河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1227- マーラー 子供の不思議な角笛 トーマス・ハンプソン ウィーン・ヴィルティオーゾ

2011-04-30 00:10:00 | インポート

これもいいですね。
深いバリトンで、いきなりマーラーの森に入り込めます。
伴奏もいいと思います。
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1226- 【GWにつきCDジャケのアップシリーズ】 ルネ・パペ ワーグナー アリア集 バレンボイム

2011-04-29 00:10:00 | インポート

ゴールデン・ウィークになりましたので、ブログの更新はしばらく休憩。あらかじめアップしておきます。
一日一個。
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ここ一年で、わけあってCD2000枚ぐらい買っちまいました。
一日に5~6枚聴かないと追いつきませんが、次の一年はたぶん100枚ぐらいしか買わない、だったりするので聴く方も気まぐれです。
それで、旧譜とか古い録音のものは、今買わないと手に入らなくなったりしますので、とりあえず買い、で置いておくだけ。
このゴールデン・ウィークは新譜をアップしてみます。アップするのは新譜で気に入ったものです。
今日は一枚目です。
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ルネ・パペ
ワーグナー・オペラアリア集。
ワーグナーの世界にすんなりはいっていけます。

指揮はもはやリヒャルト・バレンボイムと呼んでもいい人ですので、シュターツカペレ・ベルリンともども言うことありません。
ドミンゴがパルジファルに特別参加。

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1225- ほこりまみれ 洗濯

2011-04-26 00:48:00 | インポート

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ほこりを振り払うだけではどうもだめなので、洗濯機にいれて洗ったら、髪の毛が立ってしまいました。ドラム式だからかな。

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1224- マーラー花の章、さすらう若人の歌、交響曲第1番 ロジャー・ノリントン N響2011.4.23

