河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

オネーギン ロストロポーヴィッチ

2007-04-30 20:20:00 | 音楽

チェロの弾きっぷり、棒の振りっぷりを見るにつけ絶対に死ぬことはないであろう、と思ったこともあるムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが亡くなった。

2007427()

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強靭なチェリストが亡くなった。ヨーヨーマのように多方面の音楽に手を出して、方向感がいま一つ見えなくなるといったようなチェリストではなかった。

ロストロポーヴィッチの正確で勇猛で明快な音楽はその腕と棒にもあらわれていた。

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1970820

大阪フェスティヴァル・ホール

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1970年大阪万博参加行事

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チャイコフスキー作曲

オペラ「エフゲニー・オネーギン」全曲

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ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮

ボリショイ・オペラ歌劇場

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1970年と言うのは、万博の年であるが、ボリショイオペラにとっては、今でもミラクルな指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとユーリー・シモノフのバトンタッチのシーズン。

それにどのような経緯でロストロポーヴィッチが入り込み、日本で指揮することになったのかわからない。

この万博の時は、

ロジェストヴェンスキー

シモノフ

ロストロポーヴィッチ

それに、

マルク・エルムレル

と、

4頭立てでボリショイオペラを振り分けた。

同歌劇場来日公演は今でも同じように振り分けるので、バトンタッチのシーズンだから特別大人数の棒というわけでもなさそうだ。

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それでこの日の録音が残っていたわけだ。

他日の公演も放送されている。

万博の年はクラシック音楽においても、まさに万博。

エフゲニー・オネーギンというオペラは、ウェットでまるで室内楽のように響く。

チャイコフスキー特有の溢れ出るメロディー、流れる音に隙間がなく、カラヤンにとってチャイコフスキーははずせなかった理由はこれではないか、と思われるような音符がねっとりと敷きつめられた薄暗いブルーな音楽ではある。

カラヤンではなくロストロポーヴィッチである。彼の作り出す音楽は特別なものではない。

チャイコフスキーの音を具現化することに努めている。強靭で飛び跳ねるようなロストロポーヴィッチの別のウェットな世界を聴くことができる。

1970年のライヴ録音は音が良くないが、出だしのそろったアンサンブルからは微妙な美意識の高まりを最初から聴くことができる。充実していたのだと思う。

合唱が少し滑らか過ぎて元気がないが、これは録音が古くて角が取れ丸くなってしまったからかもしれない。37年もたってしまった。

大阪万博の際、行われた演奏会でテープが残っているものを全部CD化する、なんていう企画はどこの会社もしないだろうね。生き残りに精一杯で、そんな余裕なんかないだろうね。

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ということで、ロストロポーヴィッチ死去に際し、取り出して聴いてみた音源はDATである。

1991年頃、オープンリープテープをTEAC X-2000Rでまわし、DATデッキにダビングしたものである。

ダビング後のDATテープの再試聴をしなかったこともあり、今こうやって聴いてみると、ちょっと失敗している箇所がある。ドラム缶の中で聴いているような箇所が出てくるのだが、なにせ超繊細なDATマシンのことゆえ、ちょっとしたミスも許されない。デリケートなマシンなのであった。

ということは、オープンリールテープまで戻らなければならない。これまた大変だ。

何年か前にオーバーホールしたX-2000Rはばだ段ボール箱から出してさえいない。

テープを河童蔵から探しだし、デッキを段ボールから取り出し、配線をして、それからテープはもしかすると表面は粉末状態になっているかもしれない。大丈夫だとしても片面まわすとデッキのヘッドはほこりだらけになる。いろいろと大変なのだ。

なんだか、こんなことをすることだけに価値あり、のような気がしないでもない。結果の音は努力に比例するとも限らない。

それよりもDATデッキは、この世の中、絶滅、壊滅状態らしい。この前まではやばいとは思わなかったが、河童蔵の1500本のDATテープをCDRなど別のメディアにコピーするのに、河童蔵に現存するDATマシンが2台では少しこころもとない。うち1台は既に少しやばい状態。

TASCAMで業務用のものをまだ出しているらしいが、これからは再生のみで十分としても、そもそもこれだけデリケートなマシンだと相性というものがあり、ビクターのマシンで録りつづけた音がうまく他社機種で再生できるか一抹の不安がある。

焼き付けるメディアがCDRというのも少し不満。ワーグナーものには収録時間が短すぎる。

DATはスタンダード・モードで180分というのが最長であり、これにかなうものはない。

CDRは今、一枚にどのくらい収録できるのかしら。80分ぐらいだとダメだね。

本腰を入れてなにか対策を考えなくては。

DATテープよりもさらに本数が多いカセットテープについては、大事どころはDATにダビングしてあるが、このような状況を考えるとまだまだカセットも処分するわけにはいかないようだ。

ロストロポーヴィッチの棒によるエフゲニー・オネーギンのライブをちゃんとした音で再生することを目標にして、彼へのお別れの言葉としたい。

おわり

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うっとうしい 東京ミッドタウン

2007-04-29 22:12:24 | 六本木にて

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この3月にオープンした大箱でだだっ広くてビル風が強く繊細さと展望台を備えていない六本木の東京ミッドタウンをちょっと冷やかしにいってみた。

ガレリア2階にある、ラヴェルの1時間ものバレエ音楽のタイトルの恋人役のほうの名前と同じ名のパリのブランド店でバックを眺めたりした。

奇妙なことに商品に値札が付いていない。銀座のわけのわからない鮨屋を想起させるに十分だ。銀座の高額鮨屋の請求額なんて、はっきりいって適当。チープな紙切れにメモ書きのように請求額がボールペンで書いてある。それをみてカードをだしキャッシャーでチンされたプリント紙切れにサインをして一夜の悪夢を忘れるわけである。サインをする前に明細をくれ、といったら、明細が出てくるまで10分かかった。逆算も楽ではなかったのだろう。もっともひとつずつの価格が書かれたお品書きがあるわけでもなく、一品の値段は適当に時価、なんだろう。ジャズ以上のアドリブが冴えわたっている。東京のいやらしい慣習ここに極まれり。

