河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

615‐ ニューヨーク・フィルハーモニック・オープニング・ナイト1983.9.14

2008-06-01 23:16:11 | 1983-1984seson






この前まで、真夏のさ中、夏イベントのモーストリー・モーツァルトのシリーズを聴いていたと思ったらあっというまにシーズン開幕の季節となった。セントラル・パークを7周の週末チャリジョギングも快適な季節になってきた。
今日は1983-1984シーズンのオープニング・コンサート。
いつもなら、木金土火という週4回のサブスクリプションが日常なのだが、今日はオープニングでさらにベネフィット・コンサート。いつもと違う、水曜日開催一発コンサートとなっている。

以下、当時のノート通り(ほぼ)。

80歳とは思えないゼルキンと大柄のクーベリックが、いかにも軽快に颯爽と小走り気味にステージに現れた。

1983年9月14日(水) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

ニューヨーク・フィルハーモニック10267回
第142シーズン 1983-1984
オープニング・ナイト

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番
マーラー/交響曲第1番

ピアノ、ルドルフ・ゼルキン
ラファエル・クーベリック 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

今日はNYP第142シーズン・オープニング・コンサートであった。
それにふさわしい演奏家たちの熱のこもった吐息を聴くことができた。
このクーベリックによるマーラーの1番のすさまじさ。なんだか「超絶的な名演」といった範疇をはみ出してしまった。疾風怒濤とはかくのごとき、本当に何かが熱く完全燃焼したような演奏であった。ラファエル・クーベリックがマーラーを好んでいるのはむろん承知のことであるが、NYPにとってもこれはマーラー当人以来続いてきた歴史そのものなのだ。それらが見事にかみ合った演奏だった。
クーベリックは、このマーラーに関して言えば、テンポの動きがものすごく多く、古典的な形式感を感じさせない。テンポの揺れが、既に知りつくされているこの曲に異常な新鮮さをもたらしている。ありきたりの表現ではあるが。
彼の場合、さらにその上に微妙な音色の組み合わせが不自然さを伴わないかたちで大胆に迫ってくる。
例えば、ブラス・セクションのほとんどむき出しともいえるフォルテシモがこのように説得力を持つのはその前の同じくブラスによるピアニシモのハーモニーが実に美しいからであります。また弦楽器のアインザッツの粒立ちがよく、一瞬ピッチカート風に聴こえるときがある。これなどは、その姿とともにすぐにフルトヴェングラーに結びついてしまうのだが、あの揺れ動くテンポの中にあってはっきりとひとつの主張といったものを感じとることができる。

まず、第1楽章の導入部の緊張感が素晴らしい。
ここがだめだと全部だめになってしまうような気がするものなのだが、そこはさすがNYPO。この導入部は単にこの曲の導入部のみにとどまるのではなく、第142シーズン・オープニング・コンサートの緊張感にふさわしいものといえる。
そして、すぐに地下水が湧き出るような木管による三連符。全く素晴らしい。この生理的快感は言葉で表すのは無理だ。
ちょっと一か月ほど生の演奏に接していないと、このような雰囲気の素晴らしさのとりこにたちまちまたなってしまうのである。わかってはいても。
クーベリックはこの楽章の冒頭から既になにか劇的なものを求めている風であり、その後のフレーズの移り変わりが見事、テンポも既にフレーズの中でさえ微妙に揺れ動き、それに全く妥当性をもった強弱の陰影が本当にこの曲を初めて聴くような気にさせる。かなり興奮していました。

第2楽章も見通しが良く、当然のようにスケルツォとトリオの対比が天と地の如くであった。
このスケルツォにおける弦楽器奏者は、テンポにもよると思うが、不揃いなところが目立ち、といっても彼らにやって出来ないはずはないのだから、この現象はむしろ各小節、各フレーズ単位に、一気にしゃくりあげるといった趣である。つまり各小節、各フレーズ単位の視点に立つとそれはよく歯車がかみ合っている。小節の頭のアインザッツに自然に全体の熱と力が集中されるようなかたちになり、従って乱れよりもクーベリックによる疾風怒濤のようなものをより強く感じてしまうのかもしれない。しかも、そのアインザッツが極端に小節の頭で合うのではなく、この一小節三連符のような曲想において最初のオタマジャクシの三分の四ぐらいのところに力点があるような名状しがたいものを聴くことができるのである。これはマーラー的なものなのかそれともクーベリックの熱がそうさせたのか。よくわからない。

