河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2810- ブラームス、ズッカーマン、運命、ダニエル・バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2002.1.29

2021-09-30 17:07:19 | DB-SKB2002
2002年1月29日(火) 7pm 東京文化会館

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61
ヴァイオリン、ピンカス・ズッカーマン

Int

ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調 op.67


ダニエル・バレンボイム 指揮 ベルリン・シュターツカペレ


運命は音楽が流れず不発であった。
昨晩の7番の場合、やり方さえ決めてしまえば、あとはそのスタンスで前進あるのみ、であるが、運命の場合はそうはいかないのだろう。
切り込みが深ければ深いほど前進性が失われてしまう。また、音楽が流れるよう、労を随所に施しているが小細工っぽく、作戦がまるみえになってしまう。
結果、ちぐはぐなものとなってしまった。
戦中のフルヴェンの運命のようにはなかなかいかない。このような曲は逆に機能的なものが前面に押し出されているようなオーケストラでやったほうがうまくいくのかもしれない。
おわり


















2809- ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲、ズッカーマン、交響曲第7番、ダニエル・バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2002.1.28

2021-09-29 21:13:37 | DB-SKB2002
2002年1月28日(月) 7pm 東京文化会館

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61
ヴァイオリン、ピンカス・ズッカーマン

Int

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 op.77


ダニエル・バレンボイム 指揮 ベルリン・シュターツカペレ


素晴らしい集中力だ。第1楽章中間部あたりから既に過熱状態。アタッカで演奏される微妙極まりないニュアンスをもった第2楽章。これを聴くと全ては運命のなすがままに受け入れても良いような気がしてくる。
そして軽快なテンポのスケルツォとスローなトリオ対比が見事な第3楽章。
才気煥発、インテンポで押し切ったエキサイティングな第4楽章。
ティンパニストは副指揮者のように雄弁。天からとどろくテンパニ。そして荒れ狂うブラス。でも、終わった後に残るイメージというのは、鬱蒼とした弦の分厚い響き!このように弦がうなるベト7は新発見だ。
ベートーヴェンの場合、交響曲が2曲並ぶとだんだん、どつくような刺されるような感覚になってくるのだが、1曲だけだと曲に集中できて曲の位置づけとか特色とかがよくわかる。
第1楽章後半でファンブルした棒をコンマスが見事にバトンタッチ。何事もなかったかのように第2楽章へ。この、指揮者+オーケストラは今、絶好調だなあ。

ベトコンは完全なる室内楽。ズッカーマンとバレンボイムは旧知の仲であり、特に練習なんかしなくても呼吸はぴったりだろう。独奏に勝るとも劣らない雄弁なオーケストラが素晴らしい。
おわり


















2808- ラインの黄金(第2サイクル) ダニエル・バレンボイム、ベルリン国立歌劇場、2002.1.27

2021-09-28 15:59:26 | DB-SKB2002
2002年1月27日(日) 5pm NHKホール

ワーグナー 作曲

ハリー・クプファー プロダクション

ラインの黄金

キャスト
ヴォータン ファルク・シュトゥルックマン(Br)
ドンナー アンドレアス・シュミット(Br)
フロー ロバート・ギャンビル(T)
ローゲ グレアム・クラーク(T)
アルベリヒ ギュンター・フォン・カンネン(BsBr)
ミーメ ペーター・メンツェル(T)
ファーゾルト ルネ・パーペ(Bs)
ファーフナー ドゥッチョ・ダル・モンテ(Bs)
フリッカ ローズマリー・ラング(MS)
フライア カローラ・ヘーン(S)
エルダ メテ・アイシング(A)
ヴォークリンデ カローラ・ヘーン(S)
ヴェルグンデ カタリーナ・カンマーローアー(MS)
フロスヒルデ アンドレア・ベーニッヒ(MS)

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ

(duration)
Act 5:10-7:38pm   2時間28分

ラインゴールドが気に入った。
今日からリング第2サイクルへ突入。
席は前回の横浜の3階から、今回は1階席へ。ぐっと近くなる。
横浜で全体ステージを俯瞰していたので今回は近くで字幕を見ながらゆっくりと。

