河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2300- ベンジャミン・ブリテンの世界、2017.3.26

2017-03-26 21:34:45 | リサイタル

2017年3月26日(日) 3:00-5:30pm 石橋メモリアルホール、上野学園

ブリテン 作曲

5つのワルツより、第2曲、第5曲  2′3′
  ピアノ、加藤昌則
トーク(加藤) 7′
組曲、休日の日記Op.5より、第2曲出帆、第3曲移動遊園地  6′3′
  ピアノ、三浦友理枝
トーク(加藤、三浦) 7′
無伴奏チェロ組曲第1番Op.72より、無窮動と第4の歌  3′
  チェロ、辻本玲
トーク(加藤) 5′
オヴィディウスによる6つのメタモルフォーゼOp.49より、
  オーボエ、荒絵理子
   1. パン 2′
トーク(加藤) 1′
   2. フェートン 2′
トーク(加藤) 1′
   4.バッカス 2′
トーク(加藤) 1′
   6.アレトゥーサ 3′
トーク(加藤、荒) 3′
2つの昆虫の小品 バッタ、スズメバチ  3′2′
  オーボエ、荒絵理子 ピアノ、加藤昌則
Int
トーク(加藤、鈴木) 3′
ミケランジェロの7つのソネットOp.22
  第16,31,30,55,38,32,24番  2′1′4′2′1′2′3′
  テノール、鈴木准
トーク(加藤、鈴木、辻本) 15′
チェロ・ソナタハ長調Op.65 7′2′5′2′2′
  チェロ、辻本玲 ピアノ、三浦友理枝
トーク(加藤) 4′
夏の名残りのバラ  3′
 テノール、鈴木准
 ピアノ、三浦友理枝
 オーボエ、荒絵理子
 チェロ、辻本玲

(encore)
トーク(加藤) 2′
フォギュー・デュー 2′
テノール、鈴木准
 ピアノ連弾、三浦友理枝、加藤昌則
 オーボエ、荒絵理子
 チェロ、辻本玲
トーク(加藤) 1′
グリーンスリーブス 3′
 テノール、鈴木准
 ピアノ連弾、三浦友理枝、加藤昌則
 オーボエ、荒絵理子
 チェロ、辻本玲

東京春音楽祭2017の企画もの、ベンジャミン・ブリテンの世界Ⅰ、来年以降2021年までⅡⅢⅣⅤと続くようです。
今日の企画構成はピアノの加藤昌則さん。
トークショーのような感じであまり楽しめなかった。お話が盛りだくさんで長すぎ。果てはメタモルフォーゼでは曲毎にトーク。
普段聴いている演奏会と同じと思ったのですけれども冗長でちょっとうんざり。
トークを長々とやるより、作品の断片ではなく全曲を演奏して欲しかった。

後半のソネット、チェロ・ソナタこれは大いに楽しめましたね。
ソネット7曲はプログラムとは別にリブレットがあり聴き応え十分。特に3曲目の30番が印象に残りました。
全般にわたり陰影がありそこはかとなく人のあやが浮き出てくる。いい歌でした。鈴木さんは譜面無し。
チェロ・ソナタの辻本さんはオーケストラのほうで毎度拝見しておりますし、辻本さんワールド、オールマイティ、凄さがさらに良く分かったひと時でした。
おわり


2299- シベリウスVn協、サラ・チャン、前奏曲、マゼッパ、アッシャー・フィッシュ、2017.3.25

2017-03-25 22:58:02 | コンサート

2017年3月25日(土) 2:00pm オーチャードホール

ベートーヴェン プロメテウスの創造物、序曲  5′

シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調  15′7+7′
 ヴァイオリン、サラ・チャン

Int

リスト 前奏曲  15′

リスト マゼッパ  16′

アッシャー・フィッシュ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


素晴らしくエキサイティングなシベリウスでした。
サラのヴァイオリンは強靭、打ち震えるような響きはヴァイオリンのデフォのサウンドを実感させる。滑るようなテンポは圧巻、特に終楽章はソリスト、指揮者ともに限りを尽くしスパークするような演奏。

第1楽章の冒頭、静寂から奏でられるヴァイオリンにはゾクゾクした。フィッシュの伴奏が素晴らしい呼吸、間の取り方を長めにして緊張感をさらに高める。双方最初からドラマチックな展開。音楽の振幅が大きい。シンフォニックな楽章を思う存分極めつくした。
サラは強いボウイングで音符の切込みが深い。
静寂の緩徐楽章、サラの表情は瞑想から濃い哲学的なやや気難しい顔まで色々と変化する。コンセントレーションがかなり効いていてかつテンションが高い弾きでこちらも自然にのめり込んでいく。ここも濃いプレイでしたね。
終楽章のスピード感は圧倒的、指揮者共々、前に前にどんどん進んでいく。滑るような演奏。限界テンポで飛ばすヴァイオリンと包み込む棒、オケ伴のみとなるところでは第1ヴァイオリンのパッセージを一緒に、それが左手の指のみ一緒に動かすのだが、右手のボウイングはしておらず、身体が揺れる、アクションがド迫力。神プレイ。

そして特筆すべきはオーケストラのまろやかさ。雲の絨毯の様なやわらかいサウンドが心地よい。要所をしめるブラスのアタックがポイントを突いていて並々ならぬメリハリ感。雄弁な伴奏、指揮者によるところが大きいと見ました。指揮者しだい。
そもそも、今秋来日するバイエルン国立歌劇場をペトレンコKとともに振るアッシャー・フィッシュ。リング上演の実力もあるお方がNJP一発公演に参上し、これまた日本しばらくご無沙汰のビッグヴァイオリニストのサラ・チャン、なんでここで一発公演が実現したのか、本当にわかりません。聴く方は僥倖という言葉しか見つからない。演奏の内容は書いた通りで、充実のソロ、オーケストラであって久しく聴かれなかった鬼気迫る秀逸な演奏となりました。

後半のリスト2曲。
前奏曲の間の取り方が絶妙、ドラマチックなものですね。第2主題の滑らかなうねりの嵐。この対比。心的な面を突いた標題音楽。内面をえぐるようなシリアルな運びはエモーショナルで揺さぶられる演奏でした。前奏曲はノセダN響、ティーレマンドレスデンなど、忘れがたい演奏が少なからずあります。今日の演奏も同じ列に加わる内容で、お見事。

マゼッパは変わって絵巻物の様な標題音楽、この種の音楽としてはこちらのほうがノーマルなものだろう。あおるような音楽は派手ですが、煮え切らないやにっこさみたいなものもありますね。かみしめるような進行と前進前進のダイナミックさが綯い交ぜになったもので、最後まで楽しめました。オーケストラを聴く醍醐味。

これらリスト2曲。オーケストラの響きの充実度。指揮者が引き出したものであることは間違いない。新たに音楽監督となった上岡さんの日常の手綱も通奏低音的にあるのかもしれない。指揮者の意思が上岡さんとシンクロするような方であれば、直感的にいい演奏を実現できるオケなのだろうと、感心しました。
シベリウスもリストも中音域が充実した響きで、柔らかく押し出すような動き、それとアタックですね。素晴らしい。

マゼッパの最後ひとつ前の音でフィッシュの棒が飛び、その棒のほうを振り向きつつフィニッシュ、聴衆が指揮者に棒を返しにいってめでたく終演。
前半後半、充実の内容、ありがとうございました。
おわり


