に陣取った合唱、たぶん締りのいい声だと思うのだが、ホールの響きにそのよさを放射できずに拡散。

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構成のぶち壊し、再創造。ベートーヴェンはこの交響曲でそのようなことをした。

23楽章の入れ替え、声の導入。古典の構成美に浸りたいものにとってこれだけで十分壊された。だのにまるで初めて創造されたかのような音楽の感動に浸ることができるのだ。

2楽章を待つまでもなく、第1楽章第2主題で既に歓喜のモチーフがあらわれ、潜在意識下では‘第九’は始まっているとみるべきだろう。

ベートーヴェンの強固なモチーフは構築美をいつも感じさせる。主題がいくら強固であっても連関のないシンフォニーは建築物とはならず崩れさる。そうでないのがベートーヴェンということになるのだろうが、すべてのモチーフは関連し合い第4楽章に向かい集中度を高めていく。第4楽章冒頭の第123楽章主要主題のぶち壊しは、あふれ出るメロディーの否定ではない。昔はそのような変な聴き方をしていた頃もあった。モチーフの否定はメロディーの否定だと思ったのだ。後発のチャイコフスキーなみとはいかなくても、それなりにわかりやすい主題がそろったベートーヴェンの曲ではある。もっと深読みすべきだったんだ。子供なりに。

この終楽章冒頭の既出主題否定はそれまでの長さを感じている身にとってはなんともむなしい限りではあるが、新たに創造した曲の中でベートーヴェンは再度ぶち壊した。そして全否定をしてから正しい音楽の喜びを歌う。ベートーヴェンの極めつくし。一人の作曲家の才能と真剣なひねり。これを年末だからと言って猫も杓子も的に出かけて聴きに来るのはいいが、このような聴き方もたまにはいいのではないか。

ベートーヴェンの純正シンフォニーに声をいれたその影響は非常に大きいもので、凡百河童がどうのこうの言えるようなものではないが、発想のつながりとして、いつも思い出す曲がある。シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番。この四重奏にはソプラノが付いている。シェーンベルク初期の曲。ぶち壊しの最中か。

あと、第23楽章については、ブルックナーの交響曲第8番第9番。第8番は知っての通りだが、加えて主題に関していうと、第九のような否定はないが、コーダで第4楽章の主題を含め第1楽章以降の主要主題が全部ほぼ同時の時間的流れのなかで出現。これはこれでとんでもない。また、ブルックナーの第9番は第3楽章まででこと切れた。その第3楽章がスケルツォだったら、ありえない。エロイカがスケルツォでこと切れた時のことを思えば想像に難くない。

それと、マーラーの交響曲第6番。この曲についてはアンダンテ楽章とスケルツォ楽章の入れ替えの選択可能性がある。形式の自由度が極まった感があるが、そこまでしてもいまだフォルムの呪縛はあるわけだ。フォルムがなければこの芸術は完成したものとはならない。そうゆうことなのか。

おわり

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942- ヤング・ピープルズ・コンサート① 音楽ってなに?1958.1.18

2009-12-24 23:15:00 | ヤング・ピープルズ・コンサート

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ヤング・ピープルズ・コンサート①

音楽ってなに?1958.1.18

バーンスタインが、音楽にまとわりついている俗物を排し、音、音楽を聴くことから湧き出る感情について熱弁。
ロビーのないカーネギーホールへ勇んで入っていく子供たちから始まるこの映像は、ニューヨーク・フィルハーモニックNYPのヤング・ピープルズ・コンサートYPCのテレビ放送1回目のもの。内容については観て楽しむのが一番なのであまり書かない。
バーンスタインが最初から最後まで間をおかずしゃべりっぱなし、話してないときはピアノを弾いているか棒を振っている(棒は持っていないが)。
まことに才気溢れる解説、トーク、ピアノの腕、指揮であり、当時、ドイツのカラヤンって誰?みたいな話が全く冗談ではなく飛び出してもいささかの違和感もない別のワールドを作り出していたのがよくわかる。昔からヨーロッパ志向の日本人。この映像を見るたびに大事なものを見ずにこれまできたというのも痛々しいほどよくわかる。アメリカの音楽の繁栄を無視した代償はなんだろう。いまだ無視し続けているからこの先もっと後でわかるのかもしれない。
 

