河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2439- 作曲家の個展Ⅱ、一柳慧、湯浅譲二、都響、杉山洋一、2017.10.30

2017-10-30 23:40:33 | コンサート

2017年10月30日(月) 7:00-9:15pm サントリー

一柳慧 ピアノ協奏曲第3番 分水嶺 (1991)  4-7-6
 ピアノ、木村かをり

湯浅譲二 ピアノ・コンチェルティーノ (1994)  14
 ピアノ、児玉桃

Int

湯浅譲二 オーケストラのための軌跡(2017部分のみ)world premiere   2

湯浅譲二 クロノプラスティクⅡ ―エドガー・ヴァレーズ讃― (1999/2000)  16

一柳慧 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 world premiere  8-25
 ヴァイオリン、成田達輝
 チェロ、堤剛

杉山洋一 指揮 東京都交響楽団


1981年から続くシリーズもの「作曲家の個展」、昨年2016年から刷新スタートの「作曲家の個展Ⅱ」、今日のコンサートはその一環。
二大巨匠作曲家、そして豪華4ソリスト、現音オーソリティスペシャリストコンダクター、現音にグッ・フィーリングなオーケストラ。最高峰のイヴェントですね。圧巻な揃い踏みの中にあって、フレッシュ・ナイス・ガイのヴァイオリン成田さんはお初で聴きます。

拝聴席はLCかぶりつき、鍵盤側。
P席クローズ、LARAも奥の方はクローズと見えました。そこそこの入り。聴衆には現音もので著名人な方々はこのての演奏会ではだいたい見慣れているものの、日フィル1代目渡邊巨匠の息子さんとか、今を走る鈴木両巨匠兄の息子さんとか、色々とおりましたのでちょっと雰囲気がいつもと違うようなところがありましたね。個展作曲家ご両名も1階中央横通路後ろ1列目に陣取り。

湯浅の軌跡は未完のため完成部分2分のみ。軌跡のかわりにクロノプラスティクⅡが演奏されたという状況。(これはこれで僥倖、ホントはこうしたかったんではと勘繰るの、神のみぞ知る)
お二方の他作品は演奏会では比較的有るもの、とはいえこのようにクローズアップされた演奏会にいつも出掛けているかというとそうでもなくて、まぁ、そこそこ聴いていて、さりとて、その良さは分かるものの、二人の作風の違いなどと大それた話はまるでわからない。


プログラム前半は14型で概ね2管。後半は16型概ね3管でパーカス類も増える。最後のダブルコンチェルトは14型だが3管を保持と見えました。コンチェルト系は14型、オケ物は16型といったところ。後半はひな壇下げてフラットな床配置vln1-2-vc-va-cb


最初の作品は一柳の分水嶺。
ふわっと浮くような感じ、コンパクトなサウンドでピアノがよく聴こえてくる。中間楽章は世界の惨状に対するレクイエム。終楽章はピアノとオケが律動を繰り返す。オーケストラの際立ったプレイがソロを凌駕する。
サブタイトルからは、分れていくものをイメージする。分かれていったものではなくて、分かれ際のことだろうか。アンダンテ-アダージョ-アレグレット、終楽章での弾みはその際での動きを表しているのかもしれない。聴後感としてはつまり分水嶺に至るまでの事と認識。
全体として浮遊感があって、暗さや重さは殊更感じるところはない。レクイエムの深刻さもほどほどといったところか。一柳流タッチの感触を味わえました。いい作品ですね。若いピアニストに鳴らさせるのもありかなと思いました、是非。


2曲目は湯浅の作品。
湯浅の作品を初めて聴いたのはこれ。
849- オーケストラの時の時 ギーレンN響 1977.4.22

もはや忘れていることの方が多いわけであるが、その後も相応な数聴いてきた。理系的な光のようなものを感じる作品が多いと思う。物理的な解決に全てを任せているわけでもないといったところもあるかと。

ピアノ・コンチェルティーノ、既存フォルムの選択の中に新しい表現の可能性を探す。
オーケストラの息の長い静かな流れが伴奏となりながら、ピアノは細かくせわしなく動き回る。両方の音符ともに明らかな作為であって、それら要素から何が見えてくるかということ。
オケの流れは非常にスタティックなものであり単なる伴奏とは違った自己主張が垣間見える。児玉ピアノは生き生きとしたタッチでみずみずしい。一見バラバラなオケとピアノだが頭はきっちりと合わさっている。既存フォルムから何か出てきたような気がしないでもないのは、一柳の一曲目と同様、ふわっと浮く様な感じの手触りながらこちらは、鋭角的な光がちらちらと見えてきて、それは摩擦感のようなものからかもしれないといったあたり。
融合はしなくてもいいのではないのか、このままで。ぶつかり合うその先にあるものが見えてくれば。
12音、ショパンへのオマージュ、バッハ的音像軌跡、オーケストラとの非同化、等々。興味深く聴かせてもらいました。

ここで一服。

後半は、完成に至っていない軌跡。その完成部分をカップル・ミニッツ、聴かせてくれた。
16型概ね3管のオケ仕様。なにやら前半とは随分と雰囲気が違う。本格的な感じ。おお、オケの醍醐味が始まるのだな、と。
2分のみだがサウンドは圧巻。本格的なオケサウンドにサントリーの空気が揺れる。磨き尽されている、管弦楽の醍醐味、全曲を早く聴きたいものだ。
ここでこちらも一服から湯浅モードに戻り、次の作品へ。

クロノプラスティクⅡ。
ショットの湯浅譲二カタログを見ると一連のクロノプラスティクがわかる。
1972 クロノプラスティク -between Stasis and Kinesis
1999/2000  クロノプラスティクⅡ Hommage a E.Varese
2001  クロノプラスティクⅢ -Between Stasis and Kinesis-
                                         -In memory of Iannis Xenakis-

今日の演奏はこのうちⅡ。
ヴァレーズ讃、といってもヴァレーズのことは演奏会でたまに取り上げられる以外よく知らない。音を聴くだけなんだが、なんだか、ヴァレーズから得たインスピレーションがそのまま作品になったような素晴らしさ。たっぷりと鳴り渡るサウンド、研ぎ澄まされた響き。彫琢美がさえわたる。鋭角的で明るい色彩。オーケストラが艶やかに表現、お見事。音圧がそのまま美になるようで圧巻の演奏。さりげない終止が余裕を感じさせてくれる作品。一聴して考え抜かれた完成度の高い作品だなと思う。インスピレーションから作られていると思うので、後で修理しようと思ってもできないだろう。そんなこと作曲家は考えたことも無いことと。鋭い感性がストレートに出ている、パーフェクトな作品ですね。タイトルも含め色々な事を知りたくなりました。

最後の作品は、一柳に戻って、ダブルコンチェルト。世界初演。
バレンボイムと同い年の堤さんが、半世紀年下の成田さんと共演。終始、中腰に構えた大柄な成田がチェロに寄り添うように弾く。なんだか、微妙な味わいだ。

3つの楽章とあるが1楽章は分かるものの、2,3楽章の境目は分からなかった。序破急の投影ありとの事。30分越えの大規模な作品でした。
ヴァイオリン、チェロともに息をころして出のタイミングを指揮者凝視で。ソロはそれほど長くは続かず、それぞれの楽器が活躍、ときに重奏で。
チェロの堤サウンドは思いの外、しなりがあって前に出てくる。長めの技をあまり考える必要がないせいか、力学的負担からは解放されているように見える。技巧駆使をソリストに殊更に要求しているような作品には見えない。
曲は最初こじんまりと、だんだん大きくなっていく。後半、オーケストラは弦を中心にしてスケールの大きなユニゾン的動きとなる。時に細やかな変化もある。ソリストはその大きな波に乗っていくようで、とてもプレイしやすく見える。
湯浅作品とはだいぶ違う。しなりが前面に出てくる一柳流な風情が心地よい。最新作がダブルコンチェルトとは、そういった出来事がいつかはあるとはいえそれが今日というお話しで、仕掛けは専門家に任せるとして、この大きな作品、特に後半楽章は耳が色々と何かに触発されていくようで、緊張感の中にもエンジョイを実感できた作品。ちょっと興奮もしましたね。

といったことで、興奮、刺激は多分に指揮者の杉山さんがもたらしてくれたところも大きい。細身で明快な棒は新作でも変わらない。譜面台からこぼれ落ちそうになるぐらいデカい譜面を前にオーケストラに的確に、ポイントをついた指揮技、精力的でエネルギッシュ。これだけやってくれれば今日の5品も大喜びだろう。鮮やかなタクトでした。彼の棒は年に何回か観ることがあって、まぁ、作品に愛を感じてなければ出来ないものだろう。熱愛ですな、作品への。
湯浅さんはクロノプラスティクⅡの初演に満足していなかったと述べているが、今日の演奏はそういったことをワイプアウトさせたと思いますよ。
いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり

