2017年11月19日(日) 2:00-7:55pm サントリー
メシアン アッシジの聖フランチェスコ (演奏会形式) jp 71-115-68′
キャスト(in order of voices’ appearance)
1.兄弟レオーネ、フィリップ・アディス(Br)
2.聖フランチェスコ、ヴァンサン・ル・テクシエ(Br)
3.兄弟ルフィーノ、畠山茂(Bs)
3.兄弟シルヴェストロ、ジョン・ハオ(Bs)
3.兄弟ベルナルド、妻屋秀和(Bs)
4.重い皮膚病を患う人、ペーター・ブロンダー(T)
5.天使、エメーケ・バラート(S)
6.兄弟マッセオ、エド・ライオン(T)
7.兄弟エリア、ジャン=ノエル・ブリアン(T)
合唱、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮、冨平恭平
シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団
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Overview
ActⅠ 22-18-31
ActⅡ 36-33-46
ActⅢ 27-41
Duration and casts in order of voices’ appearance
第1幕
第1景 十字架 22′
1.レオーネ
2.フランチェスコ
合唱
第2景 賛歌 18′
1.フランチェスコ
2.ルフィーノ
2.シルヴェストロ
2.ベルナルド
合唱
第3景 重い皮膚病患者への接吻 31′
1.患者
2.フランチェスコ
3.天使
合唱
第2幕
第4景 旅する天使 36′
1.レオーネ
2.マッセオ
3.天使
4.エリア
5.ベルナルド
第5景 音楽を奏でる天使 33′
1.フランチェスコ
2.天使
3.レオーネ
4.マッセオ
5.ベルナルド
合唱
第6景 鳥たちへの説教 46′
1.マッセオ
2.フランチェスコ
第3幕
第7景 聖痕 27′
1.フランチェスコ
合唱
第8景 死と新生 41′
1.フランチェスコ
2ベルナルド
3.マッセオ
4.レオーネ
5.シルヴェストロ
5.ルフィーノ
6.天使
7.患者(黙役)
合唱
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未体験ゾーン。初めてのアッシジ。メシアンの刻印をしっかりと聴くことが出来ました。カンブルランの棒による精緻な演奏がエポックメイキングナイトをウルトラベストなものに押し上げた。光り輝くばかりの演奏はいかばかりか。鮮やかにして知的、理性的なコントロールと連続する至難な緊張感の保持。知性という生き物がここに存在するという確信を実感できたメシアン作品。まぁ、開いた口がふさがらない。
お初で聴く作品。全体的な響きの印象としては、ざっくり、最後の管弦楽作品の「彼方の閃光」、初期の「トゥーランガリラ交響曲」、で言えば、彼方の閃光よりはむしろトゥーランガリラの発展形という感触。ロングフレーズの伸ばし具合、切り替えで頻発する刻み節。これらの組み合わせ。
増幅するパーカス群、それにロングフレーズはユニバースを感じさせるユニゾン共鳴、刻み節は肥大化をたどるものの局所肥大的なところは無くて、おしなべてバランスが良く取れていて知性によって艶やかに磨きこまれた作品という印象。
カンブルランは読響とトゥーランガリラを2度、彼方の閃光を1度演奏している。来るべくしてきたものそれがこのアッシジに違いない。確信の演奏でしょう。
トゥーランガリラ
683‐シルヴァン・カンブルラン トゥーランガリラ 2006.12.15
トゥーランガリラ
1720- トゥーランガリラ、シルヴァン・カンブルラン、読響2014.12.4
彼方の閃光
2269- メシアン、彼方の閃光、カンブルラン、読響、2017.1.31
今日のアッシジは、現音オーソリティでスペシャリストのカンブルランがメシアンの核心に迫った筆舌に尽くしがたいパフォーマンス。生きる知性と理性のコントロールの存在、抜き差しならないストーリーと歓びの不思議さが最上の形で表現されたものと思う。この作品にしてこの演奏あり。この演奏にしてこの作品あり。
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初めて聴く作品、印象に残ったところを追いながら。
長大な作品ながらオペラとしてのストーリーの連続性、起承転結、ドラマチックな起伏、等々、強く感じさせる。今回は演奏会形式であり、雄大な流れは自分の立ち位置を常に実感しながら聴くに不都合なところはない。字幕が唯一の手綱であり、粗筋の予習は必須。その予習は音ではなく文字のほうであった自分ではあるが。
第1幕は3景ある。予兆の1,2景。3景でドラマが大きく動く。
全体を通して歌に寄り添うオーケストラは同じメロディーラインやユニゾンの事が多い。無調音楽がメインでありながらオケが同じラインで寄り添うので、歌としては比較的歌いやすいのではないかと思えるようなところもある。分かりやすいですね。
第一声はフィリップ・スライが体調不良でかわりにフィリップ・アディス。低音域に終始しているためか聴こえづらいところが少々。指向性の強いバリトンなのかもしれない。あっち見たりこっち見たりと動くことが無いので聴衆のほうは席により感触がだいぶ異なるのではないか。比してタイトルロールのテクシエは堂々とした歌いっぷりで余裕たっぷり、ホール全体に響き、非常に聴きやすい声。これでオペラ全体に対するなにやら安心感のようなものが、まず芽生えた。これで最後まで心置きなく聴いていけると。この感触、大事ですよね、長いオペラであるだけに特に。ということで同じバリトンでもだいぶ違う。
