河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2232- ブラス・アンサンブル・ゼロ、2016.11.29

2016-11-29 23:38:42 | コンサート

2016年11月29日(火) 7:00-9:15pm さくらホール、渋谷区文化総合センター大和田

モンテヴェルディ ポッペーアの戴冠、組曲(1642)  ブラス9  1′4′1′
ラムゼー 金管四重奏曲第5番 tp-tp-hr-tb     5′3′3′5′
リーム シネ・ノミネⅠ(1985) tp-tp-hr-tb-tb  9′
シャルリエ コンクールのための独奏曲第2番 5′
  Tp、川田修一、 ブラス8

Int

シュニーダー 4つの短い物語(2000) ブラス9  1+1+1+1
藤原功次郎 ピアノ協奏曲 僕たちはどこで間違ったんだろう(2016)
                         憎悪 tp-tp-hr-tb-tb    7′
                         感謝 hr  6′
  ピアノ、藤原功次郎

クレスポ アメリカ組曲第1番 tp-hr-tub-tb-tp    2′4′3′
ピアソラ ブエノスアイレスのマリア、組曲 ブラス9  10′
(encore)
菅野祐悟 軍師官兵衛 3′
 Tb、藤原功次郎、ブラス8

演奏、Brass Ensemble ZERO


10人のアンサンブル。ひとり留学中で9人のアンサンブルでの演奏会。そのため、
ブラス・アンサンブル・ゼロ マイナスワン
というネイミングでの公演。

オーケストラ・ゴアーズにとってはなじみの顔が並びます。
プレイヤーの皆さん、ヤングガイでサウンドも若々しくて張りがあり、天井の高いこのホール、響きがよく伸びていく。素晴らしい演奏でした。

モンテヴェルディ
2曲目の「ただあなたを見つめ」濃い演奏でモンテヴェルディを満喫。伸びていくサウンドが心地よい。すっきり。

ラムゼー
がちがちのソナタ形式。メリハリのきいたプレイで、切り替えが機敏。腕達者でフォルム認識もすごいもんですね。

リーム
シネ・ノミネⅠは1985年の作。目新しいものはない。オーケストラ作品のブラスセクションのパートを切り取ったような響きの具合。当時のアカデミックな斬新さとそれ以前の古いものが混ざっているような作品。流れるところとアクセントつけてアタック、これらの絡み合い。
演奏が研ぎ澄まされていて堪能しました。

シャルリエ
編曲のせいか、ソロがブラス8人衆にときおり埋もれる。殊の外柔らかい曲。

シュニーダー
分かりやすいショートピース。流れのいいプレイでノリがあって活力がある。
オクテットのための曲とあるが9人いたようです。

藤原功次郎
JPOでおなじみのかたの自作自演。作曲とピアノもやるとは知らなかった。
2ピースの構成。副題は全くのミスマッチと感じる。両ピースともに甘口がまさる。
1個目の伴奏プレイヤーたちの含み笑いのようなあたりが気になる。ピアノ・ヴィルティオーゾ作曲家の写しのようなものだからなのかしら。両腕の指の動きは達者ですね。
2個目は伴奏は引き揚げ、ホルンのみ残る。スローなもので、なにか、ホルンソナタのアダージョ楽章でも聴いているような味付け。この腕前とトーンの特色、所属オケのサウンド特性をよくあらわしていますね。

クレスポ
これもノリの良いピース。アメリカ大陸にあるものを題材にしている。合衆国はそれに含まれるもの。素材を並べた作品でブラスの響きを楽しむもの。はじけるようないい演奏でした。

ピアソラ
3曲ピックアップの組曲で連続演奏。ピアソラはひところ大ブレークしましたけれども今はブーム下火なんですかね。それとも通奏低音のようにポピュラーなものになっているものなのか、ちょっとわかりません。ダンスミュージック風味。スモーキーなシーンが浮き沈みするような音楽。目に見えるものがあればさらに効果的だったでしょう。ブラス演奏での沈みこむような味わいは簡単ではない。
踊りがつけば臨場感が増すだろうなと感じた。


以上、大変に楽しめました。良かったです。


昨年(2015.12.12)、日フィル定期でヴォーン・ウィリアムズのチューバコンチェルトを吹くのを聴きました、その柳生さんの目立つ出番はありませんでしたが、次回は是非とも彼が活躍する作品もとりあげてほしいものですね。
おわり

 


2231- アルテンベルク、天羽、ラヴェルLHPC、エマール、GM4、大野和士、都響、2016.11.28

2016-11-28 23:22:46 | コンサート

2016年11月28日(月) 7:00pm 東京文化会館

ベルク アルテンベルク歌曲集 3′1′1′2′3′
 ソプラノ、天羽明恵

ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲 8+6+4′
 ピアノ、ピエール=ロラン・エマール
(encore)
ブーレーズ ノーテーション 8,9,10,11,12   4′

Int

マーラー 交響曲第4番ト長調  16′9′20+8′
 ソプラノ、天羽明恵

大野和士 指揮 東京都交響楽団


素晴らしいプログラムで、ソリストも2名、内容も同じく素晴らしいものでした。

ベルクは退廃的な香りがするもので、限りなく短いピースに音楽が凝縮されている。若いときの作品。歌詞を読み上げる長さどおりの曲の長さと感じる。声と楽器の絡みがいいですね。見事な独唱がキラキラするオーケストラサウンドから浮かび上がってくる。楽器の一つのようにも聴こえるし、明らかに異質のものにも感じる。天羽さんの声は大変に魅力的、自然な歌い込みでなめし皮のような響き、百戦錬磨の声がする。ジャストマッチ、余裕の天羽さんでした。
オーケストラの平衡感覚も素晴らしく、機能的なあたりのことに気付かせることなく、細部に光を当てていく様が見事。

ラヴェルのレフトハンドは、らしいキラキラさを、やっぱり、片手でエクスプレッションするにはちと無理がある。オーケストラ伴奏は光り輝くものをサポートしてはいるのだろうが、なぜか同じくやや重い。暗から明へといったところはありますね。
エマールは今年LFJでメシアンの鳥のカタログを3回に分けて全曲演奏した。そのうち1回目と3回目を聴きました。録音した鳥の声、鳥の映像、トーク、そしてピアノ演奏と面白かった。あのイメージが強く残っている。
やや左サイドから見るエマールの手。右手の止め具合がたいへんだろうなぁと感じる中、殊の外、柔らかい左手の運び。動きは柔らかく音は鋭く。音の強さの幅が大きい。オーケストラに打ち消されないピアノ、カデンツァも絶妙でした。見事なピアノでした。
カオスのような始まり、オーケストラはそうはならず、とにかく明瞭。極めてクリアでこの種の演奏には最適。終楽章最後の打撃音とめくりあげるようなエンディング。きれいにきまってまして圧倒的。
エマールのアンコールはブーレーズのノーテーション8-9-10-11-12。前日の同一プロ演奏会のアンコールでは1~5をやった模様。もう1回レフトハンドやってくれてアンコールもやってくれれば全部演奏することになったのかもしれない。

後半のマーラー。
線の音楽。最初から最後まで一本の線というものを感じさせる作品で、際どいバランスがいたるところにある。都響の音はあいかわらず硬い。硬いのだがよくよく聴くとひとつずつの線が細い。細さが硬さを感じさせていたようなところがある。聴きようによっては痩せている。アダージョ楽章にズシーンと奥行きや深さが感じられないのはいたしかたがないと思う。半面、ひとつずつのインストゥルメントの線が束になるときのパッセージの運びなどはよくきまっていて美しい線。これはひとつバランスを崩すとかなり際どい演奏になると思うのだが、そうならないのはハイレベルスキル保有者がまんべんなくいるからであって、もはや明確にスキルが音楽のレベルを維持している。だから指揮者が変わっても一線のレベルはだいたいクリアできるという話なわけですね。ティンパニは毎度きつすぎると思いますが、オケのこのような硬質さを助長していますね。
といったことを、この4番を聴いてつくづく思いました。
アダージョ楽章の最後の盛り上がりのところで天羽さんがしもてから登場。ベルク同様な声のタッチが美しい。上から下までおしなべて一律なトーンで極めて自然。作為や困難さをまるで感じさせないビューティフルな独唱。
マーラーの線、音色旋律風味に色々と変えてくるこの曲、線が事も無げに色変わりしていく。機能的で平衡バランスに優れた都響の演奏も終始お見事なものでした。


サントリー定期をこの日に振り替えましたところ、なぜか1階の高台良席に。独唱、ピアノ、オーケストラの呼吸、双方よくわかるものでした。ありがとうございました。
おわり

 


2230- メンコン、ベル、マーラー5番、ハーディング、パリ管、2016.11.25

2016-11-25 23:56:49 | コンサート

2016年11月25日(金) 7:00pm 東京芸術劇場

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調  15+8+6′
 ヴァイオリン、ジョシュア・ベル

Int

マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調  13′15′18′11+14′

ダニエル・ハーディング 指揮 パリ管弦楽団


昨晩に続き、今日も同じ組み合わせで。
昨晩はプログラムと企画がいいとは言えず残念な結果でしたが、この日はコンチェルトもシンフォニーも、らしさが出てきました。
前半のベルのメンコンは活力があり、山のように聴いている曲なれど味わいながら聴くことが出来ました。ただ、もう、この曲は勘弁。別のにして。

