河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2457- Water 小菅優 ピアノ・リサイタル、2017.11.30

2017-11-30 23:58:13 | リサイタル

2017年11月30日(木) 7:00-9:20pm コンサートホール、オペラシティ

メンデルスゾーン 無言歌集、ヴェネツィアの舟歌第2 op.30-6  4+5+3+3+3+4
フォーレ 舟歌第5番嬰ヘ短調op.66
メンデルスゾーン 無言歌集、ヴェネツィアの舟歌第3 op.62-5
フォーレ 舟歌第10番嬰ヘ短調op.104-2
メンデルスゾーン 無言歌集、ヴェネツィアの舟歌第1 op.19-6
フォーレ 舟歌第11番嬰ヘ短調op.105

ラヴェル 水の戯れ  5

ショパン 舟歌嬰へ長調op.60  9

Int

武満徹 雨の樹 素描  6+4
武満徹 雨の樹 素描Ⅱ-オリヴィエ・メシアンの追憶に

リスト 巡礼の年第3年から、エステ荘の噴水  6+14
リスト バラード第2番

ワーグナー/リスト編 イゾルデの愛の死  8

(encore)
ラヴェル 夜のガスパールより、1.オンディーヌ(水の精)  7
ショパン 24の前奏曲op.28より、第15番ニ長調 雨だれ  6
ショパン 練習曲op.25より、第12番 大洋  3

ピアノ、小菅優

Four Elements Vol.1
4元素(水・火・風・大地)の初回テーマ、ウォーターのリサイタル。水絡みの作品を並べたもの。
冒頭1曲目はメンデルスゾーンのボートソング。情感がこもった実にいい演奏。
プログラム最初の6曲はメンデルスゾーンの無言歌8巻48曲のなかで、ヴェネツィアの舟歌のタイトルが有るもの3曲をピックアップし、フォーレのバルカローレ3ピースと交互に並べたもの。水絡みですな。

冒頭の2ピース、メンデルスゾーンの第2、フォーレの第5番。この二つを聴いただけで、なんて素晴らしい作品なんだ、今まで、こんなに素晴らしい作品たちを、なんで聴かなかったんだろう。もう、これ、実感。
自分が聴いているのは、狭いな、自ら狭めている。反省しながら聴いていました。これだけでも、小菅さん、ありがとう。

メンデルスゾーンは心情といったものがストレートに滲み出てきますね。これらボートソング3曲は作曲家が付けた表題のようですから、その思いもひとしおか。
CD漁りがまた楽しみになって来た。

プログラム前半はさらにもう2曲、ラヴェルとショパン。
水の戯れは、水に光があたったような輝き、というよりも、透明なガラスがきれいに割れて散らばっていくようだ。音で描く色模様、素晴らしいと、この言葉だけ。惚れ惚れする。

ショパンの舟歌は規模の大きなピースで流れよりも型を感じる。構えた美しさを魅せてくれます。ゆっくりした演奏でした。小菅さんのピアノは圧巻でした。

もう、ここまでで、満ち足りた。たっぷりとゆっくりと流れる時間、いやいや、幸せの極み。
後半がある。

タケミツのレイン・トゥリーはプログラムノートに小菅さんが個人的にインスパイアされてピックアップしたであろう話しが書かれてありますね、興味深いもの。
かりそめの形、水の粒をピアニストが自ら耳を澄ましてプレイ。その音を聴衆が聴く。味わい深いです。こうゆうのってやっぱり生で、鍵盤側2列目ぐらいの接近遭遇で聴くと空気感がよくわかる。

リスト2曲、バラ2はこの日のリサイタルのうち一番長いもの。このあとのトリスタンもそうですが、水絡みというよりも、選択の強い意志か。
バラ2はロ短調ソナタが書かれたころのもうひとつのロ短調ということでしょうか。緩急二つの主題がそれぞれに膨らみを持っているような具合の弾きで、練り上げられたエッセンスを感じさせてくれる。余裕のプレイ。大きく泳いでいくような演奏は確かに水なのかもしれない。ピュアなサウンドも素晴らしいもの。

最後はトリスタン。ワーグナーの息の長い一つの音をピアノで表現するのは至難で、それにピアノからフォルテへ、みたいな表記が有ったら困ることこの上ないと思うが、リストはさざ波のように息を続けていく。イゾルデの歌のラインはハーモニーの中に溶け込んでいる。
ワーグナーのうねりと小菅の分解された流れるプレイ。見事な合体というしかない。ため息の出る演奏。悲劇のクライマックスが目に見えるよう。

気持ちが静まるいいリサイタルでした。
アンコール3曲も含め心ゆくまで楽しめました。
ありがとうございました。
おわり




2456- 6人組、エッフェル塔の花嫁花婿、プーランク、オルガン協、松居直美、プロコフィエフ6番、デニス・ラッセル・デイヴィス、新日フィル、2017.11.29

2017-11-29 23:16:36 | コンサート

2017年11月29日(水) 7:00pm サントリー

6人組 エッフェル塔の花嫁花婿  21

プーランク オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲  5+7+7+5
  オルガン、松居直美

Int

プロコフィエフ 交響曲第6番変ホ短調 op.111  13-15-13

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


デニス・ラッセル・デイヴィスと言おうとしてよくフィリップ・グラスと言ってしまうのですが、自分の中では一体化しているようなところがあるのかもしれない。
日本にちょくちょく来ていますが、なかなかフィリップ・グラスの作品は振る機会がないようですね。奥さんのほうは、昨年、グラスのエチュードをグラスの自作自演、振り分けて弾いたのを聴きました。

2128- グラス、コンプリート・エチュード、滑川真希、久石譲、フィリップ・グラス、2016.6.5


今日のプログラムは、未聴生演奏の潰し込みにはもってこいの3作品。
プロコフィエフの作品が群を抜いた面白さ。前半の2曲もユニークなもので、大いに楽しむことが出来ました。

最初の曲、6人組による作品。実際のところは5人での作。振りつけが有ればさらに面白かっただろうと思う。無くても十分に楽しめた。複数作曲家によるチグハグなところはなくて、トリッキーな動き、厚みのある響き。楽しかったですね。
デニスは曲の真価を知らしめる棒、きっちりリハを積んだのかどうかといった大味な部分もありましたけれども、彼の中心的興味はそうゆうところではないんだろうね。こうゆう面白い曲だよと目に見えてくるようなパレットで冴えた棒。腐心のしどころが違う。作品のツボを魅せてくれますね。

2曲目はプーランク。編成が弦、ティンパニ、オルガンということでかなりユニーク。オルガンコンチェルト的です。
オルガンが強烈な鳴りからほんの小さい響きまで多彩な表現で楽しませる。コンチェルトと言いながら、抜けている楽器を埋めるようなところもある。ウィンドかと思わせるような響き。オーケストラという楽器の足りない編成部分をよく埋めていて、音色もウィンド化していてオケに厚みを出している。オルガンの混ざり具合がいい。
ティンパニはそれほど自己主張の強いものではなくて、まぁ、確かにとめども無く叩いてはいる。
弦のエネルギーがかなり出ていてパワーを感じさせるもの。デニスによくこたえていました。いい演奏。

後半のプロコフィエフの6番。濃厚で充実した演奏。オケの本気度がよく見えてくるもので、デニスの棒に真剣に食らいついていた。満喫の6番。
トランペット・ソロの下降音から始まる、ユニークですぐに集中。新日フィルのサウンドは少しザラザラしていて、ぬくもりも感じるもので、海の哺乳類のような肌ざわり。こんなに噛み締めて聴く6番、なんて味わい深いんだ。
どこに飛んでいくのかわからない面白さ、2楽章のロメジュリのような甘いフレーズから粗野でワイルドな進行まで色々と聴けて振幅の大きい作品。
終楽章はほぼ5番の終楽章と同じような筆の運び、これで終わるのかと思う間もなく、フィニッシュで大きなひとひねり。ぐっさりとフォークを肉に刺したまま終わる感じ。ほんと、ユニーク。
デニスの棒はポイントを押さえた的確なもの。要所をきっちりと振っていてオケメンもそういったところでは凝視ですね。6番はやっぱり生演奏だと立体的でユニークな響きを本当に楽しめる。変幻自在の作品。曲の真価のことばかり考えて振っているようにみえるデニスの棒さばきには好感が持てます。

フィリップ・グラスのシンフォニー全集の箱、聴き返すかな。
おわり


2455- メシアン、アッシジの聖フランチェスコ、シルヴァン・カンブルラン、読響、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、2017.11.26

