河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1670- ジークフリート牧歌、ブルックナー7番、エリアフ・インバル、都響2014.7.30

2014-07-31 01:41:24 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年7月30日(水)7:00pm ミューザ川崎
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ワーグナー ジークフリート牧歌 18′
ブルックナー 交響曲第7番(ノヴァーク版) 18′20′10′11′
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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第1楽章の展開部がコンパクトすぎて、ほとんどスケール感がでてこないのは、提示部における第2,3主題を別物として扱わず一つにしてしまっているため。展開部の進行も同じ解釈。小ぶりな第1楽章で既に解釈の限界が垣間見える。まるで2主題形式のようだ。ブルックナーが2主題のソナタ形式なら、小ぶりにならざるをえない。
また、同楽章のコーダ前の強奏ブラスのリタルダンドはブルックナーのイディオムではないと思う。
第1,2楽章の連結演奏の意味は?第1楽章コーダの余韻を残さず第2楽章にはいる意味は、何を狙ったものかわかりません。
第3楽章スケルツォ部分の第2フレーズ目にトランペットを2本重ねて吹奏させる意味は?物理的な強度の推移以上の何を求めるのか。
全般的にブラスセクションの歌度ゼロ、棒のなせる業。
おわり


1669- マーラー10番クック版、エリアフ・インバル、都響、2014.7.21

2014-07-21 23:55:14 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年7月21日(日)2:00pm サントリー
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マーラー 交響曲第10番 クック版
*A performing version of the draft for the Tenth Symphony prepared by Deryck Cooke
*デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏会用ヴァージョン
Ⅰ 23′
Ⅱ 12′
Ⅲ  4′
Ⅳ 11′
Ⅴ 22′
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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マーラーの10番ですので連日、日参。
印象は前日と同じ。
何度も聴くうちに第4楽章も愛する盲腸、いまだにちょっと引っ掛かる部分はあるものの、散らして聴く。
全般に音色が明るい、それはそれでいいが陰影が欲しい。ストイックな部分や表現がなかなか出てこない。インバルはどこぞのフレーズあたり集中的に攻めてこれでもかと奇襲作戦をする指揮者ではないし、その意味ではスリルとサスペンスでは物足りない。ダークなところが欲しいですね。表現幅が広がると思いますが。
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第5楽章冒頭、太鼓の後、間髪入れず第2楽章の引用の違和感、中間部も同じ第2楽章の引用が長い。見事にぴったり揃った第1楽章のトランペット悲鳴の回帰、お見事。
引用だらけの第5楽章、やっぱりマーラー本人ではないな。あらためて思うものの、同楽章の終結部の現世離れした浮遊感は前日の演奏に増して秀逸でした。浮く感じ。
おわり