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それで、このバック店、ラグジュアリー店だ。フラッグシップショップ、日本語で言うところの旗艦店。うっとうしいな。カタカナ。

なんで値札がないのだろうか。2階のほかのお店も同じような感じだったが、値札なしで高級感を出そうとしているのかしら。それとも貧乏人をただ馬鹿にしているだけなのだろうか。値段をきにする連中は来なくていいと。

なめんじゃねぇ。おめぇら何様だ。ちゃんと値札つけて、物売れや。質屋だって値札出すぜ。

この大バカ者たち。

などと心の中で思いつつ、表面上は冷静さを失わないのが河童の特性。

別枠においてあるネームタグ、小物入れなどが5~8万円ぐらいだったので、目でチェックしたバックの値段は予想がつくというものだ。

カパ子

「あのバックとってもいいわ。気にいったの。」

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カパ夫

「あっそう。いくら位するんだろうね。」

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カパ子

「値段なんかどうでもいいじゃない。ねぇ、お願い。」

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カパ夫

「ちょっときいてくれば。僕はあっちの方でほかのもの見てるから。」

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カパ子

「わかったわ。お店員様、このバックとっても素敵ですね。」

店員

「これでございますか。××のお品です。最後の一つでございます。」

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カパ子

「お店員様、すごく気にいったんですけど、いくらぐらいするんでしょうか。」

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店員「25万円です。」

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うっとうしいなぁ。この店。

店頭に残った商品を正価で売るのかよぉ。アキバの電気屋でもそんなこたぁしないぜ。

もう少しまじめにやれやぁ。

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カパ夫

「僕としては、他人の手あかまみれの商品を正価で買うというのは全く性に合わない。ちゃんとしたものがあるときにまた来よう。」

という、理想的な回答でカパ子を慰めてあげた。

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それにしてもだ。

また六本木は変わってしまった。

六本木WAVE night

も一段と昔話になってしまった。

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東京ミッドタウンは防衛庁だったわけだから、河童は赤でも黒でも白でも黄色でもピンクでもないけれど、近場で酔っぱらって帰るときは、正門に向かい君が代行進曲のパート譜を口ずさんだものだ。学校のブラバンなんか、暗譜当たり前だからね、それに運指も全部覚えてるわけだよね。だから君が代ではなく、君が代行進曲なわけさ。

ということでミッドタウンは少しうっとうしい、と思う人は対面の通りの裏に斜めに走った通称河童通りにいくわけさ。

気分転換にメシでも食うか。という感じ。

魚芳

ここ、昔、魚屋さんだった。ビルに変わり魚料理のお店になった。

何度か入ったことがあるけれど、最初のころは片肘はった堅苦しいところがあったが、今はそんなこともなくリラックスできる。気のきいた一品もいいが、煮魚、焼魚、あたりがわりといい感じだ。

そういえば、気のせいか、この河童通り、なんとなく明かりが戻ってきているように感じる。

ミッドタウンのあとは、六本木通りを越えてその先に行くのではなく、ここらあたりで昔のように皿にお酒をやり、くつろぎのときをすごすのもいいかもしれない。

おわり

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今年の鹿

2007-04-28 23:28:15 | 音楽

お水取りの前、二月堂から見た夕焼け

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始まりそうな雰囲気

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始まりました。

この日はたしか39(花金)だった。

観客が多く、熱気で熱くなると思いきや、全くそんなことはなく、

あまりの寒さに身も心も冷え切ってしまった。

火を見ながら寒さに震えるという二律背反の世界に浸ったのでした。

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ところで、この鹿さん。

僕が持っていた東大寺の案内パンフを全部食べてしまった鹿。

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第九 ベルリン国立歌劇場7 1990-18

2007-04-27 20:43:00 | 音楽

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1990年ベルリン国立歌劇場公演のスケジュールはここ。

一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

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15回に及ぶオペラ公演、ガラ・コンサート1回、が終了し、後半はコンサートが14回である。最初の日は第九だが、このプログラムはこの日の一回だけ。

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19901110()6:30PM

サントリー・ホール

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ベートーヴェン/交響曲第9

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ソプラノ、エヴァ=マリア・ブントシュー

アルト、ローズマリー・ラング

テノール、ヴォルフガング・ミルグラム

バス、ジークフリート・フォーゲル

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アルド・チェッカート指揮

ベルリン国立歌劇場

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チェッカートと言えば、その昔、NHK交響楽団を振りに来て、あっさりしたサラリーマン風な背広姿が印象的であったが、演奏も手堅くまとめる感じだったのかどうか、河童の蔵からテープを掘り出さないとわからない。

今回、チェッカートは前半のオペラは振っておらず、後半14回のコンサートのうち7回を振るために来たようだ。第九は今日だけ。

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オペラ漬けにしてくれたオーケストラが、こうやってピットから這い出て、ステージの上で演奏するこのサウンドはまた格別である。浴びるといった方が良い。

演奏している方もなにかすっきり感があるのではないだろうか。

何事も気分転換が必要ですね。

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ベルリン国立歌劇場の音は重いという感じがしない。

黒光りする何かメタリックなものがビロードの帯のように流れる。何とも言えぬ独特な響きである。

数々のビロードがひらひらと宙に舞い、それらが絡み合い宇宙に浮かんでいるような。

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第九の出だしは軽快とさえ言える。刻みが明確で久しぶりに舞台にあがったオケの連中がはちきれんばかりに自分たちの演奏を楽しんでいるようでさえある。

ベルリン国立歌劇場の音は、流れるような音の連続だと思っていたのだが、そうでもなく、わりと縦に深く刻んでくる。

ただ、憂いを含んだ独特なウェットなサウンドであるため心地よい切り込みである。

ベートーヴェンの音楽は基本的にリズミックなものであり、縦の切り込みが深ければ深いほど音楽の輪郭がはっきりしてくる。ベルリン国立歌劇場の奏でる音は、そのベートーヴェンの意に沿ったものだ。全く素晴らしい。

