河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

たなざらしにするなアルブレヒトのベト全

2007-02-28 21:11:00 | 音楽

Scan10001_13

EXTONレーベルは高音質録音を貫いているため、昔の名演再発ものを何度も繰り返し聴くような聴き方はなじまない。

このレーベルのサウンドにおいては昨今の高度な録音技術レベルをわれら一般人が享受できるし、また最新の録音であるため演奏家も時流をあらわしている。

アルブレヒトは読響の常任指揮者として比較的早い時期にベト全を録音した。(1999-2000)

録音のために選んだ会社がよかった。おそらく以前のチェコ・フィルとのからみからか、CANYONから派生したEXTONは正解であった。

録音はCDでもなくSACDでもなくHDCDである。

HDCD高解像度記録再生システム 24bitレコーディング。

普通のCDプレイヤーでの再生である

ハイブリッド系のメディアではないが、収録場所がハイブリッドである。

サントリーホール、横浜みなとみらいホール、大田区民ホール・アプリコ。

サントリー、横浜は拍手があるのでライブ収録だと思われる。ホルンの少しばかりの裏返りもそのまま。

アプリコはセッション録音か。

録音日時場所の説明だけしかないので詳しいことがわからないが、いずれにしても混成のベト全のようだ。

また非常に落ち着きのある録音だ。

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1番横浜

2番サントリー

3番サントリー

4番アプリコ

5番アプリコ

6番横浜

7番サントリー

8番横浜

9番アプリコ

エグモント序曲サントリー

フィデリオ序曲アプリコ

コリオラン序曲アプリコ

レオンーレ3番サントリー

プロメテウス序曲サントリー

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1枚目はエロイカから始まる。大業な鳴りでスタートするが、アルブレヒトの作りはこうではなかったのではないか、などと思いながらクリエートされていくサウンドが進むにつれ、だんだんとあっさりから軽いさわやかさまで様変わりしていく音楽が心地よい。それでもそのような気がしないのは読響のヘビーな音のせいだ。完全な正三角形というか、非常に腰のある重い、男集団のサウンドが日本の数あるオケのなかで異色のポジションを得ている。

重い音だが機動力がないということはない。そこがN響と違うといえば違う。

N響は根ざしているものが昔のドイツ風であり、リズムの取り方そのものがジンタ調に重いことがあるが、読響のサウンドはそれとは一線を画するものであると感じる。アルブレヒトの音楽解釈に合致している。本格的なベートーヴェンだ。

ただ、気持ちと技術が時間軸的ポイントでずれがあることがありシナジー効果をうまない個所が少しある。全奏のアタックが几帳面すぎアインザッツを気にするあまり、縦線がそろうのはいいが、音が軽くなり、オタマジャクシ四分音符でいうと四分の一ほど進んだところで全員の焦点が合えば、ズシーン、とくるのだが、どうも縦に注意が行き過ぎるあまり、音楽のノリが悪くなり、空回りしているように聴こえる瞬間がなくもない。とくに12番で感じる。総じて素晴らしい演奏ではあるが。

録音はどうかというと、場所がハイブリッドであるため曲により若干の違いがある。サントリーのものは切れ味がいま一つ鋭くなく、ドロン系だが、EMIのような最新スタジオ録音でもドロン系、といったあすこまでの極端さはない。但しEMIを思い出してしまうこと自体が、そうなのかもしれない。アプリコのサウンドは素晴らしい。眼前にせまる生々しいサウンド。

全体に落ち着きのあるケバケバしない録音で耳がつかれない。それでいて迫力あるサウンドが次から次とでてくる。

序曲もすごいものがあり、充実したまれにみる本格的な音楽表現にはうなる。

アルブレヒトは現場で見ながら聴くと少し線が細く感じることがあるが、録音では全くそのようなことがない。チェコ・フィルの演奏も同じだ。

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この6枚組¥7,900HDCDは聴きものだ。音で耳を洗いたいときこれを聴きましょう。

おわり

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ヴォツェック ウィーン6 1989-20

2007-02-27 22:46:00 | 音楽

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ヴォツェック ウィーン6 1989-20

1989年ウィーン国立歌劇場来日公演で、ヴォツェックは3回だけ上演された。

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198911121518

NHKホール

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アルバン・ベルク作曲ヴォツェック

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ヴォツェック/フランツ・グルントヘーバー

尉手長/ウィリアム・カクラン

アンドレス/ヘルムート・ヴィルトハーバー

大尉/ハインツ・ツェドニク

医者/オーゲ・ハウグランド

白痴/ペーター・イェロシッツ

マリー/ドュニャ・ヴェイゾヴィッチ

マルグリード/アンナ・ゴンダ

マリーの子供/ヴィクトル・レーネル

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アドルフ・ドレーゼン演出

クラウディオ・アバド指揮

ウィーン国立歌劇場

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3幕物でヘビーとは言っても演奏時間だけ見ると、

135分ぐらい

235分ぐらい

325分ぐらい

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音の難解さが時間を長く感じさせるのだろう。

一気にやるか、休憩を一回にすれば全部で2時間もかからない。比較的短いオペラだ。

メト座の河童はベーレンスのマリー、レヴァインの棒で2回観たことがあるだけだ。これはいつか書くと思う。

メトでの上演回数も回数もかなり少なく、おそらくいまだ二ケタ台、50回ぐらいではないだろうか。

ヴォツェックはオペラではあるのだが、音楽劇、劇としてみると理解がしやすいかもしれない。CDで音だけというのは、以前舞台を見たことがある人にとってはその舞台のイメージが湧くが、観たことのない人にとってはふくらますのがなかなか困難だ。今ならDVDを見ながら聴くことができる。

舞台設定はリアルであるため、比較的理解しやすいし、目があまりきょろきょろすることもない。

このオペラ、思い出すのが難しい。消化不良のような感じであるが、マリーが死んでも続くオペラの緊張感と、むなしい子供。独特のストーリー展開がその緊張の糸を緩めない。

最終的にはベルクの傑作に打ちのめされる。

アバドのヴォツェックは同じような配役同じオケで1987年録音の目のさめるCDがある。

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1989年のウィーン国立歌劇場来日公演は都合4演目上演された。