マーラーはだんだんと活力が盛り上がっていきました。
真っ暗な第1楽章、特に第2主題をダークスローでやられると鬱度が増すが、ハーディングはたぶんそれ狙いではなくて、精緻さと言いますか、繊細さと精度に、より光をあてる、この傾向は既に彼が持っている特質でしょうから、そういう指示がこの1楽章から反映されてあのような具合の右下がりのような演奏字体になっているのだと思います。この楽章の〆のピチカートなんか慎ましやかで、繊細さが勝つハーディングの肌触りが如実にでました。まぁ、うまくいっているところそうでないところ、これは新日フィルを振っていた時でもそうでしたね。作品の波長より自身のスタイルを、より前面に出す。それがうまくはまるかどうかは別。
この曲は1,2楽章と後半3,4,5楽章切り替えが難しい。ギアチェンジ。後半三つの楽章はハーディングにフィットしています。第3楽章の奇妙なワルツのディテールへの照射。4楽章の中庸よりちょいオソのニュアンスに富んだ美演。終楽章の少しずつエスカレートしていく、作品のうまいまとめ。全5楽章の統一感は今一歩。これからでしょうね。

パリ管の弦は締まり、しなる。ブラスはほどほどに抑制。濃いビブラートとかはありませんね。時代が時代ですからという話か。スタープレイヤーが欲しいですね。

前日は1000円のツアー・プログラムを買わないと、何をやるのか、何がどう変更になったかさえわからなかったわけですが、今日は改善されていて、一枚ものを配っていました。

パリ管もご多分に漏れず、指揮者への派手なストンプ。し過ぎです。自分たちの音楽監督を自分たちでほめて客になにを訴えようというのかしら。10月中盤からこの日まで来日オケオペラ17公演聴きましたが、ここまで派手なのはこの日のパリ管だけでした。
おわり


2229- ブラコン、ベル、ロメジュリ、ハーディング、パリ管、2016.11.24

2016-11-24 23:14:21 | コンサート

2016年11月24日(木) 7:00-9:25pm 東京芸術劇場

ブリテン ピーター・グライムズ 4つの海の間奏曲 3+4+4+5′

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 23′8+9′
 ヴァイオリン、ジョシュア・ベル

Int

ベルリオーズ ロメオとジュリエット 抜粋
 ロメオひとり-キャピュレット家の大宴会 13′
 愛の情景 18′
 マブ王のスケルツォ 8′
 キャピュレット家の墓地にたたずむロメオ 8′

ダニエル・ハーディング 指揮 パリ管弦楽団


パリ管はいつ聴いて以来なのか記憶にない。エッシェンバッハのときはむろん行かないとしてもヤルヴィPのときも記憶なし。昔は沢山聴いたけど、とにかく久しぶりなんだろうと。
1000円プログラムに地元評論家のメルランが書いてある通り、エッシェンバッハの残した険悪なムードによって弱体化し不満を募らせていたオーケストラ~、日本の評論家ならこんな露骨な書き方はしないと思うけど、なんで彼が音楽監督なんだろうという不思議な出来事と思えた事態はこの評論家の言で、結果納得のようなところはあります。
プログラム冊子冒頭のお偉いさんの挨拶の次にこのような文を持ってくるあたり、フランス的ですな。
ヤルヴィPの功績が大きかったこと、そしてハーディングへと。評論家なれど自画自賛的なあたりは地元在住ならではのところがある。ただ、ハーディング自身述べているように就任の今シーズンは既に他指揮者でスケジュールが埋まっている、また自身の他オケ振りも決まっていて、空いているところに潜り込む感じ。来シーズンから本格的にかかわっていくとのこと。

久しぶりに聴くパリ管は整理整頓されているという第一印象。ベースの締まり具合、弦のバランスの良さ、慎ましやかなブラス。弦のフレージングが強靭でこれは昔もそうだったのかしらと。

今日のプログラム構成では、よくわからない。
ブラコンは進むにつれて少しずつスローになるのを、ハーディングの棒で元に戻したりの不思議な演奏。
ベルリオーズの抜粋は見た目、9割がたブラス、パーカス類の出番が無い。管弦楽のみのところをピックアップしたもので、テキストは無くてもいいのかもしれないが、プログラムノートは粗末。曲順が変更、さらに1曲追加になっていてその説明は印刷が間に合わなかったのか書かれていない。
ぱっとしない企画練り上げ不足、もしくは選曲ミスではないだろうか、前半プロも含めて。
頭のブリテンは連続演奏でした。場面のシーンが浮かぶような音の深彫り感は無し。

色々とあるが、もう一本プログラムがあるのでそれを聴いてから。

ハーディングの指揮については、新日フィルの時代に山(小山)のように聴いているので、だいたいのところはわかります。
おわり


2228- エンペラー、キット、ロメジュリ、レ・プレリュード、ティーレマン、ドレスデン、2016.11.23

2016-11-23 23:06:02 | コンサート

2016年11月23日(水) 5:00-7:15pm サントリー

ベートーヴェン フィデリオ 序曲  5′

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」 20′8+10′
 ピアノ、キット・アームストロング
(encore)
バッハ コラール前奏曲から「おお愛する魂よ、汝を飾れ」 BWV654 7′

Int

チャイコフスキー ロメオとジュリエット  21′

リスト 前奏曲 15′

(encore)
ワーグナー ローエングリン 第3幕への前奏曲  3′

クリスティアン・ティーレマン 指揮 シュターツカペレ・ドレスデン


極限越えのミラクパフォーマンス、圧倒的パワーと盛り上がりに悶絶。もはや、神越えのウルトラ演奏。

あまり表情を変えることの無いティーレマン、ここぞとばかり、ロメジュリ最後の盛り上がりの直前のピアニシモからの展開、大きな体躯の彼がポーディアムでひざを折りまげ、その上あたりに左手を当て、ズボンを少しずりあげ、さらにひざを折り完全なしゃがみ状態、あまり大きくない口を横に大きく開け、ぐるりとまわりを見据え、マグマを噴出。オーケストラのこの世のものとも思えないスーパーサウンドは天空越えの圧倒的な盛り上がり、強烈シンコペーションが地響きをたてる。圧巻、圧巻。ロメジュリは吹っ飛んでいった。筆舌に尽くし難い演奏というのはこういうものなんだろう。この世に2度あるかどうか、とんでもねぇ演奏だった。

ティーレマンの棒というのは殊の外、単刀直入で、まどろっこしい甘美スタイルではない。山に駆け上がるにも一気に行く。エネルギッシュでダイナミックさが勝る。一瞬、ドラスティックに見えたりするがこれが彼の作品解釈と演奏表情付けの方針。この前のスーパーウルトラ演奏のラインゴールドでも同じですね。
今日のロメジュリも同じ味付け、上述の盛り上げもテンポを落としてコッテリと、といった雰囲気はまるで無し。通常進行での音楽的な盛り上げ、これは彼独特の技で、裏表一体化しているこのオーケストラの表現能力の偉大さを思わずにはいられない。カミソリ技。そこに持っていくティーレマンの才覚。アドレナリンの空中伝播。
それやこれやなんだが、このオケの能力には恐れ入る。ロメジュリの最後のロングトーン聴けば開いた口が2分ぐらいふさがらない。この透明な張り具合。唖然茫然、聴いているほうは座りながら立ち尽くす。あまりのぶっ飛び演奏にのけぞる力も残っていない。

言われなくてもわかっているオケと、そのことをわかっている指揮者。そして、双方の大人の立ち振る舞い。彼らにとってあたりまえの演奏だったのかもしれないが、普段からこのような関係が築かれていればこそのビルドアップされた日常演奏が普通に可能になるという話だろう。
演奏後のプレイヤーへのスタンディング指示もティーレマンの演奏スタイルそのものですね。まどろっこしい指示は一切ないし。君立って、君たち立って、明確。一見横柄に見えたりするがトップリーダーはこういうことも必要。双方わかっている。双方の自負がいい具合に両立している。
どっかの国のオケみたいに、あっ、オレ立つの、なんだから、横の君たちも一緒に立とうよ、子供の風景には毎度あきれるが、ティーレマン&ドレスデンの爪の垢でも煎じて飲むのはスケジュール的にもつらいかも知れないから、団体の親分はこのような大人の立ち振る舞いが日常のオーケストラ演奏会を見て勉強し、団員にお話をして聞かせてもいいと思いますよ。大人の関係、大事ですね。客演が常態化している日本オケ、それでももっと大人の自負と心意気をもっていいと思いますね。ついでに親分にはP席に座ってもらって、にやけない、踊らない指揮の神髄もしっかり見てほしいものです。にやけて踊る前にすることが山のようにあるはずだということがよくわかると思いますよ。熱い湯船になってくださいよ、ステージの上の方々。そうすれば振る方はもっと熱くなって湯船に来ますから。
人類の至宝コンビを目の当りにしたわけで、こうゆうときは演奏だけではなく、始まる前から終わり切るまで、すべて見尽くすのがいい勉強になる。そういう話です。


あんぐりと開いた口がふさがる間もなく、しもてから一度挨拶にポーディアムへ、二度目にしもてから現れたティーレマン、このときすでに前奏曲が始まる。息をつく間もなくリストの圧倒的な波、波。
ロメジュリはティーレマンにとって標題音楽ではなくて、もはや純音楽的なリアリティー。彼のスタイルに合う音楽なのだろう。このリストも同じ。切り込みと音の広がりはオーケストラにとっても共感が強いもの。ロメジュリの上をいく音の広がりを感じました。ストレートでエネルギッシュな演奏スタイル、それに、タップリ情感はテンポを落とさなくても表現できるということをよく教えてくれる。フォルム重視の造形感が一段と濃くなる。昨年聴いたブルックナー9番のところにも書きましたけれど、フルトヴェングラーとまるで違うパフォーマンスだがそれが説得力ある次元として存在している。
圧倒的な弦の広がり、透明感。弦のようなブラスセクションの鳴り。木製マシンのようなウィンド、金属音ではない鋭さ感じます。
ひとつしかないようなフシでここまで展開できるリストの技が凄い。織物のように積み重ねていくオーケストラの力量、圧倒的な音楽、内声部の広がりを実感させつつ、ブラスが二音を伸ばし切り折り目をつけるようにあっけなく前奏曲は終わる。ロメジュリと同じく拍手するアクションも忘れて聴き尽す聴衆。終わったという実感が遠のく。


