河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2269- メシアン、彼方の閃光、カンブルラン、読響、2017.1.31

2017-01-31 23:17:49 | コンサート

2017年1月31日(火) 7:00-8:30pm サントリー

メシアン 彼方の閃光 8-7-4-2-14-6-4-12-4-3-11 duration, one and a half hour-long

1.栄光あるキリストの出現 8′
2.射手座 7′
3.コトドリと神と婚姻した都 4′
4.刻印された選ばれし人々 2′
5.愛の中に棲む 14′
6.7つのトランペットを持った7人の天使 6′
7.神は人の目から涙をあまさず拭いたもう 4′
8.星たちと栄光 12′
9.生命の樹に棲む多くの鳥たち 4′
10.見えざる道 3′
11.キリスト、天国の栄光 11′

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


曲の巨大さとそれを見事に表現した演奏の素晴らしさ両方でエポックメイキングな一夜となりました。
作曲家本人が最後の大曲という思いで書いた作品と思う。初期の傑作トゥーランガリラのような躍動感は無く、モノトーン、モノリズムな世界で、執拗な息の長さと解脱したような淡泊なモードが綯い交ぜになっている。
この曲のクライマックスはどこにあったのかと問われれば、指揮をした渾身の共感振りカンブルランの棒の思いも合わせ、ウィンド、ブラスの第1楽章、それにストリングにゆだねられた最終楽章。この外枠二楽章であったと確信する。
破天荒な超スロー演奏となった第5楽章の際立ったカンブルラン表現はあまりに素晴らしい、弦による息もできないほどの静寂さ。次の6楽章のブラス、パーカスによる咆哮とのコントラスト。これら楽章の色調がそのまま外枠の二つの楽章にあてはまる。特に終楽章の静謐は圧倒的で、カンブルランの情感を強く感じた。第5楽章にないものがここにある。この終楽章、カンブルランの棒はいつになく珍しくも、といっては語弊があるかもしれないが、泣けてくるような天国棒。打点ポイントを殊更に示すことなく、少し震えつつ、にもかかわらず、読響のアンサンブルはパーフェクトにカンブルランの意をくんだものとなっていて、唖然茫然。お見事というほかない。メシアンのファイナル境地、極まれり。壮絶な演奏でした。

素数楽章数による構成は第6楽章に中心点があるといったものでもなくて、対称性といったものから解放されており、また、トゥーランガリラの様な節目楽章、楽章の束などとも違う。全体的なフレーム感は殊更意識するものではなくて響きの親近性や自由さを聴いていけばいいような具合ですね。配列も最後のメシアン境地で自由。
副題のうち、1,4,6,7,11楽章は黙示録からのもの。

何しろ演奏が素晴らしかった。精緻で最上のアンサンブル。音色バランスが整っていて、極上のパフォーマンス。これがあればこそ作品の真の姿が見えてくる。カンブルランがオーケストラに移植したメシアン極意、本当にエポックメイキングな演奏!、天国のメシアンも蓋が開くぐらい喜んでいるに違いない。
鳥の声の同一変速拍子振りの繰り返しは、かぶりつきで見れば氷解のほれぼれする棒さばき。
分散したストリングのバランスは耳、命の、もはや、均整という言葉では言い得ないお見事さで、かぶりつきで聴く最上バランスは極上ウィスキーのその上澄みを一口含むときの味わい。
第6楽章の咆哮はCDからではなかなか全容が分かりにくいものだが、実演生聴きだと、音が奥にひずんだようなCDサウンドとはまるで違う、生のオーケストラサウンドを聴く醍醐味。

カンブルランの演奏はCDで出ているSWRsoとのものも今日の読響の演奏も、同じくオーソリティ指揮者ミュンフンチュン&バスティーユ、ラトル&ベルリンフィルなどと比べると全体で15分前後ゆっくりしたもので。だいたい60分越えちょこっとあたりの演奏が常識的なテンポといったCD群とは完全に一線を画している。
思い入れの深さ強さということもあろうがそういったことではなかなか推し量れない。今日、カンブルランの解釈を聴いて、2年ほど前、同オケを振った際のアイヴスの答えのない質問、あの異常なテンポ、他演奏と比較して軒並み2倍かかった演奏でしたけれども、あれがオウヴァーラップ。彼はひとつの長いフレージングをプレイする時、最初の一音から最後が見えている。一つの束の扱いに長けている。一つのフレーズの全体イメージを持続させることに長けている。響きを実感しながら、オケバランスを長時間にわたり均整のとれたものに出来る耳を持っているのだと。これだけのテンポ設定をしても崩れないし、聴いているほうはなんら違和感がない。あのテンポ設定は彼一流の、作品表現の一つの方法であって、この進め方が表現のテンションを高めながら演奏行為をさせていくための一つの手段になっている。
現音オーソリティの因数分解は、複雑トリッキーで短いオタマだらけのものも、メシアンの様な作品でも、同じく答えを出せる平衡バランス極意棒なんだと、まぁ、色々と皮膚感覚的な受け身聴衆ですけれども、オンリー現場での味わいはこのようなところです。
スーパーパフォーマンス、ありがとうございました。

次、またまた、大作が待ち構えていますね。
おわり

PS
このあとサントリーホールは2月6日から8月末まで改修工事の為、閉鎖される。どのような音になることやら。


2268- マルティヌー、フサ、ブラコン、バラーティ、下野、N響、2017.1.29

2017-01-29 20:28:33 | コンサート

2017年1月29日(日) 3:00pm NHKホール

マルティヌー リディツェへの追憶  11′

フサ プラハ1968年のための音楽 (管弦楽版1969)  6′8′4+8′

Int

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調  23′9+8′
  ヴァイオリン、クリストフ・バラーティ
(encore)
イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番第4楽章 3′

下野竜也 指揮 NHK交響楽団

ブラームスの光沢が目の前にせまってくる。落ち着きのあるブラームス。
バラーティのアタックの切れ味の鋭さはみずみずしくて自然。天性の技のように聴こえてくる。弾きはじめにキュッと音が束に盛り上がりすーといく。このキュッがまるで水の中で弾いているような音。これが次々とつながっていく。研ぎ澄まされた美しさです。
N響の織りなすような折り目正しく几帳面な音作り、バラーティの進行によく合いますね。素晴らしいサポート。時折みせるブラームス的強奏は迫力ものだが、飽くまでも協奏、サポートしている感がよくわかる。双方の音楽的な歌い込みが一致している、リハでの意思疎通がまんべんなく行われているであろうし、ハイレベルでの融合がよくわかるものである。
こういったレベルで進めるプレイは、作品の演奏価値を大いに高める。