1668- マーラー10番クック版、エリアフ・インバル、都響、2014.7.20

2014-07-21 00:55:35 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年7月20日(日)2:00pm サントリー
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マーラー 交響曲第10番 クック版
*A performing version of the draft for the Tenth Symphony prepared by Deryck Cooke
*デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏会用ヴァージョン
Ⅰ 23′
Ⅱ 13′
Ⅲ  3′
Ⅳ 12′
Ⅴ 22′
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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午前中11時から12時半までオープンリハーサルを観て、それから1時間半後の演奏会。オープンリハーサルと内容的には同じ。あたりまえと言われれば、それはそうですが。
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第5楽章の冒頭の太鼓はバスドラではないんですかね。スコアもってないのでわかりませんが、昔、ザンデルリンク&ニューヨーク・フィルの演奏ではバスドラがティンパニと重ねて叩いていた記憶があります(目と耳の両方の記憶)。強烈な音響でビックリしたのとマーラーの曲かという違和感これまた両方感じた記憶があります。
ラトル&ロスアンジェルス・フィルも聴きましたが、そのときの記憶は太鼓についてはあまりない。また、最近では、金聖響&神奈川フィル、これはポン・ポンという感じでそこだけとれば幻滅でした。都響の演奏はカナフィルモード、深い地獄の淵を覗きこむような深刻さはない。硬質クリアサンドで明るい透明感、録音向きというか昔のコロンビアの録音のような感じ、ワルターのLPはコロ響にステレオ録音が今でいう世界遺産のように連発でなされたわけですけれど、とにかく硬くて高音がキンキン鳴っていました。あれらはおそらく方針で当時廉価盤では絶対出さないという感じでしたが、それなら音をもうちょっと何とかしてくれ、みたいな部分はありました。頑張って聴きましたけれども。都響もあれと同じとは言わないがどちらかというとその傾向のサウンドオケ。深淵の淵が明るく照らされている。
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計測タイミングをみると第3楽章を中心としてほぼ対称形の楽章構成。マーラーの5楽章構成だと7番がありますが、あれが無かったら10番の5楽章発想は無かったような気もします。
7番の第4楽章は出だしこそ夜曲の雰囲気がありますが後半は第5楽章の先取りになってきていて、どちらかというと第5楽章の序奏的な色彩を帯びてくる。
10番の第5楽章はその前までの引用がたくさん出てきて第4楽章だけどうだというのはあまり感じない。ここにこれが置かれる意味合いがよくわからない。むしろ対象軸をもった5楽章構成のこだわりより、第4楽章なくてもいいのでは、という思いが強くなってくるのです。第3楽章のエンディング保持のまま終楽章の太鼓に突入しても違和感なし。もっともただでさえ短いコンサートが多いこのオケ、第4楽章カットしたらもっと大変。
この日の全曲演奏でもコンサートとしては短い演奏会です。集中して出来のいいものを作りたいからという話もあるようですが、それは何かの間違いであってほしいものです。2時間もたないオケとこちらも勘違いしてしまいそうですから。ちょっと話がそれました。
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それから、第2楽章は本当にクック版なのかなと思いました。これまた比べるようなスコアを持っておりませんので耳感覚だけでの話となってしまいますが。
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インバルの表現はクリア、それをオケが明るい音色で全てを照らすのでますます明晰。彼が若い時、フランクフルトの放送交響楽団をこのオーケストラの今の状態で、当時の現代ものをやっていたら最高だったろうな、ふと思いました。
おわり


1667- オープン・リハーサル、マーラー10番クック版、エリアフ・インバル、都響、2014.7.20

2014-07-21 00:34:15 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年7月20日(日)11:00-12:30 サントリー
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オープン・リハーサル
マーラー 交響曲第10番 クック版
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エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団
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都響会員さんの好意によりリハーサルをのぞかせてもらいました。曲とか出演者に強く興味がある時は行ってもいいかなと思いますが、普段エンタメの裏側をみることはありません。何度か述べているバックステージものがあまり好きでないのと同じです。今回は曲に興味があり見ることにしました。
午後から本番で、午前中に最後の仕上げで曲をなぞるだけ、全曲演奏時間とあまりかわらない1時間半、インバルは立ちっぱなしでやっていました。午後から本番でまた同じように振るわけですから結構な体力が必要ですね。
ほとんど止めずに振っていましたけれど、止めて何か指示するときも角度のせいかなにをしゃべっているのかよくわからない。RB席あたり斜めからの眺めでしたがこっちを見ているわけではないのでしょうがないところもあります。それに普段からこのオケを掌握していると思われるので薀蓄含蓄みたいなセリフもないと思われ、突き詰めるとこちら側としては午前午後1回ずつ演奏会を聴いたような感じでした。
このオケの硬質で明るい音色がこの曲のイメージを変えてくれるようなところがあり、ドロドロ感がない。比較的スッキリした響きと耽溺しないフォルム、これだと第4楽章はなくてもいいのではないか、第3楽章からそのまま第5楽章の太鼓の強打にいってしまっても違和感が、個人的には、まるで無いと思う。第3楽章を対象軸とした曲といった講釈より日常的に愛着のある4楽章構成の進行形態のほうがふさわしいような気がしました。
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マーラー10番全曲盤 河童ライブラリー(ver 0.1)
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1666- ラヴェル、マメールロワ、ピアノ協奏曲、小菅優、サン=サーンス、交響曲第3番、レナード・ス