パルジファル

ランスへの旅

魔笛

ヴォツェック

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こうやってみると4演目であるが、それなりに多彩であり、指揮者も3人ということで万全であった。これらを聴くとオペラの幅がひろがると思ったものだ。

今はこの時代と異なりオペラが比較的ブレークしており、国内でも常時いろいろなオペラを観ることができる。良い環境になりつつある。

初台の新国立劇場はオペラ専門ホールであるが、常設のオケや指揮者がいるわけではなく、また出し物もポツポツといった感じで、パッチワーク的要素があり、また一つずつの出し物がイベント性を帯びておりレパートリーというにはいまだ遠いものだ。

日本のオペラの出し物は世界の3大オペラハウスような路線を目指すのか、それともなにか独自なシステムを確立していくのか楽しみではある。

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このときのウィーン国立歌劇場来日公演では、4演目以外にガラ・コンサート1回。ウィーン・フィルとして2回の演奏会をもった。これらについては聴いていないのでなんとも言えない。

それにしても1989年~1990年、またその先12年は来日演奏団体の公演ラッシュだった。全部聴くのは不可能であったが、アウトラインは聴いているので、このあとまた少しずつ話を先にすすめることにする。

おわり

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魔笛 ウィーン5 1989-19

2007-02-26 23:16:00 | 音楽

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1989年ウィーン国立歌劇場来日公演で魔笛は5回上演された。

11356810

東京文化会館

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モーツァルト作曲 魔笛

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ザラストロ/マッティ・サルミネン

タミーノ/ウヴェ・ハイルマン

夜の女王/スミ・ヨー

パミーナ/バーバラ・ボニー

パパゲーナ/エルズビエッタ・スミットカ

パパゲーノ/ミカエル・メルビー

モノスタトス/ハインツ・イエロシッツ

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オットー・シェンク演出

ニコラウス・アーノンクール指揮

ウィーン国立歌劇場

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1989年は2年後のモーツアルト没後200年に向けてオペラをはじめ、いろいろな演奏が盛り上がりつつある頃だった。

NHKでも、普段なかなか演奏されないオペラなども含め徐々に放送され始めた。そのときよくでていたのがアーノンクール。当地でもさかんにモーツァルトを振っていたのだろう。日本でもよく聴くことができた。

このアーノンクール、実はあまり好きではない。

音楽をどつきすぎると思うのだ。1980年代にはいって、昔の古楽器演奏から演奏範囲を広げてきたわけだが、このどつき感覚がなかなか抜けない。

フル編成のオケに対してアインザッツに固執した演奏をしいるようなところがあり、うまくそろえばそれは快感であるが、どうも空回りするときが多く音楽がほこりっぽい。そんなところがあまり河童好みではなく、あまり気持ちが乗らずこの上演は自然にスキップした。

昨年2006年にもウィーン・フィルと来日したが全く聴く気がおこらなかった。

指揮者の解釈により出てくる音楽の好き嫌いは、当然のことながら聴いてみないとわからない。

ただなんとなく音楽雑誌で評論家が、彼を好きでない理由を言っていたのを自分の考えと錯覚してしまい、その意見、またはその話の持って行き方につられてしまって納得してしまい、自分も嫌いだ、などと思ってしまうことがある。

昔のカラヤン嫌いなど宇野さんの文字を雑誌でみて影響されてしまった人もいるはずだ。カラヤンの音は角が取れ過ぎている。演奏が終わりカーテンコールに出てくる前に髪をそろえなおす。そんな態度で音楽に集中できるのか。など、笑えるものまでいろいろと活字になったこともある。角が取れすぎる、髪に櫛を入れる。ソーホワット。だからどうだというのさ。その先まで論じなければいけない。音楽はその先にあるものだ。

フルヴェンはいい、カラヤンはだめ、ヨーロッパはいい、アメリカはだめ、といった変な図式を日本人の音楽好きに埋め込んでしまった評論家の罪は大罪だ。今でもその呪縛から抜け出すことがなくてアメリカ音楽、アメリカ演奏団体、指揮者など顧みない、興味無い、といった連中がわりといる。

ところでアーノンクールはどうだったのだろうか。聴く機会がなかったというのが実際のところだが録音は結構頻繁に聴いていた。

それらを聴いて、ちょっとね、と思うようになったのは事実だ。

しかし、素晴らしいものもある。たとえばこれ。

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モーツァルト作曲 偽の女庭師

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ザンドリーナ/エディッタ・グルベローバ

ドン・アキーゼ/トマス・モーザー

ベルフィオーレ/ウーヴェ・ハイルマン

アルミンダ/シャルロッテ・マルジョー

ドン・ラミーロ/モニカ・バチェルリ

セルペッタ/ドーン・アプショー

ナルド/アントン・シャリンガー

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ニコラウス・アーノンクール指揮

コンチェルト・ムジクス・ウィーン

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199169日 ウィーン楽友協会

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このオペラかなり長い。

1幕:1時間30

2幕:1時間25

3幕:35

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2006年のウィーン・フィルでも聴けば、また考えが変わっていたかもしれない。このときの論評は、すばらしかったというのが大半だった。でも、今さら彼のブルックナーを聴きたいとはあまり思わない。

おわり

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渋H

2007-02-25 20:37:00 | 音楽

少し前に渋谷のHMVクラシックフロアで物色しようと思い立ち寄ったが、在庫整理、棚卸みたいな雰囲気なので店員に、クラシックは売るのをやめるか、と訊いた。そうしたらクラシックフロアにはジャズが同居するとのこと。改装前の山野楽器みたいな雰囲気になるわけだ。

今まで余裕の広さでフロア全部を占めていたクラシックが身狭になる。最近はフロアのソファも取り払われて座ってゆっくりも出来ない。これで渋谷のタワレコと張り合っていた片方が瓦解してしまうのかと悲しんだものだ。