市販されているヤング・ピープルズ・コンサートは25巻物なわけですが、このコンサート自体25回で終わりというものではない。このコンサートはこれ以前のその昔からNYPの名物でありずっとやられていたし今でも続いている。
このYPC①は1957-1958定期公演シーズンの一環のコンサートであって、当シーズンだけでもYPC自体は10回行われた。
当シーズン1回目はトーマス・シッパース指揮によるもので、19571123日にありました。当然副題もついています。
1957.11.23トーマス・シッパース指揮NYP
"STICKS, SKINS AND KETTLES"
- THE STORY OF THE PERCUSSION FAMILY
 

ビデオになっているYPC①音楽ってなに?は当シーズン2回目のYPCであり、1958118日の土曜日のお昼12時からカーネギーホールで行われ、それを収録したもの。(アップしてある写真を拡大すれば公演ポスターの日時も確認できます。)初めてのテレビ放送だったのですが、バーンスタインは力む様子もなく、ステージ奥にカーテンの隙間から見えるカメラレンズに惑わされることもなく、なびく前髪を上に撫でながら楽しそうに指揮をしている。またトークも間髪を入れない、飽きさせない爆才爆発。本人の主張、論点を徐々に絞っていって核心に迫っていくあたり、見事としか言いようがない。
 

当日の公演はお昼時のものでしたが、ビデオのクレジットによると、オリジナルのCBSテレビジョン放送日が同日の118日となっている。ということは同日生放送か、収録後編集して同日別時間に放送したということになりますね。それが1時間ものとしてビデオ、DVDででているわけです。
 

ポスターを拡大すると、

THIS CONCERT WILL BE TELECAST BY CBS TV CHANNEL 2 IN NEW YORK

と書いてあります。このような書き方は生放送中継のことが一般的ですので生放送を同時収録、あとで編集、商品化、といったところでしょうね。
 

最初のウィリアム・テル序曲からチャイコフスキーの5番まで断片とお話し、当然といえば当然です。最後の曲はラ・ヴァルスです。これはNYPの熱演で全曲を聴くことができます。いいですね。 

また、最初のウィリアム・テル序曲で各楽器のリズムどりの解説をするとき、ヴァイオリンのところで、バーンスタインが、
「ミスター・コリリアーノ、ちょっと弾いてみて」
と声をかけるシーンがあります。
当時のコンマスは、ジョン・コリリアーノです。
今の時代に、クラシック、映画音楽両面で活躍しているジョン・コリリアーノは、同名ですが息子です。
前にブログにも書きました。
 

ジョン・コリリアーノの息子はジョン・コリリアーノ


当時のトップは主だったところはだいたいこんな感じです。
コンマス、ジョン・コリリアーノ
ヴィオラ、ウィリアム・リンサー
チェロ、ラースロ・ヴァルガ
ベース、ロバート・ブレンナンド
フルート、ここは3人並べましょう
ジョン・ウンマー
ロバート・モリス
ペイジ・ブルック
オーボエ、ここは2人並べましょう
ハロルド・ゴンバーク
アルバート・ゴルツァー
クラリネット、ロバート・マクギニス
エス・クラ、スタンリー・ドラッカー!!!!!!
 (いまだにクラリネット首席!!!!!)
ホルン、ここは6人中3人並べましょう
ジェイムズ・チェンバース
ヨゼフ・シンガー
ルイス・リッチ
トランペット、ウィリアム・ヴァッキアーノ
 

 

ということで、くらくらするようなメンバーそろいぶみですね。このYPC①では楽器のアップがチラチラという感じ、バーンスタインの角度に座っているプレイヤーはずっと映っているけど、それ以外はさっぱりでけど。
女性は一人もいません。男の世界です。
 

1958年というと今から51年前、もう少しで52年前になってしまいます。バーンスタインの刻印がこうやって観れるのは素晴らしいの一言ですね。映像の古さを超えた内容であると思います。

 

 


941- メトロポリタン・オペラ 2009-2010シーズン ライブHDとラジオ放送ガイド

2009-12-23 16:40:27 | アート・文化

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メトロポリタン・オペラハウスから案内が今頃になって届きました。差出し元のポスト印がなぜかフランス。どんな経路できたのかしらないが、今はシーズン真っ盛り。

