河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

836- いまだ首席スタンリー・ドラッカー 定期でコンチェルトを吹く nyp

2009-05-30 18:30:42 | 音楽

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ニューヨーク・フィルハーモニックの2008-2009シーズンも大詰め。マゼールの勇退の時期が近づいてきました。

でも、その前に、クラリネット首席のスタンリー・ドラッカーがソロを吹くようです。お得意のコープランドです。3回公演が全部ソールドアウト。

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2009

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エイヴリー・フィッシャー・ホール

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バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4

ハイドン/トランペット協奏曲

 トランペット、フィリップ・スミス

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コープランド/クラリネット協奏曲

 クラリネット、スタンリー・ドラッカー

ラヴェル/ボレロ

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ローリン・マゼール指揮

ニューヨーク・フィルハーモニックnyp

スタンリー・ドラッカーがnypにはいったのは19才のとき。このとき既に三つの団体を経験していたわけだが、今ならこの年齢驚きもしないかもしれない。

でも19才のときっていつ?

それは1948年。

昭和だと23年。

戦争終わって3年。。

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1948年にnypに入団し、いまだ現役、そしてプリンシパル。

入団61年。お歳は?推して知るべし。。推すまでもないか。

前回の来日の際は、追っかけ、サインねだりを懸念したのか、楽屋から雲隠れ、となってしまったが。さぞかし、その走る姿も颯爽としていた。(ことだろう)

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以前、シカゴ交響楽団のアドルフ・ハーセスも8283才の頃、オケ団員として来日したことがあったが、まぁ、たまに吹くだけだったね。

あと、前々回の来日の時と記憶するが、ドレスデン・シュターツカペレのペーター・ダムもなんだか、たまに朝顔を上げたり下げたりするだけで、あれ本当に吹いていたのかな。あの時はまだ60代だったはず。

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それに比べれば、ドラッカーは、バンバン頑張っている。演奏の方は聴いてみないとわからないが、ソールドアウトになっているようなので河童のお皿の念力で潜入するしかない。

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このプログラムでは、フィリップ・スミスのトランペットも聴ける。

フィリップがnypにはいったのは1978年なのでこれまた結構長い。この前年の1977年、シカゴ交響楽団が初めて来日した時、彼はこのオケであのマーラーの第5番のトランペットを吹いていた。(もちろんトップではない。あの頃はハーセスの全盛期だろうね。)

今回のハイドンは、昔聴いた。ここ

スタンリー・ドラッカーのことは以前何度か書いてますが、これなんかどうですか。

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835- 華金がやってきました。

2009-05-29 00:10:00 | 銀座にて

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早いもので5月も終わり。来週から6月ですね。5月最後の華金、ぱっといきたいものです。

ところで先週の華金ですが、くろそんで食事を楽しみました。

人気店らしくいままで予約もままなりませんでしたが、この日はいきあたりばっちりで、カウンターではなく畳ルームでしたが、6人席に二人であっという間の2時間半ぐらいでした。

酒盗ありますか」という変なオーダーから始まったのですが、そのおかわりは言うに及ばず、お刺身、煮、焼、などお魚食いつくしました。食べ終わった後、なんだかお互いフィッシュになった気分。顔も(笑)。。

それに、何故か徳利にこだわりのある相棒と、2合特盛りマック並、をこれまたおかわり。で、ほぼ1升の半分。普段ウィスキーしか飲まない河童も皿ずれ(笑)をおこしました。

最後に握ってもらったのですが、タップ状態で、おなかに押し込んだ感じ。。

二人で2万4千円でした。かなり満足。。

このお店は、数寄屋通りのずいぶんと新橋寄りにあるのですが、待ち合わせは銀座方面にしたいですね。ソニービル裏とか、4丁目の山野楽器とかで待ち合わせをし、そこからツラツラと、あれ食べようこれ食べよう、みたいな会話をはずませ、小10分歩きながら向かいたいものです。

数寄屋通りは魅力的なお店だらけですか、魚になった後は、うがいが必要です。グラッパもいいが、濃いウィスキーもいい。それに〆でポールさんジローさんを唇にあてがえば、このよもヘヴン。。

クロソンと同じ地階にあるメトロ、それに近くにあるopen until closeなみのレサシエルなんかいいですよね。河童のずれた皿を矯正するにはいいお店ですが、行き過ぎると、ずれた皿がはずれたりして。(笑)

こんもり系が好きな夜更け派向けかな。

コンサート、オペラのあと、果てしもなく音楽談義をしたい向きにはちょうどいい店です。

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834- アラン・ギルバート 新音楽監督 ニューヨーク・フィルハーモニック

2009-05-28 00:10:00 | 音楽

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また、今年もニューヨーク・フィルハーモニックから案内が届きました。次シーズンのサブスクリプション・コンサートの案内です。今ではネットでそれらしきものは簡単に手にはいるのですが、こうやって郵便で届く‘紙’は格別。

