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2010年9月25日(土)6:00pm
NHKホール
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シューマン 序曲、スケルツォとフィナーレ
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シューマン ピアノ協奏曲
ピアノ、アンティ・シーララ
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シューマン 交響曲第3番ライン
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ネヴィル・マリナー指揮
NHK交響楽団
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一曲目の序曲スケルツォフィナーレは非常に粒立ちがよく、オーケストラの性能の良さを感じさせてくれる。シューマン独特の着ぶくれがなくすっきりしている。低弦がやや持ち上がったような軽く自由自在に動いている。その上でどうだというよりもそれだけで十分に音楽が魅力的に聴こえてくる。細かく細分化された音符の縦の線が良く合っていて切れ味がよく粒立ちが非常にいい。一つ一つの音符が垂直に湧き立っているような感じだ。シューマンの魅力全開。
二曲目の協奏曲は、ソリストのシーララという青年。大げさなものを全て排したようななんともあっさりした演奏だが遠くアカデミックなものがこだまする。オール・シューマンのような日にふさわしいのかもしれない。一つ一つは目立たないが全てを底上げするような演奏会があってもいいものだ。
後半のラインは、以前聴いたミスターSとは方向感はどうあれ演奏のニュアンスが全く異なるものだが、この曲でもN響の性能の良さが顕著で、全く気張っておらず、肩の力が抜けた粒立ちの良い好演。それでいてそれなりの長さ感はあり音楽の構造、形式にも耳配りがいっている。楽章感をアタッカにせず全て一呼吸おいて仕切り直す。音楽のおもて面のうきうきするようなものを一回おさえ音楽の構造に光をあてる。第4楽章が大きく聴こえてくる。そして第5楽章は4楽章までがなければ出てこないような絞り出すようホップステップジャンプがある。下降していく音型でさえなにか楽しいような。
第2楽章にライン川のうねりはないけれど颯爽と流れる音楽が見事でした。
おわり
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渋谷の塔レコでデモで鳴らしてるインバル指揮の国内オケによるどうしようもないブル8を聴きながら、なんでこんなライブがSACDで発売されているのか全く理解できないなか、いつも
どおり漁っていると、カラヤン指揮ベルリン・フィルの1977年来日公演のCDが並んでいる。33年前の演奏がいまさらメディアになるとは思ってもいない。
この公演のことを書いたブログのアクセス数が最近増えていたのでなんでかな、と思ってたのだが、これでわかった。
1977年来日公演は6回公演。そのうち3回を聴いたのでその模様をブログに書いているので、なにかしら買う時の参考にしていただいているものと勝手に想像しました。
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882- カラヤンとベルリン・フィル1977年東京公演ベートーヴェン・チクルス第一夜1977.11.13
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883- カラヤンとベルリン・フィル1977年東京公演ベートーヴェン・チクルス第二夜1977.11.14
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884- カラヤンとベルリン・フィル1977年東京公演ベートーヴェン・チクルス第四夜1977.11.16
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モンセラ・カバリエの超透き通るようなピアニシモは絶対に響きわたらないだろうなぁ、このホールは。などと、関係のないことをつい思い浮かべてしまうばかでかいホール。
なぜカラヤン&ベルリン・フィルがここで演奏をしなければならないのか。だれの企画か知らないが唯一お金の話しかないとそのときは思ったものだ。あながち間違いでもないだろう。5
千人のキャパだからぼったくりとはいわんが、詰め込んで、取るものは取るということか。
今では全日本吹奏楽の甲子園になってしまった感のあるホールだが、ただでさえデカい音の吹奏楽が、ピアニシモを失ってひさしい。音がデカい方が勝ちと勘違いしている学校も
あるのではないか。カバリエならここで歌ってといわれたら足蹴にして帰路につくだろう。