そんなこともあり渋谷HMVにはすっかり足が遠のいていたのだが、別のジャンルの音楽で頼まれ物があったので、それを買ったついでに足取り重くクラシックフロア兼ジャズフロアに冷やかし程度に顔を出してみた。

たしかに入口サイドのエスカレーター、エレベーター側にはしっかりとジャズがならんでいる。

中間の間仕切りはないがそこらへんからクラシックジャンルとなる。ひと頃よく顔を出していたのでだいたいのことはわかる。あまり期待していなかったのだが、最初に目に飛び込んできた棚がある。

SACD/DVD-Audioコーナー。これ、ほかの店にあるような小さな島に申し訳程度にあるコーナーではない。陳列棚を三つフルフルに使っている。

ほかの商品と同じように、あ行から順番に並んだかなり本格的な棚だ。従って販売会社毎に揃えて陳列しているようなセコサではなく、純粋な、あ行、から始まるため、プラケース、カミジャケ、寸法違い、などバラバラと混在しているが、昔からその並び方に慣れている連中にとってはわかりやすいものだ。

普通のCDと同じようにとはいかないがそれなりの選択の幅がある。これはSACDファンにとってはかなり画期的なことだ。SACDファンと書いたが、DVD-AUDIOファンにとってはある意味、終焉を示すものかもしれない。棚にはSACD/DVD-Audioと書いてあるが、実際のところDVD-AUDIOは端下部に申し訳程度に20枚ぐらい置いてあるだけ。

SACDDVD-AUDIOの出始めのころ、この店の店員に冷やかし半分で、将来どちらが有望か訊いたことがある。店員は、DVD-AUDIOに決まってるじゃないですか、と商売度外視のタメ口でのたまっていたが、見事にはずれたわけだ。ざまぁみろとは思わないがなんとなく気持ちが晴れるものがある。

それで、とにかく乱買い乱聴き派にとってみれば、明らかにCDよりもSACDの方が音がいい。ものによってはまるで違う。空気感が伝わってくるし、フォルテシモが余裕なのだ。

200万円ぐらいのアンプで時計の針が朝九時ぐらいの角度で聴くときのボリュームの余裕感。同じ音圧でもチープマシンとはマシンの余裕が違う。SACDはそんな感じだ。音の詰まりっけがないのだ。

SACDは今はハイブリッド全盛だが、SACD初期にSACDフォーマットのみ収録、SACDプレイヤーでのみ再生可能というものがソニーから出たことがあり、今でも出ているのだが、これが今でも一番気に入っている。かなりものすごい音だ。ジャケの寸法が普通ではないのだが、こうなってはあれはあれでいいかもしれない。自分の存在を棚で主張している。

こんな感じで渋谷のHMVはクラシックでもさすがに時代に後れを取らないようなことをしているわけだ。

SACD以外の商品はどうだろう。容量は半分になったかもしれないが、土地感というか棚感があるので、どこらあたりにどのようなジャンルのものがおいてあるか大体分かるし、その感覚がそのまま活かせる配置となっているようだ。店員もこの方がやりやすいのだろう。

またタワレコのように同じCDをこれでもかこれでもか、と置かないのも良い。タワレコは新発売、話題の商品を病的なまでに多量に並べる。全く同じものを。

スペースがあまっているんだろうなあ、としか思わないし、一枚手に取るとそのうしろは二枚目はなく空のプラケースであったり、ベニヤ板であったり、といま一つ興感を殺ぐものがある。

それでも絶対数だけではなく種類もタワレコの方がHMVよりは多いと思うのだが、この多量多品種作戦、見る方は結構疲れるものだ。

HMVのように品数圧縮ではなくダブル商品圧縮でコンパクトにまとめて、あまり移動せず同じジャンルのものが見渡せる距離感が、年寄りのファンが多いクラシック音楽には向いているかもしれない。

こうして、渋谷のHMVは面積は小さくなったが自己主張がしっかりしていると見た。

この前改装してジャズコーナーをほかのフロアに押し出してワンフロアを独占することができるようになった銀座山野楽器は、さながらコーヒー・アメリカンのような感じで以前より品数が減ったのではないかとさえ思える幻滅感を味わったのだが、それとは大違いだ。

HMVへは久しぶりの顔だしだったが客も比較的多くにぎわっている感じだ。

センター街から入る方の入口は、都会のやまいをみているような風景でこれ以下のヘルはないが、そこを我慢してエレベーターに乗れば、こんな感じでゆっくりと探せる。

またちょくちょく顔をだしたいものだ。小一時間いたが、占有したもう一方のジャズスペースに人がいないのが気になった。

おわり

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ソバスープ

2007-02-24 22:00:00 | 銀座にて

蕎麦屋とか定食屋で、蕎麦定食をたのむ。

勝丼とザルそばセットなどというのが昼時の定番。夜であれば一杯飲んだ後の蕎麦。

勝丼とザル蕎麦とお新香、そしてソバ湯が一緒に出てる。最低である。

忙しい仕事の合間、お酒の後のゆっくり〆たいお蕎麦。なのに、ソバ湯を一緒に出してきて、まるで、早く食って、早く帰れ、と言わんばかりである。

よく、通な人間たちが、昔は蕎麦なんてぇのは、早くズズッと食らってさっと帰るのが江戸の粋なんだよ、などと時代錯誤的なものいいをのたまわる連中がいるが、ただの昔の知識の押し売りにしかきこえない。食い方の時間まで何百年も前の真似などしたくもない。

それでザル蕎麦と勝丼を漬物で口の中を味切りしながら交互に食べる。これはこれでおいしいが、目の前にあるソバ湯のさめ具合が気になる。

ようやく食べ終え、さてソバ湯を飲もうかと残りおつゆにソバ湯を注いだころは、完全にソバ水になっている。一番最後に一番まずいものを食らうという妙な現象がおきるのである。

