2002年1月23日(水) 4pm 神奈川県民ホール
ワーグナー 作曲
ハリー・クプファー プロダクション
神々の黄昏
キャスト
ジークフリート クリスティアン・フランツ(T)
グンター アンドレアス・シュミット(Br)
アルベリヒ ギュンター・フォン・カンネン(BsBr)
ハーゲン ドゥッチョ・ダル・モンテ(Bs)
ブリュンヒルデ デボラ・パラスキ(S)
グートルーネ カローラ・ヘーン(S) (マーガレット・ジェーン・レイ出産による代役)
ヴァルトラウテ ワルトラウト・マイヤー(MS)
運命の女神1 メテ・アイシンク(A)
運命の女神2 ローズマリー・ラング(MS)
運命の女神3 キルシ・ティーホネン(S) (マーガレット・ジェーン・レイ出産による代役)
ヴォークリンデ カローラ・ヘーン(S) (マーガレット・ジェーン・レイ出産による代役)
ヴェルグンデ カタリーナ・カンマーローアー(MS)
フロースヒルデ アンドレア・ベーニッヒ(MS)
ダニエル・バレンボイム 指揮
ベルリン・シュターツカペレ、合唱団
(duration)
ActⅠ 4:08-6:09pm 2時間1分
ActⅡ 6:53-8:00pm 1時間7分
ActⅢ 8:50-10:10pm 1時間20分
噂には聞いていたがプロローグ&第1幕の演出のわかりにくさは一体何だろう!
音楽的にはよくわかる。ライトモチーフの塊であるし、時として同時進行のような場面もある。ストーリー的にもその時そのライトモチーフが出てくるのもよくわかる。
しかし、これまでのラインゴールド~ワルキューレ~ジークフリートときて、ここで2時間もかけなければならない。全体の中での位置づけがわからない。というか、放り出されたような感覚を持つ。ここからは自分一人で理解せよ、という大人の音楽に一気になったような気がしないでもない。
演劇だと思って観ていればよいのだろうか。主にブラスによって断片が連続し、かろうじてつながっているライトモチーフ。その合間に歌われる歌。どちらかというと科白に近い。パルジファルの第1幕のように決して救われることのない音楽がブラスによる不協和音とともに小節をつぶしていく。やはり一度ではわからない音楽だ。
このショック状態は第2幕までずっと続いているのであり、合唱も加わり光が見えてきているのに、こちらは少しも晴れない。後遺症とでもいうべき状態なのだ。
それにしても今日も良く指揮者が見えるところに座っていてわかるのは、指揮者があまりにも確信をもって棒を振っているということである。小節などほとんどないような音楽をこのように確信をもって振ることができるというその、音楽への理解力が信じがたい。
第2幕の、邪悪なトリオがジークフリート暗殺のわるだくみ音楽あたりで少し音楽的な求心性が出てくるが、それとてワーグナーが意図していることとは思えない。ずっと拡散し続けながらクライマックスまでいくのだ。
この音楽は成長し拡散し続ける音楽なのだ。ラインゴールド冒頭の乙女の音楽とカミタソ第3幕冒頭の乙女の音楽は似て非なるものだ。全く充実度が異なる。ラインゴールドにおける弱さは無く、音楽的にも満たされるものだ。
成長し続ける音楽だが、ストーリー的には黄昏に向かっている。音型も下降線的主旋律であり、その意味では悲劇に突き進む話の内容は合っている。(めざす音楽と)
だからやはりメインテーマは拡散かなあ。よくわからない。
刺されるジークフリートの第3幕の頑張りは立派。
また、ブリュンヒルデも最後までくどくならず自己犠牲を歌い切った。ポラスキーの場合は見栄えが特に良いのでさまになる。
ハーゲンにはブラボーがかからなかったがよかったようだ。日本人的感覚では2人とも背中から刺して殺してしまうような人間は卑怯で武士道にもとる。といったあたりがブラボーナッシングの漂いなのかな。
それにしても、第3幕が終わっても暗中模索は続く。
Ps
クライマックスのところで、ブリュンヒルデが膝を使って槍を折ったとたんに非常灯が点灯した。あれは演出なのだろうか。それとも偶然のミステイク?
非常灯がつくと日本人的感覚ではなにか地震でもあったのかと思ったりする。音楽的に世界が破滅に向かっている最中なのでビックリさせるには良いアイデアかもしれない。次回見ればわかる。