河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

977- 新国立劇場 ジークフリート キース・ウォーナー・プロダクション再演2010.2.20

2010-02-28 13:53:47 | インポート

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2.17の公演は前回ブログ参照

2009-2010聴いたコンサート観たオペラはこちら

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今日は新国立のジークフリート。

昨年のラインの黄金、ワルキューレに続くキース・ウォーナー・プロダクションの再演。

2010220()14:00-20:10

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キース・ウォーナー プロダクション

リングサイクル再演

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ワーグナー ジークフリート

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(in order of appearance)

さすらい人 ユッカ・ラジライネン

ミーメ ヴォルフガンク・シュミット

アルベリヒ ユルゲン・リン

ジークフリート クリスティアン・フランツ

森の小鳥 安井陽子

ファフナー 妻屋秀和

エルダ シモーネ・シュレーダー

ブリュンヒルデ イレーネ・テオリン

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ダン・エッティンガー指揮 東京フィル

17日の公演を鑑賞し本日20日も。

前回の流れの話でいうと、第2幕第2場、森の小鳥のシーンに、いろんな縫いぐるみがでてくるなかで、ファフナーとファーゾルトをもじった等身大の縫いぐるみも出てくる。等身大という意味がこのプロダクションでは崩れているがそれでも巨人の矮小化のようには感じる。このシーン、意味合いがよくわからないと言うは易いが、この場面そして音楽、巨大にして鎮まらせる圧倒的な舞台音楽においては、なんだか、巨人族ファフナーとファーゾルトのような巨人兄弟は森の中にごろごろとたくさんころがっているんだよ。この種のストーリーはいたるところにころがっているんだよ。と思えてくるそれなりに面白い演出ではある。

また、第3幕冒頭、ここはメトなみとはいかないが日本のほかの劇場ではできない奥行きのある舞台装置をみれる個所。奥から、思えばあのラインゴールドでの病棟のような城、そしてワルキューレでの死者を祀るシーン、一番奥を三角形の頂点にし、客席の方に広がる舞台そのものがずっと奥の方から前方に移動してくる。これは迫力のある舞台。しかし、ここはラインゴールドでもなければワルキューレでもない。なんだか消防署の鉄のはしごみたいなものが三つあってそこを昇降を繰り返す‘飛んだ髪’状態のパンク気味な消防員?そして地面にはこんがらかってしまった無数の映画フィルム。ほかの場面でもテレビモニターなど映画、フィルムを想定させるものはたくさんでてくる。3月にある神々の黄昏の終結部ラスト5分を観るまでもなく、もしかしてシックス・センスのように最初から答えはでていたのかもしれない。ラインゴールド冒頭、そのラインの乙女もアルベリヒも映画を楽しんでいた。

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このようにいろいろ連関させてイメージを膨らませることができるのがワーグナーの音楽劇の面白いところ。並べ始めたらきりがないのでやめる。頓挫か。

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それで17日もそうだったのだが、ホルンの具合が良くない。肝心要なところでこぼしてしまうのは言語道断としても、アンサンブル、ハーモニー、縦の線、どうもよくない。昨年のラインゴールド、ワルキューレ、それに前回のファースト・サイクル(準メルクル、N)のときは感じなかったものだ。

このジークフリートの第2幕腕のみせどころなのに、森の縫いぐるみはもしかしてこのホルンにも耳を塞ぎたかったに違いないが演出上納得するしぐさをしなければいけない。このしらけるシーン。問題だ。

どうも今回はソロ、トップがどうだこうだというよりもホルン全般に問題があり底上げできていない為と感じる。トラのせい?

オケピットでオケは見えないけれど、新国立劇場ができてはや10数年、聴衆は目も耳も肥えてきている。東京フィルはいいオーケストラだが、レパートリーシステムをとれない試行錯誤状態のシステムの中困難も伴うと思うのだが常設のオーケストラが欲しいところではある。

こんな調子だと、3月のカミタソのプロローグ冒頭、そして抜ける第3幕冒頭、第2幕の悪だくみ三重唱で尾を引く中もしかしてすっきりと終るかもしれないと思わせるようなすっきり抜けた冒頭ホルン。ここらへん3月の公演まで一抹の不安も感じさせないぐらい猛練習を積んでいただきたい。