2011-04-24 18:08:22 | インポート

大震災後4回目の演奏会通い。
2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
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2011年4月23日(土)3:00pm
NHKホール
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マーラー 花の章
マーラー さすらう若人の歌
 バリトン、河野克典
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マーラー 交響曲第1番
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ロジャー・ノリントン指揮
NHK交響楽団
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土曜日の午後3時をなんとも中途半端ととるか楽しい一日の一部ととるかみんなそれぞれ思いはあると思います。雨風模様で気持ちはブルーだったが先週聴いた一直線エルガーが素晴らしく、この日も是非とも聴かないといけない。そんな思いでした。
プログラムビルディングは明瞭な第1番取りまきコンサート。たしかにこのような並びで午後のひと時を過ごすのもいいものかもしれない。
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交響曲第1番の圧倒的に鋭い演奏に聴衆大ブラボー、思わずその輪に加わっちまいました。
マーラーにおけるユニークなノンビブ奏法。マーラー独特な粘着質的歌の部分に隙間が出来ますが、これがなんとも絶妙な効果となっている。パウゼ的緊張感がホールに浸透し妙に新鮮。
むろん、第4楽章で第2主題が2回歌うわけですけれど、第1楽章が再帰する2回目の歌は、すーっと空白の空気が流れたりして今まで聴いたこともないような感覚を味わいました。そしてホルン8本の仁王立ちはその割にはでかいサウンドではありませんでしたけれど、全般的に硬質感があるなかシャープに突き進むノリントンのほぼ1拍子振りが圧倒的に剃刀的鋭角的な加速度にくらくらしながら本当に若々しく突き進んだ。素晴らしい快挙の第1番でした。
なにしろ引き締まったサウンドが非常に魅力的。ノンビブ奏法効果だけでなく反射板効果もあるかもしれない。
先週のAプロは2階席中央前方、この日のCプロは一階席やや左で9列目に座ってますけれど、この日の1番はやや硬質な響きでサウンドが締まっている。よくわからないのですが、
何年か前からステージがせせり出てきて、本来のステージの前方の縁から2,3メートル聴衆側に寄ってセッティングされるようになったと認識します。これがN響のときだけなのか、他のコンサートでもこうなのかわかりませんが、とにかくそうなった。それでノリントンの今回の棒ではコントラバスが一番奥に左右一列に並びます。その後ろに衝立のような反響板を立てている。舞台の奥の壁との間が結構空く。指揮者の意図するところではないということらしいが、ノンビブ奏法やとにかく少なくとも指揮者の嗜好と反対ということではないだろう。それで、あらためて舞台全部を見てみると、要は3メートルぐらい全体が前に出てきている。つまり舞台の上にステージというものが上がっていて劇中劇のステージではないですけれど、もうひとつ舞台が前にあるような感じに見えるんですね。結局このように手前に建築しておけば最初からそんなにぼろくそに言われなくてもよかったのかもしれないですねこのホール。ただし広がりすぎの横幅はもうどうしようもありませんけど。
このようなことをこの日は感じました。音が鋭くなり引き締まった。いい音になった。もちろんほかにもいろいろな要素はあったと思います。指揮者の能力の高さは言うまでもありませんが、たとえば3.11にメータの棒によるチャリティー第九、このときは事態が事態なだけにものすごい緊張感にあふれる演奏でN響も引き締まった演奏になっておりました。このときもうひとつ感じたのは会場が上野の東京文化会館であったということ。前回ここにN響が上がったのはいつなのかは知りませんが、響きが良かったのはこの会場だからということもあったのかもしれません。残響があり音を聴き合える。アンサンブルなんて相手の音が聴こえないと難しいわけで、それがここ上野では互いの音を聴きながら演奏し合える。だから密な演奏になると思いました。メータの指揮者技量とN響の本来の技量が同一方向のベクトルとなったいい瞬間でした。へんなたとえかもしれませんが、ニューヨーク・フィルハーモニックの今の拠点はエイヴリー・フィッシャー・ホールで定期はほとんどここでやりますが、たまのイヴェントでカーネギー・ホールでやることがある。歩いても15分ぐらいの距離ではあるのですが、今はこうなっているわけです。
カーネギー・ホールでの演奏は記念、祝祭的なイヴェント性の強いもので、ここでのニューヨーク・フィルハーモニックの演奏はいいでき。イヴェントだから気の張り具合が違うということもあるとは思いますが、ホールの響きが良い。良いホールでは良いアンサンブルが出来る。
話が例によって長くなってしまいましたが、要は、メータの棒による東京文化会館での演奏、そしてノリントンの棒によるリメイクNHKホールでの演奏。このあたりで団員に一段自然な気持ちの引き締めがあったのではないかと推測します。つまり、「やっぱり我々はうまかったんだからおごらずこれからやっていこう」と。そのような掛け声がなくてもプレイヤー一人一人にそのような気持ちの変化があったと感じました。
5月の指揮者でもそれが継続することを。
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マーラーの交響曲第1番。ノリントンの棒は明快。第2楽章など全く斬新で後ろ髪をひかれないサーサーと切り上げる潔さで快感。第3楽章は中間部で一段とテンポを落としても粘らないのでドライでいながら、スコアの本来の姿が現れてきているようにも聴こえ非常に新鮮。第1,2楽章は終わるごとにノリントンが団員の方に拍手をしていましたから、よっぽど思いの通りだったのでしょう。
第4楽章は先に書いた通りで最後の突き進みが見事。
このマーラーを聴いてふと、「速度的遠近感」のようなものを全体として感じました。伸縮自在ということになるんでしょうが加速度と減速の具合が自然、さらに緩徐部分における自在な棒はもはやオペラの域といってもいいものだ。ほとんど右手だけの指示、腕だけ見ればそうなのだが、そうではなくて全身をオーバーアクションではなく微妙に指示を出していくあたり練習が徹底していると思われる。峰を登りきったような爽快感。
前半の2曲は交響曲1番の関連で置かれていると思う。
花の章はこれだけ聴いてもよくわからないので、やるんならメータ&イスラエルが昨年来日公演でやったようにきっちり挟み込んでやってほしいところだ。経緯等があるので独立させて存在の意識化をはかったのでしょうか。よくわからないというのは単独曲としての曲種はなんだろうか、といったあたりです。序曲でもない、なにかショート・ピースでもない、聴き方がわかっていないといわれればそうかもしれませんね。
2曲目のさすらう若人の歌はよかったですね。
いきなりマーラーの独特なサウンドの森のなかに入らせてくれます。グレイで厚みではなく線を感じさせる。オーケストラの線、声の線、一種もつれあいながら情感をこめて歌う河野さん多分十八番の曲ですね。思わず歌詞カードをみながら聴いてしまいました。
なげやりで絶望的な歌詞はやっぱり、若人、ではないだろう。自分の人生のことをあまりにシニカルにとらえているし、気持ちがこのような状態のときは詩など書かない方がいいと思う反面、そのときでなければ書けないという妙な気持ちではある。マーラー自身、平常時にはあまり読みたくない詩ではないだろうか。
河野さんの気持ちの入れようが並ではない。オーケストラのサウンドによく溶け込んでおりそれでいてかき消されない。バリトンの声の美しさを堪能することができました。
ノリントンは前半棒無し、後半1番のみ棒あり。
おわり

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1223- シルヴァン・カンブルラン ロジェ・ムラロ ラヴェル ピアノ協奏曲など 読響2011.4.18