エンペラーを弾くはずだったブロンフマンがキャンセル。代わりにキット・アームストロングが同曲を弾くことに。そのせいかどうか、ティーレマンにより1曲追加がありました。
追加となったフィデリオ序曲をまず冒頭で演奏。サービスと準備体操だったのかもしれないが、後半のロメジュリ、前奏曲と何も変わるところがない熱い演奏。エネルギッシュで大迫力、レオノーレが仰天しそうな演奏。弦のきしみが心地よいベートーヴェンですな。

キット・アームストロングは昨年(2015.2.26)一度聴いた。ブリテンのピアノコンチェルトでした。今日はエンペラー。
1992年生まれのキット。24才。作曲までするマルチ才能派。
主役は伴奏オケで、譜面上、オーケストラの音が切れるところをピアノがつないでいく。そんなところですね。ブロンフマンならガチンコもしくはオケと同質のダイナミックでエネルギッシュな演奏と推測されますが、今日のピアニストは別の事をしている感が強い。ミスマッチとは言わないが世界観が違う。オーケストラサウンドを聴いて満足でした。1楽章のいきなりピアノのあとの主題の入念な演奏、第2楽章の弱音の音の運び。聴きどころ満載でした。
ピアノアンコールの甘口バッハ演奏にはびっくり。

今日の演奏会はマイクのセッティングがありましたから、いつかメディアで聴ける日がくるかもしれません。

ティーレマンはくぎ抜きスタイルが少し減った気がしますね。このオーケストラとは阿吽の呼吸でしょうから過激にくぎを抜く必要もないのかもしれませんし、両腕を前に八の字を作っていく動きがあれば十分なんでしょう。
どっちにしても、この組み合わせ、人類の至宝ですね。こんなコンビ見たことも聞いたこともない。

ティーレマンのポーディアムへ向かうステップ、それに引き下がるときのステップ、彼の作り出す音楽の熱と同じですね。
おわり








 


2227- ショパンPC2、ユジャ・ワン、ブルックナー7番、MTT、サンフランシスコ響、2016.11.22

2016-11-22 23:50:07 | コンサート

2016年11月22日(火) 7:00pm NHKホール

ショパン ピアノ協奏曲第2番ヘ短調  15′9+8′
ピアノ、ユジャ・ワン
(encore)
シューベルト(リスト編) 糸をつむぐグレートヒェン  3′

Int

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 (ハース版) 21′21′9′12′

マイケル・ティルソン・トーマス 指揮 サンフランシスコ交響楽団


前日のサントリーに続き、同じ組み合わせで今日はNHKホール。プログラムは前の晩とは全く別。

ユジャさん、今日はピンクのシースルーのロングドレス。例によって背筋がすべて見える大きく割れたドレス。歩きにくそうなのは毎度のハイヒール。
リサイタルだと、前半後半だいたいみなさん衣装替えますけれども、オケ伴の協奏曲一本だとそういう楽しみは我慢ですね。今思うと今年の横浜でのリサイタルはかなり大胆で素敵、もちろん演奏もスーパーなものでしたね。

2179- ユジャ・ワン、ピアノ・リサイタル、2016.9.4
2181- ユジャ・ワン、ピアノ・リサイタル、2016.9.7


ショパンの2番コンチェルト。コンパクトで美しいアンサンブルの伴奏に乗って、やや細めのキラキラ光るようなピアノサウンドが奏でられる。指を突き立て掌と鍵盤との間に結構な空間。指力(ゆびぢから)ありそうですね。フリッツ・フォン・エリックのアイアン・クローを思い出す、ピアノの方が吸い寄せられていく感じ。まぁ、ピアノも本望だろう。
この作品のスコアは見たことありませんけれども、近くで観ていると、両腕が同時に同じ方向に動いていくパッセージが多いですね。両腕同方向フォルテ弾きは技が解放されたようなそう快感あります。また、弱音系の滴るフレーズの右手弾きの音価が正確で山の尾根にいるようなバランス感覚、指のツイストで音色まで少しずつ変化するようなカラフルな響き、これもあれも素晴らしい。透明なガラス細工。
全体フィーリングとしては、自分の感性からの発露。これが彼女の魅力ですね。自分を信じ切ってプレイできる、こうゆうところは凡人ごときからは羨望の眼差し。説得力ありますしね、魅力的なピアニストです。
ということで、あっという間に時間が過ぎていく。絶品の30分。
伴奏となるオーケストラのオタマジャクシは、素朴に過ぎて際どいもの。シンプル過ぎる。
なんだが、
サンフランシスコ響の伴奏味付けがまことに良い。MTTは室内楽的な響きを大切にしている。オケコントロールが抜群でハーモニーバランスも最高です。このピアノにしてこのアンサンブル。惚れ惚れする伴奏というのもアレですけれども、美しいサポートでした。昨日も書きましたけれども、MTTのオケコントロールは抜群で、プレイヤーのほうも納得づくのもので双方のやる気方向が一致、いわゆるシナジー効果抜群。

この日の公演はNHKの音楽祭という複数の来日オケ団体を点でピックアップしたような祭りの一環。前にせせりだしたステージのフロントにお花がたくさん。最前列の方々、これではピアノ見えないんじゃないのかしら。


後半のブルックナーは見事な音響バランス、そして作品構成の造形感が極めてパーフェクト。フィナーレ楽章の展開不足を全く感じさせない見事な演奏でした。
Detail of duration at ab
第1楽章     21
提示部1s+2s+3s 3+3+2
展開部      5
再現部1s+2s+3s 2+2+1
コーダ      3

第2楽章 21
A  4
B  3
A´  5
B´  2
A´´  7

第3楽章 9
スケルツォ 3
トリオ   3
スケルツォ 3

第4楽章 12
提示部1s+2s+3s 2+2+1
展開部      1
再現部3s+2s+1s 1+2+2
コーダ      1

3,4楽章を足すと1,2楽章それぞれと同じレングスに。聴後感も全く同じでした。時間の流れを構成に置き換える俯瞰処理。全てが一貫した演奏でした。
第2楽章の贅肉無し演奏は作品の造形感を特に際立たせたもので、秀逸な演奏を後押し。

演奏スタイルは昨晩のマーラーと同様な趣きで、スタティックです。マーラーでは演奏ヒストリー的にはオールドに属するものかなと感じましたが、ブルックナーでは違いますね。スタティックなものはブルックナー作品に本来内在しているものと思う。
MTTの棒はパッセージにメリハリをつけたもので、主題推移とか部の進行の変わり目でテンポの激変は無いながらきっちりとギアチェンジしていく。ピッタリと揃う。指揮ぶりからそれはもう、明白で、その棒を完全に理解しまくっているプレイヤーたちの息の揃い具合がまことにお見事。
第1楽章コーダの弦トレモロが地響きを立てるような演奏ではなくて飽くまでも全体バランス重視ですね。弦は曲全体にわたり機能的な技が昇華して結実したような美しさがある。特にそれぞれの第2主題の流れるような弦の美しさはお見事。照射されたような明るさもいい。
出番がまだら模様のウィンド、ブラス。これらのコンセントレーションがものすごいですね。休止が続くあたりでの集中力が手に取るようにわかる。恐いぐらいMTTを凝視していますな。これあってのハイテンション演奏ができるわけです。まぁ、ブラスセクションはMTTの言うとおりに演奏するのが最善の策と思っているふしもある。特にこのような作品の場合。
それから音の鳴りが、直進性が勝るオケのように感じるので、この横広芸能ホールではその力が十分に発揮出来るところまではいかないようなところがあって、タップリではなくスキニーという感じ。

整然としたフィナーレ、コーダサウンドが済んだ後に残るものは、一つの作品がパーフェクトな形で出来上がっている。ブルックナー作品のお見事な演奏。
ブルックナーの作品とオーケストラを聴く醍醐味、両方大いに楽しめました。
ありがとうございました。
おわり

  


2226- ショスタコーヴィッチ、PfCon1、ユジャ・ワン、GM1、MTT、サンフランシスコ響、2016.11.21

2016-11-21 23:28:55 | コンサート

2016年11月21日(月) 7:00pm サントリー

ブライト・シェン 紅桜夢 序曲 (jp)  8′

ショスタコーヴィッチ ピアノ協奏曲第1番ハ短調  6+7+2+7′
 ピアノ、ユジャ・ワン
 トランペット、マーク・イノウエ

(encore1)
ユーマンス ふたりでお茶を 2′
 ピアノ、ユジャ・ワン
 トランペット、マーク・イノウエ
 ベース、スコット・ピンゲル(たぶん)

(encore2)
チャイコフスキー 4羽の白鳥
 ピアノ、ユジャ・ワン 2′

Int

マーラー 交響曲第1番ニ長調  15′8′11+20′

マイケル・ティルソン・トーマス 指揮 サンフランシスコ交響楽団


MTT&サンフランシスコ響を聴くのはほぼジャストの4年ぶり。(2012.11.20)
あのときはMTTの体調が思わしくなかった模様でしたが、show must go on.
彼の踏ん張りは大したもんだった。
このときはユジャも出ていて、プロコフィエフの2番コンチェルトを弾いた。メインはラフマニノフの2番シンフォニーでした。