次のシーズンは2009-2010シーズンとなるわけですが、音楽監督はロリン・マゼールからぐっと若返りアラン・ギルバートとなります。ジャパニーズ・ハーフですから、なんとなく親近感もぐっと増します。

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オープニングは2009917()で、

マーラー/交響曲第3

メゾはペトラ・ラング、

棒はもちろんシェフ。

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そこから約9カ月半の定期公演が続きます。最終公演は、

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リンドバーグの新作とベートーヴェンのミサ・ソレムニス。棒はもちろんシェフ。

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このシーズン、聴きものは山のようにありますが、別の日に紹介しますね。

アイヴスの交響曲第2

リゲティのLe Grand Macabre

など注目ですね。リゲティはセミ・ステージ形式。このオーケストラにしてはめずらしいところではあります。ギルバートの意欲的なプログラムにひきずられたのかも。

おわり

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833- ついに、1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラ書き終えました。

2009-05-27 00:10:00 | 音楽

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だらだらと書いてきた1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラですが、ようやく書き終えました。

よろしかったら全部見てくださいませ。

個人的には、このシーズン最後は1984825日の演奏会で締めくくり。

ちょうど1カ月後の925日は、1984-1985シーズンの開幕、ニューヨーク・フィルハーモニック・オープニング・ナイトですが、そのシーズンのことはまた少し経ってから書きます。

とりあえず今度は1977年に飛ぼうかと思っております。それでは。

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832- マーサリス&MTT 1984.8.25 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-26 00:10:00 | 音楽

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今日は1984MMF最後のコンサートから。

締めにふさわしい演奏だった。そのときの模様。

 

1984825()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

 

モーツァルト/音楽の冗談K.522

 

モーツァルト/ピアノ協奏曲第9K.271

 メナヘム・プレスラー、ピアノ

 

フンメル/トランペット協奏曲

 ウィントン・マーサリス、トランペット

 

モーツァルト/交響曲第35番ハフナーK.385

 

マイケル・ティルソン・トーマス指揮

モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ

 

今日は今年のモーストリー・モーツァルト・フェスティヴァルの最終公演であった。最後にふさわしく曲目、演奏ともに充実したものだった。

マーサリスの恐ろしい程までの技巧もさることながら、ジャズ畑の演奏家であろうがなんであろうが、とにかく実力さえあれば分野は関係なく受け入れてしまうアメリカの気質はたいしたものだと思う。彼は二十歳だそうだ。

フンメルの協奏曲の第3楽章はほとんど信じがたい超絶技巧で飛ばしまくった。平然と吹く姿は信じがたい。

拍子をとる姿は全くジャズ的な雰囲気なのだが、いったん演奏し始めると完璧なフレーズと音程それにアインザッツをもってして鳴らすのである。音色は甘くまるでコルネットのようであり、また一様性が保たれているので安定感がある。彼は二十歳にしてすでに何か決定的なものを身につけてしまったのだろうか。

彼に音楽の内面性などというものを求めてはいけない。彼は体が感じたことをそのまま素直に音楽に表現しているだけなのだ。音楽のフィーリングが昇華された姿がここにあると思った方がよい。アメリカの聴衆からひさびさの絶叫が聞かれた。

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最後にマイケル・ティルソン・トーマスがモーツァルトのハフナーを振った。非常に重量感のある棒で、やはり今まで私なりに彼に抱いていたイメージは捨てなければならない。

どうもレコードでは室内オーケストラを振ったものが多く、イメージがそっちの方に偏りがちであったが、やはりここでもレコードによる弊害みたいなものがでてきてしまって、そのような印象は早く忘れなければならない。

彼の演奏は重量感があるといっても決して重苦しいものではなくむしろ軽い感じ、軽快な演奏ではある。オーケストラの各楽器毎のアンサンブルを克明に切り刻むので音楽の輪郭がはっきり表れてくるためにそのような印象を与えるのかもしれない。

しかし、オーケストラ全体としてみると音自体がよく鳴りきっているので気持ちがよく、自由奔放さも決して失われることはない。

とにかく彼の指揮姿は39才の今でも若々しく初々しい。音楽が広がるときは右へ左へ向きまた天井にとどかんばかりになり、音楽が静けさを要求するときは指揮台の上で膝をついているのではないかと思うばかり折れ曲がる。その姿に煩わしさ、わざとらしさはなくよくみると彼の作り出す音楽そっくりなのです。彼がニューヨーク・フィルハーモニックの常任になれば新風を巻き起こすかもしれない。マンハッタンに新風を!