2017-11-26 22:36:24 | オペラ

2017年11月26日(日) 2:00-7:50pm サントリー

メシアン アッシジの聖フランチェスコ (演奏会形式) jp  71-114-68′

キャスト(in order of voices’ appearance)
1.兄弟レオーネ、フィリップ・アディス(Br)
2.聖フランチェスコ、ヴァンサン・ル・テクシエ(Br)
3.兄弟ルフィーノ、畠山茂(Bs)
3.兄弟シルヴェストロ、ジョン・ハオ(Bs)
3.兄弟ベルナルド、妻屋秀和(Bs)

4.重い皮膚病を患う人、ペーター・ブロンダー(T)
5.天使、エメーケ・バラート(S)
6.兄弟マッセオ、エド・ライオン(T)
7.兄弟エリア、ジャン=ノエル・ブリアン(T)

合唱、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮、冨平恭平

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


Overview
ActⅠ 22-18-31
ActⅡ 36-33-45
ActⅢ 27-41

Duration and casts in order of voices’ appearance
第1幕
第1景 十字架 22′
1.レオーネ
2.フランチェスコ
合唱

第2景 賛歌 18′
1.フランチェスコ
2.ルフィーノ
2.シルヴェストロ
2.ベルナルド
合唱

第3景 重い皮膚病患者への接吻 31′
1.患者
2.フランチェスコ
3.天使
合唱


第2幕
第4景 旅する天使 36′
1.レオーネ
2.マッセオ
3.天使
4.エリア
5.ベルナルド

第5景 音楽を奏でる天使 33′
1.フランチェスコ
2.天使
3.レオーネ
4.マッセオ
5.ベルナルド
合唱

第6景 鳥たちへの説教 45′
1.マッセオ
2.フランチェスコ


第3幕
第7景 聖痕 27′
1.フランチェスコ
合唱

第8景 死と新生 41′
1.フランチェスコ
2ベルナルド
3.マッセオ
4.レオーネ
5.シルヴェストロ
5.ルフィーノ
6.天使
7.患者(黙役)
合唱


11/19公演はこちら
2452- メシアン、アッシジの聖フランチェスコ、シルヴァン・カンブルラン、読響、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、2017.11.19

このオペラで一番の長丁場、第6景、鳥たちへの説教。読響ブラスセクションの燦然と光り輝く強奏の美しさはいかばかりであろう!
メシアンサウンドが美しさの限りを超えてホールいっぱいに響き渡る。なんという充実度。聴く喜び。浴びる快感。オーケストラを聴く醍醐味、ここにあり。メシアン、堪能!

先週に続いて2回目のアッシジ。全体像はいまだ霧に包まれているものの、各シーンについてはだいぶ理解が進んできてよくわかるようになった。やっぱり回を重ねるほうがいい。

第1幕。第3景でドラマが動く。1,2景は下地作り。
3景でのストーリー展開、絡む音楽。擬音効果は次の2幕4景が圧倒的なのだが、既にこの3景でその予兆、前触れ、きざしを見て取れる。ここでのドラマチックな音楽の動きは見事なもので、わけても冒頭の患者、キャラクターテノールの風味で一気に音楽を動かす。エネルギーの噴出が凄い。2景での願いがフランチェスコの現実のものとなる。
この二人に続いて天使の示唆。この三人の絡み合い。そして雄弁さを増すオーケストラ。ストーリー展開と合致したメシアン筆の運びは冴えている。パーカス10人衆、ブラス、ウィンド、弦、メシアン響きが鳴り渡る。素晴らしい。
フランチェスコを後押しする天使の出現は、次の2幕4景の旅する天使の予兆。きっちりとテーリングするメシアンのストーリーさばき。鮮やかです。1幕が閉じ休憩が入るが、緊張感を全く切らさないカンブルランの目は先を見据えている。


第2幕。
音楽の感興、オペラティックな高まり。この2幕は圧倒的に素晴らしい。全てが圧巻。

4景の旅する天使。天使がドアを叩く擬音効果満載の強烈なオーケストラ咆哮はなにやら巨人の駆け抜ける足音のようでもあるがそれを越えている。強烈。兄弟たちとのやりとりはオスティナート風に進行の様相。積分するリピート。音楽は急激に立体的になる。ここに舞台が有れば動きと音楽が一体化した峻烈なシーンとなっていたに違いない。演奏会形式の精度の高さはそれを凌駕するものであったような気もするが、はてさて、どうだったろうか。
いずれにしても、オペラとしてのドラマ、音楽の高まり、見事な絡み具合でした。
旅人は天使だったのかも、と、次の5景に巧妙につないでいく。

その5景、音楽を奏でる天使。ここはヴィオール美弱音が静寂を支配する。天使によるフランチェスコの失神。オペラのツボというかへそというか、波打つ進行にあって山野の谷底の平野の広がりを感じさせてくれる。平面的な静寂が下に沈殿してくようなシーンだ。
音楽による瞑想の度合いが濃くてグイグイ引き寄せられてしまう。静けさやこれほど見事な天の声。

このオペラ作品、最後に作曲されたという第6景、鳥たちへの説教。エピソード的な色合いなれど、メシアンにとってはおいしいものを最後まで取っておいたのかどうか知らないが、結局、当オペラのシーン中、一番長い景となった。メシアンに言わせたら、まだまだ書き足りないといったところか。
ありとあらゆる鳥、総動員されたオーケストラの色彩感、なにもかもが圧倒的な輝きで眼前に迫ってくる。エピソードなどといった事はとうに忘れて音楽に没頭。何色あるだろうこの色模様。クラクラしてくる。この凄さ。
ブラスセクションを中心に時折安定調和の長いハーモニーが節目のように鮮やかな鳴り、ホールを覆う。読響の輝かしいサウンド。オーケストラを聴く快感が脳天をつく。あまりに鮮やかな演奏。あまりの絶演にこちらはとうに果てている。
カンブルランの棒は冴えまくる。限りない変則拍子の見事なタクトの動きには唖然茫然、左手による回数指示も峻烈を極める。両腕による、もはや、妙技を越えた絶技。いやいや、開いた口が塞がらない。一体全体、どうすればあのような棒が叶うのか。後光がさしている。
鳥も兄弟も指揮者もオケも、もはや俄然一体、第2幕第6景、壮絶な名演となりました。この場にいる幸せよ。一体全体、もう一度あるものかっ!、このような夢の世界が!


脳みその火照りを休憩で冷まし終幕へ。

7景、声キリストの合唱、インストゥルメントの響きとはまるで違う、スペースオデッセイに出てくるモノリスの塊のような合唱の声。キリストの声。強靭で正確、柔軟な響き、全てを飲み込んでしまいそうなブラックホールサウンド、圧巻のコーラス。
光さえ飲み込んでしまうダークな世界のキリスト合唱はフランチェスコの聖痕願望を叶えるに相応しい巨大さだった。

舞台転換音楽や間奏曲の無いオペラで、前奏曲も無い。前幕第6景鳥たちへの説教のようにプレリュード的な頭出しがあるところも垣間見えるが、だいたい、各景は単独で閉まり、始まる。

唯一、舞台の連続性で言うと、この3幕7景と8景はつながりを感じさせる。7景の聖痕描写シーンはそれ単独では解決していないからとも言える。
オペラのクライマックス8景は、2幕4,5,6景の巨大さを引き継ぐには十分な大きさとなっているか、支え切れているか。そういった思いはある。7景8景まとめて一緒にしても第2幕の筆さばきにはかなわないのではないか。
それは、8景40分にわたる死と新生、実は死のモノローグが大半を占めている。
フランチェスコが別れを告げ、天使、患者、そして最後のソロをレオーネが歌っても、いまだ音楽は解決していない。そして、合唱がハレルヤと歌っても、死のカオス、メシアン流の混濁したモコモコとした塊りは解けず混沌としている。新生に一気に解決の光を見るのは最後の最後の一音、十分に引き伸ばされたあの宇宙の帯のような響きただ一音のみ。ここで宇宙はもう一度新しくなる。
これが力不足とは言わない。新たなユニバース、新生の創造、新たな共鳴。オペラのバランスとしては、3幕はもう一段、力感が欲しい。ただ、ストーリーがあっての進行と巨大構築物でもあるし、フランチェスコの物語としては省略しているところもあり、それの妥当性というのは、もし妥当でないバランスを欠くところがあるというのなら、それは紛れもなく作曲家自身の特質によるところのものであって、それをどうこう言う弁は持ちようがないほどの巨大な作品に仕上がっているとしか言えない、言うなら全てを受け入れてからであろう。今、メシアンに従うしかない。全体像は今、霧に包まれているとはいうものの。

