河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1481- The tears of nature、火の鳥、女書、タン・ドゥン、N響2013.5.23

2013-05-31 00:15:00 | インポート

2012-2013シーズン、聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2012-2013シーズン
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2013年5月23日(木)7:00pm
サントリーホール
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タン・ドゥン 
「The Tears of Nature」~
マリンバとオーケストラのための(日本の津波犠牲者の追憶に)(2012)[日本初演]
  マリンバ:竹島悟史
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ストラヴィンスキー 火の鳥、組曲
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タン・ドゥン
女書:The Secret Songs of Women ~13のマイクロフィルム、ハープ、オーケストラのための交響曲(2012/13)
[NHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団共同委嘱/世界初演]
  ハープ:早川りさこ
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タン・ドゥン 指揮 NHK交響楽団
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女書のインパクトをより効果的にするには、最初の曲はいらないと思う。2曲ピックアップすることにより印象が散漫になってしまった。
この一曲で50分に迫る大曲であり、前半のは断片、協奏曲の緩徐楽章からの発展形ということもありそれ自体、密度が濃いとは言えない。全曲の中の一部といった感は否めない。そして続けて火の鳥。 ?
前半は別の作曲家のものとし、後半にこの女書でよかったのではないか。
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この女書は、バルトークの民謡発掘の発想がベースにあるようだ。映画的シナリオ、シンプルなリズム、メロドラマ風な運び、回帰し過ぎと思う。
ステージの天井から左右と真ん中にぶら下がっているスクリーンに映像が出る。
事前解説がなければ絶対に意味の分からない曲。
語法がバルトークのようにとられているのかわからないが、土地に根差した曲であり、地域限定語のようなものを題材にしてその普遍化を音楽によって図る、そうとうに困難なことに違いない。シンプルなリズムとメロディで馴染み易さはあると思う。シリアスなものかどうかはわからない。
スクリーン映像がありながら、声(言葉)の字幕はない。これでは面白さがどこまで満たされたのか自分でもわからない。ただ、映像は作曲家が作ったこの曲の演出の一部であって、もし字幕がついたりしたらそれは日本人向け(特定の国向け)のものであり、作曲の意思とは少し異なるということにはなるかと思う。曲がよく知られ普遍化されると字幕が付くようになるのかもしれない、という皮肉な要素はありそうだ。
最後の10分ぐらいにシュトラウスのアルプス交響曲の下降音型がなんだか派手に出回る。クライマックスは取ってつけたように感じた。大団円に向かって必ずしも滑らかな流れとはなっていないように思えた。


解説「The Tears of Nature」
古代中国には八種の素材─金、石、糸、竹、匏(ふくべ)、土、革、木─に基づく楽器分類法、八音(はちおん)があり、自然、人間、音楽の三者は不可分とされてきた。タン・ドゥンに大きな影響を与えた20世紀音楽の革命家ジョン・ケージは「芸術は自然をその作用方法において模倣する」をモットーに自然現象のメカニズムを音楽の形式や構造に写し取る、標題音楽とは正反対の極めて抽象的な方法で音楽と自然とのあり方を模索した。21世紀の今、タン・ドゥンの音楽は自然とどう向き合うのだろうか。
 中国の賢人の言葉「自然と人との和は常に一となる」にはタン・ドゥンの自然観が反映されている。水、陶器、紙などを楽器として用いたオーガニック三部作を始め、彼は人工物たる楽器と自然の音素材との調和を図ってきた。タン・ドゥンにとって、パーカッションは音楽的な効果が奏者と聴衆双方の心身に直接浸透するという点で重要な位置を占めている。2012年に作曲された《パーカッション協奏曲》もこの路線を踏襲しており、四川大地震や東日本大震災など近年の自然災害を通して自然から人類へ警鐘を鳴らす。演奏される《The Tears of Nature》は元々はこの協奏曲の第2楽章として作曲されたが、今回の日本初演に際してタイトルを変更した。
 タイトルのTears(涙)とは人類を脅威に曝(さら)した自然が流す懺悔(ざんげ)の涙である。冒頭、チベット仏教で瞑想時に使われる鈴(りん)の神秘的な響きの中からマリンバ独奏の慈愛に満ちた旋律が浮かび上がる。マリンバ独奏のトレモロと階段状の音の連なりからなる旋律は水、雨、海、川を象徴する。この旋律は管弦楽全体に広がり、最後には悲嘆の奥底に強さを秘めた大きな一本の線となって哀歌を奏でる。
作曲年代:2012年
初演:2012年12月13日、ハンブルク。作曲者自身による指揮、マルティン・グルービンガーによるパーカッション独奏、北ドイツ放送交響楽団による管弦楽
委嘱:北ドイツ放送交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団による共同委嘱