2298- アンドラーシュ・シフ、ピアノリサイタル、2017.3.23

2017-03-23 23:30:53 | リサイタル

2017年3月23日(木) 7:00-9:40pm コンサートホール、オペラシティ

モーツァルト ソナタ第18番(第17番)ニ長調K.576   5′5′5′
シューベルト ソナタ第21番変ロ長調D960(遺作)   20′8′5′9′
ハイドン ソナタ変第62番変ホ長調Hob.ⅩⅥ:52   9′6′6′
ベートーヴェン ソナタ第32番ハ短調Op.111   9′17′
(encore)
バッハ ゴールドベルク変奏曲BWV988よりアリア   4′
バッハ パルティータ第1番BWV825よりメヌエット、ジーク   5′
ブラームス 3つの間奏曲第1番変ホ長調Op.117-1   4′
ハンガリー民族舞曲より   2′
モーツァルト ソナタ第16番ハ長調K.545より第1楽章   3′
シューベルト 即興曲Op.90-2   5′
シューマン 子供のためのアルバムより 楽しき農夫Op.68-10   1′

no intermission recital

ピアノ、アンドラーシュ・シフ
ベーゼンドルファーMODEL280VC


4人の偉人の最後のピアノ・ソナタを並べたリサイタル。ヘヴィー感が漂う。それに休憩無しとあるから聴く方も相応な体力と集中力が要る。
結局30分におよぶアンコール7曲合わせ、無休憩約2時間半ロングの大リサイタルとなりました。ピアノの鍵盤側の席を取れたのはいいがずっと上の方から覗き込む感じで、ロングフライトシンドローム、足が動かなくなった。

モーツァルトは展開があでやかで、バロック風というよりはむしろ甘いスィーツな味わいがある。リサイタルが始まる前から空気感が変わり始めていたが、最初のモーツァルトでがらっと様変わり。静かななかに美しい音楽が奏でられる。軽い弾きのように聴こえる。むしろ余計な力がかかっていない。モーツァルトを奏でるに必要な音のみ、ポツポツ、クルンクルン。過剰なものは何もない。これで十分。会場は静謐。

ピアノの前で2度3度お辞儀をしてそのまま次のシューベルトへ。
遺作は形式感、長短バランスなどほぼシンフォニー。第1楽章は破格の長さ。言いたいことは第1楽章ですべて言い尽くされているような気がする。今日あらためて実感しました。
第1主題ゆっくりとそれでいて隙間がない。哀しいロマンティックな味わいがなにか翳りのように進行するシューベルト絶品のメロディーライン。シフの力は指先まで全て抜けきっている。力をこめず均整がとれた響きが美しい。ゴロゴロゴロッと左手トリルのパッセージがアクセントになりメロディーラインに戻る。いやぁ、美しい。スバラシイ。
シフの頭の中は澄み切っていて落ち着いている。習字の味わいを感じる。
モーツァルトからシューベルトへ。完璧なライン。

45分におよぶ2曲目のシューベルト。こちらは解脱状態。なんだか、煩悩消えましたね。
ひとお辞儀してハイドンへ。通常ならこの前に一服あるのだろうが、シフはそのまま自然体で進む。
モーツァルトからシューベルトへの後は、
ハイドンからベートーヴェンへ、ううーん、素晴らしいプログラムビルディング。
強固な構造は背面へ。シフのタッチは全体を支配している。だからこそ作品の違いが出てくるのだと言える。ハイドンの硬さが消えて流れるよう。形式は道具と。

最後のベートーヴェン。
自分としてはこの作品に究極感は感じないものの、研ぎ澄まされた内容の深さが従来の形式を押しとどめたような具合で、じゃあ、次に何が開けてくるのか、前進進化型のベートーヴェンとしてはその問いと解を自ら作り出すその前に消えた、と思うしかない。尽きた最後の作品ではないと思う。
それでこの2楽章構成の偉大な作品。その2楽章は不思議なことに変奏曲という感じが全くしなかった。なにか、こう、先が開けていくような具合。
モーツァルト、シューベルト、ハイドンと、情念のようなものは別世界の出来事といったピュアで澄み切った世界。ベートーヴェンも同じようなタッチ進んでいく。芸風だからといってしまえば身もふたもない。
本日の4ピース、最後のソナタ作品群とはいえ、作曲家がその時点で最後なんて思っているわけではなくて、今を起点とした過去眺めのネイミングであるので特にどうだこうだということでもなくて、シフの色で全体が染まるのは理の当然の気はする。でも、
ベートーヴェンの作品に変奏曲を全く感ぜず、これから先の展開を意識させてくれた。シフの見事な閃きの演奏だった気がしてならない。最後だけど終わっていない。最後を否定している。静謐な中になにかさわやかな光が見えるお見事な演奏であった。

色々と示唆に富むリサイタルでした。4人の最後の作品をこうやって聴けたのはいいことでした。4人のピアノ。ソナタ全てをシフが録音しているのかどうかわかりませんけれども、こうなったら全部聴かないとね、自分にもこの日の緊張感を思い出させるためにもね。もちろん中身はしっかりと聴きますよ。
素晴らしい演奏、本当にありがとうございました。

ずっと出ずっぱりでしたが、4曲終えたところで袖に出入りしアンコールに応えてくれました。これはアンコールとはいっても本プログラムの意識の継続。このラインナップ7曲、まだやるかっ、と思わせぶりは皆無の中、ひたすら名品を同じ意識の中で弾いて聴かせてくれた。シフの色は濃いし幅のあるものですね。ひとつ、精神性、久しぶりにこの言葉が脳裏をかすめた。

オーケストラ用のコンサートホール、満員のリサイタルでした。
おわり


2297- モツコン20、上原彩子、マーラー5番、インバル、コンチェルトハウス管ベルリン、2017.3.22

2017-03-22 23:03:28 | コンサート

2017年3月22日(水) 7:00-9:20pm 東京文化会館

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466 15′9+7′
  ピアノ、上原彩子

Int

マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調  12+13′18′9+14′

エリアフ・インバル 指揮 コンチェルトハウス管弦楽団、ベルリン


上原さんのモツコンは、切れ味鋭くみずみずしいタッチ。両端楽章のややウェット感が漂う中に快活に進んでいく様は気持ちがいい。均一なオタマの運び。正確な筆の運び。モーツァルトの短調、屈折率の高い音楽と思いますけれども、愁いが潤いを帯びて響いてくる。そんな感じが表に出ていた佳演。上原さんが弾くと作品の表情がよくわかる。
他方、カデンツァや緩徐楽章で思うのは、モーツァルトを戻るものとして感じているのではないか、戻るというのは、近代技巧を前提としてその面で時代を遡るような意識がちょこっとだけ出てしまうようなところ、そういたものを少し感じた。
おそらくこれからモツコンをたくさん弾いてくれるでしょうから楽しみですね。

伴奏をしたのはインバル&KOB。インバルはこの前プロと後半のマーラーでは別の指揮者みたいな変化。このモーツァルトの伴奏はオーソドックスな味付けでモーツァルトの深みが出ました。
インバルの左手の手刀チョップに確実に反応するオーケストラが雄弁。それにメンバーがピアノの音を聴いていてアンサンブルの呼吸を感じさせる。いろいろな楽器の組み合わせによるアンサンブル、多重に重なってくる。一つのアンサンブルがモノインストゥルメントのように響き、それらが重なる。なんだか久しぶりに聴くアンサンブルの妙。ここらへんはドイツのオケだなとあらためて認識した、ああそうだったと思い出したような世界。