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ということで、さっそくこのCDを買ってみた。買ったのは聴いたものだけ。だから3枚。組み合わせが変なのがあって、ワイセンベルクによるピアノ協奏曲は収録されていない。そのため
、2番8番のように別日の演奏が1CDになっているのものがある。
ライナーノートの内容は前向き。買ってしまった人しか読めないんだからこれはこれで。
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演奏についてはリンクからご覧ください。メモみたいなもんですがないよりはまし。
5番が渾身の出来で素晴らしい、と思っていたのですが、良きメモリーはそのままとっておくのがいいのかもしれない。繰り返して聴くと録音の良し悪しは別にして、どうしてもアラが見え
てくるものなのだ。コーダの先のブラスはちょっとつぶれてフラット気味、実演ではきれいなサウンドに聴こえたベルリン・フィルだがどうしたことだろう。逆にホルンなど非常にか細く聴こ
えたりする。自分のイメージとかなり異なる。
録音は当時のオープンリールデッキ収録ということだが、悪くない音だ。やや丸みを帯びていて、オープンからカセットにダビングしたような雰囲気がなくもない。
結局、現場で聴いたときが理想的でした。
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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
この日のコンサートはこちら
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2010年9月18日(土)6:00pm
サントリーホール
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ヒンデミット 歌劇「本日のニュース」序曲
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シュトラウス メタモルフォーゼン
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シュトラウス ホルン協奏曲第2番
ホルン、ラデク・バボラーク
(アンコール)
ブラームス トランペットのためのエチュード
バボラーク編 アルペンファンタジー
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ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容
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下野竜也 指揮
読売日本交響楽団
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この指揮者は今日初めて観聴きする。かなり名の売れた指揮者だが今までただ単に聴く機会がなかっただけ。読響のサブスクリプションを買えば当然いつかは聴くことになるわけだ。あまり上背がないが棒自体は明快で指示も的確。音楽の表情も同じような感じ。クリアな音楽が響き渡る。
シュトラウス2曲をヒンデミット2曲で挟んだ本格的ドイツものプログラムだ。
<下野プロデュース・ヒンデミット・プログラムⅤ>と言った副題のあるコンサートのようだ。本人がヒンデミットの連続公演を意欲的に行っているのだろう。最近このような副題の演奏会が多いが基本的には努力して意識的に無視している。目障り耳障りなのだ。マーラーイヤーとかならまだしも、奇天烈なものが多すぎる。
この日のプロデュースものはどうだろう。ヒンデミットプログラムと言ってもウエイトは明らかにシュトラウスの2曲にかかっている。ましてソリストがバボラーク。これがなんでヒンデミット・プログラムなんだろう?とにかくプログラムにはいっていればいいのかしら。6台のテレビカメラと客席頭上にまでおよぶ収録マイクで録りまくり、あとでヒンデミットだけつなげてシリーズものにして売り出すのだろうか。それならそれで計画的でよろしい。しかし演奏会のプログラム・ビルディンクというのは体験の共同化作業と考えると決して踏み外してはいけないもの。今日のプログラムでは偶然かどうか最高のビルディングになってしまっただけということなのだろうか?どちらでも良し。プログラム、演奏ともに最高の出来ではあった。サブタイトルは関係なかったのは確かな事実ではあった。
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バボラークは何度も聴いているし連発のSACDもそろえてあるので大体のところはわかる。高低音色に変化がないのが素晴らしい。リサイタルも素晴らしいもので、いつぞや渋谷の塔レコか今はなきHMVどちらだったか忘れたがデモで吹きまくりのときは近すぎてちょっと乾いたようなサウンドのような気配もあったが腕の唸り具合はすごかった。