ソバ湯をもう一度たのみなおせばすむことではないのか、というのは浅はかなものいいだ。

だいたいにおいて最初にソバ湯が出てくるような店は、ソバ湯ではなく、ただの湯だったりして、もともと柔軟な対応が出来ないことが多い。また変にシステム化、いいなり作業になっているような店も多く、もう一度たのみなおすとあからさまにいやな顔をしたりする。

ソバ湯が定食と一緒に出てくる店にはあまりリピートしたいと思わないが、なにせ食い物のことだけに背に腹はかえられないのが実態。我慢しながら注ぎすするしかない。

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ラーメン屋に真夜中酒を飲んだ後にはいったらだいたいガラガラ。

テーブル席と壁席がある。お昼は繁盛しているのだろう。夜中は終電が済めば人の数も少なくなる。

それでガラガラのラーメン屋でラーメンを食べようとすると、最近はどこかしこで外国並みに席案内というのがあり、日本でも日常的な光景になりつつあるなか、お店の子が席まで案内してくれる。

昼時の混んだ状況対応しか教えてられないらしく、一人客ではいると、夜中のガラガラななか、猫の額ほどしかない奥行きの壁席へすわれとのたまわる。テール席はガラガラである。

奥行きが30センチほどで顔をあげると壁があるだけの席へすわってそこでラーメンを食らえということらしい。早い話、一人客は4人掛けのテーブル席ではもったいない。ほかの客が座れなくなる。つまりカネが儲からない。儲かるようにするには一人客は壁席へ案内するように教育されているのだろう。その店の教育はそこまで。客が来ない時間帯でも関係ないのだ。

かくして、真夜中に一人で30センチ先の壁をみながら一人ポツリとラーメンを食らうというこれまた奇妙な笑える光景となる。

ラーメン屋も蕎麦屋もそんなものか、と思う。グルメ評論全盛でもなにも変わっちゃいない。

こんな細かいことにケチをつけてもしょうがないような気もするが、いつでも気になることであるため、はけ口とした。

おわり

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百点の銀座

2007-02-23 20:17:00 | 銀座にて

この前、改装中の山野楽器本店の、改装が済んだ2階クラシックフロアで、レイアウトが変わっただけで、あまり品数の増えていないCDの棚を眺めながら、少しだけ買って精算しようとキャッシャーにならんでいたら、銀座百点という小雑誌が目に飛び込んできた。

それをただでくれるというのでもらって持って帰った。

銀座百点

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1955年創刊というから半世紀以上もちこたえている。見たことはあったかもしれないがとりたてて興味もなかった。

最近、月刊「日本橋」というのを見ながら蕎麦屋の品定めをしていたことがあったので、同じ形状の銀座百点に目がとまった。

この2月号のエッセイに、作曲家の吉松隆さんの「銀座のファゴットと寿司」という小文が掲載されている。

昔、高校の時に吹いていたファゴットは高かった。寿司も高かった。銀座で寄るところはヤマハ楽器と山野楽器だけだった。こんな感じの青春時代。

作曲家になってしばらくたって、ようやくカウンターで寿司を食える、というよりもカネを払えるようになるまでのお話し。

作曲家も言っているが、合席の女性というのはおごってもらう機会が多く、若い時から高額寿司を食べ慣れている。寿司屋での動作・挙動など不自然さがない。たしかにそうかもしれない。

お勘定のことを脳裏に浮かべながら食べる寿司の味は20パーセント落ちる。というか味よりも別のことを舌が考えている。

カウンターで寿司を食べるようになって一人前というが、そうではなく、カネが脳裏に浮かぶことなく心おきなく食べれるようになって一人前ということなんだろう。

銀座界隈、六本木界隈、の寿司はどちらも高額だが、そんなにあふれるほど儲かっているという話もあまりきかない。食材だけでなくいろんなところにカネがかかるのだろう。

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高額があれば低額もある。

低額寿司屋でいつも思うことがある。同じ値段で、荷崩れの起こすシャリと荷崩れを起こさないシャリがある。あれは握り方に対する姿勢が職人によって違うからではないか。

同じ低額寿司であれば鮮度の同じ魚介類が上に乗っているのであれば荷崩れの起こさないシャリのほうが河童は食べやすい。

しっかり握る職人が、上にのぼるのではないか。同じ食材同じ鮮度タネ同じ米、そして技術のレベルが違う。ただそれだけで上を狙えるのが寿司職人ではないだろうか。

ファゴットだって作曲だってサラリーマンだってなんだってみな同じ。この下積みがあとでものをいうのさ。

客は寿司職人をよく見ている。見てないふりをしながらみている。見るつもりがなくても見ている。

なぜかというと、客は職種はちがうけどみんな同じく仕事をしている。だから、共感あるなしにかかわらず仕事をするものの細かで微妙なニュアンスを自然に感じ取ることができ、それを受け入れたり受け入れなかったりしている。仕事をするものの自然の摂理。

銀座の寿司は高いけど、もしかしてサラリーマンの単価なんてもっと高いかもしれない。

みんな一生懸命になって仕事をして、得たカネでエンジョイ・ライフしている。それでいい。

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吉松さんの文を読んでいると、昔のピュアで一心不乱に邁進していた学生時代のことを思い出す。河童も吉松さんと同じぐらいまじめだった。

おわり

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ランスへの旅 ウィーン4 1989-18

2007-02-22 20:30:00 | オペラ




ランスへの旅 ウィーン4 1989-18

1989年ウィーン国立歌劇場公演のうち、ランスへの旅は5回上演された。

1989年10月21,24,26,28,30日 東京文化会館

ロッシーニ 作曲 ランスへの旅

コリンナ/チェチリア・ガスディア
メリベーア伯爵夫人/
ルチア・ヴァレンティーニ=テラーニ
フォルヴィルの伯爵夫人/レッラ・クベルリ
コルテーゼ夫人/
モンセラ・カバリエ
 ブリギッテ・ポシュナー=クレーベル
騎士ベルフィオール/フランク・ロパード
リーベンスコフの伯爵/ウィリアム・マテウッツィ
シドニー卿/フェルッチョ・フルラネット
ドン・プロフォンド/ルジェロ・ライモンディ
トロムボノクの男爵/エンツィオ・ダーラ
ドン・アルバロ/カルロス・ショーソン
ドン・プルデンツィオ/ジョルジョ・スルヤン
ドン・ルイジーノ/ペトロス・エヴァンジェリーデス
マッダレーナ/ラクエル・ピエロッティ
デリア/ノリコ・ササキ
モデスティーナ/ガブリエレ・シーマ
アントニオ/クラウディオ・オテッリ
ゼフィリーノ/ボージダール・ニコロフ
ジェルソミーノ/オクタヴィオ・アレヴァーロ
ジャンニとコセッタ・コラによるマリオネット