「コスモロジー」と「空間」 湯浅譲二と一柳慧のしごとから
小沼純一(音楽・文芸批評/早稲田大学教授)

 




2438- グラズノフ4、ショスタコーヴィッチ1、ラザレフ、日フィル、2017.10.28

2017-10-28 18:17:51 | コンサート

2017年10月28日(土) 2:00-3:30pm サントリー

グラズノフ 交響曲第4番変ホ長調Op.48  12-5-12
Int
ショスタコーヴィッチ 交響曲第1番ヘ短調Op.10  9-5-8+8

アレクサドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


30分30分の曲で休憩入れても1時間半に満たないコンサート。ちょっと短すぎでもう一曲なにか入れても良かったと思う。

グラズノフ4番はたぶん初めて聴く。ソナタのアダージョ楽章が無い形のように聴こえてくる。
それほど馴染みやすいとは言えないフシが流麗に続くのでいつの間にか引き込まれていく。形がわかりやすいし安心して聴いていられますね。終楽章のコントラバスの早業は見ものでした。高弦と変わらない細かい音符が続いているようで大変そう。アンサンブルがきっちりしていて気持ちのいい鳴り、迫力ありました。
最後までひたすら流れていく音楽、日フィルのエネルギーに満ちた演奏、素敵でした。

後半のショスタコーヴィッチ。1番てこんなに大きな曲だったかなとあらためて思う。サイズよりも、普通でないシンフォニーという実感。弦のざわめき、透明なウィンドハーモニー、トリッキーな動きを見せるブラス、パーカス。2番から15番までの要素がここにほとんど内包されている。凄い曲と再認識。オーケストラの柔らかいサウンドと表現、硬直しない演奏はいいものです。

ラザレフの熱演、くれぐれも指揮台から足を踏み外すことの無いよう祈るばかりなり。

それにしても短い演奏会。
おわり


2437- グリンカ、ボロディン、リャードフ、R・コルサコフ、プレトニョフ、東フィル、2017.10.23

2017-10-23 22:38:33 | コンサート

2017年10月23日(月) 7:00-9:15pm サントリー

グリンカ 幻想曲カマーリンスカヤ  8
グリンカ 幻想的ワルツ  9
グリンカ 歌劇『皇帝に捧げし命』より第2幕「クラコヴィアク」  5
ボロディン 交響詩『中央アジアの草原にて』  7
リャードフ 交響詩『魔法にかけられた湖』  7
リャードフ 交響詩『バーバ・ヤガー』  4
リャードフ 交響詩『キキーモラ』  7
Int
R=コルサコフ/歌劇『雪娘』組曲  4-3-2-4
R=コルサコフ/歌劇『見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語』組曲  5-3-5-7
R=コルサコフ/歌劇『皇帝サルタンの物語』組曲  5-6-9
(encore)
R=コルサコフ:歌劇『皇帝サルタンの物語』から 熊蜂の飛行  (未聴)

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


前週の鮮烈な演奏会のほとぼりが冷めぬままこの日を迎えた。
演目はがらりと変わりオール・ロシア物、前半に7ピース。後半は3オペラの抜粋物。
国民学派のエキスを作曲家時代順に並べたもので、こうやって聴き終えると、慎ましくも華麗な良きロシア音楽、珠玉のピース。グリンカ、ボロディン、リャードフ。愛しき佳作たち。溢れる音の玉手箱。愛しむような演奏で、どれもこれも味わいが深すぎて、なんだか、たまらない。

プレトニョフは棒と腕を自分の胸より上でしか振らない。下げるようなアクションでオーケストラに指示することが無い。常に高い位置でのタクトであり、軽く振っているようでありながらプレイヤーたちから見ると棒の視界良好で、大振り不要、指揮者のやりたいことがよく見えているのだろうと、反応の良さを聴くにつけ、そう実感する。
指揮者、プレイヤーが一体となった演奏で、味付けが実に自然に音楽の表情となって表れている。派手に鳴らすことのないロシア物は本当に神髄のエキスを搾ったかのようでこの上なく美しい。

グリンカの3曲は民族色を感じさせながら品のある佳作であることをプレトニョフの知性の棒が鮮やかに示してくれる。跳ねるようなリズムと流動感。落ち着きのある木目のような質感。切れ味の良いオーケストラの演奏は出色。オーケストラがうれしくて、はずんでいる。

平原が目に浮かぶようなボロディンのあとリャードフまとめて3連発。細やかさと水上の光の反射を思わせるようなややウェットな趣きは、プレトニョフにより合っている。
グリンカの3ピースを実演で聴くことは無くてそういったフレッシュさもある。このリャードフは演奏会に並べられることがあるので聴くことが出来るのだが、こうやってプレトニョフの棒で三つ続けて聴ける喜びは格別のものがありました。もはや、絵の具とパレットと筆、といった感じで、情景が色彩豊かに鮮やかに描かれていく。これらピースにこれ以上の長さは無用であり、キャンバスのサイズをわきまえたもので、描かれる美しき絵。情景は動いているようでもあり、聴後感はフレームにおさまっているようでもある。

もうこうなると、知性と美意識の塊ですな、プレトニョフという指揮者は。音楽と絵の違いがよくわからなくなってしまった。
イエローレーベルを中心に彼の音源は割と持っているのだが、随分と前の買い物で、今、こうやって聴くことが出来るのは僥倖以外の何ものでもないとつくづく感じる。


プログラム前半の佳作を愛しむように演奏したプレトニョフは後半でR・コルサコフを並べた。オペラ3作品のスイーツで、それぞれ演奏会でもたまに取り上げられる。
これらのオペラ上演は観たことが無いのでイメージを持っていなくて組曲だけで何かを思い浮かべるというのは難しい。音源は持っているのでたまに聴くことがあって、ワーグナーという余計な引用説明がやっかいで不要と思って聴くキーテジは馴染みのもの。作曲者独特のやにっこい響きからシルヴァーな色あいを感じさせる明るさまで艶やかに響く。2曲目からそのまま3曲目になだれ込む戦いは、肩の力が完全に抜けて心地よくプレイしている東フィルの腕前が聴きもの。リラックスの表情は極上、プレトニョフのマジック棒がさえわたりますなあ。

キーテジの前の雪娘は律動中心の曲で、静かな律動といった感じで、弾むオーケストラの響きがやたらと美しい。マーベラス。

最後に置かれた皇帝サルタン。これは3曲もの。3曲目が長くて盛り上がりを魅せるものなんだが、今日こうやって聴いてくると、全体が静かなざわめきといった印象が支配していて、全くうるさくない。音楽の前進する力は横に置いて、一音一音の切れ味の良いこと。角張ったところがまるで無くてむしろまろやかでさえあるのだが、弾むオケのこのサウンド。まるで力んでいなくて、個人個人のプレイヤーはプレトニョフのモーションと同じレベルの音圧で弾き吹き叩いているのに異常にピッチがあっていて、アンサンブルのサウンドバランス良好、そのほか色々とあって、それほど力入れずとも弾力性のある音が自然に出てくる。音楽が良く整っていると感じる。収録マイクがこういったところをどれだけ録れるものなのかわかりませんけれども、なかなかこういった味は掴み辛いのではないかと思う。力まない佳演をどれだけマイクが拾うことが出来るのだろうかといったあたりの話ですね。まぁ、余計な心配か。


今日の演奏会は小品をたくさん並べた演奏会でしたけれども、演奏会というイヴェントが拡散してしまうことがなくて、佳作が結束してしまった!、結びつきを感じさせてくれたという印象が強い。後半にオペラの組曲を持ってきているので全体が安定、プログラムビルディングの妙も感じさせてくれるもので、プレトニョフこだわりも見える中、演奏行為がとっても知的で美しい。彼の美意識の一端に触れたように思えた一夜でした。
次回はピアノも。

先週、今週、とても充実した演奏会を満喫できました。
プレトニョフさん、ありがとうございました。
おわり


2436- ノルマ、デヴィーア、沼尻、トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア、藤原歌劇、2017.10.22

2017-10-22 23:00:47 | オペラ

2017年10月22日(日) 2:00-5:00pm カルッツ川崎ホール

JOF プレゼンツ
ベッリーニ 作曲
粟国淳 ニュー・プロダクション
ノルマ  86-65

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1.オロヴェーゾ、伊藤貴之(Bs)
2-1.ポッリオーネ、ステファン・ポップ(T)
2-2.フラーヴィオ、二塚直紀(T)
3.アダルジーザ、ラウラ・ポルヴェレッリ(Ms)
4.ノルマ、マリエッラ・デヴィーア(S)
5.クロディルデ、松浦麗(Ms)
6.子供(黙役)