聴き終えて、ふ~、と、ため息。

このエポックメイキングな出来事、未曾有の世界の体験。

音楽が神と人間のやり取りを創造。本当にそういったものだったのだろうか。知性という存在同士のテレパシー会話を聴いたような気がする。

おわり


2454- 売られた花嫁、ドヴォVnコン、扇谷、オケコン、インキネン、日フィル、2017.11.25

2017-11-25 23:58:58 | コンサート

2017年11月25日(土) 6:00pm みなとみらいホール

スメタナ 売られた花嫁 序曲  7

ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲イ短調  13+11-11
 ヴァイオリン、扇谷泰朋

Int

バルトーク 管弦楽のための協奏曲  11-7-8-4-10

(encore)
ドヴォルザーク  スラブ舞曲op72-2  5

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フォルハーモニー交響楽団


ちょうど一週間前11/18のナイトメア的ブル5とは随分と違い、肩の力が抜けた演奏で佳演。

最初のスメタナは多少埃っぽいところもあったが、マスのオケサウンドは膨らみが有り魅力的。柔らかい滑りが心地よい。

ドヴォルザークはソロとオケがシンクロして筆の運びが細やか。神経が良く行き届いた演奏で丁寧ですね。曲を味わい尽くす。

バルトークも同じように丁寧な演奏で、とっても新鮮。ひとつずつの楽章をじっくりと聴けました。

以上、3曲、ベルリン・フィルからのハシゴでしたけれども、殊の外楽しむことが出来ました。ありがとうございました。
おわり


(詳細別途)


2453- ペトルーシュカ、ラフマニノフ3番、サイモン・ラトル、ベルリン・フィル、2017.11.25

2017-11-25 22:56:45 | コンサート

2017年11月25日(土) 2:00-4:20pm サントリー

ストラヴィンスキー ペトルーシュカ1947  34′

Int

チン・ウンスク Choros Chordon (2017)  12′

ラフマニノフ 交響曲第3番イ短調op.44  17-11-12′

(encore)
プッチーニ マノン・レスコー第3幕より 間奏曲  6′

サイモン・ラトル 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


オールスターキャスト揃い踏み、メインディッシュ2皿の満腹プログラム。
チンの作品は後半の頭に持ってきた。たぶん、オケ編成の都合によるものと思われる。日本のオケメンと違い、入退場はみなさんテキパキとしていて気持ちのいいもの。プログラムの組み方も同じように無駄な時間を作らないものと見える。

ペトルーシュカは譜面無し。後半2作品は譜面見ながらの指揮。
ハルサイなどと並んでラトルの最も得意とする分野ですからね、ペトルーシュカの棒さばきは圧巻でした。
緩急自在、伸縮自在のストラヴィンスキーは、シンフォニックな動きを感じさせる。シンフォニーの音、内面化された意味合いを強く感じさせる。素材の有機的な結びつき。複数のモチーフが分解されて全部聴こえてきて、進行するに従いどのように結びついているのかがよくわかる。モチーフの運動と伸び縮みがまことに自然。このような演奏なら何時間でも聴いていられる。
ラトル余裕の解釈で、これまで自ら確立してきたものを自由自在、変幻自在に振っているようだ。ベルリン・フィルの個々のプレイヤーも阿吽の呼吸で演奏している。
強靭なソロ技、そして自らのソロ技に全く驕ることの無い強烈な密着アンサンブル。こういったところが深い、深い。
何一つ粗末にしない。末端神経も脊髄神経と同じ扱い。これ、国内オケのプレイヤーは見習うべき。いつも近くで観て聴いているので違いがよくわかる。まぁ、鮨屋の握りに例えたくなるが、しない。

このペトルーシュカ、音がやたらとぶ厚い。濃厚フレーバーのエスプレッソダブルな味付けで、手応えあり過ぎまくり。それでいて、ぶ厚くなればなるほど音の透明感が増すという、マジカルな世界。巨大な音の塊がぶっ飛んでくるが身体を透けて通ってしまうような勢い。ベルリン・フィルの音はレントゲン光線のようだ。

ウィンド、ブラスにソロ技が頻発するので、そういったあたりも聴きごたえ満載。合奏ともどもハイレヴェルで、オーケストラの醍醐味を満喫しました。

後半1曲目。チンの作品。
タイトルのChoros Chordonはギリシャ語で、英語だとDance of Strings、日本語だと弦の踊り。
今年2017年の新作、jp記載がありませんので国内で既に演奏されているという事か。
10分強の作品で、静-動-静。ハープをひっかく様な音から始まりパーカスに降りてきて静かに始まる。昔聴いたような進行。
最初の静はそれほど弦が中心というわけでもなさそう。中間部はフルオーケストラになりダイナミックで強烈なモーション。のたうち回る管弦楽。そうこうするうちに、全体が静まり、弦がまるで一本のように静奏を歌い続けていき、もう一度短い盛り上がりがあって、静まり消え入るように終わる。インストゥルメントのフル活用ながらオーケストラの機能美を殊更前面に出すことは無い、作曲家余裕の心象風景を見る思い。

本日最後の曲は好物のラフマニノフ3番。3番があれば飛んでいく。
とんでもねぇ3番でした。重量級の戦車にまるで羽でも生えたかの如く易々と飛んでいく。我々はどんなに強く弾こうが吹こうが叩こうが絶対に壊れないんだよ、ほれ、今その証明をしてやる。
おっしゃる通り、怒髪天を衝く激演。特に終楽章、シンコペーションの節回しに気品があって美しい曲だよね、を、蹴り飛ばしてもらいました。そこかしこの草木をなぎ倒す猪突猛進。スーパーパワーオーケストラの真の力を見た気がしました。やってる方は、たぶん、日常茶飯事でしょうけど。
冒頭の短い序奏に続きギラギラと輝くブラスの圧力。続く提示部第2主題のチェロの歌、膨らみがあって夢のような歌。何をしようが切れそうもないビロードのようなしなやかな流れ。うーん。凄いもんだ。
1楽章からこのテンション、夢のような音楽はあっという間に過ぎ去る。

第2楽章はスケルツォ部分の粒立ちが素晴らしく良い。アダージョとの対比が見事。第1楽章の余韻のようなアダージョと終楽章への律動予兆のスケルツォ。両方持ち合わせている。振幅のある音楽をいとも容易く濃く演奏してしまう。味わい深すぎて耳が追いつかない。それぞれの楽章が本当に短く感じてしまう。

終楽章はテンションマックスのアンビリーバブルな絶対壊れない演奏。過激にヒートしていく演奏、ボリュームマックス。もはや、圧死状態。極限技マックス。
メインディッシュ1皿目のペトルーシュカではシンフォニックな筆の運びにうなりましたけれども、ラフマニノフのほうはシンフォニーであることを忘れさせてくれる。破壊的なカタルシス、決して壊れませんけどね。
トータル馬力、アンサンブルの美しさ、ソロの魅力。どれをとっても悶絶の演奏。

ペトルーシュカは行き着く先の演奏、ラフマニノフは別の顔、色々と楽しませてもらいました。

ラトルにとってはオケ中央に鎮座するパユが中心プレイヤーなのだろうね。演奏が済んだ後、彼のところに必ず駆け寄る。よくやったと肩に手をしてくれるのはパユなんだよね、ラトルの肩に。
あと、ホルンは1番ドール、4番サラ。コンマスは樫本。

アンコールはプッチーニものけぞる仰天パワー、スーパーヘビー級のマノンレスコー間奏曲。天井の蓋が飛んでいってしまいそうな、バスドラの大強打、ありかあぁ。悶絶しました。

最初から最後までたっぷりと楽しみました。
ありがとうございました。
おわり





 









2452- メシアン、アッシジの聖フランチェスコ、シルヴァン・カンブルラン、読響、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、2017.11.19

2017-11-19 23:12:04 | オペラ

2017年11月19日(日) 2:00-7:55pm サントリー

メシアン アッシジの聖フランチェスコ (演奏会形式) jp  71-115-68′

キャスト(in order of voices’ appearance)
1.兄弟レオーネ、フィリップ・アディス(Br)
2.聖フランチェスコ、ヴァンサン・ル・テクシエ(Br)
3.兄弟ルフィーノ、畠山茂(Bs)
3.兄弟シルヴェストロ、ジョン・ハオ(Bs)
3.兄弟ベルナルド、妻屋秀和(Bs)

4.重い皮膚病を患う人、ペーター・ブロンダー(T)
5.天使、エメーケ・バラート(S)
6.兄弟マッセオ、エド・ライオン(T)
7.兄弟エリア、ジャン=ノエル・ブリアン(T)

合唱、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮、冨平恭平

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


Overview
ActⅠ 22-18-31
ActⅡ 36-33-46
ActⅢ 27-41

Duration and casts in order of voices’ appearance
第1幕
第1景 十字架 22′
1.レオーネ
2.フランチェスコ
合唱