ルカ・ロンコーニ演出

クラウディオ・アバド 指揮 ウィーン国立歌劇場

ものすごいメンバー。
1幕物2時間強。当時4万円。納得。

ベートーヴェンの交響曲4番の初演が1807年3月、ロッシーニのランスへの旅の初演が1825年6月だから、第6場の第2曲でベト4第1楽章終結部の横幅のあるシンコペーションが引用されていても歴史的つじつまは合う。
引用というよりもそのままだ。
この迫力は是非ともこのCDで味わいたい。

コリンナ/シルヴィア・マクネアー
メリベーア伯爵夫人/ルチア・ヴァレンティーニ=テラーニ
フォルヴィルの伯爵夫人/ルチアーナ・セッラ
コルテーゼ夫人/チェリル・ステューダー
騎士ベルフィオール/ラウル・ヒメネス
リーベンスコフの伯爵/ウィリアム・マテウッツィ
シドニー卿/サミュエル・レイミー
ドン・プロフォンド/ルジェロ・ライモンディ
トロムボノクの男爵/エンツィオ・ダーラ
ドン・アルバロ/ルチオ・ガッロ
ドン・プルデンツィオ/ジョルジョ・スルヤン
ドン・ルイジーノ/グリエルモ・マッティ
マッダレーナ/ニコレッタ・クリエル
デリア/モデスティーナ/バルバラ・フリットーリ
アントニオ/クラウディオ・オテッリ
ゼフィリーノ/ジェルソミーノ/ボージダール・ニコロフ

クラウディオ・アバド 指揮 ベルリン・フィルハーモニカー、ベルリン放送合唱団
1992年10月13-19日 ライブ

メインキャストは1989年ウィーン国立歌劇場公演のときのメンバーとダブっている。
メト座の河童がファンだったガスディアがマクネアーにかわっている。ハイヒールをいつも窮屈そうに歩く細面の強烈インパクト女史ヴァレンティーニ=テラーニなど有名どころは両方にでている。
いずれにしてもこれもものすごいキャストで国内盤2枚組CDが5千円。
SBM録音で金蒸着と思われる2枚組CDのサウンドは強烈だ。
ベト4がなぜ出てくるか読み込み不足でわからないが、弦のフル演奏による幅広なシンコペーションの迫力はさすがベルリン・フィル。演奏でこのCDにかなうものはない。
「ランスへの旅」のように蘇生されたものは、このようにベストのオケで聴くと新鮮で、歌以外に演奏も魅力的であるため弛緩することなくあっという間に最後まで連続視聴できる。

ところでこの1989年ウィーン国立歌劇場来日公演のランスへの旅は観ていない。
今思えば悔やむところではあるが、この年の10月11月というのは演奏会が目白押しで、その時にこれよりも行きたいものがたくさんあったということ。
芸術の秋のオペラ劇場来日公演というのは、地元のシーズン・オープニングが始まる前に来て1カ月公演をしてしまうか、12月2月など最中に一息ついた頃に、地元に別のところのオペラ団体公演をさせておきながら来日する。またはシーズンが済んだ5月以降に引っ越し公演をする。メトロポリタン・オペラなどはこのパターンが多いが、昔は日本の評論家はメトの公演には手厳しかった。やるきがあるのかっ、と。
早い話、やる気がなくなってから来日していたのだ。
そりゃそうだ。9月から5月まで毎週7回(月火水木金土土)もやって、ようやくシーズンが終わり気持ちがもぬけの殻状態で来日するのだ。日本の評論家が何を言おうが、とにかく疲れているのだ。いい演奏はやはりフランチャイズ地元で腰を落ち着けて演奏するに限ります。オケだって自前のホールがあれば、練習も演奏会場も同じ場所であり、こんなに心を落ち着けて仕事をできる場所はほかにはない。
気持の安定がルーチンワークの質を底上げする。
日本でも何年か前にランスが初演されたが、これからまた蘇生されるなら是非とも観たいものだ。
おわり




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パルジファル ウィーン3 1989-17

2007-02-21 20:32:00 | 音楽

1989年ウィーン国立歌劇場来日公演で4度上演されたパルジファル。最初の1027日と4回目を聴いた。4回目はこんな感じ。

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1989114()300PM

NHKホール

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ワーグナー作曲

舞台神聖祭典劇パルジファル

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アンフォルタス/フランツ・グルントヘーバー

ティトゥレル/オーゲ・ハウグランド

グルネマンツ/ハンス・チャマー

パルジファル/ルネ・コロ

クリングゾル/ゴットフリート・ホルニック

クンドリ/ドュニャ・ヴェイゾヴィッチ

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アウグスト・エヴァーディンク演出

ハインリッヒ・ホルライザー指揮

ウィーン国立歌劇場

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1027日の1回目とはティトゥレルとクンドリーの配役が変わっている。

舞台の印象は1回目の時とあまりかわらない。

11345日は文化の日から始まる3連休であるため、この4日のパルジファルも含めオペラ漬けとなるにはもってこいのオペラ日和。

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パルジファル。カタルシスはここ。

3幕の練習番号2521小節前の聖金曜日を導入する五つのティンパニの打撃音。

この音まで長々と聴き続け、いよいよこのたった五つの音符が全てをすっきりさせてくれる。あとは野となれ山となれ。

ただ、ここに来るまでは長い長い時間の道のりを越えなければならない。

1幕ざっくり2時間。

休憩ざっくり30

2幕ざっくり1時間。

休憩ざっくり30

3幕ざっくり1時間20分。

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これでグッド・フライデイが現れるのが第3幕もかなり過ぎたあたりであるため、第1幕が始まってから4時間半ぐらいたたないとこの音楽がでてこないのだ。