2014-07-20 00:37:44 | インポート

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Photo
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リヨン久しぶりに聴きます。このオーケストラの特質から言ってスラットキンご指名は自然な選択なのかもしれない。最初は違和感ありましたけど。都市指揮者がローカルへ、みたいな違和感ですね。
最初のマザーグース、リヨンのサウンドは硬くてキラキラしていて、以前のパリ管のような響き。ビブラートはパリ管ほどではない。
弦の音場は正三角形ではなく縦に長い直方体のおもむき。明晰サウンド。
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この日一番楽しみにしていた2曲目のラヴェル、小菅さんの自由奔放な演奏は好み。自由奔放そうに見える演奏、一点の曇りもない、最高。
第2楽章の美しく優しい音楽、これ以上ないビューティフルな演奏、息をのむような美しさでしたね。かなりゆっくり目に弾いた濃い演奏の楽章でした。
第3楽章のような音楽は、伴奏パートのことですが、スラットキンは一つずつの音をやつさないで明確に同じ長さでクリアに鳴らす。これは現代もの得意系の指揮者なら余計にこういったあたりのことをしらみつぶしに実行させる。心地よい正確さなのです。
それに小菅の粒立ちがよくてキレのあるピアノが颯爽と流れるので、シナジー効果でこれ以上気持ち良い響きは無いなぁ、という感じになってしまう。切れ味最高の演奏。
最後の万歳フィニッシュは紗良アクションとそっくり。そういえば、ミュン・フン・チュン、フランス放送、紗良、の演奏会はこの日と同じ曲目でした。
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後半のサンサーンス、このホールのパイプオルガンがヴェールを脱いだのをはじめてみました。宇宙人の目玉のようなユニークで迫力のあるもの。響きがまた素晴らしい。大伽藍に響く圧倒的なパイプオルガン、弾くのは初音ミク風なオルガン美人。オルガン右サイドにはモニター、左はバックミラー。これらで指揮者を見てる。なんだか、宇宙に出て行って聴いているような現実感の無さがとっても心地よかった。
スラットキンはオーケストラに一滴まで音を正確な長さで出させる。だからクリアで、スーッと浮いて漂うな響き、むろん現代音楽をやったらこれ以上ない響きでおそらく圧倒されるに違いない。N響を振ってる姿は本当ではない。才能を認められているに過ぎなの。したいことは別のワールドですよ。良かったです。
それにしても、オルガン付きの第1楽章て何度聴いても、アズナブールの枯葉よーの節ですね。
おわり


1665- プロメテウスの創造物、わたしは改めて太陽の下に行われる虐げのすべてを見た、トレーケル、運命、インゴ・メッツマッハー、新日フィル、2014.7.18

2014-07-18 23:51:09 | コンサート

2014年7月18日(金)7:15pm トリフォニー

ベートーヴェン プロメテウスの創造物、序曲5′

ツィンマーマン
わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た(japan premiere)
キャスト(in order of appearance)
第1の話者(伝道師ソロモン)、松原友
伝道師ソロモン、ローマン・トレーケル
第2の話者(カラマーゾフのイワン)、多田羅迪夫

Int
ベートーヴェン 交響曲第5番 7′8′5′10′

インゴ・メッツマッハー 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


日本初演のツィンマーマン、リブレットに沿い実測タイミングを書いておきます。
第1シーン+間奏 4′
第2シーン+間奏 8′
第3シーン+間奏 2′
第4シーン+間奏 4′
第5シーン+間奏 5′
第6シーン 7′15″
(*この第6シーンでは6分ぐらい演奏したところで、メッツマッハーが指揮台に座る、そのまま2分ほど演奏が続き、最後15秒ほど調和したコラールがあって終わる)