第2景 賛歌 18′
1.フランチェスコ
2.ルフィーノ
2.シルヴェストロ
2.ベルナルド
合唱

第3景 重い皮膚病患者への接吻 31′
1.患者
2.フランチェスコ
3.天使
合唱


第2幕
第4景 旅する天使 36′
1.レオーネ
2.マッセオ
3.天使
4.エリア
5.ベルナルド

第5景 音楽を奏でる天使 33′
1.フランチェスコ
2.天使
3.レオーネ
4.マッセオ
5.ベルナルド
合唱

第6景 鳥たちへの説教 46′
1.マッセオ
2.フランチェスコ


第3幕
第7景 聖痕 27′
1.フランチェスコ
合唱

第8景 死と新生 41′
1.フランチェスコ
2ベルナルド
3.マッセオ
4.レオーネ
5.シルヴェストロ
5.ルフィーノ
6.天使
7.患者(黙役)
合唱


未体験ゾーン。初めてのアッシジ。メシアンの刻印をしっかりと聴くことが出来ました。カンブルランの棒による精緻な演奏がエポックメイキングナイトをウルトラベストなものに押し上げた。光り輝くばかりの演奏はいかばかりか。鮮やかにして知的、理性的なコントロールと連続する至難な緊張感の保持。知性という生き物がここに存在するという確信を実感できたメシアン作品。まぁ、開いた口がふさがらない。

お初で聴く作品。全体的な響きの印象としては、ざっくり、最後の管弦楽作品の「彼方の閃光」、初期の「トゥーランガリラ交響曲」、で言えば、彼方の閃光よりはむしろトゥーランガリラの発展形という感触。ロングフレーズの伸ばし具合、切り替えで頻発する刻み節。これらの組み合わせ。
増幅するパーカス群、それにロングフレーズはユニバースを感じさせるユニゾン共鳴、刻み節は肥大化をたどるものの局所肥大的なところは無くて、おしなべてバランスが良く取れていて知性によって艶やかに磨きこまれた作品という印象。
カンブルランは読響とトゥーランガリラを2度、彼方の閃光を1度演奏している。来るべくしてきたものそれがこのアッシジに違いない。確信の演奏でしょう。

トゥーランガリラ
683‐シルヴァン・カンブルラン トゥーランガリラ 2006.12.15

トゥーランガリラ
1720- トゥーランガリラ、シルヴァン・カンブルラン、読響2014.12.4

彼方の閃光
2269- メシアン、彼方の閃光、カンブルラン、読響、2017.1.31


今日のアッシジは、現音オーソリティでスペシャリストのカンブルランがメシアンの核心に迫った筆舌に尽くしがたいパフォーマンス。生きる知性と理性のコントロールの存在、抜き差しならないストーリーと歓びの不思議さが最上の形で表現されたものと思う。この作品にしてこの演奏あり。この演奏にしてこの作品あり。

初めて聴く作品、印象に残ったところを追いながら。
長大な作品ながらオペラとしてのストーリーの連続性、起承転結、ドラマチックな起伏、等々、強く感じさせる。今回は演奏会形式であり、雄大な流れは自分の立ち位置を常に実感しながら聴くに不都合なところはない。字幕が唯一の手綱であり、粗筋の予習は必須。その予習は音ではなく文字のほうであった自分ではあるが。

第1幕は3景ある。予兆の1,2景。3景でドラマが大きく動く。
全体を通して歌に寄り添うオーケストラは同じメロディーラインやユニゾンの事が多い。無調音楽がメインでありながらオケが同じラインで寄り添うので、歌としては比較的歌いやすいのではないかと思えるようなところもある。分かりやすいですね。
第一声はフィリップ・スライが体調不良でかわりにフィリップ・アディス。低音域に終始しているためか聴こえづらいところが少々。指向性の強いバリトンなのかもしれない。あっち見たりこっち見たりと動くことが無いので聴衆のほうは席により感触がだいぶ異なるのではないか。比してタイトルロールのテクシエは堂々とした歌いっぷりで余裕たっぷり、ホール全体に響き、非常に聴きやすい声。これでオペラ全体に対するなにやら安心感のようなものが、まず芽生えた。これで最後まで心置きなく聴いていけると。この感触、大事ですよね、長いオペラであるだけに特に。ということで同じバリトンでもだいぶ違う。

瞠目すべきはカンブルラン指揮する管弦楽のさばき具合。
カンブルランは俊敏とさえ言える見事な動きでてきぱきとすべてをさばいていく。オーケストラはクラリティの塊となっている。透明でクリア、明晰で明快、全てがベストなわかりやすさ。加え、テンション高く、いきなり緊張感マックス。圧倒的に極上な演奏があたまから綿々と繰り広げられる。ぶったまげた。
指揮者もオーケストラもコーラスもソリストも、そうとうにコンディションが良さそう。極上ウィスキーの上澄みを舐めるようなテイストだ。

第3景、患者への接吻はこの幕の半分近くを占める。ここも聴きごたえありました。患者役のブロンダーはキャラクターテノールそのものの声質で、まぁ、ミーメ役は言わずと浮かんでくる。深みのあるテクシエ、そして天使のバラートが奥のオルガンレベルのところに現れ歌唱。隅々までよくとおるやや硬めのクラリティ。三者三様の見事さ。役どころツボどころをしっかりと押さえておりますな。

第1幕でほぼ全てが好コンディションというのがよくわかった。このコンセントレーション、わけても、テクシエの演奏会形式をものともしないロールイメージの動き、カンブルランのウルトラハイテンションマックス棒に代表される、集中力がこちらにもシンクロ伝播。しびれます。
患者快癒のシーンは、なにやら空気が解放されたような一種独特なムードを醸し出した。大きな絵模様。


第2幕も3景ある。ここは長丁場の約2時間。
第4景は通常のオペラモードの雰囲気がありましたね。劇の中に挟まれたエピソード風味な会話のやり取り。こういったところは舞台が欲しい気もする。
第5景のヴィオールのあまりの美しさに気絶のフランチェスコ、聴く耳としては、あまりの極小ピアニシシシシモに失神。カンブルランが静かなドラマを神経細胞に触るようなおもむきで進行させる。鮮やかだ。総体の良好コンディションがこういったところからもよくわかる。冴え冴えとした美しさ。マーベラス。
この幕、極め付きは第6景の鳥模様。カンブルランは何拍子をどのように振っているのであろうか。5拍子もありそう。いやいや、いやいや、、見ていてもなにがなんだかさっぱりわからない。棒とこれについていく、フルート7人衆含めたオケが鮮やか過ぎて瞬きもままならない。驚愕のタクト。カンブルランマジック炸裂。渾身のカンブルラン棒ここに極まれり。唖然茫然。
それに圧倒的なパーカッション10人衆。LBトップ、RBトップ、オルガンレベル、それぞれに配したオンドマルトノ3台、と。めくるめく音音おとっ、多彩な色模様。息をつく暇もない、目も耳も離せなくなってきているのに、仰天演奏にここもやっぱり、失神。


終幕は2景。ここまでくると、もう、終わっている感じなんだが、7景の聖痕。ここの合唱の響きというのは聴いたことが無い。クラスター風味の事を声でやっているのだろうか。ちょっと厳しいところがあったような気もしますが、つまるところ、こっちの理解不足で、そこらへんの区別がつかない。合唱のマスサウンドは強靭で、時折、サントリーホールの天井の蓋が取れて天の星空が見えてくるような冴え冴えとしたものを感じた。ここまでくると、本当に総合芸術の極みであって、身を全て神経にして聴かないといけない。精根尽きた。

レオーネ役のアディスは気がつけばよく声が通るようになっていた8景。ここも舞台が欲しい気もする。一途な盛り上がり局面となり、締めくくりとして人物が色々と登場してくるので、過去や経緯を感じさせながらの今、という局面の説得力にシーンがあれば、もうひとつ後押しできる。フランチェスカの動きには舞台が特に必要かもしれない。

これがメシアンサウンドという限りを尽くした曲、中空を漂うなめし皮のようなビロードサウンド、圧倒的な刻み節、沸点でも理性のコントロールが作品を生きた知性の塊のような高みに押し上げてくれるカンブルランの棒、熱狂ではない。鎮まるエネルギー。抜群の品性。メシアンの作品風貌にまことにふさわしいカンブルランではないか。神様棒ですな。

カンブルランは第1幕、第2幕ともに終わると拍手を身で抑止するようにスタスタとしも手に退散。拍手を続けても出て来ない。逆に2幕、3幕開始は登場とともにすぐに振り始める。第3幕の7景の合唱などは指揮者登場とともに直立、間髪入れず開始していたので、全て事前に予定されていたものだろう。
カンブルランの、この、おじぎそこそこ感は集中力や高テンションを自らに課し、それをプレイヤーシンガー全員に伝播させることにより、作品に対する緊張感を持続させるためのもの、もはや、明らか。幕間の休憩は本当に休憩になっていたのかとちょっと心配になるぐらいでしたね。演奏の品質はこういったところ一つとっても良く保たれていたということが理解できる。