今回の案内は今の2009-2010シーズンのブロードキャストについて。

メトは大昔から、土曜日マチネー公演のライブをラジオ放送で流しており、街中に溢れる海賊盤のLPCDはほぼ全部これのコピー。河童もその昔当地で、オープンリールデッキTEACX2000Rで直取りしたものを多数持ってます。土曜日はその公演を聴きに行っているか、雪のある真冬以外はチャリでセントラルパーク7周の日なので、留守録。

大部分は、オープンからカセットに落とし、もっと後になってからは、DATにダビングして保存。

カセットテープは当時、最高の品質でこれ以上ないレベルまで達してましたので、メトの放送の音質のことを考慮するとあまり音質のレベルダウンは感じない。つまりもともと良くないFM放送。その頃DATがあればよかったのでしょうが時代がまだそこまで来ていなかった。

その後DATにダビングしたのはいいですが、今度はDATが衰退、撃沈。オペラ録音の道具としてはあんなに便利なものはないと思うのですが、スタンダード・モードで180分までまる取りできたのに、なぜか撃沈。今のCDRのふがいない収録時間に比べたら完全に凌駕。先に出たメディアが後に出たメディアを凌駕していたというのも変ですが、この時代、大は小を兼ねる必要はないということなんでしょう。時代の価値の位相がよじれてしまった。今の収録時間しかないCDRに、愛聴DATに眠っている音源をコピーする気にはなれない。DVDへの手もあるが入り乱れるフォーマットの乱立でちょっと躊躇。

DATのときもディジタルフォーマットのため著作権問題があり、混乱したまま衰退。CDDVDも再生オンリのときはおとなしかったが、一般大衆がいざRつまり録音、録画ができる時代になって混乱。HDDからの録画のソフトルールをマニュアルで確かめるまでもなく量販店で売っているメディアの多様性?を見れば、鬱陶しいことこの上ない。

機種により再生、録画が不可、さらにはマシンの方が壊れるかもしれない、などと平気で書かれた粗悪なハードレベル。そして著作がらみのソフトルールに辟易。

いつも通り脱線しました。

メトの土曜日マチネーは毎週あり、パルジファルもやるのですが、そんなときは通常の2時の開演ではなく、0時半とか1時スタート。休憩入れて終わるが6時半とか。ジミーの第1幕はカミタソもそうですが十分すぎるぐらい時間をかけるので大変。留守録も大変。10号リール9.5センチ速にして、休憩のあたりにオートリバース検知の銀紙を事前に貼り付けて、本人はチャリ。はたまた徒歩5分のメトの現場で直聴き。

8時から夜公演をひかえているわけですから、それはもうみんな、大変。

そんなスリリングな土曜日ですが、マチネーのラジオ・ブロードキャストに加え、ピーター・ゲルブになってから方針強化で、日を選び映像の生放送もされるようになった。ゲルブの路線でシネマ・オペラ、劇場公開用の直取りというわけだ。

ラジオも映像もどちらも生ライブで観聴きができるわけだ。現場で聴いている人には関係ないけれど。

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名づけて、

Live in HD and Radio Guide

2009-10 Season

というガイド本が届いたわけです。

今の時代、ネットでサイトを見れば同じデータのことはすぐにわかるわけですが、こうやって手に取ってコーヒーを飲みながら見る、ときの流れ、頭の骨休めには最高ですな。

HDというのはHigh-Definition transmissionsのことです。

今の時代、カメラ移りがよくないとダメ。その昔メトで、XXさんのサロメを観ましたが、歌は横に置くとしても、踊りとかなによりも容姿なんだろうね問題は。聴衆は苦笑いというかなんともいえないゆがむにゆがめない苦笑となったことがあったのですが、それはそこにいた人たちだけが観たものであり、音のブロードキャストだけなら何の問題もありません。街中にある昔の海賊盤は、もしかしてそれはそれでラッキーなことなのかも。