第3楽章、コントラバスのソロから始まるシンフォニーなんてほかにあったのかなあとあらためて感じさせてくれる。席が前から10列目ほどの右寄りであったため、特にそのようなことを感じたのかもしれない。いつものサブスクリプション・シートは2階ファースト・ティアの最前列なのだが今日はいつもとは違う。
中間部の例のメロディー、ここにはマーラーの青春そのものがある。
私たちはあの溢れ出るメロディーに浸りきることができるほど普段苦悩しているのだろうか。あれはマーラー若かりし頃の苦悩の裏返しである。人がなんと言おうとこの曲がここにくるとき、どうしても涙をおさえきれない。永遠にこのメロディーが終わってほしくないと思う。感傷的としか言いようがないが、そんなことは百も承知の上であえて浸りきってしまいたい。そんなメロディーである。
ここをクーベリックはどうやったかというと、分かりやすく言えば、ドヴォルザークの新世界第2楽章のエンディング近くに奏でられる弦楽四重奏風な感じでやった。なにか共通するようなものを感じ取ったということか。ここはNYPOの細分化された弦楽器群がクーベリックの要求を完璧に表現したような気がする。これ以上のものを聴いたことがない。

そして第4楽章の荒れ狂う波と静かなささやき。3楽章まではこんなに静かでおとなしい音楽だったのかと一瞬思ったくらいである。
ここでNYPのブラスはその威力をいかんなく発揮し、ミュートによるフォルテシモからはだかの音によるピアニシモまで本当に素晴らしい表現であった。私たちはここにマーラーの狂気みたいなものを自然に感じてしまう。やっぱり生の演奏を聴くに限る。

クーベリックは思ったとおり素晴らしく、よくいわれるようにフルトヴェングラー風であり精神的後継者にふさわしい。その姿もフルトヴェングラー風であり若い指揮者のようなしなやかな棒ではなく無骨ともいえるほどあっさりしたものである。体全体で強引にオーケストラを包み込んでしまうようなものを持っていて、これがベートーヴェンを指揮した場合にどのようになるのか興味深い。(今日のようなピアノ・コンツェルトではなくシンフォニー)
幸い、来週はエロイカを聴くことができるので非常に楽しみにしている。

次に、今晩の最初の曲として演奏されたベートーヴェンのピアノ・コンツェルト第1番。
ルドルフ・ゼルキン、彼は80歳だというのに、ほとんど颯爽といってもいいような足取りで歩いてきた。とても80歳には見えない。
この演奏は約45分~50分程かかったがはたしてこんなに長い曲だったのかしら。
本当に悠然と音楽を奏でるような雰囲気をもっていて、また技術的なものを考えた場合にも、ホロヴィッツのような老人性を感じさせない。ゼルキンは80歳という先入観さえなかったら、まだまだその技巧的、精神的なもので多くの人をとらえることができるのではないだろうか。
彼のタッチは曲のせいもあると思うがベートーヴェン的というよりも何かモーツァルトみたいなものを感じさせてくれる。音の粒立ちはちょっとぎこちないようなところもあったが、そのフレーズの良く流れること。歌があるからである。全体的な構想で曲想をとらえることができるから、このように流れるような音楽が出来上がったのだと思う。タッチは比較的軽いが、これがクーベリックの作りだすベートーヴェンの伴奏となぜかよくかみ合い、暗さをあまり感じさせず、実際にはそうとうなスローテンポのはずであるのだが全く没入してしまった。
この曲は最初の出だしからして非常に魅惑的なメロディーであり、自然と心がわくわくしてきた。あの第1楽章のカデンツァは異常に長かったのだがベートーヴェン作なのだろうか。
このカデンツァの終わりとそこからオーケストラへの引き継ぎの大胆にして微妙なテンポの揺れ、みんながはっとするほど即興的でありなおかつピアノとオーケストラの息があっていた。これには本当、聴衆のため息が聴こえてくるようであり、今日の演奏の素晴らしは、これで予約されたとみんな思ったに違いない。

本当に素晴らしい演奏会でありました。
これで体から毒がとれ、また快適な音楽生活をおくれるのでありまっし。
ところで日本でこのような組み合わせの演奏会が開かれたら曲目以上に、その演奏者の組み合わせに興味を持つのではないかと思う。
指揮、ラファエル・クーベリック
ピアノ、ルドルフ・ゼルキン
ニューヨーク・フィルハーモニック

あらためてこのように書くと、やっぱりちょっと日本では実現しそうもないなぁ。
終わり

といった感想だった。稚拙な文章は今も昔も変わらず。
ところでこの日の演奏は毎週のサブスクリプションと同じようにブロードキャストされました。
EXXON/NEW YORK PHILHARMONIC Radio Network
WQXR 1984年2月19日(日) 3:05pm
ニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートの模様は毎週日曜日WQXRで午後3時のニュースのあと3時5分からだいたい5時まで放送されていた。
日曜の午後はチャリジョギングなので、オープンデッキによる留守録でチェック。
この日の演奏は翌年1984年の2月19日に放送されたが、前半のベートーヴェンはテイク失敗!後半のマーラーは録音できた。今では河童蔵に歴史的なものになりつつあるDATにダビングしてある。オープン・テープからカセットにもコピーしてある。当時カセット・テープはこれ以上ない水準に達しており、今のところ、どちらも無事。
おわり