マイナーチェンジが見られるものの全体感を損ねるということはない。それよりも、横浜では遠くで見えなかった字幕が今回は良く見えるので内容がタイムリーに分かり非常に面白かった。レーザー光線の劇場効果は遠くで見たほうがわかりやすい、といった部分もあるが。

ステージが近いと声も良く聴こえる。このキャスト、バイロイトの上をいくキャストで、ほぼ全員が、調子が良いとなれば、なにをこれ以上言うことがあろうか。
本当に全員が良かった。シュトルックマンは相も変わらず存在感が凄い。シュミットも良かった。クラークは言うに及ばず、カンネンの悪役ぶり、メンツェルのジークフリートへ橋渡しするミーメ、パーペも良い。エルダのメッテ・アイシンク、良かったなあ。
とにかく、一瞬も揺るがない素晴らしい舞台。

第3場ニーベルハイムにおけるバレンボイムのスピード感。とにかくどんどん前へ進む。それでいて歌の部分は自由に歌わせる。
ときとしてオーケストラが合わなくなるが、求めるものが正確性の為の正確性よりも、その音楽場面にふさわしい音作りが優先している。当然と言えば当然だが、これがバレンボイムの音楽的スタンスなのだろう。
NHKホールは大きすぎて音楽には全くふさわしくないが、響きが無い分、スピード感が出てきてもしかたがないのだろう。結果的には前回よりも3分ほど長かったが不思議。(実際は1分)

それにしても、ラインゴールドというのは、4場構成。4楽章形式のソナタシンフォニーのようだ。ラインゴールドは非常に気に入った。もう1回観る!
おわり






2807- アルト・ラプソディ、ドイツ・レクイエム、バレンボイム、ベルリン・シュターツカペレ、合唱団 2002.1.25

2021-09-27 22:29:52 | DB-SKB2002
2002年1月25日(金) 7pm 東京芸術劇場

ブラームス アルト・ラプソディ
(MS)ワルトラウト・マイヤー
ベルリン国立歌劇場合唱団

Int

ブラームス ドイツ・レクイエム
(S)ドロテア・レッシュマン
(Bs)ルネ・パーペ
ベルリン国立歌劇場合唱団


ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ

(duration)
アルト・ラプソディ 13分
ドイツ・レクイエム 1時間18分


曲が進むにつれて、頭と体が何故か清らかになり、深い感動が全身を包み込んだ。このように落ち着きを得られる音楽を私は忘れていた。いや、そのような体験は思い出せない。初めてだ。このホールにいたみんながそうであったのだろう。
曲が終わっても拍手はおきず、しばらく清らかな静寂が我々を包み込んだ。厳粛な空気と言っても良い。
そして、ぱらぱらとどこからともなく始まった拍手はだんだんと熱を帯び、いつ果てることもなく続いた。といっても拍手までの空白は約15秒、拍手の時間は10分だろう。この間にみんなイメージしていたのだ。

この時間、このホール、空白をやめて拍手をやめれば我々は会場を出て不条理で不潔な世界に舞い戻らなければならないのだ。このブラレクの感動を何処にぶつければよいのだろうか?

でも、この感動は何故に!
歌とは心を込めて何もかも忘れただひたすら歌うこと。
合唱も独唱もオーケストラもそして譜面台のない指揮者も全員が世の不条理を忘却のかなたに捨て去っているのだ。そうでなければこのような表現は不可能だ。
そして会場のみんなが彼らのトランス状態を我々に転移させたのだ!
この清らかな一体感。私はこの演奏を一生忘れない。

各曲の最後の音のピッチが異常に合っている!これはなにゆえか?
ピッチ合わせをしたから合ったのではない。音楽の高まりが音を一致させたのだ。機能的なオーケストラ作りの逆をやっているのに機能的な結果と見た目(聞いた耳)、同じになっているのだ。なんという不思議!遠いものは近くにあり、近いものは遠くにあるのだろうか?
このような清らかな音を出せることが出来る指揮者の力量を我々は想像できるだろうか?
このオーケストラの弦はビロードのような美しさだけれども、それにとどまらず、深いシュヴァルツヴァルトを想起させるオーケストラ全体の響きの黒光りする美しさを何にたとえよう!