総じて、演奏会形式は精度が高い。仰天の読響パーフェクト演奏には脱帽しっぱなし。
歌は、フランチェスコのテクシエ、声がよくとおり物凄く聴きやすいし動きも説得力あります。天使バラートさんオルガンの所で歌ったりステージに出たり、明瞭な歌。患者ブロンダーさんキャラクターテノールで印象深い。レオーネのアディスさんしり上がり最後は迫力ありました。
といった具合で、1週間後、もう1回聴きます。
おわり











2451- ブルックナー5番、インキネン、日フィル、2017.11.18

2017-11-18 22:17:08 | コンサート

2017年11月18日(土) 2:00pm サントリー

ラウタヴァーラ In the Beginning  (AP)  6

ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調  21-18-15-23

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フォルハーモニー交響楽団


Duration of AB
Ⅰ  in3-3-2-2-d4-2-2-1-c2
Ⅱ  3-3-3-5-3-c1
Ⅲ  6-3-6
Ⅳ  in2-1-2-2-d6-2-2-3-c3

15小節目からの強奏の前の弦の16分音符二つ、ほとんど聴こえない。力感不足というよりはまるでそうあってほしいという演奏だ。
前回の8番同様スローな演奏、ブラスをはじめとするアウフタクトフレーズがおしなべて急ぎ過ぎで不揃い。全体的なスローインテンポの流れに持ちこたえれない。
終楽章だけインキネンの棒、やや快活な流れとなる。第2主題を中心に流れが出た。オーケストラは勢いがついてきて、それまでのブラスの先走り感がうまい具合にはまってきた。
全体としてはちぐはぐで、インキネンのブルックナー呼吸をオーケストラがこなそうと思ったら彼が通年振るしかないだろう。他の日フィル指揮者とは音楽の呼吸が違う。切り替えもオケ能力のうちだと思う。

日フィルはここのところずっと聴いているのでインキネンのブルックナーをこのオケで、というのは過渡期のように感じるところもあるのだけれども、一発聴きにとっては凡庸な埋没感を感じてもおかしくない。
おわり


2450- プロコフィエフ、イワン雷帝、トゥガン・ソヒエフ、N響、他、2017.11.17

2017-11-17 23:08:24 | コンサート

2017年11月17日(金) 7:00-8:30pm NHKホール

プロコフィエフ(スタセヴィチ編) オラトリオ「イワン雷帝」op.116  78′

メッゾ、スヴェトラーナ・シーロヴァ
バリトン、アンドレイ・キマチ

合唱、東京混声合唱団
児童合唱、東京少年少女合唱隊
語り、片岡愛之助

トゥガン・ソヒエフ 指揮 NHK交響楽団


目くるめく映画音楽オラトリオ。指揮棒を持たないソヒエフの両腕が飛翔する鳥の羽のように鮮やかに動き回る。息の長いコーラス、短い刻みのややトリッキーな動きが頻発するオーケストラ。これらを融合するソヒエフの手さばきには目を見張る。感服もの。

この作品は音源も持っていなくて本当の初聴き。動と静、ダイナミズムを感じさせてくれる曲で聴くほどにひきこまれる。
オーケストラパートのみのところがかなり濃くて雄弁。ピチカート多用、かきむしるような弾き、等々、弦の動きが刺激的。ユニークな響きが頻発。オーケストラの中央音場が空洞のようになることも。
見事な演奏に絵巻物を見ているような錯覚。雷帝のストーリー、満喫しました。

片岡さんの語りは、なんだか、迫力があって、凄い。見得を切ってくれたら最高だったかもしれないが、それだと音楽を止めないといけないしね笑。語りの凄さ堪能しました。フィルムをみながらというのがベストとは思うものの、この作品の経緯もあってか、歌舞伎をイメージしながら聴く片岡さんの語り、よくマッチしていた。上質のエンターテインメントの観劇の雰囲気。
長丁場の作品に語り、どうやって合わせているのかしら。
片岡さんステージ手前やや左、語り用両開きノートは縦字、一番下にモニターランプが2個、青で語りスタート、語りがしばらくなくて再開のとき赤ランプで準備、青で開始。よくコントロールされているようでした。

ソリストが歌うところは非常に少ない。メッゾのシーロヴァさんは、この前のフェドセーエフの振ったオネーギンに出ていましたね。
2443- エフゲーニ・オネーギン、フェドセーエフ、チャイコフスキー響、2017.11.9

東混は勢いがあって素晴らしい歌唱、ソヒエフによく反応していました。合唱指揮の松井さんは久しぶりに見ました。

楽しめた演奏会でした。ありがとうございました。
おわり






2449- ポケットにハンマーを持った男、新日フィル室内楽シリーズⅩⅣ、2017.11.15

2017-11-15 23:40:16 | 室内楽

2017年11月15日(水) 7:15pm 小ホール、トリフォニー

佐々木亮輔 人間的な2つの「性格」for 2tp-hr-tb-tba  7

石川亮太 金管大相撲 for 2tp-hr-tr-tb  5

ウェルナー・ピルヒナー ポケットにハンマーを持った男 for 2tp-hr-tb-tba 21

Int

山口尚人 ニュー・ブラス!(wp) for 3tp-hr-tr-tb  4

ヴァーツラフ・ネリベル 金管楽器のための三重奏曲 for 2tp-tb 4

オスカー・ベーメ トランペットのための六重奏曲 for 3tp-hr-tb-tba 6-3-4-4

(encore)
モーツァルト(高橋宏樹 編曲) モーツァルトだよ人生は  3
原六朗(浅見亜希子 編曲) お祭りマンボ  2

以上
トロンボーン、山口尚人
トランペット、伊藤俊、服部孝也、杉木淳一朗
ホルン、田島小春
テューバ、佐藤和彦


新日フィルさんのブラスセクションによる室内楽。この室内楽企画はお初で聴きます。この小ホールも初めて。
ちょっとデッドだがブラスにはちょうどいい感じ。
前後半3曲ずつ計6作品、うち5作品に参加したテューバは大変だったろうね、これ最初の実感。

最初の佐々木さんの作品は何かの入選作と記憶。二つのテーマで進めていく。今聴くとちょっとやにっこいところがあるように思う。いきなりこれから始めたのでこちらの没入度が浅かったのかもしれない。濃さは感じました。
新日フィルの面々は、普段二つ持っている定期シリーズで馴染みの衆です。こうやってあらためてオケではなく裸のブラスアンサンブルで聴くと新鮮味ありますね。まぁ、ザッツの合い具合が気持ちいい。こうゆうのを阿吽の呼吸というんですね。オケには無い接近遭遇ポジションですしね。

次の石川さんの作品。小泉首相の「感動した!」にインスパイアされたもののようで架空力士による相撲を、呼び出しから始める。行司、相撲、擬音効果的な吹きも含めしなるようなサウンド進行で面白い。しも手サイドにめくり台があり、めくりには相撲の様子を表わす縦字幕キャプション、黒子が一枚ずつめくっていく。演奏とよくシンクロしていて、面白い試み。
錦糸町で聴くと国技館の近さが実感される。

当オケ副首席トロンボニスト山口さんのプロデュースによる今回の企画、その企画タイトルはピルヒナーの曲から冠した。
大規模なブラスクインテット作品。7曲あって最後がハンマー男。ハンマー男は割とあっけない。それぞれのピースに説明が付いていて日本語の対訳が欲しいところ。作品のイメージが先か説明書きが先か、そんなところも味わいたかった。ピースごとの表情付けが明瞭。きっちりとメリハリ効いた演奏で覚めている目がさらに目覚める。
ブラバンだとやりがいあり過ぎまくりの曲だろうね。


後半、プロデューサー山口さんの世界初演もの。
久石さん的ミニマル風味をブラスでというものらしい。フレーズがつながっていくものというよりは、音を切っていって、それが連鎖していく。前半3曲のあとこれを聴くとなにやらオーソドックスなスタイルに聴こえてくるから不思議。もう少し長くてもいい作品。手応えありました。
ネリベル、ベーメに並べてきた山口さん新作という話しですな。

そのネリベル。安定の三重奏で、理想的なバランスとパワー。高音域低音域の動きが見事に一致。これだと金賞もの間違いなしでしょうね。堪能できました。

最後のベーメ。
山口さんのニュー・ブラス!とこの作品が6重奏。Njpに少しない熱量、内からのアツいものがこのオーケストラに欲しい、そういう思いからのプロデュース選曲。その期待にそえたか、はたまた。
熱いものではあったがさらなる精度が要求されるところも、の実感。
スタンダードナンバーで内容もシックで素晴らしく出来のいい作品だけに色々と見えてくるものもある。