合唱、藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブル

沼尻竜典 指揮 トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア


(duration)
序曲  5
第1幕  38-16-27
Int
第2幕  23-42

主役3人衆が抜群の切れ味でノルマの醍醐味を満喫。ソロ歌唱の見事さもさることながら、二重唱、三重唱のバランスの良さ、散りばめられた美ニュアンス、美しいベッリーニ。ノルマはベッリーニにしては流れないオペラと以前は感じていたのですが、全て払拭、偉大なベッリーニ節を堪能しました。

同企画は7月に日生劇場でもありましてデヴィーアの合い間の国内組を観ましたがあれはかなり厳しい問題公演でした。今回個人的にリヴェンジなりました。

それから、昨年はこのノルマも観ました。
2216- ノルマ、グルベローヴァ、プラハ国立歌劇場、2016.11.6

デヴィーアは1948年生まれ。女性のほうが歌に関しても男より強い印象をもっていて、年齢の事はあまり気にせず。
第1幕、カスタディーヴァの一連の歌、少しハスキーな味を魅せつつ節回しが良くてピッチも良く、こなれていて、これまで無数に歌ったであろうこのピース、さすがの安定感。強靭さは背面に奥ゆかしくなり、ドラマチック・ソプラノの核を厳かに味わう。この歌は難しいんだろうなというのは7月公演で実感していたので、そういったところを見せないで歌い切るデヴィーアはさすがですね。中低音のきまり具合も心地よい。

このあと、ポッリオーネとアダルジーザの掛け合いとなる。
アダルジーザのポルヴェレッリは声質がデヴィーアと似ているが弾力性があって張りが前面に出ている。手応え十分のメッゾで、ポップ扮するポッリオーネがこちらを向いてしまってもいたしかたが無いところもあるよね。

圧巻は同2場、ソプラノとメッゾの二重唱、そしてテノールを含めた三重唱への一連の流れ。ドラマの発端が出来上がるシーンですね。
デヴィーアとポルヴェレッリの掛け合いは聴きごたえあり。両者のバランスがパーフェクト。二人で歌っているのになにやら一本の輪ゴムの伸び縮みを見ているような絶妙なバランス。同じような声域の事もあるかもしれない。圧巻、堪能。
これにポップが加わりスリリングな三重唱。プリターニのようなハイ音はそんなになくて、自分の守備範囲で思いっきり開放して歌っている。気持ちよいテノール。ストーリーが過熱してするにつれて三人の歌唱にもさらに熱が入る。良かった。
このシーケンス、沼尻の棒とTMPの演奏がこれまた素晴らしい。特にウィンドの切れ味、メリハリの良さ、それと歌の入りの前のイントロ、この呼吸が歌と同じぐらい濃くて、あれだと歌い手たちもつい歌いたくなるに違いない。
ブラスはドラマチックなシーンでの活躍が目立つので、縦軸は次回の公演までにしっかりと合わせてくれるのだろうと。

2幕は最後の長丁場、ノルマとポッリオーネの掛け合い、そしてノルマの最後のシーン。ドラマの解をギリギリまで延ばし、ドラマ性を極限まで広げ緊張感をずっと保つ。デヴィーアの歌唱はそのドラマに沿ったもの。鬼気迫るものがあった。ソプラノ、テノール、両歌い手、張り合うことなく溶け込む重唱アンサンブルの妙を満喫しました。


演出は7月公演と同じ。
指揮者とオーケストラは7月とは違って、沼尻、TMP。7月公演より10分以上伸びた演奏で味付けも丁寧。美しいベッリーニ節を味わいました。

出来たばかりのカルッツ川崎ホール、初めて来ました。
2013席のシューボックス型と書いてあるがこれはシューボックスではないと思う。
全体のつくりは軽めのオフィスのような感じ、音響はやや明るめで明瞭、クリアで聴きやすいものでバランスも良好。この日はオペラのためピットありで、1階席1100が992席に。
座った席は3階の右左通路の後ろ1列目、最悪でまるでダメ。座席前の仕切りの立て板が高すぎて普通に椅子に座ると字幕はおろか、舞台の上方三分の一が見えるだけ。つまり何も見えない。これは大問題。これから、前かがみトラブルが多発しそう。
同じ3階の左右席は前方に向いているので一見良さそうだが、下方向に角度が少ししかついていないので舞台は見えにくいと思う。トラブルもあったようです。
1階席2階席に座る機会があればまたここに書きたいと思う。
交通の便は一見悪そうだが、バスが便利。凄い本数出てますから。

付記
藤原さんのプログラム、7月は千円でしたが。今回は無料でした。いつもこうであってほしい。
ありがとうございました。
おわり




2435- ショスタコーヴィッチ、VC1、ベルキン、悲愴、ラザレフ、日フィル、2017.10.21

2017-10-21 23:45:06 | コンサート

2017年10月21日(土) 6:00pm みなとみらいホール

ショスタコーヴィッチ ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調  10-6-7-5(カデンツァ)-5
 ヴァイオリン、ボリス・ベルキン

Int

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 悲愴  16-7-9-9

(encore)
チャイコフスキー モーツァルティアーナより第3曲 祈り  3

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


ベルキン1948年生まれ。痩せ身で軽そうに見える。足は細めで、動きが特段敏捷というほどの事はないが身のこなしはいい。腕も同じ感じなので腕っぷしが強いという感じはしなくて、弾きも最初は少し定まらないところがあった。カデンツァの弾きは結構強くてツボは外さないあたりさすが。
中庸なテンポ設定で進んでいって終楽章の盛り上がりは、それまで割と静かにしていたラザレフがエンジンをふかして少しずつ駆り立てていってソロヴァイオリンが歯車的前進、ダイナミックな追い込みでした。圧巻の中で終るはずが、その2フレーズ前あたりでラザレフの譜面台が緩んでしまい縦になってしまった。一度直すもまた縦に。譜面は立て板に水のように泳ぐのをラザレフが一生懸命抑えつけながら指揮もしながらなんとかフィニッシュ。乱れの無かったオケもさすが。
全体印象としては、ベルキンは静に沈みこむことよりも陽に向かうような演奏スタイルと感じた。元気にいけそうですねこれからも。

譜面台をガムテープで固定して後半の悲愴へ。
後半の悲愴は猛速の約40分。フシに流されない絶対ソナタを構築。ロシア物ということを忘れて進みたいところだが、この猛速であの咆哮だから、もう、猪突猛進で、やっぱりロシアの嵐が吹き荒れる。等々、色々と荒々しい演奏といった事を横に置けば、構築物件としては骨組みのしっかりした第1楽章でした。オーケストラはこの解釈には慣れていないのが濃厚で、そこは炎さん含め沢山のタクトのもと膨大な回数を演奏してきた同オケがそちらに慣れてしまっていてギアチェンジが簡単にはいかなかったのだろうと、戸惑いに似たものをこちらは感じた。リハを積んでもあの棒に乗るにはかなりエネルギーが要ると思う。

とはいうものの、透明な弦のぶ厚い響きにはやられる。圧倒的な膨らみと水の中で弦を弾いているかのようにみずみずしいサウンドが気持ちよく響いてくる。ステージフルに広がる厚みのある弦は快感ですな。

3楽章のマーチは激烈ではあるものの、このインテンポ基準の第1楽章だったかなという気があとでしてきた。前出しのやりかたがこことうまく結びついた。それにしても、うなる、咆哮、嵐、草木もなぎ倒すもの凄い圧巻の表現。

終楽章は尻つぼみにならずにどんどん盛り上げる。ここでも弦の厚みが心地よい。最後は指揮台下りてコントラバスに向かって歩いていきながら振るという熱のこめようで、膨らむように盛り上がった。結末の弱音終止、例によって終わっても振っている、そのことによって客にフライング儀式をさせない。さすがです。

ラザレフの圧力はいまだ厚い。熱い演奏がいまだ、たぎる。
おわり




2434- ブラームス3番2番、エッシェンバッハ、N響、2017.10.21

2017-10-21 22:29:38 | コンサート

2017年10月21日(土) 3:00pm NHKホール

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調  12-8-7-9
Int
ブラームス 交響曲第2番ニ長調  (未聴に付き不明)

クリストフ・エッシェンバッハ 指揮 NHK交響楽団


3番のみ出席。
艶やかで非常に美しい演奏。指揮者指示による強いアタックでさえ極美に変えるN響ならではの確信的アンサンブル美。これはオーケストラのもの。
一方、各主題、経過句の伸縮や軽重がちぐはぐで脈絡が無い。造形美が無い。この指揮者が同じオケを振り続ければN響のような高度なスキル保有集団であればそのうち見透かすのではないか。だからエッシェンバッハは多数のオーケストラを振り続けなければならない。
おわり


