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736-で1984年2月29日のバーンスタイン指揮ウィーン・フィルのアメリカ公演のことを書いたが、翌日その評がニューヨーク・タイムズに載った。
レビュアーはジョン・ロックウェル。
新聞評を自由に引用しながら記してみる。
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まず、1984年のウィーン・フィルによるアメリカ公演はこのカーネギーホールの3回公演を皮切りに8つの都市を回るというツアー。指揮は全てバーンスタイン。
ウィーン・フィルのアメリカ公演はやはり特別のようで、難しい単語も並ぶ。
このオーケストラの演奏にふさわしい言葉は‘significance’というよりも‘reaffirmation’とか‘attestation’ということらしい。西洋の音楽の核を形成している中央ヨーロッパのオーケストラ・レパートリーを解釈するオーケストラにはこのような堅苦しい言葉であるが格式のようなものが備わっているのであり、言葉としては妥当なもの。
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今鳴っている楽器ができたところにあるオーケストラであり、その時代から続くもの。ウィーン・フィルは録音ではなく、やっぱり生で聴くことに意味がある。来日公演はだから意味深いことなのだ。
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バーンスタインはアメリカ人が見ても派手な棒振りだ。でも、今ではウィーンのオーケストラ、国立歌劇場で大活躍。若いころの情熱が衰えることがない。
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一夜目のプログラムはハイドンの交響曲第88番とベートーヴェンのエロイカ。これらが作曲された時代の間隔はたかだか20年。ハイドンは小編成で、その前半のプログラムのアンコールとして第4楽章アレグロ・コン・スピリートを繰り返した。といっても、棒を振っているわけではなく演奏者たちに自由にしゃべらせるような感じ。
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アメリカのヴィルトゥオーゾなオーケストラや完璧主義者ヘルベルト・フォン・カラヤン率いるベルリン・フィルに比べたらオーケストラの切れ味、輝きがいま一つ。しかしそれを補って余りある暖かくて楽しい、そして歌う演奏がここにはある。
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エロイカは広がりがあり本当に素晴らしい演奏であった。第1楽章提示部を繰り返した超ロングな演奏は全体で約56分に達した。ハイドンではソロ楽器がいま一つであったが、エロイカでは断然素晴らしく、特に葬送行進曲、第4楽章は見事であった。
葬送行進曲、バーンスタインの確信に満ちた棒のもと、ウィーン・フィルの限りなく正統的な演奏はこのオーケストラの正しさを示す。
第4楽章のアレグロ・モルトはさらに素晴らしい。第3楽章のスケルツォからアタッカで第4楽章へ突入。ホルンの音は狩猟を思い起こさせる。なにもかもが素晴らしい。
結局、それら全て今日のカーネギー・ホールは満足のゆくものであった。
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といった評。
河童の評とほぼ同じ。
ウィーンという響きにこのロックウェルもやられている。
おわり
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先週の金曜日は今年2008年最後の華金を楽しみました。
まずは7時からNHKホールで第九。
これは内容がお粗末でダメでした。
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まっ、きっかけづくり、アンプに少し熱を加える、みたいなもんですから、演奏内容はどうでもよかったのかも。いい演奏が聴けたとしても、そのために渋谷のなじみの街並みを左に曲がるところ、右に曲がっていた、なんてぇことは百に一つもないので、その意味で影響のない、どうでもよい演奏」ということ。
終わったのが8時半。
10時半からの六本木のショー開始までに少し時間がある。
渋谷で少しコバラしていこう。
東急本店通り(文化村通り)をたらたら、やたら逆方向、駅の方に歩く連中が多い。華金の9時前なのに何をそんなに急いで帰るのかね。
人をかき分け東急本店近場のバーへ。
ちょっと誤解の多い場所なのだが、となりのビルのドアさえ開けなければ世の中問題はない。
最近は、バーでもいろいろと食材があったりする。ここのお店も(わがまま言わずとも)いい品をだしてくれる。今日のところはこれから六本木に行くので、小1時間しかない。とりあえずビール。
パスタはやめにして、なぜか、時間をかけたポトフがあるというので、愛棒の好物食材そのまんまのような野菜サラダと一緒に。
ビールのあとほどほどのSCAPAをストレートでいただき、もう一杯軽めのウィスキーを飲み時間をつぶした。愛棒はワイン。
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タクシーをつかまえ六本木へ。
10時半のショーはスターで。
セリナの近くなので交差点からでも歩いて5分。
たまにいくわけですが、ここのところしばらくご無沙汰していた。いくら面白いからといってそんなに頻繁にいくと、レパートリー制ではないので、食傷気味になるかもしれない。年2回ぐらいがちょうどいい。
つながりがブラッシュ・アップしており、滑るような感じで進行し、そして内容も一段と濃くなった。司会不要問答無用の50分は結構長く感じ、1時間半ぐらいのような感覚だ。
マイケル・ジャクソンのスムース・クリミナルがカール・オルフのカルミナ・ブラーナよりはるかにかっこよかったりして、とにかく爆発的に楽しむ。
終わって外へでると0時近くになっている。第九のことは完全に消しさられた。
よしこれから晩飯だ。
六本木は夜中でも問題ない。店は開いている。
予約はしていないが、以前呆れたのは、午前1時半にトニー・ローマのところにある巨牛荘で焼肉を食らおうと行ってみたところ、貸し切りですのでだめです。と、店員はのたまわられた。業界連中の時間帯だ。こんなこともあるが、だいたい当日の行きたい店は2軒ほどチェックしていくのがベター。夜中の予約なんて気持ち悪くて出来ないし。行き当たりばったりの河童ですしね。
それで、スターの近くにある、業界人間が使う合言葉「隠れ家的」お店。この隠れ家、たまに来るので隠れていない。ただ行き当たりばったりで見つけるのは無理かも。だいたい、この漢字、すぐには読めない。碧海。
寿司がメインだが和物のつまみが充実している。夜中だから安くはないが、それでも瓶ビール1本。日本酒4合。それにつまみを7,8点、握りを5,6巻ぐらいだろうか、全部で二万七千円。ちょっと愛棒とのしゃべりが多かったが、ギロッポンのお店はそこんとこ大目に見てくれる店が多い。。
話しこんでくると、第九のことも、スターのことも忘れている。いや、スターは忘れん。だって出るとき壁掛けカレンダーをもらったんだもの。
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もう2時だ。どうする?