2011-04-20 00:34:02 | インポート

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2011年4月18日(月)7:00pm
サントリーホール
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(東日本大震災追悼曲)
メシアン 忘れられた捧げもの より 聖体
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プロコフィエフ ロメオとジュリエット、抜粋
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ラヴェル ピアノ協奏曲
 ピアノ、ロジェ・ムラロ
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ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲
 ピアノ、ロジェ・ムラロ
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(アンコール)
メシアン プレリュード
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ラヴェル ボレロ
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シルヴァン・カンブルラン指揮
読売日本交響楽団
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メータノリントンと同様この日も大震災の追悼に曲が奏された。拍手を控えるようアナウンスがあってその通りになったのですけれど、カンブルランが団員と一緒に舞台まで歩いてきて、演奏後団員と退場。たしかにこのようなやりかたも拍手抑制のためのやりかたかもしれない。沈痛な曲で長調短調どっちに振れるかわからないような曲で、むしろ不安を増幅させるような感じもしたが、感性の違いといったところか。
今日はコンサートの前に3月14日の中止コンサートの払い戻しがありまして、きっちり封をされた封筒に、後で開けてみたらきれいなピン札。ありがとうございます。
それで、今シーズンから席替えをしました。というのもこの前のシーズンまでいつもパンクな若者の頭で視野がさえぎられてしまっていて、かといって若者がクラシック演奏会にくるのもあまりあることではないし、まして他人の頭を注意するのもどうかと思いそのままにしていたのですが、やっぱり視界は広い方がいいということで、席替えの要望を出しましたところ、めでたく受け入れられ、センター通路わきの極上シートを確保することができました。9列目で非常にいい席なのですが、ところがあまり音がよくありません。ボテ系というか、それ系とあとは通過してしまう音。なんだか一番大事なものが抜けていく感じ。いろいろと良し悪しがあるから人生は面白いと言われればそれまでですけれどなんだか割り切れない座席変更となってしまいました。
ということでその席でプロコフィエフ。超フル編成、今まで震災後あまり演奏が出来なかったその心模様を一気に噴き出したような感じだ。
ちょっとふやけて聴こえてくるのは座席のせい?でも今日のホルンはきびしいな。ずれ落ちていく感じ。結果的には全部ラヴェルでよかったと思いますよ。ロメオとジュリエットのシリーズをしないといけないのでこのようなプログラミングなんだろうけれど、カンブルランのもう少しスタイリッシュな面を聴きたかった。スピード感は結構ありプロコのロメジュリとしては突き進む感じがある。ここは賛否があるかもしれない。
今日の何と言っても贅沢なのはラヴェルの二つのコンツェルトを同じ日に聴けるということ。曲の深刻度が作曲経緯から言っても圧倒的に左手の協奏曲の方が上で、音の流れ具合も左手の方がビロードのように敷きつめて流れる感じがあって、さらにその音の流れの方が今日の読響に合っている。前半の両手の方はラヴェルにメンバーが追いついていけてない。アップアップ状態のところもあった。高速で短い刻みの多い両手の方は曲をこなし切れていないと感じる。
ムラロは共感の弾きっぷりで、たとえば両手の方の第2楽章の静けさ、シンプルなもののむずかしさを改めて伝えてくれるし、このようなものはやっぱり邪念を取り払って真っ当に立ち向かってやるしかないんだなと思わせてくれるし、それが成功した時のシンプルなものの説得力がものすごい。
でもやっぱり左手のコンツェルトの方がオーケストラも含めて圧倒的に素晴らしい。もやもやした演奏が多く、それは多分に収録しきれない低音の響きの不明瞭感などもあると思うのだが、ムラロの演奏は非常に鮮明で音を消化しきっている。最後のトロンボーンのグリサンドがフィニッシュした時に思わずフライング拍手。しそうになりました。
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最後のボレロは極みの音楽で個々人の精神集中度を垣間見る、プレイヤー個々の神経細胞を観ているようで、観ようによってはグロテスクかもしれない。静けさも爆発も芸術に違いない。
*写真は、外も中も節電で暗いサントリーホール。
おわり

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1222- エルガーのエレジー、ベートーヴェン交響曲第1番、エルガー交響曲第1番、ロジャー・ノリント