2楽章の飛び跳ねるサウンド。

3楽章の祈りの流れるような帯サウンド。

終楽章の歌の声とオケサウンドが見事に融合した技。特にソリストのみごとな合わせ技はオペラのアンサンブルのような進化を魅せてくれた。

素直にその実力に平伏した。

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ところで、ベルリン国立歌劇場のオーケストラ・コンサートは3人の指揮者が振り分けている。

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アルド・チェッカート/第九を1

アルド・チェッカート/

エグモント、未完成、ブラ1のプロを6

ハインツ・フリッケ/ベト7を中心に5

朝比奈隆/ベト6、ベト5のプロを2

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朝比奈隆が振るというのが異色であるが、たまたまそうなっただけなのかしら。

このような一流どころを相手にベト6、ベト5のプログラムだと指揮者としては比較的楽だろうと思う。

河童もやろうと思えばできないこともない。

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思えば、今まで、朝比奈隆の棒は12回しか見ていない。

1回は確実だ。何しろライブCDがでたことがあるはずなので。

もう一回あるかないか、記憶にない。

朝比奈とミスターSの両方のブルックナーを聴いたことがある人が言っていた。

「空気が違う。」

と。

意訳すると、

「ミスターSのブルックナーを聴いていると、朝比奈の指揮するブルックナーとはレベルが違う。ミスターSは実にすばらしい。」

ということなのだが、日本の強力な朝比奈ファンが聴いたらご立腹かもしれない。

そのせりふの、ミスターSと朝比奈の単語がひっくり返っているんじゃないか、って言うだろうね。

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ということで、長丁場のベルリン国立歌劇場公演を十分に楽しんだわけだが、これで199011月も中盤。

しかし、この年、これからがすごかったのだ。まだまだ続く1990年。

終わり

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魔弾の射手 ベルリン国立歌劇場6 1990-17

2007-04-26 21:15:00 | 音楽



1990年ベルリン国立歌劇場公演のスケジュールはここ。

一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

 

魔弾の射手は2回だけ上演された。

千歳一隅のチャンスというわけではないが、ネームヴァリューのわりには全曲上演というのは多くない。

2回目のうち最初の公演を観た。

 

1990119()6:30PM

東京文化会館

 

ウェーバー作曲 魔弾の射手

 

オットカール/ハンス=ヨアヒム・ケテルセン

クーノー/ゲルト・ヴォルフ

アガーテ/マクダレーナ・ハヨショヴァ

エンヒェン/カローラ・ノセック

カスパール/ジークフリート・フォーゲル

マックス/ライナー・ゴールドベルク

隠者/フリッツ・ヒューブナー

キリアン/ベルント・リーデル

ザミエル/ヘンノ・アルドゥーン

 

ルート・ベルクハウス プロダクション

 

ハンス・E・ツィンマー 指揮 ベルリン国立歌劇場

 

 

あまりにも有名な魔弾の射手は全曲を聴く機会があまりない。

イタオペ的華やかさがなく、フィデリオのような劇的さもない。

ひたすら沈み込む。

最後の喜びもひかえめといったところか。

1幕の序曲の鬱蒼としたホルンのハーモニーは誰でも知っているメロディーだし、第3幕の狩人の合唱にしてもまた然り。

でも、もっと味わいがあるのは第2幕でアガーテとかエンヒェンが歌うアリアをはじめとする思索にふける歌の響き。

このような深いため息を聴いていると、1970年からのプロダクションだというのも忘れ、ひたすら曲に没頭できる。

アリアの響きと、たとえば序曲の響きは密接に関係している。

楽譜をみなくても、そのように聴こえてくる。関連性は明らかだ。

ワーグナー先取りのライトモチーフというには規模が小さすぎておこがましいが、それでも、その主題は、そのイメージを喚起する。

 

魔弾の射手はジングシュピール歌芝居であるため、いたるところセリフがはいる。

今回の公演でいうと魔笛もそうである。

モーツァルトと比べてウェーバーはひたすら暗く沈みこむため、セリフにも面白さはない。

字幕があっても、理解がファンブル気味だ。

セリフの局面で音楽が停滞してしまう感じがするので、一貫した音楽の流れをつかむことができなもどかしさがあるのも事実。

舞台もあまりぱっとしない。深い森といってもモス・グリーンといった雰囲気ではないし、どちらかというとオペラ独特のライトアップで青白く輝く人物と、背景の別の光彩との対比で魅せている。

でも、これはそういうオペラなのだ。

生の舞台を観る機会はかなり限られている。

魔弾の射手はイメージを想起する手立てとしてDVDで観るのもよいかもしれない。

一度はじっくりと見聴きしてみたいものだ。

 

ちょっとCDの紹介。

「ドイツ・ロマンティック・アリア」

ソプラノ、カリータ・マッティラ

コリン・デイヴィス指揮

シュターツカペレ・ドレスデン

ERATO 0927-42141-2

録音:200169-16

ルーカスキルヒ・ドレスデン

 

これはベルリン国立歌劇場ではなく、ドレスデン国立歌劇場のほうの伴奏で歌うカリータ・マッティラの深い森。

おわり

 


イゾルデ ブントシュー ベルリン国立歌劇場5 1990-16

2007-04-25 21:08:00 | 音楽

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1990年ベルリン国立歌劇場公演のスケジュールはここ。

一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

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1990年ベルリン国立歌劇場のトリスタンの公演は渋谷で2回、名古屋で1回の合計3回。