バーでうがいして帰ろう。タクシーもつかまる気配がないし。
久しぶりにオペラを流しているバーに顔を出してみるか。場所は銀座のルパン並みに分かりにくいし、そういえばドアを開けたとたんの転がりそうな階段もにてるなぁ。
俳優座の裏だよ。。
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2時半までということなので30分だけ飲んだ。カクテルを。。
今日流れているオペラはトゥーランドットだなぁ。まだ始まったばかりじゃないか。それでも店は閉まる。。
ここでも話しこんで外に出るがいまだに喧騒。六本木の華金はだいたいこんな感じが多いが、年末なので、道の真ん中で立ち止まりしゃべっている田舎連中が多いのには辟易する。
クルマがつかまらないのでミッドタウンまでホテルの前で待ったのだが来そうもない。
それで、最後は朝までやっているCASKへ。
愛棒ははじめて行くが、しっかりとグラッパをたのんでいたね。少しは目が肥えたのかもしれない。あれだけのボトルをさっと見れるようになったのかもしれない。頼もしくなってきたね。
気がついたら4時半だったけど、たまにはいいか。
おわり
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久しぶりに満を持していない演奏にであった。ブログを書く時の楽しみの一つは、最後にタイトルをいれるとき。でも今日は最初にタイトルが浮かんだ。
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2008年12月26日(金)7:00pm
NHKホール
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ベートーヴェン/交響曲第9番
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ソプラノ、横山恵子
メゾ、加納悦子
テノール、ウォルター・プランテ
バリトン、甲斐栄次郎
合唱、国立音楽大学
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指揮レナード・スラットキン
NHK交響楽団
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四半世紀前に、当時アメリカのビッグファイブの一角を崩しにかかった高性能オケだったセントルイス交響楽団をドライブしていたのは、今は特に上半身が昔とは似ても似つかなくなってしまったレナード・スラットキン、彼の棒に今日の演奏の責任があるというのはあまりにも酷というものだろう。
演奏の良し悪しは横に置くとしても評に値する演奏ではない。
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ホルン4本+1であとはオースドックスな2管。弦も少なく、かといってピリオド風な装いもなくいたってこじんまりとした音のサイズであり、これがスラットキンの目指したものなのかどうかよくわからないが、これはこれでいい。ばかでかいこのホールに合わないだけの話だ。
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それにしてもこのやる気のない演奏はどうだろう。個々人のプレイヤーはそれなりにみんなその気になってやっているのだろうが。いつものN響の姿が全く見えない。
総体としてのN響の響きはどこへ飛んでいってしまったのだろうか。これだとただ単に年末恒例第九行事、パンフレットを配ってしまったので演奏会をひらく、みたいな本末転倒な出来事だ。
N響の響き、イディオムが普段あるとしたら今日の演奏にはそれは全く感じられない。4+1ならんだホルンは全員トラだろうか。別に悪いことではない。
濃淡のないフラットな響きが、第九ではむしろ3番にトップをもってきているような感覚はわからないでもないが、空しく響く。プレイ・ミュージックはどこへ。
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別に1シーズン1回このときだけ演奏を聴きに来るような人たちにはこの演奏でいい。前の席でねっころがっていて歓喜の歌のところでむっくりと起き上がるようなオヤジ連中は音楽という文化を育てる聴衆ではないので、妙に邪魔な視覚以外全部無視できるものであるが、それにしても、だ。ゴー・ホーム。。
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今日の唯一の救いはチャリティー・コンサートであったことか。2枚で26,000円に値する演奏には限りなくほど遠いものであったが、チャリティーなので何かしらの役にはったのだろう。この意味で聴衆の心が安らぐというのは、本末転倒というより、それ以下、いや、それ未満、企画者も演奏家もしっかり自覚していただきたい。