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なんやかやとこの音楽祭についてケチをつけたことがあったが、とにかく無いよりはましで、ましていつもこの最後の演奏会のように充実していればいうことはない。

翌日のニューヨーク・タイムズにクラッチフィールドさんの評が載った。マーサリスの演奏がセンセーショナルまでに書かれている。

フンメルの曲は通常Eフラットだが、超困難なオリジナルのEで吹かれた。

二十歳のマーサリスはエイヴリー・フィッシャー・ホールを黙らせることはせず、プログラム・エンドではないのに激しいスタンディング・オヴェイションの渦となった。思い出すに足るコンサートだ。
おわり
 

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831- マイケル・ティルソン・トーマス 1984.8.22 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-24 12:37:13 | 音楽

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1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら

今日もMMFのコンサートより。

MMTの登場。

豪華な出演者だったが、MTTのことしか覚えていない。

プレ・コンサート・リサイタル

1984822()7:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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モーツァルト/羊飼いセリメネによる12の変奏曲K.359

ホフマイスター/フルート・ソナタOP.13

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ジャン・ピエール・ランパル、フルート

ジョン・スティール・リッター、ピアノ

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メイン

1984822()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

.

ハイドン/交響曲第81

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モーツァルト/フルートとハープのための協奏曲K.299

 ジャン・ピエール・ランパル、フルート

 ナンシー・アレン、ハープ

.

モーツァルト/みじめな私、ここはどこK.369

 パメラ・コバーン、ソプラノ

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モーツァルト/恐れないで、恋人よK.490

    どうしてあなたを忘れられよう・・

恐れることはないは、いとしい人K.505

 パメラ・コバーン、ソプラノ

 ニール・ゴレン、ピアノ

.

ベートーヴェン/交響曲第8

.

マイケル・ティルソン・トーマス指揮

モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ

39才とは思えない若さと、アメリカ人とは思えない気品を備えているマイケル・ティルソン・トーマスの登場。

聴きものは、聴く前からベートーヴェンの交響曲第8番以外にないのはわかっていたことだが、レコードでみせた室内管弦楽団を振っての軽快な演奏とはまた一味違った力強さがあった。MTTの棒は非常に分かりやすくこれ以上的確な拍子の取り方があるのだろうかと思うほど。

編成にもよるのかもしれないが、彼はオーケストラ自体の重量感よりも各々の楽器の旋律をかなり際立たせて演奏させていると思う。それにオーケストラの位置もいわゆる昔風の対向配置であり、特に弦についてそれぞれの旋律がよく分離して聴こえてくる。時たま見せるユーモラスな表情が聴衆に幸せな笑いをもたらしてくれる。やることが様になっていてアメリカ人にはわかりやすいと思う。ただし、私自身の感想を言えば彼の作り出す音楽というのはヨーロッパの雰囲気をもっていると思う。彼の親そしてその前までもいわゆるアメリカのシアターにどっぷりつかった人たちであり、アメリカ音楽には子供のころから全くなじんでいたと思う。それがアメリカチックな音楽を作らないということは、彼はそれだけ真剣に音楽を考えているということであろう(!?)

ひたむきさと軽やかさが奇妙にバランスしている。

.

ランパルは昔聴いたN響とのハチャトリアンの協奏曲が忘れられない。

コバーンはデビューして数年のころ。

おわり

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830- イドメネオ シュワルツ1984.8.18 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-21 00:10:00 | 音楽

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1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
同シーズンのMMFから、今日はコンサートスタイルのオペラ。
当時の拙い感想もまじえて。

1984年8月18日(土)8:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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モーツァルト/イドメネオ
(ロザール・ウォーラースタインとリヒャルト・シュトラウスによる完全改訂版)
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イドメネオ/ジェリー・ハドレイ
      マローリー・ウォーカー
イダマンテ/デロア・ツィーグラー
イリア/カレン・ハント
アルバーチェ/マシュー・ロー
大司教イズメーネ/アレッサンドラ・マルク
神託の声/ジョン・マッカーディ
.
ジェラルド・シュワルツ指揮
モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ
ニューヨーク・コラール・アーティスツ
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これは結構かなり聴きごたえがあった。二つの短い休憩をはさんで約3時間弱。普通のオペラとかわるところはない。
編曲されているわけだが、オペラのあの曲間にはいる拍手をするマがなくて、自分にとってはこのように連続して演奏された方が聴きやすい。
オペラはそんなに昔から聴いているわけではないが、1983-1984シーズンは比較的METにも通ってなんとなく聴き方のツボがわかってきたような気がする。
とにかくオペラは深刻劇であっても心をリラックスして聴くことが必要。そこで今日は心を落ち着けて聴いたわけだが、そうするとどうでしょう。あの合唱の実に気持ちの良いこと。合唱はかなり統率がとれていて抑制の美もあった。
反して独唱群は良くなかった。良くなかったといっても別にピッチがくるっているわけではない。とにかくなにがどのように影響しているのかわからないがめちゃくちゃ声をただ張り上げるだけ。モーツァルトにあのようなfffffffffffは全く必要ない。いやそれどころか一体世の中の音楽にfffffffffffの必要な音楽などというものがあるのだろうかと問いたい。
あれは連鎖反応みたいなもので、一人が頑張りはじめるとみんなそれに負けたくないからしまいにはffffffffffとなってしまうのです。オペラだけど僕にはオーケストラだけで十分です。That’s enough.
シュワルツはどのような音楽を作る指揮者なのかよくわからないが、それなりにダイナミックではあった。ただ、ときたま音楽の流れがギクシャクするところがありフレーズのつなぎがうまくいかなくなる。これは編曲された曲のせいかもしれない。
おわり