5日前と同様、ベートーヴェンのプログラムにツィンマーマンがはさまれている。この企画素晴らしすぎる。シリーズ2回目。

プロメテウスは慣らし運転だが前回のエグモントと同様、充実の演奏。
そして2曲目のツィンマーマン、旧約聖書とドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟のストーリーが二人の語り手により弧を描くように語られる。ユニークすぎる。一秒たりとも目も耳も舞台から離れてはいけない。
伝道師トレーケルは黒衣装、長身痩躯で風になびく骸骨のようだ。カラマーゾフの話者は曲者イワン。
異様な音楽展開はドラマなのかどうか判然としない、二人の語りは腕を開いたり足踏みしたりと奇抜な動きをまじえつつ進行。なんだかとんでもない世界に足を踏み入れてしまったような。ト書きにあるように最後、指揮者は指揮台に座り込む、激しく暗い音楽と真の天才的なひらめきの音楽。何をどういえばいいのかわからない。作曲家の病んだ脳みその裏側を覗きこむような曲、素晴らしいというのだろうか。病んでも解決や救済はいるというのか、最後の15秒は突然バッハのコラールがブラスにより響き渡る。名状し難い病理の世界なのか、精神の安定と解決の響きなのか。こんなに楽しくない音楽は無いだろう。
カラマーゾフの兄弟を読んでいれば少し楽。

ツィンマーマンの毒気が抜けないうちに始まった後半の運命は、全般的にちょっと乱れてしまいましたが、ダレたわけではなく前半の緊張感が維持されたもので引き締まっていたように思います。音のうねりもあったと思います。
出だしは、メッツが早くやろうという感じでしたが、モジャモジャコンマスはゆっくりしたもので、息が合わないというよりメッツに無視されているのがいやなのかもしれない。メッツはハーディングと違い、モジャモジャさんを頻繁にちら見したり抱きついたりしない、ほとんど見向きをしない、これは悪気があってしているわけではなく、メッツにとってコンマスはそこにデフォで存在し相応の役目を果たすものという前提でしかないものだからかということだと思いますよ。役割分担という考え方が明確なのであってドライと言えばドライ、ただ、無理して割り切っているという感覚はない。指揮者とコンマスの天然の相違は困ったものですが、ここは当然コンマスがメッツの意思をくみ取り全体に伝えるようにするべきです。そういう役目のポジションなんですから。

ということでこの運命、メッツがあれだけ急き立てているのに、そのラインに乗ってこない。だからますます急き立てアクションになる。それの繰り返しで、コンマスがもっと意を汲んでプレイすればぐっと決まるのに。密な連携が取れていない。
それでもこれだけ快活な演奏となったのはメッツの強引さが功を奏したものであるのかもしれません。
次回からはそりこみコンマスでいいかとおもいます。
おわり

 


1663- エグモント、ツィンマーマン、tp協、ハーデンベルガー、エロイカ、メッツマッハー、新日フィル

2014-07-13 20:16:23 | コンサート

2014年7月13日(日)2:00pm サントリー

ベートーヴェン エグモント序曲 8

ベルント・アロイス・ツィンマーマン
 トランペット協奏曲「誰も知らない私の悩み」 14
 トランペット、ホーカン・ハーデンベルガー
(encore)
リチャード・ロジャース マイ・ファニー・バレンタイン  2