第1楽章のソナタは目いっぱい長いものだが、作品の凝縮度が高くてあっという間の出来事。しっかりした構造物。さすがのブラームスですね。クリスタルな美しさの中、オケが結構大胆に鳴るのはヴァイオリンを邪魔していないとはいえ、下野の三拍子振りはやや目障りで煩わしさがある。その反映としてのオケサウンドというところがある。前半プロの指揮振りの余波があるのかもしれない。
この日のプログラムビルディングは前半後半まるで違うもので、違和感のあるプログラムだが、前半後半全然関係ないよっていう開き直り感の、コンチェルト後半置きだと思うので、これはこれでいいとは思う。気持ちの切り替え。そうであればこそ後半ブラームスの指揮に落ち着きがもうすこし欲しいところもある。
いずれにしてもこの楽章、高濃度、高精度、表現の一致、総じてハイレベルが三枚ほど上のビューティフル演奏でした。ため息が出ます。
アダージョ楽章、オケは几帳面さのなかに割とソリスティックな趣きもあったりして味わい深い。指揮者が客演であれば、ちょっと自由度あげてみようかな、的な面白みもありますね。相応な技量に裏打ちされているからという話。室内楽のようなアンサンブル。
高音から舞い降りてくるバラーティ、音価レングスとピッチの正確性。精度の高い演奏。ジャスト・ブラームス。
終楽章は下野第1楽章のせわしない3拍子振りが、ここではエネルギッシュな2拍子にそのままトランスファー。N響は忙しい曲でも埃っぽくならない精度の演奏が出来るオケですし、迫力あるオケサウンド、ブラームスの醍醐味。バラーティは全くぶれない弾き。
このホールはヴァイオリンのソロには厳しいバカでかさで、かぶりつき席でも結構音が拡散してしまう。一番いいところが客席に届く前に立ち消えになる粗悪さが勝る。めげずに弾くプレイヤーたちは大したもんです。
アンコールのイザイ、バラーティの音は一段と大きくなり、なめし皮のようにしなるうなる。渾身のアンコール。弾き終わって、ほっと、こちらを凝視!
コンセントレーション、すごいもんだわ。

前半のマルティヌー、フサ。
絶望が支配した曲で暗い。十分に脳裏に刻み込まれなければならない歴史。その音楽的表現はやや恣意的で長め。
いつもとはまるで異なるマルティヌー作品。綿々としたストリングの流れ。涙雨。それでも足りない。ブラスの高まり。作品の内容に呼応するかのように下野棒は十分にスロー。かなりスロー。こういったやりかたは生演奏でこそできると大いなる説得力。共感の棒ですね。ぶ厚いマルティヌー、聴きなれたマルティヌー作品とは別の顔。
どれだけ脳裏に刻まれるか、副題が無くても。
フサの作品も同列。チェコ・フィルのチェコサウンドそのものといった感がある。ピュアでにぶく進行するサウンドは空虚さとややクラスター風味が混ざり合う。暗い曲だがブラバン的な響きを堪能できる。終楽章はスメタナのわが祖国ブラニークそのままのような気もするが。
作曲者が怒りのインスパイア、オケ版のほうが、隙間が無くて充実している。下野棒は第1楽章から最後までの盛り上げが良い。見通しが最初からできている感じ。
この2曲、前半に置いたのは正解でしたね。
おわり





2267- コリリアーノ、サーカス・マキシマス、シズオZクワハラ、東京佼成WO、2017.1.28

2017-01-28 21:49:00 | コンサート

2017年1月28日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

コリリアーノ 交響曲第3番 サーカス・マキシマス 39′

Int

レスピーギ(伊藤康英 編) リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲 3′8′3′4′

レスピーギ(鈴木英史 編) ローマの松  3+8+7+5′


シズオ・Z・クワハラ 指揮
東京佼成ウィンドオーケストラ
航空自衛隊航空中央音楽隊(サーカス・マキシマス)


昔、四半世紀にわたり、ロジンスキー、ワルター、ストコフスキー、ミトロプーロス、バーンスタインのもと連日連夜、ニューヨーク・フィルのコンマスとして弾きまくっていたお父さん、その息子さんの作品は割とよく聴いていますが、これほど破天荒な曲は知らない。エポックメイキングなアフタヌーンとなりました。

ナクソスから出ているテキサス大学のウィンド・アンサンブルの音源が唯一の手掛かり。このCDのブックレットには配置の絵が載っていて、ステージバンド、サラウンドバンド、マーチングバンド、そして、ファーストチア、セカンドチア、サードチア、その上のバルコニー席、各インストゥルメントの配置絵まで書いてある。
(紹介ブログ)
840- サーカス・マキシマス コリリアーノ

今日は芸劇の3階席右寄りで眺めましたけれども、同じような配置とは思われましたが、3階でも全部を見渡すのはなかなか難しい。指揮者のいるポーディアムのところが一番眺めがいいに違いない。

ナクソスのCDは良好な音ですが、やっぱり生の迫力はものすごかったし、音楽的な説得力もすごいもんですね。

このシンフォニーの副題サーカス・マキシマス、今日は血なまぐさくないイヴェント会場のことだけ取りあえず想像したいと思います。
が、
最近の演奏会は副題をつけるのが流行っていて、この演奏会も御多分に漏れず、「いにしえのローマに魅せられて」、
ちょっと違うんじゃないか、というか、イマジネーションを枠組みの中にはめてしまう。こうゆうやりかたは是非やめてほしいものです。
コリリアーノの曲自体は、昔のイヴェント会場と現代の喧騒を綯い交ぜにしたところにポイントがあるように思われるので、昔の良き部分のメモリーに魅せられていただけでは片手落ち的な感じがある。

それで、曲はスケール大きく、まず、このホールにピッタリと思う。サラウンド配置は客席に客を必要以上に埋めることをしていなくて、空席を多めに取りプレイヤーたちが十分に演奏に集中できるようにしてある。納得のセッティングです。
不安定感を作為的に前面に出したようなファンファーレ、イントロ。不協和音の強調、トーンクラスター風味の塊進行、マーチングバンドの出現、メランコリックな祈りからやや予定調和的なエンディングまで、いろんなものが出てくる。

イントロのファンファーレのような音楽は最初から不安定感をいざなう。イヴェント会場のキャパを誇示するような響きの饗宴は素晴らしい。ホール感が出ていて最初から最高。
次のscreen/sirenのsirenというのは、いわゆるセイレーンなのかサイレンのことなのか判然としない。2階席(ファーストチア)レフトサイドに陣取ったサックス群を中心に音楽が進む。ユニークですね。音デカい。筋のように進行。これにブラスが絡まり、
Channel surfingで音楽は雑然としてくる。日本のテレビは天気予報番組が多すぎて辟易。天気が始まったらチャネル・サーファーになるのですけれど、そういうことをあれこれと多くの人間たちがあちこちでサーフィングすると、ひとつの塊が出来るのであろうか。ここでTKMOの腕に唖然。地響きするサウンド。見事な立体感。パースペクティヴな沸き立ち感。血が騒ぐ。
混沌から一変して、night musicⅠ、Ⅱへ。
Ⅰはさながら真夜中のセントラルパーク、静かに動き回るアニマルたち。進みそうで進みにくい金縛り的トーンクラスター風味の世界へ。この豊かな響きはくだんのCDからは決して得られない。クワハラさんの棒は冴えわたるクラスター指使い。お見事。
Ⅱはナイトミュージックと言いつつ現代の眠らない喧騒がジャジーに出てくる。ここは次のクライマックス、サーカス・マキシマスへの導入のような感じ。
その破天荒なクライマックス、聴き応え見ごたえ満点。オンステージ、ホールフル活用のサラウンド配置、そして1階席をマーチングバンドが歩き回る。
あっという間の出来事だったが、なんだかとっても長い時間に感じた。座席であちこちきょろきょろ見ながら身を乗り出して聴く面白さ。
次の祈り、これこそコリリアーノ音楽のクライマックスとでも言いたげな渾身のクワハラ振り、たっぷりと情感を込めてコリリアーノのフレームを作っていく。ここで音楽が一段と大きくなる。スバラシイ。
そのままフィナーレで最初のシーンが回帰され、斜め45度にかまえた銃とともにパワフルな音楽は究極のサウンドでフィニッシュ。
固まったクワハラ、動かない。すばらしいシーン。
ほっと、一息。
そして、なにやらもう一回デカい音。