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このように、へばって、ばてて、つぶれてしまったわけではないホルンとは対称的に、この日のフランツは、さしものフランツもというべきか、最後はかなりバテバテ。声が丸くなってしまい、タイでもスラーでもないのに音価を保持しようとし、アクセントの鋭さが消え、悪あがきとは言えないが苦しいときの神もいないそんな状態で歌い終えた。ジークフリートのジークフリート役は山場の持っていき所が満載すぎて、聴く方は全部頂点で聴きたいがやってる方は大変。ここはどうしても、やっぱり昔の歌い手の偉大さが耳に沁みる。最近聴いたものでは、例のカイルベルトのバイロイト1955年ステレオ実況録音のヴィントガッセン。繊細さやディテールの細やかな表現などごちゃごちゃいう前に歌えなければ話にならんだろう。そうだね。本質を直にさらしてくれる。

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最後の30分だけ目覚めるブリュンヒルデのテオリンは、17日の公演より角が取れまろやかさが増し、メロウではないが、このジークフリートの剣を鍛える音楽にふさわしく、カチーン、と決める。今起きたばかりのブリュンヒルデはジークムントの剣を夢見ていたのかもしれない。鋭いアクセントで音楽の縁どりを明瞭明確にして深堀りしていく。

3幕第3場の音楽があまりに素晴らしく、静かさのみが劇を饒舌なまでに表現することができる、そのようなワーグナーの音楽に得心しながら聴く方も観る方も固唾をのみながら火のベッドに集中。そして終結部目指して、フランツを補って余りある迫力で進む。

こちら、いわば表の表現。カミタソの自己犠牲までどのように歌い切るのかこれまた楽しみ。期待。

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エッティンガーの棒はもう少し締めてもいいかと思うが、むしろオーケストラを自由に拡散させている。締めはじめたらきりがないというところか。歌い手との呼吸は見事で、歌う方もこの棒ふりの手掛かりがなければ何も声が出せないそのような場面で全面的に信頼を寄せている(寄せざるを得ないか)

それとあまりに伸縮自在すぎで部分的にその速度の変化にオーケストラそして歌もついていけてない個所が散見される。ただし、その速度感に問題があるわけではなく、練習不足というか浸透度が浅いためであろうと推測される。

この速度感だが、ライブならではのものであり、セッション録音からは得られないヒートな熱さが見事。ライブでも、あとで録音で聴くのとその場で直に聴くのではこれまたかなり異なる。劇場での生。これに限るのではないか。特にバレンボイムの薫陶を濃く受けているエッティンガーの場合、それらを否定するような要素は何一つない。

前回の東京リングでは2003年のジークフリート、2004年の神々の黄昏はともに準・メルクルの棒N響。東京フィルはオペラ慣れしているオーケストラだが、一発公演だとN響のレベルにかなうものではない。ピッチがあって音に濁りのないワーグナー。エッティンガーにもこのようなオーケストラでワーグナーを振ってもらいたいものだ。

2003年のジークフリートではフランツとトレレーヴェンのダブルキャストで絶唱。2004年のカミタソも同じ。このときはジークフリートは一回しか観なかったカミタソはなぜか三回も観てしまった。

というわけで今年、3月の神々の黄昏も非常に楽しみだ。

おわり

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976- ウォーナー・プロダクション再演 ジークフリート 新国立2010.2.17

2010-02-21 14:52:59 | インポート

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2009-2010聴いたコンサート観たオペラはこちら

今日は新国立のジークフリート。

昨年のラインの黄金、ワルキューレに続くキース・ウォーナー・プロダクションの再演。

2010217()16:00-22:10

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キース・ウォーナー プロダクション

リングサイクル再演

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ワーグナー ジークフリート

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(出てきた順番に)

さすらい人 ユッカ・ラジライネン

ミーメ ヴォルフガンク・シュミット

アルベリヒ ユルゲン・リン

ジークフリート クリスティアン・フランツ

森の小鳥 安井陽子

ファフナー 妻屋秀和

エルダ シモーネ・シュレーダー

ブリュンヒルデ イレーネ・テオリン

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ダン・エッティンガー指揮 東京フィル

序奏のなんだかごもごもしたなか、舞台下手からヴォータンがちょろっと顔をだす。上手からミーメがちょろっと顔を出す。続いて痛手のアルベリヒが電動車椅子をバックさせながら上手から舞台中央のテーブルに何やら小瓶をおいて再び上手に去る。第1幕で歌うことのないアルベリヒがいきなり出てきたというわけだ。この手の演出はラインゴールドからある。