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2幕は現実離れした舞台であるのに、花園、悪女、クリングゾール、矢、といった感じの具体的な俗物が出てくるためリアリズムを感じる。

それに対し第3幕は仮面の騎士から始まり、クンドリーが髪で騎士パルジファルの足を洗う動作を経て、限りなく抽象的観念的な音楽・舞台となってくる。

2幕の縦横無尽な音楽が第3幕で全く静止した音楽となり、もう観念した、と思った瞬間、聖金曜日の音楽が現れる。この見事な楽譜。

そのあとはもう音符がただただうねりを繰り返すだけ。

心がたゆたい、魂が純化され、現実と夢の区別がつかなくなり、長い長い終始音とともに一つの神聖祭典が終わる。

やや明るすぎる舞台ではあったが、最終的には聴衆も浄化されて終わった。

ワーグナーの音楽が聴衆の心を洗う。これが現実離れした芸術の良いところだろう。

茫然自失となったパルジファルのルネ・コロは一瞬、我を忘れていたのではないか。

聴衆がいる現実のホール。その舞台で本当にパルジファルになってしまったコロ。どっちが幸せであったのか。

おわり

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ホルライザーのパルジファル ウィーン2 1989-16

2007-02-20 20:25:00 | 音楽

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1989年ウィーン国立歌劇場来日公演4演目のうち、パルジファルを2回観た。

パルジファルは1027291114、の4回行われた。

最初と最後を観た。

最初はこんな感じ。

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19891027()5:00PM

NHKホール

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ワーグナー作曲

舞台神聖祭典劇パルジファル

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アンフォルタス/フランツ・グルントヘーバー

ティトゥレル/ゴラン・シミック

グルネマンツ/ハンス・チャマー

パルジファル/ルネ・コロ

クリングゾル/ゴットフリート・ホルニック

クンドリ/エヴァ・ランドヴァ

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アウグスト・エヴァーディンク演出

ハインリッヒ・ホルライザー指揮

ウィーン国立歌劇場

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華金の夕方5時スタートである。

サラリーマンのようなワンパターンの仕事をしている連中は、早退、もしくは、有給休暇、でことにあたらなければならない。

意地の悪い上司に仕えている平社員の場合は、有給休暇、が無難なところである。

休んで事前に耳を磨いて、イメージを膨らませ、コンディションを整えておくこと。

金曜日であるため、友との論評は深夜までゆっくりできる。

とはいってもこのパルジファル、2回の休憩などいれて6時間ぐらいかかってしまう。

5時から始まって11時終演。

遠距離通勤の人は友との論評が困難な時間帯である。

最後の音が先か身支度が先か、必ず見かける光景。

全国に散らばるワグネリアンは、仕事を休んでホテルを予約してきているのでひけた後も論評の時間は十分にあるというものだ。

終演後の感想述べ合いは非常に大事なコミュニケーションであるため、無理をしてでも時間はとっておくべきだ。

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指揮のハインリッヒ・ホルライザーは、NHKホールのごく浅くて、わりと明るすぎるオケピットのポーディアムに、牛乳瓶の底のようなメガネをして、ことのほか軽いステップで駆け込んできた。彼にとっては日常催事の始まりといったところか。

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ホール全体がなんとなく明るい。エヴァーディンクのプロダクションは当時メトでやっていたものと同じだと思われるが、メトのように光を落して海底深く底の底から湧き出てくる感じの音でもないし、深さも水中10メートルといった感じで明るい。

記憶が定かではないが、NHKホールの緑色の非常口灯が通路出口のところにこうこうと燈っていたような気がする。

法律改正があったのかどうか知らないが、最近は完全に明かりをおとしていると思われる。

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パルジファルは完全に観念の音楽である。舞台はイメージである。

舞台は補助的要素、視覚は音楽・観念のふくらみをサポートする。

だから、何度かパルジファルを観てしまえば音だけで自分なりのイメージを持てる。

また、歌もまぼろしのように思えてきて、なにもかもがオーケストラの織りなす響きの中に吸い込まれていくような気がする。

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ホルライザーが振るパルジファルはかなり高速で、響きがそんなに厚くもなく、サラリ、と流れていく。身構えていたこちらを肩透かし風によどむことなく次から次へと料理していく。当時はまりにはまっていたレヴァインの速度とは雲泥の差。第一幕はもしすると30分ぐらい短かったのではないか。1時間45分と2時間15分の違いは限りなく異種に近い。

そんなかんじで、今日はこんな感じのパルジファルなんだ、とだんだん覚悟を決めながら聴いていたような気がする。

おわり

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3度目4本 ウィーン国立歌劇場1 1989-15

2007-02-19 20:39:00 | 音楽

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1989年のウィーン国立歌劇場来日は数えて3度目。

このときは長短4本の演目を持ってきた。

公演は1021日から1118日まで、約一か月弱。

この間に、オペラ公演17回。他3回。都合20回の公演が行われた。

指揮者はクラウディオ・アバド、ハインリッヒ・ホルライザー、ニコラウス・ハーノンコート、といった余裕の3人。450人の民族大移動にふさわし顔ぶれだ。

演目は、

一幕物のランスへの旅が5回。

超ロングなパルジファルが4回。

ヘヴィーな2幕物の魔笛が5回。

根性のいる3幕物のヴォツェックが3回。

あとはガラ・コンサートが1回。

ウィーン・フィルとしてのコンサートが2回。

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パルジファルは上野で聴きたいところだが、残念ながら渋谷の極悪娯楽ホールでの公演となってしまった。それでもパルは2回は観たいところだ。

1989年というとつい最近のような気がしていたのだが、早いもので18年も経ってしまった。

当時の公演チケットの値段は一番高い席でこんな感じ。

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ランスへの旅\40,000

パルジファル\38,000

魔笛\38,000

ヴォツェック\35,000

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一幕物のランスが一番高いのは、ソリストがかなり必要であるためいたしかたのないところか。