後半のマーラーはもう一人のインバルが振っているよう。
80越えにしてストレートで過激、フィナーレに近づくにつれさらに猛速となり最後は不敵な笑みを浮かべつつエキセントリックな爆炎。炎上サーカスフィニッシュ。オケは乱れまくり即興的な棒であったのだろう。そこまで、してみたかったのだろうと思うしかない。年寄りの冷や水とは言うまい、山のように振ってきたマーラー、何処の誰がどう思おうと、してみたかったのだ、と。
やり過ぎ感は否めないものの終えてなおかつ笑みは不敵に満足げ。

第1楽章の各主題は同一テンポで陰影は濃いものではなくて過ぎ行く音楽に表情の変化は感じ取ることが出来ない。2楽章後半のファンファーレのあたりで猛速演奏の断片が顕在化し始める。
ロングな3楽章、展開される主題フレーズの先取り強調がよくわかる。何気なくやっていそうに見えるがこういった関連フレーズの強調は一つの作品としての完成品を目指している、日ごろやってきたことの毎回集大成的積み重ねなんだろう、と思うところはある。同時に現代音楽振りまくりだった頃のことも脳裏をかすめる。そういう意味も込めてしたいことをしていると。
アダージェットは斜め上向きシャープさがあり、オケの特質がでたもの、なまめかしさとは対極で、これはこれで。
終楽章は斜め上向きが垂直方向にさらにしなっていくベクトル。まぁ、やれるところまでとことん振っているんだよ、この実感。何がそこまで彼をエスカレートさせたのか、わかりません。神のみぞ知る。
音楽作品をより完成度の高いものにするには、一度カオスを作り出さなければならない。劇的ライブな再創造による蘇る音楽とフォルムの高完成度、両方の同時実現性、的な実験演奏?、カオスが最後に来たのはやっぱり失敗では?、頭の中はさえざえとしているとは思いますが。
おわり


2296- ブルックナー8番、小泉和裕、名フィル、2017.3.20

2017-03-20 21:16:16 | コンサート

2017年3月20日(月) 3:00pm コンサートホール、オペラシティ

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調(ハース版) 15′14′25′25′

小泉和裕 指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団

(duration)
第1楽章 15′
提示部 1s-2′ 2s-2′ 3s-2′
展開部 5′
再現部 1s-1′ 2s-1′ 3s-1′
コーダ 1′

第2楽章 14′
スケルツォ 5′
トリオ 4′
スケルツォ 5′

第3楽章 25′
A1-5′ B1-4′ A2-3′ B2-3′ A3-7′ コーダ3′

第4楽章 24′
提示部 1s-2′ 2s-2′ 3s-2′
展開部 8′
再現部 1s-3′ 2s-2′ 3s-2′
コーダ 3′


不動のインテンポ、パッセージ節目での加減速も無い。8番の造形美が見事に浮き上がる。ブルックナー最高峰のパーフェクトバランス。
第1楽章の提示部3主題ほぼ等速、主題の移り変わりはパースペクティヴの効いたダイナミズムや細やかに変化する美しいフレージングといった音楽の表情が移りゆくものと。構造に光をあてた小泉棒はものの見事にきまりました。
この頭3主題から終楽章再現部の3主題まで徹底して平衡感覚に優れたブルックナー表現で造形の美しさは時間軸がバランスしてこそというものだと小泉さんが棒で言っている。全体俯瞰を常に念頭に置きながらのタクト、お見事の一言に尽きる。
それから、8番で多用される経過句。これが小泉には良い方向に作用している。1月に聴いた5番ではうまくいかなかった。
5番はパウゼがポイントになると思うが、今日の8番では経過句の扱いがポイント。その経過句の流れは主題推移のブリッジになっているというよりも主張がより濃いもの。補助的な役割としてではなく造形ウエイトが高まることになり、聴いた耳でも流れより形がきまっている。素材が有れば有ったでウエイトを高めつつ使い尽くす。逆説的な話であるが、この意気込みが小泉の8番を形作っている。音がうねりながら進んでいくように聴こえてくるのはこのためですね。スバラシイ。

第1楽章のソナタは3主題が充実していて提示部、再現部が濃くて、展開部は案外短いもの。あっというまに終わる。第4楽章も同様ですね。
オーケストラは冒頭のダークな第1主題からテンションが高く、緊張感に満ちた演奏。張りのある弦のしなやかな歌がやや明るくウェットに響く、美しいものです。ウィンドも充実していて一本のソロの美しさと滔々と流れるアンサンブルのハーモニー。ブラスはホルンをはじめとしてブルックナーサウンドを味わえた。崩れないフォルムに合わせ常に平衡感覚を保ったインストゥルメントのサウンドはお見事なもので、まぁ、小泉棒も作用しているのかもしれない。

第2楽章のスケルツォはトリオをはさんだ双方ともに後半部分が充実。ブラスセクションのアタックも自然で良い流れで推進力あります。
トリオのアタックはちょっと鉄板に壁ドンなみにきついものでしたがすぐに戻る。小泉棒はしっかりと3拍子押さえている。インテンポの迫力がここでも光る。ちょっとファジー目な叩きのティンパニーもいい。

第3楽章は充実した弦の歌に力感があり、細やかな味付けも含めよくコントロールされている。指揮者の意を汲くんだ演奏となっています。この楽章はABABAcodaとなっており、聴きようによってはこれまたあっというまに終わってしまう。オケメン全員、渾身の演奏だったと思います。AB主題が同格の扱いでドッシリ感でます。3回目のロングなA、ピアノから頂点のフォルテまで美ニュアンスで極めた白眉の演奏となりました。そのあとの天国的なコーダはうっそうとした森を思わせる濃厚なホルンセクション。この深い緑があればこそ終楽章の第1主題のファンファーレが最も効果的に響くという具合ですね。

終楽章ソナタは第1楽章と同じモードながら、提示部より再現部のほうがより長くて味わい深くなっている。腰の据わった演奏を実感させるもの。また、第1楽章よりも第1,3主題でのブラスの活躍が派手になっている。小泉棒はオケのテンポを抑えるようなところもあり懸命にインテンポを守り通す。ブラスによる圧倒的なオルガンハーモニーが響き渡りますが、克明な振りでときに押さえ込むようなところもあり、ぶれないワントーンロングハーモニーが強烈にきまっていった。
再現部第3主題に第1楽章の第1主題が炸裂して重なる。圧倒的なブラスの咆哮。オーケストラの明るめのサウンドが、きっちりザッツ、できまった。この咆哮はこの楽章のコーダ予兆というよりは、曲のフィナーレの予兆。
テンポを全く動かすことなく重層にして奇跡的な譜面を克明に表現。折り重なる全主題が現れ下降を繰り返しながら垂直にフィニッシュ。フラブラもフラ拍も無い、静寂が訪れた。

結果、造形は見事に出来上がりました。美しい構造物が出来上がりました。雨風きても、まぁ、しばらくは倒れそうもない。美しいフォルムと演奏。スバラシイ。
ブルックナー8番、味わい尽くしました。
ありがとうございました。
おわり