ということで、また同じ組み合わせで今度はショスタコーヴィッチのコンチェルトを聴ける。期待値倍増。
この作品は9月(2016.9.26)にロジェヴェンによる例の大魔術タコ10の前半プロでやったのを聴いたばかり。

なんといっても、ユジャと指揮者の呼吸がぴったり、それにオケもMTTの通りに動くので彼らとの呼吸もホント、ピッタリ。
第1,4楽章の作曲家お得意の回転するようなリズムに乗って、強靭なバネのような細い指で掌が常時かなり浮く感じで押していくタッチが面白いようにきまる。今日も背中が大きく割れたロングのドレス、スポーティーで強靭そうな背筋が指先まで通っていそう。フィナーレなど、マシンのような歯車回転。諧謔的な雰囲気を醸し出しつつ、そういったものを飛び越えてしまっているプレイ。まぁ、ものすごい力量。ホールの空気が曲がる。
それから、第2楽章のレントは妖しげなワルツ。音の隙間が音楽で埋まる。なんとも魅力的。印象的でしたね。
ユジャのプレイは今年9月にリサイタルを2回聴いている。多彩なプログラムでした。それに今日のショスタコーヴィチ。万能ですな。
トランペットのマーク・イノウエはこのオケのプリシンパル。節目をつけながらのプレイで独特な流れ。小石の多い小川を、清らかにしぶきをあげながら流れる感じ。終楽章のピアノとの掛け合い最高。回転回転。ソロで活躍、ジャズでも。等々、多才。

ユジャお辞儀がオケメン全員に感染していて、大爆笑。


メインのマーラー1番。
MTTはご本人右サイドにマス酒のマスのようなものにコップ水を置いての指揮。
明るい響きで重厚、メリハリコントロール効いて、静止イメージが勝つ。スタイルとしてはオールドなものを感じさせる。指揮者との呼吸がよく合っている。メンバーもMTTの意を汲んでの阿吽の呼吸演奏でした。比較的スローで動かさないコーダ。色々と脳裏をよぎる中、きっちりと抜けきったマーラーとなりました。
MTTはこのオーケストラを掌握しきっているのがよくわかるし、プレイヤーもそれを良しとしている。
16-15-12-10-6だったかしら、弦の歌い込みは明るくしなやかで耳心地がとってもよい。終楽章の弦による歌い込みが素晴らしい。うねりが出てましたね。溢れるストリングサウンド、オーケストラを聴く醍醐味。
比して管、ウィンド、ブラスともに機能的な満足感に浸りつつ、弦の大波のような歌い込みまではいかない。まぁ、これはなにかが足りないということよりもマーラーだからなのかもしれない。多彩な表現の引き出しは色々と滑り具合があるのだろう。ブルックナーではまた違う話かもしれない。
総立ちホルンをはじめとしてジャイアントブラスの響き、堪能しました。

前置きの曲は、日ごろ現音聴いている耳にとってあまりに古すぎる。めまいがする。
おわり


2225- ラインの黄金、ティーレマン、ドレスデン、2016.11.20

2016-11-20 23:43:00 | オペラ

2016年11月20日(日) 4:00-6:50pm サントリー

サントリー・ホール プレゼンツ
ホール・オペラ
ワーグナー 作曲
デニー・クリエフ ダイレクション
ラインの黄金  150′

キャスト(in order of appearance ,also voice’s appearance except wotan & fricka)
1-1.ヴォークリンデ、クリスティアーネ・コール(S)
1-2.ヴェルグンデ、サブリナ・ケーゲル(S)
1-3.フロスヒルデ、シモーネ・シュレーダー(Ca)
2.アルベリヒ、アルベルト・ドーメン(BsBr)

3-1.ヴォータン、ミヒャエル・フォッレ(Br)
3-2.フリッカ、藤村実穂子(Ms)

4.フライア、レギーネ・ハングラー(S)
5-1.ファーゾルト、ステファン・ミリング(BsBr)
5-2.ファフナー、アイン・アンガー(Bs)
6.フロー、タンセル・アクゼイベク(T)
7.ドンナー、アレハンドロ・マルコ=ブールメスター(Br)
8.ローゲ、クルト・シュトライト(T)

9.ミーメ、ゲアハルト・ジーゲル(T)

10.エルダ、クリスタ・マイヤー(Ms)

クリスティアン・ティーレマン 指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

(duration)
序奏 5′
第1場(場面転換前まで) 19′
第2場(場面転換前まで) 45′
第3場(場面転換前まで) 28′
第4場 53′(43+ハンマーから10)


両腕付き大蛇には爪が伸び、カエルは抱えるほどデカい。スリルも満点。

この上演、やっているほうは普通の事なのかもしれないが、観ているほうにとっては驚天動地、唖然とするもので、あんぐりと開いた口が塞がらない。しばらくぶりに自分の地声ブラボーを聞くというノー制御状態に陥ってしまった。悶絶のラインゴールド。よくもまぁこんなパフォーマンスができるものだ。ぶったまげた。スーパー・ゴッド。

14キャラクターのはまり具合が絶品。黙ってても巨人な二人をはじめとして、リンゴを食べ過ぎた感のあるフライアまで、ことごとく決まっている。
ティーレマン棒によるドレスデンは驚異的なしなりをみせるチェロ群はじめ、どこを切っても、血湧き肉躍る。


あっさりとティーレマンが登場。中腰の椅子に座り、底から音が湧き出てくる。
ホール・オペラというとこのホール1990年代に同じように銘打った上演がわりとあった。懐かしさを感じつつ。
オケ後方に高めの舞台を作りそこで楽劇が繰り広げられる。前方オケはほの暗くなりピット状態。うまくセッティングされている。ホールは照明を落とし真っ暗に。
舞台はなにやら屏風風でそこに山の頂やそれぞれの場に合わせた雰囲気を醸し出す。右左は一歩前に出た屏風で横にスライドしてここも場により風景が変わる。ニーベルハイムの財宝のあたりではさながら金屏風。色々となにやらジャパニーズ風味がにじみ出ますな。
字幕は右左奥上方に横に出る。オペラ字幕付き上演の初期の時代を思い出す。あの真上に横に一本の字幕、近い席だと上過ぎて見えないという時代がありましたね。

乙女からの歌唱、ちょっとPA効き過ぎかなと感じました。声の拾いがオケまで及んでいるようなところがあったと思います。最初は声も、そして部分的にオケもちょっと飽和感のあるサウンド。

全員主役の楽劇。次々と神キャラが出てくる。
乙女3人衆のうちシュレーダーは昨年、初台ラインでフリッカを6回歌った。本当は今日もそうしたいのではなかったのかしら、という思いが脳裏をかすめる中、そこには別のシンガーが鎮座。
乙女はしもて側の屏風の上から顔、身体を出しながら動き歌う。ここが第1ポイントで、このホール・オペラ、滑らかなスタート。そこに威厳のあるアルベリヒが横から登場。あれこれ指環ストーリーの起点からいい出だし。
強面ドーメン、バスバリトンの破壊力は巨人族に比するもので、最後の指環呪いまで聴きごたえ満点。威厳を感じるアルベリヒ。動きも理にかなったものですね。
この舞台でできそうもないのは、この第1場での川の流れ、第3場の財宝工場工事現場、第4場でのフライアを財宝で見えなくする、といったあたりのことで、うまくイメージ処理していたと思います。

場面は変わり、眼に墨を塗ったヴォータンが先に登場し、後出のフリッカからの歌となる。今日の並みいる体躯のキャラに混じると小柄な藤村、声はデカい。一点光源から大きく広がる声は余裕のフリッカ。まことに役にふさわしい。ヴォータンのフォッレは悲哀をたたえた情感を割と表に出し、あとでのやり取りとなるローゲとの画策談義も神とはいえ憂いをたたえた神ですな。フリッカ、アルベリヒ、ローゲ、それぞれに対するヴォータンの変化(へんげ)がお見事。バイロイトでのベックメッサーからウィーンでのアムフォルタスまで多彩な役をこなしている。今日のヴォータンは神よりもむしろ、より人間くさい風味が出ていました。

気丈なフライアが出てくる。ド級の迫力。これを圧するかのように巨人2人が現れる。細工の無いサイズで出てくるのだが、そもそもが巨人族みたいな体躯の二人。迫力ありますな。このキャパの身体から出てくる声はなるほどそういうものだったのかとびっくり実感。
弟役のアンガーはこの前のウィーン国立歌劇場公演でフンディングをしていた方。この前はヴォータンにやられたが、今回は兄貴をやる。どっちにしろ、あまりいい役ではないですね。
ファーゾルトのミリングは昨年今年とバイロイトでハーゲン。この巨体からにじみ出るフライアへの愛、第4場でワーグナーの筆で微妙に鮮やかに奏でられるファーゾルトのフライア愛の寄り添うフレーズ、短いものですが味わいが深いもの。ただし、ティーレマンは、ここは殊更意味ありげな停滞は見せない。彼の流儀でしょうね。
ファフナーのアンガーはこの前は割としなやかな歌のフンディングでアクセントは少し異種のものを感じたのが印象的。今日のファフナーは鋭角的な歌唱でキャラクターがよくきまっていたように思います。今年、ピーメンでロイヤル・オペラにデビューというのにはびっくりですが多彩な役柄をこなす人のようですね。大柄だがスリムで、今回の役はツボにはまっていたと思います。
この巨人2人の動きは狭い舞台の中にあって存在感あります。動きはメリハリがあって要所を締めていました。

