河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2397- ベトソナ、27,30,31,32、イリーナ・メジューエワ、2017.8.26

2017-08-26 19:18:09 | リサイタル

2017年8月26日(土) 2:00pm 小ホール、東京文化会館

オール・ベートーヴェン・プログラム

ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 op.90  7-8′
ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109  4+3+15′
Int
ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110  7+2+13′
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111  10-18′

(encore)
6つのバガテル ト長調 Op.126-5  3′

ピアノ、イリーナ・メジューエワ

ベトソナ後期3発に27を加えたうれしいプログラム。
メジューエワさんなにかすっきりしていますね。細身でさっぱりしていて気持ちがいい。
日本デビュー20周年記念リサイタルの一環。プログラムは縦書き。

スランプ時期の27番、この第2楽章が好きでよく聴く。マイプレイリストにも入れてある。憂いを含んだ明るさなのだろうか。少し、気持ちが痛くなるようなところもある。音楽は滔々と流れベートーヴェンはメロディーメーカーとあらためて実感。
メジューエワさんのピアノは殊更に流れを追うことはしない。結構なくさびを入れつつ、かといって執拗に深いものではなくてニュートラルな心地。
この日の使用ピアノは1925年に作られ、たくさんの演奏に使われてきたSteinwayを日本でリビルドしたものということ。楽器のことは詳しくありません。
弾き始め、ちょっと乾いていて締まったサウンド。少し割れ気味なところがあったように思います。弾きこんでいくうちにそれが無くなった。(気にならなくなった?)
最後のアンコールのところで、最初の印象に戻ったような音になった感じで少し不思議。
といった具合で聴いた27番でした。曲の雰囲気、彼女に良くマッチしたもので、3発にこれを盛りくんでくれたのはハッピー。

続いて30番。終楽章の変奏に至る前の2楽章ともに比較的ゆっくりとコクのある演奏で味わい深い。変奏曲の大きさとともにこの2楽章の味付けバランスが絶妙で切り離された終楽章の感覚がまるで無い。3つでひとつ、これ実感。6つの変奏、夢のような時間。最高。

休憩を置いて31番。3発ではこれが一番好み。途中から始まったような音楽は、この序奏から霊感に満ち溢れている。最後の最後、終楽章フーガで行きつくところまで行ってしまっていて、もはや、エンディングへの解決策がないのではないかと思われる高み頂点までいってしまい、突然の5小節であっと言わせるあまりに見事なフィニッシュとなる。言葉にならない鮮やかさに何度聴いても立ちすくすのみだ。メジューエワの離れ技的凄味は超エキサイティング。素晴らしい。
嘆きの歌は大変に濃い演奏、多才なニュアンスが心を込めてちりばめられていて自然な流れ。2回目はさらに濃厚フレーバーが注がれ、そのあとのコラールは明確にスフォルツァンドまでもっていく。圧倒的な弾き。クリアなアタックに身も心も奪われた。うーん、素晴らしい作品、そして演奏。空気の振動が見える。

最後の32番、もう、気持ちは整理運動みたいな心持ち、最初はね。
頭の下降音型が哲学的過ぎて、最初から疲れが出るような気持ちにさせてくれる曲ではあるのだが、最終的にはピュアな世界に満たされる。
第1主題の吸引力が凄くて整理体操はすぐに追い払われ、もうひと運動絶対にするべきと直ぐに思わせてくれる。凝縮された音楽は圧巻で、極みの音楽、極まれり。
メジューエワの集中力は高みに達してる。聴いているほうも同じく。
結末の楽章の五つの変奏。分離していたりくっついていたりとプレイヤーによって色々と感じはあるのだけれども、彼女のはつながっている感じ。流れに殊更に重きを置くスタイルではないピアノかと思うのですが全体のバランスが良くてゆがまない。少し強く弾きこまれた縦の深さを感じながらひとつずつ進行していく。妙な力点が無くて譜面から出てくる音を感じさせてくれる。そういえば全て譜面見ながらのプレイでした。
音の粒がピュアでクリア、ベートーヴェンの結末は音がポツポツと極みの美しさで弾かれていく。美しい静寂だ。

ということでこの日もベトソナ満喫しました。クタクタです。いい気持。
おわり






2396- モーツァルト、ピアノ協奏曲第12番、第9番、小菅優、東響、2017.8.26

2017-08-26 18:12:19 | コンサート

2017年8月26日(土) 11:00am (70min-long) ミューザ川崎

モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調  11-10-6′
モーツァルト ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 ジュノーム  11-12+10′