2433- イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル、2017.10.20

2017-10-20 23:31:44 | リサイタル

2017年10月20日(金) 7:00-9:35pm サントリー

クレメンティ ソナチネ ヘ長調op.36-4  4-2-2
ハイドン ピアノ・ソナタ ニ長調Hob.XVI:37  7-3-4
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57 熱情  11-7-9
Int
ショパン バラード第3番変イ長調op.47  10
リスト 超絶技巧練習曲集から
           第10番ヘ短調  6
           第8番ハ短調 狩り  4
           第5番変ロ長調 鬼火  5
ラヴェル ラ・ヴァルス  20
(encore)
ラフマニノフ 楽興の時より第5番  6
ショパン ノクターン ホ長調 op.62-2  8

ハッピーバースデー 聴衆コーラス

ピアノ、イーヴォ・ポゴレリッチ



ポゴレリッチを聴いたのは記憶が定かでなくて以前1回あったかどうか。たぶん今日が2回目だと思う。ベトソナがプログラムにあったので、それで聴きに行こうと思い随分前にチケットを確保した。ベトソナ一覧はこちら

プログラム前半は明るくて軽め。済んだスコアはピアノの左横にバサッと置き、そこから次のスコアを取り出しザックリと弾き出すといったモーション。フメクラーさんはポゴレリッチにかなり近くに座ってますね。
前半サラっと聴くとエモーショナルなものは求めていない弾きだなあといった感じなんだが、最初のクレメンティからじっと見て聴いていると、強い弾きと弱い弾き(フォルテとピアノ)の両腕の上下運動が同じように見える。同じような押しで強弱が出ているように見えて不思議だなあと。案の定、あのような弾きだと熱情は激烈さとは別方向なんだろうと思う間もなく別方向。アタックが強くなくてこれまで聴いてきた同作品とはかなり印象が違った。強弱は出るのだが角が取れている。ゆっくりとした演奏で味わい深かった。
タッチの強弱を見せず、主旋律の殊更の強調が無いし、音の流れの切り替えも強調しない。陰影が有り、音色色あいは変化していく。これら諸々、聴いていると自然でシンプルな世界ですね。
ハイドンの延長のような響きから始まりベートーヴェンの静謐な世界を垣間見れた。そのハイドンは2楽章が3拍子の短調と思うが、なぜか葬送行進曲のような趣きがあった。
ポゴレリッチはステージの明かりを少々落として弾いているようでその色合いとプログラム前半の明るさの差が印象的でもありました。
改修後のこのホールで9月1日から演奏会やピアノを色々聴いてます。以前あったピアノのふやけたような音、それとガラスが壊れるような響き、これらが混ざったような音響だったのが、改修後は芯が出来て締まったように感じる。以前よりは随分と聴きやすくなった。
まぁ、ここまで3曲で割と納得してしまった。それに、高僧みたいな雰囲気ですな。
3曲、拍手させずのほぼ連続演奏。

後半の1曲目、ショパンの曲はバラードテンポより平面の広がりを感じさせてくれる。ポツポツとした響きが印象的。それとここらあたりから、押しの一定化に加え、指の塊がなんだかピアノのハンマーに見えてきた。内在する劇的な音が頭に少しずつ響いてくるような妄想か。ゆっくりと長い。
リストの3曲では、ハンマーで弦を直接叩いているのではないかという妄想の深化。
ここまで例の譜面バサッと置き拾いで前半同様、拍手させずほぼ連続演奏。

最後の3曲目ラ・ヴァルス、名状し難い演奏。激烈さと不思議に伸ばされた音価。普段、オーケストラ編成で聴く機会が多くて馴染みのある曲ながら、同じような具合にフシを追っていくのが困難なところが多く有った。
同じピアノ版の演奏を6月にヒンターフーバーの破壊的な演奏で聴いた。その時は11分。今日のポゴレリッチは20分ジャストの演奏。ほぼ倍。人により違いは出るものだとは言うけれどもこれだけ違うと、全く別の曲、知らない曲を聴いているようなところが何か所かあっても不思議ではない。自分がどこを向いているのかわからなくなるところが何度かあって、びっくり。平衡感覚か崩れた。
これが何かといえば、ポゴレリッチの感性なのだろうか。今日、強弱、アタック、流れ、ハンマー、色々なものが頭に浮かんできたがそれらを凝らして見ると、ラ・ヴァルスの弾きに作為は全くなくて彼の感性の集大成のスーパー・パフォーマンスと。それはしかし、彼が通ってきたもののようでもある。二面性は無いと思う。
これで思い出すのはムラヴィンスキーの演奏です。逆説的な強弱、引き伸ばし、怒髪天を衝くプレイ、全てゼロから自らの感性で作り上げてあげてきた演奏はユニークなものだが、作為は無くものすごい説得力となる。ムラヴィンスキーの恐るべき演奏はこれで垣間見ることが出来る。
1251- シベリウス交響曲第7番 演奏は曲を超えた。異形の絶演!ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル


ラ・ヴァルスのあと、味わいが深い聴きごたえ十分のアンコール2曲をたっぷりと。申し分ない秋の夜長だ。いい演奏。

そして、ポゴレリッチの誕生日。ケーキとお花、それに聴衆によるハッピーバースデーコーラスのプレゼント。笑顔で崩れたポゴレリッチの顔が印象的。
今日は色々と考えることが多かったです。
素晴らしいリサイタル、ありがとうございました。
おわり




2432- リスト、前奏曲、PC1、藤田真央、シェヘラザード、ミナーシ、都響、2017.10.19

2017-10-19 23:06:37 | コンサート

2017年10月19日(木) 7:00pm 大ホール、武蔵野市民文化会館

リスト 前奏曲  16

リスト ピアノ協奏曲第1番変ホ長調  6-4-4-4
 ピアノ、藤田真央
(encore)
シューマン(リスト編)  献呈  4

Int

リムスキー=コルサコフ シェヘラザード  10-12-10-13

(encore)
チャイコフスキー ナッツクラッカーより トレパック  1

リッカルド・ミナーシ 指揮 東京交響楽団


藤田さんを聴くのは3回目。前2回はソロリサイタルで堪能しました。今日はコンチェルト。

伴奏のオケは普段から大きい音のオケで、この1256席キャパのホールにブラスセクションがまるでブラスバンドの合同演奏のようなデカすぎサウンドで完全に興ざめ。指揮者がさらに煽るものだから五月蠅過ぎ。いつもの硬いティンパニがそんなに大きな音に感じなかったので席のせいもあるかもしれない。(2階最前列)

藤田さんはパワーのあるピアニストと思いますが、リストであれだけオケに騒がれると実力の片りんの一部しか聴こえてこない。アンコールで弾いてくれたピースが気持ちよく聴けた。リサイタルでも藤田さんパワーだとこの大ホールでも問題ないと思います。
おわり




2431- ハイドン受難、マーラー亡き子、小野美咲、シュベ5、未完成、プレトニョフ、東フィル、2017.10.18

2017-10-18 23:45:45 | コンサート

2017年10月18日(水) 7:00-9:30pm コンサートホール、オペラシティ

ハイドン 交響曲第49番ヘ短調 受難  9-7-4-3

マーラー 亡き子をしのぶ歌  6-5-6-3-7
 メッゾ、小野美咲

Int

シューベルト 交響曲第5番変ロ長調  7-11-5-7

シューベルト 交響曲第7番ロ短調 未完成  16-14

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


鮮烈な演奏会でした。最後30分におよんだ未完成の奇跡的な演奏は神棚に置くとしても、全て指揮者プレトニョフの美意識の在り方、それ以前に美意識の存在を実感させるもの。音楽の使徒。知性に裏打ちされた丹念な表情、張りつめた演奏は透徹した眼と耳が全てを隈なくコントロール出来ているから。オーケストラの必死のプレイはコントロールとは自己の最高のものを出すことと知り最善の力を出し切った。極限のコンセントレーションを課しそれを喜びとして究める。たぐいまれなる演奏会となりました。

プレトニョフがこのオケにもたらす緊張感というのはミュン・フン・チュンのそれとは随分と違うと思うし、その距離があればこそ、切り替えの集中も出来るというものですね。両指揮者を得ている東フィルさんは幸せ者ですよ。