この日のシュトラウスの2番は並ではない難しさだと思うが粒立ちの良い音が平然と過ぎ行く。本当にポロポロやってしまう楽器なのかと疑いたくもなる。最高の演奏でした。
アンコール2本。バッハの無伴奏でもやってほしかったが、長すぎる。とにかく拍手喝采。
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前半2曲目のメタモルフォーゼンも快演だった。23の独奏弦楽器の為の習作なんですけれど、エロイカの葬送行進曲に秘められた思いを強く感じさせる曲ではある。音色の変化は望むべくもないのは言わずもがなではあるし、プレイヤーと聴衆に強い集中力を要求する曲で一度解き放たれてしまうともうのめりこむ機会を見つけるのは困難に近い。
下野は冒頭の葬送のアンサンブルのまとめあげと推移に気を使っておりポイントと心得ているのだろう。そのあとはそれこそ解き放たれたように快速に近いテンポで突き進む。音色の変化のなさをこのような快速のテンポで切り抜けたあたり一つの解のような気もする。それでも結構長い。長すぎるかもしれない。曲自体が。
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サンドイッチにしたヒンデミットの曲の一曲目の方。こちらは即物的のみの曲とでも言いたくなるようなウエットな部分の欠片もないドライフラワーのような曲だ。わざとこのように作っている。ならばそれが魅力。乾いたお皿に小ポーションのかわき物を置いたような感じで曲はすすむ。
最後の曲のもう一方のメタモルフォーゼンはオーケストラという楽器にとって一番幸福な時代の作品だろう。技巧と音量の両方で迫ってくる。ウェーバーからジャジーなリズムまでいろいろと駆使した変化、彩の飽きもしない果てしもない増音増量の曲。トロンボーンを派手に鳴らし切るのは指揮者の指示。それでも前方の弦一同負けじとこちらも音を出し切る。オーケストラの醍醐味ここに極まれり。
下野の棒だと何故かこのヒンデミットが妙に明るくなる。ブラバンのブラスアンサンブルの拡大版みたいな錯覚に陥るような個所も多少ある。これだけ明快なテンポと切れ味、意識して指揮者のものに違いない。このように明るいウェーバー・メタモルフォーゼンは聴いたことがない。健康的すぎるかもしれない。別の解釈はあって当然。この指揮者の今後が楽しみだ。
おわり
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前回のブログでヘスス・ロペス=コボスの東京フィル客演の模様を書きましたけれど、あとでテラークのCDをいろいろと思い出しました。
なかでもこのマーラーの交響曲第3番はむき出しのトロンボーンなど大胆でかつ一筆書きのような演奏で耳に残っております。
マーラーの3番のアメリカ初演はこのシンシナチ交響楽団が行っております。オハイオの古いオーケストラですので、ニューヨーク・フィルハーモニックともども主要な初演を行っていのでしょう。
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この録音は1998年1月18-19日のもの。
ロペスは1986年から2001年までこのオーケストラの音楽監督をしておりましたので油の乗り切った頃の演奏。
テラークの20ビットサラウンド・サウンドは非常に良好で眼前に素晴らしいサウンドが展開される。
パーヴォ・ヤルヴィは異なるスタイルでこのオーケストラにあたっているようだが、昨年の同組み合わせによる日本公演でもわかるようにアメリカの曲では大胆に響かせていた。
シンシナチのゆるぎない自信。
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マーラー 交響曲第3番
ヘスス・ロペス=コボス 指揮
シンシナチ交響楽団
メゾ、ミッシェル・デヤング
Ⅰ 32:15
Ⅱ 9:16
Ⅲ 17:53
Ⅳ 8:58
Ⅴ 4:07
Ⅵ 23:11
テラーク 2CD-80481
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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
この日のコンサートはこれ。
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2010年9月17日(金)7:00pm
サントリーホール
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トゥリーナ 交響詩「幻想舞曲集」
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ロドリーゴ ある紳士のための幻想曲
ギター、荘村清志
(アンコール)