今年、年男のバレンボイムは今、何をやっても有無を言わせない説得力をもっている。表現力が絶好調になっているのだ。
最近はやりのピリオド系の奏法や表現なんて彼にとっては些末な事柄でしかないのだろう。音楽からいったい何を表出させるべきなのか、共同体のオールオウヴァーザワールドをどれだけ作ることが出来るのかということが彼の命題なのだ。
本当に、今夜は何物にも代え難い澄み切った清らかな一夜であった。
おわり















2805- 神々の黄昏(第1サイクル) ダニエル・バレンボイム、ベルリン国立歌劇場、2002.1.23

2021-09-26 21:16:48 | DB-SKB2002
2002年1月23日(水) 4pm 神奈川県民ホール

ワーグナー 作曲

ハリー・クプファー プロダクション

神々の黄昏

キャスト
ジークフリート クリスティアン・フランツ(T)
グンター アンドレアス・シュミット(Br)
アルベリヒ ギュンター・フォン・カンネン(BsBr)
ハーゲン ドゥッチョ・ダル・モンテ(Bs)
ブリュンヒルデ デボラ・パラスキ(S)
グートルーネ カローラ・ヘーン(S) (マーガレット・ジェーン・レイ出産による代役)
ヴァルトラウテ ワルトラウト・マイヤー(MS)
運命の女神1 メテ・アイシンク(A)
運命の女神2 ローズマリー・ラング(MS)
運命の女神3 キルシ・ティーホネン(S)  (マーガレット・ジェーン・レイ出産による代役)
ヴォークリンデ カローラ・ヘーン(S)  (マーガレット・ジェーン・レイ出産による代役)
ヴェルグンデ カタリーナ・カンマーローアー(MS)
フロースヒルデ アンドレア・ベーニッヒ(MS)

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ、合唱団

(duration)
ActⅠ  4:08-6:09pm 2時間1分
ActⅡ 6:53-8:00pm 1時間7分
ActⅢ 8:50-10:10pm 1時間20分


噂には聞いていたがプロローグ&第1幕の演出のわかりにくさは一体何だろう!
音楽的にはよくわかる。ライトモチーフの塊であるし、時として同時進行のような場面もある。ストーリー的にもその時そのライトモチーフが出てくるのもよくわかる。
しかし、これまでのラインゴールド~ワルキューレ~ジークフリートときて、ここで2時間もかけなければならない。全体の中での位置づけがわからない。というか、放り出されたような感覚を持つ。ここからは自分一人で理解せよ、という大人の音楽に一気になったような気がしないでもない。
演劇だと思って観ていればよいのだろうか。主にブラスによって断片が連続し、かろうじてつながっているライトモチーフ。その合間に歌われる歌。どちらかというと科白に近い。パルジファルの第1幕のように決して救われることのない音楽がブラスによる不協和音とともに小節をつぶしていく。やはり一度ではわからない音楽だ。
このショック状態は第2幕までずっと続いているのであり、合唱も加わり光が見えてきているのに、こちらは少しも晴れない。後遺症とでもいうべき状態なのだ。

それにしても今日も良く指揮者が見えるところに座っていてわかるのは、指揮者があまりにも確信をもって棒を振っているということである。小節などほとんどないような音楽をこのように確信をもって振ることができるというその、音楽への理解力が信じがたい。
第2幕の、邪悪なトリオがジークフリート暗殺のわるだくみ音楽あたりで少し音楽的な求心性が出てくるが、それとてワーグナーが意図していることとは思えない。ずっと拡散し続けながらクライマックスまでいくのだ。
この音楽は成長し拡散し続ける音楽なのだ。ラインゴールド冒頭の乙女の音楽とカミタソ第3幕冒頭の乙女の音楽は似て非なるものだ。全く充実度が異なる。ラインゴールドにおける弱さは無く、音楽的にも満たされるものだ。
成長し続ける音楽だが、ストーリー的には黄昏に向かっている。音型も下降線的主旋律であり、その意味では悲劇に突き進む話の内容は合っている。(めざす音楽と)
だからやはりメインテーマは拡散かなあ。よくわからない。