当夜の演奏会、最初の音はいきなりダーク模様のハイドン受難シンフォニー。ダークといいますか、ソナタシンフォニーらしくない第1楽章のストイックなまでの塗りこめられた悲しみが全てを覆い尽す異色のシンフォニー。まず劈頭のこの演奏に吸い込まれた。
緊張感に溢れた演奏、何よりもアンサンブルの呼吸が素晴らしく良い。プレイヤーの息が一つになっている。フレーズの閉め具合も引き延ばしを排したものできっちりと揃って閉まる。これだけきまると何やら一つ一つのフレーズに有り難みを感じる。悲しみの表現と静謐さに満ちた演奏でした。
このアダージョ楽章で満ちて次のモルトアレグロ2楽章がまた申し分なく凄まじい。アレグロとはまるで思えない。第1楽章に迫るタイミングとなった超スローな第2楽章。音楽の表情とは凄いもんだ。プレトニョフのインスピレーションが乗り移ったかのような演奏は第1楽章と、思いが相似形。なんという音楽の形。あり得ないと逆説言葉が似合うのよ。
もはや、ここまでで全てが済んでいる気もするのだが、音楽は進む。次の楽章メヌエットはスケルツォ的でトリオでようやくこの曲、初めての長調、明るい響きが少しく感じさせてくれる。音楽の色模様。素晴らしいオケの緊張感と多彩な表現。
終楽章の律動はそれほどでもないはずなのに、何か突き抜けるようだ。ストリングの活力ある立体的な刻み、オーボエ、バスーン、それにホルンという管族の主張も心地よい。弾力性に富むもの。しかし短調に支配された旋律は最後まで変わらない。プレトニョフのボディーブロー、いきなり堪えますな。

2曲目はマーラー。ハイドンとの距離を感じる間もなく、おお、同じモードだと。
マーラーチックに流れるような演奏とは一線を画するもの。歌唱と伴奏オケだけのところのテンポ感が一致していて、コクのある歌に伴奏越えで寄り添う。ハイドン受難第1楽章の色がここでも塗り込められる。光はどこにあるのだろうか。
メッゾの小野さんの歌はとても素敵で魅力的。ツルツルではなくザラリとしたものでハードリカーのようなドライさも感じられる。歌詞との一体感の歌い口には情感がとてもこもっている。すらりとした体躯、2曲目では大きな声量でびっくりするところも。振幅が大きい。ドラマチックな歌い口になるところもあるけれども知性が覆っている感じ。プレトニョフと同じ空気を感じる。
ゆっくり目のこくのある3曲目、それに5節全て「こんな天気」から始まる終曲5曲目、宝石のよう、精緻な歌唱とドラマ、オーケストラの綿密なアンサンブル。クライマックス。
歌い終えて舞台から去りプレトニョフに急かされるもしばらく出て来なかった小野さん。おかげでこちらは感動の余韻に長く浸ることが出来ましたが。

長い演奏会の気配、濃厚。と、プログラム冊子をあらためて見てみると、なんだやっぱり、終演予定21:20と書いてある。こんなに充実した演奏会なら何時間かかってもいいわ。

ハイドンとマーラーの距離、そしてシューベルト、と。なんだか雑多だが、聴くと同じようなモードに襲われる。

シュベ5と未完成。まさか同じほどの時間がかかるとは思ってもいなかった。
5番の配置はコンパクト。ウィンド4管からクラを除いてホルンが入る。あとは弦。と、配置はコンパクトなんだが、それよりも前半の湿り具合がここまで連続している気配が濃厚で編成の小ささは感じない。むしろ大きな作品だなと実感。手応え十分です。
フレーズの頭に殊更にアタックを入れることなくむしろ曲想の変化を浮き彫りにしていく。練られたアンサンブルが各パッセージの最後の一音まできっちりとプレイ。丁寧な演奏で柔らかなニュアンス、生きたアンサンブル。緊張感張りつめた演奏会ではあるのだが、聴くほうとしては味わい尽くすだけの価値のあるものがここにはある。緊張が良い方向に作用している理由はプレトニョフに拠るものであることは明白。秋の夜長に食べつくすシューベルト。

最後の曲は未完成。
破格の演奏となりました。管が5番に比べ巨大編成となるのだが圧力は感じない今日の演奏会。ブラスセクションによるアタックはダイナミック、かつ、精緻。ウィンド、弦は入念。シューベルトの神経細胞を垣間見るような演奏だった。
第1楽章は提示部リピートあり、16分をかけたコクがあり過ぎまくりのプレトニョフのマジカル棒に悶絶。なんという深い闇。そこから現れる最初の音でテンポが決まる。最後までこれで行く。闇の第1主題。やや明るくなったか副主題。揺れるベース。鋭さを増すブラス。神経細胞の中心ウィンドセクション。弦が艶やかに艶めかしく歌う。これらが一体となった呼吸。あきれ果てるようなアンサンブルの極意。あまりの鮮やかさにぐうの音も出ない。もはや、タップ。たっぷり浸るしかないのだよね。

アタックは強くないのだが引きが見事で流れとしては立体的な音響を聴くことになる。ふわっと引く感じ。プレトニョフの指揮ぶりと似てなくもない。

神経細胞になるウィンド4人衆それにホルンには厳しい世界の第2楽章。何事にもかき消されずこの傑作を吹き尽さなければならない。再現部第2主題は名状し難いもので、フシを追えなくなった。弦の刻みに浮き上がるオーボエとクラリネット、厳しくも別世界。ゆっくりと美しく奏される。
第1楽章と同じテンポで進めているためか、この楽章14分。ロングな経過時間となりましたけれども、ピシッと張りつめた空気が心地よい。ひとつずつ入念に音を重ねていく。シューベルトの色あいが浮かび上がる。絶妙なニュアンス。指揮者が示したバランス感覚を見事に表現した東フィル。このテンポであれだけの緊張を保持するのは至難の技。いや、あれだけの時間が必要だったのかもしれぬとも思う。深い思考の30分に浸ることが出来た。
申し分ない大きさの未完成、秋の夜長に全貌を現したシンフォニー、食べ尽しました。ごちそうさまでした。
巨大な名演でしたね。
おわり


2430- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.17 千秋楽

2017-10-17 23:37:37 | オペラ

2017年10月17日(火) 4:00-10:10pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

神々の黄昏  35+80、68、79

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1-1.第1のノルン、竹本節子(Ms)
1-2.第2のノルン、池田香織(Ms)
1-3.第3のノルン、橋爪ゆか(S)
2.ブリュンヒルデ、ペトラ・ラング(S)
3.ジークフリート、ステファン・グールド(T)
4.ハーゲン、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)

5-1.グンター、アントン・ケレミチェフ(Br)
5-2.グートルーネ、安藤赴美子(S)

6.ヴァルトラウテ、ヴァルトラウト・マイヤー(Ms)

7.アルベリヒ、島村武男(Br)

8-1.ヴォークリンデ、増田のり子(S)
8-2.ヴェルグンデ、加納悦子(Ms)
8-3.フロースヒルデ、田村由貴絵(Ms)

合唱、新国立劇場合唱団
飯守泰次郎 指揮 読売日本交響楽団

duration
プロローグ 35
第1幕 15+28+37
第2幕 68
第3幕 79

二日目の公演はこちら
2421- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.4

四日目の公演はこちら
2425- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.11


前3作の感想はこちら。

1999- ラインの黄金、千秋楽、新国立劇場、2015.10.17

2199- ワルキューレ、三日目、新国立劇場、2016.10.8

2358- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.7

2015年10月1日、ラインの黄金の最初の音が出る前に現れたアルベリヒが舞台の大きな眼のようなものの中に映るシルエットの木を眺めているところから始まったゲッツのリングサイクルは今日のブリュンヒルデの鮮やかにしてさわやかに全てを悟り切った顔を眺めながら千秋楽の幕を閉じた。

終わってもなお闇というのが率直な気持ちだが、崩壊の中、まるで白装束のような布をまとったブリュンヒルデがそれを広げ黒いドレスで姿を現し、ワーグナーの怒涛のような音楽がきれいに閉じる。これは何だろうかと自問しても答えは出ず、ただ、ゲッツはこれを次の新たなプロダクションのリングの開始につなげたかったのではないのかなあ、などとあらぬことを妄想するのみ。

カミタソは、二日目、四日目、千秋楽。偶数回に観劇。

幕         二日目 四日目 千秋楽
プロローグ+第1幕 115 : 108 : 115
第2幕       68 :  63  : 68
第3幕       80 :  76 : 79

聴いた中では四日目の演奏が異常。他日に比べ15分以上短いもので、なぜあんなに荒れ狂ったのか、それは神のみぞ知る。

新たな発見としては、四日目の感想で書いた第2幕のトレモロのフシが、既に第1幕第2場、ハーゲン、グンター、ジークフリートという男同士のわるだくみ三重唱にちらりと出てくる。なるほど、と。

第1幕第3場前半、マイヤーPAならぬ効果音はおそらくホール左サイド上から、そのあとすぐに舞台に現れるマイヤーの離れ技。まぁ、演出ですね。
切々と歌うマイヤー、それに寄り添う伴奏の読響演奏が絶品。心象風景に忍び寄るような見事な呼吸。デカ音だけでなくこういったところもきっちりとパフォームするこれはもはやワーグナースペシャリスト集団ですよ。

この3場後半へ急転直下の場面転換ならぬ推移。ここでグンタージークフリートに襲われたブリュンヒルデが、次の第2幕、正気を失ったブリュンヒルデとしてグンターに手首をつかまれ婚礼舞台に出てくるシーン。ペトラ・ラングの鬼気迫るあまりに鮮やかな演技に声を失う。歌を越えた瞬間だろう。