フランシスコ・タレルガ アルハンブラの思い出
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ファリャ バレエ音楽「三角帽子」
ソプラノ、山本真由美
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ヘスス・ロペス=コボス 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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ヘスス・ロペス=コボスはオペラ指揮者である。オペラ指揮者はコンサート・スタイルの演奏会などというものは基本的に朝飯前。何事につけ奥義というものはあるが、普通に振っている分には、まして日本初のリング・サイクルを敢行した棒ふりにとってはイージーなものだろう。だからといっていい加減に振っているということはないが、オペラの際限ないスコアと四方八方への目配りに比べたら比較的簡単なものだろうと思う。ときとして余技に見えるような指揮者もいるし、ビックオーケストラでディレクターに収まるような指揮者は一通りオペラの世界を終えたあとの人たちが多い。アシュケナージのようにオペラになんら意味を見出さず振らないと公言している指揮者もたまにはいるが、オペラを振っていると振っていないでは頭の中のアンプリチュードが違う。アシュケナージはそこらへん、ピアノで補っていたのかもしれない。ピアノから棒ふりになったバレンボイムとは究極の正反対だと思うのだが、行き着いた先が双方、棒だったのはそれはそれで面白い。
ということでヘスス・ロペス=コボスなんですが、こちらは職人肌というにはあまりに上をいきすぎている。まさか、三角帽子がハルサイ以上の複雑系の変拍子スコアとは言わないが、ハルサイをスコアなしで振れても、三角帽子を同じようにノースコアで振れるとは限らないのではないか。愛着と言ってもいいかもしれない。スパニッシュによるオール・スペイン・プログラムである。共感と愛着がなければ振れない。三角帽子のあまりに見事な棒は最初から最後まで唖然、敬服するしかない。
棒はハルサイとまではいかないがペトルーシュカ並みの技はいるかもしれない。空中分解的サウンドのペトルーシュカに比べ、爆な曲であるのだが、プログラムの解説通り曲想的な影響はたしかにペトルーシュカから大いに受けているし、棒のスタンスもそのようなもののような気がしてならない。ロシア人は変拍子を何の苦も無く振るという話を聞いたことがあるが、それはロシア物を振る場合のことだろう。ロペスはスペイン物を何の苦も無く振る。明確な縁どりの拍子、非常に的確な楽器指示、このような高度な技が身についていることにより音楽に余裕が生まれ、スコア以上の音楽のウエーブを作り上げていくことになるわけです。
楽譜以上の熱狂がこのトリッキーでシニカルなバレエを湧き立たせた。大変に素晴らしい演奏でした。
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前半2曲目の、ある紳士のための幻想曲ですけれど、PAありで、また前列6列目というサウンド目の当たりの席でしたけれど、後ろの席の傍若無人なじじい(と言いたくなる)のいびきの方がデカい。やはりギターの音はいかんともしがたいぐらいオーケストラ負けしてしまう。曲をいくらうまく作り上げてもオーケストラが唸りを上げるときギターは埋没。
非常にしなやかな部分もあり、きっちりとアクセントをつけた部分もあり。好感のもてる曲でギターも好演。ピッチの不安定な楽器なんでしょうが荘村さんの高度な技でカバーしている。ピッチと言えば、この日の東京フィルはやたらと音があっている。清らからで美しく響く。指揮者の耳だろう。ピッチが良く合っているとオーケストラの音場というものが何故か上に持ち上げられたように感じる。正三角形ではなくきれいな音がオーケストラのやや上部で鳴っているように感じる。軽い」という表現はあたらない。きれいなサウンドは天上から舞い降りてくる。
ロドリーゴはデリカシーの極みのような曲を作り上げ、この日の演奏はそれを見事に表現した。
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前半一曲目のトゥリーナ。やっぱり最初の曲から切れ味鋭かった。ロペスの譜面不要の棒さばきは一曲目から殊の外素晴らしく、初めて聴くこの曲が歯切れよく美しいサウンドで満足でした。
おわり
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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
この日は土曜の午後のN響定期から。
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2010年9月11日(土)3:00pm