渋谷の2回を聴いてみた。

2回目がこれ。

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1990111()5:00PM

NHKホール

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トリスタン/ハイッキ・シウコラ

マルケ王/ジークフリート・フォーゲル

イゾルデ/エヴァ=マリア・ブントシュー

クヴェナール/エッケハルト・ウラシア

メロート/カールシュテン・メーヴェス

ブランゲーネ/ローズマリー・ラング

羊飼い/ペール・リンツコーク

若い船員/ラルフ・エッシリッヒ

舵取り/ハンス=イェリク・ベルトラム

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エアハルト・フィッシャー プロダクション

ハインツ・フリッケ指揮

ベルリン国立歌劇場

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1028日の1回目とは、マルケ王、イゾルデ、クルヴェナールが交代している。

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オペラの主役の名前を二つもつけてしまったようなイゾルデ役の、エヴァ=マリア・ブントシュー。

彼女の、前進あるのみ、といった体当たりの歌が実にすばらしかった。

いかにも、メゾから出発したソプラノといった感じで、強烈に絞り出す声は、線が細いながら強靭さと繊細を合わせもった現代のトレンドによくマッチする歌い手だ。

今日はこのイゾルデがトリスタンをひっぱっていく。

あまりにあけっぴろげになってしまう場面もないではないが、トリスタンの暗さと妙に対照的で気分的にはすっきりする。

イゾルデに開放感、というのは一種違和感があるがどろどろした舞台が多いなか、なにか新鮮な気持ちになる。

いずれにしても、このトリスタンとイゾルデの舞台、集中するあまりあっという間に終わってしまう。

このとき思ったものだ。

夢でもいいから、

「当公演は事情により、最初からもう一度やりなおします。」

などというとんでもないアナウンスがあったとしたら、何の苦もなくうれしさのあまり、また静かに集中できることだろうと。

1990年は、このあと別の公演でトリスタンとイゾルデを観ることになる。

数々観たトリスタンであるが、メトの舞台があがっていくプロダクションもすごかったが、今回1990年のベルリン国立歌劇場の公演は後々まで忘れ難い舞台であった。

おわり

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トリスタン シウコラ ベルリン国立歌劇場4 1990-15

2007-04-24 20:28:00 | 音楽

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1990年ベルリン国立歌劇場公演のスケジュールはここ。

一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

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1990年ベルリン国立歌劇場のトリスタンの公演は渋谷で2回、名古屋で1回の合計3回。

渋谷の2回を聴いてみた。

最初がこれ

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19901028()4:30PM

NHKホール

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トリスタン/ハイッキ・シウコラ

マルケ王/テオ・アダム

イゾルデ/イングリット・ハウボルト

クヴェナール/ハンス=ヨアヒム・ケテルセン

メロート/カールシュテン・メーヴェス

ブランゲーネ/ローズマリー・ラング

羊飼い/ペール・リンツコーク

若い船員/ラルフ・エッシリッヒ

舵取り/ハンス=イェリク・ベルトラム

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エアハルト・フィッシャー プロダクション

ハインツ・フリッケ指揮

ベルリン国立歌劇場

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日曜日の4時半という中途半端な時間帯からの開始。

キャストは半分ぐらいがダブルキャスト。

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ここでテオ・アダムのマルケ王が見れるとは思わなかった。白くシルバーに輝く髪をなびかせ、威厳が有り余るその歌声で、圧倒的存在感を示してしまった。

しかし、聴かせどころが多い役ではない。

シウコラの歌うトリスタンの熱演に最終的には感服した。

エアハルト・フィッシャーのプロダクションはここでもシンプルであるが、ワーグナー、特にこのトリスタンには合う。

何もない舞台に血の尾をひくように最初から苦しげなトリスタン。

イゾルデとの熱演は2回目まで待たなければならないが、今日はトリスタンが舞台を引っ張っていく日である。

何もないところで聴衆の耳目を集め、それなりに歌えてしまうのは実力だけではなく経験。

この大舞台で頼れる人は自分しかいない。

あとは指揮者との駆け引きだけ。

何年か前にアバドがベルリン・フィルと来日し、トリスタンとイゾルデを上演したことがあったが、あのとき、この3幕物があっという間に終わったような気がした。

聴く方の集中度ももちろんあるが、大舞台を聴かせてくれる役の人というのはいるもので、今回のベルリン国立歌劇場公演も始まったら終わったという感じで、ストーリーの長さを全く感じさせないハイレヴェルな舞台であった。

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素晴らしさは歌い手だけではない。

オーケストラの妖艶とでも言うべきつやつやした色合いの音。黒く光輝くサウンドはまさしくビロードのような肌ざわり。

前奏曲が既に終曲の愛の死を想起させる含みのある音、古酒の味わいのブランデーに似たなんともいえない響き。

出だしの音の柔らかさは、4時間後、また別の味わい、芳醇な香りを放つサウンドに変化する。

愛の死がこんなにふくよかで甘美で豊満でいいのだろうか。

あまりにも見事な演奏に開いた耳がふさがらない。

おわり

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ばらの騎士 ベルリン国立歌劇場3 1990-14

2007-04-23 20:21:00 | 音楽

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1990年ベルリン国立歌劇場公演のスケジュールはここ。

一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

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10181920日と魔笛を上野で行い、

23日からは、

ばらの騎士

その初日はこんな感じ。

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19901023()5:00pm

東京文化会館

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シュトラウス作曲 ばらの騎士

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元帥夫人/マクダレーナ・ハヨショヴァ

オックス/ジークフリート・フォーゲル

オクタヴィアン/ローズマリー・ラング

ファニナル/ロルフ・ハウンシュタイン

ゾフィー/マルゴット・ステイスカル

マリアンネ/クリスティーナ・クレメンツ

ヴァルザッキ/アンドレアス・シュミット

アンニーナ/クリスティーナ・パップ

歌手/ヴォルフガング・ミルグラム

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エアハルト・フィッシャー プロダクション

ハインツ・フリッケ指揮

ベルリン国立歌劇場

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ファニナル以外は完全ダブルキャスト。

1020日まで魔笛をやって、2122とばらの騎士の練習を行ない、23日の初日に合わせる、といったところか。

平日の5時開演である。

その前の開場の時刻、気持の整理、呼吸を整える、など、もろもろを考慮すると、サラリーマンの場合、午後半休がベター。

ただ、上司によっては性格の悪い人間もいて、その日だけわざと期限付きの仕事を増やしたり、なんやかやとからんできたりするケースがあるので、自分が上司になるのが一番であるが、ここは当日会社を休んでしまうのがベスト。