ヴォツェックはあまり一般的ではなくワンランク下げ、上演回数も3回、といった状況だ。

全体としては、ウィーン国立歌劇場公演でこの値段だから、18年前は現在の価格より35割がた安く感じる。

逆なのがプログラムの値段。

バブル満開のころは、プログラム一冊が3千円、5千円といった感じで、カネがあるない、といったこととは別に相当に違和感のある設定であった。

4万円のチケットに5千円のプログラム。

売る方も買う方もかなり白け気味であった晩も多々あった。銀座の高額鮨屋でお勘定をすると、3秒ぐらい考えてから値段を言う握り職人とその声を待つ客との微妙な空気感。あんな感じだった。両方とも適当だったのかもしれない。

行きつけのバーで一杯だけ飲んで帰る客へのお勘定も難しいところだ。銘柄熟知で値段設定不明なハードリカーを一杯飲んで水飲んでかわきものをつまんで20分で、帰るから、と客が言ったらいくらぐらいとるのかしら。銀座あたりのバーだと請求する方も払う方も、これがわりと難しいものだ。

クラシックの演奏会のチケットも意味不明な価格設定に遭遇することがたまにある。

結果ではなく、逆算予想でチケットに価格を刷り込まなければならないため来日公演のような単発ものは簡単ではないのだろう。

一番高い席が空洞のように誰も座ってなくて、まわりの淵のほうだけに客が張り付いているコンサートもみたことがある。

あれでも主催者側は安い席はありません。S席しかありません。という。それは事実なのだが、ディスカウントして売るわけでもなく、商売的脳は固まったまんまだった。

最近はかなり柔軟になってきており、当日半額などTKTSなみとはいわないが、昔よりは柔軟脳になってきてはいるようだ。

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というわけで、最近の来日演奏団体のプログラムは\1,000\2,000をさまよっており、ただにこしたことはないが、我慢できる値段ではある。サントリーホールのコーヒーの値段のように我慢できないものではなくなりつつある。あすこではいつも、特盛りでっ、と威勢よく声をかけるとおびえたスタッフがカップの縁をカタカタいわせながら注いでくれる。

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今回のウィーン国立歌劇場のプログラムだが、記憶が飛んでいるが5千円ぐらいしたと思う。

これを最後のページからめくると、広告ページがたくさんでてくるが、目立つのがレーザー・ディスクの広告。隔世の感である。

そのほか、情報の質としては面白みのないものだが、料理評論家の山本益博による文「オペラこそは、娯楽の殿堂」が掲載されている。情緒に流された文章だが料理のことは出てこない。二度と還らぬ経験を楽しむものだ。と。たしかにそうだ。

専門以外のことを書くときは気が楽で思うような文章がかけるのかもしれない。

でもほかのコアな内容と読み比べると、いかにも場違いというか、音楽の手前の段階、というか、なにか別のつながりを感じさせる奇異で唐突な掲載ではある。

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プレイビル創刊

2007-02-18 20:23:00 | 音楽

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左が200610月から日本で出始めたPLAYBILL20071月号。

右は1985年のコーラス・ラインのプログラム。

写真の日本版は東京文化会館のものだが、プログラムは載っていない。

コーラス・ラインの方は載っている。

厳密に言うと異なるものだ。

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日本のPLAYBILLここ

米プレイビル社との業務提携による独占配布。

街場の書店などでは手にはいらない。

会場でしか手にはいらない。

今は、東京文化会館、すみだトリフォニーホール、東京芸術劇場のみで配布。

毎月話題のシアター情報、インタビュー、など、昔よく見ていたピアの小型版といったところか。

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シューベルト・シアターのコーラス・ラインのプログラムが掲載されているほうは、その劇場でしか手にはいらないというのは理解できる。

しかし、日本版プレイビルは情報誌なわけだから、演奏会場でしか手にはいらない、というのはなにを考えているのかしら?

会場に足を運ばなかった人が見れるようにしないといけないのではないか。逆のことをしている。悲劇と喜劇は紙一重というが、閉鎖された情報は、悲劇に悲劇が折り重なり、悲劇同士でエコーしあう。

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いずれにしても、会場でビニール袋いっぱいにはいったチラシ、パンフのなかに紛れ込んでいたら、人によってはほぼ確実に捨てられる。会場の専用ゴミ箱に。

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幸い上記のサイトがあるので、この時代、紙がなくても情報はたくさんはいる。

コレクションにしたい人は会場に行かなければならない。

何年か前に日本版グラモフォン・マガジンが創刊されたことがあったが、あれは一年で陥没した。

プレイビルも、どちらかの方向に舵取りをしないといけない。

クラシックの場合、日本では来日公演では演奏会場で高いプログラムを買うのが常識になっている。おめでたいが、いまとなっては、いい記念、というのもある。最初から思い出作りをしてしまうのが日本人のナルシシズムの特徴だ。そこにつけこむてもある。

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STAGEBILLというのもあります。こちらのほうはニューヨーク・フィルハーモニックの紹介ページにたまに写真をだしてますのでそちらを参考にしてください。プログラムそのもののが載った冊子です。

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201- ダメジャケ

2007-02-17 20:28:00 | 音楽

最近のテレビ・コマーシャルは、おちがあって最後に笑いを取ることに終始した品のないものが多い。最低だ。
新庄などあそこまで道化師になる必要があるのか。
いくらやらせられているとはいえ、本人もプライドがあるというものだろう。

目を覆いたくなる下品なコマーシャルはみたくない。
コマーシャルのとき目を覆われたら提供スポンサーもなんのためにカネをつぎ込んでいるのかわからなくなるのではないか。
河童が社長だったら、制作したフィルムはお試し時点で即刻却下する。絶対に放送させない。
企画部署から社長決裁を経ず放送されている場合は、テレビで最初に見た時点で取り止めさせる。

