1778- 巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第6回:父親ゆずりの名人
第1回:日フィル入りがきっかけ
第2回:たいへんに普通の人
第3回:スケールとアルペジオ
第4回:慎重運転のカーキチ
第5回:全く突然の死
第6回:父親ゆずりの名人
― ブレインの音楽はどんなふうのものでしたか。
千葉― 音楽も音色と似て簡単明瞭でした。そのかわりむつかしいところに行けば行くほど簡単明瞭に吹いてしまうんです。そこがこわいんです。むつかしいところにきて難行すれば人間的なんですけれど、ちょっと人間ばなれしてましたね。大変に粒が揃ってて、悪く言えば機械的と言いますかね、とってもパラパラパラといっちゃうんですね。ですから、こっちが調子がわるいようなとき、お師匠さんのレコードを聴いてヒントを得ようなんてことには絶対ならないですね。そんなの聴いたら、こっちは死にたくなりますからね(笑)、
― そんなふうにうまかったのは、やはり父親が名人で、そういう血とか環境のせいなんでしょうか。
千葉― アラン・シヴィルはブレインのおやじさんに習ったあと、高いEsの音をひっくりかえしてしょんぼり帰ろうとしていたら、デニス坊やがひょこひょこ出てきて、ねえ君、きっと押さえコルクが減っているんだよ。そこのうしろにマッチ棒を入れて、コルクを浮かせると高いEsがひっくりかえらないよっていったそうですよ。つまり隣の部屋でガキが聴いていて、兄ちゃん出てきたところでいったんですね。なにおっと思ったけど、やってみたら本当にひっくりかえらなくなったなんて思い出ばなしをやってました。それでいて、デニスはおやじには習わなかったなんていってましたが。普通の意味では習ったはずですから、おやじへの批判もこめていったのかもしれませんね。
― ブレインのレコードでは何がいいですか。
千葉― やっぱりモーツァルトの協奏曲ですね、四曲入っているぶん。あれはベスト・セラーだと思います。次はベートーヴェンのホルン・ソナタ。これは二十歳前の録音だと思います。たいへん音も音楽も若いけど、まるっきりラッパのソナタで、簡単明瞭です。もってまわったところがまったくなくて。
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おわり
1777- 巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第5回:全く突然の死
第1回:日フィル入りがきっかけ
第2回:たいへんに普通の人
第3回:スケールとアルペジオ
第4回:慎重運転のカーキチ
第5回:全く突然の死
― ブレインは当時“売れて”いたんでしょうね。
千葉― ええ、レコーディングなんかして売れてたホルン吹きだと思うんですよね。ところがその人が、マネージャーがいなかったということもあるのかどうか、自分の出演料なんかも、どのくらいもらったらいいのかなんていうことに、まるっきり無頓着でした。おやじさんがブッシュ・ゼルキンなんかとトリオを入れているほどの人だから、もう少し出演料に敏くてもいいと思うのに、全然しらない。これはおもしろかったですね。あるマネージャーが、ブレインに、君、アメリカに行ってみないかとかいっても、ひまはひまなんだけど買ってもらえるかしらっていうぐあいで、ちっとも売り出そうということをしないんですね。だからカラヤンあたりに引っぱりあげられたのが運がよかったんでしょうか。
― ブレインの家族はどんな構成ですか。
千葉― 奥さんに娘さんが一人できたばかりでした。奥さんは音楽とは関係ない人です。ちょうどアパートに引っこしてきたときで、家具がなんにもないときで、おやじさんが吹いていたラッパなんかが、ニス塗って置いてあったりして。ラッパ吹くときも、すごくまじめなんです。すたすたと出てきて、ペコンとおじぎして、そのままパッと吹く人ですよ。気張ったりすることがぜんぜんないんですよ。まっすぐ立って吹く人ですよ。死なないとすればアメリカに行って、帰りに日本に寄るといってましたがね、残念でした。
―ブレインは一九五七年に三十六歳で自動車事故のため死んだんでしたね。どういう状況だったんですか。
千葉― 十一月から習って翌年の三月いっぱいまでやって、私は四月からドイツの学校に入ることにして、彼もヨーロッパのあちこちをまわるのでつき合えないから、ちょうどいいや、九月一日にはロンドンに帰っているからというんで、私も八月にドイツの学校が終わるからロンドンに帰りますといって別れ、八月三十日にロンドンに戻ったんです。その朝の新聞にデニス・ブレインが死んだと書いてあるんです。もう、びっくりなんていうもんじゃないですよ。信じられなかったですね。
エディンバラの音楽祭でシュトラウスの協奏曲を吹いたあと、その晩、徹夜で自分の車でロンドンに戻る途中だったんですね。途中の街の“魔のカーブ”とかいうところで、道が左に曲がっているところで、右側に大きな樫の木がありまして、この木にぶつかって、くちゃくちゃに。対交車も何もなかったらしいんですがね。安全運転の人がどうして事故を起こしたのかわかりませんね。それで日本と同じで、ブレインが死んだ、あんな安全第一のオート・マニアが、あそこで死んだ。あそこは毎年八十人だか死ぬのに、どうしてあのカーブをほったらかしておくんだなんて騒いでいましたがね。