名古屋フィルハーモニー交響楽団 創立50周年記念 東京特別公演


2295- グラス、VC1、三浦、新世界より、下野、読響、2017.3.19

2017-03-19 22:31:53 | コンサート

2017年3月19日(日) 2:00pm 東京芸術劇場

パッヘルベル カノン 5′

フィリップ・グラス ヴァイオリン協奏曲第1番 7′10′10′
 ヴァイオリン、三浦文彰

Int

ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 新世界から 11′12′8′11′

(encore)
パッヘルベル(野本洋介 編) カノン 5′

下野竜也 指揮 読売日本交響楽団


下野さんが読響節目の公演にグラスのヴァイオリン協奏曲があるというので出かけました。
このホールの2,3階両翼でっぱりのところは音が良いという印象があったので、あまり考えず2階の翼席を。なんと、これが最悪。3階席が傘のように被った席で腕を上にあげると届きそうな気配。まわりの会話がよく聴こえ、拍手が五月蠅い。ということはNHKホールの2階席右左奥の地獄席のような雰囲気。大失敗。
構造的に、3階傘が舞台に向かって斜めに下がっているので、自席位置より上の傘のほうが低い。自席位置より前方天井が低い。

パッヘルベルはユニークな配置。
指揮者の前にオルガン、取り囲むようにチェロ10、その後ろにベース8、右壁にヴァイオリン10、左壁にも10人、奥に正面向きに10人、計30人ヴァイオリン。
ヴィオラ無しの編成なので、16型からヴィオラを取り除いた編成と思われます。
見た目は低弦が前にあるような形、ヴァイオリンが包むように奏でられる。ムーディーな感じ。

グラスのVC1。ひどい席に座ったので三浦さんのソロはあまり聴こえてこない。オケの刻み節とソロが同じ帯域で鳴ることが結構あって、このデカいホール、三浦さんもあまり本意ではなかったような気がする。
14型でウィンド2管、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、パーカッション6、という大編成。グラス独特の包み込むようなサウンドが心地よい。よいがソロ楽器の音はあまり聴こえてこない。音圧バランス的に厳しかったのではないか。
結果的にはグラスのアンサンブルを楽しみました。オケのソロ楽器も直接音しか聴こえてこないような席なんだが、アンサンブルの束になるとソコソコ聴こえてはきましたので。

頭の提示部リピート無しの新世界はなんだか久しぶりに聴く。

アンコールではフル編成でカノンをもう一度。
プレイヤーが一人ずつポツポツと退場、最後はコンマスだけ残りそして、コンマスはしもてに、下野はかみてに去る。その後、もう一度全員登場、悲しさが漂う結末から盛り上がって終わりを告げました。カノンに始まりカノンで締めた。

下野、読響の組み合わせでは色々と珍しい作品をたくさん聴かせてもらいました。充実した内容が続きましたね。これからの活躍にさらに期待。
ありがとうございました。
おわり




2294- ストラヴィンスキー、兵士の物語、2017.3.18

2017-03-18 23:19:06 | オペラ

2017年3月18日(土) 3:00-4:30pm 小ホール、東京文化会館

東京文化会館 舞台芸術創造事業プレゼンツ
シャルル・フェルディナン・ラミューズ 原作
ストラヴィンスキー 作曲
黒木岩寿 ディレクション
兵士の物語 74′

キャスト
語り手、安東伸元
兵士、 パントマイム、KAMIYAMA       声(日本語)、井上放雲
悪魔、 パフォーム、ウヴェ・ワルター  声(日本語)、同左

プレイヤー
ヴァイオリン、荒井英治
ベース、黒木岩寿
クラリネット、生方正好
バスーン、吉田将
トランペット、長谷川智之
トロンボーン、倉田寛
パーカッション、高野和彦

(duration)
第1部 36′
+      連続演奏
第2部 38′


幾分、場末の趣きを漂わせつつ練られた内容であったが、これが何かと言われれば、よくわからない。コラボ系コントラストの妙味はあるものの、アンバランスでミスマッチな空気感が違和感を多少醸し出す。

上野の小ホール、客席から見て右側にインストゥルメント7人衆。荒井さんのヴァイオリンよりもベースの黒木さんのほうが聴衆寄りにセットアップされているように見えるのは、兼演出を担当した黒木さんから舞台がよく見えるような配慮からなのだろう。音はモロにくる。
左側に能楽師お二方が並んでいる。語り手と兵士の声が隣同士。
舞台中央のスペースで悪魔と兵士の動き。二人のアクターが出入りする奥のところには緞帳風な幕がカーテンのように横に動く。小道具はヴァイオリン、本、酒瓶、テーブルに椅子二つ。


悪魔はドイツ出身のウーヴェさん、関西弁風味で達者な日本語です。ですが、
外国人アクターが悪魔演技と日本語をしゃべりつつ、かたや、日本人アクターは演技、日本語セリフは別人。この時点でコントラスト効きすぎ。逆の設定ならわからなくもない。
さらに、この声、外国人による関西弁モードと日本人狂言方能楽師の声。ミスマッチなのかはたまたコントラストの妙なのか。
それと、語りと兵士が隣り合わせというのも、双方狂言方能楽師設定なのでわからなくもないが、視覚的な違和感が漫然と漂う。

インパクトはある。作品の内容がそれに耐えるものなのか、吸収できるほどのものなのか。場末といったのはそこらあたりの事ですね。
個々のプレイは素晴らしく磨かれたもので芸風はとくと拝見させてもらいました。
インストゥルメント7人衆は荒井さんが舞台の呼吸をよくくみ取っていて、またアンサンブルの主導具合も手慣れたものでみなさんクリスタルのような響きの演奏。最初ちょっと声よりデカすぎるサウンドにどうかと思いましたが、進むにつれそのような被りの箇所は多くないということがわかってきたので双方じっくりと観聴き出来ました。終盤ヴァイオリンソロが長く続きますが荒井さんの音の光り具合がまことにお見事でした。

和洋のインパクトで思い出したのがサントリーのサマーフェスで行われたシュトックハウゼンの暦年、このときは雅楽版、洋楽版を二日に分けて行うという画期的なものでした。インパクト以上のものでしたね。
1675- シュトックハウゼン、歴年、一柳慧、時の佇まい、2014.8.28
1676- シュトックハウゼン、歴年、三輪眞弘、59049年カウンター、2014.8.30

おわり


2293- ベト1、モツFg協、河村、シュマ2、上岡、新日フィル、2017.3.17

2017-03-17 23:25:35 | コンサート

2017年3月17日(金) 7:00pm トリフォニー

ベートーヴェン 交響曲第1番ハ長調  9′6′3′5′

モーツァルト ファゴット協奏曲変ロ長調  6′7′4′
  ファゴット、河村幹子

Int

シューマン 交響曲第2番ハ長調  11′9′8′7′

(encore)
モーツァルト 交響曲第41番ハ長調ジュピター 第4楽章 5′

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


なによりも感心したのは演奏が終わってからの話で、指揮者のスタンディング指示に各パート、ソロうなずき、てきぱきとすっと立ち上がっていたこと。この前(2017.2.24)のヴィットの時は、立てと言っても、おれ?おまえ?みたいな感じで、絶対に立たない人がいて、いくら客演の指揮とは言え、ヴィットは最後あきれてあきらめていました。大体あんな感じがよくあるですけれども、今日はあれと同じ団体とはもはや思えない。音楽監督の教育のせいなのか自らの納得の行為なのかわかりませんけれども、ヴィットの時の見苦しさがなかった。オーケストラはどのような指揮者のもとでも毎度のおれ?おまえ?は無くなればそれはそれでいい。