40分におよぶ圧倒的なコリリアーノ。そのコリリアーノ節は随所にあれど、祈りでの音楽的感興はやっぱり凄烈な精度で大満足。
佼成ウィンドオーケストラは大迫力でそれにもまして音がきれい。きれいすぎる。この音にしてこのアンサンブル。これにも唖然茫然。この団体あってのパーフェクト・コリリアーノであったと思う。ありがとうございました。

この作品演奏、クレジットがありませんので、日本初演は済ませてあるということなのでしょう。

ところで、コリリアーノのCDは数あれど、過去ブログから2点ほど。
747- ジョン・コリリアーノ&ボブ・ディラン
0025-  ジョン・コリリアーノの息子はジョン・コリリアーノ

0025-のほうのオケは今年来日します。

あと、コリリアーノご本人が登場した演奏会もありましたね。
1369- コリリアーノ、音楽に寄せて、レッドヴァイオリン、グルーバー、フランケンシュタイン!! 読響、下野、2012.6.23


それからシャーマーミュージックの紹介サイト。
(シャーマーはご近所にあって、昔、よく行きました。スコアや音楽雑誌をたくさんおいてましたね)

コリリアーノの作品一覧

以上、コリリアーノ


後半のレスピーギもの。
まず、一言で言うと、全日本吹コンもツワモノ自衛隊も、勝てないだろう、このきれいなサウンドには、てな具合。

後半1曲目の舞曲とアリア、こだわりの編曲と思いますが、すばらしい色合いのハーモニー、オレンジ色で厚みがあって滔々と流れていく美しさの極みの演奏。ウィンドアンサンブルの極致で堪能しました。美しすぎる演奏。
2曲目のローマの松、終曲のアッピア街道はブラバン的には昔出尽くした感もある中、あらためて、エスカレーターのようなソノリティーが滑らかで美しい、ブラスセクションの登りつめるさまも圧倒的。
まぁ、音色の美しさと言ったら、ボルゲーゼ、カタコンブ、ジャニコロ、松なのか春盛りのお花たくさんなのかわからなくなる。華やかさと静謐さ、幅のある表現。なにもかにもお見事の一言に尽きる。この透明感はしばらく忘れられない。
夢の中にいるようなすばらしいコンサートでした。ありがとうございました。
おわり


2266- ブルックナー9番、佐渡裕、東フィル、2017.1.27

2017-01-27 23:13:59 | コンサート

2017年1月27日(金) 7:00pm サントリー

武満徹 セレモニアル 笙とオーケストラのための  9′
  笙、宮田まゆみ

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調 (ノヴァーク版) 24′10′23′

佐渡裕 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(elapsed time of ab)
1st mvt. Ex3-4-3 de7 re5 co2     24′
2nd mvt. sc4 tr2 sc4           10′
3rd mvt. A4 B4 A5 AB7 co3        23′


テンポ設定がいいのと、そのリズム感で移っていく次の主題の流れが全く自然、この呼吸の流れが自然に次に受け継がれていく。オーケストラが最初から最後までブルックナーの流れをつかんでいた演奏で、指揮者とのシンクロが良好。ズシーンのシのあたりで全楽器が揃い気持ちの良いブルックナーサウンド。オケが共感して演奏できている響きは美しいもの、秀逸演奏で存分に楽しめました。佐渡さんの境地は深いものと思いました。

パウゼはもともと少なくて主題間の経過句が比較的長く、主張が大いにある曲で、その主題間の隙間は音で埋めていく。経過句のテンポは崩さず、前主題から覆いかぶさるように進むので流れが良くて、このやにっこいニ短調作品が横広、流麗な流れとなっている。佐渡さんの2拍子振りは長身痩躯、迫力あり。全く理にかなった振りだと思った。プレイヤーの音楽的呼吸とよく合いますね。お見事な棒です。
そのオーケストラには芯があり、白光りするチリチリした響き。縦に切り込むより前進性にウエイトを置く流れは何やら太陽光が横に光っているようでもありたまにまぶしくなる。ブルックナー堪能。
こうゆうブルックナーを聴いていたし、今聴きたいのもこれ、そういう実感。

第1楽章の主題バランスは最高に良くて、パッセージを崩さないということもあるし、何よりも呼吸が良くて、3主題の吐息が自然で見事にバランスしていました。主題通り進む展開部は丘の広いくぼみの様でもあり落ち着きがある。ここでも前からの流れをつかんでいるオケの自然な呼吸を感じる。全く妥当なポイントでの出がつながっていく。見事なコーダ帰結まであっという間に終わる。うなる。
次のスケルツォは非常に快活、トリオのテンポはスケルツォを上回る勢い。結果、超締まった演奏で、ブルックナーの指示が眼前に浮かぶようなお見事さ。この楽章、曲を締めました。オケの技量を見ました。
アダージョ楽章はここも流れが自然、殊更、変なロマンチックな情で物事を運ぶことはしない。第1楽章と同じスタイルで、主題バランスがいい。進むにつれてより味わいが深くなる。流れを感じさせつつ深さを想わせる。もはや佐渡棒の自然体の境地は深いものだろうとここでも思う。派手なテヌートはしない、テンポ設定が妥当で、構造バランスに長けた演奏。当然のようにすっと終わる。フィナーレ楽章があってしかるべきと納得させてくれましたよ。
指揮、オーケストラ、呼吸が一致したお見事な演奏でブルックナーの息吹を感じました。
ありがとうございました。

1曲目の武満作品は昨年2016.6.12、準・メルクル、国立音大の第九の前プロで一度聴きました。同じような印象です。
なにやら儀式みたいな感じ。笙は曲の頭と最後にソロで。途中のオケの響きが魅力的ですね。ウィンドを客席三方に散らし臨場感を出した演奏でした。
佐渡さんは武満に共感を持つようになった旨ありました。響きをつかんだいい演奏でした。
おわり


2265- オール・タケミツ・プログラム、井上道義、新日フィル、2017.1.26

2017-01-26 23:41:30 | コンサート

2017年1月26日(木) 7:00-9:20pm サントリー

シャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」  10′(歌3、マック杉崎+MIトーク7)
   蓄音機による再生


<オール・タケミツ・プログラム>

死んだ男の残したものは (1965-山下康介 編曲) 10′(歌6、大竹+MIトーク4)
   歌、大竹しのぶ オーケストラ(*)

二つのレント(抜粋) (1950)  4′(演2、MIトーク2)
   ピアノ、木村かをり

リタニ - マイケル・ヴァイナーの追憶に (1989) 9′
   ピアノ、木村かをり

トーク 武満真樹、MI   8′

弦楽のためのレクイエム (1957)  8′
   オーケストラ(*)

グリーン (1967)   8′(演6、MIトーク2)
   オーケストラ(*)

Int

カトレーン(オーケストラ版) (1975)   19′(MIトーク5、演14)
   ピアノ、木村かをり、
   ヴァイオリン、崔文洙
   クラリネット、重松希巳江
   チェロ、富岡廉太郎
   オーケストラ(*) + ギター、大萩康司

