河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1478- 金聖響、神奈川フィル、ノタシオン1432、火の鳥、春の祭典2013.4.26

2013-04-30 22:30:00 | インポート

2013年4月26日(金) 7:00pm みなとみらいホール

ブーレーズ ノタシオンⅠⅣⅢⅡ
ストラヴィンスキー 火の鳥 1919版
ストラヴィンスキー 春の祭典

金聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団


素晴らしいプログラム。春の祭典初演100周年記念につられるような形で、ブーレーズまで出てきた。それもノタシオン(英:ノーテーション)。
このオーケストラの2月の定期はマーラー10番全曲版だった。今回もいいプログラム。過激に意欲的というわけではないが、在京オケもこのようなスタイルのプログラムをもっとやって欲しい。
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冒頭のノタシオンは生音で聴くのは初めて(たぶん)。録音では知っている。
4曲中2曲目を最後に置いているのは、音響的な効果のためだろうか。このⅡはメシアンのトゥーランガリラ9曲10曲あたりとムードが非常によく似ている。刻み節はメシアンの方が炸裂的に決まっているのだが、ブーレーズは短い曲の中に凝縮させた。4曲で10分強の曲集という認識でしたけれど公演プログラムノートには18分と書いてある。ちょっと興奮気味に聴いていたので実測できませんでした。
編成は18型のように見えます。この弦群と同規模の弦以外の楽器の揃い具合に圧倒されます。編成は大規模ながら音圧に圧倒されるというより多彩な音色色彩が素晴らしく、ここらへんトゥーランガリラと少し異なるような気もします。
ブーレーズ最初期の作品、ピアノのための12曲からの編曲ということのようですが、そのオリジナルを聴いたことが無く判然としません。後年オーケストラ用に編曲して拡大したのがこの日演奏したもの。厚さと色彩がうまくミックスした、ブーレーズ閃きの一瞬。
メシアンのトゥーランガリラは80分の大作、ノタシオンは10分強、どちらも労作。でも後々聴いてみると双方一瞬にして造った曲のように思える。双方ともに天才の閃きの曲なんだろうと。
確信犯のフライングブラボーがありました。(この順番で、もう、1000回ぐらい聴きこんでいるような人かもしれませんね)。
このような曲はシチュエーションによっては、現代音楽を作曲家と同じ時代に生きている実感としての時代音楽のようにとらえて、認めて生かすような沸き立つものがあったりして、フライングブラボー自体、これはこれで違和感はありませんでした。但し半世紀遅かった。
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ノタシオン管弦楽編曲には7番もあります。この日は演奏されませんでした。
この曲の日本語副題は見たことありません、どういう意味なんだろう?
「「音符にする」ということ」なら、なんとなくわかる。
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ということで前半2曲目の火の鳥。ノタシオンとハルサイに挟まれる格好となりました。火の鳥よりもブーレーズをもう一曲欲しいような。ムードを少し変えるならメシアンでも。
この日のプログラムでは一番あまめの曲が火の鳥、一部、睡眠中の人を起こしてしまうところがあって現実、ご近所の人がビクッとしたり、心地いい曲。
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プログラム後半はハルサイ
第一部16分
第二部18分
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何回聴いてもワイルド。
二階センター席、オケの腰が重くない。
響きはわりとデッド、奥行き感をあまり感じないのはこのせいか。ティンパニがよくとおる。
全体的に筋肉質でストレート、それでいながらアンサンブルはウェットで余裕ありあり。このホールを濡らすのは大変かと思われる。
響きにきらびやかさがあり好演。地を這うような響きではなくもっと腰をグイッと上にあげたような音場が心地よい。
横に広がり過ぎのような気もしますが、規模的にはこうならざるをえない。マスとしてよりも機能分解された鳴りはこのオーケストラの力量を示している。あらためて新鮮なハルサイを楽しむことが出来ました。
指揮の金聖響は振りが非常にオーソドックスで目障り感が皆無。良い棒だと思いました。虚飾を排した棒と当夜のユニークなプログラミングに打たれた一夜でした。
ありがとうございました。
おわり

 

 

 

 


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1477- オール・ベートーヴェン・プログラム、ロリン・マゼール、ミュンヘン・フィル2013.4.13