―お葬式にはお出になりましたか。
千葉― ええ、彼の家の近くでありました。・・・・あんまりよく覚えていませんね(と、思い出すのがつらいらしく、あとは語らない)。
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父親ゆずりの名人
―ブレインの音楽はどんなふうのものでしたか。
千葉― 音楽も音色と似て簡単明瞭でした。そのかわり
・・以下、次回へ続く・・
1776- 巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第4回:慎重運転のカーキチ
第1回:日フィル入りがきっかけ
第2回:たいへんに普通の人
第3回:スケールとアルペジオ
第4回:慎重運転のカーキチ
― これまでは演奏の教え方ですが、その間のブレインの教えっぷり、つまり人間的な側面はどんなですか。
千葉― 大変几帳面です。さっきお話をした、買い物袋を持って五分前に帰ってきたなんていうのは彼の人柄をとってもよくあらわしていると思いますね。そして人に押しつけることはなかったですね。そういえば初対面のときは、カラヤンには日本で会ってから初めてなので、うちの有馬副理事長がよろしくと申しておりましたみたいなことをいいにいくわけですよね。するとカラヤンは、ブレインをよんで、これはオレが日本でかわいがっているオケの一番ホルンだみたいなことをいうんですよね。するとブレインは、オレといっしょにドライブに行こうかなんてね。カラヤンとブレインはモーター気違い仲間なんですよ。
― ブレインのカーキチぶりを話してください。
千葉― 彼は当時トライアンフのTR2というのに乗ってましたがね、彼の運転マナーはたいへんよろしくてね、巡航速度も意外とおそいんですよ。僕が来週エディンバラに行くんだけど、どこを見てきたらいいでしょうなんていいますとね、車は何だ、フォルクスワーゲンか、じゃ十二時間みなさいとか、あそこの角は抜けるまで気を許せないとか、いろんなことをいうんですよ。ところがお師匠は何時間で行くのか行くのかって尋ねますとね、スポーツ・カーのTR2で十時間ぐらいかけてるんですよ。で、私が行ってみると八時間半か九時間でついちゃうんですよ(笑)。当時わたしもむちゃな運転してましたがね、それにしてもそんなにかかるわけないんですがね、彼のふだんの所要時間より、とんとんか、少し早く着いちゃうんですよ。ですから相当慎重な人ですね。たいへん用心深くて、停車すべきところは必ず停車していたんだろうと思うんです。いっしょに乗ったとこはないんですがね。ただメカニックにも興味はあったようですけど、車の下にもぐってエンジンを替えたりということはなさらなかったですね。カーレースは見に行ってました。何年のどこのレースは凄かったなんていうこともいってましたから。
慎重である一方ではレコーディングなんかやってますでしょ、で、一時間半休けいなんていうことになると、ぽっといなくなっちゃうんですね。みんなデニスどこいったなんていうと、誰かが、またBBCに行ってんだろうなんていってるんですよ。私には、カラヤンという人は神経質だから録音が再開したらうるさいから、君はここにいなさいなんて注意するのに、お師匠さんはいなくなってしまうんですよ。それが本当にBBCで録音して帰ってくるんですよ。ラジオ・リサイタルなんていうのをね。あっという間にやって帰ってきて、それでAの音なんか合わせる段にあると、すうっと帰ってきて、ちゃんといるんですよ。何くわぬ顔してね。慎重な一方では神風的ですね(笑)。いつもこんなことやってるらしくて、まわりの人も気にしないです。当時ホルンの三番吹いていたのがアラン・シヴィルで、私の面倒みてくれて、お茶のみにいこうなんて街を引っぱりまわしてくれたりしました。
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全く突然の死
― ブレインは当時“売れて”いたんでしょうね。
千葉― ええ、レコーディングなんかして売れてたホルン吹きだと思うんですよね。ところがその人が、
・・以下、次回へ続く・・
2015年3月23日(月) 7:00pm サントリー
ベートーヴェン ミサ・ソレムニス 二長調
キリエ 10′
グローリア 16′
クレド 19′
サンクトゥス 16′
アニュス・デイ 15′
ソプラノ、吉原圭子
アルト、山下牧子
テノール、小原啓楼
バス、河野克典
合唱、栗友会合唱団、武蔵野音楽大学室内合唱団
小泉和裕 指揮 東京都交響楽団
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ベートーヴェンの鼓動がまじかに見えるような新鮮で感動的な演奏、ミサを越えた演奏でした。都響の人工芝のようなサウンドがその硬さを保持しながら、ごく自然にそれを忘れさせてくれたことに気付くのに随分とかかった。指揮者がポリフォニックな世界を一つの画壁に複数の多様な絵模様として魅せつけてくれる。あの指揮ぶりは頭の中に刻んである同時進行的ないろいろなメロディー、フレーズを全て意識し、配慮しながらの棒のように見えました。情感、標題といったことではなくむしろ、多層の幾何学模様でも見ているような雰囲気であり、シンフォニックに構築された世界、それをさらにひとつ推し進めたベートーヴェンの、越えた音楽。ベートーヴェンの特質を見事に表現してかつ、聴衆たちの日常現われない静かな深部に突き刺さる演奏となったのでした。