小瓶には毒汁がはいっていて、第1幕第3場で剣を鍛えるジークフリートに合わせて毒汁をシェイクするミーメ。その毒汁は第2幕まで引き延ばされ結局、ファフナーがごくり。

ジークフリートにぐっさり刺され血なまぐさく残酷なシーン。深い森との対比。第2幕は音楽、演奏ともに出色の出来となった。

あるいは、縫いぐるみをまとった森の小鳥が地面、空中自在に飛び回って、最後この第2幕第3場エンディングで、縫いぐるみを脱いでストリップ(風)になり舞台奥手に去る。それを一瞬怖そうに呆然と見守るジークフリート。第3幕第3場への布石、怖れの認識への布石になっている。

2幕にいきなりあらわれるモーテル二部屋。ヴォータン、アルベリヒ、ミーメがいれかわり立ち代り、なぜVACANCYなのかよくわからなかったりするが、神は見えない?

このモーテルも第3幕まで引き延ばされる。森の中、森林浴のあとの部屋なのかぁ。

わかることわからないこと、いずれにしてもこのように演出に手が込んでいる。

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こんなこと、また小道具の多用、演技の表情、テレビモニターに映された内容、あるとあらゆる細かいところが、最前列に座ってみるとほぼ座った状態で棒を振りたまに腕が見えたりするエッティンガーの垣間から非常によく観え理解できるものとなる。

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1幕第3場の音楽運動、人間技とは思えないようなジークフリートの絶唱、録音だけだとそう聴こえてやまない個所だが、テキストをみると、この席から観ると、実はジークフリートはそんなに長々と歌っているわけではない。要所に歌があらわれるだけだ。

つまるところ、このシーンはオーケストラの咆哮が歌のように響いているのだ。雄弁な音楽というしかない。

3拍子から4拍子へ転換、音楽運動が過熱してくる。そして見惚れているだけではだめだ。エッティンガーの急き立てる、駆り立てる棒は圧倒的で、ジークフリートの剣を鍛える音は完全に後れる、つ


975- ジークフリートの前の腹ごしらえは初台・不動通りのお蕎麦屋で

2010-02-19 00:42:34 | インポート

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新国立劇場で、ジークフリートが始まりました。今回は5回のうち2回観る予定です。

17日と20日です。

17日は平日4時開演ですので、サラリーマンとかはサボりでしょうね。

それで2時半頃初台についてしまったので、オペラ通りを先に進み、その先の不動通りのそば屋に入りました。今日みたいな6時間オペラの場合、かつ丼と冷たいおそばセットに限りますね。

不動通り そば処 松の家

竹セット850

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ここはこの時間帯でもお給仕さん2人いて動いている。長くやっているお店だと思う。かつと卵のバランスがちょうどよく非常においしくいただけました。おそばもおつゆも濃からず薄からずいい感じでした。そば湯を一緒のタイミングでだしてくるのだけはいただけませんでしたが。そば湯を飲むころには、そばぬるま湯になっているのであまりおいしいものではない。しめくくりがよくない。

とにもかくにも、昼下がりいい時間ではありました。

それで、食べ終わって新国立劇場のほうに歩いて戻る途中でコンビニに寄りました。今食べたばかりですが、6時間の長丁場、ペットボトルとお腹がゆるむことがありますと書いてある飴を用心深く避けて男梅、それとどら焼き、それにパンを一個。これだけあれば2回の休憩をしのげます。

クロークに仕事帰りのバック、コートを預けてロビーから席に移ろうとしたら、どこかで見たような顔の人が前を通り過ぎました。料理評論で日本的に有名著名な山本先生。一人でしたが、すぐにおばさん連中が群がってきてましたが、雰囲気、もともとお知り合いたちなんでしょう。それはそれでどうでもいいんですが、ジーパンにジャケットでお聴きに来るかぁ。

あまり気分の良くないまま、問題の最前列に座ったのですが、となりの席に定年後の特別職でまだサラリーマンをやっている雰囲気の臭うとにかく一秒たりとも止まることのない動画人間が座り、これまたそれはそれでどうでもいいんですが、最前列なのに双眼鏡をでかいバックから3分かけて取り出し、それで一生懸命みている。目も悪いのだろう、とにかくよく動く。そこまでは我慢しましょう。