場がごちゃごちゃしてきたところに、さらに、剣を持ったフロー、ハンマー持参のドンナーが登場。まぁ、ごちゃごちゃするが、この場、このあとのローゲを入れて最大8人の舞台。これ以上は増えない。目をしっかり凝らして見る。
フローのアクゼイベクはきれいなテノールで、本当にクリアな線が浮き出てくるような歌ですね。見た目、仕草も紳士の神のような具合。フローの存在感が増しました。この後の4場での独唱が美しい響きでした。
ドンナーのブールメスター、主役級のヘルデン・バリトンだと思われますがこの日は4場で屏風にハンマー打ち込み。主役ゴロゴロの本日のキャスト群。底が完全に上の方にあげられているハイレベルなパフォーマンスの一端が垣間見られた一瞬。

策士ローゲが赤いシャツにスーツという姿で登場する。なにやら昨年の初台のグールドがオーバーラップする部分もあるが、歌唱はまるで違う。張りのあるヘルデン・テノールとはちと違い、柔らかい。柔軟性のあるテノール。なめし皮のような。
モーツァルトのスペシャリスト、シュトライト。ローゲまでレパートリーを広げてきたと。
ローゲのキャラとしては人間界のほうに近い感じ。ローゲ役の固定観念をもつのは良くないことと感じ入る。
ここで2場マックスの8人そろい踏み。

3場のミーメ。ジーゲルは2001年のほうのトーキョーリングにも同役で出演。その後、ヘルデン・テノール主役級からまたミーメ戻りしたということなのかしら。それともレパートリー拡大は、それはそれとしてミーメはデフォみたいなもんなんでしょうかね。ちょっと更けた感じはありますけれども、独特キャラの歌い込みで、イエローなサウンドが弱さをうまく表現している。いずれにしましてもゴロゴロとキャストがうなっている。

ホール・オペラではニーベルハイムの工事現場のシーンは難しい。ここはイメージで通り過ぎる。
アルベリヒ、ミーメ、それにヴォータン、ローゲ、それぞれの掛け合いから、策士ローゲとアルベリヒのやり取りのところは劇的な異常高速演奏が結構あると思いますが、ティーレマンはここでも過激な伸縮はないですね。
両腕付き大蛇には爪が伸び、カエルは抱えるほどデカい。スリルも満点。かみて屏風から出てきます。カエルにたどり着くまでの双方のやり取りがスリル満点。ワーグナーの技がさえる。

一番長い終場。
ほぼ泥棒状態の言い訳満載のヴォータンの場、屁理屈極まれりの面白さは神だから許されるのか。そして契約重視のミスマッチ感。ちぐはぐなストーリーと言えば言える。これはうその上塗りではなくて、契約を履行するにはうそを重ねても結果的に履行行為がなされればいいという話で、その時点でうそは消える。呪いがかけられた指環が一点ウィークポイントとして残る。それが物語の起点となるわけで、ストーリーテーリングが光るという話。
ここは長丁場だが、前半の拘束解放のアルベリヒ、それと彼の指環呪い。それから最後のハンマーによるむさくるしい空気払い。この部分を横に置くと濃い部分はそんなに長いわけではない、結構早くかたがつく。むしりとったものをエルダのアドバイスで巨人に渡し、彼らが仲間割れするまで。
前半、拘束されたアルベリヒが解放に至るところのドーメン、迫力ありました。バスバリトンの威力。ローゲとヴォータンを圧するもので、これはきっとよくないことが起こるのは間違いないと、強烈なインパクト。かなりの比重を感じました。このシーンは空気がひずんだような圧力。ワーグナー、次のストーリーに進みたくなる。

ダダコネヴォータンは巨人に指環を渡したくない。ダダコネには理論超越型の母性的女性の一言があれば大体の男の子は言うことをきく。そう思ったのかどうか、突然のエルダ出現。あまりに唐突過ぎる話ではあるのだが、この唐突があってはじめて次の展開を作れる。契約履行のために奪い取った指輪は、理論超越で巨人族のもとへ。財宝が目に見える位置にあってほしいがこのホール・オペラではそのイメージで通過。
フリッカ愛のファーゾルト、現実的なファフナー。この2人のやりとりは少しずつファフナーのほうに位相が傾いていく様が巧み。両巨人の歌唱は巨体通りの迫力。ミリングのキャラクターは本当によくきまっていた。弟にやられて最後まで舞台に仰向け。これが一つアクセントになっていて、ハンマーのあと場に誰もいなくなって、なんにも残らないところにゴロンと一つ仰向け巨人。音楽は3拍子がワルキューレの騎行にすぐにでも変化しそうな勢いの中、テンポを一段落とし、ワーグナーのうねりがヒートしていき最高潮に達したところで入城エンド。めでたくフィニッシュ。

唖然とするような14キャラ歌唱が繰り広げられたアンビリーバブルなパフォーマンスにびっくり仰天、エポックメイキングな一夜となりました。


中腰で椅子に座りっぱなしのティーレマン、彼に棒はなくてはならないものだろう。軽めのアッパースウィング棒。時に左足で踏ん張り、右足で空中を蹴上げる。そうとうな入れ込み具合だ。上半身に派手な動きはない。必要にして最小限で的確。ドレスデンの集中力がもの凄い。あのタクトにパーフェクト反応。一体感を実感。この呼吸の見事さは、彼らにとっては日常茶飯事なのかもしれませんけれども、普段からの結びつきがあるからこそのもの。日常におけるオペラ上演の毎日がうらやましくなる。その結果のひとつの出来事とは言え、フィニッシュして、ティーレマンがコンマスに駆け寄り、双方抱擁する姿は、彼ら自身会心の出来であったに違いない。長い拍手とブラボーが果てしもなく。

ティーレマンは極端な伸縮はしない。コントロールの効いたあっぱれな指揮でした。
前回来日時のブルックナー9番のスタイルは彼の一つの頂点解釈と思います。その路線だと思います。
1755- 変容、ブルックナー9番、ティーレマン、ドレスデン国立歌劇場管、2015.2.24

おわり




2224- ラフマニノフ、PC2、ゲニューシャス、Sym2、ラザレフ、日フィル、2016.11.19

2016-11-19 23:31:34 | 編集中

2016年11月19日(土) 6:00pm みなとみらいホール

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調  11′12′11′
 ピアノ、ルーカス・ゲニューシャス
(Encore)
レオニード・デシャトニコフ 「劇場の共鳴」より、チェイス・ロンド 2′

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調 23′9′14′14′

(encore)
ラフマニノフ ヴォカリーズ 5′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


日フィルの首席指揮者を終えてからの初振り。ラフマニノフを2曲並べました。

前半のピアノコンチェルト。ゲニューシャスはひげを伸ばし、年齢がわからない感じになっている。1990年生まれだから26才。2010ショパコン2位。2015チャイコン2位。
思いの外、繊細な弾きを大切にする方のよう。鍵盤に近寄って弾くポーズが多い。
アクションは大きくなく朝飯前のような感じ。
伴奏オケは終始ダイナミックなもの。ピアノはその上を流れていく。二通りの線を同時に観ているような気持ち。お見事なものでした。

後半は2番シンフォニー。
第1楽章、序奏に5分かけ、提示部をリピートし、展開部を経て、再現部が出てくるのが、頭から数えて20分過ぎというわけで長い曲となるわけです。
オーケストラのしなる弦、咆哮するブラス。映画音楽のようなものから本格的シンフォニーなものまで、オーケストラ演奏の醍醐味を満喫。はじけるような演奏でした。

ラザレフの運動量はものすごい。一心不乱の腕の動き。最後のコーダ、しつこいリピートパッセージ、振り終えてフラフラしている。精魂込めたもの、反応するオケ。
ラザレフが振った時のこのオケの音量、音圧には驚くべきものがある。ガラッと様変わりですからね。それにプレイヤーたちの開放感。これも素晴らしい。とにかく音を思いっきり前に出さなければ答えは出ない。そういわれているのかどうか知りませんけれども、一心不乱な伸び伸びさとでも言えばいいのか、一体感がいいですね。
それにしても、最後のところの爆進、凄かった。猪突猛進!
伸縮自在で圧倒的な演奏のラフマニノフ、精根尽きたかと思いきや。アンコールに応える。ヴォカリーズのオケ版。まぁ、彼らにとっては整理体操みたいなもんだろう。うちら聴衆にとっても。
おわり


ラザレフが靴をバンとならしてステージに向かうのは、背をむけているコンマスはじめヴァイオリン族への合図になるし、聴衆の空気も変わる。弱音終止の曲が終わっても振り続けているのはフライング防止。彼は音楽のために自分で出来ることをする真のエンターテイナーだと思う。




2223- ショスタコーヴィッチ、チェロコン1、ハイモヴィッツ、15番、デスピノーサ、新日フィル、2016.11.19

2016-11-19 23:12:53 | コンサート

2016年11月19日(土) 2:00pm トリフォニー

ロッシーニ ウィリアム・テル 序曲  11′

ショスタコーヴィッチ チェロ協奏曲第1番変ホ長調 7′13+6+5′
 チェロ、マット・ハイモヴィッツ
(encore)
バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009より  サラバンド  5′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番イ長調 8′14+4′17′

ガエタノ・デスピノーサ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


前日の同公演に続き再度訪問。別の日の定期を振り替えて聴きに来ました。かなり前方のセンター席をとっていただきました。

いつもの事ですが、今日は特に早い気が。演奏ではなくてコンサート開始時刻。2時ジャストに指揮者登場となりました。つまりコンマス主導の音合わせをそれまでに済ませている。なるほど2時開始とはこういうことかと。
ちなみに都響はだいたい5分遅刻開始が定番。だらだらしているわけではなくてきっちり遅れるので何か方針があって、そのタイムチャートを作っているのでしょうね。それでなくても総演奏時間が短めの団体であり、全くほめられたものではありません。