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829- クリーヴランドSQ1984.8.14 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-19 00:10:00 | 音楽

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1983-1984シーズン、聴いたコンサート観たオペラの一覧はこちら

同じシーズンのMMFから今日はこれ。

プレ・コンサート・リサイタル

1984814()7:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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ハイドン/弦楽四重奏曲Op.74NO.2

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クリーヴランド弦楽四重奏団

 ドナルド・ワイラースタイン、ヴァイオリン

 ピーター・ザラフ、ヴァイオリン

 アタール・アラド、ヴィオラ

 ポール・カッツ、チェロ

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メイン

1984814()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第6

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モーツァルト/ピアノ四重奏曲第2K.493

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モーツァルト/弦楽五重奏曲K.593

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クリーヴランド弦楽四重奏団

 ドナルド・ワイラースタイン、ヴァイオリン

 ピーター・ザラフ、ヴァイオリン

 アタール・アラド、ヴィオラ

 ポール・カッツ、チェロ

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アシスタント・ゲスト

 エマニュエル・アックス、ピアノ

 ワルター・トランプラー、ヴィオラ

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不確かでよくわからないが、おそらく初めて聴くクリーヴランドSQのはず。

2ヴァイオリンの調子が悪かったのかどうか、あまり良くなかった。ベートーヴェンのここらへんのあたりの番号のものは演奏が難しいと思う。技術的なことではなく曲をどうとらえるかといった精神的姿勢の問題である。不安定さはどうしても否めない。この演奏会においては少なくとも最後にやるべきであった。

2ヴァイオリンの抜けた次の曲のモーツァルトのピアノ四重奏曲はかなり自由な雰囲気が醸し出されはじめ楽しかった。アックスは一見気ままに見えて実は気ままであるといった内容の演奏がモーツァルトのこの明るさにマッチしていると思う。このような方向に音楽をもっていくのも音楽であると思う。私には少しわかるような気がする。たしかにヨー・ヨー・マだと若き大器になりすぎてしまった。

最後のモーツァルトの五重奏曲ではみんなが調子が出てきたと見え、かなりビシッと整った演奏になっていた。クリーヴランドSQはモーツァルト、ベートーヴェンといったものよりも、より現代ものに近い曲目を聴いてみたい。彼らのていねいさはどちらかというと現代ものの方にむいているような気がする。

おわり

翌々日のニューヨーク・タイムズにクラッチフィールドの評が載った。

総じて良くない。

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828- セルジュ・コミッショナー1984.8.11 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-17 16:15:54 | 音楽

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1983-1984シーズン、聴いたコンサート観たオペラの一覧はこちら

同じシーズンのMMFから今日はこれ。

プレ・コンサート・リサイタル

1984811()7:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタK.403

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モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタK.377

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エマニュエル・アックス、ピアノ

チョウ・リャン・リン、ヴァイオリン

メイン

1984811()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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ARRIAGA/オペラ「The Happy Slaves」序曲

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モーツァルト/ピアノ協奏曲第22K.482

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モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第2K.211

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シューベルト/交響曲第5D.485

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エマニュエル・アックス、ピアノ

チョウ・リャン・リン、ヴァイオリン

.

セルジュ・コミッショーナ指揮

モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ

はっきり言って悪い指揮者ではないのだが、この前の二人つまりホグウッド、ウィルコックスと比べると明らかに伸び悩みというか、どちらの方向を指向しているのかあまり明確でない。オーケストラから引き出す何かが限られているような演奏である。シューベルトの交響曲第5番を古典というよりも、よりベートーヴェン的な表現にしようと努力していたように見受けられるが、それよりもかえってアリアーガの若々しくさわやかな表現のほうがよりあっているように思える。

なにはともあれ聴きものはアックスのピアノとリンのヴァイオリンにあったわけで、夏のチケットは安いし、これだけのものを聴ければ文句はない。

アックスはさりげないがよく聴くときめ細やかであるといった演奏ではなく、さりげなくよく聴いてもあっさりしている。これは現代若人の特色なのかもしれなく、何も悪いことではなく、逆に共感を得る演奏になっているようだ。