足をみたらこのスーツオヤジ、雪駄、でした。水虫もオペラを聴くんだろう、きっと。ファニー・ナイトの始まりです。

続く

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974- デニス・ラッセル・デイヴィス シュトゥットガルト ハイドン交響曲全集 29-31

2010-02-16 00:10:00 | drd-haydn-complete syms

37枚組の途中感想。

以下の続きです。

957- 958- 969-

972-

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前回までで28番まで聴き終えました。今日は29番から聴き始めましたが31番のホルン信号を2回聴きました。非常に引き締まった鋭い感覚のサウンドでそれは1番からずっとそうでした。ホルンが活躍するこの31番でも気持ちいいぐらい細くて芯のある音です。ハイドンの初期はこのような方針で行くのが今は一般的でこのような響きが当たり前。

31番を2回聴き、別のCDをとりだしました。デニス・ブレインです。

デニス・ブレインが1番を吹いている第1楽章のみの録音があるのでそれを取り出して聴いてみました。

J.A.ウェストラップ指揮交響楽団

ハイドン/交響曲第31番ホルン信号 第1楽章

ホルン一番:デニス・ブレイン

ホルン二番(たぶん):ニール・サンダース

ホルン三番(たぶん):エドマンド・チャップマン

ホルン四番(たぶん):アルフレッド・カシュー

19529月の録音です。

二番手以下に足を引っ張られている感もあり、あまりぱっとしない演奏。それにあらためてブレインの音は結構横幅がある。爽快で気持ちのいい演奏、というわけにはいかない。なにかどっぷりとしている。アタックも決まっていない。不発。やっぱり一人で吹いているのを聴いた方がいいな。

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次回からまた番号順の聴き方で。

続く

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973- サヴァリッシュ フィッシャー=ディースカウ、ヴァラディ、N響、ショスタコーヴィッチ14番、死者の歌、1979.5.2

2010-02-15 00:10:00 | コンサート

サヴァリッシュには演奏人が集まるというか、曲も演奏も大変に素晴らしかった。
日本ではN響とのコンサート以外あまり思い浮かばないが、なんといっても生まれた地元のミュンヘンで1971年から20年の長きにわたりバイエルンの国立歌劇場を務め上げた、それこそ、そのもっと前の最初っから根っからの劇場マンであった。
オペラ振りにとってコンサートスタイルの曲なんて簡単でしょうがないと思う。観ていてそう思う。何事も突き詰めるには奥が深いものに違いはないのだが、だからといってコンサート専門指揮者が必ず上をいくわけでもない。輝かしいシカゴ交響楽団とショルティの一時代、でもショルティにとって長い余技だったのでは?もしくは音楽運動を通した脳と体力の保持、継続。サヴァリッシュがショルティと同じという話ではないが、オペラあっての棒であることに間違いはない。

それで、この日の異例とも思えるショスタコーヴィッチのプログラム。

1979年5月2日(水) 6:45pm NHKホール

バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調

ハイドン 交響曲第103番変ホ長調「太鼓連打」

ショスタコーヴィッチ 交響曲第14番「死者の歌」
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
 ユリア・ヴァラディ

ヴォルフガンク・サヴァリッシュ 指揮 NHK交響楽団

当時のメモ。改編。
この頃、あまり演奏会に出向いていない。東京にいなかったこともあり、休みの時期と選曲、タイミングでよさそうなものを聴きに出かける。

久しぶりにN響の音を聴いた。運がよく、最高の席で聴くことができた。
今日の演奏に関する限り前半2曲はともに前座の域を出なかった。というよりもショスタコーヴィッチが素晴らしすぎた。
なかなか生で聴ける曲ではないのだが、その素晴らしさ、凝縮度、深刻さ、気軽に聴ける曲ではない。この日はもちろん生初聴き。録音ライブラリーにはあるものの頭のライブラリーにはほんの少ししか記憶されておらず不安であったが、最初の音を聴くやその魅力的な和声に引きずり込まれた。
演奏者の質の高さはものすごく、今の日本で考えられる最高の室内楽メンバーであろう。単なる室内楽としてではなく、室内楽的交響曲の演奏メンバーとして。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ。あの余裕。うまいとかへたとかいうのではなく、その余裕と落ち着きに心を奪われてしまった。ppからffまで、また最低音から最高音までまんべんなく均等に配分された声、やはり素晴らしかった。
最高のメンバーによる最高の演奏、そして最高の曲。