ということで、今日もショスタコーヴィッチの15番が聴ける。
表現も出来もだいたい昨晩と同じ。こっちはこの曲を何度でも楽しめればそれでいい。やっぱり凄い曲ですね。作曲家最後のシンフォニー、自分の頭に中にある素材を自由自在に組み合わせて作ったもので、素材の多様性それから、それを組み立てる思考さえ枝分かれしていて素材のように感じる。思考という素材がたくさんある。活用というのは自分の人生でどれだけのものを吸収してきたかという話。この作品はその吸収の証明ですね。それと解き放たれた精神。そのような炎の核だけで出来ている。もの凄い作品。
この作品への踏み込みとして、デスピノーサの進め方というのは昨日書いたように相応に納得できるもの。マジな深みが必要ですよね、やるほうきくほう。
席がオケに近くて室内楽的な精緻な内容を楽しむことが出来ました。やっぱり最後は秘境の世界ですな。

前半のチェロ協奏曲も、この席で聴くとなんだか木の山小屋で聴いているような雰囲気。贅沢気分。チェロの音色の素晴らしさ堪能。
2楽章から3楽章に入る手前のピアニシモのパッセージ、あすこはかなり微妙なチリチリ感を味わえました。浮遊するユニバースな感じ。近席で聴く醍醐味。

この日もいい内容でした、ありがとうございました。
おわり

 


(詳細別途)


2222- ショスタコーヴィッチ、チェロコン1、ハイモヴィッツ、15番、デスピノーサ、新日フィル、2016.11.18

2016-11-18 23:46:05 | コンサート

2016年11月18日(金) 7:00pm トリフォニー

ロッシーニ ウィリアム・テル 序曲  11′

ショスタコーヴィッチ チェロ協奏曲第1番変ホ長調 6′12+7+4′
 チェロ、マット・ハイモヴィッツ
(encore)
バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009より  サラバンド  4′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番イ長調 9′14+4′17′

ガエタノ・デスピノーサ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


デスピノーサの棒を見るのは2年半ぶり。(2014.5.10以来)
その時は指揮自体が板についてないところが散見されましたけれども、若いですし、吸収力が旺盛なのでしょう、表現は結構な様変わり。
かなり入念にリハーサルを重ねた具合が手に取るようにわかる。また、自身の解釈と表現も相応によくわかるものでした。
異色のプログラムと感じるが、指揮者の思いは時間軸を持たない縦の流れを追っているだけの自分のような粗末な行き当たりバッチリ派にはわからない。作品趣向として大いに興味あるものですし、それだけでOKという感じ。

15番シンフォニーは、埃っぽくない演奏。たたけば出そうですが、まぁ、落ち着きのない演奏にわりと接する機会があって、今日のような演奏というのは貴重ですね。精神の落ち着きと静けさを感じるもので、15番魔だったクルト・ザンデルリンクのスタイルと一脈通じるところがある。同じようなテンペラメントを感じる。

几帳面ではあるが神経質なものではない。作品を整える演奏です。
ザッツの正確さ、ソロインストゥルメントの浮彫感、ブラスアンサンブルを柔らかくすべて伸ばし切るパフォーム。
特にブラスはソロ、アンサンブルハーモニーともに抑え気味で、全体的に静けさがにじみ出てくるような演奏。彼の要求ですね。
全体にオーケストラが良く応えていて、入念リハの成果が出た佳演でした。
フィナーレ大詰め、弦に乗って弱音パーカス饗演となるあたりの位相の変化は自然で、特にお見事な表現でしたね。自由な様式の昇華にふさわしい。
しずかさやとりにしみいるオケの声。

前半プロ。
湯上りヘアで登場のハイモヴィッツ。記憶では大昔に聴いているような気がするたぶん。
様変わりでわからないのかも。

滑らかです。尖がってなくて、絡まるように音がつながっていく。この魅力的な曲の別の一面を見たような演奏でしたね。強弱の移動が自然。
両端楽章は歯車の回転のようで作曲家独特の面白さ、この伴奏の上に乗っかっていく。ホルンとの掛け合いもお見事。
白眉はカデンツァの第3楽章、それとその前の楽章後半。チェロの沈み込んでいく音色の素晴らしさ。木目の美しさと肌ざわり。膨らみと潤沢なウェット音色、満喫。終楽章に向かうところはエキセントリックな作風でエスカレーションも極まる、ここらあたりも満喫。
アンコールのサラバンド、楽器が息でもしているかのように自然で滑らか、最高。タバコは吸ったことがない人間ですが葉巻でもふかしたくなるような美演。


思えば今日はチェロ・デーだった。冒頭のテル序、これはシンフォニーに絡めて置いたのでしょうけれどもそんなことは最初から忘れて、ディープ音色が凄く魅力的なソロから始まる。夜明けのソロ、そしてアンサンブル。チェロ・モード、最高でした。
はじけたような行進曲は正確な演奏でデスピノーサのショスタコーヴィッチが見えたのでした。
そしてチェロコン1、最後に置いたシンフォニーでのソロチェロの作曲家独特の一本節。
一気通貫の見事なプログラム・ビルディングと内容。デスピノーサの棒で、オーケストラに独特の旨味がでた演奏会でした。

新日フィルは新しい音楽監督をむかえて、なにかこう、忘れていたことを思いだしたような気がする。
おわり



  


2221- 岡田博美 ピアノ・リサイタル、2016.11.12

2016-11-12 23:32:00 | リサイタル

2016年11月12日(土) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

三善晃 アン・ヴェール  5′
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番ホ長調op.109 4+2′12′
矢代秋雄 ピアノ・ソナタ(1960) 3′2′8′

Int

ドビュッシー 12のエチュード  22′22′

(encore)  
三善晃  海の日記帳より サンゴの唄 2′
ベートーヴェン エリーゼのために  3′
矢代秋雄 夢の舟  2′

ピアノ、岡田博美


岡田さんを聴くのは、2012年9月3日の、
ベリオ 協奏曲第2番エコーイング・カーヴ
以来かと思う。
今日のプログラムは、矢代秋雄 没後40年と銘打っている。
4プロ中、矢代作品はひとつであとは関連もの。岡田さんのCD群をみているとそれとも重なるので、お得意もの、しゃれたプログラミングと思います。

音符が一つずつ立っているようなおもむきでソリッド、聴く方としてはソノリティの良さを感じるとともに極めてクリアな肌触り。後半のドビュッシーではそれがステンドグラスのように模様を描きながら流れる。一個のインストゥルメントとは思えないような多彩な響きと腕前に感動しました。見た目のストイックさ、というよりもあっさりさ、などというのは失礼ながら、そのようなものとはまるでアナザーワールドの快感。ノミナルごときな物差しが脳みそからワイプアウトされていくような世界を垣間見ました。

ベートーヴェンの30番31番32番の世界。30番は少しハンマーな世界の余韻が染み出ているような気もする。なにか途中から始まったかのような31番。この30番というのは必要なものは自然と、あるべきところにあるものだなあという感じ。まだ、形を追うのかなどと脳裏をかすめたりするのだが、まぁ、このベートーヴェン、ベトソナ・ワールドに底はありませんな。
第3楽章の深みを魅せつけてくれた岡田さんの演奏、色々とシンクロしていました。良かったです。
今日の冠リサイタル、矢代さんのピアノ・ソナタはベトソナ30にインスパイアされたものということのようですけれど、なんだか全然違う感じ。フォルムのインスピレーションだったのかしら。各主題をどのような策で作っていくかというあたりの触発なのかもしれませんね。
でも、よく聴くと、響きが少し似ているような気がしないでもない。ちょっと横道的に思い出したのが、リンドベルイのピアノコンチェルト2番、あれって一旦つかんでしまえば、最初から最後までモロ、あの曲とわかるのだが、そのようなねらいのある曲なのだろうか。矢代さんはずいぶんと若くして亡くなってしまいましたね。いまさらながら思います。

頭に朋友だったのかどうか詳しいところはしらねど、三善さんの作。
ベトソナ30、矢代、そして3曲目にアン・ヴェールを置いたらすごく理解がすすむだろうなあ、などと素人が聴くアトモスフィアはその程度。なれど、この3作曲家、岡田さんのピアノでもっと聴きたくなりましたね。なにか心を駆り立てるものがある。


アンコール3つ。プログラム前半の3作曲家の品を、プログラムと同じ順番で。
そしてこれら3佳作、それぞれの本プロの作品とはまるで真逆なナイーヴでメロウ、メルヘンチックな響きも大いに感じさせてくれる。
こんなことは計算ではなくて、ナチュラルな岡田マジックなのでしょうね。プログラム・ビルディングはこのようにして作っていくものだという話なのだろう。予期せぬ予定調和。
いいリサイタルでした。ありがとうございました。
おわり





2220- 後宮からの逃走、川瀬賢太郎、読響、2016.11.11

2016-11-11 23:20:10 | オペラ

2016年11月11日(金) 6:30-10:10pm 日生劇場

NISSAY OPERA プレゼンツ
モーツァルト 作曲
田尾下哲 プロダクション

後宮からの逃走

キャスト(in order of appearance) of opera
1.ベルモンテ、鈴木准(T)
2.オスミン、志村文彦(BsBr)
3.ペトリッロ、大槻孝志(T)
4-1.太守セリム、宍戸開(せりふ)
4-2.コンスタンツェ、森谷真理(S)
5.ブロンデ、鈴木玲奈(S)