瞠目すべきはカンブルラン指揮する管弦楽のさばき具合。
カンブルランは俊敏とさえ言える見事な動きでてきぱきとすべてをさばいていく。オーケストラはクラリティの塊となっている。透明でクリア、明晰で明快、全てがベストなわかりやすさ。加え、テンション高く、いきなり緊張感マックス。圧倒的に極上な演奏があたまから綿々と繰り広げられる。ぶったまげた。
指揮者もオーケストラもコーラスもソリストも、そうとうにコンディションが良さそう。極上ウィスキーの上澄みを舐めるようなテイストだ。
第3景、患者への接吻はこの幕の半分近くを占める。ここも聴きごたえありました。患者役のブロンダーはキャラクターテノールそのものの声質で、まぁ、ミーメ役は言わずと浮かんでくる。深みのあるテクシエ、そして天使のバラートが奥のオルガンレベルのところに現れ歌唱。隅々までよくとおるやや硬めのクラリティ。三者三様の見事さ。役どころツボどころをしっかりと押さえておりますな。
第1幕でほぼ全てが好コンディションというのがよくわかった。このコンセントレーション、わけても、テクシエの演奏会形式をものともしないロールイメージの動き、カンブルランのウルトラハイテンションマックス棒に代表される、集中力がこちらにもシンクロ伝播。しびれます。
患者快癒のシーンは、なにやら空気が解放されたような一種独特なムードを醸し出した。大きな絵模様。
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第2幕も3景ある。ここは長丁場の約2時間。
第4景は通常のオペラモードの雰囲気がありましたね。劇の中に挟まれたエピソード風味な会話のやり取り。こういったところは舞台が欲しい気もする。
第5景のヴィオールのあまりの美しさに気絶のフランチェスコ、聴く耳としては、あまりの極小ピアニシシシシモに失神。カンブルランが静かなドラマを神経細胞に触るようなおもむきで進行させる。鮮やかだ。総体の良好コンディションがこういったところからもよくわかる。冴え冴えとした美しさ。マーベラス。
この幕、極め付きは第6景の鳥模様。カンブルランは何拍子をどのように振っているのであろうか。5拍子もありそう。いやいや、いやいや、、見ていてもなにがなんだかさっぱりわからない。棒とこれについていく、フルート7人衆含めたオケが鮮やか過ぎて瞬きもままならない。驚愕のタクト。カンブルランマジック炸裂。渾身のカンブルラン棒ここに極まれり。唖然茫然。
それに圧倒的なパーカッション10人衆。LBトップ、RBトップ、オルガンレベル、それぞれに配したオンドマルトノ3台、と。めくるめく音音おとっ、多彩な色模様。息をつく暇もない、目も耳も離せなくなってきているのに、仰天演奏にここもやっぱり、失神。
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終幕は2景。ここまでくると、もう、終わっている感じなんだが、7景の聖痕。ここの合唱の響きというのは聴いたことが無い。クラスター風味の事を声でやっているのだろうか。ちょっと厳しいところがあったような気もしますが、つまるところ、こっちの理解不足で、そこらへんの区別がつかない。合唱のマスサウンドは強靭で、時折、サントリーホールの天井の蓋が取れて天の星空が見えてくるような冴え冴えとしたものを感じた。ここまでくると、本当に総合芸術の極みであって、身を全て神経にして聴かないといけない。精根尽きた。
レオーネ役のアディスは気がつけばよく声が通るようになっていた8景。ここも舞台が欲しい気もする。一途な盛り上がり局面となり、締めくくりとして人物が色々と登場してくるので、過去や経緯を感じさせながらの今、という局面の説得力にシーンがあれば、もうひとつ後押しできる。フランチェスカの動きには舞台が特に必要かもしれない。
これがメシアンサウンドという限りを尽くした曲、中空を漂うなめし皮のようなビロードサウンド、圧倒的な刻み節、沸点でも理性のコントロールが作品を生きた知性の塊のような高みに押し上げてくれるカンブルランの棒、熱狂ではない。鎮まるエネルギー。抜群の品性。メシアンの作品風貌にまことにふさわしいカンブルランではないか。神様棒ですな。
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カンブルランは第1幕、第2幕ともに終わると拍手を身で抑止するようにスタスタとしも手に退散。拍手を続けても出て来ない。逆に2幕、3幕開始は登場とともにすぐに振り始める。第3幕の7景の合唱などは指揮者登場とともに直立、間髪入れず開始していたので、全て事前に予定されていたものだろう。
カンブルランの、この、おじぎそこそこ感は集中力や高テンションを自らに課し、それをプレイヤーシンガー全員に伝播させることにより、作品に対する緊張感を持続させるためのもの、もはや、明らか。幕間の休憩は本当に休憩になっていたのかとちょっと心配になるぐらいでしたね。演奏の品質はこういったところ一つとっても良く保たれていたということが理解できる。
総じて、演奏会形式は精度が高い。仰天の読響パーフェクト演奏には脱帽しっぱなし。
歌は、フランチェスコのテクシエ、声がよくとおり物凄く聴きやすいし動きも説得力あります。天使バラートさんオルガンの所で歌ったりステージに出たり、明瞭な歌。患者ブロンダーさんキャラクターテノールで印象深い。レオーネのアディスさんしり上がり最後は迫力ありました。
といった具合で、1週間後、もう1回聴きます。
おわり