なんとも簡単なメモ。
タコ14のハーモニー、音の響きはそれまでのものとは明らかに異なってきており、その室内楽的な編成、響きにもかかわらず、どこかシンフォニー作家としてのジャングルジム的響きのあや。N響はこのようなものは得意。当時のN響はブラスはよくなかったがウィンド、弦は最高。見事なソロ技術、アンサンブル、音色の強弱濃度のバランス、深い響き、味わい深さ。これ以上ないショスタコーヴィッチ。
フィッシャー=ディースカウは結局のところ、観られ慣れていて、特にオペラ歌手に多いのだが、聴衆に観られ慣れている。余裕の歌、その前に余裕の落ちつきなのである。
N響とソリスト二人がサヴァリッシュの棒のもと、どのようなショスタコーヴィッチを演奏したのか。滑らかすぎたかもしれないが、それを越えた音楽の集中する構築物、表現等目の当たりにしたのだ。

開始時刻が6:45pmと中途半端。この時期のことはあまり記憶にないが、開演が6:30pmというのもあったと思う。
NHK-FM放送は7:00pm開始で演奏会の途中から放送開始。1曲目は演奏会終了後に最後に流す、ということだったと記憶する。だから、本当のライブは7:00pmに開始する曲だけ、最初の曲はテープから流れ出ていたわけだ。
おわり


972- ハイドン交響曲全集 16-28 デニス・ラッセル・デイヴィス

2010-02-12 00:10:00 | drd-haydn-complete syms

37枚組の途中感想。

以下の続きです。

957-

958-

969-

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まとめ聴きしてまして、前回1番から15番まで、今回は16番から28番です。

前回も書きましたが番号順に聴いてます。(あまり意味がない?)

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引き締まった演奏はライブとは思えないほど雑音なし、ミスもなし。レベルの高い演奏が続きます。

ハイドンの判で押したような形式音楽、だんだん気持ちよくなってきました。聴く方も聴き方がていねいになってきました。こうやってずっと聴いているとベートーヴェンの交響曲全集も聴きたくなります。端正な世界からヘヴィーなワールドになってしまうのではなく、このようなサイズのベートーヴェンを聴きたくなってきますね。フルトヴェングラーの解釈は贅肉だらけだったのかもしれない、などと脳裏を横切ります。

オーケストラ曲がこのハイドンのあと、いかに膨らんでしまったかいろいろと考えさせられます。

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普段、全集とかベスト盤とか、誰某特集盤、などといった聴き方をほとんどしないので聴き方が慣れていない部分がありますが、たまにはこんな聴き方もいいかもしれません。このスタンスでいくと、例えばプロコフィエフの交響曲全集を1番から聴いていくこともなんとなくできそう。

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ハイドンは交響曲を日常的に作曲することにより、それをもって自分を見つめることができていたのだろうね。才能はうらやましいが、作り続けることによって先、その先までいけそうな気もしていたんだろう。脳の運動、鍛えることにより先に進める。アスリートだったのかしら。

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971- セルジュ・ボド リヨン管弦楽団 初来日 1979.4.26

2010-02-11 11:18:52 | インポート

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1979年の初来日時、リヨン管弦楽団は創立10周年。音楽監督のセルジュ・ボドは1970年にパリ管とともに来日したことがある。

リヨンの副監督は、

シルバァン・キャンブルリング

と表記されている。

シルヴァン・カンブルランだ。

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日本初来日の公演は7回。

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1979

420()福岡市民会館

421()日比谷公会堂

423()神奈川県民ホール

424()日比谷公会堂

426()愛知文化講堂 ◎

427()飯田文化会館

428()大阪厚生年金会館

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◎は河童潜入

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1979426()7:00pm

愛知文化講堂

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フォーレ 組曲「ペレアスとメリザンド」

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ストラヴィンスキー 舞踏組曲「火の鳥」

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ベルリオーズ 幻想交響曲

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(アンコール)

ベルリオーズ ラコッツィ行進曲

ビゼー カルメンより

xx yy

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セルジュ・ボド指揮リヨン管弦楽団

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例によって当時のメモから。

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出来て10年たつそうだが、もう10年後にもう一度聴いてみたい。

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なんとも一行のメモでした。

明らかに二流。

響きが薄い。奥行きがない。そんなところだった。

アンコールが3曲あり、3曲目はxxさんのyyという曲だったのでしょう。覚えていなのではなく知らない曲だったのだろう。誰か教えて。

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970- フィルハーモニア管弦楽団 ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス1978.11.19