指揮 川瀬賢太郎
合唱 C.ヴィレッジシンガーズ
管弦楽 読売日本交響楽団


(duration)
序曲 3′
+ActⅠ 43′
Int
ActⅡ 70′
Int
ActⅢ 38′


このオペラを観るのは1984年4月4日以来だと思う。当時メトでさえ通算まだ29回目の上演。いくら人気があるなどと言っても、無いのは歴然としている。




昭和音楽大学オペラ研究所オペラ情報センター 検索サイト

今回の公演はなかなか画期的なものだと思う。

序曲最初の一音で幕が開く。紗幕でぼかしつつ、序曲の間、ひと芝居ある。どうも、セリムが形勢不利に見えて、どんな意味合いがあるのか判然としなかった。意味を考えなければ、雰囲気つくりの騒動、音楽のノリの良さもあって期待を抱かせるものでした。

ドイツ語歌唱、セリフは日本語。
皆さんの動きが非常に良くて自然で間延びしない。また舞台の動かしも理にかなったもので、なるほどというところが多かったですね。場の動きと歌唱がマッチしていて楽しい舞台でした。
歌はコンスタンツェの困難なアリアを歌い切る森谷さんはじめ、聴き応えありました。みなさん好演でしたね。セリフだけの宍戸さんも大迫力で、また細やかな機微に至るまで繊細な演技に感服。

指揮の川瀬さんはきびきびしていてそれが音楽にストレートに反映している。機敏な動きをするオーケストラ演奏でした。
舞台は、どのような場面でもだいたい奥が高めになるようなセッティングをしていて、客からわかりやすいし、指揮者が大振りしなくても奥からでも棒が見えていたと思われます。ですので、ちょっと振りが全般的に大きく、ピットで一人、目立ちすぎて浮き過ぎ感あって、あすこまでしなくていいような気がしました。
あと、左手で歌い手に指示が多すぎてどうかと思います。あんなにされると歌いづらいところもでてきますね。それから、同じく左手の人差し指、立てるのはいいとして、舞台の歌い手に長めに突き刺すのが気になる。日本ならいいかもしれないが。とにかくあれはやめたほうがいいと思う。癖なら努力してなおしたほうがベターだと思います。
色々ありましたが、この長いオペラに躍動感をもたらし、また雄弁に伴奏し尽したあたり、この作品を生き返らせたと言ってもいいぐらいの価値がありました。
秀逸な演出、歌、演奏でした。


プログラム冊子はほかの国内組団体とは違い無料。内容が濃いのに残念なのは、歌い手の顔写真付き紹介欄に声種が書かれていないこと。これは是非とも改善願いたい。
無料のDVDもいただきました。色々とありがとうございました。
おわり




 



2219- フィガロの結婚、ムーティ、ウィーン国立歌劇場、2016.11.10

2016-11-10 23:25:12 | オペラ

2016年11月10日(木) 5:00-9:10pm 神奈川県民ホール

NBS&日経 プレゼンツ
モーツァルト 作曲
ジャン=ピエール・ポネル プロダクション
ウォルフガンク・シリー リヴァイヴァル・プロダクション

フィガロの結婚

キャスト(in order of appearance)
1.フィガロ、アレッサンドロ・ルオンゴ(Br)
2.スザンナ、ローザ・フェオーラ(S)
3-1.バルトロ、カルロ・レポーレ(Bs)
3-2.マルチェリーナ、マーガレット・プラマー(Ms)
4.ケルビーノ、マルガリータ・グリシュコヴァ(Ms)
5.アルマヴィーヴァ伯爵、イルデブランド・ダルカンジェロ(BsBr)
6.バジリオ、マッテオ・ファルシェール(T)
7.伯爵夫人、エレオノーラ・ブラット(S)
8.村娘、カリン・ヴィーザー
9.バルバリーナ、イレナ・トンカ(S)
10. クルツィオ、カルロス・オスナ(T)
11.アントニオ、イーゴリ・オニシュチェンコ(Br)

リッカルド・ムーティ 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

(duration)
序曲 4′
ActⅠ 43′
Pause 3′
ActⅡ 50′
int
ActⅢ 42′
Pause 5′
ActⅣ 43′


楽しさ極めつくし、ビューティフルで格調高く、極上モルトの上澄みを口に浸す贅沢気分。最高に楽しめた。モーツァルト最高。フィガロ最高。

ウィーン国立歌劇場来日3つ目の出し物。昨晩のワルキューレのひどいレヴェルのオーケストラとはうって変わって、目から鱗が100枚ほどはがれ落ちる鮮やかさ、絶好調ウィーン・フィルみたいになってしまった。
昨日今日と連日の公演は場所も変えてあるし、ムーティがここでじっくり仕込んだのだろう。どう聴いてもこちらが本体。ワルキューレのほうは別動2軍ではないだろうか。思うに10月25日からのアリアドネ、そして今日からのフィガロ、こちらが本体のオーケストラで、ワルキューレは舞台オケというのが主力のような気がする。オケ規模が違うとは言え、腕前が明らかに異なる。指揮者のレヴェルも同様な気がする。

ピットの指揮者と舞台が丸見えの席で両方ともよく見える。ムーティのコントロールは素晴らしく、オケメン全員に染み渡っている。出入りのときはメンバーによく話し込んでいて、これが結構長いのだが、もはや神様が動きしゃべっている感じ。
さっと切り上げる例のアクションも見事にきまっている。小さめの動きから引き締まった音楽があふれ出ている。オーソリティーの凄まじさをまじまじと見せつけられた。
神様オーソリティーであればこその引き寄せられた豪華キャストなんでしょうね。みなさんの歌唱には唖然。そして動きがいい。もたもたする人はいない。機敏な動きで連携が良く取れていて、観ていて気持ちがいい。若いときのムーティを見ているようだ。
ムーティ会心の棒、ご本人も満足そう。カーテンコールも盛り上がりました。


ポネルの演出は今でも際立っていると思います。キャストの凄さもあるし、カップリングがまず明確でそのフレーム感覚がよく理解できる動き、配置、これにうまく歌がのってくる。
伯爵&伯爵夫人、
フィガロ&スザンナ、
バルトロ&マルチェリーナ、
ケルビーノ&バルバリーナ、

見事にそろったキャストで全員聴きごたえ満点。
伯爵のダルカンジェロは強面で歌も同じ。それがまたあるシチュエーションではダダコネ地団太踏んだりのアクションなどあったりして、落差が大きすぎて自然に笑いが出る、楽しめる。
声がデカいのは今回の来日の方々全員そうですけれども、ダルカンジェロも迫力ありますね。下から上までバシッときまったバスバリトン。太ってなくて動きもさっぱりしていて最高の歌い手。そういえば今日のキャスト、太めの人は誰もいない。
ダルカンジェロに対等に歌える夫人はブラット。こういってはなんですが、もはや横綱相撲を聴いている様相を呈してきました。2幕頭の独唱、極めて美しいもの、ホールに淀みなく響き渡る声は圧巻です。素晴らしすぎるお二方の歌唱。最後はきっと仲良くなるだろうとストーリーを追わずともわかる。

フィガロとスザンナ、機敏な動きと歌。適役。
フィガロはこのキャスト達の中ではもうちょっとだけ声が出るといいなと贅沢なことを言いたくなるところもありますが、あれだけ動いて歌うのだから大変だろうとは思います。歌は安定していますね。
スザンナのフェオーラ、この演出のせいかどうか、慎ましやかなところは無くて、むしろ舞台を引っ張っていっている。フィガロや伯爵夫妻の具合から見て、もう、スザンナが主役ではないのかといったところもありますね。全くやわでないスザンナ。これが歌もすごい。少し厚めのソプラノに感じるのは馬力のせいかもしれません。プリターニのエルヴィーラも歌ったことがあるようで、こちらは歌声を浴びるだけで満足。

バルトロとマルチェリーナ。
いつもみるフィガロではだいたいこの二人、太めのキャラクター要素の濃いものなんだが、マルチェリーナのプラマーはむしろキュートな気品が漂うものでそれを衣装で少し隠しているのではないかと思えるぐらい、この演出には必要なんですよね。こういったところが大事。プラマーはジャズシンガーのトレーニングも受けているとある。終幕のアリア、きまってました。

ケルビーノとバルバリーナは動きがポイント、小さな動きがタイミングよく、よく目立つ。味付けとしては最高ですね。ケルビーノのグリシュコヴァ、1987年生まれとある。まあよく動ける。適役ですね。スザンナ主役みたいなシーンでは言うことをきくおりこうさん、素直だったり、また純粋無垢おてんばだったりと、いろいろなキャラクターを出してくれて大いに楽しめた。もちろん歌も抜群。回りの連中と張り合っています。もう、ゴロゴロ実力者がそこかしこに転がっている雰囲気。

ということで、1幕から終幕の次々と繰り広げられるアリアの山まで盛りだくさん。全部完ぺきにきまっていました。気品のあるみなさんの歌い口にはほれぼれ。エンジョイしました。
あと、合唱はソリッドに引き締まっていて、筋肉質と言ってもいいほど。ムーティ感覚ですね。

この一日物語あっというまの出来事。
ムーティの統率力には恐れ入る。脱帽です。レヴェル違いますね。

ああ、楽しかった。
おわり


2218- ワルキューレ、Aフィッシャー、ウィーン国立歌劇場、2016.11.09

2016-11-09 23:05:22 | オペラ

2016年11月9日(水) 3:00-8:10pm 東京文化会館

NBS&日経 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
スヴェン=エリック・ベヒトルフ プロダクション
ビルギット・カイトナ リヴァイヴァル・プロダクション