解説「女書」
タン・ドゥンは活動拠点をニューヨークと上海に置くコスモポリタンとして、北京中央音楽院出身の「華の1978 年組」と呼ばれる作曲家たちの中でも際立った存在だ。彼は少年期に政府事業の一貫として農耕に従事し、音楽が人間の営み全般と結びついていたコミューンでの共同生活を通して音楽に目覚めた。それは折しも文化大革命の最中だった。「様々な文化の間を自由に泳ぎ回っている」と語る彼の音楽は、中国伝統音楽の語法と、青年期に没頭した西洋の前衛もしくは実験的な語法とが行き交う場である。
 今回、世界初演される《女書:The Secret Songs of Women ~13のマイクロフィルム、ハープ、オーケストラのための》は湖南省南西部に位置する江永県発祥の、世界で唯一の女性だけの間で伝承されてきた言語、女書(ニュウ・シュウ)を主題とする。かつて漢字の学習を禁じられていたこの地方の女性たちは漢字を変形させた表音文字である女書を作り出し、女性の悲哀や良妻賢母になるための人生訓を女書で記した。嫁いだ女性たちは厳しい暮らしの心の拠り所を女書に求め、その中に夢や希望の世界を描いた。それは詩の形式をとり、歌のような独自の節回しで音読される。女書は女性の間で密かに伝承されてきたが、文化大革命が終了して以降の急激な近代化に伴って、現在では絶滅の危機に瀕している。タン・ドゥンは女書のルーツを探るために現地で調査し、今ではたった6人となった伝承者から女書の読み書きを教わった。角張ったかたちの漢字に対して、女書の文字は流麗な曲線美だ。女書の文字には音符、ピーパ(中国琵琶(びわ))や、この協奏曲の独奏を担うハープなど音楽に関連する事象に似ているものがいくつもある。タン・ドゥンは女書と音楽との奇跡的な符合を現地調査の際にスケッチした。タン・ドゥンのホームページ(http://www.tandunonline.com/images/nushu.pdf)で公開されているので参照されたい。
 曲の構成はプロローグと12の楽章。当初、この曲のタイトルは「涙の書」と構想されていたようだが、タン・ドゥンは逞(たくま)しく生きる女性の強さも描きたいと思い、「女書と水のロックンロール」を終楽章に据えた。川で炊事洗濯を行う彼女たちにとって、水は命と生活の源だ。タン・ドゥンが採集し、詩を付けた明るい民謡の旋律が川の水音を用いたビートに乗って歌われる。それは力強く生きる女性たちへの賛歌でもある。
 演奏の際にはタン・ドゥンが江永県河淵村で撮影した映像も併せて上映されることから、この曲はハープ独奏、管弦楽、映像における女書の吟唱が一体となった映像交響曲ともいえるだろう。
作曲年代:NHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団が共同委嘱し、2012~2013年作曲
初演:2013年5月22日、東京、サントリーホール、NHK交響楽団第1756回定期公演、作曲者自身による指揮、NHK交響楽団、早川りさこの独奏で世界初演


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1480- 黄金時代、葬送音楽、ブラームス2番、井上道義、新日フィル2013.5.16

2013-05-21 22:09:00 | インポート

2012-2013シーズン、聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2012-2013シーズン
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2013年5月16日(木)7:15pm
サントリーホール
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ショスタコーヴィッチ 黄金時代
ルトスワフスキ 葬送音楽
ブラームス 交響曲第2番
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井上道義 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
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一見するといいプログラムビルディングとは思えない。企画とか主張があるのだろう。
キャッチコピーは「黄金だけじゃつまらねぇだろう」、これは音楽の持つ時間の長短を念頭に入れていないというか、そのようなこととは別の主張。いい時も悪い時もある、と理解したほうがよさそうだ。
ショスタコーヴィッチの「黄金時代」だけじゃ演奏会が短くてつまらねぇだろう、と言っているわけではないということです。
キャッチコピーの解説?を読むとそう理解できます。↓
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常に頂点を目指し、常に一筋縄でいかないのが井上道義の真骨頂。「40周年?“黄金時代”はどうだ?でも“黄金時代”は“黄昏”もあるから“黄金時代”なんだよ。オレ自身、“黄昏”にも魅かれるんだ」とはマエストロ道義談。酸いも甘いも味わった(?)井上道義だからこその「人生悲喜交々(ひきこもごも)プログラム」をどうぞお楽しみください。
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だそうです。
こういった文章を読んでから聴くのと、前提なしで悪いプログラムビルディングだな、というのとではちょっとは違うんだろうけど。
個人的には演奏会毎にキャッチコピー張るのは好きではない。印象操作されるというよりも、プログラミングに理由つけなくていいと思うだけ。
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黄金時代はゴールド色の表紙のスコア、葬送音楽は黒っぽい表紙、ブラームスは白、もっともブラームスはスコアを開くことはなかったけれど。
連続性の企画を違う色で結びつけるという「離れ業」、音楽も色も違うのに連続性を感じさせる行為と認識したいと思います。拡散系のプログラムでしたがそれなりに楽しめました。
前半の2曲は両方ともに15分あまりの曲、あまりに芸風が違い過ぎて聴く方の切り替えスイッチがうまく作動しませんでしたが、自分にとっての初生物(はつなまもの)で響きが面白かったと思います。両曲ともCDを持っているので、これから聴きこんでいきたいと思います。
後半のブラームスは自然体で重量感を感じさせながらも滑らかさを表現。さらに明るさもありのびのびとした世界が開けました。さらに井上に必要なものがあるとすれば、この曲に関しては、祈り、そのような沈み込みがあればさらに深みが増したのではないかと感じた。
おわり

