昨日に続き、1983-1984シーズンに聴いた演奏会から。
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1984年5月6日(日)3:00pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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ベートーヴェン/交響曲第6番
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ベートーヴェン/交響曲第7番
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エーリッヒ・ラインスドルフ 指揮
クリーヴランド管弦楽団
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たとえば田園の第1、5楽章や第7番の第4楽章にみられる明晰なリズム感はセルが去ってから10数年たつが、今なおなにものにもかえがたい魅力があると思う。
しばしば第7番の第4楽章におけるリズムはかなり優秀なオーケストラでも、もたつくことがあるのだが、クリーヴランドO.の場合にはそのようなことが全くないばかりでなく細かいリズムさえオーケストラ全体として美しく和音を奏でることができるのだ!
このような箇所における美しさはクリーヴランドO.独特のものであり今でも一種の驚異にして、他にとっては脅威でさえある。
逆に田園の第4楽章などは意見の分かれるところであるかもしれない。嵐がこのようにガラスのように透明な音楽として響くとき、この田園でさえ、クリーヴランドO.のもとではひとつの完成された古典音楽として響いてきてしまう。
どちらのいき方でも好きなのだが、クリーヴランドO.はこのように響かなければ意味がないのだ!クリーヴランドO.はセルが去ってなおセルの意志を継いだ音楽を作り続けていると思える。本当に実感として感じる。
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ラインスドルフは1年前にこのクリーヴランドO.ととも聴いた。指揮姿は全く古風で手をのばしながら指揮し、また誇大な振り付けは全くない。小さな動きの中にたまに表現が少し豊かになった時、音楽も雄弁になるといったところか。
また、細かいビート感覚の棒振りは行わないが、スローな動きが必ずしもスローな音楽を作っていいるわけではなく、そのトレーナーとしての才能はやはりすごいものがあるのだろうということはその動きと出てくる音楽から察しがつく。
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たて続けに、いつもきいているニューヨーク・フィルハーモニック以外にボストンSO.やクリーヴランドO.を聴いているとその多彩な表現力に驚くとともに、それぞれのオーケストラにみられる明確な違いに感心してしまう。ひとえにアメリカのオーケストラとはいっても、ニューヨーク・フィルハーモニックのマンハッタン・サウンドとクリーヴランドO.のセル的古典的感覚サウンドとは天地の差がある。
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クリーヴランドO.はいつも何かを考えさせてくれる。自分にとっては大事なオーケストラだ。
おわり