2011-04-17 18:59:53 | インポート

2011年4月16日(土)6:00pm
NHKホール
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エルガー 弦楽合奏のためのエレジー
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ベートーヴェン 交響曲第1番
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エルガー 交響曲第1番
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ロジャー・ノリントン指揮
NHK交響楽団
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大柄のロジャー・ノリトンはレコ芸等の宣伝写真でのトリッキーな笑顔で損な印象があるが、その彼がゆっくりとポーディアムに向かう。そして先日のメータのときと同様、同じくマイクを持った通訳が後を追い、ノリントンに渡す。今日も3.11大震災の追悼のあいさつから始まった。みんなこうやって悼む。
ノリントンはバッハのアリアではなく、エルガーのエレジーを奏した。悲歌である。
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前半のベートーヴェンの一番は、N響とこれからベートーヴェンの交響曲シリーズを行っていくその最初の曲となった。
いかにもいかにもという振り方、古楽器真っ盛りにはやった叩きつけるような棒、といっても棒は持っていないが、むしろ曲に合わせて腕が動いているようなそれでいて百戦錬磨の余裕のような、あえていえば、アーノンクールなどと同じ傾向の振り姿だ。たぶん最初の頃は、改革、音楽の改革にフレッシュにきびきびした振り姿だったと思う。
「ピリオド」というのは「時代」ということだから、ピリオド楽器、ピリオド奏法、などそのイメージ通りでいいのだが、つまり時代様式ということでいいと思うのだが、ピリオドという言葉にはどうしてももう一点、「句読点」のような響きがブレンドされているような気がして、それは「句読点がついたような奏法」のような感じがあり、時代様式を踏まえない単なる時代の真似を今この現代に行っているような場合もあるのではないか、勘違いというか時代様式ではなく再現された流行と思えなくもなかったりして、個人的には歴史的な観点での興味はほとんどなくその意味では流行に流されていると言われればそれまでなんですけれど、響きが真似なのか真の創造の追体験なのかはこうやって本物をみれば少しはわかる。個人的にはホッグウッドが好きなのですけれど、響きの世界で別々の方向に向かったということなのかもしれない。
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それで、ノリントンが聴かせる響きはまさに音楽創造の追体験のようなフレッシュなもので、ベートーヴェンが筆で描いたものをそのまますぐに音にしたような響き。
この日だけなのかどうか、ステージの奥には、初めて見ますが大きな反響板のようなものが立てられており、その前に左右幅広く一列にコントラバスが並ぶという一風変わった風景となっておりました。これが響き方にある程度影響されていたというかそのように指揮者は画策したのかもしれません。
第2,3楽章は非常な高速。特に第2楽章は耳慣れたものにとっては倍速以上に聴こえる。第1,4楽章は違和感のないもの。ノリントンは指揮中も、どうだいいだろう的に聴衆の方をみたりする、第4楽章の序奏では席の方をみて振っていたし、結尾音はもろに聴衆に向かって締めていた。このジェスチュアだけみれば昔のハインツ・ワルベルクを思い出すが、もちろん中身はまるで異なる。
硬質サウンドのティンパニの強打はデフォルトのようで、ほとんど指示を出さないのに要所をビンビン締めてくる。圧倒的存在感。この楽器の重要性がよくわかる。フレーズ、縦バーの要所でポイントになる楽器で、これがあるとないではまるで異なる。むしろそのような要請が積まれた歴史の結果ということなんだろう。
N響の響きは非常にシャープ、研ぎ澄まされていて気着心地がいい、外連味がなくすっきり、さわやか。垢がとれた。
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後半はエルガーの1番。ここではタクトを持ったノリントンが現れた。持つだけで意味を感じる。前半とは様相が異なるんだよと自ら発している。
この曲は要は最初の主題が全楽章いたるところにちりばめられていて、主題の対比というよりも近親性であり変奏曲でも聴いているような錯覚に陥ったりすることがあるのだが、この日の演奏ではこの最初の主題の強調をより強く感じた。角を排し丸く優しくまろやかに響かせた主題の線をいたるところ臆面もなく強調していて、スペシャリストといったおもむきではなく自国の音楽への共感の響き、音楽という雰囲気が非常に強かったように思う。ノリントンはこの曲でもスコアは不要なのだが、指示が前半のベートーヴェンのときとまるで異なる。微にいり細にいりの棒は、知り尽くしている曲をもう一度あらためて焼きなおしている。でもエルガーのスペシャリストのような変なやにっこさが感じられない。愛の共感としか思えない。その意味ではたとえば第3番の全曲版のようなものには関心がないのではないか。たとえば、誰かの交響曲が何十番までもあってそれを全てやりつくすといったこだわりもないのではないか。そんな気がする。そうだとするとこの前のメータなんかも同じ部類の指揮者だ。聴き手側もある程度そのようなことを気に留めながら聴いても悪くはない。
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練習がどうなのか、一部不揃いな部分が散聴されたが、そのようなことはあまりに気にならないが、整理整頓を好む(と思われる)エルガーの音楽には末葉も大事な気がしないでもない。
そういったことがあったが、向かって右側に配したブラスの響きは整然としており、むやみに強奏させることなく線を合わせていくのでメリハリ感がいい。その意味では正面奥に一列に並んだコントラバスも下支えというのではなく、動きの表情があり、神経の行き届いた細かい表現に驚きました。ニュアンスが入念に練習で伝えられているのでしょうね。
最後の盛り上がりはそのための盛り上がりではなく音楽の自然な加熱にある程度任せているので、大団円ではなくシャープにすとんと決まった。
第2楽章からアタッカで第3楽章へ移行はラフマニノフをなんとなくイメージさせるけれど、響きの一つ一つが祈りのように聴こえる。味わいのある内容でした。
おわり