オペラのDVDは、至近距離の映像で、喉の奥とか毛穴まで覗き込みたいとは全く思わないが、そんな映像が多い。メトはばかでかいオペラハウスなので遠めの映像でデフォルメされた感じで撮ってほしいものだ。三脚っていうんですか、ビノキュラスでは腕が疲れるなどといって、ファミリーサークルでは、三脚に双眼鏡をセットして観てました。なんていう人もおりましたね。

メトは日曜日はお休み、土曜日はマチネーと夜があるので、結局、週7回公演。

最終的に、月、水、金、土シリーズ聴きまくり。木金土火はお隣でニューヨーク・フィルハーモニックの定期公演があるのでダブらないように慎重に。

NYPは火曜日のサブスクリプションは穴なのでこれはずっと会員を張っていた。メータは腐るほど見た。弛んでいた時代ではありますが。。。

それで、海賊盤作成のために今シーズンのメトの放送日データも貼り付けておきます。

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940- ここまできたかマイケル・ティルソン・トーマス マーラー8番でサイクル完結

2009-12-21 00:15:00 | 音源

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高額SACDMTTマーラーサイクルでしたが、再発の嘆きの歌も含め完結。最後はこの8番でした。

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マーラー 交響曲第8

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MTT指揮

サンフランシスコ交響楽団・他

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最初から最後まで同じ節が鳴っているような8番ですけど、第2部中間部の

「触れることができないあなたにも」

フィナーレの大団円を見事にピアニシモで先取りしたマーラー一流の表現を、MTTが滴るような音のしずくに変え、超スローのピアニシモで感動的に歌い切ったオーケストラ、指揮者、このデリカシーはなにものにもかえがたい、あきらかMTTが到達したマーラー。圧倒的境地。必聴。

さらにそのフィナーレでは途中で終わってしまったのではないかと思わせるようなパウゼを大胆に呼吸の区切りとし、さらに上の天上を目指すかのようなピュアな縁取り。

マイケル・ティルソン・トーマスと一体化したオーケストラのあまりにも充実したサウンド。素晴らしいの一言に尽きる。

合唱は、オーケストラのような息づかいとなり、区切って区切って溜めて溜める。困難な局面をオーケストラとともに乗り切る。歌もオーケストラの響きとなり、ブラスが宇宙に咆哮。

おみごと。

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939- 華火華金無音飽飲 河童の臭覚は犬なみ?

2009-12-20 11:41:04 | グルメ

先週の火曜日はグルメ銀ブラ、華金は前の週の注文品ゲットでやっぱりグルメ銀ブラ。

火曜日は、てんぷら あさぎ
12000円、15000円のコースがあったので、12000円のコースを注文。
ビール、お酒を飲んで、二人で26000円だったから、変。
安く済んだときは黙して語らず。
最初のエビ2個から最後の天丼まで、親方は外国人客相手の方が楽しみらしく、こちらは無視され続けで、愛情表現はありませんでしたが、値段が愛情表現?かも。
チェックのサインを覗き込むお隣の外国人、なにか心配でもあるのか。ミッシェランの一夜づけか、君たち。。
このお店は換気が行き届いているので安心。それになぜかてんぷらに合う照明というか、からっとした明るさが好ましい。
基本的に淡い食い物だとは思うのだが、いまだにこれに合うアルコールはなんだろうと思う。
場所は銀座では立地の妙などといわれているが、そんな妙なとこ、銀座、まだまだたくさんありまっせ。

2軒目は、油を流すために、バーオンへ。
知る人ぞ知る、知らない人はおぼえなくていい。そんなバーかな。
ネット検索でもあまりでませんけど、水面下では超有名バーでしょう。
立地は西五番街の1階でなかが薄く見える。極上の場所です。寛文五年堂の向かいです。
高校のOB会の2次会なんかはわけあって寛文五年堂たまに顔だしたりしてますけど。
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それでバーオン、
最近はブランデーに傾斜。初期のころはウィスキーのラインナップがすごかった。
それはそのままでブランデーに多重化展開。
バックバー開けてわかるトンデモ蔵酒の山、それに横の棚、カウンター、後ろの段ボール。
それを超えたマスターの知識、といったところでしょうか。
この日は完全なブランデーを2杯。
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マスターは河童とは長い付き合いとは思ってないでしょう。
でも昔から知ってますよね。四半世紀前から追っかけてますから。

