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1978年聴いた演奏会より
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前回、前々回の続きです。
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1978年9月16日(土)7:00pm
普門館
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ガーシュイン キューバ序曲
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ムソルグスキー 展覧会の絵
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チャイコフスキー 交響曲第6番
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(アンコール)
ブラームス 大学祝典序曲
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ロリン・マゼール 指揮 クリーヴランド管弦楽団
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多彩なプログラム。前日の日比谷公会堂でのアクシデント公演に続き、この日は方南町の普門館まで日曜の夕方でかけた。
前年の1977年にカラヤン/ベルリン・フィルがこの音響最悪のホールで演奏して一年後だが、気分はそれを思い起こさせるものだった。大音響のプログラムにふさわしい以上の最悪のホールには違いない。今はこのホールは全日本吹奏楽コンクールの甲子園になってしまったが、遠い昔のように、全国大会は毎年異なる県で行うとか、そこらへん、困難を乗り越えてほしい。あまりにうまくなってしまった高校レベル、逆に、スキルの高度化は文化の平板化を生んでしまったのは、オーケストラだけではない。
ということで、例によって当日のメモから。
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ロリン・マゼールの演奏する交響曲は、その当時の人々を納得させることもできる現代的な演奏だと思う。ヨーロッパ的とかアメリカ的とかいう範疇を越えた演奏。
ほとんど自分だけで体系化してきた解釈。それだけに演奏がツボにはまると有無を言わせない説得力を持つ。
リズム感、ビートの演奏。これにはいつも感心するがチャイコフスキーを演奏した直後、ブラームスをやっても何の違和感も聴衆にもたせない古典的形式によるチャイコフスキーの解釈。ここにマゼールの本当の力をみる。
悲愴の最後の音が消えた時、マゼールは明らかに放心状態だったのだ。楽員を立たせることもなく自分もちょっと一礼しただけで出て行ってしまった。
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クリーヴランド管弦楽団の実力はチャイコフスキーの第2楽章に歴然と表れた。弦と木管と金管のあの透明なバランス調和。
今、むらむらとあの1974年の同メンバー、同指揮者による日本最終公演のベートーヴェンの4番とベルリオーズの幻想を思い出す。
マゼールよ、はやく、ベルリン・フィルの栄光の座に座れ。
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こんなかんじの感想。これまた最後の一文が今となっては笑えるが、当時、希望も含め、最高峰といわれていたベルリン・フィルの音楽監督になるべき絶好調男だったことは間違いない。カラヤンが世を去るまでこのあと10年、マゼールはクリーヴランドのみにとどまらずウィーン国立歌劇場にも一時おさまったが、脳のキャパがこの劇場さえも超えていたということだろう。簡単に言えば。
おわり
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