プログラムは正面突破もの。指揮の上岡はまるで自分がそこで生まれた記憶でもあるのだろうかヨーロッパ響きの実感をこのオケを使って体現。スバラシイ。
このようなプログラムでこれだけ聴かせてくれる日本人指揮者というのは多くは無い。山積みの経験、響きの吸収、表現、彼の中にあるものを洗いざらい魅せていただきました。
なんといっても魅力が全面開花した様相を呈したのが後半のシューマン。第1,2楽章のたたみかけるような激流はこの指揮者の本流。圧倒的なリズム、シンコペーションのアクセル、明確にコントロールされたアタックの活用。クリーミーな弦はあふれるばかり、柔らかいサウンドですね。ウィンドの清流。パースペクティヴの効いたステージ奥からのブラスの響き。
そして、あとくされの余韻を排したものでパッセージの切り上げがスカッとしている。いやぁ、なんか、本格的。
うって変わって、第3楽章は極上なシルキーサウンドの弦アンサンブルが滑らかに流れる。上岡のフレージングコントロールは制御を越えて、指示がオケに納得されていて、彼らも昇華していっているのがアリアリとわかりますね。生きている音楽の実感。
終楽章ではダイナミックさが戻ってくるが、3楽章のモードが綯い交ぜになっていて、ハイブリッドした味わいは筆舌に尽くし難い、シューマン2番、極まれり。ビューティフルで迫力満点のパフォーマンス。お見事。

ファゴット協奏曲と言えば、このオーケストラ伴奏でジョリヴェの曲を聴いたのを思い出す。
1715- ジョリヴェ、fg協、小山莉絵、リャードフ交響詩、展覧会の絵、川瀬賢太郎、njp、2014.11.22

この時も今日も女性プレイヤー、見た目にも扱いにくそうなインストゥルメントですけれども、演奏はものともしない極上なもの。
ソリストの河村さんはこのオケのプリンシパル。音色がオーケストラと同一系、アンサンブルもよく合っている。呼吸は見事に一致。これは上岡さんの伴奏の素晴らしさによるところが大きい。河村さんがこの楽器を吹きながら指揮者をのぞき込みアイコンタクト、上岡は彼女に余計な負担がなるべくかからないように極めて適切なサポート。室内楽的アンサンブルと極上な技で聴かせてくれました。緩徐楽章のフィガロの結婚風味な節の扱いと圧倒的なピアニシモ終止はなにかこう、香りさえ漂う。モーツァルト。
いい演奏でした。

この日の1曲目はベートーヴェンの1番。軽快な演奏、厚みのあるオケサンドの動きの妙。ピリオドな趣の流れ、オーケストラを聴く醍醐味です。
第1楽章提示部リピート、メインがこの楽章。スパッスパッと切れ味が鋭く刻みが明確で小気味が良い。またシューマン同様、アタックのコントロールが非常によく効いていて流れにメリハリが出ていて引き締まった演奏を展開。ベト1堪能。
これまで腑に落ちないでいたものがストンと落ちたような演奏でしたね、もちろんオケにとってもですね。
楽章が進むにつれて演奏のほうは推進力が増してきて、あっという間に終わる終楽章序奏に続きハイドン風な流れが厚く動く。ドンドン押していく。そしてベートーヴェンだったと、この聴後感。上岡さんの棒さばきにうなずくばかりです。
ありがとうございました。
おわり




2292- ベトコン3、紗良、ツァラ、ウルバンスキ、エルプ・フィル、2017.3.12

2017-03-12 19:43:19 | コンサート

2017年3月12日(日) 2:00pm シンフォニーホール、ミューザ川崎

ベートーベン レオノーレ序曲第3番ハ長調  14′

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調 17+10+9′
  ピアノ、アリス=紗良・オット

(encore)
グリーグ ペール・ギュントより 山の魔王の宮殿にて 2′

Int

シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき 34′

(encore)
ワーグナー ローエングリンより 第3幕への前奏曲 3′

クシシュトフ・ウルバンスキ 指揮 NDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団


首席客演指揮者というのはこのネイミングを変えたオケとどの程度つながっているものなのかわかりませんけれども、極端に抑えた弦の進行、その弦のパートは総じて同じ比重のようにバランスしている、など明確にウルバンスキの意思が浸透していて相当濃いな、と思わせるところが随所に見られました。つまり微弱弦でいて殊更パースペクティヴを求めているわけでもなく、また重心が重いバランスとなっているわけでもない。冒頭に置かれた長い序曲を聴けばよくわかる。
彼は、時としてチリチリと熱くなるようなヒート感の波を作っていっているように思う。オーソドックスなスタイルとは少し異なる。潮の満ち引きのように音が流れていく。
ダンシングコンダクトしますが、両腕は見事に胸より上で動いていて、それより下に下がることはほとんどない。プレイヤーにとって見やすい棒のはずで、まぁ、潔い明確さがありますね。

といったあたりのことが色々と混ざり合って、大上段に構えたツァラの頭3発のファンファーレはブラスセクションをはじめとしてよく呼吸のあったお見事な全奏で、なにやらナイーヴな雰囲気さえ漂う。大上段の言葉をうまく剥がした流れとなっていたように思う。
彼のこの曲におけるダンシングは内なるところから音楽が出てこいよといった感じで、譜面からだけではわからないような熱さをプレイヤーから引き出させようとしているように見える。音楽の流れは極めて自然ですね。角がないといったことではなくてどちらかというと急激な進行の変化を求めていない。音楽はよく流れる。プレイヤーにとって、棒のポジション含めおそらく演奏しやすいタイプの指揮者だと思われる。
ハンブルクのオケは幾分線が細くなったような気がしますが、ボテボテがなくなって機能性に富んだものとなったところもあるがそれは飽くまでも二次的な話で、やっぱり音楽を作っていく姿勢が熱いものだと思いました。

ソナタ形式の提示部が少しうんざりするぐらい長いベトコン3。ハ短調の暗さよりも、フォルテピアノ風味な響きが終始魅力的なアリスのプレイでした。この暗くて重い曲を逆手に取ったような軽快な音の運び。装飾音のまくれ具合、切れ味が非常にきれいにきまっていく。均質で平衡感覚に優れた演奏で堪能しました。
伴奏のウルバンスキとの呼吸も良く合っていたと思います。リハでタイミング合わせしたのがよくわかるものでしたね。

エルプにスタープレイヤーがいるのかどうかわかりませんけれども、アンサンブル良く、気合のこもった演奏を展開してくれて満足しました。

指揮のウルバンスキ、いつぞやのハルサイダンスもう一度みてみたいですね。
1559- ロメジュリ、チャイコン、神尾真由子、春の祭典!!!、クシシュトフ・ウルバンスキ、東響2013.12.14 

おわり


2291- ヴァイオリン3曲、前橋汀子、巨人、小林研一郎、日フィル、2017.3.11

2017-03-11 23:29:13 | コンサート

2017年3月11日(土) 6:00pm みなとみらいホール

サン=サーンス  序奏とロンド・カプリツィオーソ 12′
マスネ  タイスの瞑想曲  6′
サラサーテ  ツィゴイネルワイゼン  8′
  ヴァイオリン、前橋汀子
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番よりサラバンド 3′