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1479- ピエタリ・インキネン、日フィル、シベリウス、3番6番7番2013.4.27

2013-05-01 16:53:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2012-2013シーズン
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2013年4月27日(土)2:00pm
サントリーホール

シベリウス 交響曲第3番
シベリウス 交響曲第6番
シベリウス 交響曲第7番

ピエタリ・インキネン 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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この指揮者はお初で聴きます。この演奏会の何日か前に6番と7番を連続演奏するということがわかり、一つの公演で両曲を演奏する場合のプログラムビルディングとしては、ありかなと思いました。双方長さ的にはどちらかというと中途半端、でもあまりにも内容が濃いので、たしかにどう配置して奏すればいいのか迷うようなところもあり、一つの回答としてインキネンの結合演奏も試みとしていいものだと思う。
結果、
全く違和感がないというか、むしろ緊張の持続と高まり、そして雪と冷たい空気がきらりと光るような素晴らしいシベリウスサウンドとともに満足した一夜となりました。
ドリアの6番は第1,2楽章を繋げ、その第2楽章を終えたところできっちりいっぷく。
第3,4楽章は一呼吸置いただけで連続。そして第4楽章から7番へのつなぎも一呼吸しつながっていく。
No6(1mvt+2mvt)、No6(3mvt),No6(4mvt),No7
こんな感じのモード。
一番緊張感を味わったのは7番へのティンパニの入り。殊の外、巨大に感じた6番を終え、7番は全て冒頭のこのティンパニの小さな音から派生しているのではないかとあらためて実感させる素晴らしいつながりと緊張感を味わえました。
7番はこれ以上ないぐらい音楽が凝縮していて、息つく暇が無く緊張感がとけない。
緊張感を自ら作り出し、自力で解決したのはムラヴィンスキーの演奏をおいてほかになく、どうしてもあの演奏と比べてしまう。異形(いぎょう)なものと比べるのはどうかと思ってはいるのですが、あの演奏はあまりにもユニークでインパクトが強すぎる。
ということで、それはなるべく横に置いてインキネンの表現は昨今流行りのディテールにこだわるために停滞するような本末転倒のような演奏とは異なり、深く、流れる。表題的でないものからなにか寂寥感のようなものを導き出している。主題は慎重にかみしめられており、この慎重さの積み重ねのようなものが、むしろ自然発生的に無垢の流れを導き出している。つまりそこにある譜面にみな没頭すればいいのです。
無意識の音の連なりと徐々に高まるヒート感。融けることの無い氷かもしれないが、だからこそその美しさが氷柱のように最後の局面でそそり立つ。素晴らしい曲。そして指揮者の表現とオーケストラサウンド。美しい。
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第6番はこの日、なんだかかなり巨大な曲のように聴こえました。インキネンの棒は明確にモザイクとその統合を意識しており、解決を見るというよりいろんなものが並び立っていてそれぞれのモチーフが全て印象的に残像となる。明確な区分けです。ユニークな交響曲と言える。
それら一つ一つのモチーフがかなりダイナミックで幅広なサウンド、結構鳴らしきっている。第1,2楽章の印象は濃厚。第3楽章は個人的には裏で「モナリザのほほえみ」の響きを感じるのですが、そんなもの打ち消して忘れさせてくれる迫力。終楽章で尻つぼみになるので7番へのブリッジは試みとしてはいい具合。
巨大な6番を聴かさせてもらいました。
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前半の3番。
この曲はごつごつメロディーと終楽章の流れが好きなのですが、6番7番を聴いた後、思い出すと、およばない。と感じました。
ただ、第3楽章の流れるメロディーの前部分についてはインキネンの解釈が濃いというのがよくわかる個所がありました。モチーフの強調が主副を感じさせないでパラレルに膨らみます。丁寧でわかり易い解釈で曲の魅力を引き出しておりました。
おわり


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