NHKホール
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ベルリオーズ ベアトリスとベネディクト、序曲
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シベリウス ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン、ミハイル・シモニアン
(アンコール)アルメニアの民謡
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ベートーヴェン 交響曲第7番
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ネヴィル・マリナー指揮
NHK交響楽団
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セント・マーチン・イン・ザ・フィールドの棒しか今まで知らなかった。1924年生まれというから86歳。とてもそのようにはみえないが半世紀以上棒を振っているのだろう。自分としてはとりたてて注目していた指揮者でもない。N響ではたいそう人気があると聞いていたのでじゃあ行ってみるかということで聴いたわけでもない。2本持っているN響のサブスクリプションのうち劈頭にあたったということだ。
ジ・アカデミーのサイズとフルオーケストラの規模の違いをどのように振るのかに興味がいってしまうが、べつにのべつ幕なしにジ・アカデミーだけ振っていたわけではないので、フル編成のオーケストラを振るのも通常の出来事。
ベートーヴェンの7番は、大オーケストラを昔風に鳴らしまくったものであり、このようなへヴィー級なサウンドはかえって新鮮に聴こえたりする人たちもいるに違いない。年を重ねるにつれ、小さい方から大きい方に向かったということなのだろうか。当人に言わすとどのような演奏団体でも振っていたのだよということになるのだろう、きっと。
例によって腰の重いN響のアンサンブルが一所懸命前に進もうとしている。ジタバタしている、という表現が的を射ているような演奏も多いが、この日の演奏はこれはこれで聴き味が湧くというものだった。このオーケストラは指揮者によって、やる気度がかなり変質するので、今日のマリナーの棒はなかなかのものということになるのだろう。悶絶うって前進あるのみ。遠近感はあまりなく雪だるまがオーバーコートを着て垂直に立っているような演奏。あっけにとられる。演奏後の絶大なブラボーコールの真意を確かめたくなる。
遠近感といえばシベリウスの伴奏の方が彫が深かったような気もするが、ただ、この曲に対して指揮が板についていない。この曲は指揮者は暗譜で振らなければならない。曲が身について初めてうちふるえるようなシベリウスの内なる声を表現できるというものだ。
めりはりですけれど、部分部分をとればそれなりにダイナミックであり考え込まれておりその意味では彫の深い演奏ではありました。ただ曲想という観点で言いますと、テンポなども含め変化に乏しくもうひとつ上のかき混ぜがあってもよかったと思う。ヴァイオリンは柔らかい丸みをおびたサウンドでシベリウスの厳しい音楽と必ずしも同方向ではないもどかしさがあった。技術的にもさらなる研さんを積んだ姿をみたい。
ということで、一曲目のベルリオーズが一番良かった。錯覚なんですが、どうしてもコーリン・デイヴィスと雰囲気だぶってしまって矯正するまである程度時間がかかってしまったが、そのままの勘違いで聴き終えてもよかったような気がしないでもない。大編成でありながら横広がりの薄さといいますか、ユニークなサウンド・バランスの曲で、ベルリオーズの変さ加減が面白く、結果的にマリナーの棒もこの曲に対して縁取りがきいており本人も一番良かったと思っているのかもしれない。
おわり
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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
この日はヴェルディのレクイエムを聴きました。
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2010年9月10日(金)7:15pm
すみだトリフォニー
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ヴェルディ レクイエム
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ソプラノ、ノルマ・ファンティーニ
メゾ、マリナ・プルデンスカヤ
テノール、スコット・マクアリスター
バスバリトン、ラルフ・ルーカス
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合唱、栗友会合唱団