といった具合で1幕2幕、観どころ聴きどころ満載でした。
2幕の合唱は強力だがもっと強力でいいし、それに真に迫った演技が欲しい。ストップモーションもきまったとは言えない。舞台が暗いものであればあるなりにメリハリのあるものが可能だったと思う。欲を言えばキリがない話ではあるが。


リング4演目フル出場のステファン・グールド。名前を初台に刻んだと思います。
プロローグや1幕で聴こえにくかった声はもしかしてワーグナーの書法のせいではないのかと思えるほど3幕でのほれぼれする最後の歌唱。なめし皮のようにしなるヘルデンテノールが今日はさらに輝き、なにやら一段帯の太さも増した。しなやかにして黒光りする美しさの極み。十分に味わい尽くしました。
それから、彼のフル出場、最初のラインの黄金でのローゲの歌唱とキャラクター、忘れ難きものがありましたね。thanx

憎きハーゲンのペーゼンドルファー、体躯といい顔つきといい、パーフェクトなキャラクター、ワルキューレではフンディングもこなした。
彼の歌唱にも感服。前に出てくるもので、それに決まりにくそうな低い低いところもきっちりと歌いにいく、ああいったところも圧巻ですね。悪役キャラに歌唱は誠実にして忠実、凄味あります。

安藤、ケレミチェフのカップルも印象的でした。双方スキニーでスタイル容姿良し、ベストカップルのように見える。ケレミチェフはやわな役どころなれど殊の外通る声で印象的でした。安藤さんは動きが華麗、細身から出てくる芯のある声で素敵でした。


飯守、読響はワーグナー王道、圧巻の演奏。
普段コンサートで聴く読響の正三角錐の音場が、ピットでも再現。揺蕩うバスを基底にそれに各インストゥルメントが上に上にと積み重なっていく音場。技と安定感。ズシリと響く手応え十分の重厚サウンド。本格的なワーグナーサウンドですな。
飯守の棒は激しい動きも魅せる中、歌に寄り添う呼吸もお見事で歌い手たちからの信頼も厚そう。いい棒でした。


リングサイクル、グールドに始まり、ラングに終わった感がある。
あっという間に終わってしまいました。素晴らしいリングサイクル。ありがとうございました。
おわり









2429- ベルク、ヴァイオリン協奏曲、ジュミ・カン、ルル・スイート、下野竜也、N響、2017.10.14

2017-10-14 23:11:16 | コンサート

2017年10月14日(土) 6:00pm NHKホール

モーツァルト イドメネオ 序曲  4

ベルク ヴァイオリン協奏曲  11-17
 ヴァイオリン、クララ・ジュミ・カン

Int

モーツァルト 皇帝ティートの慈悲 序曲  5

ベルク ルル スイート  5-11、4、4、3、6-3
 ソプラノ、モイツァ・エルトマン

下野竜也 指揮 NHK交響楽団


プログラムは作曲家だけ見れば前半後半ミラー。ベルクだと客が入るかどうかわからないし、プログラムにも創意工夫がいるのだろうと思うが、そんなにほめられビルディングではない。色々とこじつければそれなりに意味のあるものかもしれないが、直感のほうがポイントですよ。
ソリストが二人というあたりに苦労がにじみ出ている。

イドメネオの第1音、清涼感あるもので、このバカでかいホールでこのようなサウンドを響かせることが出来るのはこのオケだけだろうなと最初から妙な感慨にふける。

フィリップ・カンの娘さんのジュミ・カンは一度聴いてます。
2003- ブラームス、Vn協、クララ=ジュミ・カン、Sym1、ヘンヒェン、新日フィル、2015.10.25

今日はベルクもの。大柄で弾きの強い印象があったのだがベルクものに繊細さに心砕いたのかもしれない。
この作品はあまり好みではなくて、それでも興味はあるので実演には積極的に参加。
ひとつの進行の中に同じ(高さの)音の存在を多く感じる時があり、その瞬間、こちらの気持ちが揺らぐ。ハーモニーのせいだろうか。凝縮と昇華が圧倒的だとは思うものの。


ルルは昔メトで観た。記憶によるとフランツ・マツーラがゴル博士役で、第1幕第1場に登場し心臓発作でいきなり死んでしまい役どころ終了で客が大爆笑。というのも同じ時期にパルジファルのクリングゾルで出演していたため、あまりのキャラ違いに大爆笑と。笑うところかという話もあるがメトではたまにこういったことがありますね。カヴァレリア・ルスティカーナの大詰めのところでトゥリドゥが、マ~ム、と歌うところあすこも同じく笑いが入ったものだ。内容の深刻さとは別のところで笑いが入っちまうのは毎日流れていく音楽シーンや生活様式など色々と触れる空気というものがあるから。

ということで、ルルは組曲でなくオペラで観るもので、音だけ取れば難解、観れば少し違うもの、そういう話であるので、組曲だけだとイメージをつかむのは困難だと思う。
プログラム解説にある第1曲ロンドは、第2幕の第1,2場という二つのシーンから成る。下野もきっちりポーズし分けて振りました。
第5曲は組曲オリジナル。歌は第3曲のルル,第5曲の令嬢。こちらは短い。シーンをイメージしながら聴きました。
ソリストはシリアスな表現が見事。下野の棒は高速運転のところはテンポをドンドン絞めていく。緊張感に富んだもので研ぎ澄まされたベルクの音楽の切迫感を見事に表現していました。
おわり


2428- ニールセン、ヘリオス、グリーグPC、清水和音、ツェムリンスキー、人魚姫、上岡敏之、新日フィル、2017.10.14

2017-10-14 22:43:36 | コンサート

2017年10月14日(土) 2:00-4:10pm サントリー

ニールセン ヘリオスOp.17  11

グリーグ ピアノ協奏曲イ短調Op.16  13-5+10
 ピアノ、清水和音

Int

ツェムリンスキー 人魚姫  15-11-12

ハンス・クリスチャン・ロンビ シャンパン・ギャロップ  2

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


定期公演だがちょっと冠系のコンサート。日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念公演。演目はデンマーク絡み、棒はコペンハーゲン・フィルの首席を兼務する上岡。
グリーグのコンチェルトは作曲家がコペンハーゲンに滞在中に作曲したとのこと。人魚姫はアンデルセン絡み。

1曲目のヘリオスとは太陽。暗闇から次第に太陽が昇り海へと沈むまで。標題を殊更イメージしなくても弧を描く様な動き。暗闇でも線が見える。そうこうするうちにすぐに明かりが見えてきて海に浮かぶ太陽のようなやや重めでサラサラしている感じ。軽くない。沈んでいく太陽が印象的。
上岡の筆は冴えていて初めて聴く曲ながら内声がわかりやすかった。

グリーグのコンチェルトは清水が易々と弾く。音楽的なバランスを崩すことなく慎重にかつ情緒豊かに弾くという事はどういうことか、といったあたり近くで観るとその音楽のつくり方をリアルに見れる。際どくも鋭い。線のつくり込みが素晴らしく良くてほれぼれする。
ピアニストでもある上岡の伴奏が濃い。グイッと清水を睨みつけながらの棒さばき。ピアノとオケの入りは呼吸が極めて良く、見事に一致している。オーケストラの呼吸は上岡コントロールになっているので面白いようにきまる。このように息が合っていると演奏は引き締まり歌い口も良くなる。清水は自由さに余裕が出てくる。なんだか全ていい方向に進む。みんな鮮やかで聴きごたえありました。

後半はツェムリンスキー。アメリカのアクセントは「リ」に力を入れて発音すると容易に伝わります。
人魚姫は最近ポツポツと聴けるようになった。プログラムノートによると改訂稿での演奏という話だが、この文章は極めて分かりにくく、作曲者が初演に際し割愛した部分を復元した演奏という事だろう。(もっとわかりやすく書いて欲しいし、使う言葉にも統一感が必要。わざわざ不正確に書いているようにさえ感じる。さらにもうひとつ付け加えると、作品の解説が5行しかなくて、経緯説明が1ページ半、なんじゃこれは!おぱなしになりませぬ。)

人魚姫は3つの部分からなる交響詩という事だろうと思うが、それぞれの楽章に言葉での説明が要るともいえるし、アンデルセンの童話を知っていれば大枠の理解は進む。
上岡の前に譜面も譜面台も無し。こちらが心配するような話ではないのかもしれないが、よっぽど愛情を注いできた作品なのだろうと思う。意気込みを感じますね。
第1楽章の冒頭から血の通った生きた演奏。イキイキしている。全てのインストゥルメントに的確な指示、悉く正しく反応するオーケストラ。海底から人間界に現れた人魚姫の様子。オケ音色も見事にきまってます。
このスコアは見たことが無いけれども折角譜面不要の上岡が振ってくれているのでそのタクト具合を、サントリー至近距離定期席から眺めてみると、1,3楽章は3拍子系。2楽章は4拍子系のように見えましたが、変則振りが割と頻繁に入ってくる。それらが全部頭に入っているパーフェクトな振り。
この第1楽章は聴きように序奏付きのソナタ形式で、そのような聴き方でもいいのではないかと感じた。また、この楽章の規模が大きい割には2,3楽章が少し弱くバランスは必ずしもいいとは言えない。