小菅優 ピアノ&指揮 東京交響楽団


ピンクの表紙がうるわしいプログラムを眺めながら今日は東響のモツマチ朝の11時から約70分ロングのコンサート。小菅さんのなんと、弾き振り。

殊の外デリカシーに富んだ演奏で微ニュアンスが限りを尽くし美しさがワンフレーズずつ湧き上がってくる。ややゆっくり目の物腰で芯のあるピアノは小菅さんのもの。

12番のよどみなく流れすすむモーツァルト。ジュノームのリズミックな前進。素敵な演奏でモツPCを堪能しました。

振りのほうは両手で大きな風船を持つような構えで進めていく。オケとのアイコンタクトの表情も濃い。コンマスを信頼しきっている振り。小型編成のオーケストラは大変に充実したもので両者の関係が緊密で同じ向きに音楽を作っていってるのだろうなあと感服。右腕ピアノ、左腕指揮の具合も自然でいいですね。

ビューティフルな佳演でした。
モツPC全に是非アタック願いたいものですね。
おわり


2395- ドンファン、熊、英雄の生涯、ルイージ、読響、2017.8.24

2017-08-24 23:22:07 | コンサート

2017年8月24日(木) 7:00pm 東京芸術劇場

シュトラウス ドン・ファン 17′
ハイドン 交響曲第82番ハ長調 熊  8-7-6-5′
Int
シュトラウス 英雄の生涯 (第1稿)  45′

ファビオ・ルイージ 指揮 読売日本交響楽団


プログラム後半、しもてに配したホルンセクション群、対になるようにかみてに構えるベース群。これら一番距離がありそうな位置関係ながらユニゾンが気持ちよくぴったりと合っている。両翼楽器に挟まれた弦、ウィンド、ブラス、各セクションのアンサンブルやソロの粒立ちが良くて明瞭。なにやらやる気が満ち溢れているように見える。
奏でられる音が滴るにはもう一歩の前進エネルギーが要る。とはいえ、このオケ特有の正三角錐的な音場がセクションごとに分離して聴こえてくるあたりの鳴らしはお見事。ルイージはシンフォニーで見せるようなわかりやすいギアチェンジを取ることなくシームレスな流れを作っていく。パースペクティヴ的な彫の深さは今後両者の関係が続くようになれば自ずと出てくるものだろう。
などと、評論家のような話しをしてもしょうがないと思うのだけれども、まぁ、趣味でも立ち位置を確認するには立ち止まって前後左右を見たほうがよい。
指揮台をぐるりと囲むような弦の半円スタイルは中心点に向かって合奏をしている雰囲気を醸し出す。聴衆席からは背中向きのようになったソロヴァイオリンの音はやたらとデカく響く。エンディングは第1稿によるもので盛り上がり無く終わる。

プログラム前半のハイドンはメリハリの効いたものでシンフォニーの姿が心地よい。シュトラウス2曲でハイドンをサンドウィッチ。色々な表情を楽しめました。

今日はだいたいどこのオケでもやる指揮者への迎合ストンピングにとどまらず、両腕での思いっきり拍手。一種異様な光景。次の音楽監督として迎えたいのだろうか。
この日は両者初共演。

ルイージの棒は割と観ていて、今年2017年4月はN響とのブラ4、GM1。ギアチェンジが明確なシンフォニーパフォーマンス。
2014年は同じくN響相手にエッチな歌詞で盛り上がったカトゥリ・カルミナやブッフビンダーが途中で止まってしまったモツPC20など。
ドレスデンの歌劇場との来日は2007年でそのときはバラとサロメ。それからワルキューレ1幕。ヴォルフガンク・シュミットとエヴリン・ヘルリツィウス怒涛の双子技。このワルキューレは後日放送で見て大変反省。というのも同日、ゲルギエフ&マリインスキによるチャイ2、ブロンフマンによるプロコPC2、それにタコ15というてんこ盛りプログラムで、間違ってそっちに行ってしまったのをよく覚えている。
2009年はシュターツカペレと来日。ペーター・ダムがアシの席で吹いていた記憶。たしか。

あと、ルイージをたぶん最初に見たのは1995年のベルカント・フェスティヴァルでの伴奏指揮。例のカラス似のアリベルティ御目当てで観に行き、サインもルチアのだけ別色紙にもらい、他の歌い手とルイージは一枚の色紙にゴチャゴチャとしてもらった。
他にも聴いたことがあるかもしれないが今思い出すのはこれだけ。
おわり