しかし、このオチコマーシャルよりももっとひどいものがある。



写真で見る通りのCDジャケットの絵。これこそ最低。今日は演奏の中身の話ではない。
DECCAもDGもなにを考えているのか!
昔のLPジャケットが転覆して斜めになったような写真のはめ込み。
そして、NEW SUPER BEST 101の文字が塗りたくられて、さらに全体が四角に縁どられているCD。
両方とも、最低以下の極みである。
河童が、DECCAとイエローレーベルの社長なら、絶対に、絶対に、絶対に、こんなジャケのCDは発売させない。下品すぎる。
聴くのは耳で聴くだけだから、目は覆っていればいいではないか、などと反発する人間がいるとは思えない。
買うときはジャケを見て買う。なかには昔のLPジャケットのあまりの懐かしさについまた買ってしまうことがある人もいると思う。

ベスト101などと勝手に塗りたくられたジャケなど見たくもない。
なぜ、このように購入者の気持ちを逆なでするような、チープなジャケを作ってしまうのだろうか。売れないクラシックのCDをさらに売れなくしているだけだ。
101と中途半端な数字で迫っても101枚そろえる人はまれなわけだし、また斜め転覆ジャケを全部買う人も稀有。
買って持って帰って棚にこのようなダサイジャケが漫然と何枚か転がっているだけだ。統一感を感じるのは制作者だけ。
なにを考えているのだろう。作った会社の社長さん、なに考えてるのかしら。
レコ芸2月号読者の文句もちゃんと読んでみてくださいね。
おわり

 

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ニューヨーク・フィル 1980年代ウィンドの首席たち

2007-02-16 23:06:00 | 音楽

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左から

ヨゼフ・ロビンソン(オーボエ)

ジーン・バックストレッサー(フルート)

レナード・バーンスタイン

スタンリー・ドラッカー(クラリネット)

ジュディス・レクレア(バスーン)

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1986年当時のウィンドのトップたちです。

懐かしい絵ですね。

河童144才頃です。

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このうちロビンソンとバックストレッサーは、ここ23年でニューヨーク・フィルを卒業しました。

ドラッカーさんは健在です。

1929年生まれですので、あと2年ほどで80才です。

1948年ニューヨーク・フィルに入団。

入団当時はエスクラだと思います。

かれこれ60年になりますね。

信じ難いですが、昨年2006年の来日時にもトップをはってました。

シカゴのアドルフ・ハーセスのようになるのかも。

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レクレアさんは髪が白くなりましたが、優しい目は昔のままです。

バーンスタインに首根っこをつかまれお互いに幸せそうです。

演奏がよほどよかったのでしょう。

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たなざらしにするなクレツキのベト全

2007-02-14 21:43:00 | 音楽

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あまり知られていないから売れないCDがある。

ベートーベン

交響曲全集

+コリオラン序曲

+エグモント序曲

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パウル・クレツキ指揮

チェコ・フィル

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スプラフォンCOCQ83945-9

5枚組¥4,600

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キャニオンやエクストンレーベルのチェコフィルのあまりのサウンドの良さにつられて、今さらではあるが2年ほど前に発売されたこの全集を買ってみた。

録音期が19648年であり、スプラフォンレーベルと言えばある種、音のイメージが浮かぶ。しかしそれは全くの杞憂であった。

チェコフィルのやや硬質で繊細で弦やブラスが一つずつ分解された繊維のようなサウンドがこころよく響く。

それにもまして素晴らしいのが指揮のクレツキ。

クレツキの録音はレコード時代に散発的に出ていたような記憶がある。

耳に留まったものは売れ筋のものであったのだろう。

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このベト全は素晴らしい、の一言に尽きる。

メリハリがあるというか、意志が強いというか、ベートーベンの特色をよく現した演奏だ。

テンポの伸縮、ダイナミックレンジの大小、譜読みがはっきりしている。

聴きようによっては突然変わるテンポやハッとする表現に新鮮なものを感じると思う。

録音も引き締まっており、だぶついた贅肉がない。

響きもすっきり。クレツキの方向性と一致している。

響きの充実度は指揮者が団員に伝播させるものだけに、この演奏の価値はとてもたなざらしにしておけるしろものではない。

いつもながら内容は聴いてのお楽しみ。

ちょっとだけ感想を述べると、全部素晴らしいのだが2番が特に主張が強いかもしれない。

おわり

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カンヌのオケまできたバブル時代 1989-14

2007-02-13 21:08:00 | 音楽

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来ても来なくても大勢に影響のないものまで、とにかくこのバブル期は全てのものを飲み込んでからあとで考えるみたいな、とにかく来るわ来るわ。

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40人に満たないこのような小型オケもきた。

1989111()7:00pm

オーチャード・ホール

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ビゼー/交響曲第1

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第4

モーツァルト/交響曲第40

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ピアノ、ミッシェル・ベロフ

フィリップ・ベンダー指揮

カンヌ管弦楽団、コート・ダジュール

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このオーケストラは1989年の111日から9日まで7回公演を行った。

日本のオケでまにあう内容だ。

あまり意味のない来日であり、街紹介、みたいな感じ。

ピアノのベロフは今ではずいぶんと変形してしまったが、1989年当時はまだ、昔の面影があった。

それにしても弾く曲がプロコフィエフでは、どこでどうやってプログラム選曲ミスをしてしまったのか、そちらの方に興味がいく。

本人が棒に興味あり、みたいなのでその影響かもしれない。

この来日ではプログラムを2種類用意してきており、他日の方はベロフが棒を振ったようだ。

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演奏会の方は全く特色のないもので、最初のビゼーにかろうじてハリのある音を少し感じたぐらいで、あとはモーツァルトまで流していく感じ。

オーチャード・ホールの完成が同年であるためホールのデモという意味合いがあっての来日公演であったのかもしれない。

正面ロビーがどこにあるのかわかりにくいホールであるが音はガチャガチャとガラスにひびがはいったような時もあるが、総じて悪くはない。

もう少しキャパが小さければブロードウエイのショーなどに適したホールである。

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