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付け加えるならば、この粗末なプログラムは何だろう。
まともな曲の解説が載っていない。解説も違和感のある人物というわけではないが、ふさわしい人間がいるだろう。
メンバー表もなくかわりにコーポレイト・メンバーがでかでかと載っている。別に悪いことではない、チャリティーだし、でもこんな頁、誰もみない。。
おわり
前回のブログで書いた3連続公演の初日の模様です。
言葉足らずなところや、今だったら普通、みたいなところがありますが、当日の模様を感じたまま書いているようなところがありますので原文を崩すことなくアップしてみました。
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1983年2月29日(水)8:00pm
カーネギー・ホール
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ハイドン/交響曲第88番
ベートーヴェン/交響曲第3番エロイカ
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レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニカー
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今日から3日連続でバーンスタイン指揮ウィーン・フィルによるニューヨーク公演が催される。このような公演が日本で行われたらおそらく大変な騒ぎになるはず。おりしもバーンスタイン&ウィーン・フィルによるベートーヴェンやブラームスの交響曲全集など、このところ一段とバーンスタインの素晴らしさが取りざたされているずなのだから。
バーンスタインは年にもめげず、まるで蝶のように舞う。特に後ろ姿は非常に大きく見え、ときに背を丸め肩をいからせ、ジャンプするその姿はなにか手造りのピノキオみたいである。正面を向いたときは背の高さをそれほど感じないが、後ろを向いたときの大きさとその表情の雄弁さはまさに現在のバーンスタインの音楽そのものである。
そして、ウィーン・フィル。いだいていたウィーン・フィルの音であった。
エロイカの第1楽章における再現部がひたすら熱をおびながら突き進む姿はウィーン・フィル以外のなにものであろうか!
また第3楽章のホルンの素晴らしさ。水面の上を白鳥が飛び去る見事さである。またアンサンブルの緊密さは逆に第2楽章のような緩徐楽章でこそ示されるのだということをウィーン・フィルは見事に我々に聴衆に示してくれた。
それにしてもだ。このところのバーンスタインの表現力の大きさ。というよりも明瞭な変化といっても良いかもしれない。
この前のマーラーの第2番(ニューヨーク・フィルハーモニック)でも感じたことなのだが、大きくロマンティックな方向に傾いているとでも言えば良いのか。特にマーラーに関して言えば、それなりに納得するのだが、ベートーヴェンに対してもこのような幅の大きな表現を見せるとは!
このベートーヴェンは全く予期しない方向に進んでいってしまった。これはまるで、フルトヴェングラーではないか!
テンポの大胆な変化とその表現の大きさ。
完璧なアメリカ人と、ヨーロッパそのものといったウィーン・フィル。この一見、奇妙な組み合わせが、これほど熱のはいった、なおかつ息のあった演奏を生みだすとは。
全4楽章、栄光のウィーン・フィルにふさわしいアンサンブルであり、それを包み込むようなバーンスタインのこれまた現在の評判通りの大きな解釈であった。
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ウィーン・フィルのアンサンブルは第1楽章からやはり一味違うと思う。筆でそれを書くのは難しいが、特に弦の合奏は普通のオーケストラと異なる。それぞれのセクションが明瞭に聴き分けられるにもかかわらず、それぞれが一緒になったときのアンサンブルは微妙なものまで表現する歌そのものとなっている。もうこうなっては曲はいつまでも終わって欲しくなく、バーンスタインは第1楽章提示部をリピートしたが、私は望んだ、もう1回リピートしてくれることを。
また木管もやはり音が違う。なんと表現して良いかわからないが、とにかく素晴らしいの一語に尽きる。オーボエはいつも聴いているようなイメージとはちょっと異なり非常に大胆な音である。フルートの音は太く、クラリネットの音もなんとなくオーケストラ・ピットの底から湧き出てくるような音である。金管はまさに超一流で安定感そのものであり、節度がある。
そして、これらを指揮するバーンスタインは、まさにその第1楽章提示部からオーケストラを駆りたて、ひたすら突き進む。これはフルトヴェングラーではないか。
再現部導入のホルンが弦の上に乗って吹奏されるとき、ここにその熱い音楽以外の何ものが存在するというのか!