ワルキューレ

キャスト(in order of appearance)
1.ジークリンデ、ペトラ・ラング(S)
2.ジークムント、クリストファー・ヴェントリス(T)
3.フンディング、アイン・アンガー(Bs)

4.ブリュンヒルデ、ニーナ・シュテンメ(S)
5.ヴォータン、トマス・コニエチュニー(BsBr)
6.フリッカ、ミヒャエラ・シュースター(Ms)

7.ヘルムヴィーゲ:アレクサンドラ・ロビアンコ(S)
7.ゲルヒルデ:キャロライン・ウェンボーン(S)
7.オルトリンデ:ヒョナ・コ(S)
7.ワルトラウテ:ステファニー・ハウツィール(Ms)
7.ジークルーネ:ウルリケ・ヘルツェル(Ms)
7.グリムゲルデ:スザンナ・サボー(Ms)
7.シュヴェルトライテ:ボンギヴェ・ナカニ(Ms)
7.ロスヴァイセ:モニカ・ボヒネク(Ms)

アダム・フィッシャー 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場舞台オーケストラ

(duration)
ActⅠ 66′
int
ActⅡ 100′
Int
ActⅢ 71′


今回の来日公演初日(2016.10.25)のアリアドネを観てからしばらく日にちが経ってしまったが、それに続く2本目の公演、ワルキューレ3回公演のうち2回目におじゃま。
シュテンメとラングを一緒に観られたのはハッピーでした。歌い手は全て秀逸で申し分ないもの。半面、演奏と演出はかなりダメ。結局のところ、総合芸術の振幅の大きさと極みを見せつけてくれた上演でした。

第1幕3人衆は殊の外柔らかい。歌が語りのように聴こえてくるところが多々ある。ジークムントのヴェントリスは特にそうでいわゆるヘルデン系とは一線を画す。パルジファルがやっぱり浮かぶ。
フンディングのアンガー、これも語り風なところが多い。フレーズの母音の伸ばしかた、伸びて押す、押して伸ばす。ちょっとなんともいえないアクセントの違和感と言いますか新鮮味と言いますか、語るとああなるのかよくわかりませんけれども。
この2人の語り口は同質で、なんだかお仲間のように見えてくる。強烈な敵意識は前面に出てくるものではありませんでしたね。
むしろ、ジークリンデのラングと2対1の場の雰囲気が醸しだされた。ラングは何度も聴いているはずで、最近だと6月の新国立でのローエングリンでのオルトルート。あのときはさっぱりでしたが、今日は凄味が違う。まず満々のデカい声。圧する声。キーンではなくメロウ。帯のように伸びていく。一部、波打つようなところがあり際どさも満点。なによりも、彼女の歌、動き、きっちり大胆明確。彼女か歌い動くと場がワーグナーモードになっていく。独特な空気感。
この3人の絡み合い、舞台は石像のように変化がない中、むしろ舞台は要らないのではないかという実感。その中をドラマが進む。
3人とも声が大きく、そのサイズのなかでニュアンスを極めていくので、聴衆としてはわかりやすいですね。ここらへん、日本人のサイズではなかなか体験できない。
柔らかい第1幕でした。ドラマチックは背面へ。
なにかが出て行った入って来た、冬の嵐は過ぎ去り。ヴェントリスとラングの掛け合いはまことにお見事で聴きごたえ満点。比して舞台は何も変わらない。申し訳程度に少し明るくなるだけ。上野の舞台に何か問題でもあるかのような具合。これ本当にアリアドネと同じ人がやったプロダクションですか。ここだけでなく全部、怪しい演出でしたね。人の動きは場慣れしていると思われ自然なものではありました。
この幕は3場もの、何も変化なし。場面転換をしない演出は少なからずありますけれども、セットしたものを置いてあるだけの舞台。無い方がいいのではないか。

第2幕。オーケストラのダメモードはずっと続いていて、特にザッツのずれはひどい。舞台オケというのが混ざっているからなのか、指揮に問題があるのか、縦ずれは時にパートや弦種単位だったりするので、意図してやっているのではないのかと思えるぐらい。
2場の語りの味付け伴奏も良くない。4場の死の告知あたりから徐々に持ち直してきて、続く終幕ではオケメンがどっさり増えて快調になるという不思議なオペラワールド。
ここ2幕での新たな3人衆。やっぱりみんな声がデカい。
ブリュンヒルデのシュテンメは役に集中する人ですね。歌に集中する人。音源では接しておりましたが、こうやって生で観るシュテンメは格別です。
インテリジェンスを感じさせつつ、ドラマチック・ソプラノからやや柔らかに傾斜。鎧兜も何もない演出なのでかえっていいのかもしれません。声が尖がってなくてフレームが柔らかい。ふちどりが柔らかく、それでいて線を感じさせてくれる。
ラングとシュテンメ、最高です。演出のこともありストーリーは横に置いて彼女たちの歌を堪能しました。
ヴォータンのコニエチュニー、登りつめてきた人という感じで手堅い。人間的なヴォータンですね。目には黒い墨のようなものを塗っただけで、たまにぎょろりと光る。演出はまんべんなく粗末なんだが、歌い手たちが全部救っている。
バスバリトンですね。下から上までよく響くし、歌いまわしにテンポ感があって次々と先に進める心地よさがある。指揮のフィッシャーは左手で歌の出だしを頻繁に指示だしてますので、その快活なテンポにうまく乗っかっていけてる。贅沢言えば、もうひとつ威厳が欲しいところもある。
フリッカのシュースター。いやぁ、逸材がぞろぞろ次から次に聴ける。ハッピーですな。
達観したキャラクター風味満載というところか。圧する声で、相手の親子もたじたじですよ。もう、第一声でフリッカの勝ちだろう、ヴォータンの負け、このドラマストーリーさえ見えてしまう。フリッカのこの存在感。朗々と響くメッゾ。凄いもんです。

この2幕に現れる1幕の3人衆。ここでの絡み合い、やっぱり、シュテンメとラングの歌唱が絶品。どっちも負けじと。圧巻ですね。
それと、オレはお城にいくとどうなるのか、ヴェントリスのここらへんの語り口、1幕を思い出させます。ストーリーでは刃向かうが、実は負けがわかっていたのではないか。諦観の語り口。ここも絶品。

終幕、ワルキューレ8人衆。ちょっと太めなかたも機動性を発揮。舞台の場は動かず、人が動く。馬が8頭立っているだけの前後ろを移動してあちこちで歌うので結構大変そう。歌うポイント、要所ではきっちり前に出てきてポジショニングするので聴きやすい。彼女たちの声もデカい。これでアンサンブルするとさらに大きくなり迫力満点です。ほかの演目に出ている方もおりますね。粒ぞろいで秀逸。動きもよく統率がとられていたと思います。
あとは、親子の歌唱が残るだけ。
シュテンメ、コニエチュニー。ようやくまともになったオケ伴の潤いの中、しとしとと歌いあう親子の絶唱。渾身の歌唱。お見事。
親子手をつないで歩く。口づけとともに子が倒れ、鎧は無い。横になるだけ。あとは炎。

ここで、3幕最初からあった馬8頭、ワルキューレたちのものだろう、ここは馬小屋か。石像のように動かない馬たち。その周りにプロジェクション風味の火が回る。動物の小屋に火はないでしょ。それよりも場面転換の無い舞台。粗末さが露呈。まあ、ジークフリートの目覚めの動機を見てから文句を言えといわれるかもしれないが、そんなことわからない。逆に今なら言える。

いろんなものが混ざった舞台でした。


指揮のアダム・フィッシャー。
昔、シノポリが春先の上演中ゴロンしたので、次から指環を振ることになったダダコネだったか、あれを思い出すぐらいであとはよくわからない。
棒を見ていると主に2種類の振りがある。ヤノフスキばりに小さい動きで正確さを出す局面での振りと大きく振り回して次の入りタイミングだけに集中させるぐるぐる回し振り。
小振り局面では左手で歌の入りを頻繁に指示している。あれは歌いやすそう。
ぐるぐる振りはそもそもが次の一点合わせのためにやるものでうまくきまればいいが、オケによっては厳しいものがあるかもしれない。今日の演奏では頭の3拍子系ぐるぐる振りから2幕の語りあたりまではオケがあっておらず、これは指揮にも問題があったと思う。オケはそんなにうまいといえるほどではないので、丁寧な演奏が欲しかった。真面目にやっているとは思うが慎重さと丁寧さに欠けるものであった。
指揮者はアルチザンなかたのように見受けられます。2500円プログラムには彼への体験美辞麗句が踊るが、絵空事とは言わねど、本当にそうかね。

演出はアリアドネと同じベヒトルフ。ただ、リヴァイバル上演用なのか、今回の来日用なのかわかりませんけど、再演演出とクレジットされていてそれは別の演出家が担当、カイトナという方です。今回どのような変更がなされているのか知りませんが、全くよくなかった演出でした。人の動きはこなれていてスムーズ。意味のある動きはなく、小物的に何点かあって、歩くシルエット狼?、ぬいぐるみ、頭の形の小物?、など特に意味があるわけではなさそう。
あと、場面転換が全くない。こういった代物はみかけますが、セッティングされた木とか馬が最後まで、まさしく棒立ち。ただ、ものを置いているだけ。最後の馬小屋の炎シーンなどは、動かすのが面倒なのでそのままにしてある、そう思われてもしかたがないものだろう。粗末な演出だったと思います。幻滅でした。

それから字幕、「まもる」を全て「護る」で通したこと。内容を吟味して使い分けしてほしかった。それに護るって今使いませんよね。
「告げる(つげる)」とすべきところを「遂げる(とげる)」と、なにか勘違い的な部分もありましたね。
字幕に少し混乱しました。
おわり