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指揮、クリスティアン・アルミンク
新日本フィルハーモニー交響楽団
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4人の個性は四方八方に強いものだが、アンサンブルになると絶妙さも発揮、ヴェルディのドラマチックなオペラのるつぼ状態になる。自信の塊のような発声が美しいイタリア・オペラ歌手ファンティーニ、ややナーバスながら併せ持つ繊細さが素晴らしいプルデンスカヤ、押し切るマクアリスター、誠実なルーカス。4人とも見事な歌でした。
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メゾのプルデンスカヤは、あの細いウエストのどこからあのように太くて見事な声が出てくるのか、まるでアルトのように響く個所もあり、とにかくホールに響き渡る。最初の独唱となるからなのか、近くで見ていると非常に神経を使っている様子が手に取るようにわかる。合唱に合わせて口を合わせながら発声しているのだろうか。入りの前から集中度がものすごい。このような美人にして研鑽が並みでない。クラシック音楽のデリケートさをあらためて感じさせてくれた。見事なレクイエムでした。
ソプラノのファンティーニは天性というか職人というか、そのように見えるけれども、オペラの主役のような気のこめ方は尋常ではないし、言葉の端々への気配りが美しく、このレクイエムの詩の意味をあらためて教えてくれる。特にリベラメで怒りの日が回帰して終わる個所のしめくくりは秀逸でした。
テノールのマクアリスターはワーグナー歌手のようだがイタリアものも歌うようだ。ジークフリートも歌っているのでエネルギーが無尽蔵なのだろう。それよりもなによりもやや細めのテノールながら、一つ一つを決めながら進んでいく様はこれまた天性のものを感じさせる。
バスバリトンのルーカスはバイロイト生まれ。ヴォータン役でデビューとある。ワーグナーの歌い手。非常に手堅く正確さを強調した歌いぶりは好感度が高い。
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個性の強いソリストがそろったが、4重唱から2重唱までアンサンブルが絶妙でこればかりは日本に集結してからのあきらかな努力の成果であり、そのオペラチックなアンサンブルに魅了された。とくにソプラノとメゾの2重唱の響きは絶妙というしかない。この日はこの4人の歌を聴けただけでも大満足でした。
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合唱は透明。強弱の色合いがよくでており奥行き感がある。合唱はソロパートがないわけで、聴衆のまじめな聴きぶりがご当人たちの緊張度を高めてくれているのではないかと思える人たちも何人かいないわけではなかったが、総じて良い歌でした。
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オーケストラはあと一歩切れ味が増せば何も言うことがない。今回このホールが結構デッドな響きであるということを認識した。響きの音をオーケストラの実音がフォローしているようなところがあり、これはこのホールをホームにしているからこそ可能な音の出しかただ。
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第2曲怒りの日はバンダ4本付き。約38分の長丁場。終えた瞬間に歌の方の4人のソリストはペットボトル状態。7曲中異常に膨らんだ第2曲であるけれど、見事な構成感とそれぞれの声をバランスよく出番にするヴェルディのうまさはなんとも言えず充実した音楽を味わうことが出来る。
第7曲のリベラメでの怒りの日が再帰して、ブラスの強烈な全奏に後押しされた絶叫のフルサウンドにからむソプラノのファンティーニの見事なエンディングはまさにオペラそのもの。劇的なものから静寂へ。
それとこの個所ですが例えばムーティが指揮をするととんでもない超高速で突き進みます。調が予定調和して終わる個所ですので音楽的なポイントになる部分でもあり、ここの扱いは興味が湧くところでもある。オーケストラの性能にかかわらず、ここは完全に指揮者の解釈の違いがでるところ。アルミンクは横広がりとでも言いますか、わりと余裕を持った音楽造り。他にも全般に余裕を持った動きとなる個所が多い。微にいり細にいるというよりも、ppを丁寧に表現しているようだ。
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久しぶりにきいたヴェルレクでしたが、4人のソリストには非常に満足した一夜でした。
おわり
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http://www.ajba.or.jp/competition58koukou.htm
毎年この時期こんなもんだっけ?