現代若者の演奏はこのようにまるで基盤のないようなところから自分独自の道を開いていく。それが本人に意識されていようといまいと。

一番成功した例はヨー・ヨー・マだと思うが、本人の経歴などとは無関係に彼らの演奏には基盤に無関係なさわやかさがある。ときには大胆に、時には凡人の共感を得るような気弱さで音楽を進めていく。音楽のあるべき姿などというものは私にはわからないが、少なくともこのような演奏に対して私が否定的になる要素はまるでない。

リンの演奏についてもアックスと同じようなことが言えるが、ちょっと思うのだが、別に熱演しようとしているわけではなさそうなので、それならば彼はほかの手段で私たちにうったえかけるものがあるということを示そうとしているのだろう、そんなつもりでこちららも聴いている。

おわり

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827- ウィルコックスのモツレク モーンダー版 1984.8.4 第18回モーストリー・モーツァル

2009-05-13 23:00:00 | 音楽

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1983-1984シーズン、聴いたコンサート観たオペラはこちら

今日はMMFのだいたい半分あたり。

プレ・コンサート・リサイタル

198484()7:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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モーツァルト/弦とオルガンのための教会ソナタ、7

K.244K.212K.67K.224K.328K.274K.336

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ユーヴァル・ヴァルドマン、ヴァイオリン

キャロル・ジーヴァン、ヴァイオリン

エリック・バートレット、チェロ

エドワード・ブリューワー、ハープシコード

メイン

198484()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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ハイドン/戦争ミサ

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モーツァルト/レクイエム、K.626

 (ケンブリッジ、教会大学の

Richard Maunder博士の編曲による)

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アーリン・オージェ、ソプラノ

フローレンス・クイヴァー、メゾ

ジョン・アラー、テノール

ジョン・チーク、バス

ウェストミンスター合唱

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サー・デイヴィット・ウィルコックス 指揮

モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ

.

ニューヨーク・フィルハーモニックの定期公演なみのソリスト、合唱、指揮者がならんだ。かなり壮観だったが演奏のほうはどうだったのか。

こんな感じ。

この前はめちゃくちゃなことを書いたが、あれは必ずしもこの音楽祭の中身について言ったわけではなく、アメリカの音楽事情、つまりアメリカ夏季音楽祭事情について書いたのであった。この音楽祭も必ずしも充全とは言えないがないよりはましだ。それにこのところホグウッドそして今回のウィルコックスとかなり充実した演奏を聴かせてくれた。

今回のウィルコックスはかろうじてOVATIONという雑誌から事前に情報を少し得ていた程度で、それがなかったら知らなかった。しかし、ひと目見て指揮は的確に的を射ていた。これは長年の経験でよくわかる。FIXしていた。

曲は大曲2曲といった雰囲気で、この軽薄な音楽祭にはふさわしくないといったらおこられてしまう。

ハイドンのミサは生では初めて聴くが、演奏のせいもあるのかどうかわからないが非常に激しく劇的であり、モーツァルトの後のように響く。そして時にはっとするほどロマンティックな方向に傾く時があり、とにかく非常に変化にとんだ弾力的な曲、演奏であったように思う。

ウェストミンスター合唱団は非常に充実しており、合唱の声々の間に隙間がない。全くていねい、つまるところ、合唱指揮のプロフェッショナルであるウィルコックスによるところが大きい。

小編成のオーケストラと充実した大合唱団がほとんど完璧にバランスがとれていて、というよりもオーケストラはただ合唱の伴奏でありさえすればよい。いい加減な演奏でよいはずはないことはもちろんであるが。

合唱が休息するときオーケストラがしみ込んでくるといった雰囲気で実に充実した演奏会であった。

モーツァルトはリチャード・モーンダー博士の編集による演奏であった。従って従来とは異なっていたわけであるが、あまり関心がない。なぜ、モーツァルトに夢中になれないのだろうか。もし夢中であったなら今日の演奏は貴重な経験になっていたことだろう。

そもそもいつもの版の演奏さえろくに知らないのであるからして、比べようがあまりない。

演奏自体はハイドンと同じように充実しており、特に合唱は特筆に値する素晴らしく隙間風の吹かない良い演奏であった。

おわり

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826- クリストファー・ホグウッド1984.7.28 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-11 23:00:00 | 1984MMT






●プレ・コンサート・リサイタル
1984年7月28日(土) 7:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

テレマン/リコーダー、ヴァイオリン、バスのための三重奏曲

J.C.バッハ/フルート、ヴィオリン、ハープシコードのためのソナタ

ミカラ・ペトリ、リコーダー
カトリーネ・フィンク、フルート
デイヴィス・ブルックス、ヴァイオリン
エリック・バートレット、チェロ
エドワード・ブリューワー、ハープシコード