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第2楽章があれだけおそいにもかかわらず、全く魅力的であるのはウィーン・フィルの音そのものに起因しているし、さらにバーンスタインの大胆にして正当な解釈に起因している。
ほれぼれするようなこの楽章のアンサンブル。そしてオーボエの他のオーケストラとはちょっと異なる音だが全く崩れを見せず、悲しさを表現するその様は、全てウィーン・フィルの自信。
そしてまたしてもやはりバーンスタインの表現が本当に光る。光り輝くと言っても良い。このようにひたすらロマンティックな方向に傾くバーンスタイン。表現力の大胆さが細部の正確さをなおざりにしていない。というよりも細部を正確に表現し聴衆に伝えたいためにこのようなおそいテンポを選んだとさえいえる。
中間部の静けさは清らかでさえあった。
そして第1楽章から引き続きこの第2楽章を眺めるとき、そこにはすでに全体の見通しに対する確かな理解がある。この動と静。音楽はつながった。
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第3楽章は第4楽章の序奏であり、ほとんどアタッカで続く。
第4楽章の変奏曲はひとつづつはっきり分かるように分けられ、テンポも自由自在である。ここはこの美しいメロディーに私たちはのめりこむだけでよいのであり、なにも考える必要はない。そしてコーダとともにエロイカは宇宙のかなたに飛び去っていく。
ポーズをいれて約1時間の力演であった。
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ハイドンはとりあえずの小手調べであり、あまりに曲自体が短いのでバーンスタインは第4楽章をもう一度演奏した。但し、このときはバーンスタインは指揮したといっても単に指揮台の上に立っていただけであり、なにもせず、ウィーン・フィルのそのアンサンブルを聴衆に示したのであった。
やはり、オーケストラのアンサンブルの素晴らしさはなにものをも超えている。ここには機能美よりも歌としての表現がある。音楽は美しく歌われなければならない。
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残念なこと。
カーネギー・ホールはもはや名前だけである。
たしかに音は良いかもしれないが、椅子はきしむし、地下鉄の音はひっきりなしだし、車のクラクションまでよく聴こえる。
このホールの音響効果とエイヴリー・フィッシャー・ホールの居心地の良さを比べたら私は精神的な安心感ということで絶対に後者を選ぶ。
もう一度言う。カーネギー・ホールはあまりにもまわりの環境を含めて条件が悪すぎる。
おわり
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第九の季節は他の演目があまり聴けないので、シーズン中なのに一番つまらない季節でもある。
演奏会通いも少し空きができたので、
1983-1984シーズンの聴いたコンサートのことを書いてます。
左側に各シーズンの聴いたコンサート観たオペラのことを書いてます。
今シーズンは最中ですので聴いたところまでです。
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1983-1984シーズンのことをだらだらと書いてようやく2月3月までたどり着きました。シーズンオフの6月までまだまだありますが、今日は2月末日から3月に行われたバースタイン&ウィーン・フィルの演奏会のことです。
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レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのニューヨーク公演はカーネギーホールで3日連続で行われました。
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1984年2月29日(水)8:00pm
カーネギー・ホール
ハイドン/交響曲第88番
ベートーヴェン/交響曲第3番エロイカ
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1984年3月1日(木)8:00pm
カーネギーホール
モーツァルト/交響曲第40番
マーラー/交響曲第4番
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1984年3月2日(金)8:00pm
カーネギーホール
モーツァルト/交響曲第41番ジュピター
ブラームス/交響曲第2番
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レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニカー
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初日と二日目の公演に行きましたので明日からその模様を。
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アメリカでもウィーン・フィルは特別な存在で、ヨーロッパの香り、文化のたたずまい、歴史の共感、アメリカ人にとってはヨーロッパ文化はありがたい存在。象徴的な文化の大使であるオーケストラがこの地にくるとかなりの盛り上がりとなる。
ニューヨーク・タイムズも騒いでいるし、公演レビューは3日連続で掲載された。
アメリカのヒーローであるバーンスタインがヨーロッパで開眼した。その純粋無垢な姿勢とともに、裏打ちされた実力、オーケストラへの偏見のない対峙、特に圧倒的な実力をヨーロッパオーケストラ界は知らなかった、知らされた。ウィーン・フィルとの組み合わせはみずみずしかったに違いない。開眼したのはヨーロッパであったのかもしれないが、どっちにしろ出会いは良かった。
バーンスタインにとって一番フレッシュだったのは、その昔ニューヨーク・フィルハーモニックとの出会いだったと思う。あの数え切れぬほどの圧倒的な回数のサブスクリプションを行ったこのコンビにまさるものはない。しかし時は流れる。ウィーン・フィルとの絶好調期も峠を越えた頃のカーネギーホールでの3日連続公演。
はたしでどのような結果が。。
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この前買いだめしたCDですが、少し聴いてみました。
まずは復活。SACDです。
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マーラー/交響曲第2番 復活
ズデニェク・マーツァル指揮
チェコ・フィル
ブルノ・チェコ・フィル合唱団
録音:2008年5月8,9日
セッションとライブの編集
価格2枚組3,500円 SACD
EXTON OVCL-00370
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SACD2枚組です。