2010-02-10 00:10:00 | インポート

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イギリスのフィルハーモニア管弦楽団の来日はこのとき2回目。1回目は1970年、このときはニュー・フィルハーモニアという名称になっていた。
来日の前年1977年にもとのフィルハーモニアに名称を戻している。
日本では10回の公演を行った。
一番アカデミックな感じの国から来たオーケストラであるはずなのに、初めて外国人に接したときのような、ビートルズを初めて生で観たときのような(みたことはないが)、やっぱり妙に垢抜けした外国人集団で、彼らの一挙手一投足がなんだかとても新鮮に見え、今までにない気持ちになったことをよく覚えている。

1978年
11.19NHKホール◎
11.20NHKホール
11.22北海道厚生年金会館
11.23宮城県民会館
11.25名古屋市民会館
11.27大阪厚生年金会館
11.28松山市民会館
11.29倉敷市民会館
11.30広島郵便貯金会館ホール
12.1熊本市民会館

◎は河童潜入
それでは初日の演奏会メモから。

1978年11月19日(日)6:00pm NHKホール

君が代
イギリス国歌

マクスウェル・デーヴィス ジョン・タヴァナーの「イン・ノミネ」による幻想曲第1番

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、ピエール・アモアイヤル

ブラームス 交響曲第2番

(アンコール)
ヒメネス 「アロンソの結婚式」間奏曲

ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮
フィルハーモニア管弦楽団

逆な聴き方かもしれないが、フィルハーモニア管弦楽団の音がレコードの音と同じでうれしかった。弦の細くきれいな音、バランスのとれた木管、そして地底から湧き出るような金管群。

アモアイヤルのヴァイオリンは音が非常に細くきれいであり、まるで女性のようであった。リズム感をあまり強調せず、ほとんど流れるように歌い切る。それほどの技巧派ではない。

ブルゴスの指揮は、一昔前の指揮者をみているみたいだ。だからブラームスはブラームスらしくてよかった。もう少し起伏があってめりはりのきいた指揮ならもっと良かったはずだが。

イギリスは陽気だ。ジョーク。

といったメモ。最後の行が意味不明だが、なんとなく初めて見る種の外国人のような気がしてそこらあたりしぐさからなにからよく見ていたのかもしれない。
おわり


969- ハイドン交響曲全集 とりあえず途中まで デニス・ラッセル・デイヴィス

2010-02-09 00:10:00 | drd-haydn-complete syms

例の、不良品交換が終わりましたので、デニス・ラッセル・デイヴィスの棒によるハイドンの交響曲全集を聴き始めました。

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957-

958-

の続きです。

まず、37枚のCDはハイドンの時代分けに沿った収録となってます。従って番号で行くとバラバラになります。

時代別だとこれなんか参考になりますね。

ハイドンの交響曲

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収録された順番ではなく、あえて、交響曲の番号順に聴き始めました。一曲ずつあちらのCD、こちらのCD、とっかえひっかえです。CDプレイヤーとは便利なもの。ラクラク。

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ただ、このボックスにはCDのインデックスが記載されていない。だから該当の交響曲の冒頭のインデックスがわからない。インデックスは楽章ごとになっているということがわかったので、3楽章の曲、4楽章の曲を見極めてカウント、ブックレットに鉛筆で書き込みながら、つまり作業をしながら聴き始めた。安いCDなのでこれぐらいしょうがない。ついでにいうと録音データの記載もない。曲ごとに盛大な拍手がはいるのでそこが一曲の終わりの目印。

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1番から聴き始め、とりあえず、15番まで聴き終えた。9番から急に録音のエネルギーが増す。テイクの日取りがわからないので、演奏会でのプログラムがどの曲を配置してやったのかわからないためなんともいえないが、それでも録音の均質性、コンディションは上々だと思う。引き締まった録音で、それはとりもなおさずこの演奏団体シュトゥットガルト室内管弦楽団の性能の良さがあってのもの。ホルンの出番が多いがすっきりとした吹きっぷりで気持ちがよい。

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ハイドンの100曲以上の交響曲、このような規範が古典としてあって綿々と歴史が流れ、ブルックナーのような交響曲に至る。

昔のデニス・ラッセル・デイヴィスからすると、ハイドンもブルックナーも振るような雰囲気はなかったと思うが、それが今や落ち着いたヨーロッパで両方とも全曲を完成している。いろいろと考えさせられるところがある。