 


2394- 芥川、トリプティーク、團、飛天繚乱、黛、饗宴、千住、滝の白糸、大友、東響、2017.8.20

2017-08-20 20:57:45 | コンサート

2017年8月20日(日) 2:00-4:15pm コンサートホール、オペラシティ

芥川也寸志 弦楽のための三楽章トリプティーク (1953) 3-6-3′
團伊玖磨 管弦楽幻想曲 飛天繚乱 (1991)  16′
黛敏郎 饗宴 (1954)  10′

Int

千住明 滝の白糸 (2014/2015) 序曲、第3幕 (演奏会形式) 4、2-7-20-13′
 (キャスト)
 白糸(水島友)、中嶋彰子(S)
 欣弥、高柳圭(T)
 欣弥母、鳥木弥生(Ms)
 他
 東響コーラス

大友直人 指揮 東京交響楽団


プログラム前半の3人の会、エネルギッシュな3作品。後半の千住作品とは過去と今の違いがありそうに見えてそうでもない。今だから俯瞰できる多様性なのかもしれない。
トリプティークは東響の強靭なストリングが奏功した快演。作品がカラフルに鳴る。2,3楽章はアメリカの夜明けみたいな雰囲気まで感じさせてくれる。終楽章エンディング前の回想が印象的。
飛天繚乱はおちゃめな天女があちこちと飛び回る様子が見えるよう。そこはかとなく消えていく音楽は印象的。この作品も多様な色合い。
バッカナールはもはや古典。泡立ち感があり前向き。オーケストラを新しい素材で鳴らす黛の会心の作で東響のべらぼうな腕前にジャストフィット。堪能しました。

プログラム後半、滝の白糸。コンサートスタイル第3幕のみのところ、序曲が追加になっているのを当日知る。得した気分。

無声映画に音楽付けしたコンサートは一度観ました。2011年のサントリー、サマーフェスティヴァルでした。
1289- 無声映画『瀧の白糸』溝口健二、望月京2011.8.27<ミュージックトゥデイ21>サマー・フェスティヴァル2011

その後、千住がオペラ化した上演があったとのことですが、それは残念ながら観ておりません。今日の布陣は指揮者含めその上演のキャストと同様のようですね。

本日作品のオペラを観たことが無い。そして無声映画の結末も記憶が薄くなっている。ので、色々と曖昧。なのですが、原作の義血侠血では最後、欣弥が自死して終わる。
サマフェスで上映された溝口監督の無声映画、滝の白糸。これでは白糸、欣弥、二人とも自死だったと記憶。
今日の千住作品終幕第3幕は全4場フルで演奏されたと思いますが、最後に銃声が轟くと書いてありますので概ね同じ。黛まどかの台本フレーヴァーは第3場のほうでしょうか。

千住作品はドラマチックに緊張感を強いるものではなくて、音楽はメロウでロマンチックなほうに流れていて甘口。追加演奏された序曲と終場の第4場はあまりにムーディー。
クライマックスは欣弥母を大胆に登場させてクローズアップした第3場のほうにある。これも甘口な終場への大きすぎる伏線であるとは思いますが。

第3場の欣弥母の長丁場、母は子に対してどうであろうとも自分のせいと言う。この言葉、胸に刺さるものがある。歌詞も考え込まれたものですね。ここは鳥木さんの歌が光る。湿り気もほどほどに切々と語り歌う。終場での中嶋さん高柳さんのデュエットとの対比がよく取れている。この終場は聴くほうがどこまでのめり込めるかによると思う。プッチーニあたりの幻影が姿を現す。

全般にわたり日本語の発音がよくわかるものでそのまま中身にのめり込める。キャストの声が前に出るもので明瞭、オケにもかき消されない。なかなかいいものでした。
大友のタクトは、そこに漂っている感があって、前のめりになったりしないしウエーヴを作ることもなくて台本と音楽に乗っかってしまっている。それでいいのだと言えば言えるかもしれないけれど。

オペラ「滝の白糸」 序曲、第3幕 (演奏会形式)
序曲 4′
第3幕第1場(晩夏) 福井の芝居小屋 2′
第3幕第2場(秋) 高岡石動間の乗合馬車 7′
第3幕第3番(秋) 金沢地方裁判所 20′
第3幕第4場(晩秋) 死刑前夜の監獄 13′