刺されるジークフリートの第3幕の頑張りは立派。
また、ブリュンヒルデも最後までくどくならず自己犠牲を歌い切った。ポラスキーの場合は見栄えが特に良いのでさまになる。
ハーゲンにはブラボーがかからなかったがよかったようだ。日本人的感覚では2人とも背中から刺して殺してしまうような人間は卑怯で武士道にもとる。といったあたりがブラボーナッシングの漂いなのかな。
それにしても、第3幕が終わっても暗中模索は続く。

Ps
クライマックスのところで、ブリュンヒルデが膝を使って槍を折ったとたんに非常灯が点灯した。あれは演出なのだろうか。それとも偶然のミステイク?
非常灯がつくと日本人的感覚ではなにか地震でもあったのかと思ったりする。音楽的に世界が破滅に向かっている最中なのでビックリさせるには良いアイデアかもしれない。次回見ればわかる。
おわり


























2804- ジークフリート(第1サイクル) ダニエル・バレンボイム、ベルリン国立歌劇場、2002.1.19

2021-09-25 21:37:27 | DB-SKB2002
2002年1月19日(土) 4pm 神奈川県民ホール

ワーグナー 作曲

ハリー・クプファー プロダクション

ジークフリート

キャスト
ジークフリート クリスティアン・フランツ(T)
ミーメ グレアム・クラーク(T)
さすらいの旅人(ヴォータン) ファルク・シュトルックマン(Br)
アルベリヒ ギュンター・フォン・カンネン(BsBr)
ファーフナー ドゥッチョ・ダル・モンテ(Bs)
エルダ メテ・アイシンク(A)
ブリュンヒルデ デボラ・パラスキ(S)
森の小鳥 天羽明恵(S)

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ

(duration)
ActⅠ  4:08-5:27pm 1時間15分
ActⅡ 6:15-7:30pm 1時間15分
ActⅢ 8:13-9:35pm 1時間22分


第1・2幕の二幕、それらと第3幕は全く異質だ。
第3幕になって話がようやくつながりを見せる。特にブリュンヒルデが女性として存在感をよく魅せてくれる。
人間技とは思えなかったジークフリートの歌もこうやってみてみると、第1・2幕はツボが1,2か所あるだけ。第3幕における圧倒的存在感が印象に残る。
第3幕こそ、神々の黄昏のプロローグのような雰囲気だ。
ブリュンヒルデの兜を剝がしにかかるジークフリートの音楽は神々の黄昏の冒頭の音楽であり、バレンボイムとオーケストラの絶妙なアンサンブルとともに忘れ難い。

ファーフナーのロボコップもミーメもあっけなく第2幕で死んでしまい、エルダも第3幕でいなくなり、さすらいの旅人もここまで。
ジークフリート第3幕が転機の音楽である。従って、他の指揮者とちょっと異なり、今まで突っ走ってきたバレンボイムは誰よりもここに時間をかけたと思えた。特に兜を剥がすところの音楽はこれ以上ない精緻な音楽、デリケートな表現となっていたようだ。全く素晴らしい。

ジークフリートはこの部分だけではなかなかわかりにくく単独ではちょっと理解が難しいだろう。前のワルキューレがあり、後に神々の黄昏があるから成り立っているようなところがある。しかし、この第3幕で一気に救われるような気持ちも間違いのないところである。


第1幕における工場がとんでもない。真ん中にプロペラ機のような扇風機のようなものがある。最終的には剣でばらばらになってしまうわけでだが、ここらあたりの演出は面白い。
ジークフリートの鍛冶場の剣を鍛える音が、オケとずれてしまい遅くなる。本人はその遅くなったほうに合わせて歌っているのでますますずれる。しまいには鍛えるのをやめて歌に専念していた。第1・2幕で体当たり的な迫力に欠ける歌ともども、もう少し歌い込む必要がある。
ミーメのクラークはいくつなのだろう。よく動ける。主役をしめる役にふさわしい。
それにしても録音だけだと音楽以外にドタバタと雑音が激しい第1幕であるがこうやって生で観てみると工場は五月蠅いものだと妙に納得。