充実した内容で楽しめました。トークやヴィデオも楽しかったし、演奏後の写真OKもいいですね。感動表現はスタンディングオベーションで、と。
ワンコインパーティーもあったようですね。錦糸町で酔ってしまうとたぶん、ハシゴすると思う。
おわり










 

 

 


2448- デジュー・ラーンキ、ピアノ・リサイタル、2017.11.14

2017-11-14 23:09:00 | リサイタル

2017年11月14日(火) 7:00-8:40pm フィリアホール

モーツァルト ピアノ・ソナタ 変ロ長調KV570  6-8-4
シューマン フモレスケ変ロ長調op.20  6-4-4-3-8
Int
ブラームス ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ変ロ長調op.24  20-6
(encore)
シューマン 森の情景 より、孤独な花 Op.82-3

ピアノ、デジュー・ラーンキ


今日は最前列さんになりました。

昔、高校の美術の先生が、素晴らしい絵というものは近くから見ても遠くから見ても美しいものだ、と、何かの話の脈絡で語られたことがあってそれがずっと今でも脳に突き刺さっていて、また、その先生の好みがヤン・ファン・アイクらしくて、まぁ、同じタイミングでの話ではありませんけれども、後年オランダに行ったときにアイクの絵を見ながら、そのセリフを思い出すことがあった。今でも引っ掛かりのあるセリフで脳内滞留。

彫琢の美、デフォルメや誇張の前にやることがあるだろうとラーンキが言ったかどうか知らないけれどもそういった事を感じさせる。
ラーンキを聴くのは今年2度目。
2409- ベトコン4、ラーンキ、マーラー5、上岡、新日フィル、2017.9.14

それから、2015年にも聴きました。
1820- ウィンドSym、バルトークpf協1、ラーンキ、運命、ノット、東響、2015.7.16

あと、40年前にも聴きました。
870- ラーンキ&バル3 シチェドリン&カルメン 1977.9.14


変ロ長調の作品、3連発。全部聴き終わると身体がこの調に馴染んでくるの。かもしれない。

端正なプレイ、時折1拍目がふわっとして柔らかくなる。ジャブジャブしない。局部肥大化やデフォルメなど余計なお化粧が無い。
モーツァルトの流れが最初からとてもいい。ちょっときつめなところもあって激しさが出たりする。作品のスタイルが前面に出てくる。きれいな響きで満喫。

シューマンはやや抑えたテンペラメントが色々と手を替え品を替え変え浮き沈みする。作曲家独特のそのモコモコっとしたところをラーンキがすっきりと表現、自然なメリハリ。作品の事がよくわかる演奏。いい作品でした。

ブラームスは大曲でした。最後のフーガが結構長くて、その前にある主題と25個の変奏、ひとつずつ取ると短いもの。次々とあっという間に去っていく感じなんだが、ブラームスがキラキラと輝いている。フォルムを崩すことなく端正に、そしてタッチは見事に光る。ブラームス独特の色合いとラーンキの鮮やかなプレイがマッチしたいい演奏でした。

かぶりつきで聴いていると、なんだか、自分のためだけに弾いてくれているような錯覚に陥る。
ありがとうございました。
おわり








2447- ブラームス、ドイツ・レクイエム、モリソン、ナジ、ブロムシュテット、ゲヴァントハウス、ウィーン楽友協会、2017.11.13

2017-11-13 22:49:55 | コンサート

2017年11月13日(月) 7:00-8:30pm NHKホール

ブラームス ドイツ・レクイエムop.45 10+13-10-6-7-12-11

 ソプラノ、ハンナ・モリソン
 バリトン、ミヒャエル・ナジ

合唱、ウィーン楽友協会合唱団

ヘルベルト・ブロムシュテット 指揮 ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


ここ何年かでゲヴァハウを聴いたのは2014年2回、2011年1回、ともにシャイーの棒。今日の演目はその時のものと曲種も違えば、ブロムシュテットでもない。比べるような話ではない。また、ブロムシュテットとの組み合わせでブルックナーのライブもでているがそれともだいぶ異なる。今日の演奏は飽くまでも合唱の伴奏という色彩の濃いものとなった。

バックに最強布陣のウィーン楽友協会合唱団を配したオーケストラは、14-14-12-9-6の対向配置で、左から、cb-vc-1vln-va-2vln-hrp2-organ。下てコントラバス、NHKホールのオルガンは右サイドなのでバランスが優れていて両翼に囲まれた音場が殊の外気持ちの良いものとなった。

気の利かないNHKは字幕の用意が無い。対訳リブレットを手に入れるには有料プログラムを買わないとならない。この音楽祭はだいたいこのような調子で自分たちの都合で進めていく。もちろん、予約チケットはお金を払ってからでないと席を教えてくれないという至れり尽くせりの自分本位のご都合主義ここに極まる。素晴らしい。


詩句の引用は色々なのでやはり字幕が欲しい。冒頭の、マタイによる福音書5:4、
哀しむひとは幸いである。そのひとたちは慰められている。
宗教感を持ち合わせていない自分なりにこの冒頭句はストンと落ちる。理解共感する。
哀しむことを言える相手がいるひとはまだいい、と見えるのだがどうだろうか。
これら書物を読んでいないので短い引用の理解には十分な注意配慮が必要と思う。けれどもブラームスは相応な考えで持ち出してきたのだろうとも思うし。とりあえずこの程度の理解でリブレットの文字を探しながら聴く。

味わい深い合唱、コクのあるもの、刺激は抑え、歌詞の中身を、その意味を訴えかけるように伝播させる。手に取るようにわかる。この実感。歌詞のリアリティー。厳かだ。
大波小波、ブラームスの波動、比較的サラリと進めていくブロムシュテット、彼も一緒に歌っているように見える。彼はいつごろからか棒を持たなくなったが、それと並行してかどうか知らぬが、ここ何年か観ていても、昔の癖、3拍目を早めに切り上げて4拍目のアウフタクトを大きめにとるあの癖のようなものが全く消えているので、音楽の呼吸はどう変化したのか、より自然な呼吸となっているのではないのだろうか。流れがとても自然で、サラリあっさりというのは帰結のような具合でもある。ささくれ立つようなところは微塵もない。
オーケストラの呼吸の合い具合はザッツもさることながら、パッセージの終わりの閉め具合が、アンサンブルがまるで一つの楽器のように見事な呼吸で悉く一致。このアンサンブルは凄い。音色は艶やかというほどではないが、この鮮やかアンサンブルの極意、これはブロムシュテットのものだろう。

ブロムシュテット90才だという。1977年に初めて聴いてから40年も経つのか。あのときは50才だったという話しですな。今振り返るあの時代の手応え。そしてこの日の演奏。
しみじみと味わい尽くしました。ありがとうございました。
おわり

NHK音楽祭2017

 


2446- ヒンデミット、ウェーバー変容、Wind-Hrp協、エロイカ、ヤノフスキ、N響、2017.11.11

2017-11-11 23:07:04 | コンサート

2017年11月11日(土) 6:00pm NHKホール

ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容 4-7-4-4

ヒンデミット 木管楽器とハープと管弦楽のための協奏曲 7-4-4
 Fl甲斐雅之、Ob茂木大輔、cl松本健司、fg宇賀神広宜、hp早川りさこ

Int

ベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調op.55 エロイカ 17-15-6+11

マレク・ヤノフスキ 指揮 NHK交響楽団


東京春祭りで4年間に渡るリング・サイクルを今年2017年の4月に振り終え、また、バイロイトで昨年、今年とリング・サイクルを振り、加えて今年はたしか、ヘンヒェンのかわりにパルジファルでもタクトを取った八面六臂のヤノフスキが、おそらく一服したところでN響に客演と相成ったと思う、オーソドックスな濃いプログラムで。

プログラム後半に置かれたエロイカは造形美、音響美ともに理想的で、なんだかきっちりとフレームにはまった感がある。昨今このような極みの美を事も無げにやり遂げる指揮者はレアになりつつある。

第1楽章の提示部リピートは昨今多いものだが、葬送行進曲を軽くする傾向がこれも多くてアンバランスなフォームとなることが、結局多くなる。頭でっかちですね。
ヤノフスキのエロイカは中庸の美、テンポ感の良さ。奇を衒うことの無い解釈、正面突破のオーソドックスの極みの造形が極めて美しい。
その第1楽章はほぼ3拍子振り、たまに1拍子を交えたややハイブリッドなところも見える。オーケストラの音が遅れて出てくることを好まないヤノフスキの事は、プレイヤーたちは承知。それでもさらに軽々と易々とスイスイと快適な3拍子。N響はこれについていかなければならない。一度遅れ始めると空中分解しそうな勢いなれど、そこは腕達者な連中が揃っているオケ、ヤノフスキ慣れしていることもあり、素晴らしく見事な演奏が繰り広げられた。続く楽章もおしなべて同じような振りで形を整えていく。美しいフォルム、構築物でした。