鳥は星形の庭に降りる (1977)   17′(MIトーク5、演12)
   オーケストラ(*)

3つの映画音楽、より2曲 (編曲1995)
 訓練と休息の音楽-「ホゼー・トレス」より(1959)  7′(MIトーク2、演5)
 ワルツ-「他人の顔」より(1966)  2′
   オーケストラ(*)

以上、
井上道義 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 (*編成は以下)

*曲ごとのオーケストラ編成


素晴らしい企画ものでした。
井上さんの軽妙洒脱なトーク、ご自分ではもっともっとしゃべりたいところ、時間の制約もあるので短めに。
マック杉崎さん、大竹しのぶさん、木村かをりさん、他、多彩な顔ぶれで色々と楽しませてもらいました。

1曲目に置かれたシャンソンは武満が作曲を志すきっかけとなった歌。この曲だけ武満作品ではありませんがシンボリックな意味合いで頭に持ってきた。
井上さんのトークに始まり、蓄音機そのものからSPサウンドを出し、途中、置いてあったデカいラッパをマックさんと二人で持ってセット。会場に大きく鳴り渡るシャンソン。演奏会はこれで始まった。

最初の武満作品は、大竹しのぶさんが登場して、感涙の歌。大竹さんの集中度と感情移入は凄くてあっというまの落涙の歌となった。凄いですね。とっても歌いやすそうな音域を漂うソング、歌詞に気持ちが乗り移っている。かみしめる味わいです。
オーケストラの伴奏がまた良い。柔らかい味付けで歌に添う。シルキーなサウンドで流れて歌う、これまた最高。武満作品、かぶりつき席で聴くのがとってもいい気持ち。
死んだ男の残したものは、この作品、本来何番まであるのかわかりませんけれども内容の濃いものですね。歌詞とメロディーの一致。何度でもリピートして欲しい気もする。
大竹さんの話をまじえつつ、1曲だけとはと惜しみつつ、次の木村かをりさんのピアノソロへ。曲の経緯みたいなものはプログラムノートに譲るとして、レントは素材がそのまま転がっているような作風、リタニは複雑さが増すが、双方ともにこうゆう機会でもなければなかなか聴けないものだろう。

今度は真樹さんが登場、ちょっと想定していなかったのでびっくり。井上さんとのトークはまぁ、そこそこ面白い。何度もしゃべっているようなお話だったかと思いますけどね。
続いて、弦レク。もはや古典という感じ。ここでもオケサウンドがとても魅力的。柔らかいですね。真綿のような音は古典の味わいをさらに深めてくれます。井上さんの棒はこれまた良い、ここでの体を張ったアゴーギクはお見事。武満音楽がからだいっぱい表現、この一体感。振り慣れ、弾き慣れ、これらが良い方向に作用しています。かぶりつき席で聴く室内楽アンサンブルのような響きと膨らみ、最高。
前半はここで終わらず、もう1曲。グリーン。進化していく武満。

後半はカトレーンから開始。グリーンで膨らんだ編成はカトレーンでさらに多彩になる。メシアン作品のソリストを指揮台の周りに置き、バックにオーケストラ。デリケートなメシアン風味があり、誰の作品かちょっとわからなくなるところが時折ある。
鳥は星形、これは2年前にカンブルラン、読響で聴いた。(2015.2.13)
星形、5角形、これは井上さんのトークにもあったように、微妙に違う話のような気がするが、どちらをイメージすればいいのだろうか。5をキーワードに、音楽的な主題の対立でぶつかり合う西洋の音楽とは真逆の事、そこらへんにイメージのポイントを置く、聴く方もそのような理解が必須でしょうね。すこしずつわかりかけてきましたが。

井上さんのお話だと演奏会はここで終わり。次の2曲はアンコールだと思って聴いてくださいと。
ボクサーの音楽、そしてワルツ、映画はしりませんがタイトルだけで色々と伝わってくるものがあった。この2曲、のりましたね。
井上さんはワルツをさぁっと振り終え、聴衆席に振り向きフィニッシュ。快演!


井上さんの棒は時にアクションが濃くなるが、トークの流れでいくので自然。全く作為的なところがない。武満のスコアへのボヤキはすこしあったトーク、愛着ボヤキみたいなもので棒は共感越えのパーフェクトな振りと思いました。
あまりスマイルすることがなくて総じて真剣な眼差しの棒。作品と棒とオケ、それに聴衆、みんなが一体となったスバラシイ演奏会でした。

ハイレベルの演奏で、これだけ一気に武満作品を聴かされると、これまであまり進まなかった自分としても、もっと聴かせてくれとすこしずつながら思うようになりました。
メシアンとは作風は違いますが、こちらからのかじり具合がうまく出来そう。メシアン噛みのやりかたで聴いていきたいと思います。ありがとうございました。
おわり




 

 


2264- オベロン、チャイコフスキーVn協、イワノフ、グラズノフ5番、小泉和裕、都響、2017.1.23

2017-01-23 23:16:43 | コンサート

2017年1月23日(月) 7:00pm 東京文化会館

ウェーバー オベロン 序曲  9′

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調 18′6+10′
 ヴァイオリン、ヨシフ・イワノフ
(encore)
ヴィニアフスキー カプリース第4番  2′

Int

グラズノフ 交響曲第5番変ロ長調  11′5′9′8′

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


グラズノフは初生聴き。コンパクトな作品。
第1楽章は様式感があると思うが、そのようなことをあまり考えず流れるままに。息の長さが中途半端。主題のフシが混然としている。
第2楽章はスケルツォとトリオっぽいが、スケルツォと同じような軽快感。色合いが少し違うといったところ。
第3楽章は、ラフマニノフ風の綿々としたメロディー、息が少し短いと思うのは第1楽章と似ている。
第4楽章はロシア民族音楽風な流れ。ここでも息の長さが気になる。総じて中庸といったところか。
演奏のほうはウィンド風味に寄ったホルンで、それらとのハーモニーとアンサンブルで聴かせる。ブラスセクションの咆哮にホルンは欠けているように聴こえる。弦は深みが無い。全般に硬い音で、硬くて水準レベルであれば耳に明確に聴こえてくるので彫りが深くなくても相応なレベル感に聴こえる。ヨーロッパの聴衆はあまり好まないものと思う。
小泉棒は揺れる。晩年のカラヤンに自らをオウヴァーラップさせる自己陶酔的な昨今と強く感じる。長年折あらば聴いてきましたけれども、最近は特にその傾向が強いと思う。選曲をオーソドックスなものに集中させるのは、それはそれでいいとしても、棒にそれほどの充実を感じない。近くで観ているとよくわかる。
オーケストラは冷静な眼で見ていると思いますし、今の音楽監督の水準に達する努力をして答えを出すのが当然のあたりまえと思ってしかるべき。オケはやる気のモードがずれている気がする。

チャイコンを弾いたイワノフ、弦は丸いものだ、クリスタルな音色は接触部分の形状が目に浮かぶようで、鮮やかなきれいな音。冷静さの中に遠慮みたいなものが垣間見える時がある。
第2楽章の歌はオケと独奏者がそれぞれ別の歌を歌っているように聴こえる。リハーサルでの音楽的な意識合わせは無いと思う。指揮者がソリストのほうをまるで見ないのも気になる。