合唱と管弦楽がこの曲独特のゆったりしたアクセントのアタックをものの見事に表現できていたのはこの指揮者への共感以外の何物でもないし、プレイヤー同士の気持ちが併せてシンクロしていたから。立て板に水のようなザッツではなく、音価1/4ぐらい進んだあたりに力点を置いたような、そしてそれがぴったり揃ったもので、進んだ光が1/4あたりで一旦収束しそこから広く直線的に広がっていくような見事なサウンドさばき、ため息の出るような美しさのアンサンブルでした。この光の束の直進散らばりが音量の増減と見事に一致しておりそのシンフォニックで幾何学的な美しさはたとえようもない。自らの中にあったカラヤンを越えた小泉自身の高みをいよいよリアルに見せつけら、肩の力の抜けた指揮の技がここまでオーケストラに浸透していくようになった、自由自在の美しき棒である。
それとこれまでのいろいろ積み重ねたであろうものが、一種ポテンシャリティーとしてあってその厚い積み重ねが表に花開く感じで方向感の一致とその正しさのようなものが、彼の特別なファンではないが、手に取るようによくわかった。今は、縛りと開放ではなく、ポテンシャリティーの開放と開放、そんな感じです。
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ということで、ダイナミック加減、ドライな滑らかさ、透明なアンサンブル・ハーモニー、合唱&オケの均質なポリフォニックの動き、等々、小泉の意図したものが全て表現されつくした名演でした。最後のアニュス・デイの頭のところの不揃いは惜しかったですね、心地よい緊張感も油断大敵です。
いずれにしても、ご本人も満足そうな会心の演奏でした。
世のマーラーブームには既に辟易しているからというわけでもなく、やっぱりベートーヴェンの王道でこれだけ聴かせてくれるちからは大したものです。
この日も例の長いブラボーがありましたけれど、概ねギャアギャア騒ぐ感じが無く、そのことがむしろ聴衆の極度の感動からくる虚脱状態みたいなものをよくあらわしていたような気がしました。
素晴らしい演奏、ありがとうございました。
おわり
2015年3月22日(日) 2:00-5:45pm 神奈川県民ホール
神奈川県民ホール、びわ湖ホール、iichiko総合文化センター、
東京二期会、神奈川フィル、京都市響
プレゼント
ヴェルディ 作曲
粟國淳 プロダクション
オテロ
キャスト(in order of appearance)
1 イアーゴ、堀内康雄
1 ロデリーゴ、与儀功
2 オテロ、アントネッロ・パロンビ
2 デズデモナ、安藤赴美子
3 カッシオ、大槻孝志
4 モンターノ、青山貴
5 エミーリア、池田香織
6 ロドヴィーコ、デニス・ビシュニャ
7 伝令、的場正剛
他
合唱、びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団
児童合唱、赤い靴スタジオ
指揮、沼尻竜典
管弦楽、神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(タイミング)
第1幕 34′
Int 20′
第2幕 37′
Int 20′
第3幕 41′
Int 20′
第4幕 35′
●
指揮者、歌い手、オーケストラ、充実の公演でした。
話は歌から入るべきところ、オテロと言えば爆発的な聴きどころの多いオーケストラ、この日のオーケストラの充実度は普通ではなく異常といえるもので、ことごとく決まっており、特にドラマチック・ポイントにおける離れ業的決め具合は際限もなく素晴らしく、指揮者の冴えわたる一点フォーカスは空恐ろしいほど。この劇的オペラがググッと締まりもの凄い迫力。
原作は別にして、ヴェルディのオテロが微妙なところは、戦いモードの音楽がそのまま嫉妬音楽になってしまっているところで、第1幕のオテロの戦いの威勢の良い勇猛ともいえる音楽が、そのまま第2幕以降の策略陰謀絡みの男の嫉妬音楽になってしまっていて、これが一種の違和感を生んでしまうところがあって、ドラマチックの種類が同じに聴こえてしまうあたり、曲想の種類のバリエーションで区別できなかったものかと思うところがある。モードのギアチェンジが必ずしもうまくいっているとは言い難いオペラではある。
最初の怒涛の音楽とラッパのめくれるようななぎ倒し演奏、稀有の表現を圧倒的な見事さで演奏した指揮者、オーケストラには脱帽しかありませんが。
それでも、ヴェルディは軌道修正に時間をかけている、それを場切りしないでやるあたりは見事だとは思います。
●
舞台の人物配置が明確で分かりやすい。オテロとイアーゴのバランスが良く二人の強さ弱さ狡猾さなどがうまく展開していく。また第2幕にあるように、ときとしてシルエット美のようなものが浮き彫りになったりしてちょっとホッとするようなところもありますね。
第3幕のイアーゴの狡猾さ、盗み聞き、遠くから近くからの遠近含み、字幕だけでは厳しくて事前に勉強が必要な箇所も少なからずあります。
タイトルロールのパロンビは体格やそれからくる威厳のようなものの役向きなところはありますが、気張って絶叫するほどではない。イアーゴの堀内とうまくバランスしていたと思います。双方、泣き節はありません。深い感情そこそこ、比較的ドライな雰囲気。