●メインコンサート
1984年7月28日(土) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

モーツァルト/交響曲第26番K.184

モーツァルト/ホルン協奏曲第0番K.370B/K.371

テレマン/ホルン協奏曲

テレマン/アルト・リコーダー協奏曲

ヴィヴァルディ/ソプラニーノ・リコーダー協奏曲 Op.10、NO.6、R.437

ハイドン/交響曲第82番 熊

バリー・タックウェル、ホルン
ミカラ・ペトリ、リコーダー

クリストファー・ホグウッド 指揮
モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル・オーケストラ


以下例によって聴いた感想です。
さて、ホグウッドの登場です。近頃うわさの。
これがこの前のオーケストラと同じかと思うほどのみちがえりようで、本当、マータとは段違い。というよりも志向する音楽の違いによる才覚がてきめんにでている。
ホグウッドは古典音楽のみやっているようにみえるが実は自分で本当に納得した音楽のみを演奏しているのではないか。指揮姿は大げさな身ぶりはなく好ましく、作り出す音楽も誠実で一見何の変哲もないようにみえるが、よく聴くと微妙なニュアンスを事細かに与えているように思える。短期間でこれだけ成果をあたえることができるというのは、やはり指揮者の才覚によるところが大きいと思う。
現にこのコンサートの聴きどころは協奏曲ではなくてモーツァルトの交響曲第26番とハイドンの交響曲第82番にあった。
本当に少しでも横を向いていたら気にも留めないようなところまで細かに作り上げた音楽が通り過ぎていく。もちろん全体のテンポも奇異なところはなく、必然的妥当性をもって解決にあたっていた。いくらオーケストラとはいえ、やりなれていない曲にはなにか不安定が付きまとうものなのだが、指揮者が自信を持って団員を安心させてしまうので、このような場合には変な不安定感が消える。
なによりもこれだけがさつなオーケストラからあれだけみずみずしさをひきだしたということはやはり並の指揮者ではない。
タックウェルはまたしても何事もないように吹きまくり、私の羨望のまなざしを浴びた。

といった変な文章だったのですが、指揮者が変わればオケの音も豹変する。完全に引き締まった、整ったアンサンブル。指揮者が曲を把握しておりどこをどのようにすればこのようなアンサンブルを導き出せるか、そのツボを心得ているのだろう。
おわり

825- ペトリ、タックウェル 1984.7.26 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-10 12:55:42 | 1984MMT

  






1984年7月26日(木) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

モーツァルト/ホルン五重奏曲K.407

ジャック・クリフトフ・ノード/デスカント・リコーダーのための協奏曲OP.17、No.5

アントン・ヘベルレ/無伴奏デスカント・リコーダーのためのソナタ・ブリリアント

ヴィヴァルディ/ソプラニーノ・リコーダーのための協奏曲Op.10、No.3、R.428

ライヒャ/ホルン六重奏曲Op.106


バリー・タックウェル、ホルン
ミカラ・ペトリ、リコーダー
アーノルド・スタインハルト、ヴァイオリン
柳田昌子、ヴァイオリン
アブラハム・スケルニック、ヴィオラ
ジェリー・グロスマン、チェロ
マイケル・モーガン、ベース
エドワード・ブリューワー、ハープシコード


タックウェルはまるで何事もなかったように吹く。休止の前の音は口からマウスピースを離した後で出てくるような雰囲気をもち、世の中にこれほど簡単な楽器は存在しないとでも言いたげに実に平然、唖然。
どうすればあのようにうまくなるのであろうか。とても練習だけであそこまでいくとは思われない。なにか仕掛けがあるのではないか。

この日は結局、タックウェルとペトリのためのコンサート。
最初の曲と締めがタックウェルのホルン。中3曲がリコーダーのペトリ。
この夜のペトリは25才ぐらいであろうか、初々しくもステージでは、特に無伴奏のソナタでは中央に一人陣取りホールを黙らせた。この時代、すでに名の知れた存在でタックウェルに負けず劣らずの妙技、そして妖演だったと記憶する。
おわり

824- 東京エロイカ 朝比奈隆 大阪フィル 生身のXRCD24でよみがえる。1977.10.6プログラム全ページアップ

2009-05-06 22:30:12 | インポート

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主催:関西交響楽協会
昭和52年度文化庁芸術祭協賛
大阪フィルハーモニー交響楽団特別演奏会
楽団創立30周年記念
ベートーヴェン歿後150年記念

1977年10月6日(木)7:00pm
東京文化会館

ベートーヴェン/交響曲第6番

ベートーヴェン/交響曲第3番

(アンコール)
モーツァルト/トルコ行進曲

朝比奈隆 指揮 大阪フィル


この日上野のホールで聴きました。
河童のこの感想ではファンに怒られるかもしれないが、帳面の活字をそのまま写し書きしてみます。

なんといってよいのかわからない。音色は素朴である。音色に変化はほとんどない。ブラスは立派だが弦とのバランスが悪い。
しかし、何かがあったような気がする。
要するに大阪フィルは生で聴くべきのような気がする。
弦のピッチが悪い。