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1221- 不思議な置物が出てきた。

2011-04-16 13:21:28 | インポート

3.11の大震災のとき、会社から歩いて帰ってきて、夜中徹夜で被災の棚とか片付けていたら、不思議な置物がでてきた。
お河童さんがギターでも弾いているのかしら。
たぶん、いつかどこかで買ったものだと思いますが、わかりません。
二つに割れてしまっていたので、コンビニで強力接着剤を買ってきてくっつけて飾ってあります。
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1220- 東京フィルさん ありがとう!「創立100周年 響 悠久の約束」 東京フィルさん ありがとう!

2011-04-15 02:17:53 | インポート

2011.3.11東日本大震災のため、東京フィル創立100周年の記念演奏会3/18と3/20は残念ながら中止となってしまいました。
それで、チケットは返却して代金も早くに振り込んでいただきました。それで終わっていたものと思っていたのですが、今日4/14家に帰ってみると封書が届いておりました。なんだろうと思ってあけると、3/18、3/20のプログラム。
プログラムは早くに出来上がっていたのでしょう。それにしてもわざわざ送っていただけるとは全く思ってもいませんでした。東京フィルさん、ありがとう!
それも3セットもはいっておりました。確かに3/18分一枚、3/20分は二枚とってあったので三枚分ではあるのですが、そこまでしてくれるとは、かなり、感激です。敬服です。
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このプログラム凝ってます。
プログラム自体60ページぐらいのボリュームで内容もかなり充実。それとともに、
「大入り袋(記念切手在中)」
これはなんともユニーク。このようなものがもらえるなんて、初めて。
切手も凝っていて、東京フィル創立100周年記念切手、なんですね。なんだかとっても得した気分。
本当に行きたい演奏会でした。3/18は第一回定期の再現プログラム、3/20はシェーンベルクのグレリーダーでしたからね。
とりあえず、主要ページだけアップしておきます。
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1219- ズービン・メータ ニューヨーク・フィル時代

2011-04-13 00:32:00 | インポート

ズービン・メータの2011.4.10チャリティー公演の第九興奮がおさまりません。
ついでにこれも見てもらえればと思いました。
1982年から1987年あたりのニューヨーク・フィル時代のものです。
まだ断片しか書いてません。
1983-1984シーズンだけ書きました。ニューヨーク・フィルハーモニックだけでなくメトロポリタン・オペラ、海外オーケストラ、その他もろもろ書いてますのでよろしくお願いします。
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1983-1984シーズン
http://kappamethod.blog.ocn.ne.jp/kappa2/2008/06/19831984_73ff.html
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書き忘れそうになりましたけれど、このシーズン後半、メータはテニス肘のためすべてキャンセルして治療に専念してます。そのため、多彩なゲストコンダクターが出演しました。



1989年ニューヨーク・フィルのリハーサル風景

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1980年代のズービン・メータ。左側の人は誰でしょ。
フィリップ・マイヤーズ。です。

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1218- 同日日本公演したズービン・メータ プラシード・ドミンゴ 昔の共演ベスト盤

2011-04-12 01:00:00 | 音源

昨日のブログでズービン・メータの2011.4.10来日公演の第九のことを書きました。素晴らしい演奏会でした。
同日、渋谷ではプラシード・ドミンゴの公演がありました。こちらはチャリティーではなく事前に決まっていたもの。
メータ2011.4.10(日)東京文化会館16:00
ドミンゴ2011.4.10(日)NHKホール15:30
ということで両方観るのは不可能です。
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公演の興奮は行った人たちにお任せ。
それでこの二人が共演したCDを思い出しましたので紹介しておきます。