3軒目は、なぜか初めて入る、戦前バーのボルドー
2階の山本五十六シートのあたりに座りましたが、そこに到達する前、河童は臭覚が優れているのか入館した際のトイレ臭が少し気になりました。第一印象って大事です。
二人で一杯ずつロブロイ、マティーニ、お勘定が7500円。一人当たり3750円。この価格をどうみるか。
お酒の味、技は横に置くべきでしょう。
入場料1000円、かわきもの+お給仕代が1000円、ロブロイ1750円。だから正しい。
雰囲気ありすぎで、今の人たちなら高級喫茶店のように錯覚するかもしれない。しかし、バーだ。だから正しい。
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御門通りをつたうように銀座通りを越え、信楽通りの次の三原通りの位置関係と、夜な夜な徘徊を繰り返す銀座通りから外堀通りにかけて、昔の銀座のことはよく知らないけれど、賑やかさなど場所の微妙な重さの変遷を感じないわけにはいかない。
河童生まれつきの仮性近視では基本的に鳥目。だから暗くてお店の中の骨董品のような調度品はよく見えない。立って歩くのも品がない。
忘れるべきものを持っていないので思い起こさせるようなものもないわけだが、イメージの手がかりとして頭隅に置いておく。

4軒目は、いつものあすこで。
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華金は、前の週の注文品を取りに。
この日はいくお店を決めてなかったので、とりあえず銀座通りにでて、魚に目がない相棒と魚貝の炭火焼き ぎんろくへ。
築地玉寿司のあらたな出店パターン、新しいお店で案の定、満員御礼。
それでこのビルのもう一階上にある大元、大箱の築地玉寿司にはいってみる。たまたまいい席が空いていた。
そこで二人で食べつくし。26000円でした。銀座高級鮨屋の半額。味も半分か、難しいところではあるが、味に芯がないというかキメがないと感じるのはいたしかたないところか。

2軒目は、先週もいったテンダーへ。
端席で上田さんのお手並みは一杯だけ。ほかの5人のバーテンダーも気合が入っている。
シェイクの真剣な目つき、技、心のこもり具合、あれにマティーニ代の5割払ってもいいかな。

3軒目は、いつものあすこで。。
最初っからもっていた手料理?のケーキをここで開こうと思ったけど、もったいない?ので、帰ってからひと足早いクリスマスケーキ。
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938- 華金華土極楽浄土

2009-12-13 23:20:16 | グルメ

先週の華金、華土は、お買い物で銀ブラでした。

夜はグルメで。

華金は鮨 太一 それともう一軒。

華土は葱や 平吉

それに、リンク不要のテンダー

それともう一軒。

テンダーでは何杯飲んだか覚えていない。

上田さんのお顔が見えなかったので、いないんですか。

と言っただけなのですが、催促したように思ったらしく、

呼んでもらったみたいで。

だからというわけではないですが、連れと二人で20杯!

そんなには飲んでないか。たぶん15杯ぐらい。。

素晴らしいカクテルでした。

ごちそうさま!

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937- ショスタコーヴィッチ ピアノ協奏曲第2番 アンドリュー・リットンの弾き振り

2009-12-07 23:44:57 | インポート

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前回936-のブログでデュトワ/N響の演奏会2009.12.5のことを書いた。そのときにショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第2番がまるで祝典序曲のようだと書いてみて、ついでに河童ライブラリーを探してみたら、そのようなことを暗示するCDがでてきた。

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ショスタコーヴィッチ/祝典序曲

ショスタコーヴィッチ/ピアノ協奏曲第2

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5

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アンドリュー・リットン、ピアノ

アンドリュー・リットン指揮ダラス交響楽団

1998年録音

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アンドリュー・リットンは日本ではあまりぱっとしないが、1994年から2006年までテキサスのダラス交響楽団の席にあって、大変に素晴らしいCDを連発していた。この組み合わせのCD30枚ぐらい持っているが、国内ではマーラーの10番全曲盤など多少盛り上がりはあったもののあまり目立たなかった。本人も日本でN響を振ったりしたが、毛並がよすぎる棒は、練習というプロセスがあまり必要でないオーケストラにふさわしいのかもしれない。