第2幕はもっとわかりやすい。小鳥を操作しているのはヴォータンであるという演出が明らか。それよりも前にファーフナー、ロボコップ大蛇。金属いも虫が3個と、これまた巨大音響で床に落ちたシッポ2個。これは1匹で頭が3個、シッポが2個ということなのだろうか。という質問がすぐ浮かぶくらいわかりやすい。

このような事を経て、第3幕のブリュンヒルデが眠りから覚めるあたり、寝たときは頭を上手にして岩の上に眠らされていたが、ここで起きたときは頭を下手にして岩もなかった。それでもワルキューレ第3幕の大団円のイメージが表われてくるのでようやくストーリーがつながったような気がするのである。
男勝りであったポラスキーもここでは一気に乙女になりきる。一昨日よりも見た目的にも若くなった。歌いくちが非常に素直で滑らか。
ジークフリートと二人で大きなうねりを作りながらクライマックスに辿り着く。
フランツもようやく体当たりの歌唱となり全開。
おわり




















2803- ワルキューレ(第1サイクル) ダニエル・バレンボイム、ベルリン国立歌劇場、2002.1.17

2021-09-24 22:25:56 | DB-SKB2002
2002年1月17日(木) 4:30pm 神奈川県民ホール

ワーグナー 作曲

ハリー・クプファー プロダクション

ワルキューレ

キャスト
ジークムント ロバート・ギャンビル(T)
ジークリンデ ワルトラウト・マイヤー(MS)
フンディング ルネ・パーペ(Bs)
ブリュンヒルデ デボラ・ポラスキ(S)
ヴォータン ファルク・シュトゥルックマン(Br)
フリッカ ローズマリー・ラング(MS)
ヘルムヴィーゲ カローラ・ヘーン(S)
ゲルヒルデ インガ・フィッシャー(S)
オルトリンデ マクダレーナ・ハヨショヴァ(S)
ヴァルトラウテ ローズマリー・ラング(MS)
ロスヴァイゼ シモーネ・シュレーダー(A)
グリムゲルデ クリスティアーネ・ヒームシュ(MS) (ウタ・プリエフ 腕骨折のため代役)
シュヴェルトライテ アンドレア・ベーニッヒ(MS)
ジークルーネ ボリャーナ・マッテーヴァ(MS)

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ

(duration)
ActⅠ  4:30-5:37pm 1時間7分
ActⅡ 6:20-7:53pm 1時間33分
ActⅢ 8:30-9:37pm 1時間7分


昨晩の興奮冷めやらずといったところだが、このワルキューレプロダクションを観るのは4回目だ。同一メンバーで1997年に日本公演があり、そのときはワルキューレのみ3回行った。あのときの公演を全部観たので今日は4回目というわけである。従ってラインゴールドとは違い冷静に観ることができた。

第1幕
ジークムントのギャンビルは歌い込みが足りない、ほかのメンバーと比べると明らかに遜色がある。それに音程が下がり気味で力不足。相手役ジークリンデのマイヤーはやはり凄い。いざとなるとホールを揺るがす大音響が有無を言わせない迫力となって迫ってくる。
昨晩ロボコップで活躍したフンディングのパーペも、昔に比べてスリムになった気もするが、存在感が物凄い。
それにしても凄まじいオーケストラだ。

第2幕
ヴォータンのシュトゥルックマンはバレンボイムのお気に入りなのだろう。スタイリッシュで静止画像がさまになる。歌も非常に安定している。昔と違い、歌だけうまければあとはどうでもよいというわけにはいかない。視覚的要素も重要なのだろう。これに対等に勝負できるブリュンヒルデはやはりポラスキしかいないのだろう。
それにしても凄まじいオーケストラだ。語りの部分まであっという間に来てしまった。木が落下する。

第3幕
やはり出色のプロダクション。あれは何だろう。戦いに敗れた人間がワルキューレに起こされて、ステージ後方へ向かって歩いて行く。音楽は騎行。ここから最後の大団円まで歌と演技とオーケストラの呼吸がピッタリ。さらには炎を表す蛍光灯の輝き方のタイミングも音楽とピッタリ。まさに完成されたプロダクション。
オーケストラはどんどん加速していく。もう誰にも止められない。
強靭なダイナミックレンジ。伸縮自在のテンポ。歌と演技とオーケストラの見事に一致したプロダクション。まさに、天才指揮者の面目躍如たるものがある。指揮者は拍子をとっていない。曲想をなぞるとでも言おうか。オーケストラとの呼吸の一致がこれ以上なく感じられる。
歌の中に滑り込む絶妙のオーケストラ、もうひとつの歌のよう。