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1988年大晦日公演
テノール、プラシード・ドミンゴ
ズービン・メータ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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夢見るような内容です。
いきなり、ジョルダーノのフェドーラより「愛さずにはいられぬこの思い」から始まります。ニューヨーク・フィルハーモニックの硬質で強靭で黄色く光り輝くサウンドに導かれ、きわどい線、一点の光源から発せられるようなこれぞ本場のテノールとでも言うべき、絶唱がたった2分で歌いあげられます。うーん。何度聴いてもいい。超愛聴盤以上だな。このような歌で口説いたら絶対に落ちる。落ちないのは、ありえない。自信に満ち満ち溢れている。三者素晴らしいの一言に尽きる。
そして最後のガスタルドンの「禁じられた音楽」での最高の高まり。メータの高揚した伴奏というにはあまりにもゴージャスなサウンドが響く中、ドミンゴが光り輝く。うーん、素晴らしいです。
とにかくすべてが夢の中の出来事のようなエイヴリー・フィッシャーホール大晦日の公演。
CDではここまでですが、このあと年末恒例のこうもり、その序曲で締めて、続けてアンコールが2曲。
バッテリーパークを起点としウォールストリートを右に見て、さらにタイムズスクエアからブローウエイをのぼり、コロンバスサークルを越えると左側にリンカンセンターが見える。左方がシティーオペラ、中央がメトロポリタン・オペラハウス、右方がニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地のエイヴリー・フィッシャー・ホール。そこにいくらドミンゴと言えども出る機会は限られている。マンハッタン大晦日のこれ以上ない贅沢を味わえるCDです。今でも買えるのかどうかわかりませんけど、血眼になって探す価値があるCDです。
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それで話をドミンゴの公演の方に戻すと、4月10日公演と13日公演があるようですね。どっちか選べといわれたら私なら13日の方を断然選びますね。プログラム後半が魅力的。好きなレハールが3曲入ってますし。
http://domingo2011.jp/info.html
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1217- ズービン・メータ N響 第九 チャリティー2011.4.10 神々しいメータ