第5楽章が33分オーヴァーという大変な長さになっているので2枚組です。
それで詳細は皆さん聴いてのお楽しみですが、ちょっとだけ。
まず、今まで出ているマーラーシリーズ同様最高の演奏が最高の解像度で眼前に迫ってきます。
マーツァルの棒はテンポに少し意表をつくところがあります。表情もしかりです。
開始が非常に柔らかいメゾピアノのような感じで、シルクのような弦のサウンドが繰り広げられます。
すごいのが第5楽章の第3部のクリアな合唱。力強く、完璧なピッチで、目の前に圧倒的な歌が定位します。熱湯のような演奏ではなく、冷静にしてクリア、音楽に全てを語らせている。ようで、実はマーツァルの力がチェコ・フィル、ブルノ合唱団から全てを引っ張り出した。
あとは聴いてのお楽しみ。。
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もう一枚はこれ定番。
こちらはSHMCDです。
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ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
ピアノ、ウラディミール・ホロヴィッツ
ユージン・オーマンディ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1978年1月8日 ライブ
カーネギー・ホール
価格2,730円SHMCD1枚もの
RCA BVCC34418
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ホロヴィッツの十八番中の十八番、ラフマニノフの3番。ニューヨーク・フィルハーモニックの伴奏で聴ける。オーマンディの棒。豪華キャストだ。
冒頭からピアニシモの連続だが、際立つ滴、粒立ちのいい、切れ味鋭い音価の一つ一つが離れ業の連続となって唖然とする演奏。何度聴いても飽きない。
オーケストラの伴奏がピアノの至難の細切れ音符に惑わされることなく、余裕の出来だ。さすがニューヨーク・フィルハーモニックだ。
SHMCDのせいか高音のみずみずしいのが音楽をあらためて聴かせてくれる。
これも聴いてのお楽しみ。
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今の時間、バレンボイムがかなりのおそまきながらメトにデビューしました。
もちろんワーグナーしかありえません。6回公演の最終日。
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2008年12月20日(土)7:30pm
メトロポリタン・オペラハウス
5時間10分公演
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ワーグナー/トリスタンとイゾルデ
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演出/ディーター・ドルン
トリスタン/ペーター・ザイフェルト
イゾルデ/カタリーナ・ダライマン
ブランゲーネ/ミッシェッル・デ・ヤング
マルケ王/ルネ・パペ
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指揮 ダニエル・バレンボイム
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ベルリン国立歌劇場のキャストがそのまま来た感じだが、豪華な布陣。
ただいま公演中。
全6回。
2008年11月28日(金)7:00pm
2008年12月2日(火)7:00pm
2008年12月6日(土)11:00am
2008年12月12日(金)7:00pm
2008年12月16日(火)7:00pm
2008年12月20日(土)7:30pm
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イゾルデは12日のみワルトラウト・マイヤー
バレンボイムはいつもの通り、合間を縫ってリサイタルを敢行。
2008年12月14日(日)7:00pm
メトロポリタン・オペラハウス
オール・リスト・プログラム
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結果は別の機会に。。
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1984年2月26日(日)8:00pm
メトロポリタン・オペラハウス
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レオニー・リザネック
メトロポリタン・オペラハウス
デビュー25周年記念
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ワーグナー/パルジファル第2幕
クンドリー/レオニー・リザネック
パルジファル/ペーター・ホフマン
クリングゾル/フランツ・マズーラ
他
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ワーグナー/ワルキューレ第1幕
ジークリンデ/レオニー・リザネック
ジークムント/ペーター・ホフマン
フンディング/ジョン・マッカーディ
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ジェイムズ・レヴァイン指揮
メトロポリタン・オペラ・オーケストラ
メトロポリタン・オペラ・合唱
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1984年2月26日(日)、日曜の夜の8時に普通は演奏会には出かけないが、この日はリザネックのMETデビュー25周年記念ゲイラということで、いつもどおり10分ほど歩いてうかがったのだが、そのときはだぶん、両曲ともにペーター・ホフマンが歌うから、といった思いもあった。ホフマンはヘルデン・テノールの響きも素晴らしいのだが、歌、アクション、きめるツボを心得ているというか、客をうならせるのがうまい。
ワルキューレ、パルジファル、ローエングリン、マイスタージンガー、等、ほぼ歌舞伎状態のうねりにいたく感動したものだ。ジークムントもいいが、ヴァルター・フォン・シュトルツィングは夢のような出来事だった。
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それはそれとして、この日METデビュー25周年となったリザネックはこのとき57歳。
ヴォーカルの場合、女性の方が寿命が長いというか、かなり現役を長く続けているような一般的な印象があるがどうだろうか。
METデビューは1959年2月5日、ヴェルディのマクベスのマクベス夫人。
アップしてある表は25周年記念当時のもの。最多が、影のない女の皇女役の27回。次がさまよえるオランダ人のゼンタ、タンホイザーのエリザベートと続く。影のない女はあまり上演回数そのものが多くないが、それが一番、というあたりがすごい。
この時点で、METには216回出ている。