デズデモナ安藤はそこの感情が男二人分あって高低無理なくコクのある歌、昨年観たドンカルロのエリザベートの佳唱そのままに光りました。
周りの歌の充実度は日本人キャストの場合たいてい良いもので、この日も脇がしっかり決まっておりましたね。ここらへんが弱いとヴェルディらしくなくなってしまう。
●
休憩きっちり3回。
最近のオペラ上演では文字通りのべつ幕無しにつなげてしまうものが多く聴衆に必要以上の緊張を強いるケースが頻発というか流行なのかよくわかりませんが、個人的には賛成できない。
この日の公演はきっちり3回休憩をとり、ストーリーの進行にも心地よさがありました。
プログラムパンフは無料で文句は言えませんが、あらすじが書いてありませんでした。解説だけでは片手落ちですね。
沼尻、神奈川フィル、合唱にはもっと拍手喝さいがあっていいと思う。特に指揮者の沼尻は秀逸でしたのに。
オテロ十分楽しめました。ありがとうございました。
それにしても第2幕はプッチーニの雰囲気だよね(前半)、トゥーランドットだけでなくいろいろと。順番からいったら真逆なんだろうけど。
オテロと言えば火を噴くクライバーか。沼尻さんこれからもがんばってください。
おわり
2015年3月22日(日) 11:00 -12:15 ミューザ川崎
シュニトケ モーツァルト・ア・ラ・ハイドン 13′
ヴァイオリン、グレブ・ニキティン、水谷晃
ハイドン 交響曲第86番ニ長調 9′6′5′7′
モーツァルト 交響曲第31番ニ長調 8′5′4′
ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団
●
日曜の朝11時から休憩時間なしのコンサート。午後から横浜でオテロがあるので、それにひっかけて来てみました。日曜も、早起きは三文の徳。
前の週はパルジファル抜粋のクンドリの練習不足など最悪な演奏会でしたが(2015.3.13)、この日は一転、耳からうろこの素晴らしい演奏会で楽しめました。やっぱりソリストの練習半ばの演奏会などというものはやるべきではない、と改めて思いました。
この日の演奏はノットの神経が隅々まで行き届いたもので、朝から非常に引き締まった東響サウンドがすがすがしい。
1曲目のシュニトケはハイドンとモーツァルトに掛けた作品、それで2曲目にハイドンニ長調、3曲目にモーツァルトニ長調、考え抜かれたプログラムビルディングですね。
シュニトケのモツアラハイは、まず照明を落として真っ暗闇の中での開始、黒の中での演奏が2分ほど続き明るくなってくる。そして最後はプレイヤーが抜けていき演奏者4人とノットを残し、再度照明を落として終わる。ハイドン告別モードですね。
と、ここの暗闇で音がまだ鳴っているのに拍手を始めた大ばか者がいて、制御バネも無いらしく拍手をやめない、しょうがないといった感じで明るくなりノットが振り向きおじぎし、とりあえず明るくエンド。
朝から生息する音楽ぶち壊し屋には文化的ショック。これは完全な、知ったかぶりぶち壊し屋で、もちろんぶち壊したなどとは一滴も思っておらず、どうだオレ詳しいだろう、そういった意識ですねたぶん。はやく逝ってほしいものです。
これが演劇小屋での出来事なら周りに逝かされていたでしょう。音楽とシアターピースの融合の作品をその両面からぶち壊してくれた類まれな大ばか者の存在、非常に残念な出来事でした。
●
気分をリセットし次のハイドンとモーツァルトを楽しむ。
この2曲の演奏、非常に引き締まったものでテンション高く、もちろんオーケストラの磨き度がかなりレベルの高いもの。
プログラムの企画が練られたもので、1時間と少しの演奏会でしたが充実した内容でよかったと思います。最後はぶち壊し屋のことも忘れました。
ありがとうございました。
2015年3月21日(土) 2:00pm サントリー
ショスタコーヴィッチ ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 6′6′6′
ピアノ、イワン・ルージン
(enocre)
バッハ(ラフ&ルリー編曲)管弦楽組曲第2番から「バディヌリー」 1′
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番 第3楽章 3′
Int
ショスタコーヴィッチ 交響曲第11番ト短調 15′20′8′15′
アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
●
圧政、民衆、軍隊、革命、血、などのキーワード、あとはストーリーの標題音楽で、切れ目なく続く。標題音楽と言うと何か象徴的なものが材料としてあれば進んでいってしまいそう。ここには描写の世界も濃くある。描写の材料は沢山の引用。引用元を知らないとどうしようもないということもない。知っていてもそれ自体耳に馴染んだものではないので、引用の妙はロシア人とかそのような勉学に励んだ人たちにわかるものなのだろう。決然と現れるので大胆でシンプルで分かり易くて追いやすい。
前日に続き聴きました。上記のようなことを思い浮べながら聴くとわかりやすい音楽です。切れ目なく続いていきますが、楽章構成はよくわかります。最後の最強音圧にいたるところのコーダスタートだけは取って付けた感が少しあり、曲の流れが今一つシームレス化しないといったところか。ここだけはつぎはぎ感が否めない。