2011-04-11 01:23:19 | インポート

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東京・春・音楽祭2011年は大震災の影響をまともに受けて、もろくも悲しく、そして重く重く過ぎていき。
それは決して祝祭的ではなくむしろ何かを後押しするような聴衆の拍手から始まった。
時間が来ていつも通りの場内注意アナウンスが流れ始め、アナウンスが流れている途中そうこうするうちに合唱のほうから一人ずつ舞台に入り始めた。ここでその拍手が起こり始めアナウンスはかき消された。来日演奏団体の場合はよくこのような儀礼の入場拍手があるが、国内団体ではまず無い。そのような異例な、祝祭的なものではなくなにか、後押しをするような聴衆の拍手が続いた。合唱が入りオーケストラが揃うまでその拍手は鳴りやむことがなかった。
チューニングが終わり、3.11のときフィレンツェ歌劇場とともに日本にいたズービン・メータが今度は単身で現れた。一人ゆっくりとポーディアムに向かう。シリアスな表情だ。演奏前なのにブラボーが飛ぶ。その勇気、信念、意志、指揮者と聴衆、日本人からの感動、賞賛のブラボーにほかならない。
メータは一度オーケストラの方を向いたがおもむろに聴衆に向きを変える。下手からマイクを持った通訳がメータにそのマイクを渡した。メータの淡々とした中にもこれ以上ない悲しみの分かち合いそして悼みのあいさつ、あまりにもシリアスな表情。メータのあまりにも深い思いを6列目に座っていた自分はひしひしと感じきった。他人(ひと)の悲しみを自分のものとしたメータ、否、地球スケールでの友と友そのような思いのあまりにもシリアスな表情にみえた。そしてまさしくベートーヴェンが描ききった強い意志の曲が今から奏される、これ以上ふさわしい瞬間はない。
メータは聴衆とともに黙とうをした。起立した聴衆、そして舞台のオーケストラと合唱団、その全員起立の様は、全てが同じ高さにあったように思え、聴衆と舞台の隔たりがなくなり一体化したように思えた静かで深い黙とうが、この静寂を破らないでほしいといったそのような思いが広がったように感じた。メータの意思がすべてに伝わった瞬間でした。まさに神々しいメータ。
そして、深い鎮けさからまるで催眠術が解けたかのように意識が覚醒した聴衆はこのあとの極度に緊張をはらんだメータに再度、魔術にかけられるとは、もしやある程度わかっていたのかもしれない。メータが聴衆に背を向け追悼の曲から演奏会は始まった。
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東京・春・音楽祭2011
東北関東大震災 被災者支援チャリティー・コンサート
ズービン・メータ指揮/NHK交響楽団
特別演奏会
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2011年4月10日(日)4:00pm
東京文化会館
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黙とう
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バッハ アリア
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ベートーヴェン 交響曲第9番
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ソプラノ、並河寿美
メゾ、藤村実穂子
テノール、福井敬
バス、アッティラ・ユン
合唱、東京オペラシンガーズ
ズービン・メータ指揮
NHK交響楽団
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第4楽章の歓喜の歌の冒頭がこれほど悲しく聴こえるとは非常な驚きであった。異常な事態における研ぎ澄まされた神経が耳をもそのように支配してしまっている。わかっているとはいえこのようなイメージを構築させていくメータ、音楽というものの何が側面で主なのか一種、名状し難い悲しみの混乱が自分の頭を覆う。
この日ほど、第九の第1,2,3楽章の巨大さを感じたことはない。プレイヤーの感情の吐露がもろに音圧となって前面に出てきている。ピアニシモでも全力で奏すればこのようになる。ましてこれはN響でなければならない。折り目を求めそしてそれを越えた見事な演奏であったと言わなければならない。燕尾がもはや喪服であるように思えた深い悲しみをこの音楽で越えていこうとする意志。
メータがこうやって、やってきたからN響からこのような音が出る。圧倒的な第1楽章。音がぎっしり詰まっている。細部へのこだわりはなく一見大振り実は繊細な棒で音楽の大きな流れを造っていく。第九ソナタ形式の真髄を音の塊で表現。
メータの棒は真後ろから見ると大振りのように見えるが、少し角度を変えてよく見ると非常にデリケート。フレーズによって強く角度をつけたり滑らかに振ったり、右左ポイントを押さえた指示、遠近のメリハリが効き、結局、ほれぼれするようなバトン・テクニックであり、息の長い第1楽章を大きな縁取り、フレージングで強靭な流れで振り切る。お見事の言葉だけ。
第2楽章スケルツォもいきなり音がぎっしり詰まっている。今日のN響の音圧充実度!は大変なものであり、このような状況下のチャリティーコンサートだからということもあるし、さらに言えばホールが上野だからかもしれない。響きの充実度は素晴らしく、またピッチも見事、両者のすごさの証明は第1楽章、そしてこの第2楽章の終結の最終音のあとの残響の見事さを聴けば一耳瞭然。ホール、オーケストラ、一体化した充実の響き。
それでこの第2楽章ですがここでもメータのバトンテクニックが素晴らしい。バトンのためのバトンではなくて、そのバトンで何を表現したいか。突き詰めればそうなるんでしょうが、あまりにも見事な棒さばき。このスケルツォ、トリオでのバーをどのように区切って表現すればいいのか、こういうのもなんだが、知り尽くしているわけですよね。棒に興奮。オーボエ・トップの方のツイッターは有名ですが、彼自身棒振りとして国内行脚をしており、その彼がメータの棒を興奮気味にツィートしているのもむべなるかな。
そして、第3楽章こそは祈りの音楽。メータの棒は15分かかっていないかなりの高速モードなんですが、そのようなことをまるで感じさせない異様に丁寧で深い、粗末なところが微塵もない祈りの音楽となっておりました。変奏間のウィンド(含むホルン)ハーモニーの美しさ。聴きごたえがありました。特に演奏後のスタンディングはオーボエが一番先でしたけれど、ホルンパートは1番と4番がスタンディングのご指名を受けていて、もちろんそれはこの第3楽章のウィンドとしての彫りの深いソロパートの見事な演奏に対してのものなんでしょう。
この楽章がいかに見事な祈りの音楽であったとしても鎮魂にはいまだはるか遠い長い時間がかかる。ベートーヴェンの音楽がメータとともにその第一歩を踏み出させてくれた。そう思いたい。
この第3楽章の始まり前にソリスト4名が入場しましたが拍手はなくむしろこれは自然な感じがしました。メータの棒ではこうなるんですね。
そして第4楽章へはアタッカではいるわけではありません。呼吸を置き音楽の溜めを作りそれから音楽が響きます。どうってことないかもしれませんがやはりメータによりいろいろなことが考えこまれていると思います。
第4楽章も圧倒的な音圧がプレイヤーの熱い意志を感じさせます。それを越えたのが今日の合唱、明瞭な響きが非常な圧力で前面にでてくる。これはメータの力というしかない。合唱のコントロールと開放。歓喜の歌は一緒になって歌いまくっていたし、オーケストラを少し抑え気味にしてコラールを強調。そして合唱とオーケストラの見事なアンサンブルバランス。うーん、すごい棒だなぁ。
全員、全力投球、力を出し切っている。ここまでさせるメータはすごい。完全な歓びというよりも希望への道。そしてそれに向かう意思の力。
ソリストはまず巨大なアッティラ・ユン、殊の外、安定感と柔らかさがある。第九では出方がかなり難しいと思いますがこのようなタッチで歌いこまれると妙に安心感が出てきます。
並河、藤村、福井が硬質に聴こえてしまうぐらいの柔らかさなんだが、変な違和感はなく百戦錬磨のバイロイト組といったところか。いずれにしてもこの日の4人ともに全力投球の熱唱だったと思います。非常に熱かった。
今日のメータはコーダ終結部最後の小節でテンポを少し落としましたけれど、ほかはあまりアチェルランドしたりテンポの揺れをさせません。どっしり構えているというわけではありませんが、音楽の流れ、輪郭、縁取り、そのようなものを重視して音楽を進めていきます。遠近感、ダイナミクス、柔らかいフレージング、いろいろ感じさせます。全体のスケールの大きさにほれぼれします。
この楽章のコントラバスによる最初の歓喜の歌については冒頭に書きましたように悲しみの音楽に聴こえました。音楽の振幅を感じました。フルトヴェングラーだけがなしえた音楽の表現の多様性をこのメータがここでそのことを思い起こさせてくれたのも大きかった。
N響の上野での響きは格別なものがありましたけれど、それもこれもメータが単独で乗りこんできてこの音楽を作り上げたその力の大きさを忘れるわけにはいきません。
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演奏後の爆発的な拍手はとどまるところを知らず永遠に続きました。聴衆がほぼ全員すぐにスタンディングして拍手をするあたりも普段の演奏会とはかなり異なり、それでもやはり祝祭ではなく悲しみでありシリアスなメータの表情は、引けた後のカーテンコールにおいても同じであった。聴衆に向けられた深いまなざしは最後まで変わらなかった。素晴らしい演奏会でした。
自分もこの演奏会を聴くことにより微力ながら被災地へのメッセージが形をかえて力になってくれればと願い、熱狂をあとにした。
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1216- ズービン・メータ NHK交響楽団 第九公演 予告 「東京・春・音楽祭2011」