ベートーヴェン 交響曲第3番エロイカ 17-14-5-10

インゴ・メッツマッハー 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


メッツマッハーは前回来日時の不評をぶっとばす最高の演奏を魅せてくれました。
冒頭のエグモントからオーケストラサウンドは明らかにスキニーに引き締まっている。トレーナーとしての耳の良さが歴然としているとしかいいようがない。乗せられたメンバーもメッツは情(じょう)でドライブをかけてくる指揮者ではなく、飽くまでも音楽ありきでそれに向かって具体的に何をどう表現すればいいのか、その一点で練習からやっているんだね、というあたり理解できたのではないだろうか。前回はそこらへん、ハーディングスタイルと勘違いしていたのかもしれない。彼とはまるっきり違うタイプの指揮者であり、トレーナーとしてはメッツが上です。
このように重くならず音場が上方に芯ありで漂う演奏、最高でした。このスタイルでウエリントンの勝利とかやったら素晴らしかったに違いない。
でも、メッツらしく2曲目はシリーズもの、ツィンマーマンに流れていきます。シリーズお初から、これです。誰も知らない私の悩み。ディープで高音多湿、特に冒頭ミュートでのプレイはかなりのきつさのような気がしますが。作曲家独特の糸弾き音のような響き。ジャジーな雰囲気も。
これで60年前の曲というあたり、半分の30年前の同質な作曲家連中のずっと先を行っていたわけだ。
ハーデンベルガ―のラッパは、ツィンマーマンの意を汲んだような悩み多きサウンドをよく表現できていた。都会風な洗練されたところがありますね。つまり全部の動きやら演奏表現やら意識されたもののように思えます。
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後半のエロイカ。この日のプログラムはベートーヴェンとツィンマーマンですから、最初のエグモントを聴いた段階で解が出ていたようにも思います。
全般的に意識されたアクセントの多用、ズブズブと耽溺せず、それでいて一つ一つの音は深い塊となって響いてくる。オーケストラにエネルギーが満ち溢れ、インストゥルメントの奥行き感が素晴らしい。水平な立体感ですね。活き活きしています。
アンサンブル単位でのずれはむしろそのような面での練習がなされたということを逆にわからせてくれるという、証拠の形跡を感じないではいられない。
第4楽章の激しい序奏のあとの変奏曲ではいきなり4重奏でのバリエーションをちらつかせてくれる。変幻自在。余裕の演奏。ものすごい引締め。
いつものこのオケとは思えない、まさに豹変。
鋭さと奥行き感がうまくコンビネーションしていて聴きごたえのあるエロイカでした。
ありがとうございました。


1662- オルフェオ、コレスポンダンス、海賊、交響的奇想曲、マノン・レスコー、プルチネッラ、広上淳

2014-07-12 19:46:45 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年7月12日(土)4:00pm サントリー
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モンテヴェルディ オルフェオよりトッカータ 1′
デュティユー コレスポンダンス 20′
 ソプラノ、谷村由美子
ベルリオーズ 序曲海賊 8′
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プッチーニ 交響的奇想曲 13′
プッチーニ マノン・レスコーより第3幕への間奏曲 5′
ストラヴィンスキー プルチネッラ 20′
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広上淳一 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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ネットで67分、CD1枚分ぐらいの演奏会、曲の広がりもモンテヴェルディからプッチーニまで、デュティユーからストラヴィンスキーまで、こうゆう演奏会の日があってもいいですね。リラックスして聴ける。
ベルリオーズの海賊は思いの外、柔らかかった。オーケストラの精度も少し増したような。この指揮者踊らないとオケの精度があるのかもしれない。
それとこのオーケストラは指揮者からのスタンディング指示に極端にスローな反応を見せる団体ですが、広上さんだとすんなり立つ。立たせ方うまいですね。
指揮者も今日みたいにあまり踊らず、本番においても的確な指示が出来ればやるほうも安心してプレイできるというものだろう。当然、精度も高くなる。レンジ幅もあり、全体的に余裕が感じられ、ぎすぎすしないいい演奏会でした。これからも踊り厳禁でお願いします。
おわり