音響面でも用意周到。手練手管を施してから演奏に向かっているのがよくわかるもの。
まず、演奏行為の前に見える意思表示としてプログラム冊子に、指揮者の意向によりウィンドを倍管にすると明記してある。クリアですね。これで、響きをどうしたいのかわかる。
手前から16弦、倍管ウィンド、ブラスセクション、ティンパニ。一番奥のティンパニはあきらかに抑制のコントロールを敷いている。強打が一度も無い。ピアノから、いってもメゾフォルテまでのなかを慎ましやかに締めて鳴らしている。
抑制ティンパニ、強吹きウィンドが手前の弦の上のほうに乗っかりながら前に出てくる。ウィンドのアタックが強めに明確に響いてくる。溌剌、快活、粒立ちの良さ、ウィンド中心に心地よい響きで前進。これに鬱蒼と林立する弦の強弾き。ギュッと締まったアンサンブルで、だから、上をウィンドがグイッと手前に易々と現れることが出来る。見事な音響美ですな。紅白ホール。

3本のホルンは、マウスピースが口につくまえに音が出ているのではないかと思えるような超安定の福川はじめ男3人衆、バランスが素晴らしく良くて美しいハーモニーを楽々と奏でる。日常でも異常に息が合っているのではないのか。
3楽章はトリオにとどまらず全て見事な鳴りっぷり。勇猛で品のある口さばき、さすがだわ。

終楽章はヤノフスキの頭の中の譜面がレントゲン写真のようによく見えるもの。正面突破のベートーヴェンに揺らぎはないですね。確信の進行です。
全4楽章、フレームで仕切られた美しい絵のようなパフォーマンスでした。

前半はヒンデミット。
1曲目のウェーバー変容。8人のパーカス・セクションはなんだかそれだけで壮観。しも手から中央に展開した8人衆、特に2楽章など多彩なニュアンスがちりばめられたもので、もはや、変容の作品越えのさばき。圧巻。
全楽章、次から次と出てくるフレーズが面白いように決まる。アンサンブルが前に出たり引っ込んだり、その間に別のアンサンブルが引っ込んだり出たりしている。この立体感。色々と聴きどころ満載で、鮮やかな演奏がさらに面白みを増幅。終楽章のマーチは決して踏み外すことの無いもの。熱狂とは異なる世界観が垣間見えるヤノフスキのタクト、冷静なコントロールに感服。

2曲目のコンチェルトはウィンドプリンシパル4人衆とハープがポーディアムを囲むようなセッティング。場替えにだいぶ時間がかかった。この作品は、たぶん、お初で聴く。
ウェーバーの緊迫感が最初は尾を引き漂うものの、楽章が進んでいくにつれ、それにクラリネットによるメンデルスゾーンの結婚行進曲連続技のあたりになると、なんだか例の湯治場を思い出してしまった。

本日の快演ありがとうございました。
おわり


2445- ディアナ・ダムラウ & 二コラ・テステ、オペラ・アリア・コンサート、2017.11.10

2017-11-10 23:18:04 | オペラ

2017年11月10日(金) 7:00-9:55pm サントリー

ロッシーニ セビリアの理髪師
      序曲  6
      今の歌声は ダムラウ  6
      陰口はそよ風のように テステ  5

グノー ロメオとジュリエット あぁ、私は夢に生きたい ダムラウ  5

ヴェルディ ドン・カルロ
      ひとり寂しく眠ろう テステ  9
      バレエ音楽  6

ベッリーニ カプレーティとモンテッキ あぁ、幾たびか ダムラウ  5

ベッリーニ 清教徒 おお、愛する叔父さま、私の第二のお父さま ダムラウ、テステ 12

Int

ワーグナー さまよえるオランダ人
      序曲  9
      我が子よ、いらっしゃいをお言い テステ  5

マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲  4

マイヤーベーア ディノーラ 影の歌 ダムラウ 9

ポンキエッリ ジョコンダ
       時の踊り 9
       彼女は死なねばならぬ テステ  4

ヴェルディ 椿姫 不思議だわ~あぁ、そは彼の人か~花から花へ ダムラウ 9

(encore)
童謡 春よこい ダムラウ  1

ガーシュウィン ポーギーとベス ベス、お前は俺のもの ダムラウ、テステ 6

プッチーニ ジャンニ・スキッキ 私のお父さん ダムラウ 3

以上

ソプラノ、ディアナ・ダムラウ
バス・バリトン、二コラ・テステ

パーヴェル・バレフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


ダムラウの音源は2010年発売のティーレマン&ミュンヘン・フィルが伴奏をつけたシュトラウスの歌曲物を持っているだけなんだが、今を盛りの歌い手、これは聴きに行くしかない。

前半は4曲、うち旦那さんとのデュエットが1曲。後半は2曲。ちょっと少ないんじゃないかと思ったがアンコールもあることだろうし。

オーケストラ演奏があって歌があってイタオペ、フラオペ満喫。ダムラウは出てきただけで華があって、何も言うことは無い。
前半の最後、プリターニ、バックの伴奏のノリも良くて流れるようなベッリーニ節が素敵。フレーズの切れ目のところで跳ね上げる独特の清教徒節(なんとなくそんな感じ)、あれが良く決まる。全曲聴きたくなるわ。(清教徒、サザーランドで観たの思い出すわ)

(ベッリーニ 清教徒 ライブラリー)
1302- 清教徒 イ・プリターニ 一覧メモです。

オーケストラの伴奏も絶妙でいい呼吸。単独の演奏も手抜きの無いもので、オペラ・アリア・コンサートに艶を与える。

後半、何故かワーグナーから開始。
さまよえるオランダ人序曲、カヴァレリア間奏曲、ジョコンダ時の踊り。オーケストラの大きめの曲を置きながら、2曲の歌。トラヴィアータシビレマシタ。

ダムラウは伴奏が始まる瞬間にオペラのそのシーンにすぐに入り込んでいく。それらのオペラ全曲を歌っているのだろうから、このイメージ、大事ですね。ポイントとしてはこちらもそのオペラに一緒に入り込んでいけること。観たことあるに越したことはない。今日の演目で観たことが無いのはマイヤーベーアのディノーラ。あとは観てる。グノーのロメジュリなんか最高ですよね。(アルフレド・クラウス、チェチリア・ガスディアも観たな)

アンコールの1曲目、かなり低いキーで、何歌い始めたのと、いやいや、観てる方も楽し。楽しさ満開で。

次の、ポーギー&ベス、これはこれは、スウィートの極み、とろけるような歌、ちょっと焼けてくる。あんまり濃厚にくっつかないでよ、いくら夫婦でも。などなど。
オーケストラ伴奏も良い味付けで、美ニュアンスで歌との絡み良かったですね。一体感とセンスの良さが光る。
オペラは長いものですが、随所にガーシュウィン節がたくさん出てきて、まったりしたり、楽しんだり悲しんだり、いろんなものが詰め込まれている。(これも昔メトで何度か観たなサイモン・エステスだったかな)

最後のアンコール、プッチーニの泣き節、言うことなし。ダムラウさん。


結局3時間のコンサートとなった。全部楽しめました。
P席が半分ほどであとは満席。男客は1割ほどじゃなかったかな。女性客、それも若い方たちが多かったですね。

それから、いつもの最前列さんがスタンディングで拍手していた。めったに見れないものを見た気する。

ダムラウ、目をつむると、また浮かんでくる。
ありがとう。
おわり








2444- ラフマニノフ、死の島、チャイコン1、カティア、レーガー、ベックリン、上岡、新日フィル、2017.11.10

2017-11-10 22:46:28 | コンサート

2017年11月10日(金) 2:00-4:20pm トリフォニー

ラフマニノフ 死の島  19

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調op.23  19-6+6
 ピアノ、カティア・ブニアティシヴィリ
(encore)
シューベルト(リスト編曲) セレナーデ  6

Int

レーガー ベックリンによる4つの音詩op.128  11-4-9-4

(encore)
ワーグナー 神々の黄昏よりジークフリートの葬送行進曲  6

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ベックリンの死の島をラフマニノフサイドからとレーガーサイドから眺めたプログラム。これらにサンドウィッチされるようにカティアのチャイコン。お目当てはこちらいうところですが。
カティアさんのリサイタルはこの月曜に聴いたばかり。
2440- カティア・ブリアティシヴィリ、ピアノ・リサイタル、2017.11.6
弱音の流れが極めて美しいピアノでした。