2011-04-07 00:12:24 | インポート

3月の演奏会、オペラは壊滅的で、4月になってもいまだ立ち直れない。
「東京・春・音楽祭」という変な名前を早く変えてほしいこのお祭りも影響を免れない。
メイン・イベントになるはずだった4月8日、10日のネルソンズによるローエングリンは中止。
そのかわりと言ってはなんだが、10日にはズービン・メータが単独で乗り込んでN響相手に第九チャリティーコンサートを行う。
N響による年末恒例の第九公演にはチャリティーの日が通常一日はいっているが、これも含め年末のN響第九公演は、よくない演奏が毎年続く。しかし、10日の第九は、3.11大震災のチャリティーであり、ルーチンワークとは少しおもむきが異なる。
一方メータは、大震災の折、フィレンツェの歌劇場とともに日本にあり、トスカと運命の力を一回ずつ振ったところで、地元フィレンツェからの帰国命令で、歌劇場は退散。フィレンツェはこの時点でもう来ませんが、メータが一人でN響を振りに来るわけですね。大震災当日100人200人の聴衆のもとマーラーの5番を敢行したダニエル・ハーディング並の勇気と信念といったところか。
10日の第九は普通に考えたらメルクマール的エポックメイクな演奏となるかもしれない。上野で響くN響の音も何か期待させるものがある。
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ところで、個人的にメータの生棒は100回以上見ているはずです。たぶん。
特に大好きというわけではありませんが、そのような時代がありました。ですので、メトのレヴァインも50回以上観てますね。ソー・ホワットっていうこってす。
メータの大振りは昔も今も変わりません。オペラでこれだけ活躍するようになるとは思ってもいませんでしたが。バイエルン時代などマジ振りでしたから、例によって複雑系の舞台芸術であるオペラを振りまくっている連中はコンサート指揮なんかは簡単でしかたがないのでしょうけれど、簡単だからいい演奏になるわけでもなく、そこらへんが難しいところ。イージーに流されない第九を期待します。
メータ100回以上観てますが、20回ぐらいはオペラ。80回ぐらいはニューヨーク・フィルハーモニック相手のものですね。

音楽芸術は聴き手の心模様を自身に波紋する。全ては頭の中の出来事。演奏中に地震がないことを祈りながら上野に出向きます。
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http://www.tokyo-harusai.com/program/page_785.html

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1215- 東京フルトヴェングラー・フェスト2011

2011-04-05 00:23:16 | インポート

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東京フルトヴェングラー研究会からメールをいただきました。
フェストの時期になりました。
今年はショートながら比較的濃い内容ですね。
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4月22日(金)が少年期のヴァイオリン・ソナタ2曲
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4月24日(日)が交響的協奏曲
これはゲネプロが4月23日(土)にあるようです。
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http://www.kt.rim.or.jp/~otakesan/fest2011.pdf
http://www.kt.rim.or.jp/~otakesan/furt.htm
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東京フルトヴェングラー研究会は日本フルトヴェングラー協会とは違いますので注意してください。
こちらの東京フルトヴェングラー研究会の方が歴史は浅いが、実演中心で濃い。
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