この日25周年、57歳といってもまだ現役であるからこの後さらに回数を重ねた。
亡くなったのが1998年3月7日。METでの最終出演は1996年2月1日。
計299回出演した。
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1980年代90年代のMETでの活躍はバイロイトでの活躍から見れば残り香みたいなものかもしれない。前回のブログで書いた当日のロックウエルの評でも、金切り声が定説のようであり苦笑したくなるような文面もないではないが、それでも、そこにいるといないでは大違いだろう。やっぱり聴いておいてよかったという感が強い。
おわり
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前回のブログの続きです。
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リザネックのメト25周年記念公演のニューヨーク・タイムズ評は二日後の28日(火)にでました。
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1984年2月26日(日)8:00pm
メトロポリタン・オペラハウス
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レオニー・リザネック
メトロポリタン・オペラハウス
デビュー25周年記念
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ワーグナー/パルジファル第2幕
クンドリー/レオニー・リザネック
パルジファル/ペーター・ホフマン
クリングゾル/フランツ・マズーラ
他
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ワーグナー/ワルキューレ第1幕
ジークリンデ/レオニー・リザネック
ジークムント/ペーター・ホフマン
フンディング/ジョン・マッカーディ
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ジェイムズ・レヴァイン指揮
メトロポリタン・オペラ・オーケストラ
メトロポリタン・オペラ・合唱
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ニューヨーク・タイムズ
1984年2月28日(火)
オペラ
レオニー・リザネック25周年記念ゲイラ
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Byジョン・ロックウェル
レオニー・リザネックはありふれた普通のソプラノではない。そしてまた、日曜の夜メトロポリタン・オペラハウスで行われた彼女のMETデビュー25周年記念ゲイラ・コンサートはありふれた普通のイベントではなかった。
この日のプログラムはワーグナーのオペラからパルジファル第2幕とワルキューレ第1幕というもの。
リザネックと聴衆の興奮は、最後には喝采の爆発となった。リザネックは花束の集中砲火に身をかがめていた。
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リザネックのMETデビューはマクベス夫人で、1959年2月5日のことであった。今までにベートーヴェン、ヴェルディ、プッチーニ、ワーグナー、シュトラウスなどの18役どころに216回出演、ツアーをいれるともっと多数となる。このMETでもっともしばしば歌ったのは、さまよえるオランダ人のゼンタ、それに影のない女の皇女である。
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しかしながらこの日のゲイラにリザネックがえらんだのはMETで7回しか歌ったことのないジークリンデと、来シーズンMETで初めて予定されているクンドリーだ。おそらく、リザネックは今、他の素朴で純粋な作曲家よりもワーグナーのドラマが良く合っていると感じているに違いない。ジークリンデは彼女の極端で派手な本能がよく反応することができる部分だ。そしてクンドリー役の大部分を聴くのは魅惑的だ。バイロイトの報告によると、1982年来、ジェイムズ・レヴァインの棒のもとクンドリーを歌っており、それはもっとも熱のこもったものであり、また、彼女の最も偉大なもののひとつとして記憶が約束されているものだ。
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リザネックは現在57才で、今日はいつもと同じように魅力的な歌であった。この日はフェアウエルではなかった。
彼女の声は不思議なもので、底の方に反響し、大きく輝かしく広がるような声だ。高音域は少し正確さに欠けるかもしれないが、低音域は高音域のそれを補って余りある。リザネックはヴォーカル・ラインを強調する歌い手でもないし、抽象的観念的なベルカントの長所を強調する歌い手でもない。彼女は表現的な女優だ。感情の動きの強調のもと、裂くような意味深い言葉を与え、さらに、必然的に歌うことにおいて体をもぎ取るような、また腕を切り落とすようなことをする。しかし、その結果、マンネリのことはさておき音楽に混乱はなく劇を強調することとなる。
彼女のマンネリはオーバーで目新しさのないおきまりの苦痛の表情やしぐさからなるのであって、それよりもなによりもよく知られているのは、リザネックは金切り声をあげるのだ。この日曜の彼女の最初の一音は、誤った警察のサイレンのようでもあり、二つの耳をつんざくような嘆きの声、それはクンドリーの苦痛の目覚めを暗示している。そして、ほとんど最後の局面、つまりジークムントが木から剣を抜くとき、もうひとつの嘆きの声がでる。このときはエロティックな満足感だ。それはクンドリーの金切り声と全く同じだ。苦悩かエクスタシーか、リザネックにとってそれらは全て赤裸々な感情表現だ。
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しかし、その激しさがこの日の公演の企画と同じように明白であり、さらにその歌声が充実していれば、多少の言い逃れで彼女を許すことは簡単だ。
リザネックはジークリンデの「あなたこそ春です。」から最後までまさにその役のフレーズを見事に歌った。
しかし、心を打つ最も印象的なものは彼女の歌うクンドリーであった。普段この音楽を試みて奮闘しているメゾらしくなく、リザネックはクライマックスを妥当化するような輝かしい高音をもっている。そして、この役の性格が集約されている空虚な孤独感を響かせて、素晴らしい表現のために、より低音域の音符を響かせることを学んでいる。
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メトはリザネックのそれまでの公演出演を誉めたたえた。パルジファルとジークムンドはペーター・ホフマンが歌った。彼はこれらの役では今までの誰よりも見た目がいい。また、天性の理解をもって歌うが、真の効果的な印象を作り上げるような関心をひく、長く続く、力強いテノールには少し欠ける。