プログラム頭にドイツ物一つ入れて、いつも通りの5分遅れ入場、20分休憩と、ソリストのアンコール入れても、毎度改善大有りのタイムチャートによるショート・コンサート。
おわり


2263- オール・ベートーヴェン・プログラム、長富彩ピアノリサイタル、2017.1.22

2017-01-22 22:20:07 | リサイタル

2017年1月22日(日) 2:00pm リサイタルホール、東京オペラシティ

<オール・ベートーヴェン・プログラム>

ピアノソナタ第8番ハ短調 悲愴 10′6′5′
創作主題による32の変奏曲ハ短調  12′
ピアノソナタ第24番嬰ヘ短調 テレーゼ 7′2′
Int
バガテル エリーゼのためにイ短調  3′
ピアノソナタ第30番ホ長調  4′2′14′

(encore)
ベートーヴェン エコセーズ  3′
モーツァルト(ヴォロドス編) トルコ行進曲  3′

ピアノ、長富彩


昨年末に、ベトソナ悲愴、30番、32変のCDが発売されて、それやこれやで色々と。
お初で聴きます。

オール・ベートーヴェンのプログラムは作曲年次に並べられ、休憩は当初のものから変更となり、アウフタクトから始まる2曲を後半プロとする。

悲愴のアダージョ・カンタービレにはいつもなぜか憧憬のようなものを感じる。ベートーヴェンの憧憬の目です。過去から未来を見ているその間の時間に今いるベートーヴェンを感じる。作曲した頃の思いは分かりませんけれども、あれやこれやと想像を掻き立てさせてくれるベートーヴェン。このメロディーライン想像を越える美しさです。気持ちの安定が不可欠ですね。前後の楽章も筆舌に尽くし難いパーフェクト作品。
長富さんは曲想をつかんで自分のものとしてる。他の曲もそうですが作品の線を生き生きと表現。殊更叩くのではなくて、そういった激しさも自分のラインの中に入れている。全体像をつかんでいる表現だと強く感じます。音楽がつながっていく。あと、装飾音的なオタマの弾きに独特な切れ味があり、一つのアクセントになっているように思いました。
いずれにしても、ピアノの弦が見えるようなプレイ。

つながっていくということでは次の32変、滑らかに流れていく。テーマの右左入れ替えなどバランスが整っていて均整のとれた美しさを感じる。きれいに聴くことが出来ました。
ワルトシュタインと告別を感じますね。

ベトソナは後期になるほど、様式が自由になっていって、楽章バランスも長短のことはあまり頓着しないというか、様式はバックボーン的な色合いになっていて、なにか新しいものを目指すということよりも自由な空気を感じる。テレーゼもそうですね。優しく柔らかいプレイで、きめの細やかさ、さえています。思考は鋭角的かなと思いますね。長富さん。

後半のアウフタクトから始まる2曲。このアウフタクト解説はご本人執筆と明記されたプログラムノートからの受け売り。(失礼)
ところでこのプログラムノート、大変にわかりやすい。ポイントになることを時間の流れに沿って書いていて、また、作品の性格などについても的確にして必要十分。世の中のプログラム解説はこれを見習うべきと思います。わけのわからない作品をさらにわからなくさせるような解説は時として現代音楽系に多いわけですけれども、それはどうであれ、この解説の爪の垢を煎じて飲んでほしい、というぐらいわかりやすい。コンパクトな中に情報量も多いですよ。

ということで、後半、アウフタクトからのエリーゼのために。小ポーションでロマンチック満載。これがベートーヴェンの作なのかと思えるほどですけれども、彼の頭の中は何をどう思っていたのか知るすべもない。美しい作品。その作品に寄り添うように曲想を作り込んでいく長富さんのプレイは素敵です。

30番、これまた様式は自由で奔放な域。長富さんのピアノで終楽章の変奏曲のウエイトが十分に高い高い、よくわかりました。今まで持っていた30番のイメージがちょっと変わりました。といいますか、形が明確になりました。
29番のあとというよりもっと前に立ち戻ったような気持ち。29番は折り畳みのミシン目のように思えてきました。色々と考えさせてくれる演奏でした。CDももう一度聴いてみたいと思います。
アンコール2曲も佳演で満足したリサイタルでした。
ありがとうございました。
おわり





   








2262- ブルックナー8番、インキネン、日フィル、2017.1.21

2017-01-21 21:33:30 | コンサート

2017年1月21日(土) 2:00pm サントリー

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調 ノヴァーク版 17′16′27′26′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(elapsed time)
1st mvt. ex6 de5 re4 co2     17′
2nd mvt. Sc5 tr5 sc6       16′
3rd mvt. A6 B4 A4 B4 A5 Co4    27′
4th mvt. ex7 de9 re7 co3              26′


前日聴いた印象とほぼ同じ。
演奏時間は今日のほうが2分ほど短くなりました。二日目なのでこなれて滑らかになったからというのではなくて、このスローなインテンポ演奏にオケがギリギリの呼吸、インキネンの棒を待てるかどうか、待てなければ出る。少し前のめり。弦は縦に深く呼吸するような弾きこみをして揃えていくオーケストラがヨーロッパには多いですね、前のめりになりません。

スローテンポ進行。フィナーレ楽章のブラス、特に展開部での伸ばし切るブラスセクションの息の長い吹奏などは圧巻ですね。オーケストラサウンドを聴く醍醐味、満喫。
一瞬、指揮者は弦とブラスを同じ扱いにしていると感じました。ゆがみのない構築物をたてようとしている、そういった解釈と思います。

パルジファルの聖金曜日を導入するティンパニによる5個の打撃、このカタルシスに浸るまで4時間ほどかかるわけですが、その4時間を指揮者はどのように演奏してここまでもってくるか、聴いているほうも同じくどうもちこたえるのか。8番の静止画像解釈は色々とオーヴァーラップします。
それまで動きが無ければカタルシス効果は一段と大きくなるかもしれない。作品の形を作るにはどこかでカオスを作らなければならないというフルヴェンの方針系もありますね。どちらがどうという話ではないが、ワーグナー振りでもあるインキネンのパルを聴いてみたい気もします。これまで振ったことがあるのかどうかわかりませんが、リングに焦点を当てて振っている今、構成へのウエイトが高い指揮者だとは思いますしね、パルはもう少し先のような気もしますけれども。

このブルックナー解釈の起承転結、どこにあるのだろうか。先々が楽しみです。
おわり


2261- ブルックナー8番、インキネン、日フィル、2017.1.20

2017-01-20 23:39:06 | コンサート

2017年1月20日(金) 7:00pm サントリー

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調 ノヴァーク版 18′16′29′25′

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(elapsed time)
1st mvt. ex6 de5 re5 co2     18′
2nd mvt. sc6 tr4 sc6       16′
3rd mvt. A6 B4 A4 B5 A6 Co4    29′
4th mvt. ex6 de9 re7 co3            25′