本当は、終演後に舞台のことを肴に、深夜まで語りつくしたいものだが、そうなると翌日も休まないといけなくなる。

一日の公演で二日間有給休暇をとるのもどうかというところであるため、連日の舞台鑑賞は避け、なるべく日をあけて次の出し物に挑むのが、これまたベター。

逆に三日続けて休んで連続して舞台を見るというてもあるが、日本での舞台は、同一カードを連日まとめてやる方式であるためなかなかできない。それができるのはリングぐらいか。

今回上野での、バラの騎士、のスケジュールは

1023()

1024()

1025()

といった具合で全部平日5時開演。

昔、クライバーの棒によるばらの騎士を全部見たという人がいたが、ウィークエンドにあたっていたのだろうか。

やはり完膚なきまで聴いてあげるには、会社をくびになってもいい、ぐらいの気概で臨むのが生きがいを表明する一つの指針であるのかもしれない。

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ところで、メト座の河童はその昔、このローゼンカヴァリエを腐るほど、ではないがかなりの回数観た。

歌手の役に市川多朗とかが出ていたりしていたころなので、かなりの昔ではある。

ズボン役はほとんどフレデリカ・フォン・シュターデ。

当時のメトのプロダクションはナザニエル・メリル。

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今晩のプロダクションは魔笛と同様エアハルト・フィッシャー。

これが新演出でかかったのは1973年ということであるので、かなりのお古ということになる。

17年前のプロダクションをこうやってみていることになる。

1990年ほやほやの演出の魔笛と比べるのはどうかと思うが、同じように明るい舞台である。

ただ、ばらの騎士、のほうは明るいが重い。

舞台が狭いせいか、小道具があまりあるわけでもないのに妙に狭く感じる。

ここらへん、メトなどと比べるのが間違い、だろうと思うのだが昔のイメージが脳裏にこびりついてしまっている。このイメージをはがすにはよほど強烈な演出でなければならない。

狭い舞台だと、ワルツなどがいま一つ優雅さを欠き、踊りが窮屈になってしまい、その分歌にも影響がでて、それを見ている聴衆も余計なところに気が散ってしまう。だだっぴろいところでやってほしいなぁ。

小道具大道具が、もしかすると旅先用のものでサイズが小さいのかもしれない。元帥夫人のベットももう少し大きくてもよい。

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それで、内容の方であるが、あまり覚えていない。

優雅さの中にわびさびがあるこのオペラ。それが進行とともに自然ににじみ出てくるいい歌、演奏であった。

オーケストラ、歌、がうるさくならないのが良く、静かに舞台が推移していく。

聴衆が舞台というよりもストーリーに静かに没頭していくのが手に取るようにわかり自分もそのなかにいることにはっと気づいたりする。(この感覚はオペラゴアーズにはよくわかりますよね。)

ジョークも下品な笑いを誘発するところがなく、みんなどっと同時に沸いたりして、聴衆の舞台への埋没度が大変に素晴らしいものであった。オペラはこのように観なければならない。

おわり

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魔笛 ベルリン国立歌劇場2 1990-13

2007-04-22 20:51:00 | 音楽

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1990年ベルリン国立歌劇場公演のスケジュールはここ。

一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

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1990年来日公演の初日はこれで始まった。

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19901018()6:30PM

東京文化会館

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モーツァルト作曲 魔笛

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ザラストロ/フリッツ・ヒューブナー

タミーノ/ヴォルフガング・ミルグラム

弁者/ルネ・パぺ

夜の女王/キルステン・ブランク

パミーナ/カローラ・ヘーン

第一の侍女/ブリギッテ・アイゼンフェルト

第二の侍女/エルヴィラ・ドレーセン

第三の侍女/ウタ・プリエフ

パパゲーノ/カールシュテン・メーヴェス

パパゲーナ/マルゴット・ステイスカル

モノスタトス/ペール・リンツコーク

僧侶/ヘンノ・ガルトゥーン

三人の童子/国立歌劇場合唱団

二人の武者/ペーター=ユルゲン・シュミット、

     ゲルト・ヴォルフ

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エアハルト・フィッシャー プロダクション

ハンス-マルティン・シュナイト指揮

ベルリン国立歌劇場

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魔笛の公演は6回行われた。

指揮のジークフリート・クルツがキャンセルとなったため、前半3回をハンス-マルティン・シュナイト、後半3回をシュテファン・ショルテスが振った。

エアハルト・フィッシャー演出で、キャストは完全ダブルである。

初日1018日は上記のキャストである。

ド迫力な力と自信を兼ね備えたルネ・パぺが来日していたとは、今さらながら時代の流れは早いものだ。

ベルリン国立歌劇場へのデビューは1987年。

弁者でデビューということだから、今日のこの日もフレッシュな声を聴かせてくれることであろう。

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照明を落とした地の底から、ベルリン国立歌劇場のサウンドが湧き立ってきた。あのビロードのような音色は聴けるのか。

思ったより細い音であるが、つるつるした水滴のような何とも言えない響きが、上野のホールを包み込むというよりも鋭く差し込むような感じであった。

1018日からの公演といっても、通常その12週間前に来て上野のホールを占有して総練習を行っているわけだから比較的万全。

ただ、この時期、自国でのシーズン前であるため、ベースボールで言うとオープン戦からの臨戦態勢の局面であろう。

メンバーの連中も少しずつシーズン感覚を取り戻しながらの演奏かもしれない。一気に序曲からノリノリとはいかない。

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とにもかくにも魔笛第一幕があいた。

フィッシャーの演出は19906月にかかった新演出ということだが、いたってシンプルなもので、それでいて斬新というわけでもないので、若干チープな感じがしないでもないが、それもこれも束の間、歌手陣の充実度にすぐに耳を奪われる。