1661- パシフィック231、Rare Gravity、アルルの女、シェエラザード、山田和樹、スイス・ロマンド管、2014.7.11

2014-07-11 01:53:55 | コンサート


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2014年7月10日(木)7:00pm 東京芸術劇場

オネゲル 交響的運動第1番「パシフィック231」 7′


藤倉大 Rare Gravity 19′ (world premiere at this tour)


ビゼー アルルの女
 第1組曲より 「前奏曲」「アダージェット」 7′4′
 第2組曲より 「メヌエット」「ファランドール」5′3′


int


リムスキー=コルサコフ シェエラザード 11′+12′12′13′

(encore)
シュレーカー 舞踏劇「ロココ」よりⅢ.マドリガル 3′


コルンゴルト シュトラウシーナ 3′


山田和樹 指揮 スイス・ロマンド管弦楽団


連日のロマンド管。
この日はあまりまとまりのよいプログラムとは言えず、ごった煮状態。リセットボタンを押しながら。
オネゲルは少し前に都響でも聴いたが、名前の割に面白みのない曲。
2曲目の藤倉作品、日本現代音楽リズム欠乏症にかすかに光が差し込んできたか、そんな感じです。
3曲目、アルルの女ピースはしなやかさとドライなものが入り混じり。ウェット感の無いのが特徴と言えば言える。
後半のシェエラザード、音が昔と相似。
パイプハーモニーのような管、醒めて光る弦、熱うねりの対極、これはこれで素晴らしい、ティンパニも前日よりよく締まっていた。
アンコールはレアなもの2曲で両曲ともに初めて聴く。魅惑的でよかったと思います。
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今回のスイス・ロマンド管の来日ツアーはジャパンアーツで、梶本音楽事務所なんかよりもかなりリーズナブルなチケット価格。前日もこの日も会場は満員でした。いい演奏会でした。あれだけ客がはいれば演奏するほうも力はいりますね。
あともう一点、プログラム価格について。当日用のプログラムは無料。今回の来日ツアー全般のことを書いてあるプログラムが500円。別販売ですから、客は好きに選択出来る。これだけきっちり客のことを考えてくれる対応は好感もてます。
残念ながら商売のことしか考えていない事務所ありますが、サービスとは何かというあたり原点に戻ってほしいものですね。
おわり