おわり





2393- ラフマニノフ、PC3、反田、Sym2、秋山、東響、2017.8.11

2017-08-11 21:58:35 | コンサート

2017年8月11日(金) 3:00pm シンフォニーホール、ミューザ川崎

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調  18-11+15′
  ピアノ、反田恭平
(encore)
モーツァルト ピアノソナタ第11番 第3楽章 トルコ行進曲  2′

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調  19-10-14+13′

秋山和慶 指揮 東京交響楽団


フェスタサマーミューザ2017千秋楽。ドラマティック、ラフマニノフ!と銘打ったコンサート。超絶的人気ピアニスト反田のラフマニノフPC3。これを聴き逃すわけにはいかない。

初めて彼を聴いたのは今年6月の公演。
2360- ミュージック・トゥモロー2017、反田、レネス、N響、2017.6.9

今日の3番を演奏するのは3回目と、プログラム冊子にあるインタビュー記事に書いてある。本人もだいぶ思い入れがあるようだ。
エキサイティングな演奏。入れ込みが凄い。最後の最後まで溜めておくブラス連中の静かな聴き込みも凄い。聴衆もプレイヤーも全部引き込んでしまった。

硬軟自在でたまに独特な節回しが出てくるあたり余裕を感じさせるし、難物3番をフラフープのように回す。ピアニストを中心にしてなんだかみんなその遠心力でグルグル回っているような感じ。
目まぐるしく動く指はあんまり速くて見えない。鍵盤にタッチするのが速いかはたまたピーンと直ぐに上にはじくように上げ即座に次の音に移るのが速いか。次の打点ポジション取りがものすごく速い。ピュアできれいな響き。ラフマニノフだなあ。隅々までクリーンな響き。明瞭でクリア(同じ)。華麗な3番。素晴らしい。

冒頭のミステリアスな響きからグッと引き込まれた。第1,2楽章での静かなパッセージでの動きは水際立って美しい。日がさす小川の流れは艶やか。独特な節回しで伸縮自在になるところも多発。流れが自然で説得力ありますね。うなるわ。
アタッカで終楽章へ。やや大きめのアクションも結構出てくるけれども自意識過剰ゼロ世界で、なにやら指揮をしているようでもある。6月のターネイジのコンチェルトでもそうでしたね。リズムを取っているというより大きな流れをつかむようにしていて、自分を波に乗せようとしているようでもある。
終楽章は1,2楽章との対比の妙がよく出ている。ものすごい集中力で高濃度。こちらはそれを享受すれば心地よい緊張感が広がる。終わり前に現れるごく短いコラール風な祈り。音楽のエモーショナルな圧力を垣間見るよう。前2楽章を思い出させる。そして一気にコーダへ。静かに聴いていたブラスセクションは催眠術から解き放たれたかのように高らかに下降3連符と後打ちとシンコペーション、蹴り上げるようなラフマニノフ終止。圧巻。圧巻。
堪能しました。夢見心地からなかなかさめない。

この3番、これから何度も弾いてほしいですね。ホロヴィッツみたいに。

今年の川崎祭りの東響、初日のノット棒での浄夜、ハルサイ。そして締めのラフマニノフ。あんまり素晴らしくて、もはや、何も言うことなし。センセーショナルでエポックメイキングなお祭り刻印になりました。ありがとうございました。
おわり


2392- ヴァガボンズvol.1、メタモルフォーゼン、ロマンス、大地の歌、下野、2017.8.8

2017-08-08 23:36:30 | コンサート

2017年8月8日(火) 7:00-9:20pm さくらホール、渋谷区文化センター大和田

シュトラウス(弦楽七重奏版 ed. by E.V.) メタモルフォーゼン  24′
 2vn 2va 2vc 1cb

フォーレ アンダンテ(ロマンス)  5′
 vc har

int

マーラー(シェーンベルク編曲/ライナー・リーン補筆) 大地の歌 8-10-3-7-4-32′
 アルト、高橋ちはる
 テノール、中嶋克彦
 指揮、下野竜也

以上、
アンサンブル・ヴァガボンズ


グループ旗揚げ公演。まずはメタモルフォーゼンから。アンサンブル・ヴァガボンズが七重奏版を復元した楽譜で演奏。
今年2017年6月に読響を退職したコントラバスの西澤さんを中央奥に配し、左右手前に他の弦が広がる。
音がしっかりしている。あとで感じたのだが、角が鋭角にならず丸みを帯びるような鳴りになるのはこのホールの特性なのかもしれない。
エロイカ葬送は下降音型が落ち着いた響き。流れるようなラインでは無くて滑るようなものは求めていないのだろう。高弦がキーンとチリチリする響きが欲しい。
旗揚げ公演、段取りが良くなくて自由席の長蛇蒸し風呂開場待ち、開演は7時とあるがモタモタと15分過ぎまでステージの上は音沙汰無し。最初の曲、何か影響があったのかもしれない。何事も最初が肝心。肝心かなめの最初はもうすこしシャキッとしてしかるべき。