審査員交渉中だそうです。
見つかっても、高校29校相手に、金と銀と銅の3種類の色分けだけすればいいので楽なもんです。
玉虫色的決着は日本人の好むところなので、審査員の選択もこんなもんでいいのかもしれません。
このコンクールはその昔とはかなり様相が異なってきており、技術の世界から解釈の世界になりつつあると思います。
両方わかる人が審査員になってほしいですね。垂直思考の人だけでなく。柔軟でかつ歴史の流れをつかんでいる人。も、いれて欲しい。
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コンクールというのは一発勝負で、高校野球のようなトーナメント方式で全部勝った学校が優勝。という形態と著しく異なります。
うますぎて参加させないというのも高校野球ではありえないこと。金銀銅の3種類の中にはいるしかない吹奏楽コンクールではうますぎる学校は音さえ出させない、みたいな。
ただ、コンクールではもしトーナメント方式にしたとしても、必ず審査員が必要です。客の拍手の多い少ないで決めるわけにはいきません。オリンピックの体操競技みたいなことろもあるわけです。体操競技みたいに細かい採点にするのも酷だというならこんなのはどうでしょうか。
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一日目、金・銀・銅を決める。
二日目、金の学校だけで再演奏を行い、絶対順位を決める。
もちろん、うますぎて神棚行きの学校も参加させる。
やっぱり、優勝(一位)の響きはなにものにもかえがたい。
金賞校がたくさんあるのとはありがたみが全然違う。
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前日、前々日ブログに続いてチェリの来日公演から。
チェリの来日公演から。
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1980年聴いたコンサートより書いてます。
1980聴いたコンサートの一覧はこちら
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1977年に日本の土を踏んだチェリビダッケでしたが、今度は読響ではなくロンドン交響楽団と来日しました。
このときは10回公演。
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1980.4.17(木)東京厚生年金会館
1980.4.18(金)NHKホール ◎河童潜入
1980.4.19(土)NHKホール ◎河童潜入
1980.4.20(日)神奈川県民ホール
1980.4.21(月)東京文化会館
1980.4.23(水)東京文化会館
1980.4.24(木)名古屋市民会館
1980.4.25(金)京都会館第1ホール
1980.4.26(土)大阪フェスティバルホール
1980.4.27(日)大阪フェスティバルホール
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11日間で10公演。休みは22日だけという駆け足公演でした。1977年のときのような熱狂は薄れていて一部空席があるような状態でした。幻も一回見てしまえば観た事実だけとどめればいいということでしょうか。
内容は素晴らしいもの。
4月18日、19日の両日の公演に潜入しましたので次回、次々回とその模様をアップします。
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1977年と1978年に読響を振った模様は前に書いてますのでそれもご覧くださいませ。
877- チェリビダッケ初来日 読響 本当のピアニシモ 1977.10.18
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917- 読響の復習 チェリビダッケの再来日1978.3.17
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1980年の一覧はこちら
1980年に聴いた演奏会より。
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1980年4月17日(木)6:45pm
東京文化会館
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ブラームス ピアノ協奏曲第1番
ピアノ、ブルーノ=レオナルド・ゲルバー
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シューマン 交響曲第4番
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モーシェ・アツモン指揮
東京都交響楽団
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例によって当時のメモより。
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これは完全にブラームスを聴く演奏会。というよりもゲルバーを聴くための演奏会であった。久しぶりに聴く都響もいまだ弱体。何の魅力もない。
ゲルバーは以前一度聴いたことがあるが、いつも迫力甚大。テクニックも完璧。聴き手に不安感を与えない。オーケストラは遠い山の彼方に飛び去り、いてもいなくても大勢に影響はない。
ゲルバーは何も変わったことをしなくても演奏するだけで魅力的だ。圧倒的なffにおける繊細な表現力はppにおける表現力よりも難しいのではないか。ppというのはそれ自身が繊細な表現力だけなのだ。前に聴いたときのゲルバーと印象は少しも変わらない。
それに比べ都響も悪い意味で以前聴いたときと少しも変わらない。第一音色に魅力がない。ヴァイオリンはつぶれたような音で必死になっている。本当に聴き苦しい。シューマンのこの曲から音色を除いたら何が残るだろうか。これは単に初めてこの曲を生で聴いた、というメモリーにしかとどまらない。やっぱり日本ではN響という感がする。これはメンタルなものを除いて純粋に誰が聴いても事実だろう。
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といったひどいメモ。ゲルバーは大変に素晴らしく、オーケストラは最低と酷評している。指揮者のことなど一言もない。
たしかにこのようなこともあったのだ。そのまま書くしかない。
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