形を感じさせてくれる作品ながら、上岡の棒はなにやらオケをキラキラと輝かせてくれたり、モクモクと水の中を感じさせてくれたりと音色の変化が鮮やかで、多彩な色模様を魅せてくれる。お見事な棒でした。
2楽章結尾のきまり具合、最高でしたね。この楽章は律動のサウンドが美しくオケ能力も最善のものを出していた。彼が振るようになってからこのオーケストラは軒並みハイレベルな演奏に坂登り傾斜を続けている。今日の演奏もしかり。指揮者とオーケストラの一体感はもはや明らかである。明白。
人魚姫、最高。

アンコールでのプレイヤーたちの冴えた技、楽しそうにプレイしている姿に感動した。新日フィルさんは上岡さんでがらりと変わりましたね。
楽しさ満開、全部満喫しました。ありがとうございました。

音楽監督がシーズンを通して振りぬいて欲しいものだが、なかなかそういう文化がないのが国内の慣わし。できれば上岡にはこれを破ってほしい思いもある。そう、簡単にはいかないだろうから、とりあえず、
2018年7月27日と28日のリクエスト・コンサートでは、ラフマニノフの3番コンチェルトを上岡さんに弾いてもらいたいなあ。出来るならば弾き振りで。
おわり


2427- モーツァルト、6変、ヴァイオリン・ソナタ36、28、33、42、イザベル・ファウスト、アレクサンドル・メルニコフ、2017.10.13

2017-10-13 23:18:39 | リサイタル

2017年10月13日(金) 7:00-9:15pm 王子ホール

オール・モーツァルト・プログラム

6つの変奏曲ト短調K360  11
ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調K380  7-8-4
ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調K304  10-6
Int
ヴァイオリン・ソナタ第33番ヘ長調K377  6-8-6
ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調K526  7-10-7
(encore)
ウェーバー ヴァイオリン・ソナタ第2番Op.10-b第2楽章  2

ヴァイオリン、イザベル・ファウスト
フォルテピアノ、アレクサンドル・メルニコフ


プログラムが最後の曲以外、当初のものと全部順序変更。そのノーティスを見落としてしまい、勉強不足もありなじみのない作品、最後まで混乱してしまいました。1曲目で変だなあとは感じましたけど、後の祭りというやつですね。

モーツァルト・サイクル、連日3公演の中日にうかがいました。
この315席ホール、何度か来たことがありますが、今日のリサイタルの音量だとこれ以上大きいところでは厳しいと思う。聴衆は息をころして聴く感じ。
フォルテピアノとヴァイオリンがユニゾン風になるところでは音色がよくブレンドされている。バランスはちょうどよかった。
モーツァルトの神経細胞を直接見ているような作品で色々と興味深く聴くことが出来ました。
おわり









2426- チャイコン1、辻井、チャイ5、ユロフスキ、ロンドン・フィル、2017.10.12

2017-10-12 23:24:10 | コンサート

2017年10月12日(木) 7:00-9:40pm サントリー

ワーグナー マイスタージンガーより 前奏曲  10

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23  22-7-7
 ピアノ、辻井伸行
(encore)
チャイコフスキー 四季より トロイカ  3

Int

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調Op.64  14-12-6-13

(encore)
チャイコフスキー エフゲニー・オネーギンより ポロネーズ  4
チャイコフスキー 弦楽セレナーデより エレジー  9

ウラディーミル・ユロフスキ 指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


10年コンビの来日公演。同オケの首席指揮者とあるから音楽監督ほどの結びつきではないと思うし、人気指揮者で色々と掛け持ちもしているよう。いずれにしてもこの組み合わせでどんな音が出てくるのか楽しみ。
改修したサントリーの鍵盤側で拝聴。

1曲目のワーグナーから始まりました。音が非常に明るくて硬めでびっくり。CBSの6つ目でも聴いているような心持ち。キンキンまではいかないがそうとうに耳に来る。ただ、弦に力感があり厚い。こういったあたりの手応えはやっぱり生ならではの聴きごたえ。上質のハードリカーの味わい。ロンドンのオケだが硬めのスコッチという感じ。
ロシアのワーグナーのようなデモンストレーション。ウィンド中央2列の後ろにホルンが慎ましく鳴る。ひな壇列ウィンド後方3列目で、鳴りも第3のウィンドという感じ。これはチャイコフスキーも同じ、最後まで同じだった。それでホルンの後ろには何もなくて、空(カラ)のスペース。
ホルンは咆哮しないが上手サイドに集中してセットアップされた最奥のトロンボーンとチューバ、その左真横のティンパニ、それらの前列にトランペット。バンダ風にオケから少し離れ気味で、鳴らす鳴らす。ビンビン。指揮者はモロ、ロシア風味が濃厚ですな。

チャイコン。ピアノの辻井は、協奏曲は割と聴いている。ここ2年ほどではペトレンコV&リヴァプールの伴奏でプロコフィエフPC3、ラフマニノフPC3、オルフェウスの伴奏で皇帝。
最初のワーグナーもそうだがピアノサウンドも、改修したサントリーの音はクリアに響くようになったと思う。そんな中、辻井のピアノも以前より粒が一つずつよくわかる。前は少しバシャバシャ感があったのだが、そういったところが消えている。すっきりした。本人の横にやつさないプレイもあるかなと思います。以前とは色々とずいぶん変わってきている。
タメの無い弾きはそこに美感を求めるとなかなか難しいところがあるけれども、オケとの呼吸の一致をとるのが厳しいというところもありますね。ユロフスキもペトレンコVも、もうこれ以上ないコンタクトで漂う空気を吸い上げる。プロの技を越えた人格すら感じる。
タメと呼吸。辻井は別のセンサーを持っているのかもしれない。
粒立ちがよくなった分、音の並びの揺れもよくわかる。音価の伸縮が始終あり不安定と感じることも。それから、バスもハイも同じような圧力で、ふくよかなバスの味わいはあまり無い。これも違った感性かもしれない。
今日は冠コンサートだったが水を打ったように静かで第1楽章終わったところで、たぶん招待客による自然発生的な拍手のみ。これは諸外国では日常的なもの。
満員の客を鎮まらせる辻井のピアノであった。静かなホールに辻井のピアノサウンド、そして掛け合うオーケストラの咆哮。弦、ウィンド、ブラス、と満遍なく聴ける曲でオケ能力を堪能。指揮者もオケも単なる伴奏という雰囲気はまるで無くて、そうとうに濃い。細かいパッセージは端々までかき消されずにきっちりと聴こえてくる。つんのめらないブラスのアタックは正確で気持ちいい。ホルンは相変わらずおとなしくウィンドに絡まっている。
メリハリの効いた壮快感満載の演奏でオーケストラ伴奏越えの醍醐味を満喫。

後半チャイ5。ロシア物で迫りくるロンドン。やりつくされた曲なれど気を取り直して聴く。
まず、明るくて、パンチ力が凄い。ブヨブヨしてない。リフレッシュしてリセットボタンでも押されたような新鮮でそう快な演奏。
16型対向、ベースは下てなので鍵盤側に座った席からは片割れしか見えないが、ブインブインときますね。他の配置は前半と同じ。
ホルンの位置はウィンド3列目の域ね。下てから中央、ワーグナーではなぜかアシに座ったパイヤット。コンチェルトでは消えてしまい、このチャイ5はソロ吹きしないといけないので1番席に。前半1番席にいたかたは、なぜかアシ席へ移動している。どうなってるのかしら、このオケはプリンシパルとアシスタントが兼務なの?、どうゆう商売?(笑)、メンバー表みると両方ともプリンシパルみたいです。
パイヤットの2楽章ソロはビブラートもそこそこに、薄口醤油にワサビという感じ。

総じて聴きごたえ十分の5番でした。ザッツをビシッと決めて、かかってくるブラスセクションの咆哮。厚くて透明で力感ある弦がさらに素晴らしくて、太い透明な帯のように流れる。極上の輝き。
ウィンドはクラリネット、バスーン、ここ息あってますね。フレーズの掛け合いなどちょっとしたミスまで連動。
オーボエの隣のジュリエッタさんのフルート、聴きごたえ見ごたえありました。あと、チェロのプリンシパルも女性でクリスティーナさんですかね。弾きが濃くてヴァイオリンを弾くように体を動かしていました。今日の演目にはそれぞれソロが出てくるので楽しく拝聴出来ました。
ユロフスキはブラスのアタックはもはや明白すぎる主張で、かつ、輝かしい弦に強弱の波をつけて歌わせる。これはちょっと作為的なところもありました。
ロンドンのドライリカーを味わいつつもロシアの主張もビンビンと。古いものは消え新しいサウンド、双方の気概が伝わってくるいい演奏会でした。

