1983-1984シーズン、NYPに登場したザンデルリンクは年末のプログラムを終え、年始のマーラー10番6連発公演を敢行した。
といっても実際にはほかの公演もはいっているので、そこらへんの詳細は前々回のブログをみてください。
さて、はじめて生聴きするマーラー10番。
当時の感想はいたってあっさりとしていた。
●
1984年1月5日(木)8:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
.
NYP第10,331回公演
.
マーラー/交響曲第10番(デリック・クック版)
.
クルト・ザンデルリンク指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
.
WQXR1984.6.17 3:05pm放送予定
●
年明け最初のコンサート。非常に貴重な生演奏となるべき体験であるのだが、なんとも名状し難い雰囲気のかたまりであった
。
私の知っているのは第1楽章のみであり、他の4楽章については全く知らない。しか、ここで演奏されたクック版には何か「マーラー的」なものを感じ取れたと思う。少なくとも、例えばベートーヴェンのこのような演奏、曲目があったとして、それよりは抵抗感なく受け入れられるのではないか。
たまに味付けが濃くなる時があり、特に第5楽章などは旋律自体が歌いすぎているような箇所が見受けられる。あのようなことは、第9番を知っている人にとっては、ちょっと受け入れがたいと言うか、第9番のあとにあのような節は作りえないということが自然にわかってしまうようなところもある。
第1楽章は構造自体は何ら問題となるところはないと思うのだが、メロディーがごつごつしていてつながりがよくないと思う。これはブルックナー第9番からの引用であり、それ自体なんとなくかんとなく変な感じ。
聴衆も今日は特に落ち着きがなく、それが感染したのかオーケストラもなんとなくそわそわしていて、なにか歴史的事件のなかにいるような雰囲気であった。
木管と金管のピッチが微妙にずれ、ちょっとふやけるようなところがあり、また、ホルンなども難しそうであった。
第2楽章のスケルツオは、少なくとも第9番のスケルツオよりはましな気がした。とにかく、ここから未知の世界へはいったわけである。
第3楽章は普通。
第4楽章と第5楽章の境目がよくわからなく、聴いていてとまどった。
あの強烈なティンパニー、バスドラの一打はどっちの楽章に属しているのかしら。また、どんな意味を持っているんだろう。
不思議な曲。
スケルツオが二つあるというのもわけがわからず、とにかく何がなんだかわからない。
この曲はあさってもう一回聴く予定なので、そのときはもう少し真剣になって聴かなくては。。
おわり
●
といった感じで、そもそも何を聴いたのかよくわかっていない節がある。初めて聴くというのはエキサイティングな体験であるが、他面、どこでどのような展開があるのか常に音楽を追っていかなければならず、疲れるところもある。余裕がない。
二日後にもう一回聴いたのでそちらの評をあとで書いてみたいと思う。
.