このあと16番から、また、CDをとっかえひっかえ聴くことにするか。

つづく

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968- サンヨーカセットビデオ ポーズコンβ 1978年クリーヴランド管弦楽団プログラムより

2010-02-08 00:10:00 | インポート

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1978年のロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団公演の模様はこちらからご覧ください。

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このときの公演プログラム、いわゆるパンフレットをみていたら最後の方に写真のような宣伝がのっていた。

三洋電機株式会社発売の、

サンヨーカセットビデオ

ポーズコンβ (ポーズコンベータ)

VTC-9150 ¥228、000-

テープは一番長いL-5002時間用で¥4,000

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ビデオカメラもあって、

ビデオカメラ(白黒)

フレッシュアイVC-1400 ¥59,800

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早い話、昔はベータだった。

この時代に、それよりも前も、個人でテレビ録画をしていた人たちがいて、NHKにも保存していないようなものを個人でもっていたのはこんなのでとっていたんでしょうね。接続端子がなければ、放送映像をフレッシュアイで直接撮るなんてこともあったのかも。

マシンはごつごつしたものですが、写真を拡大してみればわかるように、その説明に書いてあるとおり、その機能、発想など、今、何も進化したものがないのがよくわかる。この種のマシンでやるようなことは昔も今もそんなに変わっていないということでもある。

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価格はどんな感じかな。¥228,000

1978年当時、手取り給料と残業代と出張手当があったけれど、それらを全部足してもこの金額には届かなかった。

この本体だけではなにもできないわけで、テレビをはじめ、いろいろと必要なものが多くそのようなところまでそろえてやるような環境でもない。買えないということもあるが、存在そのものに関心がなく、ほかにやらなければいけないことがたくさんあった。今見てそうだったかと思うぐらい。

このころテレビはほとんどみていない。仕事と麻雀だけ。それにお酒もあるか。

仕事の関係で東京には住んでいなかったので、1978年聴いたコンサートは限られている。

後になって思いおこすといろいろあったなぁということだけだ。

おわり

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967- 多彩なプログラムがすごかったマゼール、クリーヴランド 1978.9.16

2010-02-07 11:40:16 | インポート

Scan10020

1978聴いた演奏会より

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前回、前々回の続きです。

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1978916()7:00pm

普門館

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ガーシュイン キューバ序曲

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ムソルグスキー 展覧会の絵

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チャイコフスキー 交響曲第6

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(アンコール)

ブラームス 大学祝典序曲

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ロリン・マゼール 指揮 クリーヴランド管弦楽団

多彩なプログラム。前日の日比谷公会堂でのアクシデント公演に続き、この日は方南町の普門館まで日曜の夕方でかけた。

前年の1977年にカラヤン/ベルリン・フィルがこの音響最悪のホールで演奏して一年後だが、気分はそれを思い起こさせるものだった。大音響のプログラムにふさわしい以上の最悪のホールには違いない。今はこのホールは全日本吹奏楽コンクールの甲子園になってしまったが、遠い昔のように、全国大会は毎年異なる県で行うとか、そこらへん、困難を乗り越えてほしい。あまりにうまくなってしまった高校レベル、逆に、スキルの高度化は文化の平板化を生んでしまったのは、オーケストラだけではない。

ということで、例によって当日のメモから。

ロリン・マゼールの演奏する交響曲は、その当時の人々を納得させることもできる現代的な演奏だと思う。ヨーロッパ的とかアメリカ的とかいう範疇を越えた演奏。

ほとんど自分だけで体系化してきた解釈。それだけに演奏がツボにはまると有無を言わせない説得力を持つ。

リズム感、ビートの演奏。これにはいつも感心するがチャイコフスキーを演奏した直後、ブラームスをやっても何の違和感も聴衆にもたせない古典的形式によるチャイコフスキーの解釈。ここにマゼールの本当の力をみる。

悲愴の最後の音が消えた時、マゼールは明らかに放心状態だったのだ。楽員を立たせることもなく自分もちょっと一礼しただけで出て行ってしまった。

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クリーヴランド管弦楽団の実力はチャイコフスキーの第2楽章に歴然と表れた。弦と木管と金管のあの透明なバランス調和。