フォーレの短い曲はオリジナルのハルモニウムが付く。後半の大地の歌に向けてのデモの様でもある。管楽器のように音が持続する。

当夜のメインプログラム、大地の歌。
シェーンベルク編曲、リーン補筆。弦楽四重奏と木管五重奏の9人にコントラバス、パーカス、ピアノ、ハルモニウムを加えた13人。それに当夜はヴァガボンズ・エディションでマンドリンパートを復元追加、計14人。
プログラムで人数を数えると15人になってる。楽器持ち替え、パーカスは2人対応などによるものだろうか。(プログラム冊子の人数表現説明に少し混乱が見られる)
歌はアルトとテノール。
室内楽器編成、小編成だとスピードアップしそうなところ、息の続く管楽器のかわりにあるハルモニウム効果のせいかどうか、正味64分というゆっくりとした演奏。このテンポ感で音が途切れることが無かった。
この編成で聴く大地の歌、ホールいっぱいに響く。音がデカい。とても小編成とは思えない。ズシンと深い奥行き感こそないけれども相応にマッシヴな鳴り。シェーンベルクの妙。

小編成だと個々人の技量が目立つ。ウィンドは多少ムラがあるけれども全体としてはおしなべて満足できるもの。マーラーの細やかな音のアヤを存分に楽しむことが出来た。
マーラー作品はどれもこれも聴いた時はそれが一番の作品と思えてくる。こうして聴く大地の歌もなにやらベスト作品のように思えてくる。本当に。
アルトの高橋さんの歌が素晴らしい。まず柔らかい声、高域も、フォルテも、思いっきりの力感こもり、それに純度が高い。ピュアでソフトで芯がある。素晴らしい歌。
第2楽章の後半、安定調になるところの下野ヴァガボンズの伴奏に乗った歌は感動的でした。秋の孤独、スバラシイ!
ゆっくりとした終楽章のディテール分解は大したもんで、下野ヴァガボンズの真骨頂は、この告別、中間部の長いオーケストラのみのモノローグのところ。
この楽章、高橋さんの歌は白熱。マーラーの感情の起伏をなぞっていく。言い尽くせない浸透度で聴衆の心に迫る。圧倒的な歌唱。

テノールの中嶋さんが歌う1,3,5楽章は冒頭の1楽章が大きい。イタリアンオペラ風味の細くて透き通る声で素晴らしく滑らか。3,5楽章のウィット感、上昇フレーズの滑らかな移行が自然で心地よい。
アルトとのマッチング、ベストでしたね。

といった具合で、始まる前の段取りの悪さも忘れて、気持ちよく帰路につくことが出来た。大地の歌、あらためて、いいものですね。
次回の公演も期待しております。
おわり


2391- バッハと今、アンサンブル・ルシリン、2018.8.3

2017-08-03 23:28:12 | コンサート

2017年8月3日(木) 7:00-8:20pm 小ホール、武蔵野市民文化会館

1.バッハ ゴルドベルク変奏曲BWV988(1741出版) アリアとカノン pf 5′

2.シモン・スティーン・アンダーソン 隣の隣の、次(2006-2006) vcとperc(スネアドラム) 4′

3.バッハ 同・第27変奏  2vn 3′

4.カミーユ・ケルジェ ウィッシュ(2001)  sx 6′

5.バッハ 同・第18変奏 2vn、vc  2′

6.ジョルジュ・レンツ 弦楽四重奏のための「天は語る・・・」Ⅳ(1991-2000) 第2楽章
          2vn、a、vc  6′

7.バッハ 同・第3変奏  2vn、vc  3′

8.アルトゥーロ・フエンテス スクォンク、「想像上の生物の音楽」より(2016)
             vn、vc、Perc(ヴィヴラフォン)  11′

9.バッハ 同・第12変奏  2vn、vc  3′

10.細川俊夫 ヴァイオリンとチェロのためのデュオ(1988)  vn、vc  8′

11.バッハ 同・第9変奏  2vn、vc  2′

12.ドナチャ・デネヒー 『バルブ』(2006)  vn、vc、pf  12′

13.バッハ 同・第25変奏  pf  4′

以上

ヴァイオリン、アンドレ・ポンス=ヴァルデス
ヴァイオリン、ファビアン・ペルディチッジ
アルト、マニュエル・ヴィッセール
チェロ、ジャン=フィリップ・マルティニョーニ
ピアノ、パスカル・マイヤー
サックス、オリヴィエ・スリーペン
パーカス、ギイ・フリッシュ