そして最後の鐘の音抹殺のお決まりフライング。昨晩のほうがまだましだった。この連中何を聴きに来ているのか。フライングが唯一の楽しみなのかもしれない。目立つことが出来るしね。会社での抑圧の裏返しなのか。血の日曜日ならぬ、会社で頭突っ突かれている悲惨な平日、その裏返し行為なのかもしれない彼らフライング連中。出来るフライングはすべてやるという熱意を静寂のエネルギーに変えることが出来るのは心臓の鼓動が止まるタイミングが来た時であろう。悲しい現実がこちらも綿々と続くわけです。
演奏後のツィッターラインを見てください。自分でポストしたものですが。
【今日のメモ】フライング専門ぶち壊し屋、開始1分の壮大ないびきマン、全身をカマキリのようにゆらすトランス男、座高強調1メートル前屈み美女、と、この業界も変態客の人物ウォッチングにこと欠くことはない
愚痴、山森、です。
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アメリカもフライングは多いですが、日本みたいな確信犯は少ないですね、日本人のは、わかっていて意識してやっているので、一層たちがわるいと思います。電車の中でわざとぶつかってきたりするのと大差ない。意識されたもの、故意なたちのわるさは日本人特有のもので始末が悪い。何故そのようなDNAをもっているのか知らないが、並んで後ろから靴底を蹴られながら考えることはしばしばある。
昔聴いたこのセントルイス響のときはフライングなし、知らない曲だということもありますが、鐘の音、しっかり聴こえました、
1985/4/10カーネギー、
ヴェルディ/シチリア島の夕べの祈り、
ブルッフ/Vn協1 Vnジョシュア・ベル(18歳!)
ショスタコーヴィッチ/Sym.11
レナード・スラットキン指揮セントルイス響
おわり
2015年3月20日(金) 7:00pm サントリー
ショスタコーヴィッチ ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 5′7′6′
ピアノ、イワン・ルージン
(enocre)
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番 第3楽章 3′
Int
ショスタコーヴィッチ 交響曲第11番ト短調 15′+19′+9′+15′
アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
●
前週のスリーピング・ビューティー、展覧会の絵、これに続くショスタコーヴィッチの11番、なんとも魅力的なプログラムが続きます。鐘の音消えずのフライングは必ずあるだろうなという確信的不安がある中。
11番は約1時間の大曲、休むことのない一気振り。
クリアで雄弁なベース、ヴィオラの美しいピアニッシモ、ミュートのトランペットと同質化したのではないかと思わせるようなフルート、きりがない多彩な表現。まるで大きな変奏曲でも聴いているような味わい。そんななか、最後のコーダのところは、音圧というものを一つの音楽表現の手段として素で組み込んでいるのではないかと思わせるような大馬力。全てが全て、作曲家、指揮者ともにシンクロした理解と解釈の表現だった。
演奏の妙は続く。愁いを含んだようなブルーなトーンのウィンド、淀みのない弦のニュアンスの多彩さ、濃い演奏行為が続くがぶ厚くも透明な色彩感が素晴らしい。
そして、ラザレフが振ると音楽に勢いがグッとでます。強音から弱音までおしなべて張りが出てくる。こうゆう張った音って、指揮者がオーケストラのハートをつかんでいるから出てくるものなんでしょうね。
美的な話が多くなりました。結局この曲はどのような作品なのかというあたりおろそかにしてしまって聴いているのかもしれない。オペラって初めて見るけど今まで聴いたオーケストラで一番良い音だったよね、といったセリフと大して変わらないのかもね。
前半のピアノ協奏曲。ルージンと言う人はお初です。軽妙でスピード感に溢れる佳演。速いパッセージでも鍵盤を見ることはあまりなくて、上見たり横見たり、表情豊かな顔が客席から幾度も見れる。
このピアニストは音価レングスが正確で小気味良い。あと、ちょっとなんというかわかりませんが、早目に鍵盤押しにかかる感じ。アインザッツきっちり派ではなく、ちょっと装飾音的な弾き方。癖なのかもしれない。前のめりな感じは無くポンポンたたいて弾いてくる。演歌歌手がよくやるような、やつす感じがある。後ろの方にではなく前のほうにやつす感じ。
全般に切れ味鋭く前進する。聴いていて心地よい。ちょっとツンとしていて、鍵盤を見ない奏法だが、いやみなところもなくショスタコーヴィチの魅力を教えてくれるスッキリ内容。ケロッとしてる感じ。
おわり
巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第3回:スケールとアルペジオ
第1回:日フィル入りがきっかけ
第2回:たいへんに普通の人
第3回:スケールとアルペジオ
千葉― 最初は何でもいいから吹いてごらんというので、モーツァルトの三番の協奏曲を吹いたのかな。そしたら、それはもう今のところ完成しているし、君の悩みと関係ないじゃないか、うまくいってるよ。それよりヒンデミットかなんかやらないかっていい出して、ヒンデミットとソナタを始めました。その前にこれをやったほうがいいかもしれないといって、自分で作ったスケールとアルペジオを二、三種類やらされました。ですから印刷した練習曲は、彼からひとかけらもおそわっていません。