フランツ・マズーラはペーター・ホフマン同様バイロイトのパルジファル公演のメンバーであり、素晴らしいクリングゾルであった。ジョン・マッカーディの声は朗々と響きわたり、気難しいフンディングを好演した。
メトのオーケストラはステージの上、ソロ歌い手たちの後ろに陣取った。(パルジファルにおける女声合唱と6人の花の乙女たちと同様)
このバランスは驚くべきことになんの問題もなかった。ブラスが最後の場面の剣のモチーフで2,3か所うまく演奏できなかったにもかかわらず、全体の演奏は非常に美しいものであった。両方の幕ともにレヴァインの棒は、彼自身の最もレベルの高いものであり、それはイデオマティック、協力的、真剣で強烈な演奏であった。
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1983-1984シーズン観たオペラ、聴いたコンサートからかいてます。
今日はリザネックのメトデビュー25周年記念演奏会から。
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1984年2月26日(日)8:00pm
メトロポリタン・オペラハウス
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レオニー・リザネック
メトロポリタン・オペラハウス
デビュー25周年記念
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ワーグナー/パルジファル第2幕
クンドリー/レオニー・リザネック
パルジファル/ペーター・ホフマン
クリングゾル/フランツ・マズーラ
他
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ワーグナー/ワルキューレ第1幕
ジークリンデ/レオニー・リザネック
ジークムント/ペーター・ホフマン
フンディング/ジョン・マッカーディ
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ジェイムズ・レヴァイン指揮
メトロポリタン・オペラ・オーケストラ
メトロポリタン・オペラ・合唱
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今日はリザネックのMETデビュー25周年記念ということで、パルジファル第2幕とワルキューレ第1幕を演奏会形式で行なった。
リザネックはかなりはりきっていて熱演していた。
力まないのはやはりそれなりの経験のたまもの。特にパルジファルのクンドリーは素晴らしく、ドイツ語特有のヴァウエルの響きが安定感を伴い素晴らしい絶唱となっていた。
それに今日はペーター・ホフマンが年下の男の子よろしく実にうまく彼女につきそい歌いあっていて、彼もやはりヨーロッパを感じさせてくれる。
それよりもなによりも、パルジファルの1時間20分とワルキューレの1時間10分程度をほとんど一息のように聴かせてくれるレヴァインの棒が素晴らしい。彼の指揮にはかなり接しているが、よく考えてみるとこうやってステージの上で振るのを見るのはめったにない。
彼は一瞬の停滞もなくただひたすら振り続け、また、いかにもオペラ慣れしているせいか指示それも歌い手に対する指示が非常に的確である。
あの姿を見ていると彼は全てのオペラの全てのパートを全て知り尽くしているように見えてくる。
またこの棒振りを見ているとシンフォニーの1曲や2曲、簡単に指揮してしまうだろうなぁと思ってしまう。スコアをちょっと見ただけで。
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メトロポリタン・オペラ・オーケストラのステージ演奏に接するのはたぶん初めて、配置はオーケストラ・ピットで演奏する時と同じであり、また彼らの姿も休止の人はのんきに構えている。ここらへんもピットと同じ。
弦はやはり素晴らしく、特にワルキューレは弦がホールを揺るがせるほどの熱演。
ただ、金管がちょっと弱いと思う。例えば、これはいつもコンサート演奏会ばかりしているニューヨーク・フィルハーモニックなどとはちょっと比べられないかもしれない。
それにしても、オペラのオーケストラの音はアメリカのシンフォニー・オーケストラの音とこうも違うものなのか。
おわり
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暮れも押し迫ってまいりました。
第九花盛りスタートですね。
どれだけ真剣に振っているのか、プレイしているのか、知る人ぞ知る、知らない人は覚えなくていい、といったところでしょうか。
4人のソリストはかなりマジだと思います。
それ以外の演奏者たちのやる気度はどんな感じなんでしょうか。
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個人的には第九は1月の定期とかに持ってこれるような指揮者が、それだけですごいと思います。今どきそんな人いません。商売優先。もちろん生活かかってますから。。
聴くほうとしては12月特に後半は第九以外のプログラムがあまりなく、あっても大したものでなかったり、あとは、来日演奏団体もこの時期、自国での仕事が忙しいし、それにクリスマスですしね。お休み優先でしょう。
この時期、シーズン中なのに全くつまりません。といってもスラットキンの第九に行く予定ですけど。。
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ところでこの不況ではありますが、ボーナスなども比較だけで言えば、潤沢な人、おりますね。
なけなしのボーナスでCDを漁ってみました。
銀座の山野楽器、渋谷の塔レコをお散歩です。
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クラシックのCDは、最近は、やたらと高いもの、安いもの、2極化の傾向がでてきました。
高いのは、SACDをはじめとする高音質、高品質化を謳ったもの。高いですね。
MTTの嘆きの歌は3,990円でした。
ハンス・シュミット・イッセルシュテットの第九は、山野で500円セールのワゴンに置いてありましたので、なんとなくゲットしたのですが、精算時レジを見ていたら1,000円でした。誰かが途中まで買う意思があったがやっぱりやめて近くのワゴンに置いたものでしょうね。
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最近多いボックス盤。安い段ボールみたいな紙質のボックスに5枚とか10枚とかはいっているもの。安いことは安いけど全然買う気がおこりません。指がぴくりとも動きません。
塔レコ自主製作のCDは音源的にはかなりいいものが多いのですが、最近、これも枚数が多いものは同じようにチープ感が前面にでてきてあまりいいものではない。
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いろいろと買いましたが、それでもたかだか14枚。昔なら塔レコでバケツ持って買いまくって、それでも買いたらず、バックにCDを詰め込んでそのままHMVに行って、またバケツしたりしてましたけど。