今日はコンチェルト。ピアニストの心をこの上なくわかっているピアニスト上岡が振るわけですから申し分ない。
ンパパパパーウン、ではなく、ウンパーパーパーパーウン、と思いっきりオーケストラのレガートで始まったチャイコン。聞くところによると、このレガートの流れでそのあとすぐに入ってくるピアノがささくれだったところが無くなり、滑らかに流れる音楽となる、なるほど、ピアニストの歌心は同じピアニストが心得ているという話し。オーケストラの伴奏の重要性をよくわかっていて、そういう対応の流れを実際に作っていく。有言実行。無言であったとしてもカティアさんの波長の合い具合を見ていればおのずとわかる。のびのびとしていて本当に弾きやすそうでしたしね。
ピアニストが二人いれば鬼に金棒。弱音系を中心にこまやかに流れていくピアノ。ジャバジャバしない。きっちり締まって歌う。きれいな響きが大きめの波のようにクルンクルンと、美しさの極みですな。
一方、上岡タクトは、というよりもご本人は鍵盤を覗き込みながら鍵盤そこよ、というぐらい接近遭遇。アイコンタクトならぬボディーコンタクトの様相を呈したりする。でも、全部、ツボなところなのよね。二人の呼吸はピッタリ。ここぞというところで歌い上げる。オーケストラコントロールが抜群で、こっちのほうも息が合っていますね。上岡タクトの美ニュアンスを滔々と歌う。オケの溌剌としたやる気度100パーセント演奏、いいもんです。
三者がウィンウィンで歌い上げるものだから、あっという間の1楽章でした。
味わい深い2楽章、スリリングな終楽章。カティアさん弾きやすそうですね。よく息の合った演奏で最後までまんべんなく楽しめた。気持ちののっている演奏は幸せになってくる。
カティアの美質は弱音系の響きの美しさにある。月曜のリサイタルではそのことがよくわかった。今日のアンコールで弾いたシューベルト。これも同じですね。長いプレイで嬉しくなる。月曜の続き、堪能しました。

死の島、ラフマニノフとレーガーのほうは3曲目ですね。レーガーの倍あるラフマニノフ。こちらのほうがじっくりとしていて、ただ横に流れるだけの音が相応な味わいかな。でも、レーガー作品もなんだか似ている。同じインスピレーションだったのかしら。
ベックリンの絵だと岩や木立が縦方向になっているのに、2作曲家の音の流れはむしろ横に一つの音符が長く流れていって、描写としてみれば浮かんでいる島の周りの水平な海といった感じ。絵が空中に投射されているような錯覚に陥るようなところもある。林立するような音楽の起伏はそこそこあるにはあるがやっぱり濃い横の流れ。
描写というよりも絵を見て感じたものを心象風景として表現したものなのかもしれない。
オーケストラの柔らかいサウンド、真綿のようなハーモニー。鮮やかな演奏でした。

こちらもアンコールが有り、なんと、葬送行進曲。リングのツボのところですね。短い断片ですが、オペラの切り口で聴ける上岡タクトはオペラの雰囲気が濃厚。手応えあり。

定期公演では上岡さん指揮の時は収録が組まれていて、さらにアンコール演奏もする。収録音源のCD化の際、余白にアンコールピースを入れるのだろうと思っていたのだが、最近は、もしかしてアンコール曲だけのCDを作るのではないかと思えてきた。選曲が良くて演奏レベルがハイで充実してますし。
上岡効果で好調なオーケストラ、さらに高めていってほしいですね。
満足した演奏会でした。ありがとうございました。
おわり






2443- エフゲーニ・オネーギン、フェドセーエフ、チャイコフスキー響、2017.11.9

2017-11-09 23:40:04 | オペラ

2017年11月9日(木) 6:00-9:10pm NHKホール

チャイコフスキー エフゲーニ・オネーギン (演奏会形式)  102-50

キャスト(in order of voices’ appearance)
1.タチヤーナ、ヴェロニカ・ディジョーエヴァ(S)
1.オリガ、アグンダ・クラエワ(Ms)
2-1.ラーリナ、エレーナ・エフセーエワ(Ms)
2-2.乳母、スヴェトラーナ・シーロヴァ(Ms)
3-1.レンスキー、アレクセイ・タタリンツェフ(T)
3-2.オネーギン、ワシーリー・ラデュク(Br)
4.中隊長、五島真澄(Bs)
5.トリケ、清水徹太郎(T)
6.ザレーツキー、五島真澄(Bs)
7.グレーミン、ニコライ・ディデンコ(Bs)

合唱、新国立劇場合唱団
ウラディーミル・フェドセーエフ 指揮 チャイコフスキー交響楽団


Duration
第1幕
第1場 34
第2場 29
第3場 12
第2幕
第1場 27
Int
第2場 17
第3幕
第1場 20
第2場 13


長丁場となる第1幕、ピットでの演奏ならラッパは出番になるまで奥に引っ込んでしまうことがままあれど、この日のNHK音楽祭というのは演奏会形式、耐えがたきを耐え、じっと正座していなければならない。加えてこの日の幕割は3幕物ではなくて2部構成。第2幕の第1場が済んだところで休憩という変なもの。ドラマの進行としては結果的にこの割り方はそれほどひどいものではなかったが、もうちょっと色々と考えてからやってほしい。むろん、それが指揮者の意向だとしても、同じです。

チャイコフスキー交響楽団というのは、昔のモスクワ放送交響楽団の改名後のオケで、その名前なら馴染みのあるもの。ロジェストヴェンスキーがショスタコーヴィッチの15番を日本初演したオケ。新世界レーベルからでた同じロジェヴェンによるブルックナーの9番では第2楽章のトリオのあたりで盤面をひっくり返さないといけないレコードだったな等々、思い出はそれなりにある。
音は?と言われると今回のオネーギンでは昔の事とオーヴァーラップするものは無い。強いて言えば、明るめの音で、散らばらず煮凝りのような趣きを呈しているといったあたりかな。

チャイコフスキーがブラスの鳴りをほぼ排した、神経細胞がうごめきまわっているような極限の押し殺したようなデリカシーの音楽が延々と続く。チャイコフスキーにはこういった弱音美が美しい音楽が沢山あるけれども、これだけ長丁場に渡りスタティックな憂いが続くと限界を試されているような気にさえなる。結局のところ、オネーギンには舞台が必要なのですよ。

第2幕を分断するやりかたというのは悪くないなとちょっと思いました。1場で劇が動く。ドラマのストーリーが出来上がるところで1部とし、2部は2場の決闘シーンから開始。緊張感が休憩により薄れてしまいそうだと始まる前は思ったがそうでもなくて持続していましたね。


第1幕第1場はフェドセーエフがだいぶ慎重に構えていて、薄い幕を張ったようなオケサウンドもさらに薄れていったようなところがある。場が進むにつれてうまい具合に流れが出てきた。タチヤーナを歌ったヴォロニカさんが進むにつれて迫力が出てきた。
その前に歌うオリガのアグンダさん、メゾの声域がオーケストラに同じような高さで受け継がれていくのがよくわかるもので、チャイコフスキーの計算された流れの美しさを味わえました。この最初の出番はなかなか味なものでしたね。
オネーギンとレンスキーの組のほうは、レンスキー弱め、タイトルロール強め、対照的なところがあるけれども、このコントラストはちょっときついかな。声の指向性は、レンスキーは直進、オネーギンは幅広。レンスキーは動いて向きを変える度によく聴こえたりそうでもなかったり。

比較的明るい劇に感じたのはコンサートスタイルの照明によるものだろうか。哀しさが全面を覆い尽す場でもあまりダークなところはなくて、終盤のグレーミンの歌のもっとあと、オネーギンとタチヤーナの掛け合い、分けてもオネーギンの一人泣き節、ここらあたりは決闘以上のドラマチックな盛り上がりとなりましたけれども、ほかのシーンは妙に明るい感じがしましたね。ただ、ポロネーズ的な明るさではありませんよ。ストイックな明るさと言いますか、能天気さはさすがに、無い。

フェドセーエフは音楽を揺らすことは無くてドラマチックなシーンも淡々と進む。総じてディテールに傾斜した棒で、張りつめた音楽と色彩が美しい。前に進むよりは美しさに滞留する。
5分の歌い得、グレーミンはこの滞留にはまってしまった感があり、ノリがあまりよくなくて人生の説得力もいまひとつでした。フレーズをドンドン先に進めていくようなノリがあればさらに良かったと思います。

随所に出てくる重唱はバランスのよく取れたもので、それぞれのデュエットが美しくきまっていました。

場面のつながりを思うに出来栄えに少しちぐはぐな所がありましたけれども、フェドセーエフの棒というのは今回のための練り上げよりもこの組み合わせによる日常的な側面がよく出たものと感じ、それはそれでわるい話でもない。
全体印象としてオネーギンの作品が一つのものとしてしっかりと見えました。いいドラマでした。
おわり