― 四ヶ月習われて、得るところ大でしたか。
千葉― じつはスケールとアルペジオが僕のもらった宝です。これは大変充実したものでした。ホルンはF管だったりB管だったりしますが、彼はホルンをクロマティックなものと、つまり白鍵と黒鍵をなくしちゃおうという考えです。それで実音のHドゥア(ロ長調)のスケールをやらせるわけです。これで二オクターブ。これをこなすのに一カ月かかりました。というのは指使いがたいへん面倒くさくなるわけです。B管でHドゥア吹くというのは、ピアノでいえばハ長調を嬰ハ長調で弾くようなものですね。ってなもんでへんな指使いになるんだけど、彼はこれを避けて通ろうとしないんですよね。これをいつやってもいい、おまえさん子供じゃないんだからって・・・・・。これは一生もっていていい問題だから、やってみたらどうかっていうわけですね。アルペジオは二オクターブですね。キーを使うところと使わないで口でころがすところがありますが、これを切れ目をわからせないように、上りも下りも同じつながり方にするわけですね。それからもうひとつ、トリラーがありました。音域をのばすにはトリラーをやったらどうだろうかって、これは二カ月くらいたって出てきたことです。高い音にコンプレックスを持っているといいましたら、トリラーをやらせました。私の場合、これが図に当たって、とても音域が楽になりました。作品でいうと、ヒンデミットのあとイギリスの新しい人でバークレイという人の三重奏曲のホルンのパートを習いました。
●
慎重運転のカーキチ
― これまでは演奏の教え方ですが、その間のブレインの教えっぷり、つまり人間的な側面はどんなですか。
千葉― 大変几帳面です。さっきお話をした、買い物袋を持って、
・・以下、次回へ続く・・
1769- 巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第2回:たいへんに普通の人
第1回:日フィル入りがきっかけ
第2回:たいへんに普通の人
― 初対面はどんなふうでした。
千葉― なんていうホールだっけな、あれは。ロンドンも録音ホールが底払いしているらしくて、どこやらをレコーディングに使ってました。そこで録音していたのがカラヤン、シュヴァルツコップですね、「ばらの騎士でした」。フィルハーモニア管弦楽団でね。ブレインはそこでホルン吹いていたわけですね。最初会ったときは、名人とは、かくも普通の人かいなと思いましたね。小柄で、おとなしくて、品行方正で、お坊ちゃんで。つき会っているうちに、この第一印象は間違っていなかったって、だんだん思うようになりましたね。たいへんに普通の人です、模範的に。もう我を張ったりしないで・・・・・。だいたい楽隊(音楽家のこと)は直観人間で、オレはこう思うんだと思ったらそれっきりで、あとは何にもみえなくなって、しゃにむに飛んで行っちゃうのがふつうなんですが・・・。悪くいえばサラリーマン的な、ホワイトカラー的要素も、大変からだについている人です。ところが、それでいて、やることはあっということをやるんですね。
―それから四カ月、ブレインに習われたとききましたが、授業はどんなふうでしたか。
千葉― 個人レッスンです。週に一度、その都度その都度、次はいつ来なさいというぐあいですね。ブレインの家はロンドンの南のほうでしたかな、ええと、うろうろしても、もうわかんないです。朝十時から一時間半か二時間ですね。ロンドンは混んでいるので、車で少し早目にいっていると、五分前ころ買い物袋を持って帰って来て、あれ、オレ時間まちがえたかな。いや、私が五分早くきたんですというと、いいよいいよ、入れよというぐあいですね。彼は弟子がいなくて、学校でも教えていなかったので、初対面のときに、君、だいたいどういうこと悩みがある?なんて尋ねるわけですよ。こっちは、ついでのことに最初からやり直してみようなんて妙な気持ちがあるもんだから高い音が出ない、低い音が出ない、早い舌つきが出来ないということをいったんですよ。すると、ええ、高い音は私も多少苦労したことがあるから多少助だちできるかもしれない。早い舌つきは、おい、早い舌つきはどうやったらいいんだなんて二番奏者に尋ねたりしてね。つまり出来ちゃう人なので、説明ができない人ですね。すると二番吹きが、おまえはそうするが一般的にはこうしたほうがいいんだなんて議論しているんですね。言葉で教えるのがへたなので、やってみろっていって、いっしょに吹いてみたりして、もしよかったら、こういうふうにしてみたらどうだろうっていうことをボソっという始末です。しかし、私もそれまで十年商売してましたから、二人で合作で、ああじゃない、こうじゃないとやって、こっちが考えすぎると、じつは、ひょっとしたら、きみ、逆の方に走ってんじゃないかっていったりしましてね、こっちが早とちりすると。そういうところがとてもおもしろかったですね。
●
スケールとアルペジオ
千葉― 最初は何でもいいから吹いてごらんというので、モーツァルトの三番の協奏曲を吹いたのかな。そしたら、
・・以下、次回へ続く・・
巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第1回:日フィル入りがきっかけ