2013-04-17 23:50:00 | インポート

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2012-2013シーズン
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2013年4月13日(土)1:00pm
サントリーホール
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オール・ベートーヴェン・プログラム
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コリオラン、序曲
交響曲第4番
交響曲第7番
(encore)エグモント、序曲
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ロリン・マゼール 指揮 ミュンヘン・フィル
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1974年来何十回も観ているマゼールですけれど、この日のアンコール曲のエグモント、左手でコントロールした第1ヴァイオリンへの強い抑止(2回)、あのような仕草はこれまであまり観たことの無いものでした。もしかしてアンコールに関しては練習不足のため、その場での指示の徹底化だったのかなとも思いましたけれど、そうだとしても敏感に反応するオーケストラもすごい。どちらにしても音楽が生きている。生き生きしている。こうでなくては!
動きは小さくなりましたが、相変わらず棒さばきにはほれぼれする。プレイヤーは最少動きにも敏感に反応する。棒の動きがあって、それから音楽が奏でられる。音に合わせた小躍りのような指揮を昨今いろんな指揮者で見るにつけ、本当の音楽の姿をこうやって観られることの喜び。深い理解でベートーヴェン全体が視野にあって、それで一つずつ紡いでいっている、そのように聴こえます。
この日、マゼール節が出たのは7番の第3楽章でした。トリオにおける、怪獣が眠りについた様な表現から、スケルツォのぶ厚い音圧まで、多彩な響きにやられました。
あと、アレグロ・コン・ブリオの情に流されない正確なテンポ、加速が音楽をエキサトさせるということから少し距離を置いて、まず、そこにスコアがあるということでしょう。
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コリオランからコンサートが始まりました。素材主題が二つ、素材のままで置かれたような曲。指揮者とオーケストラ双方の充実度がはかられる曲ではある。ミュンヘン・フィルは艶やかで柔らかくなったような気がします。ブラスは遠慮した押しがウィンドの補完のように聴こえてくる。要は弦のまとまりがポイント。ヴァント&ハンブルクのような求心的なオケ配置(中央客席からコンマスの背中が見るような)ではありませんが、ややその傾向。限りなく重厚というサウンドではなくどちらかというと(ありきたりながら)南方ドイツ的。
ドラマチックでもなく、オーケストラの鳴るがままに、それでも味わい深いコリオラン。
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4番はもしかして1974年(*)に聴いて以来のマゼールの4番かもしれない。あのときの演奏会の事は全部覚えているし、クリーヴランドから同行した新聞記者たちにからまれて誰かさんのステッキを持たされポーズさせられ写真を撮られた。あれ、なんか記事になったのかな。色紙2枚にサインをもらえるだけもらって。ダニエル・マジェスケ、ダイアン・マザー他、しっかりもらいました。あの時の4番は、まるで水の中で弾いているような滴るようなクリーヴランドの音色に序奏から完全に打ちのめされました。それとものすごいスケール感。華麗なピアニシモでホールが鳴っておりました。
時は流れ、ミュンヘン・フィルとの4番をこうやって聴けるとは思ってもおりませんでした。だいぶ鳴りは異なる。入念な入りは昔と同じですが、こうゆうところよりも力点が移ってきたようにも感じました。
一番思ったのは第4楽章の主題の短めのアウフタクトのあとのバー冒頭の幅広な弦の圧力、ドイツのアクセント(なまり)のようにも聴こえます。こうゆうところの強調は以前はなかったと思いました。シンフォニックなベートーヴェン。譜面通りの形式、そしてそのロジカルな強調。シンフォニック。
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7番は柔らかい入り。肩の力がまるで抜けている。気張らなくても嵐のような第4楽章を表現できそう。第1楽章の展開部と再現部の第1主題が好きで、特にウィンドとブラスで付点音符が奏でられるときの爽快感。日本のオケではなかなか味わえない重厚な開放感。マゼールの指揮は目障りなところが皆無。曲に没頭できる。まず、曲を楽しめる。
第2楽章の踏みしめてするアンサンブルや一つ一つの音色がうれしい。第3楽章とフィナーレについては最初に書いた通り。
ベートーヴェンの音楽の喜びを肌で感じることが出来て幸せでした。エキサイティングなものから距離を置いた音楽自体の熱狂。
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アンコールは最初からエグモントとわかっていたような。ホルン空席2席最初から置いてありましたし。短い曲ですがこれもシンフォニックなものを強調していく。楽器のもがく音があるとき肉声に変わってゆきそうな変幻自在。雄弁なインストゥルメントの味わい。素晴らしい。
おわり
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(*)
1974年来日公演
ロリン・マゼール
クリーヴランド管弦楽団
ベートーヴェン 交響曲第4番
ベルリオーズ 幻想交響曲
(Encore)ヴェルディ 運命の力、序曲
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1476- オール・ベートーヴェン・プログラム 1番、ピアノ協2、3番、広上、中村、東フィル2013.4.12

