河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1825- ハインツ・ホリガー、自作自演、他、東響、2015.8.27

2015-08-28 01:57:26 | コンサート

2015年8月27日(木) 7:00pm サントリー

クロード・ドビュッシー  牧神の午後への前奏曲  11′

グザビエ・ダイエ  2つの真夜中のあいだの時間 (日本初演) 13′

ハインツ・ホリガー  レチカント (日本初演)  25′
       ヴィオラ、ジュヌヴィエーヴ・シュトロッセ

Int

ハインツ・ホリガー  デンマーリヒト -薄明- (世界初演) 24′
       ソプラノ、サラ・マリア・サン
  (内訳)
ホリガーによる5つの俳句を原語での読み上げ 2′
  5曲連続演奏 24′

シャーンドル・ヴェレシュ  ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌  14′

ハインツ・ホリガー 指揮 東京交響楽団


ダイエの曲は拍子としての指揮をやめたところから音楽がはじまるのだろう。牧神から目覚めたような刷新された響きでした。

ホリガーのレチカント、1曲目の牧神の音が少し聞こえてくるがはるかに運動を感じる。オケとヴィオラの対話だったり伴奏だったり、ホリガーの曲はかなり神経質ですね。ヴィオラは太くて明瞭です。

後半、デンマーリヒトはまず、ホリガーによる五つの俳句の原語読み上げがあり、そのあと連続して演奏にはいる。俳句のインスピレーションが見事に音化している。ひらめきのセンスにあふれている。東洋趣味はワイプアウトされている。
サラのノンビブなスキャット気味な歌いくちと曲の空白が生き生きとしていて、ホール空間を静める素晴らしさ。ものすごい集中力で、空気を吐き出し声が歌になる。世界初演に相応しいソプラノだと思いました。

最後の曲、ヴェレシュの哀歌は鼓動に何がしかの意味合いを持たせたものでしょうが、フルオケがメロディアスに歌う曲、閃きの無い駄作でした。1945年バルトーク、意味合いは理解できますが、「時代の音楽」であり、時代が過ぎ去れば陳腐化する典型的なパターンの曲だと思います。


今年のサントリーサマフェス、都響がツィンマーマンの音場の広さを見事に認識させてくれたレクイエムでのセクションアンサンブルの凄さ、東響のホリガー自作自演の神経細胞のかたまりのような薄明の見事な表現力、それぞれのオーケストラに相応しい納得のものでした。
おわり


1824- ツィンマーマン、レクイエム、日本初演、大野和士、都響、他、2015.8.23

2015-08-25 00:25:29 | コンサート

2015年8月23日(日) 6:00pm サントリー

トーク 長木誠司、大野和士  23′

Int 15′

ツィンマーマン ある若き詩人のためのレクイエム 61′

ジャズ・コンボによるデモ演奏 1′

大野和士 指揮 東京都交響楽団 他


タイミングとウォッチング

【レクイエム】
プロローグ ~ ラプレゼンタツィオーネの開始前まで 39′
  指揮台の前のパソコンのモニタに分秒カウントアップ表示、
  指揮者はそのカウントに合わせて指揮。

字幕付きでスピーカーのポジションに合わせた位置イメージで、
右、中央、左、透かし、声に合わせる変速度で下から上へ移動、
それも数段にスプリットしたり。曲線字幕も。
上記のスピーカーの声(オリジナル言語)は日本語字幕だが、
ナレーター2名は日本語で、字幕はオリジナル言語。
字幕はP席位置で横広、かなりでかく字幕用というよりは映画用の雰囲気。
ライトの明暗調整あり。

ラプレゼンタツィオーネ ~ エンディングまで 22′
  モニタは0分0秒表示になりカウントせず。
  途中2度カウント表示が現れる。
最初はカウントアップ、二度目は2分0秒からのカウントダウン。
字幕、ライト関連は同上。

【拍手】12′
【ジャズ・コンボの演奏】1′
アンコールというより、溜まったもの発散的デモ演奏。
長木氏あおられあやうく踊りそうに。
【拍手】2′


(出演者)
ナレーター、 左:塩田泰久 右:長谷川初範
歌手、 中央左寄り左から:大沼徹(バス)、森川栄子(ソプラノ)
合唱、 新国立劇場合唱団、
位置:P席(指揮者の指揮で)、
2階LB付近(LB合唱指揮者)、2階RB付近(RB合唱指揮者)、
2階中央横通路の後ろ(指揮者は横通路前で指揮)

ジャズ・コンボ・スガダイロー・クインテット、 位置:オーケストラ左サイド
エレクトロニクス、 1階中央席:有馬純寿

スピーカー、 位置:四方八方

指揮者、 大野和士
オーケストラ、 東京都交響楽団

以上、自席2階LD席から見た眺め


字幕映像、 原島大輔
舞台監督、 井清俊博
字幕翻訳、 長木誠司、宮田恭子



感想
内容のシリアスをこのような複雑怪奇なもので表現しなければならなかった作曲者の脳内回路は理解することができない。いわゆる音楽の範疇ではないものかもしれない。特に多言語の言葉の交錯は響きとしては音楽とは関係ないと思う。イメージをどう感じるかではなく、どう理解するかというほうに力点を持つべきだろう。
イベント性を問わないのであれば、今日やって、一週間後に再演するのが理解が深まると思う。
おわり


1823- ラフマニノフ2協、マスレエフ、ショスタコーヴィッチ10、ゲルギエフ、PMF、2015.8.4

2015-08-05 01:19:52 | コンサート

2015年8月4日(火) 7:00pm サントリー

ロッシーニ ウィリアム・テル、序曲  12′

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調 11′12′12′
 ピアノ、ドミトリー・マスレエフ (2015年チャイコン・チャンピオン)
(encore)
チャイコフスキー 18の小品op.72から 踊りの情景、トレパークへの誘い 3′
メンデルスゾーン(ラフマニノフ編曲) 「真夏の夜の夢」からスケルツォ 4′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第10番ホ短調 21′4′12′13′

ワレリー・ゲルギエフ 指揮 PMFオーケストラ


マスレエフはきゃしゃな感じで、腕長く、指も長い。両肩が全くぶれない。
新種の感性のピアノ。感情で弾かない。音楽は音のつながり。

後半のショスタコーヴィッチ。
ワイルドで数珠つなぎアンサンブルといったイディオム・フレーバーとは別に、ストレートなインターナショナル性の萌芽が感じられる。
ゲルギエフは後半プロのみ爪楊枝棒よりやや長めの串焼き棒。
一曲目にウィリアムテル序曲やるなら、ショスタコーヴィッチは15番でよかったのではないか。と、ふと思う。

おととしのPMFのメルクル幻想は爆演が脳裏に焼き付いたまま。
昨年のサドはマゼールへの一言も追悼曲も一切なくて、よく覚えている、演奏は忘れてしまった。
おわり