河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

0009- マーラー MET

2006-07-03 00:26:05 | 音楽夜話MET
 ハンフリー・バートンの本「バーンスタインの生涯」を読んでみると、途中「カラヤンって誰?」といった感じの箇所がある。ヨーロッパを向いているクラシック好きからは途方もなく馬鹿にされる瞬間であろうと思うが、この本を熱中して読んでいる間は何の違和感も無く、すっと理解できる。その後、バーンスタインはヨーロッパにフレッシュな殴り込みをしたわけだが、その情熱的で博学な人物に、と同時に、素人っぽい指揮姿、単刀直入な感情表出などがひどく新鮮にみえてヨーロッパでうまくいったのではないかと思っている。
ところでさかのぼって、同じ作曲家兼指揮者のマーラーはどんな気持ちでアメリカまで棒を振りに来たのだろうか。MET、ニューヨーク・フィルを曲がりなりにもひと時とはいえ手中におさめたわけだから。

マーラーはMETで3シーズン過ごすことになった。1907年暮れニューヨークへ旅立った。人生の終末も近い。しかし、そんなことを現実として受け止めることは出来ない。先に進むしか道は無い。
彼のMETにおける初日は1908年1月1日(水)、新演出によるトリスタンとイゾルデ。その前後の模様はどうだったの?

「月曜日、コンリッド氏はマーラーをメトロポリタン・オーケストラに紹介した。2,3の挨拶の言葉の後、彼はトリスタンのリハーサルのために指揮棒を取った。彼はもっともらしく次のように宣言し、先に進むことをしなかった。『劇場においては他の全てのリハーサルはやめなければならない。』他の部屋でリハーサルを行っていた合唱はそこで直ちにやめさせられた。」(ミュージカルアメリカ1907年12月28日)。
いの一番のイゾルデを歌うのはどこにあってもOlive Fremstadであった。彼女はさきの夏、ウィーンでマーラーからその役のコーチを受けていた。Burgstallerはマーラーから指名されていたが、ホーボーケンで軽装2輪馬車から投げ出されたとき肩に怪我をしたため、トリスタンはHeinrich Knoteに替わった。
 1908年1月1日マーラーのデビューは、コンリッド氏最後の大当たりの興行であった。そのガラの聴衆には、2人のニューヨークのイゾルデたち、すなわちブルーの目鮮やかなLillian Nordica、黒い瞳のJohanna Gadskiがいた。「メトロポリタンの新しい音楽監督が初めてオーケストラピットに現れたとき、一階席前方の半分の人たちは彼を見ようと立ち上がった。そして全ての観客席から万雷の拍手が起こった。彼は威厳をもってお辞儀をし、そして椅子に座った。」(プレス紙)
一幕ごとに熱烈な拍手があり、カーテンコールでは見事な月桂冠の花輪があった。
 全ての新聞は、歌手に対しオーケストラバランスに精通しているマーラーの思慮に打たれた。Sun紙におけるW.J.Hendersonのトリスタンとイゾルデの評はニューヨークの評論家たちの反応を集約している。「冒頭の前奏曲から、イゾルデが唇にカップを持っていくまでトランペットもトロンボーンも全開のフォルテは聴かれない。それは破局の崩壊とともにやってくる。 彼は、ワーグナーが自分のアイデアを網目のように張り巡らした虹のような音の網を、最も頑丈で最も素晴らしいつむいだ織物の手触りのように表現した。なによりもまず、雄弁で多種多様なワーグナーの管弦楽法が、各ソロフレーズを明確に引き出すシンプルなプロセスによって表現されていた。一方、ハーモニックとコントラプンタルな背景は決して無視されることはなかった。」

 しかし、Hendersonやその他多数の人たちはここに新しいものは何もないと指摘した。また、アントン・ザイドルがかつて言ったように「この土地に強力な歌手がいた頃の古き勇猛な日々においてこれら全てのことをしたものだ。」と指摘した。声と楽器のバランス支配はあるけれども、マーラーはひとつの重大な誤算をしてしまったように思える。プレス紙は彼のカットを批判した多数の新聞のうちのひとつであった。「マーラーはワーグナーのスコアを切断している。」と読める見出しの下には次のように書かれていた。
「メトロポリタンオペラハウスで昨晩演奏された[ブランゲーネとマルケ王の音楽が失われた]トリスタンとイゾルデの最終幕を聴いた人たちは次のように不思議がった。マーラーは外国ということで、省略形でワーグナーのスコアをあえて表現したのだろうか、また、ニューヨークという‘音楽的野蛮人’相手にこの切り取りをしたのだろうか、と不思議に思った。
マーラーは偉大な指揮者で偉大な音楽家である。しかし、彼がアメリカのオペラ通に敬意を保ちたいと望むなら、彼らを聡明な音楽愛好家として扱わなければならない。彼らのワーグナーオペラの経験は今日始まったものではないのである。マーラーがそうするのが良いとして省いたトリスタンとイゾルデの重要な部分を早く元に戻さない限り、オペラ通は期待すべき権利を奪い取られていると感じるであろう。」(プレス1908年1月10日)

演奏は7:45p.m.に始まり3つの幕と2つの長いインターミッションのあと11:30p.m.に終わった。(1930年代にアルトゥール・ボダンスキによって大量にカットされた演奏がこの長さと同じであった。)


といった具合。METでは思いっきりカットをしたようだ。2回の休憩を含め3時間45分だから、かなりのカットと超高速の予測。このカットにアメリカ人は馬鹿にされたと感じたようだ。オールド・メトでこの日までに20年以上の歴史を作ってきたわけだし。
オールド・メトの最初の公演は1883年10月22日グノーのファウスト。
ファウスト-Campanini 指揮-Vianesi 

1908年1月1日トリスタンとイゾルデ(新演出)
指揮グスタフ・マーラー
トリスタン:Heinrich Knote
イゾルデ:Olive Fremstad
クルヴェナール:Anton Van Rooy
ブランゲーネ:Louise Homer
マルケ王:Robert Blass
メロー:Adolph Muhlmann

結局マーラーは3シーズン(1908-1-1~1910-3-21)をMETですごし、55回バトンを持ち8つの出し物を振った。トリスタンは12回。ワルキューレ5回。ジークフリート5回。フィガロ8回。ドンジョヴァンニ6回。フィデリオ4回。など。

(New York Philharmonic Mahler Broadcast, Annals of Metropolitan Opera河童訳)