均質なアンサンブル、美しく響く声。

歌手陣の容姿、風貌は大人びており、大の大人がおとぎ話の世界に迷い込んだようなウィットの効いた素晴らしさがある。

日本人がカワイコブリッコするしぐさ(大人もする)とは完全に一線を画した考え抜かれたキャストによる演出だ。

このような観点を頭の隅に常駐させて、モーツァルトの音楽を聴くと大人のエスプリの表現が明らかだ。非常に魅力的な音楽である。

ちょっとHな局面もステージは明るく照らされており、含みのある動作というよりもむしろ、あっけらかん、といった趣も感じられて妙に気持ちが浮き浮きしてくる。

日本における長い興行の一日目がこのようにして始まったわけであるが、肩の力を抜いた日常の演奏を聴くことが出来たのは良かったことだと思う。

おわり

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一ヵ月半のベルリン国立歌劇場1 1990-12

2007-04-21 22:37:13 | 音楽

Scan10012

この前、

ヴァントの筋肉ブル8 1990-11

のところでも書きましたが、この年の101112月はコンサート、オペラのラッシュでした。

ヴァントのブルックナー第8番が演奏された113日も、それだけとれば、それはそれでエポックメイクな日ではありましたが、ここらへんの日程は、実は合間に聴いたブルックナーといった感じなんです。

というのも、1989年にベルリンの壁が崩壊して丸一年後、ベルリン国立歌劇場が恐ろしい日程で来日していたのです。

19901018日から125日まで約一ヵ月半、日本に腰を落ち着けて連日連夜のオペラ、コンサートを繰り広げていたわけです。前半はオペラ公演、後半がコンサート。

ベルリン国立歌劇場は1992年からバレンボイムが棒を振り始め、黄金期をむかえるわけですが、その前、スイトナーなどの棒による見事なまでのビロードのようなサウンドにその昔から酔いしれていたのも事実です。

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それで、今日はこのときのスケジュールだけとりあえずアップしておきます。

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ベルリン国立歌劇場

1990年日本公演日程

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1018()上野 魔笛●

1019()上野 魔笛

1020()上野 魔笛

1023()上野 ばらの騎士●

1024()上野 ばらの騎士

1025()上野 ばらの騎士

1028()渋谷 トリスタンとイゾルデ●

1030( -->


1931年のメトのカミタソ

2007-04-20 21:16:00 | 音楽

1930bodan

この前、久しぶりに電気河童になり1931年までワープしてきました。

ついでにオペラも一本観てきました。

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1931116()7:30pm

メトロポリタン・オペラ・ハウス

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ワーグナー/神々の黄昏

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ジークフリート/RUDOLF  LAUBENTHAL

グンター/FRIEDRICH SCHORR

ハーゲン/SIEGFRIED TAPPORET

アルベリヒ/GUSTAV SCHUETZENFORF

ブリュンヒルデ/ELISABETH OHMS

グートルーネ/DOROTHEE MANSKI

ワルトラウテ/KARIN BRANZELL

ヴォークリンデ/EDITHA FLEISHER

ヴェルグンデ/PHRADIE WELLS

フロースヒルデ/MARION TELVA

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アルトゥールボダンツキー指揮

メトロポリタン・オペラ

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噂通り、ものすごいスピードで進む。

神々の黄昏が、最後にはうなり、めくりあがる波。

さすがに、歌い手は今の時代の人は知らない人が多いと思う。

みなさんは残念ながら聴けなかったわけですが、

こんなCDならありますね。

1936111

メトロポリタン・オペラ・ハウス

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ワーグナー/神々の黄昏

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ジークフリート/LAURITZ MELCHIOR

グンター/FRIEDRICH SCHORR

ハーゲン/LUDWIG HOFMANN

アルベリヒ/EDUARD HABICH

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ブリュンヒルデ/MARJORIE LAWRENCE

グートルーネ/DOROTHY MANSKI

ワルトラウテ/KATHRYN MEISLE

ヴォークリンデ/EDITHA FLEISCHER

ヴェルグンデ/IRA PETINA

フロースヒルデ/DORIS DOE

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アルトゥールボダンツキー指揮

メトロポリタン・オペラ

CD番号 ARCHIPEL ARPCD 0007-3

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このCD3枚組であるので、やはり、やたらと早そう。それに大胆なカット。

1931年の5年後の演奏であるので、テンポが異なるということもあまりないと思う。

おわり

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史上最強のオペラ

2007-04-19 20:52:00 | 本と雑誌

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本の紹介なんですが、

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史上最強のオペラ

THE TOUGHEST SHOW ON EARTH

ジョセフ・ヴォルピー著

JOSEPH VOLPE

佐藤真理子 翻訳監修

発行:インプレサリオ

発売:ぴあ

3333

343ページ

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ヴォルピーさんというのは、1940年生まれで、

1964年にメトロポリタン・オペラハウスに見習大工として仕事をはじめ、

ルドルフ・ビング総支配人のもとなどで、大道具主任、技術部長を経て、

1990年に生え抜きのメトロポリタン・オペラハウス総支配人となる。

2005-2006シーズンを最後に引退。

ヴォルピーによる自身の歴史本である。

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71ページ目

「大道具の仕事場に戻る途中、ビングのオフィスの外でカルーソーの姿を見かけた。この偉大なテノール歌手に会釈をすると彼も頷いた。」

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エンリコ・カルーソーさんというのは

有名なテノール歌手である。

1873年生まれ、1921年没。

71ページ目に見かけたカルーソーは誰だったのだろうか?