以上の3幕。
第1幕の駆り立てるような、やつすような追い込み。
第2幕の語りの静けさとジークムントが倒れる時の劇的な音楽の対比のクリアさ。
第3幕におけるチューバの炸裂音。まるで音を割らなければ音楽ではないといっているよう。そしてクライマックス、ここはプロダクションともども忘れられない音楽的印象を残してくれる。
もはや、ジークムントの力不足もかなたへ飛んで行ってしまった。やはり、DBの存在感が最も印象に残る。とはいっても本人はオケピットの連中とステージにがって挨拶しているが、ケロッとしたものだ。
おわり























2802- ラインの黄金(第1サイクル) ダニエル・バレンボイム、ベルリン国立歌劇場、2002.1.16

2021-09-23 21:21:52 | DB-SKB2002
2002年1月16日(水) 7pm 神奈川県民ホール

ワーグナー 作曲

ハリー・クプファー プロダクション

ラインの黄金

キャスト
ヴォータン ファルク・シュトゥルックマン(Br)
ドンナー アンドレアス・シュミット(Br)
フロー ロバート・ギャンビル(T)
ローゲ グレアム・クラーク(T)
アルベリヒ ギュンター・フォン・カンネン(BsBr)
ミーメ ペーター・メンツェル(T)
ファーゾルト ルネ・パペ(Bs)
ファーフナー ドゥッチョ・ダル・モンテ(Bs)
フリッカ ローズマリー・ラング(MS)
フライア カローラ・ヘーン(S)
エルダ メテ・アイシング(A)
ヴォークリンデ カローラ・ヘーン(S)
ヴェルグンデ カタリーナ・カンマーローアー(MS)
フロスヒルデ アンドレア・ベーニッヒ(MS)

ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ

(duration)
Act 7:10-9:37pm   2時間27分

百聞は一見に如かず、百書は一見に如かず。おお、このラインゴールド、よくわかる。
最初の乙女の音楽は全体像から見ると少し弱い音楽である、とか、2時間37分終わった後には、これは成長する音楽であるということがよくわかる、とか、ローゲが出てきた途端に彼が主人公になる、とか、とにかく見て分かることが沢山ある。
歌と演技と演奏がこれほどぴったりあったものは見たことが無い。クプファーの素晴らしいプロダクション、そして、それに応える歌い手の演技。そして全てを包括するバレンボイムの指揮。さらには強靭な歌。
3階席から見るとバレンボイムは拍子をとっていない。ただ一筆書きのようになぞっているだけだ。五線譜の縦バーがないようだ。いかに手中におさめているかよくわかる。この棒から出てくるもの、まさに天才技といえるのではないか。
各内容は第2サイクルのときに書くとして、クプファーのプロダクションが抵抗なく受け入れられるのは何故であろうか。
これは1988~1992バイロイトで行った同氏が、そのあと作ったプロダクションである。似てなくもない、というのもあるが、各キャラが最近の流行に敏感に反応している。ローゲの部分染めアクセント、ヴォータンの左目サングラス、ロボコップ風巨人、機械の様な蛇、・・・・
言い出したらきりがないが、本当に現代にあっている。また、動きも、激しいというよりは、小さい動きでもきっちり決めてくる。非常に丁寧。それでいて学芸会にはならない品の良さがある。
5年前に決めたワルキューレ、そのままで迫るシュトゥルックマン、ローゲのクラーク、この性格テノールが主人公になってしまった。それと、
ファーゾルトのルネ・パペ、このあたりだな、ポイントは。

公演後、オケピットから団員がオンステージであいさつ。その中に全く目立たずバレンボイムが中央に。大きな花束の床を前へジャンプ。60歳の年男なんだからあまり無理せずとも。エネルギーがあまっているとでも言うのかな。初日で捻挫でもされた日にはたまったものじゃない。
おわり