ホルンという楽器の演奏を現代的なものにしたイギリスのデニス・ブレインがホルン演奏史上、きわめて大きな役割を果たした人であることは周知のとおりだが、NHK交響楽団の千葉馨氏は1956年から57年にかけての4か月、ロンドンでブレインに学んだ。
日フィル入りがきっかけ
― デニス・ブレインとはどういうことで・・・・・
千葉― 私の前のカミさんの、イギリス人のマネージャーを通じて習いたいということを打診したんです。そしたら、まずきてみてはどうかという返事なんです。その前にひとつあったのはデニス・ブレインのおやじさんでオーブレー・ブレインという大名人がいましてね、このおやじさんにつこうという野心は以前からあったんですよ。で、敵がいくつか全然しらなかったんですよ。渡辺暁雄さんが日フィルをおつくりになったとき、バーチ(千葉氏のあだ名)日フィルにこないか。そうですね。いってもいいけどホルンなんて一人で動いてもどうしようもないから、三人か四人まとめて引っこ抜いてよ。ついては親玉が必要だからオーブレー・ブレインは爺さんだろうから柱に呼んでくれないかっていったら、いいだろう、いいだろうというんで渡辺さんが打診なさったんですよ。そしたら返事にいわく、残念ながら去年死にました(笑)。はあ、そうかいなというわけですよ。そのうちデニス・ブレインがレコードを出しはじめたので、日フィルが出来た年、ブレインに打診したんです。とにかくこいというので、私のカミさんもヨーロッパに演奏旅行のスケジュールもありましたし出かけたんです。
●
たいへんに普通の人
― 初対面はどんなふうでした。
千葉― なんていうホールだっけな、あれは。ロンドンも録音ホールが底払いしているらしくて、どこやらをレコーディングに使ってました。そこで録音していたのがカラヤン、シュヴァルツコップですね、「ばらの騎士でした」。フィルハーモニア管弦楽団でね。ブレインはそこでホルン吹いていたわけですね。最初会ったときは、
・・以下、次回へ続く・・
2015年3月15日(日) 2:00pm サントリー
オール・モーツァルト・プログラム
交響曲第39番変ホ長調 9′8′3′6′
交響曲第40番ト短調 6′9′3′7′
Int
交響曲第41番ハ長調ジュピター 11′8′4′7′
ヘルムート・ヘンヒェン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
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この指揮者のことは、停滞前線みたいな未完成を読響で一度聴いたきりなのだが(2008.9.12)、あのもたれ気味の印象を全部払拭してくれるような素晴らしくも瑞々しい多彩なニュアンスに富んだ演奏で、彼、モーツァルトのスペシャリストなんですかね。びっくりしました。
この日のオーケストラもだいたいもやっとした音のときが多いのですけれど、このモーツアルトの切れ味鋭い、水際立った演奏にこれまた二度びっくり。別オケのようなサウンドでしたね。
予期せぬと言っては失礼かもしれないがヘンヒェンの意思がこのオーケストラの隅々まで明確にいきとどいたテンションの高い演奏でした。
ちょっと拍のとりかたとかこぶしの回し具合が独特なところがあり、意識技であり、こだわりのモーツァルト・オーソリティなのかもしれない。ヘンヒェンのモーツァルト的な美意識といったところがあります。
一週間前の日曜に聴いたモーツァルト協会による全曲演奏の大植&東フィルの演奏が素晴らしかった。オーケストラに対する磨き度はヘンヒェンの演奏と双璧。2週続けて週末にいいモーツァルトの演奏が聴けて良かった。
それにしてもラストの41番は大きい、先週感じたまま今週も同じ実感。
この日の後半プロの41番、テンションが下がったわけではないと思います。40番までと同じテンションでは物足りなくなる曲なのかもしれない。緊張感の持続は大変な気がするけれど、もう一歩踏み込める指揮者とオケが超一流なんだと、これまた妙に実感。
いずれにしても、瑞々しいモーツァルト、この指揮者で、また、全部聴きたくなってしまいました。
おわり
2015年3月14日(土) 6:00pm みなとみらいホール
チャイコフスキー 眠れる森の美女 (ラザレフ版 8曲) 35′
序奏とリラの精
パ・ドゥ・カトル(宝石の精たちと踊り)
長靴をはいた猫と白い猫
パ・ドゥ・カトル(4人の踊り)
グラン・パ・ド・ドゥ アダージョ
パノラマ
ワルツ
アダージョ パ・ダクシオン
Int
ムソルグスキー(ラヴェル編曲) 展覧会の絵 32′
(enocre)
エルガー 「子供の魔法使いの杖」より、野生の熊 2′
アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
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かなり短めのコンサートながらラザレフの圧力に負けてしまった。とにかく音圧が凄い。指揮者が変わると様変わり、この指揮者は何度も聴いているけれどそのたびにそう思う。
ブラッシュアップとはちょっと違うのかもしれないが、とにかくやる気度が格段上になるのだからすごいものだ。
前半はラザレフ版のスリーピング・ビューティー8曲。指揮台に上るなりメガネをかけるのも忘れていきなりドンドンドンと。ロシア風音圧回路炸裂の悶絶サウンド。みんなやる気度100点満点!