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同じく71ページ目

「指揮者のカール・ベームはピットへ入って行った。

歌手のレオニー・ライサネクは王妃役、

ジェームス・キングは王様役、

ウォルター・ベリーは染物屋、

クリスタ・ルドウィッグは染物屋の妻役、・・・・」

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普通の音楽好きなら、こう書く。

「指揮者のカール・ベームはピットへ入って行った。

歌手のレオニー・リザネックは王妃役、

ジェームズ・キングは王様役、

ワルター・ベリーは染物屋、

クリスタ・ルードヴィッヒは染物屋の妻役、・・・・」

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1940年生まれのヴォルピーが1921年に亡くなったカルーソーを見かけることは一般的にはあり得ない。

訳が間違っているか、独特の言い回し、誰かのあだ名、などいろいろ考えられる。

ただ、カルーソーを見かけた話はほかのページにも出てくる。

また、そのあとの、歌手の日本語読みについてもかなり変。

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早い話が、音楽のことを知らない人が、訳している。

71ページ目は例であるが、他のページも基本的に惨憺たるものだ。

あまりひどいので、正しいところまで疑いたくなる。

まぁ、あらすじはあっているから、自分で訳す手間、原語で読む手間を考えると楽ではある。

3333円の価値があるかどうかは、再考の余地あり。

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内容的には読んでのお楽しみであるが、等身大の書きぶりには好感をもてる。また、年代なども正確。だから訳がますます問題だ。

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ちゃんと読みたい人は原語オリジナルを横に置くことを勧める。

BARNES & NOBLEで買うと25ドル95セント。

おわり

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たなざらし番外編 ヴァントのSACDベト全

2007-04-18 20:49:00 | 音楽

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2007321日に、ヴァントのSACDのベートーヴェン全集が出た。

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ベートーヴェン/交響曲全部

ギュンター・ヴァント指揮

北ドイツ放送交響楽団

スタジオ録音(1984-1988)

RCA BVCC-374737

日本独自企画

初回限定生産

SACD ハイブリッド

CD AUDIO STEREO

DSDマスタリング

10,500(5枚組)ボックス入り

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特筆すべきはBMGマスターテープではなく、NDR放送局のマスターテープからのマスタリングであるということ。

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このベト全は、20年ほど前一番最初に出たとき(白地に上方横に赤線がはいったボックス)、その演奏の素晴らしさに耳を奪われた。

しかし、今回のマスターテープから作成したSACDは、

耳から鱗が落ち、

耳が洗われる。

演奏と素晴らしい音質、ともに唖然。

内容は買って聴いてのお楽しみ。

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例によってちょとだけ。

今の時点で12345番までしか聴いていない。

この全集は入念に作成されたスタジオ・セッション録音であり、瑕疵はない。

エロイカ、運命、ともに全く気張らないものであり、124番と同様の演奏スタイルに徹底している。

エロイカは、偉大なものは単純である、という誰かさんの名言そのままの演奏も限りなく素晴らしいが、運命の平常心から始まる第1主題、そして最後のコーダまで剛直なまでに果てしもなく続く素晴らしい演奏。

一つ一つの楽器が生きて呼吸をしている様子が手に取るようにわかる。

再現芸術というよりも、今まさに創造されているような錯覚に陥る。

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このボックスには、97ページに及ぶ解説がついている。日本独自企画なので日本語。

いろいろな人の文が載っている。

船木篤也さん

ヴォルフガンク・ザイフェルトさん

喜多尾道冬さん(1989年の再掲)

平野昭さん(1989年の再掲)

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さらに、資料編ということで、

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ヴァント/NDR so.の演奏記録

1992年インタビューの全訳

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さらに、

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プロダクション・ノート

(当録音の経緯)

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もちろん、曲目紹介、演奏者紹介、もある。

録音データがすごい。

初出の時の録音データの修正まで全てのっている。

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いろいろとすごい解説だが、なかでも、

船木篤也さんの文章が熱い。

特にエロイカを振る時の姿の描写が熱い。

ヴァントは、一小節分きっちり空振りしてから第一小節の打撃音にはいる。

ヴァントの指揮をみればその熱い思いが伝わってくる。

この前、1990年の来日公演のことを書いたのでそちらもよろしければ読んでください。

ヴァントの筋肉ブル8 1990-11

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ということで、何度聴いてもしばらくは飽きのこない完全に素晴らしい演奏だ。

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ところで、なんで、たなざらし番外編、なのか。

それは、一言でいうと価格。

5枚で1万円というのは今の投げ売り消費社会には全く馴染まない。

いくらSACDとはいっても、ある程度まとまりボックスになると少しは安くなるものだが、今回のブツは、ピクリともせず強気の価格。

へたをすると、たなざらしの可能性を否定できない。

おわり

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塔レコ 自力発掘

2007-04-17 21:20:00 | 音楽

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渋谷の塔レコにいってCD20枚ぐらい買って袋に入れてもらい、それを持ったままどこかにお酒を飲みいき、あまり記憶がないまま自宅にたどり着き、翌日、忘れずに持ち帰ったらしいCD20枚入った袋をひっくり返したところ、写真のようなパンフがCDと一緒に出てきた。

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100タイトル

タワーレコードRCA

プレシャス・セレクション1000

堂々完結

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たしかに快挙だ。

CD販売会社が企画から販売まで行うわけだから、まずクラシック音楽に対するその熱い思い、志に敬意を表したい。

新星堂なども同じような企画があると記憶するが、塔レコの方は規模、内容の濃さで上をいく。

ニュー・リマスターで、値段も一枚あたり千円という手ごろ感がいい。

ただ、キャッチコピーが少しわずらしいところがある。

秘蔵音源。

隠し玉。

幻の音源初登場。

日本初CD化。

世界初CD化。

知る人ぞ知る。

歴史を変える超弩級の発見。

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そんなに素晴らしかったらなんで手にはいらなかったのかしら。

ちょっと不思議に思ったりもする。

所詮キャッチコピーなのか。

いや、そうでもない。

その時代背景、発売タイミング、などがかみ合わずに出なかったりしたものや、再発できなかったものがあったりで、今のこの時点だけの勝手な思いはいけない。

もともとどうしても聴きたかったら、手に入れることができるものが多いのであるが、入手ルートの関係で高額になったり、アナログディスクしかない、などハードルが高かったりする。