2013-04-14 12:40:00 | インポート

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2012-2013シーズン
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2013年4月12日(金)7:00pm
サントリーホール
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オール・ベートーヴェン・プログラム
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交響曲第1番
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ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、中村紘子
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交響曲第3番
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広上淳一 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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1番は音楽を伴奏にして踊っているような指揮。やることが逆では?と思いました。そまつな演奏でした。3番も同じ。以前は素晴らしい演奏を聴いたこともあるのですが、単にベートーヴェンだけが問題なのかな。とてもまじめな棒とは思えませんでした。なにか行き詰まり感でもあるのかな。今からでも、しっかりお願いしたいと思います。
エロイカ第1楽章のリピート無し。
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凄かった演奏会
ショスタコーヴィッチ12番 2008.7.11

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中村さんを初めて聴いてのはこの演奏会(たぶん)
矢代1977.4.8 矢代1977.4.9

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おわり


1475- 揺れゼロ、見事な演奏!ブルックナー5番、クリスティアン・アルミンク、新日フィル2013.4.11

2013-04-13 01:15:00 | インポート

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2012-2013シーズン
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2013年4月11日(木)7:15pm
サントリーホール
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ブルックナー 交響曲第5番 (1951年ノヴァーク版)
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クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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第1楽章 20分
第2楽章 22分
第3楽章 13分
第4楽章 26分
Gp 約20秒