頭の主題のテンポが最後まで全部を覆う。この主題のテンポ感は通常の運びと思うがこのまま最後までいく、フィナーレ再現部の3つ目の主題はコーダモードの鳴りになるのでさてどうなるかと耳をすませばここも頭のテンポがそのまま継続、結局コーダもこのまま押し切った。結果、90分におよぶ静止画像のようなもので、ぶれない音作りがひとつのブルックナー像を作り上げたという話ですね。この8番の造形はお見事、静止する巨大構築物が出来上がりました。もう10分かかるようならチェリビダッケの世界にはまり込む様相を呈するかと思いきや、インキネン方針はディテールに光をあてるやり方というよりも、飽くまでも全体バランスに目配り。ブルックナー音楽の進め方を魅せてくれました。
若いインキネンがこのようなブルックナー解釈をするとは驚きですけれども、作品の素晴らしさを今更ながら再認識できた。作品ファーストの立ち向かいですね、これは振るほうも、ましてや聴くほうも立ち止まり一考するに値する。演奏の出来っこ比べをやっていてもしょうがねぇだろうという感じ。

尋常ならざるスーパー・インテンポ。ブルックナーのフォルムが出来ていく。8番は流れていく音楽でもなくて、アメリカ摩天楼ではなくヨーロッパ横広な建築物が構築されていく様を見ているような臨場感。横長の直方体建屋が出来上がりました。スバラシイ創造。
両端ソナタ楽章のブラスセクションをメインにすえた第3主題が律動主体ではなく、スーパー・インテンポで押し切ることにより作品はより強固になる。最高峰の作品と実感。
そして耳を傾けるべきはフィナーレコーダでの主要主題の同時出現があのテンポで出てくる、圧巻です。形式音楽の織りなすアヤ、オーケストラ作品を聴く醍醐味です。

第1楽章。モロに短調ワールドなれども、このオーケストラ独特の柔らかいサウンドが暗さをマイルドにする。聴きやすさ、これが前に出てきます。ささくれ立つことのないブラスの咆哮、1拍目のオタマ四分の一ほど進んだあたりのところに力点があってそこにザッツが揃うような具合で人工味ではない自然な呼吸を感じさせてくれます。また、ソリスティックな出でのホルンはきっちりと出てくる。ちょっと早めの入りと思えるぐらいですけれども、信号ですから、このやりかたは作品に適している。弦の押しはナチュラルでオタマ四分の一めざしてズッシーン、生きた演奏です。それやこれや、インキネンのなせる技とオーケストラの伝統サウンドが綯い交ぜになった、息の合った表現で演奏が進んでいく。
提示部3主題ほぼ同速、そのまま展開部へ、主題絡み合いというよりも順番に陳列されていく雰囲気の中、インテンポで音色変化、ダイナミック濃淡、色々なフレーバーで聴かせてくれる。今流行りのこととは逆のことをしている。こちらが真実だろう。真実の展開部。
同じやり方で再現部も進める。ぶれないテンポで出し入れしてくれる表現の多様性を感じます。まぁ、あっというまにこの楽章は終わる。

スケルツォ楽章。この楽章は次のアダージョ楽章の先取り感が濃厚です。動きはまるで違いますけれどもメロディーラインはよく似ていますね。と言ったあたりの事に気づかせてくれる。チェロやベースが雄弁に語るからかもしれない。これらアンサンブルはふくよかで美しいラインですね。ここでもオーケストラの柔らかい響きが心地よい。

アダージョ楽章。AからBへの推移にテンポ変化は殆どつけない。ブルックナーの滑らかな呼吸、深い呼吸にオケのさらなるビルドアップが望まれますが、緊張の緒が切れないでABABACとつながっていくさまは美しいもの。コーダのあたりでブルックナーもため息が漏れたかもしれない。

フィナーレ楽章。両端楽章はモロにソナタで両方ともに目立つ主題間経過句、速度変化の味付けをせずに色を付けていく。これはインキネンの技かと思います。
悠然としたテンポ、さすがにブラスセクションには堪えるのだろう。第1,3主題での吹奏には息は切れずともぶれは出てきますね。演奏回数を重ねるごとに揃ってくるような話ではあるかと思いますが。
ということで、最初のテンポをコーダまで貫き通したコーダでの全主題ヴェール脱ぎ、悠揚迫らざる音作りで、感動の音圧。

インキネンはパルジファルを先に見据えていると思われます。


オケ配置は対向16型、ホルンとワグナーチューバがユニーク。かみてに2列。聴衆に近い方から1234番、1番アシはさらに聴衆よりに。
この配置だとアサガオは聴衆向きにならないのでプリンシパルさん外側で響きが広がりますね。正解と思います。
おわり

 


2260- カルメン、初台、アベル、東響、2017.1.19

2017-01-19 23:58:41 | オペラ

2017年1月19日(木) 6:30-10:20pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場プレゼンツ
ビゼー作曲
鵜山仁 リヴァイヴァル・プロダクション
カルメン

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1.モラレス、星野淳(Br)
2.ミカエラ、砂川涼子(S)
3.スニガ、妻屋秀和(Bs)
4.ドン・ホセ、マッシモ・ジョルダーノ(T)
5.カルメン、エレーナ・マクシモワ(Ms)

6.エスカミーリョ、ガボール・ブレッツ(Br)
7-1.フラスキータ、日比野幸(S)
7-2.メルセデス、金子美香(Ms)
8-1.ダンカイロ、北川辰彦(BsBr)
8-2.レメンダード、村上公太(T)

児童合唱、TOKYO FM 少年合唱団
イヴ・アベル 指揮 東京交響楽団、新国立合唱団&バレエ団

(duration)
Prelude 3′
ActⅠ 48′
Int
Interlude 2′
ActⅡ 40′
Int
Interlude to scene1 3′
ActⅢscene1 37′
Short brief 2′
Interlude to scene2 3′
ActⅢScene2 18′

カルメン、今シーズンのプレミエナイト。
この演目は何度も出されていて、今シーズンで7度目。鵜山さんの演出は4回目になりますね。舞台は全幕同じ形状。色々と工夫しているようではあります。

1幕2幕は緊張感の薄いオペラで、ひたすらメロディアスな、溢れるメロディーで聴かせる。大したもんです。初日のせいか、つながりが少しぎこちない。間が出来てしまう感じ。一気に聴かせるスタイルが欲しいところです。これらメロディー、必ず出てくるものですから、出し惜しみするような演奏ではなくどんどん前のめりな流れでいいと思いますけどね。

3幕1場2場。ここでグッと張りが出てくる。それまでの軽い感じから180度方向転換。突然のシリアス感が漂うので、舞台はもうひと工夫要る。それと棒も。

全体的にちょっと緩んだ舞台でした。圧縮前進の棒でいける人必要かもしれません。

カルメンのマクシモアはピュアな歌。えぐるようなところがありません。昨年、ウェルテルでシャルロッテを歌ったお方。
ジョルダーノは舞台が進むにつれて熱がこもってきて、ホセの熱、しつこさ、よく出ていた大熱演でした。花の歌あたりより3幕の力感が圧倒的。
カルメンが弱くて、ホセが強すぎる、そういった感じがありますね。カルメンは自由勝手気ままかもしれないけれども死をも恐れぬものだから、男の執念なんて女の気ままにはチリみたいなもん。そこらあたりのことは最後、やっぱり凄い演目と屈服。