Int

マーラー 交響曲第1番ニ長調 巨人 13′9′10+20′
(encore)
マーラー 交響曲第1番ニ長調 巨人より 第4楽章よりフィナーレ 1′

小林研一郎 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


さらに進化した前橋ヴァイオリン、張りつめた音、集中力。一音ずつ全てに深い意味がある。それを一音ずつ味わい尽くす。この深さ、空気さえ切る。世界最高峰の技を再実感。これら3曲、演奏されつくしていて陳腐と言っていいかもしれない。それをまるで今生まれたかのように切れば吹き出すしぶきの演奏。ソロ技を聴く醍醐味ここに極まれり。名人芸というのは通俗名曲を息する間もなく聴かせてくれる。凄いもんです。
そして炎棒は伴奏の神髄を魅せてくれました。ソロ技と一体化したものでサポートレベルを完全に超えている。まるでソリストが二人いるような錯覚、これも至芸。

この前、素晴らしいマンフレッドを聴かせてくれたばかりの炎さん。
2285- チャイコン1、金子三勇士、マンフレッド、炎、2017.3.3 
今日の巨人でも聴かせてくれました。マンフレッドのときとはずいぶんと違う演奏で、始終バスドラが唸り、オケ全体が地鳴りのような響きとなる。緩急自在な筆の運び。最後はブラス総立ち、さらにホルンはスタンディングベルアップ、鳴らせるだけ鳴らした演奏。テンポを上げつつフィニッシュ、割と現代風味なあたりもある。強烈な演奏でした。
ヒートアップするにつれ両腕での指揮が多くなりますけれども、そういったところ以外ではだいたい右手一本の振り。前はこんな振りではなかったはずだがとフト思う。前は遠心力の様な振りで空気を泳ぐような無駄な動きが多かった。今そのような無駄な振りはない。
すっきりとしたものを感じさせてくれますね。淡泊と言ってもいいかもしれない。オケメンは彼に慣れているというのもあるでしょうが、以前の様な崩れは無くなりました。
脂ぎった炎から、核心の炎への変容。久しぶりにいい味わいの巨人を満喫。
アンコールで最後のところをもう一度演奏。こうゆうのは聴いたことありませんね。楽しい一夜でした。ありがとうございました。
おわり

 



 


2290- モツコン17、真由子フェッター、ツヴィッカウ、春、石川、神戸市室内合奏団、2017.3.11

2017-03-11 22:01:22 | コンサート

2017年3月11日(土) 2:00pm 紀尾井ホール

シューマン(前田昭雄 編) 交響曲ト長調 ツヴィッカウ  12′8′

モーツァルト ピアノ協奏曲第17番ト長調  12′10′8′
  ピアノ、ソフィー=真由子・フェッター

(encore)
スクリャービン 左手の二つの小品Op.9-2より ノクターン 5′

Int

シューマン 交響曲第1番変ロ長調 春  12′6′6′9′

石川星太郎 指揮 神戸市室内合奏団


興味深いプログラムと魅惑的なピアニスト、そして気力充実の指揮者、全自由席、かぶりつきで拝聴、拝顔。

石川さんは気鋭の指揮者、昨年2016年サントリーのサマーフェス、サーリアホプログラムでピアノを弾き、アンサンブル・シュテルンを振った方。
2168- サマーフェスティヴァル2016、サーリアホ、2016.8.24 

シューマンのツヴィッカウという稀な曲からスタート、と思いきや、スタートする前にヴァイオリントラブルによるバトンタッチがあって、それに気をとられてしまって、きっちり開始したのだが序奏があったのかどうかよく覚えていない。再現部と思われる個所で序奏の様なさっき聴いたような節が出てきたので、たぶん、あったのだろう。
最初の2楽章のみであとは意思放棄だったのだろうか、でもこうやってあらためて生で聴かせてもらうとシューマンという実感。まぁ、春も近いと感ずる。
刻みと滑らかな動きがやや曇りがかった雰囲気で進行するけれども、明快に感じるのは鮮やかな石川バトンによるところが大きい。室内合奏団とはいえ、8型で管はブラスもつきますから、相応な規模。このあとのモーツァルトは6型、春は10型だったように見うけ、いずれにしてもデカい編成で、シューマンの力感がよく出ていましたね。
ツヴィッカウは20分ほどかかりましたので完成していれば4シンフォニーと同じレベル規模、充実の演奏でした。石川さんの棒というのは聴衆にうったえかけてくる力があって、それが説得力につながっていて、聴衆との共同作業のような雰囲気にさせてくれる、いい指揮だと思います。

次は真由子フェッターさんのモツコン17。お初で聴きます。長身スレンダー、まっすぐなロングヘア、赤のロングドレス、時が時ならばスーパーモデル。ホールの空気が変わります。魔力ですね。
最近、19番以前の作品をCDでよく聴いていて、このような機会は逃すことが出来ない。17番は15,16番のみなぎる力とはちょっと違う細やかな表現をフォルテピアノのタッチで、といったおもむき。クルンクルンと音が回っているよう、オルゴールみたいなところがある。真由子さんのプレイはメゾフォルテからピアニシモの範囲で繊細な動きがきれいに響いてくる。鍵盤に指が置かれないときは手の動きの表情が濃い。流れる音楽。モーツァルト堪能しました。それとアンコール、妖しく漂うスクリャービンの左手。真由子ワールドでした。

後半はシューマンに戻って1番。ツヴィッカウと同じ印象です。
刻みの歯切れがよくて、快活でダイナミック。ブラスの強奏が心地よい。快感の流れ。
2楽章ラルゲットは滑らかな温もり、リズミックな楽章との違いが印象的。蹴るような音符、大きく波を作っていく。石川さんの全体的な見通しの良さと精力的な棒が光ります。熱演でした。

この演奏団体は初めて聴く。弦の響きが美しい。チェロに力感が増すとさらに充実すると感じる。ウィンドはアンサンブルよりも個人力の具合。ブラスは結構大胆で安定している。いい演奏でした。また聴いてみたい。
ありがとうございました。
おわり


2289- 藤田真央 ピアノリサイタル、2017.3.10

2017-03-10 23:10:11 | リサイタル

2017年3月10日(金) 7:00pm パウゼ、カワイ表参道コンサートサロン

ハイドン アンダンテと変奏曲ヘ短調  9′

ベートーヴェン ピアノソナタ第23番ヘ短調 熱情  9′6+8′

Int

ムソルグスキー 展覧会の絵  33′

(encore)
シューマン アラベスク  7′
シューマン=リスト  献呈 3′
ショパン ポロネーズ第6番 英雄  6′

ピアノ、藤田真央


お初で聴きます。昨年2016年の浜松国際ピアノアカデミーコンクールのチャンピオン。1998年生まれですから二十歳前。
写真だけだとわかりませんが小顔で大柄。大谷翔平や羽生結弦といったあたりの雰囲気感じます。腕力ありそう。
実際のところかなり激烈な演奏です。熱情はベートーヴェンの一番ホットな面を魅せつけてくれました。神秘的な開始からの運命動機のたゆたう流れ。中間楽章の厚みのあるハーモニー。終楽章の力感、そして最後の過激なアチェルランド。
緩急自在でシャープなパースペクティヴがもろに効く。立体的で彫りが深い。変幻自在のダイナミズム。プレイ中のうなり声も聴こえてきます。このホールは彼にとっては小さすぎる。音の波が充満。ベートーヴェンのリアリティーここに極まれり。いい演奏でした。

