1983-1984シーズンの演奏会のことを長々と書いてますが、このシーズン中盤から終盤にかけて、音楽監督のメータが6週間のキャンセルをしてしまった。そのあたりのことについてちょっとピックアップしました。
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指揮者たちの上半身の患いは他人が思うほど楽ではないものらしい。首、背中、ひじ、腕など、とにかく動かすところは運動選手なみに擦り切れているのだろう。晩年のフリッツ・ライナーのような指揮だと決して磨耗するということはないだろうが。
ズービン・メータは1983-1984シーズンの最後6週間を手術で指揮をまさに棒に振った。その代わりいろいろな指揮者を見ることが出来たわけであるが、オリジナルのプログラムが代わってしまった定期もあるわけで、一概に良かったとは言えない。
ニューヨーク・タイムズはメータの手術の翌日、そのレポートを載せた。
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1984年3月28日(水)
ニューヨーク・タイムズ
Zubin Mehta Out for Season
ズービン・メータ、シーズンを離脱
By JOHN ROCKWELL
ジョン・ロックウエル
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ズービン・メータは昨日の朝、右ひじ筋肉の重度の慢性的な腫れを治すために手術を行った。今シーズンのニューヨーク・フィルとの定期は終わりまでの6週間を指揮することが出来なくなるだろう。
ズービン・メータの症状は外側上果炎、いわゆるテニスひじと呼ばれている極めて深刻なものである。痛みが激しかったりそうでなかったりして、運動選手と同じようにしばしば指揮者を苦しめる症候群である。メータはここ2年間、外科手術はしたことがなかったが痛みが激しくなり、最近になって手術することを決めた。マンハッタンの外科専門の病院で手術を担当したレオン・ルート博士はメータの手術を、完全な成功、であると言った。
メータの右腕には少なくとも3週間、副木(そえぎ)があてがわれる。メータは回復までニューヨークにとどまり、フィルハーモニックの運営行事に出席する。しかし、4月15日のアジア協会主催のオーケストラ室内楽シリーズを指揮することは出来ないであろう。オーケストラとしては、6月7日からのホライゾン‘84現代音楽祭に復帰できることを希望している。
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Four Conductors Selected
代わって選ばれた4人の指揮者
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1977年来フィルハーモニックに登場していないマイケル・ティルソン・トーマスが今晩と明日、そして火曜日にエイヴリー・フィッシャー・ホールで指揮することになっている。プログラムは、バースタインのオーケストラの為のディヴェルティメントと、アレクシス・ワイセンベルクのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、チャイコフスキーの交響曲第5番である。
4月5,6,7,10日の指揮者はチェコ・フィルのヴァツラフ・ノイマンでフィルハーモニックのデビューとなる。ノイマンのプログラムには、ブリジッテ・エンゲラーのピアノによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が変更無くはいっている。
アンドリュー・デイヴィスは4月12,13,14,17日に指揮する。ローン・マンローのチェロによるブロッホのシェロモも演奏される。続く2週間分の指揮者はまだ決まっていない。
4月19,20,22,24日のプログラムはブラームスのドイツ・レクイエムのままである。ソリストはレオナ・ミッチェル(4月24日のみマルヴィス・マーティン)、トーマス・アレン。合唱はウエストミンスター合唱団である。4月26,27,28日、5月1日のプログラムには、ブラームスのヴァイオリン協奏曲がはいっている。3日間はアイザック・スターンのヴァイオリン、最終日はグレン・ディクテローである。
最後の週はデトロイト交響楽団の音楽監督に内定しているギュンター・ヘルビッヒが、フィルハーモニック・デビューとなる指揮をする予定である。プログラムには、ブリテンのテノール、ホルンのためのセレナーデがはいっている。ソリストはペーター・シュライヤーとフィリップ・マイヤーの予定。
3月31日と4月4日のヤング・ピープル・コンサートはアシスタント・コンダクターのラリー・ニューランドが指揮をする。今春予定されていた二つの現代音楽、エリオット・カーターの3つのオーケストラの為の交響曲と、ギュンター・シュラーのConcerto Quaternioは翌シーズンに持ち越しとなった。
おわり
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こんな感じで代替も豪華だと思えるのだが、予定通りでないこと自体がニューヨーカーにとっては不満なのであろう。ニューヨーカーを通り越して他のイヴェントに乗り換えたのなら怒りもわかるが、今回は指揮者のアクシデントであるため、お忍びで他のオーケストラを指揮する、といったことではなく、とにかく修復計画を早期に立てるのが最優先されたわけだ。
それでは、代替指揮者はどんな曲を振ったのか?またこの時点で決まっていない指揮者は一体誰になったのか?さらに、その評はどうだったのか?
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