合唱は高性能、散らばったポジションで歌うシーンが多いが、慣れている感じ。
少年合唱団はそうとう厳しい。

伴奏の東響はしなやかに歌うチェロが美しい。それと室内楽的なアンサンブルでみせる高性能な響きが魅力的。歌に添うかどうかはアベルの棒しだい。
おわり




2259- メシアン、矢代、シュミット、小菅、秋山、東響

2017-01-14 21:23:06 | コンサート

2017年1月14日(土) 6:00pm サントリー

メシアン 忘れられた捧げもの  11′

矢代秋雄 ピアノ協奏曲  13′8′7′
 ピアノ、小菅優
(encore)
メシアン 前奏曲集から 鳩   2′

Int

フローラン・シュミット バレエ音楽 サロメの悲劇  9+4′、15′

秋山和慶 指揮 東京交響楽団


眠気の正月モードなど別世界の出来事のような結構すごいプログラムと演奏でした。

矢代のピアノコンチェルトは古くて新しい。
小菅さんのピアノ、昨年聴いたベトソナ選集のリサイタル、それにリンドベルイのコンチェルト第2番、ともに圧倒的快演。矢代の作品はそれらを綯い交ぜにしたような自由で高濃度、それに技のポテンシャルも高いベートーヴェンを感じさせてくれる。小菅さんが聴かせてくれましたね、難解極まるような指使いのように見えますが、技術的な余裕が先か心の余裕が先か、両方ですね。こんな感じだから先を見越しての余裕のプレイ、ヘヴィーで渋いコンチェルトものともせずの唖然とする美演でした。切れ味鋭くど真ん中全身の演奏ですね。毎度のことながらうなるしかない。
小菅さんのピアノはベトソナに良くマッチしている。様式が肌に合うのか、作品のスタイルがよくフィットしているのか、ややドライで冷静な目を感じる。矢代作品も同じような方針で進める。この作品の10年以上前に書かれたシンフォニーのガチガチ形式感からそうとうに進んだコンチェルトで自由さが存分に出ている曲想がちりばめられており、小菅さんの正確な筆の運びで硬派な自由さ加減が良く表現されておりました。特に中間楽章のぶれない雄弁なハ音、正確ですね。ここではやや柔らかい表現が見られたのが印象的。素敵でした。終楽章の咆哮はピアノ、それに伴奏のオケともに圧倒的にクリアな音さばき、ものすごい立体感。亀の甲羅のような矢代音楽が姿を現しました。出色の演奏。

1曲目のメシアンは若い作品、特に強奏部分でのはじけ具合は、まぁ、後でなら決してしないような過去からのエコーが垣間見えるような具合で、ここは眼を閉じて聴く。
厚くて透明、クリアなストリング、オケの響きが魅惑的。

後半プロ、シュミットのサロメは大編成オケ用に編曲された5ピース版。吹奏楽的な響きが独特。全日本吹コンのど真ん中で聴いているような圧倒的パワー、フルパワーでそそり立つオケ技量に唖然。しなやかでウエット、ふくよかな弦も魅力的。まぁ、派手にのたうち回るサロメといったところか。

秋山さんは立体感のあるオケサウンドを割と素朴な振りで出したコクのあるフレーバー風味。意欲的なプログラム、納得の演奏でした。
おわり


2258- スカルラッティ、武満、ベートーヴェン32、ショパン24前、河村尚子、2017.1.13

2017-01-13 23:12:23 | リサイタル

2017年1月13日(金) ヤマハホール、銀座

スカルラッティ ソナタ変ホ長調K.253、ヘ長調K.17、イ短調K.3  5′3′4′
武満徹 雨の樹素描Ⅱ オリヴィエ・メシアンの追憶に  4′
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第32番ハ短調Op.111 9+15′
Int
ショパン 24の前奏曲Op.28  15′24′
(encore)
モーツァルト ピアノ・ソナタ第12番K.332 第2楽章  5′

ピアノ、河村尚子


全体的な印象としては、ショパンが圧倒的な構成感、ベートーヴェンにヘヴィーな幻想感。真逆ありかなという気はしますが、率直な印象です。

プログラム冊子にご本人のメッセージが1枚はさんであって、ごつごつと角の多いベートーヴェンの音楽を遠回しに避けていた、最近はしつこいほどエッジのきいた音楽に共感できるようになった。とある。

30番31番32番、一番重い開始は最後の32番でモロに短調だなぁという感じ、よりによってといってはなんですが、河村さんが選んだのはこの作品。重い開始の響きを一音聴いただけで、もう、立ち向かうか、避けるか、気持ちの選択をどちらかに決めろと言われたような気になる。
エッジがかかったというより神懸かった演奏、ベートーヴェンのソナタの形式が昇華していきついた先の湯気の出るような幻想感。ベートーヴェンと一体化した作品演奏。彼が人前で演奏しいたらこうなっていたかもしれない、望んでいたかもしれない。河村さん弾くベートーヴェンには、そのベートーヴェンを感じた。凄い作曲家だったとあらためて思わせてくれた。パーフェクトな様式の先にあるものがなんなのか、うっすらと感じることが出来た。響きの連鎖、パッセージが次々とつながっていくさまは見事というほかない。そして呼吸。息をしながら山を作りながら音楽が連続していく。スバラシイ。

そして後半のショパン。大変にメリハリのきいたもの、24調が滑らかにつながる、滑らかなんだがきっちりと次の調へ推移する河村さんの腕の切れ味。凄いもんです。新しい調で次が展開されると前のピースを思い出す、このイメージが自然に出てくる。きっと強い構成感を意識したプレイのせいなのだろう。そしてこういったアトモスフィアが、進むにつれて累積されていく。聴き手の気持ちの累積のようなものなのかもしれないが、要はこのような様式の音楽の独特な盛り上がりをジワジワ感じることになる。何か建築物が一つ出来上がったような聴後感。山を越えたような達成感。ベートーヴェンに感じた湯煙の世界とはだいぶ違った。

このホールはピアノを持て余すというか、大きな響きを芯をもってとらえられないフヤフヤ感を少し感じる(2階)。傾向としてはサントリーホールと似ている気がする。ヤマハのほうがキャパが無い分、マイナス印象も少ないというところはある。河村さんは冴えた技巧をことさら前面に出すことがまるで無い。自然です。鋭角的な響きが山谷を作るように蛇腹につながって音楽が出来上がっていくさまは圧倒的です。響きが拡散的になるホールだと思いますが、河村さんのコンセントレーションに、そのようなことも忘れました。
すばらしいリサイタル、ありがとうございました。
おわり




2257- 答えのない質問、不安の時代、市民ファンファーレ、ウエストサイド、江口、ステーン、新日フィル、2017.1.13

2017-01-13 22:52:03 | コンサート

2017年1月13日(金) 2:00pm トリフォニー

アイヴズ 答えのない質問  7′

バーンスタイン 交響曲第2番 不安の時代 17′19′
 ピアノ、江口玲
(encore)
ガーシュウィン ブルー・ララバイ 2′

Int

コープランド ファンフェア・フォ・ザ・コモン・メン  3′

バーンスタイン ウエストサイド・ストーリーより シンフォニック・ダンス 24′

(encore)
ストラヴィンスキー サーカス・ポルカ 4′

ヤク・ファン・ステーン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


アメリカものをずらっと並べたプログラム、壮観です。
オランダの指揮者ステーンお初で聴きます。大柄でエネルギッシュな棒。金曜午後2時開演で、3階席はほぼうまっているものの、2階は3割ほど、1階は5割弱の入り。ものともせずに精力的でさえた棒。プログラムビルディングの見事さが光ります。