また、ピアノの腕も確かなもので、このCDでは弾き振り。ほかにも弾き振りのCDはあるが、ここでのショスタコーヴィッチの粒立ちの良い演奏には惹かれる。

日本人はクラシック音楽に関しては、商売含め完全にヨーロッパ志向というか、ヨーロッパしか向いていない。この文化の発展の根っこがそうなのだからいたし方がない面もあるとは思うのだが、もっとアメリカの方向を見てもいいのではないか。このオーケストラを知らないというのは、ビックファイブにさえ関心がない日本人だからしょうがないか。アメリカの音楽文化を知らないのは現代では、大欠落だと認識して。早く気がついてほしいものだ。

それでこのCDだが、収録曲の並びまで完全に意識した作りであることは間違いない。祝典序曲で、ショスタコーヴィッチ独特の運動、回転する力を魅せておいて、それが耳から離れる前にピアノ協奏曲第2番へそのまま進む。作曲年次が近いせいもあるのだろうが、音楽運動がよく似ている。だからこのようにリットンは並べた。しかも自分の弾き振りのピアノで。

両曲の響きは親近性のあるものだが、ピアノ協奏曲の方はブラス無しの編成(ホルンは入っている)。そのためすっきり感は増している。

このCDは演奏会のプログラムのような感じで、3曲目に配置された第5番は後半の曲目ということだろう。

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ショスタコーヴィッチ3連発のCDで中身の良さに加えコストパフォーマンスも抜群。このCDはデロス・レーベルなのだが、リットンはピアノ協奏曲第2番をハイペリオンにもいれている。ハイペリオンの方はピアノが自身ではなくマルク・アンドレ・アムラン、オーケストラはBBCスコティッシュ交響楽団で2003年の録音。

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936- シャルル・デュトワ N響 2009.12.5

2009-12-06 17:29:13 | インポート

2009-2010シーズン聴いたコンサート見たオペラより

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2009125()6:00pm

NHKホール

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ストラヴィンスキー/アゴン

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ショスタコーヴィッチ/ピアノ協奏曲第2

 ピアノ、キリル・ゲルシュタイン

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シュトラウス/ドン・キホーテ

 チェロ、ゴーティエ・カプソン

 ヴィオラ、店村眞積

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シャルル・デュトワ 指揮 NHK交響楽団

デュトワ、1シーズンぶりのN響定期登場。お得意の3曲プログラム。

今日はソリスト3人の演奏を堪能できた。それとともにN響のレベルの高さもあらためて実感。後半のドン・キホーテでは、チェロの響き、ヴィオラの艶、N響の合奏力、アンサンブルの見事さにほれぼれ。ばかでかいホールだが、合いさえすれば響きが透る。

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ドン・キホーテの演奏に接するのは確か、ダニエル・バレンボイム指揮のベルリン国立歌劇場だかシカゴ交響楽団だかどっちか忘れたが、とにかくそれ以来だと思う。難曲だ。

日本人演奏家の固有名詞にはあまり関心がないが、ヴィオラの店村は以前いた読響で協奏曲を弾くのを聴いて以来印象にある。ほどなくN響に移ったこともわりと記憶に残っている。

太くて奥深く、艶があり、なにしろヴィオラの存在感を示してくれる。このような奏者がいればオーケストラのヴィオラ・セクションにとどまらず弦の合奏は一層引き締まり緊密度を増してくるのだろう。

チェロのカプソンは大きな音で大きくうねりを作り歌う。ヴィオラに負けじとなっているようにも見えるが余裕ではある。

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ミゲル・デ・セルバンテスのドン・キホーテを題材にしている曲だが、それ自体読んだことがない。ここはプログラムの解説があれば便利だが、当日のプログラムには概要が載っているだけだ。冊子フィルハーモニーを会員でない人は買わなければならないが、これに譜面付きで詳しく載っている。

曲は11曲からなる変奏曲。題材の内容に沿った形であり、ドン・キホーテとサンチョ・パンサ、精神の闇、また旅のエピソード。変奏曲という構成はつながりがわかっていいと思う。流れに親近性が出てくるので正解だと感じる。どこまでも変奏の繰り返しではあるのだが、シュトラウスの技は面白すぎるくらい鮮やかで見事なタッチ。全く飽きのこないものだ。