このオーケストラは指揮者にストンプしませんね。自分たちの首席指揮者だからというのもあるのかもしれないけれども、あるべき姿だと思う。

アンコール2曲目のエレジーはオーケストラ、指揮者、聴衆、みなさん呼吸を鎮めてその味わいに浸りました。
ワーグナー1曲以外は全てチャイコフスキーというもの。次回は別のプログラミングでお願いします。
おわり




2425- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.11

2017-10-11 23:19:36 | オペラ

2017年10月11日(水) 2:00-8:00pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

神々の黄昏  35+73、63、76

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1-1.第1のノルン、竹本節子(Ms)
1-2.第2のノルン、池田香織(Ms)
1-3.第3のノルン、橋爪ゆか(S)
2.ブリュンヒルデ、ペトラ・ラング(S)
3.ジークフリート、ステファン・グールド(T)
4.ハーゲン、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)

5-1.グンター、アントン・ケレミチェフ(Br)
5-2.グートルーネ、安藤赴美子(S)

6.ヴァルトラウテ、ヴァルトラウト・マイヤー(Ms)

7.アルベリヒ、島村武男(Br)

8-1.ヴォークリンデ、増田のり子(S)
8-2.ヴェルグンデ、加納悦子(Ms)
8-3.フロースヒルデ、田村由貴絵(Ms)

合唱、新国立劇場合唱団
飯守泰次郎 指揮 読売日本交響楽団

duration
プロローグ 35
第1幕 12+23+38
第2幕 63
第3幕 76


二日目の公演はこちら
2421- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.4


前3作の感想はこちら。

1999- ラインの黄金、千秋楽、新国立劇場、2015.10.17

2199- ワルキューレ、三日目、新国立劇場、2016.10.8

2358- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.7



2幕大詰め20分におよぶハーゲン、ブリュンヒルデ、グンターの悪だくみ三重唱。この最後のところで突然、弦が7小節に渡りフォルテを頭にしてトレモロを奏でる(*)。三人が歌う中、安定調で現れた結末の実行予告。あまりに見事な音楽の表情。ここを聴くたびにワーグナーのインスピレーションのきまり具合に、劇の表情、音楽の表情というのはこういうことをいうのだろうなぁと恍惚感とともに、慄然とするものを感じないわけにはいかない。
6時間劇、台本も音楽も全部が見えていたワーグナーならではの千変万化のつくり込み。すごいもんです。

(*)
dover1982-p411の5小節目から。(Noch etwas bewegterの34小節前から)
H 宝は俺のものにならなければならない。
B&G ジークフリートは血で償え。
H 指環をもぎ取る。
のシーン。
今回の公演では三重唱を舞台で歌ううち3人が前に出てきて一度幕が下り、手前で三重唱のところ。
このあと舞台は、幕が再度上がりカップル×カップルのお手々つなぎシーンとなり、ブリュンヒルデが振り向きハーゲンを指さしストップモーションでフィニッシュ。光が落ち幕が下り、再度幕が開き、聴衆にそのきまりぐあいをもう一度魅せてくれる。
(*)


今日の2幕は殊の外激しいもの。キャスト、指揮者、オーケストラ、至る所で大盛り上がり。二日目に観た時と時間を比べてみました。

プロローグ+第1幕 115 : 108
第2幕  68 : 63
第3幕  80 : 76
全体で16分縮みました。これは激しい。

最初は特に気に留めていませんでしたが、第2幕のあまりの激しさにこれは一体どうなっちゃってんの、という雰囲気が濃厚に。60~70分に5シーンが詰め込まれているのでそもそも動きの多い幕だけれども、前へ前へとのめっていく演奏。オーケストラはブラスセクションはじめ高密度の大咆哮。荒れ狂うめくるめく展開。本当にクラクラしてきた。
二日目の公演では全体が大きく波打つような展開。今日は部分も全体も激烈な演奏で、なにやら怒りすら感じる。

プロローグ。ノルンが去る前に現れたブリュンヒルデは、彼女たちが千切ったもしくは自然にもげた綱を梳く上げ千切る。夜明けドーンの前触れのフレーズの頭に合わせて2度千切る。色々とゲッツも細かいと、あとで思う。

第3幕3場、ハーゲンがグンターを殺り、仰向けになって死んでいるジークフリートの右手から指環をもぎ取ろうとすると、ブリュンヒルデが現れジークフリートの右腕が上にあがってきてハーゲンが躊躇する。ブリュンヒルデが先かジークフリートが先か、どうなんでしょう。少なくとも彼女にはまだ神ぢからが残っていたのだと思わせるシーン。
ワルハラファイヤーしてグラーネとともに火に飛び込む。のではなくて、白い布で自分を包み最後まで残る。音楽が怒涛のように揺蕩う中、最後の瞬間、腕を広げ現れたブリュンヒルデ、この結末、おお、そうだ。プロローグ、ノルンが去る前に現れたブリュンヒルデではあったのだ。
ペトラ・ラング、3幕はヘトヘトで声が泳いでいるようなところが散見されましたけれども、モーションは全幕どこを切り取っても悉くきまる、ワーグナーのサマになる、絵になるラング、プロ中のプロを強く感じさせるもの。
この最後のシーン、いい顔してました。すがすがしいともいえるもので、これがブリュンヒルデの結末だったのか、はたまた、芸術を全うした高みの顔なのか、一種名状し難い感動に襲われた。

ラングの動きの素晴らしさ、そしてみなさんの強烈なワーグナー声、オケの読響もパーフェクトなワーグナーサウンド。

グールドのツボは3幕、ハーゲンに殺られる前の、過去を振りむき夢見るような絶唱。なめし皮のようにしなる。かどがまるでないシームレスでしなやか、黒光りするヘルデンテノール、美しい。
思えば、ラインの黄金のローゲ、ワルキューレのジークムント、ジークフリートのジークフリート、そして今回の、神々の黄昏のジークフリート。指環フル出場、分けてもローゲは大変に印象的でしたね。どれもこれも鮮やか、鮮明な印象がちりばめられた指環でした。
ダイエットが要りますが、あの体躯がパワーの源かと思うと痛し痒しのところもありますね。

ハーゲンのペーゼンドルファー。ちょっと不調と事前アナありましたけれども特にそのようなところはみられず。
まぁ、このキャラのきまり具合は尋常でない。限りなき悪に染まりながらもダースベイダー的、尾根の淵からどちらに転ぶか、そのような影をも感じさせてくれる。見事なもんです。むろん、声あっての称賛。深みともども前に出てくる押し出すようなバス。
舞台での立ち位置が非常にいいですね。主役になるところと影になるところをきっちりと分けている。演出の妙でもあるわけですが自然に陰に溶け込めるキャラ、お見事。

H愛を醸し出す兄妹、グンターとグートルーネ。安藤さんのスキニーで洗練された動き、身のこなし。ビューティフル。ポイントになるところでの歌の締め具合もいい。押し殺したような歌でワーグナービンビンになる局面もあり、変幻自在の優雅さです。
お兄さんのケレミチェフは安藤さんともどもスタイルがいい。役は煮え切らないものですけれども堂々とした声でものすごい存在感。
このお二方、劇中とは言わずなんだかお似合いのカップルのように見えますね。役的には近親相姦、これにハーゲンもおそらくその中にいる。ゲッツの人物描写はまことに見事で、こういったことが中心的なテーマではないと思うが、色々と散りばめられている。

第1幕の3場のヴァルトラウテのヴァルトラウト・マイヤー、姿みえずの第一声は、前回聴いた時は作為的なPA失敗かと思いましたが、これは計算された効果音的なものですね。声をホール奥で響かせ、そのあとすぐに舞台に姿を現す。
自分の役をわきまえた歌唱、派手に目立つものではなくて役のなかで最善の歌唱となる。見事なもんです。
若いときはマイクで拾えないデカい声という印象ありましたけれども、今は違う。

ノルンたちは一つ綱のように一人ずつ連鎖するかのような斉唱。かたや第1幕1場でラインの娼婦として、手、から出てきた乙女たち。あすこでジークフリートから指環を奪っていれば事は起こらなかったという思いがある中、最後は娼婦から、ラインの黄金同様、ピュアな乙女になり、ハーゲンを引きずり下ろす、彼女たちの重唱の美しさと力強さ。
女声3名×3名。コントラスト、お見事。印象的で味わい深いものでした。

もう一回観る予定です。
おわり