それが手ごろ感、簡便さ、などこうやって店頭にならんでいるとその魅力につい手が出てしまう。

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何点か買っているが、これなどどうかしら。

ブルックナー/交響曲第6

ウィリアム・スタインバーク指揮

ボストン交響楽団

1970

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シューベルト/交響曲第9

ウィリアム・スタインバーク指揮

ボストン交響楽団

1969

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スタインバークは小沢の前のボストンの常任であるが、ほんの3シーズンほどしかいなかった。

DGから出ていたホルストの惑星など、あの水色のジャケットのアナログディスクを思い出したりする。

この2点は、塔レコのこの企画があるまで知らなかった。

ブル6はボストン交響楽団の水分を含んだような水を切るようなサウンドが魅力的。

スタインバークは根はドイツの指揮者であるはずだが、このブル6は妙に音色バランスが独特なところがあったりして、それでも気を衒わない新鮮な味わいがある。

スタインバークは、ボストンの前はピッツバーグ交響楽団を振っていたが、そのときにもこんなのを録音している。

ラフマニノフ/交響曲第2

ウィリアム・スタインバーク指揮

ピッツバーグ交響楽団

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これはオープンリールテープをもっているが、肝心のデッキの方は何年か前にオーバーホールが済んだのに運搬してもらった際の段ボール箱にはいったままだ。

おわり

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一杯の値段

2007-04-16 21:27:00 | 音楽

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この前、コンビニの雑誌コーナーをのぞいていたら、こんなのがあった。

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知っておきたい

東京BAR

10×10

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ピアのムックだから、細かいことはあまり期待できないが、表紙の写真に釣られて買ってしまった。

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10テーマ

10スポット

合計で、100店紹介。

大人の100店ということらしい。

リラックスしたいときの斜め読みにはちょうどいい雑誌だ。

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バーでリカーの値段メニューをあまりチェックしたことがないので、こんな雑誌があると河童蔵で飲みながら、たまにはチェックしようかと思ったりする。

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このムックによると、チャージは基本的には席料、サービス料、とお考えください。

と、あるバーテンダーによる回答を載せている。

席料については河童は完全に納得している。

ただ、チャージ=サービス料といわれると、サービス料を別にとるところもあるわけで、説明としてはいま一つ納得がいかない。

席料は、入店したら席に座るわけだから席料を別にとるのは変、という人がいるが、そこまでくると屁理屈っぽくなる。

一か所の場所で複数の種類のお酒を自分の思うまま、きれいに磨いたグラスで飲めるわけだから文句は言わない。お酒に合ったつきだしもでてくる。

自宅である晩、2種類のお酒を飲みたかったら2本買わなければならない。

明日はもう飲みたくないかもしれない。

グラスも少し汚れているかもしれない。

つきだし作りも手間がかかる。

など、あれやこれや考えたら、これはこれでわりと納得している。

この前、仕事の連中と宴会で定額飲み放題プランというのをやって、最後にお勘定したら、定額より高かったので確認したら、つきだしは別料金になっていた。

これは頭に来る部分もあるが、売る方と買う方の考え方の相違というしかない。

ただ、売る方が客の方を向いていないだけ。

こんな商売もあるのかと、河童の目から鱗があれば落ちていたに違いない。

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いきなり話がそれたが、パラパラとめくっていって値段だけチェックしていくと、こんな感じが多い。

チャージ1000

サービス料10パーセント

平均予算5000

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グラス一杯の値段がだいたい1200円ぐらいだったら、平均予算5000円で何杯飲めると思いますか。

サラリーマンはこのようなシステムには慣れている人慣れていない人さまざまいるが、慣れていない人の方が圧倒的多数。

慣れていてもきっちり計算する人もいたりして、絶対金額だけで比較論をすると、飲み放題食べ放題プランに傾斜する。

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それで、入店すると最低一杯はたのむわけだから、

チャージ1000円、

一杯1200

これで小計2200

サービス料が明瞭でなく、小計2200円の10パーセントとったりするところがあるので220円。

一杯で帰ると、合計で2420円。

二杯で帰ると、合計で3740円。

三杯で帰ると、合計で5060円。

もうそろそろやめて帰った方がいいかもしれない。

なにしろ計算には消費税をいれていない。

麻雀の点数計算ではないが、この感じを頭の中に叩き込んでおけば、自分なりにてんぱっているとか、ざんく、だな、はねまん、いきそうだな、などと皮膚感覚でわかってくるものだ。

もちろん、リカーの値段丸覚えには、普段のたゆまぬ努力が必要である。

全部1200円なんてぇのは、とんでもなく甘い考え。

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このムックにでている感じでは、夜景とか飲むこと以外のオプションがあったりすると、オプション代とは別にサービス料を取るお店が多いようだ。

品川プリンス39階の値段は完全に間違っていると思うけど。

チャージ500

サービス料10パーセント

サントリー山崎12年 1500

平均予算1800

これはありえない。完全な誤りだと思うのだが、夜景系のお店は、チャージ、サービス料が割高なわりには、平均予算が30005000円となっている。なんかへん。何か特別な飲み方があるのだろうか。

前に、銀座の和食屋にはいって二人でアラカルトを食べたとき、一品ずつの値段があまりにもザックリベースで、法外で、それでいて、とんでもない量を食べたので高額請求を予想して腹をくくっていたのだが、でてきた紙切れに書かれた請求が二万円すこしでたぐらいで、これまた予想を裏切る価格破壊でびっくりしたことがある。

注文し過ぎると何か別の法則があって、値段カーブが滑らかになるのかしら。バーもそれならいくらでも飲める。

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いずれにしても、お酒を飲んでいるときにお金の計算をしてはいけない。日頃からお酒と金額の関係を勉強しておき、いろいろなパターン、ケースを想定し頭の中に叩き込んでおかなければならない。もちろん、酔いのせいで自制がきかなくなることも事前に計算式の中に入れておく必要がある。

おわり

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