1660- 三善晃編曲、唱歌の四季、メンデルスゾーン、讃歌、武蔵野合唱団、山田和樹、スイス・ロマンド

2014-07-10 01:49:16 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年7月9日(水)7:00pm 東京芸術劇場
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三善晃 編曲/鈴木輝昭 管弦楽編曲
混声合唱とオーケストラのための「唱歌の四季」
 朧月夜 2′
 茶摘 3′
 紅葉 2′
 雪 2′
 夕焼小焼 3′
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メンデルスゾーン 交響曲第2番「讃歌」27′ 44′
 ソプラノ、林正子、市原愛
 テノール、西村悟
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武蔵野合唱団
山田和樹 指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
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このオーケストラで首席客演指揮者というのはどの程度のウエイトを占めているのかわかりませんが、本格的な凱旋帰国という話ではないでしょう。ただ、このような日本向けの曲種をやったり、また、よく統率がとれているあたりをみると相応に掌握しているのだなということは言えると思います。オーケストラの反応もよく、好感をもって迎えられているように見えます。
スイス・ロマンドは昔のスイス・ロマンドではない。スキルベースでの向上はこのオーケストラ特有のものではなく、今の時代の一般的な機能性向上を反映しているに過ぎない。その意味においてだけ昔のこのオケではない。
だから耳を傾けるべきは別のところにある。明るくて明快で、弦がやんわりとメロウに溶け込むことはない。少し硬めで個別のインストゥルメントがその個別のまま因数分解されて鳴る。黙っていても現代の音楽をやれば、それなりの説得力を持ってしまう、といった趣きで、極端に言うと昔のアンセルメのまま、古いものが残留しているのではなく、古くて新しい、なにか聴いたことがあるような独特な響きに、過去を振り返るのではなく、前進性を感じるといった妙に新鮮な心持ちとなった。
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三善の唱歌の四季。指揮者が思いをこめる、それを通り越して自ら感動に打ち震えているように見受けられるところもありそのあたりどうかなという部分はあるものの、みんな自国愛の思い出しのときがあってもいいのだろう。合唱が入っているためか全体の響きは柔らか模様で、深く彫りこむより流れる感じ、いい唱歌でした。遠い昔のことをふつふつと思いだしました。ありがとうございます。
この日は、サイドの席で聴きましたが、響きはよくありません。いいと言っておきながら言うのも変ですが、ティンパニ、太鼓系の音が風呂場の中で聴いているような緩んだ音になってしまっていて、例えばサントリーで聴くと前後左右このようなふやけた音がする席は少なくとも比べる限りにおいてはありません。失望、幻滅の席でした。
山田の棒はそれほどドラマチックなものを求めておらず、この曲の合唱に相応しいもので、失望幻滅の席ながら相応に聴くことが出来ました。
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後半、久しぶりに聴いた讃歌。あらためて味わい深い曲と思いました。シームレスに流れる讃歌の美しさに圧倒。例のトロンボーンの節が全体フレームを形作ります。最後まで緩むことの無かったオーケストラと合唱。
満員の盛況の中、ギャアギャア騒ぎ立てる客もいず、少しずつそして大きくいい拍手でした。合唱団からオーケストラメンバー個々へのブラボーや頑張ったコールは素人のなせる業で客席から見たら必ずしもいい光景ではなかったものの、気持ちだけは汲んでおきます。次回はオケ、合唱団ともにプロとして客は観ている、そういう認識でお願いしたいと思います。
おわり
讃歌14型


1659-≪独立宣言238年 自由の女神128年≫2014.7.4、and NYP 172年

2014-07-03 23:54:50 | インポート

1659-≪独立宣言238年 自由の女神128年≫2014.7.4、and NYP 172年
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ブロードウエイはパインストリートを越え、右にトリニティーチャーチを仰ぎ見ながら、ウォールストリートをやり過ごし、レクターストリートをスキップすると、まもなくバッテリーパークに着く。そこから見るやや遠目の、スタチュー・オブ・リバティーは今日もしっかり立っている。
昔、地下鉄コートランド駅、アレキサンダー・デパートの上に天までとどくビルがあった頃、その天から睥睨したながめは絶景であった。右にハドソンリヴァー、その先にニュージャージー、左にイーストリヴァーを見ながら、そして正面やや左にスタッテン・アイランド、やや右に、スタチュー・オブ・リバティーを展望することが出来た。ジャンプするとどこまでも飛んでいけるような気がした。そのビルも今は無い。
アメリカが独立宣言をしたのが1776年。独立百年記念で自由の女神をフランスから寄贈されたのが1886年。百年記念と言いながら、110年たっていた。だから自由の女神寄贈100年祭は1986年。このお祭りのとき、レーガン大統領はたしか空母だか戦艦だかを降りなかったはずだ。当時リビアのカダフィがマンハッタンの地下鉄に爆弾を仕掛ける、などといった噂がニューヨークに流れていたのだ。100年祭で世界中からたくさんの船が来てお祝いをし、自国の、島のような空母、戦艦なども山のように寄港した。しかし、レーガンは確か上陸しなかった。いずれにしろ独立記念日と自由の女神寄贈とは百年単位+10年という割と中途半端な数値である。
バッテリーパークでのお祭りは、ウォールストリートから近いこともあり会社が済んでから行ってみた。空母の巨大さはアンビリーバブル。あとはジャンクフードと自由の女神オブジェを頭に乗せ、ビールで酔った。