このまま買い続けると増えるだけですから、処分も始めました。コアなコレクターではないので、聴き終わったらヤフオクへ。といってもすぐではありません。10年ぐらいは熟成させます。Fの大量処分に際してはまだ覚えている方もいるでしょう。
経験的に言えば、買い取りショップに出すよりヤフオクの方が値が高くつきますね。また、買い取りショップでは、新しいものなら5,6割で売れますよ、などと言ったりします。つまりより新譜に近い方が高く買い取る。古いと安くなるということですが、最初この表現が理解できなかったのですが、早い話、いっても定価の5,6割でしかない。あとは古いと安くなるだけ。
10,000枚ほど処分したことがあるのですが、部分的に買い取り店へダンボールで出したりしましたが、ひと箱250枚ぐらいで、ざっくりX万円ぐらいでした。ただ古いだけのものはあまりたいしたことありません。
でも、
実際のところ欲しいのはヴィンテージものジャケットのやつ。だいたい高く売れますね。ジャケ買いでシリーズものはやっぱりコレクターの存在無視できません。こうなると定価はほぼ意味ありません。入手の困難さ加減が尺度になるわけですから。
それとライナーノートに興味深い写真があったり、国内盤ライナーに著名な人が解説しているものなど。
ジャケットでだめなのは、ベスト盤ですね。あんな他人が押しつけたベスト盤を誰が買うんでしょうか。初心者はいいかもしれませんけど。そのジャケットですが、写真と一緒にBESTとかBEST100といった文字を書いているもの。こんなもの売れません。
それと再発CDで昔のLPジャケットをかたどったもの、それも斜めに転覆させたもの。これは買う買わない以前の問題で、こんな最低のジャケット良く思いついたもんだと、敬意とは正反対の言葉を差し上げたい。
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それでは何から聴こうか。。
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カヴァレフスキーの交響曲全4曲
大植英次指揮北ドイツ放送フィル
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あたりから聴いてみるか。。
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前回ブログではジョン・アダムスの日本初演ものフラワリング・ツリーのことを書いたが、今日はストラヴィンスキーのエディプス王。
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2008年12月7日(日)3:00pm
NHKホール
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ストラヴィンスキー/
バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」
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ストラヴィンスキー/
オペラ・オラトリオ「エディプス王」
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エディプス王:ポール・グローヴズ
ヨカスタ:ペトラ・ラング
クレオン、伝令:ロベルト・ギェルラフ
ティレシアス:デイヴィッド・ウィルソン・ジョンソン
羊飼い:大槻孝志
語り:平幹二郎
東京混声合唱団
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シャルル・デュトワ 指揮
NHK交響楽団
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エディプス王は昔メトで観たことがある。715-
このときは、オケピットにオケがはいるのはいつもどおりだが、合唱がステージ前方、その後方の台の上で歌や演技が行われた。音楽のことは忘れかかっている。
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今日の演奏会はいたって通常のもので、オペラというよりもオラトリオという側面が強い。
オーケストラの前方にソリストと語り、奥に合唱。
メトだと例えばヘンデルのオラトリオ「サムソン」もオペラにしてしまう。素晴らしい舞台のことがよみがえるが、今日のところはコンサート・スタイルでオラトリオを楽しむ感じ。
音楽の荒々しさはオルフのカルミナ・ブラーナを想起させる。
カルミナ・ブラーナはエディプス王よりも後の作品のはずだが、なんだか順序が逆でも自然な流れ。
エディプス王も粗野で凶暴な部分があるが、カルミナ・ブラーナよりはスマートな感じだ。
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平幹二郎の劇的でわかりやすい口調の語りでまずこれからのストーリー展開を説明する。そうすると続けざまに音楽がその内容の劇を繰り返す。
そうやって同じようなことをリピートする。非常にユニークでわかりやすい。左右にある字幕の効果ははかりしれない。平幹二郎の語りのときは字幕は出ない。聴衆は日本人であるという前提だ。
昔メトで観たときは字幕も何もない。語りもない。だから、聴衆がアメリカ人だろうがロシア人だろうがイタリア人だろうがフランス人だろうがイギリス人だろうが関係ない。ただなんとなくわかる感じ。。
重いストーリーであるが、平の語りは圧倒的で今にもバリトンで歌ってしまいそうな感じ。内容にあった深刻な語り口でいいものであった。
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エディプス王以外のソリストは歌う部分がかなり少ない。特に第2幕のヨカスタであるが、どこで死んでしまったのかよくわからない。いつの間にか死んでしまった?ヨカスタはほんのちょっとだけ活躍するだけであまりに出番が少ない。
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デュトワの棒はストラヴィンスキーの荒々しさをうまく表現していた。特にブラスの咆哮は素晴らしく、圧巻。合唱も楽器の一部のような表現でうまく溶け合っていたと思う。骨太の大アンサンブルが展開された。
またウィンドが良く、というかN響のウィンド・アンサンブルは世界中のオーケストラの中でも屈指のものだと思う。昔からそうだ。。
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前半のアポロは弦のみの曲。
しなやかさとリズムの鋭さの両方が必要である。リズムが甘く特に中低弦が少しまどろっこしい。高弦の美しさはさすがであるが、後半の曲のウィンドの美しさにはかなわない。
アポロは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの透徹した響きにかなう演奏はもうでてこないだろう。
おわり
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