シリアスな音楽のモードは前半プログラム。この日のメインは明らかに、バーンスタインの不安の時代。演奏会全体としてはウエストサイドを後半に置くと座りが良くなるといったところか。

1曲目の答えのない質問。2015年に聴いたカンブルラン&読響に続きまたこうやって聴くことが出来るのは望外の幸せ。
正面後方、オルガンレヴェルの左側にフルート4名、右側トランペットソロ。トランペットはオルガン方向に横向きで吹いたり、後ろの壁に向いて吹いたり。ミュートなしの素の音ですのでステージ上の弦との強弱の兼ね合いを考えたものだろう。右左の位置関係で、問いと答えをわかりやすく表現。響きも明確に分離する。この曲はインストゥルメントが色々な位置で演奏可能で、ステーンはこのようなわかりやすいポジショニングでの表現。
音が有るようで無い。無いようで有る。微弱に奏でられる音により場の静寂を感じることが出来る。問いはトランペットの赤い線。答えはフルートによる白い塊り。弦楽器のモノトーンに色による変化をつけている。息の詰まる音場。解放はない。
オーケストラの少しザラ味のある肌触り、ステーン共感の棒。

バーンスタインの不安の時代。この日のメインディッシュです。まぁ、何度聴いてもやにっこい曲です。この曲聴いてだいたいいつも思うのは、ジャズのアドリブの部分、即興の部分で、ある極小な短いフレーズがどんどん拡大していっていつのまにかそれがメインで響き渡ってる、バーンスタインのこの曲て、その拡大したほうのパッセージだけが最初から最後まで鳴っている感じ。中心を見せないまま周りだけが鳴っている感じ。見えないブラックホールを周りの気配から感じる。そういった周りの部分の音楽のように聴こえる。
ステーンの解釈は非常に丁寧で折り目が際立っている。コクのある解釈ですね。このやにっこい曲を自分のものとして消化。そしてオケに移植。プレイヤーたちの理解は深く、共感しての演奏。やにっこいながらも実にわかりやすい。
中心的な役割のピアノ、江口さんのピアノはよく溶け込んでいる。ステーンとの呼吸があっていて、ジックリと進んでいくもの。肩の力が抜け豊かな表現力。すばらしいプレイ。
楽章につけられた標題は音楽のイメージを助ける。バーンスタインの太鼓の扱いは個人的にあまり好きではないけれども、全体としてはそれも含め、緊張感が持続したいい演奏でした。曲の理解も一段と深まった気がする。でかい曲でした。

プログラム後半は前半とはだいぶ違うモード。
ファンファーレとウエストサイドの組み合わせプログラムは、2009年にヤルヴィPとシンシナティ響が来日した時にやりましたね。あのときはプログラム前半でやっていました。

コープランドのファンファーレはアメリカオケには無い柔らかい演奏。ブラスの柔軟な響きとパーカスの呼吸、息があったいい演奏、ステーンのお見事な棒でした。

ウエストサイドは、これまた非常に丁寧な演奏。先走りしない抑制のコントロール、オーケストラがきっちりと激しいカオスを一歩ずつ前進。奥ゆかしさとカオスが綯い交ぜになった表現で、ウエストサイドが一段と深くなる。重くも清らかな悲劇が見事にきまる。いい演奏でした。

ステーンは不安の時代、ファンファーレ、こういった曲では振り向きフィニッシュ、どや顔エンドしますね。もちろんこの日のアンコールでそれが一段と。
おわり

 

 


2256- アイヴズ、答えのない質問、河童ライブラリー(201701ver.)

2017-01-12 21:05:58 | 音楽夜話

アイヴズの答えのない質問の音源ライブラリーは少しですが持っています。

奏でられる音楽によって、空間の静寂を意識させる曲。これしかありません。

音源は10種類。同一音源の再発ものが多数あります。同じ音源でタイミングもまちまちになっていますので、ここでは、保有する同一音源については一番短いものを記載しています。

また、保有音源ではありませんが、2015年に聴いたカンブルランの演奏を一番下に付け加えました。異常にスローな演奏でした。他演奏に比して概ね倍かかってました。



  アイヴズ 答えの無い質問          
  Ives、The Unanswered Question          
               
  指揮者 オーケストラ 録音 time 備考 ソロ レーベル
1 レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィル 1964年 4′59″   tp、ヴァッキアーノ CBS、ソニー
2 モートン・グールド シカゴ響 1966年 6′58″     タワレコオリジナル
3 MTT シカゴ響 1986年 7′13″ 改訂版 tp、ハーセス ソニー
4 MTT シカゴ響 1986年 7′01″ オリジナル版 tp、ハーセス ソニー
5 レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィル 1988年 6′09″     DG
6 ジョン・アダムズ セント・ルークス管 1989年 4′49″     ノンサッチ
7 オルフェウス室内管 1993年 5′10″     DG
8 MTT サンフランシスコ響 1999年 6′19″   tp、フィッシュサル RCA
9 ジェイムズ・シンクレア ノーザン・シンフォニア 2000年 4′36″ ヴァージョン2   ナクソス
10 アラン・ギルバート ニューヨーク・フィル 2009年 4′55″   tp、スミス
             
シルヴァン・カンブルラン 読響 2015年 10′ 実測値    

2255- ブルックナー5番、小泉和裕、都響、2017.1.10

2017-01-10 23:49:19 | コンサート

2017年1月10日(火) 7:00pm サントリー

ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調 (ノヴァーク版) 20′18′13′23′

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


15小節目からの強奏。弦が次小節に移る前の16分音符2個がまるで聴こえない。16小節目のラッパの入りが早すぎて、弦の16分音符がかき消されている。他のインストゥルメントを感じながらのアンサンブルが出来ていないし、それともうひとつ、弦そのものの力感不足。のっけの第1主題からブルックナーのフォルムが出来ず。興に入る前から醒めた。浅い。硬い。
ラッパは終始、鉄板に叩き付けるような音で、あれだけ早い入りだと五月蠅いだけのものとなってしまう。まぁ、このオケの特質が顕著に出てしまった。このどっしり系の作品には向いていないオケ伝統サウンドなのかもしれない。一日二日で変わるようなものでもないだろう。現代もの系には素晴らしい表現力、機動力をみせるこのオケ、柔軟性が欲しいところです。

小泉棒は全般にわたり速めのテンポ。
第2楽章の副主題だけ幅広でスロー、それ以外は速めの運び。快活と言っていいほど。
ひとつの主題の中でテンポが揺れ動く。主題間に経過句が無いので主題そのもののテンポを動かしてブリッジの役目もさせようということなのかな。作為的な流れの創意はブルックナーのフォルムの事より、こういってはなんだが、年齢を意識してしまった逆説的恣意的な快活さが垣間見える。つまり意識された若返り。気持ち次第で作品の形が変わってしまう可能性大。

それと、この曲をひとつ特徴づけているピチカート、強調は無くてむしろ、か細い。重厚さ表現を横に置くのならこのピチカートを流れのほうに活用できそうな気もする。

昨年12月最終第九公演の不安定さが、年を越してこの日まで続いている感じで、技量的にも問題あり公演。フィナーレの5個の打撃音、痛々しいほどの自信確信の無さ。流れをつかんでない、一体どうしたことか。
おわり