満員御礼の聴衆を背にテンポよく圧巻の昇天。これが眠れる森の美女かというと、たしかにそうですよ。音圧だけではないのですから。そこは劇場人間ですからツボから何から全部心得ているのでしょうね。聴かせどころみたいなものをね。
横浜の天井が抜けてしまいそうなスペシャルな展覧会の絵、猛演。
あまりの猛速に15分ぐらいで終わってしまうのではないかとちょっと心配になったりしたが、後半それも杞憂になりうまくまとめあげました。
ラザレフの全力投球はあいかわらずで、後先顧みずとにかく先に進みつくす。前聴いたツァラトゥストラと同じ平衡感覚に陥ってしまった。
横浜は都内の客みたいにギャアギャア騒ぎ立てないので落ち着く。ほぼ満員の人気ながら騒々しくない。
ラザレフのショーマンシップは相変わらずで楽員をよく立ててあげてサービスもよい。唯一、肝心なメンバーの反応が毎度よろしくなく、ラザレフも彼らが立ってくれるまで結構労力を使う。結局みんな炎の指揮者の様になってしまうのかもね。このオケ相手だと。
今回も素敵な演奏会ありがとうございました。
おわり
2015年3月13日(金)7:00pm ミューザ川崎
ベルク 抒情組曲 6′4′6′
Int
ワーグナー パルジファル抜粋
前奏曲 13′
第2幕(パルジファルコールから最後まで) 42′
聖金曜日の音楽(編曲終止) 11′
パルジファル、クリスティアン・エルスナー
クンドリ、アレックス・ペンダ
ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団
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うまいとかへたとか、解釈が違うとか違わないとか、そうゆうことではなく、リハーサルとか練習の途中なのではないのか。
音がつながっていかないし、ほとんど流れていない。ペンダは最初から最後まで譜面をにらめっこ、声は下にぶつかり、とにかくこのロールをやりなれていないし、リハーサルの途中みたいな歌。絶叫のあたりから声が出始め柔らかさも出てきたのと、パルジファルのエルスナーがかろうじて場数を踏んでいそうな雰囲気はあり、それ以外は、スペシャルな価格ド反省以外ないわけだが、少なくともリハーサルはきっちり終えた形で演奏会をひらいてほしい。こんな内容だと翌日の演奏はこの日よりいいに決まっているし、三日目があればそれはもっといいものに決まっている。
コンサートパンフの写真と同じ顔なのはノットのみ。ソリストもきっちりと今の写真で紹介してほしいし、宣伝が大げさすぎる紹介文ももう少し考慮してほしい。
前半のベルクはいい雰囲気でておりました。思わずツェムリンスキー聴きたくなりました。
昨年のブーレーズのノーテーションが良かっただけに、今回のワーグナーの練習不足には失望。
それと、このホール、ソロの歌に不向きのような気がします。1階席は無いに等しいし2階が2段重ね。歌い手が1階に向かって声出してもあまり意味ありません。
おわり
2015年3月8日(日) 6:30pm-8:50pm サントリー
日本モーツァルト協会 創立60周年
モーツァルト 交響曲全45曲演奏会
交響曲第38番 ニ長調 K504「プラハ」 10′8′4′
交響曲第39番 変ホ長調 K543 7′7′4′4′
休憩20′
交響曲第40番 ト短調 K550 6′6′4′4′
大植トーク+オケ試奏 10′
交響曲第41番 ハ長調 K551「ジュピター」 12′10′5′11′
大植英次 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
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続く3公演目。最後の4曲。
本格的なスコアレスの棒で、真打登場という雰囲気。コンマスも替わりました。万全な通常モードでのモーツァルト演奏会、それにもう1曲加えたシリアスで本気モードの充実した公演となりました。
1,2公演目の流れを変えるようなものではなくむしろ推し進めていくような気配。この指揮者の美意識が明確にオーケストラに伝わり細部まで実に克明にニュアンスに富んだビューティフルな演奏で見事な佳演となりました。
彼の指揮姿は見ているとりきんでしまってちょっと疲れるところもあるのですが、目をつむって聴けばやりたいことがたくさんあってそれらをうまく表現できているなぁと思う。オーケストラコントロールと言うより、指揮者の意識がうまく浸透していると感心するほうが大きい。良い演奏会でした。
全てリピートありと思いました。
やはり前のシンフォニーとは段違いの巨大な曲で、特に最後の41番は本当にとびぬけた曲だと22番から連続して聴いてあらためて思いました。
これからは単独数曲で聴くような演奏会でも、全シンフォニーの位置づけのうちここらあたりか、といった見聴きが出来るようになったのはいいことでした。
この3回目公演も2回休憩があると思ったのですが、2回目は休憩ではなく大植さんのトークとプレイヤーによる試奏。充実した内容でした。
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結局、この日は22番から41番まで、一睡もせず、
モーツァルトになった気分。
ありがとうございました。
おわり