展覧会も基本的に同一路線なんだが、激しさの中に滴る詩情が現れる。プロムナードで節目を作り、絵をのぞき込む。彼には絵が見えているのだろう。音楽の多彩な表情。
熱情は激烈だったが、このような標題系絵巻物での味わいも深い。音は揺れるが余裕の音揺れ。切れ味鋭くもハーモニーの濃さを実感できる圧倒的な演奏。展覧会オケ版を一昨日聴いたばかりだがあれよりも圧力ありましたわ。

1曲目のハイドン、さりげなくプレイを開始。エロイカの葬送と運命動機が混ざったようなフレーズが顔を出す。水際立った鮮やかな演奏。
アンコール3曲の大サービスまで全部満喫しました。ありがとうございました。
おわり

 


 


2288- ドヴォコン、上森、展覧会、山下、東響、2017.3.8

2017-03-08 23:17:03 | コンサート

2017年3月8日(水) 7:00pm 東京芸術劇場

メンデルスゾーン フィンガルの洞窟、序曲  10′

ドヴォルザーク チェロ協奏曲ロ短調  16′12+13′
 チェロ、上森祥平

(encore)
ブリテン 無伴奏チェロ組曲第1番Op.72より 無窮動  4′

Int

ムソルグスキー=ラヴェル  展覧会の絵  32′

(encore)
ラヴェル クープランの墓、リゴードン 3′

山下一史 指揮 東京交響楽団


上森さんのチェロは昨年2016年の東京春祭りの室内楽公演を聴いて、その後もしばらく印象的だったなぁと色々思うところがありました。今日はそれ以来ですから1年近くなりました。

やりつくされた曲ながら改めて凄さを感じさせてくれた演奏。
チェロの音はまるですきまがなくびっしりと埋め尽くされていて、黒光りするなめし皮のようなおもむきで、しなるサウンド。一様で均質な音の流れ、この安定感と輝き。スバラシイ。
室内楽やソロリサイタルのほうがやりやすいように見えますけれども、伴奏オケをしっかりと聴きこんでいて、状況に軽く対応できる余裕のようなものを感じます。
ソリストには酷なホールで美しさを十分に堪能するには聴衆サイドにとっても厳しいところがあります。ものともしない弾きにはうなるしかない。
中間楽章の深い沈み込みの歌、両端楽章の速いパッセージでの切れ味の鋭さ。お見事で聴き応えありました。
指揮はこの伴奏も後半プロも終始なにか重いものを背負ったような指揮振りで疲れた。目をつむって聴けばいいのかもしれないが、同じ。

ところで会場で配られたチラシを見ていたら、上森さんのリサイタルのがあったので早速ゲット。
究極の9曲、だって 笑。

バッハ6曲、ブリテン3曲、究極の9曲。
   












 

 


2287- ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京都市響、2017.3.5

2017-03-05 23:19:05 | オペラ

2017年3月5日(日) 2:00-4:50pm びわ湖ホール

びわ湖ホール プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ミヒャエル・ハンペ プロダクション
ラインの黄金

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1-1.ヴォークリンデ、小川里美(S)
1-2.ヴェルグンデ、森季子(Ms)
1-3.フロスヒルデ、中島郁子(Ms)
2.アルベリヒ、志村文彦(Bs)

3-1.フリッカ、谷口睦美(Ms)
3-2.ヴォータン、青山貴(Br)

4.フライア、森谷真理(S)
5-1.ファゾルト、片桐直樹(BsBr)
5-2.ファフナー、ジョン・ハオ(Bs)

6-1.フロー、福井敬(T)
6-2.ドンナー、黒田博(Br)

7.ローゲ、清水徹太郎(T)
8.ミーメ、高橋淳(T)
9.エルダ、池田香織(Ms)

沼尻竜典 指揮 京都市交響楽団

(duration)
序奏 5′
第1場 19′
第2場 46′ (場面転換から)
第3場 28′ (場面転換から)
第4場 46′ (場面転換から)
第4場ハンマー 10′


ラインの黄金、昨日に続き二日目です。
二日目のほうが初日に比べ、よりこなれているといった話はあまりないと思う。入念なリハを積んでいるように見えますし、キャストの妙はありますが、総じて同じ。違いがあるとすれば初日のほうが少し鋭角的でメリハリがあった。観る方の感覚も、初日夜の飲みで鮮度が薄まっているということもあるかもしれない。(これ実感。祇園5+浜大津1)

国内組の豪華キャスト。ドンナー黒田、フロー福井、これは贅沢キャスト。まぁ、色々あるのだろうが、こうゆう日があってもいい。
ドンナー黒田は2015年の初台のラインの黄金ではフロー役。ボクシングスタイルでしたね。6回上演全部黒田さんでした。
1999- ラインの黄金、千秋楽、新国立劇場、2015.10.17

あと、黒田さんと福井さんが一緒に歌った第九ありましたね。
2135- 第九、準・メルクル、国立音大、2016.6.12

フロー福井は声が飛びぬけていまして、役的にもったいないぐらいのものですけれども、点のような出番ではありますが、たまにはいいかも。
黒田さんはドンナーやったりフローやったり大変ですね。個人的には、影山役をやった鹿鳴館、あのシックな雰囲気が目に焼き付いてますね。
1650- 池辺晋一郎、鹿鳴館、飯森範親、東フィル、新国立劇場、2014.6.21

ヴォークリンデの小川さんは両日ともに出演。全部魅力的です。つい最近の蝶々夫人あれも最高でした。
2277- 蝶々夫人、笈田プロダクション、バルケ、読響、2017.2.18

自然体で秀逸なヴォータン青山、こうゆうのも出てました。
2241- ジェルジ・リゲティ没後10年、日本現代音楽協会、2016.12.11

ヴォータンの相手役、フリッカ谷口さん、最高でしたね。容姿、仕草、歌唱、全部余裕の出来、素敵でした。旦那を突き放しつつも彼以外はいない、そんな感じ、よくでてました。
フライヤは今日も素敵な方。昨日の砂川、今日の森谷、いうことなしです。巨人の気持ちもよくわかる。
フリッカ、フライヤともになめし皮のような声はよく出ていて美しいものでした。聴きごたえありましたね。

ミーメ高橋、エルダ池田、声の出具合も余裕。ほかの演目でなんども見ておりますし、コンスタントにレベル保ちつつ、抜群の安定感。みなさんにとってはいつものことかもしれないが安定の秀逸歌唱でした。

沼尻さんは第4場が昨日よりもだいぶスロー。こってり時間かけてやっていました。オケをぐいぐい引っ張っていくモーションが大きい割には音が出てこないもどかしさがあって、反応は殊更いいとはいえず、それは残念。レスポンスがいまいち。
大編成でもなくて、ある種、清涼感のようなものがずっとあってそれはそれで味わい深いものでした。

演出については昨日書いた通りです。カラフルでエンターテイメント風味。飽きさせないもの。飽きさせないというのはそれを観ている時の話です。

ワーグナーの演出は手を変え品を変え色々とやられてきて、劇が主役の昨今ではありますが、視覚は、飽きはこずとも同じものを観ていれば陳腐なものとなる。演出は古くなる。策を凝らして演出は常にリフレッシュしていかなければならない憂き目。
音楽は残り、演出は消える。
視覚は繰り返しの事象をそのまま積もらせていくものなのかもしれない。
おわり


 











 