ニューヨーク・フィルの最初の公演は1842年アポロ劇場においておこなわれた。思えば長い歳月が経ったものだ。ざっと172年。数々の指揮者がオーケストラとともにあった。未来の音は聴くことが出来ない。しかし音を出すことによってしか未来は創造出来ない。未来を創造するのは夢・希望に膨らむ若手プレーヤーをおいて他にない。河童に出来ることは残念ながら昔の音を思い出すということだけだ。
指揮者と歌い手、変な話、亡くなると両方ともあっという間に忘れ去られてしまう。例えばギュンター・ヴァントの盛り上がり。あれは一体なんだったのか。その意味では聴衆は冷たい。今、ここで、音楽を発する演奏家が大事なのである。この冷たい現実はしかししっかり受けとめなければならない。音楽をする喜びとともに聴かせることが出来る喜び、両方感じたい。
作曲家は未来の音を予言する。聴衆にとっては予期せぬものだから張り切って聴けばいいものを、その根性がなくなってきている。駄作が増えたのではなく、予期せぬ音楽の広がり緊張感についていけなくなってしまったのだ。最近の河童は半世紀前のいわゆる当時の現代音楽も何故か懐かしい。誰か音楽の行き先を教えて欲しいものだ。Too ripeした音楽はどこへ向かっているのであろうか。
(**ストリート、年、などは記憶だけで書いています)
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掲載写真は約100年前のもの。トリニティーチャーチを南西方向から。
チャーチ先の左から右にある道路がブロードウエイ(左がアッパー、右はバッテリーパークへ。チャーチ先から奥への道路がウォールストリート。手前の広場は予約待ちが地面に重層しているらしい著名人の墓たち。)

(RV3)


1658- ベンジャミン、曙光、リンドベルイ、ウア、グリゼイ、周期、クセナキス、ジャロン、板倉康明、

2014-07-03 23:44:32 | インポート

1658- ベンジャミン、曙光、リンドベルイ、ウア、グリゼイ、周期、クセナキス、ジャロン、板倉康明、東京シンフォニエッタ2014.7.3
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2013-2014シーズン
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2014年7月3日(木)7:00pm ブルーローズ、サントリー
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ジョージ・ベンジャミン 曙光 20′
マグヌス・リンドベルイ ウア 14′
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ジェラール・グリゼイ 周期 14′
ヤニス・クセナキス ジャロン 16′
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板倉康明 指揮 東京シンフォニエッタ
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全部知らない曲、例によって曲ごとの配置換えに時間がかかる現代音楽、これはどこのオケでも同じ。正味の演奏時間は短いものです。
そもそも自然界に逆らっているというか、馴染まない曲が多い現代の音楽ですから、1曲の時間そのものが短い。長く出来ない。構造を作れないと換言してもいいかと思います。ストーリーのあるものは金がかかるのでこれまた出来ない。問題だけ浮き彫りになるようなところもありますが、そんななかでこのように時代の音楽を続けていくというのは、並大抵のことではないと思われ、その努力に頭が下がります。
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ベンジャミンの曙光、音が何やら底の浅い濾過装置の上の方で音が飛び跳ねる感じ。
リンドベルイのウア、編成はvn, vc, cb, cl, bscl, 電子楽器。なんというか、機械の主音ではなく副音(派生音)のきしみで鳴っているようなところがあり、音楽とは少し違うかもしれない
グリゼイの周期、演奏の中に演奏者によるジェスチャーが入り込むという面白い動きあり。
クセナキスのジャロン、クセナキスが聴いていて1番安心するという妙な気持、時代は流れていく。
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以上、短い曲が4曲、1曲あたり千円の4千円コンサート。
プレイヤーのスキルレベルが高い演奏でした。クセナキスは小型オケサイズに膨れるが、響き自体はむしろこじんまりとした印象。概ね満足。
今の時代音楽は甘くていまいちなのが多いですが、今日のコンサートの時代音楽はみんな何か機械油のようなものを求めて鳴っている。生きたエネルギーを感じる曲でした。
おわり