かなり長い空白の後の、ご近所の第一声はブラボーではなくしゃみだったのではないか。(私ではない、)
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アルミンクの肩の力が抜けた安定感のあるテンポの中に力強さが垣間見える、ゲネラルパウゼの間も棒を振りぬいていて速度の一貫性が強い意志を感じさせる、剛直さの中にあっても気張らないで、良い建物を造ってもらいました。ブルックナー久々の好演を聴き楽しむことが出来ました。インテンポの美学です。
このような揺れ動きのないテンポはハーモニーの重なりや膨らみ、音色色彩の変化を明確に感じさせ、ソロインストゥルメントのピアニシモから全ブラスの強奏に至るダイナミックレンジの周波数さえ形式感の中に埋め込ませる。経過句も昨今流行りの意味のない引き伸ばしは全くしない。そのようなことはブルックナーにおいては形式の破壊しか生まないという認識。
音楽のウェットな香りというよりも、幾何学的な構造物をまるでジャングルジムをこちらから見ているような透明感、そんな感覚に襲われる。3主題ソナタ形式は5番でギリギリ明確、でも実は強固な骨組みであったということを指揮者はあらためて教えてくれました。
見た目、しなってますが、インテンポを貫く強い意志は明白で、オーケストラも曲想につられることなくしっかりとした足取り、アルミンクの強力なコントロールがあったのでしょう。
アルミンクの棒はマーラー演奏とは異なり、なにか生まれたときからブルックナー・チップが埋め込まれていたような自然なもの。チップが無くても偉大な演奏を達成できる日がくるであろうことは間違いないと思います。
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第1楽章の提示部の3主題一束、同じ楽章再現部の3主題一束、再現部の最後はコーダへ突入するので少し変形しますけれど、この提示部と再現部の非常に細かいところ(例えばピチカート1個のポン)まで、ほぼニアリーイコール的意識下の表現。
再現部というあとでやってくる部分の親近性の感覚は時間的経過からすれば、時は過ぎゆくで、把握しづらくもあります。が、このような曲では時間的経過による過ぎ去りしものを把握する必要がある。時間軸を取り払ったような聴き方も必要な時があるのではないか。絵の鑑賞と少し異なるのが時間軸のある音楽なのでしょうが、一度、絵の鑑賞のように見る努力。これ、見えなかったものが見えてくる。かなりのコンセントレーションが必要なのも事実。でも、のど元過ぎれば、これもまた楽し。といった部分もあります。
アルミンクのこの対称性は西洋美学そのものだと思います、ただ、それをそのように表現できるのは時間軸のあるブツであるため、簡単な話ではない。割と曲想に乗った総崩れ的演奏が日本人指揮者に多いのは美学が対称性を求めない(拒む)ようなチップが埋め込まれているからという可能性も否定できません。総崩れは地震の歴史と同じで、何度も崩れるんだから木造でいいのではないかという文化。なんだかそれと似ている。総崩れは崩壊ではなく非対称大好き日本的美学だと。これでブルックナーをやられると、個人的には鉄筋コンクリートか、分度器もって、幾何学求む、みたいな世界にしてくれ。と飽くまでも個人的な好みではあるのですが。
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アルミンクの形式に対する強固な姿勢は端ばしにでてきます。第2,3主題に耳を傾けると、第1主題の主旋律だったものを、かなり強烈に(聴き手がだまっていても意識できるぐらい)強調する。コントラバスなんか、こぼれんばかりの大胆さで。
つまり、アルミンクの力学では、それぞれの主題の関連、緊密性、そしてその束である主題のまとまり毎の緊密性まで意識して表現している。例えばチャリのスポークは部品でありスポークがまとまりタイヤを支えてもそれ自体まだ部品、全体フレームを作って組み立てて一個のチャリになる、そんな感じです。もちろん、ブルックナーの曲はそういう曲なので地に根ざした発想はベクトル方向が同じであれば、そんなにもがかなくても可能ではあると思います。
アルミンクの棒はブルックナーの意に沿った美学の表現だったと思います。
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アルミンクの振りは、たたきつけたりしゃくりあげたりで、見た目、一貫性がない。名ばかり音楽監督という全世界的な潮流ですから、ミュージック・ディレクターといった名前を拝命していてもシーズン何回かしか振らない。見本がN響でしたけれど、どこのオケでも似たようなもの。このような流れの中で一見、一貫性のない振りは、不利、だと思います。
ブルックナーで味わうゲネラルパウゼの後のフル強奏における美しい縦ラインは練習からしか生まれない。指揮者さえコントロールしてしまうウィーン・フィルとかベルリン・フィルとの違いはこうゆうところに如実にあらわれてしまう。
ですから、腰を落ち着ける、これ大事なんです。
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5番の第4楽章フィナーレの序奏は一聴するとちっぽけなものです、ベートーヴェン第九の第4楽章の萌芽のようにはじまります。ただし第九と異なり、前楽章の否定はない。前にあったものを思い出させながら進む、一番極端な例が8番のコーダで突如現れる全ての旋律、その発想に戦慄が背筋をはしる。時間的経過を排してそれまでの事象(旋律)を全部覚えておけば、一大伽藍の構築物に身震いする。吉田秀和の名解説が今でも忘れられません、あのように音楽を言葉で表現できた氏は素晴らしかった。
それで、5番のこの思いだし回路、鉄筋コンクリートで出来上がりつつあるものをさらに瞬間接着剤でボンディングする。もう、離れられないのです。ブルックナーの場合、後押し的強化構造。ベートーヴェンの勝利への行進とは違います。
アルミンクのこのちっぽけなものの表現も悟った様な丁寧さで、粗末な扱いは全く無し。
序奏から提示部への弦の滑り込みがやや急いだ感がありましたけれど、すぐにインテンポに戻りました。ここらへんになると、プレイヤーの方も理解が進んでいるので指揮者のコントロールが乱れてもすぐに立て直す。自発的な表現といった具合です。音楽が一段と活きてきます。
この第4楽章は心地よい満腹感。これでもかのブルックナーの強烈フル強奏の建屋に圧倒されました。
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第2,3楽章はリズムの相似性から連続して演奏されるケースがあります。アルミンクの美学からしたらたぶんそうはならないだろうと。4つの楽章が美術館の壁に、4フレーム個別に鎮座しなければならない。そして、どの一つが欠けてもダメ。そうゆうことでした。
おわり


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1474- 東京クヮルテット 2013年7月フィニッシュ、夢は続く