2286- ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京都市響、2017.3.4

2017-03-04 23:08:11 | オペラ

2017年3月4日(土) 2:00-4:45pm びわ湖ホール

びわ湖ホール プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ミヒャエル・ハンペ プロダクション
ラインの黄金

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1-1.ヴォークリンデ、小川里美(S)
1-2.ヴェルグンデ、小野和歌子(Ms)
1-3.フロスヒルデ、梅津貴子(Ms)
2.アルベリヒ、カルステン・メーヴェス(Br)

3-1.フリッカ、小山由美(Ms)
3-2.ヴォータン、ロッド・ギルフリー(Br)

4.フライア、砂川涼子(S)
5-1.ファゾルト、デニス・ビシュニャ(Bs)
5-2.ファフナー、斉木健詞(Bs)

6-1.フロー、村上敏明(T)
6-2.ドンナー、ヴィタリ・ユシュマノフ(Br)

7.ローゲ、西村悟(T)
8.ミーメ、与儀巧(T)
9.エルダ、竹本節子(Ms)

沼尻竜典 指揮 京都市交響楽団

(duration)
序奏 5′
第1場 20′
第2場 45′ (場面転換から)
第3場 28′ (場面転換から)
第4場 42′ (場面転換から)
第4場ハンマー 10′


第4場、アルベリヒがヴォータンに指環をむしり取られる陰惨なシーン、序夜最悪のシーン。アルベリヒは指環に呪いをかけて去り、ローゲとヴォータンは一仕事終えたと短い会話。そして、ヴァイオリンが弱音で弧を描く序夜最高の美しさ、はっと息をのむ11小節。(Dover1985, p244Massig und sehr ruhig)、この二人の名状し難い心の綾が表現された瞬間。
なんでこんなことが可能なのか、あまりに違う音楽!、陰惨な美。
それに響きは、遠くない先にマーラーやブルックナーが出てくることになるだろう予感高ぶりの美しいライン。
色々と詰まったシーン。
普段聴くことのないオーケストラではありますが、清らかな美を感じた瞬間でもありました。

続いて、指環渡さないダダコネヴォータン。地割れしてエルダの出現はいわばスーパーヴァイザーコールのようなものだと思うが、ヴォータンがエルダ出現の前に指環を渡してしまうとカミタソの話は折れるしで、やっぱり、作曲家のストーリーテーリングすごいもんだと思う。そのなか、
エルダはノートゥングと思しき剣を持って現れ、警告を発し剣は持ったまま地に沈む。最後の入城シーン前、その地割れスポットから、さっきと同じと思われる剣がニョキと出てくる。それをヴォータンは鞘に納め神様たち虹を渡り入城エンド。
つまり、エルダが持っていた剣が、ヴォータンが引き抜いた剣かどうかは、本当のところわからない。演出の解釈に幅を持たせる行為と言えよう。

ということで、4場は一番長い場で内容も、音楽、演出、両者色々と腕の見せどころですね。止まらず流れる時間軸を支配する指揮者も秀逸でした。

照明を落とし幕が開き映像が映し出される中、いつの間にか指揮者がポーディアムに現れ、川底からホルンが極めて弱音の地鳴りの開始。映像メインの舞台だなとまず認識。
舞台は川底から川面を見上げるような映像模様。乙女たちが泳ぎながら歌っている。ハンペの演出の弁、第1センテンスの自己問答を序奏のあとすぐに自ら答えを見せつけるという話ですね。この映像乙女たちが川底のアルベリヒとやりあうときは実物歌い手となり舞台に現れる。映像とリアルのシームレスなつながり。あざやかにシンクロしていました。
映像はだいたいこんな感じで最後まで続く。この1場の川底、2場のお城、3場のニーベルハイム、竜(竜です)、4場のお城、そして虹の橋を入城。奥行きがあまりない舞台に立体的な映像を駆使。なかなか迫力あります。カラフルな色合いは映像だとさらに明瞭になる。原色モードの色彩感。ダイナミックな音が欲しいところですが、オケは総じて音が薄く、蹴り上げていくような勢いが今ひとつ。十分な力感とはいいがたい。
ポジションは、歌がしもてサイドに寄る場面が多々ある。虹はかみて側過ぎる。
キャラクターの出し入れはオーソドックスなもので、歌う順番に出てくる。14キャラクターは分かりやすい設定と動き。
第1場の乙女たちは視覚映像と実物がうまく一致。ヴォークリンデ小川さんをはじめとしてみなさん見栄えしますしね。歌は芯がありソロよく、アンサンブルバランスも聴き応えあり。
アルベリヒのキャラはきっちりときまりました。メーヴェスの動きはきっちりと役にまっていましたね。ニーベルヒムではアルベリヒ、ローゲ、ヴォータンと、キャラが濃い連中のやり取りとなるだけに、この1場でアルベリヒのキャラ決め、まずは第1ポイント。

といった具合でエンターテイメント風味の演出、わかりやすくて飽きのこない舞台が続いていきます。

2場は神様たちの場、ヴォータンはじめみなさん人間くさい言いぐさが満載の神様たち。中で、フリッカのウィーと押すような歌い口はあまり好みではありません。
巨人2人。映像ではなく実物で一番ぶっ飛びそうなリアル感。2人で1人。足と上半身、2人で1人分。4人で巨人2人。衣装、化粧、動き、表情、大変そう。C-3PO風味の動きが面白い、というかこれだけ大掛かりだと自然にあの動きになってしまいますよね。彼らとフライアのやりとりは自然。他の神様たちが巨人を見上げる様子もおしなべてナチュラル。エンタメモードになってきているので客側は奇抜さを楽しみに変えて観てる感じ。
そこにローゲが登場。場がますますゴチャゴチャと立て込んでくる。14キャラ中8キャラがそろい踏み。
ローゲの西村さんは演奏会でも時折聴く機会があります。今日は爆発ヘアの体当たりの演技と歌。少し柔らかみのあるテノール。策士ローゲ、この暗い劇に妙な明るさをもたらした。今日一番の頑張り。拍手喝采。出し惜しみすることによって価値を高める情報を一つずつ紐解いてみせる策士のうまさをよく表現できていたと思います。

3場、ミーメ与儀。地の底の一番下層に生きる相応な存在感、ありました。メイン3人のやりとり、ヴォータンは傍観せざるをえない状況。策士ローゲとアルベリヒのやり取り。頭巾と舞台スポットの上下移動、滑らかな移動で魅せてくれる。そして映像竜、まぁここが一番の映像効果だったかと思います。演出の方針がよく出ていました。ここと大詰め4場の虹のシーンと双璧でした。

4場のことは最初に書いた通り。
エルダは役どころとしてはおいしい場をサクッと5分ほどの出番で持っていってしまう。次の劇につなぐ重要な役どころではあります。場の中断、エルダ竹本渾身の歌唱。次にエルダの話が出てくるのは来年、ワルキューレの第2幕、ヴォータンの長い語りまで待つことになりますね。
ドンナーのハンマーでうっとおしい空気払い。雄大な3拍子(8分の9拍子)は徐々にカタルシス的気分をもたらして、乙女たちがラインゴールドと、ハーモニーがエコーする中、次のワルキューレの激しい3拍子への変化を感じさせつつフィニッシュ。

オーケストラともども頭から飛ばしてほしい気もしますが、手探り感は無くて、十分なリハを積んだ準備万端で臨んだラインの黄金だったように思います。
満喫しました。ありがとうございました。

カーテンコールにはハンペ他、みなさんも一緒で。
おわり