やるほうは大変だと思う。ソリストたちもさることながら、冒頭のフルート、オーボエの軽快な響きから始めて、最後までアンサンブルのかたまりだ。結果的には分解して散らばっていかず中心に寄ってくるような合奏力、それにウィンドをはじめとするアンサンブルのバランスの良さが在京の他のオーケストラのレベルを圧していることが証明された。

今日の演奏ではさらに、ブラスなども刻みが正確というか全て万遍なく丁寧に演奏されていて、背中まで手の届いた非常に緻密なアンサンブル。これら正確性の積み重ねがある種、緊密度を高めていたようだ。これは指揮者の才覚によるところが大きい。ひとつバランスを失ったら立ち直るまで時間のかかりそうな曲だけにみんな集中力が並外れて高かった。テンションの高さが変な緊張感にならず能力のフル発揮につながるのはこれまたデュトワの棒だろう。

ブラスはトランペットの高音ピアニシモをはじめとして、全般にピアニシモのバランス・ハーモニーがきついところではあるが、心地よい緊張感でお見事。また編成はかなりでかいのだが、ときに薄められたバランスとフォルテの響きが錯綜していて聴いている方は面白い。ホルンは6本、テナーチューバのソロも活躍。ウィンドマシーンを筆頭にパーカッションの多彩さには耳をみはる。

最後の変奏のエンディングのピアニシモとそれに続くゲネラル・パウゼ風の拍手までの空白も余韻に浸るに十分。まるで小説を読み終えてストーリーを全部思い起こさせるような、あっけにとられたような、そんな雰囲気を醸し出していた。

前半2曲目のショスタコーヴィッチには、キリル・ゲルシュタインというピアニストが登場。デュトワより背が高く、2人で歩く姿は迫力あるなぁ。

ゲルシュタインというピアニストは初めて聴く。プログラムの紹介には、今多忙を極める若手のひとりとある。歯切れがよくスパッと弾き切る。

このショスタコの2番のピアノ協奏曲は個人的には諧謔の極みのように聴こえる。自身の祝典序曲のような第1楽章終結部。第2楽章は濃厚でこれ以上ないロマンティシズムのピアノが聴ける。あっけにとられてしまうような時代錯誤のように聴こえて思わずニヤッとしたくなる。息子のマキシム・ショスタコーヴィッチがピアノを受け持って1957年に初演された曲。ブラスはなし。(ホルンはある)

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1楽章2主題あたりからピアノを弾く腕がトリッキーになってきて観ている方もなにやら面白いなぁ、などと観る方聴く方両方楽しめる。作曲家特有のリズムの回転が始まり祝典序曲モードになりそのままストンと終了。ピアノの腕の魅せどころ。

続く第2楽章は1957年の作曲年次を100年ぐらい戻したくなるようなあまりにも濃厚でムンムンなフレーズが続く。マキシムよ。原点を探すのだ。と言っているのだろうか。

1楽章の動き、その反作用的第2楽章、生で観ているとその面白さが倍増する。

3楽章はアタッカではじまり、また祝典序曲モード。第6番の交響曲第3楽章のような感じもしなくはないが、ここはやっぱり祝典序曲の三拍子のファンファーレ以外の部分とそっくりだ。(河童蔵のCDでおもしろい組み合わせのものがあるので次回のブログで紹介。)

デュトワの棒は、速度を落とすことなく突き進む。突き進むのはいつもなら少し重いN響なのだが、今日はデュトワの棒さばきに乗せられて、弦の後拍もうまくそろってしまったようだ。

ピアノのサウンドがクリスタルな打楽器のような響きになるのはショスタコーヴィッチ特有なもの。鍵盤が垂直に軽やかに彫られる。ゲルシュタインの歯切れの良さは第2楽章の一見無機的なロマンティシズムでも息が途切れることなく緊張感が持続していて見事。

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最初の曲アゴン。

コンセプトといった意味のようだが誰にもとっつきにくい曲だと思う。解説を読んでも曲と結びつかない。バレエの伴奏にとどまるのかもしれない。

おわり

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