 

今日の聴衆はグロテスクであった。
アンコールはトルコ行進曲。
この指揮者は非常に謙虚であった。ただし、グロテスクな聴衆に対して。
音楽に対しては一見たんたんとしているようにみえるが実は大胆。


メモをそのまま書くとこんな感じになってしまう。


プログラムが残っていますので、表表紙、裏表紙含め12枚アップしておきます。興味のある方はご覧ください。
宇野さんのまるでLPのライナーノートのような文が当時の生々しさを伝えています。
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ところで、最近この日の録音がでた。以前確か一度出たことがあると思うのだが、今回のは異常な音だ。
マスターテープ・ダイレクトカッティングのXRCD24。
プログラム後半のエロイカだけだが、あまりの素晴らしいサウンドに体がのけぞった。


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朝比奈隆生誕100周年記念
待望の初XRCD化
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」
朝比奈隆 指揮 大阪フィル
JVC JM-XR30007
定価\3,465
2009.3.25発売


本当にこの日の演奏なのかと耳を疑う。マイクがあった記憶はないのだが、特別演奏会なので上野まで出かけて聴いてみたという記憶もあるので、それなりのセッティングはあったのだろう。
それにしても、ヴィオラからチェロ、そしてコントラバスのサウンドの安定感とその広がり。見事なサウンドというしかない。まるで指揮者のいるポーディアムから聴いているような(たぶん)、そんな横の広がりと奥行き感。
オーケストラの切れ味は今一つだかそんなもの指揮者が求めているもんでもあんめぃ。
そんなことよりこのエロイカの安定感。ベートーヴェンに身を浸す心地よさ。全団員渾身の必殺充実度。
30年以上前の記憶のはるか上をいくサプライズの演奏と録音のCDでした。
拍手付き。


823- ラローチャ キム 1984.7.21 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-05 11:06:58 | 音楽

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1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラ全体はこちら

1984年モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

MMF

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プレ・コンサート・リサイタル

1984721()7:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタK.378

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ヴァイオリン、ヤン・ウク・キム

ピアノ、ネリン・バレット

メイン

1984721()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

.

J.C.バッハ/交響曲第2Op.18

  (ルチオ・シルラへの序曲)

モーツァルト/ピアノ協奏曲第21K.467

モーツァルト/ヴィオリン協奏曲第4K.218

.

ベートーヴェン/交響曲第4

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ピアノ、アリシア・デ・ラローチャ

ヴァイオリン、ヤン・ウク・キム

.

エドゥアルド・マータ 指揮

モーストリー・モーツァルト・オーケストラ

このフェスティヴァル、中身は意外と濃いのだが、どうも夏の音楽祭と言うとヨーロッパの素晴らしいメンバーによる豪華な演奏のことばかり浮かんできてしまって、このアメリカでやっているのはいかにも軽々しく思えてくるというのが率直な意見なのです。

たとえば、なにもラローチャが軽薄だなどと言っているのではない。(彼女のモーツァルトはいつきいても素晴らしい絶妙なタッチを持っている。) 全体として来ている人達はみんな名の知れた人ばかりで少しでも音楽通と思っている人だったら誰だって足が向くだろう。ただ、オーケストラがちょっと、、、、

オーケストラ、それもフル編成のオーケストラをよべないような夏の音楽祭などというものは意味が半減期を越えてしまったようなものなのだ。しかたなく、小編成でも可能であるところのモーツァルトのような音楽をやっているとしか思えない。これはむなしい。実にむなしい。普通のシーズン時にあれだけの技術と離れ業をやってのけるアメリカ合衆国オーケストラ集団はみんなどこへ行ってしまうのだろうか。この貧困状況はあのヨーロッパの音楽祭に比べると目もあてられないのではないか。それぞれのコンサートはそれなりに有名なソリストがひっきりなしに来るので楽しいことは楽しい。しかし、私が言っているのはアメリカの夏の音楽祭の非充実度なのであります。

他にこの時期行くものがないのでしかたなく行っているという人も多いのではないのでしょうか。国が広すぎてやることなすこと‘アメリカン’になってしまったのだろうか。‘アメリカン’を‘アメリカン’にするとさらに味は薄まり、従ってベートーヴェンの交響曲第4番のようなはちゃめちゃなアンサンブルに対しても聴衆はブラボーと叫ばざるをえなくなるのです。

といった当時の感想ですが、ラローチャの年齢を感じさせないキュートな演奏、どことなく田舎っぽいかんじがまたよく、モーツァルトをより身近に聴かせてくれてよかった。のですが、後半のベト4のオケのアンサンブルが今一つで(たぶんまとまっては、あまり練習してなかったのでしょう)前半のことが消し去られてしまった演奏会でした。