休憩無し。約70分。連続演奏というほどの事は無くて、1ピースずつポジション取りとポーズが入る。
ステージの照明も落としており、奏者のあたりにスポット的にライトが当たる。それと譜面台にもライト。

ゴルドベルクの断片に現音の断片をサンドウィッチにする。バッハ7ピース。現音6ピース。計13ピース。
バッハは変奏のピックアップ、現音はレンツ、スクォンクは断片らしきもの他は全曲ものなのかどうか不明。

ゴルドベルクはピアノ独奏、弦ニ、弦三のバリエーション。頭と締めはピアノ独奏。弦楽三重奏はシトコヴェツキー編曲もののようだがはっきりとは書いていない。
プログラムの解説は、この作品はこれこれで、といった書き方をしていなくて不明確。現代音楽の場合、初めて聴く物も多いし、正確でわかりやすい解説を書くべき。通常の演奏会でもこのような、わかりにくい書き方の上乗せ、的なものが多いが、この演奏会でも同じ小路に迷い込んでいる。

演奏の方はサンドウィッチがどのようにしてこうなったのか、なにか閃き的アイデアがあったのだろうか。バッハは濃いものではなくて、難解な現音ピースのあとの一服のように聴こえてくる。現音で錯綜した気持ちをバッハでリフレッシュ、それの繰り返し。ユニークな演奏会と言えば言えるし、かえって現音を聴きづらくしてしまっているし、拒否反応の納得感のほうが強くなってしまうかもしれない。バッハと絡めるべきではなかったと率直なところ思う。演奏会として「もたせる」ためにはこのほうが良いかも知れぬが。

7人全員による同時演奏は無くて音は薄くて淡い。濃い作品の演奏もあるがなかなか伝わってこない。この400人規模のホールが限度だろうとは思う。もっと小さいほうが色々と伝わってくるものが多かったと想像される。

2.アンダーソン作品はディープな弾きのチェロとトリッキーな叩きのパーカスが不釣り合い。自作の編曲物。自立した主張の魅力があるようだ。オリジナルも聴いてみたい。

4.ケルジェ作品はサックスのための作品のスペシャリストとのこと。技巧の限りを尽くしたソロ曲。Wishなフィーリングで聴く。

6.レンツ作品は、天は語るシリーズのうちのⅣの第2楽章。断片の断片を演奏という事になる。こうなると表面(おもてづら)の音の響きの妙味を楽しむという話になる。弦四のための作品でこの夜のピースのうちで一番奏者が多い。ヴァイオリン2本の細い旋律の流れとチェロの連続する強めの弾きが印象的。良く流れるものでした。

8.フエンテス作品。当夜2番目に長い作品。ボルヘスの幻獣辞典にインスパイアされたもの。スクォンクは涙を流す生き物。ヴィヴラフォンの短いフレーズ。響き。これが涙の音表現のようにも聴こえる。弦は周辺世界か。感情は抑えられていてプログラム解説にあるような涙するようなことは感じ取ることが出来なかった。

10.細川の作品は能にインスパイア、最小の動きで最大の事を語ると。響きはスタティックで線を感じさせる。楽器2本だけ。これ以上減らして1本にすると西洋的な融合の世界観を表わすことは難しそうだ。リズムを消し込んだ細川独特のキャンバス模様。

12.デネヒーの作品は当夜一番長かった。動きと繰り返し。限りなくミニマルっぽい。グリッサンド風に音が滑っていく妙味とリピートするフレーズの節目のつくり込みはいったいどのようになっているのか。1度聴いただけではわからない。ミニマルは曲を長くできるものだなあというのが実感。人の中にあるものかもしれませんね。


以上。
音楽の連鎖と言ったものや連続性による積み重ね的ヒート感は無く、むしろ冷たく感じるプログラミング。ステージを終始ダークに染めた色彩感も手伝っている。望んだことなのかもしれない。
当団体の演奏はお初で聴きました。現代音楽のオーソリティということで、真摯で手堅い演奏。それから強弱のバランスが冴えている。アンサンブル本来の意味合いを現代音楽の中においても良く感じさせてくれるもので最良の演奏でした。
おわり