今、むらむらとあの1974年の同メンバー、同指揮者による日本最終公演のベートーヴェンの4番とベルリオーズの幻想を思い出す。

マゼールよ、はやく、ベルリン・フィルの栄光の座に座れ。

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こんなかんじの感想。これまた最後の一文が今となっては笑えるが、当時、希望も含め、最高峰といわれていたベルリン・フィルの音楽監督になるべき絶好調男だったことは間違いない。カラヤンが世を去るまでこのあと10年、マゼールはクリーヴランドのみにとどまらずウィーン国立歌劇場にも一時おさまったが、脳のキャパがこの劇場さえも超えていたということだろう。簡単に言えば。

おわり

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966- ロリン・マゼール クリーヴランド管弦楽団 1978.9.15

2010-02-03 00:08:46 | インポート

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1978年聴いた演奏会より

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前回の続きです。

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1978915()7:00pm

日比谷公会堂

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ウェーバー オベロン序曲

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チャイコフスキー 交響曲第2

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ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲

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レスピーギ ローマの松

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(アンコール)

ビゼー/アルルの女より

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ロリン・マゼール 指揮 クリーヴランド管弦楽団

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例によって当時のメモから

この日は、来日初日の演奏会だったのだが、楽器が税関を抜けて日比谷公会堂に着いたのが18時過ぎだったそうだ。音出しで精いっぱいで、リハーサルなどできないし、ましてこの日比谷公会堂では悪コンディションが目に見えている。

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しかし演奏は素晴らしかった。

前回1974年の来日公演も聴いているが、そのときもこのときも、1970年までのセル時代の音色とは様変わり。でもいいとか悪いとか言えないのではないか。

それにマゼールは批判を受けるには、その存在があまりにも大きすぎる。

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この日は多彩なプログラムだった。とりわけ素晴らしかったのがチャイコフスキー。

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リズムのとりことなったマゼールの演奏。素晴らしい。体全体がリズムそのものとなる。とりわけ、小ロシアにおいて、そのリズム感は極点に達する。このようにあまり聴いたことのない曲をまるでベートーヴェンの運命のように何度も聴いたことがあるかのように聴かせてくれる。ものすごいビートだ。これはあらゆる障害を乗り越えた最高の演奏であった。

この曲の構造などいたってシンプルなのだが、それをあれ程見事に最後まで飽きずに聴かせてくれるマゼールの実力。

しかし、リズムだけで音楽は成り立たない。こんな音色音楽もあるのだぞと牧神で訴えたその実力とクリーヴランド管弦楽団の驚異的アンサンブルに感謝!!

そして、レスピーギでこのオーケストラの音色バランスは最高のものとなる。

いかにffであろうと、いかにppであろうとピッチにずれは生じなく、また、完璧なハーモニーとなるクリーヴランド管弦楽団の驚異的なアンサンブルを日本のオーケストラも少しは見習ってほしいと思う。かろうじてN.が日本のオケの面目を保ってはいるが。

おわり

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965- クリーヴランド管弦楽団1978年来日公演より

2010-02-02 00:10:00 | インポート

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1978年聴いたコンサートより

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マゼールは1978年の7月にフランス国立管弦楽団と来日したが、2か月おいてすぐにまたきた。今度は当時手兵のクリーヴランド管弦楽団と。

クリーヴランド管弦楽団は、1970年セルと、1974年マゼールと、それぞれ来日しており1978年は3度目の来日。

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1978年 クリーヴランド管弦楽団 来日公演

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1978.9.15()日比谷公会堂 ●

1978.9.16()普門館ホール ●

1978.9.17()群馬音楽センター

1978.9.18()普門館ホール

1978.9.20()名古屋市民会館大ホール

1978.9.21()大阪フェスティバルホール

1978.9.22()福岡市民会館

1978.9.23()広島郵便貯金会館ホール

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●印は河童潜入

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8回公演のみ。東京での演奏会場はかなり冷遇。3回ともみじめなホール。今みたいにホールが多くなく、まともなところは東京文化会館かNHKホールのみ。ここが使えなければほかの古いホールか音楽専用でないホール。

初日の915日は楽器が税関を通って着いたのが当日の18時だった。演奏会は19時からだったから練習もへったくれもない。楽器を取り出して温めてチューニングしただけだろう。ばたばたした初日だったが、演奏旅行に慣れているスーパー・オーケストラはそんな悪コンディションをものともせずいい演奏を魅せてくれた。

次回ブログに初日の模様をアップ。

つづく

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