2013-04-03 20:33:49 | 新聞

2013/4/3N記事より

さらば東京クヮルテット
世界を駆け抜けた44年、自ら幕を引き次の夢へ
磯村和英
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息と響きを合わせ、心を一つにして演奏する弦楽四重奏、カルテットはこの世にある最高峰の音楽だ。1969年に4人の日本人で結成した「東京クヮルテット」のヴィオラ奏者として、そう信じて生きてきた。
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1974年に発表した2枚目のアルバム(上から時計回りに筆者、原田禎夫、名倉淑子、原田幸一郎)
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第1ヴァイオリンの原田幸一郎君、第2ヴァイオリンの名倉淑子さん、チェロの原田禎夫君と僕で始まった東京クヮルテットは何度かメンバーの交代を経てきて、結成時のメンバーは僕だけとなった。やればやるほど弦楽四重奏が好きになる。けれども今年の7月で東京クヮルテットの活動を終えることにした。振り返れば夢中で駆け抜けた44年間だった。
♪ ♪ ♪ 
19歳の時に決断
僕に初めてカルテットを教えて下さったのは故斎藤秀雄先生だ。小学校4年生の時から先生が主宰する「子供のための音楽教室」に週1回通い、中学から桐朋学園に入学。ヴァイオリンを弾いていたが、時にはヴィオラを演奏することもあり、少年時代からその音が好きだった。
中学校3年生でカルテットを組み、先生に室内楽を教わった。とにかく厳しく、うまく弾けないと怒鳴られる。恐怖で縮み上がりながらも、先生のことは尊敬していた。音楽と教育にかける情熱が幼心にもひしひしと伝わったからだ。
カルテットの道に進むと決めたのは65年、19歳の時。日光の金谷ホテルで約10日間にわたって開かれた米ジュリアード弦楽四重奏団の講習会に参加した。彼らのリハーサルを見学すると、古典派、新ウィーン楽派、バルトークと何を演奏しても音楽の本質を突いていた。
そこには後の東京クヮルテットのメンバーもいた。講師のヴァイオリニスト、ロバート・マンさんが僕らにはっぱをかけた。「世界的に活躍する日本初のカルテットを作りなさい」
♪ ♪ ♪ 
ヴィオラに転向
そしてヴィオラのラファエル・ヒリヤーさんと2人して米国に来るよう、熱心に僕らに勧めた。2年後、米コロラド州アスペンへと渡るチャンスを得る。夏季に開かれるアスペン音楽祭の講座で約2カ月、マンさんに室内楽を教わった。僕と原田禎夫君が参加した。
69年秋にジュリアード音楽院に入学。そこで東京クヮルテットのメンバー全員がそろい、僕は翌年ヴィオラに転向した。もう毎日無我夢中。皆カルテットをやりたい一心で、練習、また練習の日々だった。
70年秋にミュンヘン国際コンクールに参加、本選を待たずに優勝が決まった。難関のコンクールで、その年も全部門で第1位を受賞したのは我々だけ。おかげで名が知られ、欧米各地で演奏することができた。
日本デビューは2年後。舞台は大阪国際フェスティバルだった。斎藤先生が来られた。めったなことでほめる先生ではないが、表情からとても喜んでいることが分かった。
僕らは拠点をニューヨークに置いた。思い返してみると我々がいるのに悪くない場所だった。もしこれがウィーンなら西洋音楽の因習や伝統と戦わなければならなかったと思う。
74年に名倉さんが脱退、池田菊衛君が加わった。81年に原田幸一郎君が抜けた時は大いに悩んだ。子どもの時から共に音楽を学び、11年もカルテットに打ち込んだ仲間だ。辞めることも考えたけれど、やはりカルテットを続けたい気持ちが勝った。第1ヴァイオリンはその後、ピーター・ウンジャンを経て今のマーティン・ビーバーに、チェロは原田禎夫君が99年脱退した後にクライブ・グリーンスミスが加入した。
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探索に終わりなし
僕らは先駆的なカルテットだったと思う。第1ヴァイオリンがリーダーとして音楽作りを導くカルテットというのが昔は一般的だった。だが僕らは民主的で、演奏するときも各自意見を出す。数年前にべートーヴェンを全曲録音した時もテンポをどう設定するか徹底的に議論した。
44年たっても飽きるどころか、まだゴールが見えない。ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトと作曲家らは弦楽四重奏曲に情熱を注いだ。その本質をどうえぐるか、探索に終わりはない。それでも辞めることを決めたのは、よい時期に自分たちの手で幕を引きたかったからだ。
演奏会のために地球上を飛び回り、練習をする生活をやめ、今後は自分のペースで音楽を続けるつもりだ。今は最後のツアーで世界を回っているところで、5月には日本4都市でも公演する。
次の夢もある。これからは若い人に指導する時間をもっと割きたい。それでもきっと弦楽四重奏を恋しく思い出すだろう。さらば、東京クヮルテット。(いそむら・かずひで=ヴィオラ奏者)
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