おわり

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822- 東京クヮルテット 東京SQ 1984.7.10 第18回モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

2009-05-03 14:15:47 | 室内楽








前回ブログ820-で書いた続きです。

1984年のフェスティヴァルは7月9日から始まりました。翌日の10日から通いはじめ、2カ月弱のフェスティヴァル期間のあいだ10回ほど聴きました。今日はそのうちの最初のものです。

1984年モーストリー・モーツァルト・フェスティヴァル

プレ・コンサート・リサイタル
1984年7月10日(火) 7:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

ホフマイスター フルートのための魔笛のテーマによる変奏曲

モーツァルトピアノ・ソナタK.331

フィリップ・アントルモン、ピアノ
キャロル・ウィンセンス、フルート


メイン・コンサート・リサイタル

1984年7月10日(火) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

モーツァルト 弦楽四重奏曲第20番K.499 (ホフマイスター四重奏曲)

モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番K.478

モーツァルト フルート四重奏曲(ホフマイスターによるピアノソナタK.533とK.494の編曲)

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番Op.95 セリオーソ

東京クヮルテット
 ピーター・ウンジャン、ヴァイオリン
 池田菊衛、ヴァイオリン
 磯村和英、ヴィオラ
 原田禎夫、チェロ

ゲスト・アーティスト
 フィリップ・アントルモン、ピアノ
 キャロル・ウィンセンス、フルート


アップしてある写真のプログラムは順番変更となってます。記載した順番が正しいものです。
8時からのコンサートの前に必ずプレ・コンサート、リサイタルが7時からありましたのでそれも一緒にアップしました。


それでそのメインの演奏会の模様は?

昨日からモーストリー・モーツァルト・フェスティヴァルが始まった。去年もこの夏のマンハッタンの音楽祭を聴いたので、あれからはやくて1年も経ってしまった。夏のみんな暇のもてあましている連中にとってはちょうどよい暇つぶしではある。それに7月9日から8月いっぱい日曜を除く毎日ほとんど2カ月近くやっているので、観光などでばったりマンハッタンに来た人でも手軽に聴いていける気安さがある。
ただ、今日はものすごい聴衆であった。ほとんど満席で、エイヴリー・フィッシャー・ホールが立錐の余地もなかった。これは東京SQの人気によるものなのか、はたまた始まったばかりだからか?よくわからないがとにかく人は少ないほうより多いほうがよいにきまっている。するほうにとっては。

というわけで東京SQ。レコードは1枚持っているが生で聴くのは初めて。室内楽を大ホールで聴くのは好みではない(なぜか眠くなる)のだがしょうがない。
東京SQはその名声に違わず素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれた。どういうところがよかったかと言われてもあれだが、とにかく東京SQ独特のトーンカラーを持っていると思う。以前レコードで聴いたとき少し音が曇った感じだったので、これは録音のせいかなと思っていたのだが、実際こうやって生演奏に接してみても同じ傾向のトーンカラーなので、ああこれはまさしく東京SQのものだなあと感じた次第。薄曇りの日にみるステンドグラスみたいな音色である。

それにしても、モーツァルトとベートーヴェンの違い。
セリオーソなど聴くとひとりでに背すじがシャンとしてきて姿勢をただしたくなるような音楽なのに対し、モーツァルトの室内楽はサロン的雰囲気が強く、あまり観ながら聴きたいとは思わない(広い場所では)。1曲目では熟睡してしまった。
次の曲ではフィリップ・アントルモンも出ることだしと思って少しその気になって聴いたら、これが、息が合っていて楽しかった。
セリオーソでは4人が息の合ったところをみせ、素晴らしいハーモニーが一点の狂いもなく響き、ホール全体が良く鳴っていたように思う。
なぜ、ベートーヴェンが室内楽を書くと他の分野同様このように音楽が凝縮された感じをもつのだろうか。彼の弦楽四重奏曲を全てそれも一晩のうちに聴きたい衝動にかられてしまうから不思議である。

といった拙い感想でした。
ところで、2日後の12日のニューヨーク・タイムズにこの日の演奏評が載った。書いた人はウィル・クラッチフィールドさん。
バーナード・ショウが昔メルバをほめた言葉を引用している。メルバというのはネリー・メルバ、昔のソプラノ。その室内演奏団体版だというのである、東京SQを。
早い話、ベタほめ。それでも物足りないらしく、ホロヴィッツ、サザーランド、ハイフェッツ、リヒテルまで出してくる。メルバを知らない、好みでないなら、彼ら他の人間から選んで比較しろとまで言っている。
異常な評だ。
内容はほとんどセリオーソのことだけ。

たしかに、あの凝縮して充実した響きがホール全体に棘刺したことは今でも思い起こすことができる。
おわり