河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2739- 伊福部、日本組曲、井上、メモリー・コンクリート、リスト、死の舞踏、アリス紗良オット、ハンガリー狂詩曲第2番、井上道義、日フィル、2019.9.28

2019-09-28 23:29:37 | コンサート

2019年9月28日(土) 6-8pm みなとみらいホール、横浜

伊福部昭 日本組曲より 1.盆踊 3.演伶(ながし) 4.佞武多(ねぶた)  5-4-6

井上道義 メモリー・コンクリート  9+4+10+5

Int

リスト 死の舞踏  17
 ピアノ、アリス=紗良・オット

(encore)
サティ グノシェンヌ第1番   2


リスト ハンガリー狂詩曲第2番ハ短調(管弦楽版)  11

(encore)
アーレン オーバー・ザ・レインボウ  2

井上道義 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


4曲プログラム構成で後半の1曲目にピアノのソリストが登場という、あまり普段お目にかかることのない組み合わせ配列。雑然としたところは無くて全部魅力的、結果、お腹いっぱいになった。

伊福部の作品は豊潤なサウンドの嵐で、なんだか通奏低音的にずーっと、ヤーレンソーランがこだまする。派手で鼓舞するような趣きがあり日本のひとつの原型を感じさせる。

次の井上作品。2004年の作とあるが今回初めて聴く。プログラム冊子によると随分と色々書いてあるが、そんなに大袈裟な話では無くて、オケ編成は、伊福部の14型コントラバス7を正規の6に戻したもの、鳴り物はどっさり増える。
30分弱の曲で切れ目なし。激音・緩(ブラスの強吹き)・軽くリズミックでシニカルな流れ(カデンツァ)・静の流れ。この4つの雰囲気で進行。メロディアスなところもあり難解さはない。耳によく馴染む。後半部分のカデンツァからフィニッシュの静寂までが印象的。緊張感よりも尻つぼみ感を思わせるのは、前半のテンションがいまいちというところがあるかもしれない。対比にドラマチックなものがあればと思うし、もっと新しい音楽的技巧を盛り込んで欲しかったというところもある。若干構成感の不足を感じる。
プログラム冊子ではコンクリートの意味合いを色々と解説しているが、実際に聴いてみると、まず、ミュージック・コンクレートでは無いな、と。自分の思いとしては皮下記憶。底に固まった記憶がそこらに留まっていたり、一旦破れると飛び散るように跳ねて出る記憶。そういったことがごった煮になっている。
カデンツァでは作曲家の指示で、指揮者が音楽以外の事をしろと指示書きがあるようで、いかにもエンターテインメント、ショーマンシップに溢れた井上らしい。きっとここは自分が一番よくできるんだ、と言っているようなものだろうね。おもむろに出した指揮棒ならぬ釣り竿、あらかじめ最前列に座っていたアヒルの縫いぐるみを抱いたひとりの客。結局、井上の釣り竿に引っ掛かったアヒルが吊り上げられてしまう。唖然とした笑いの聴衆。井上はアヒルを自宅で飼っている、とプロフィールに書いてあるしね。でも、アヒルは釣り竿で釣れるのかな。
作曲家の思いは良く伝わってくる作品でした。

場面かわって後半戦。
アリスが死の舞踏のためだけに登場。場が華やかになる。空気が変わりました。
派手なリストの音楽はなにやら伊福部のサウンドを引き継いでいるようにも聴こえてくるが、怒りの日パラフレーズ、一気にアリスのピアノでワイプアウト。
強烈なリストサウンドの中、超絶技巧ピアノ、アリスの長くて細い両腕が蛇腹のように目まぐるしく動き回る。これを見てるだけでも凄い唖然。上半身もよく動く。髪を振り乱しの上下移動。タッチがいつも垂直なのだろう。冴えわたる弾き。圧巻のパワフルプレイ。今回の目的を果たしたかのような激演でした。

常々大人しめの横浜定期の客もブラボーと拍手のどよめきが止まらない。あまりの沸騰にもしかして予定外のアンコールのように見えました。洒落たプレイ、印象的なエンディングと長い空白でした。
アリスの実演には何度も接していて、いつも元気。ピアノに何かぶつけるのではなくて、両腕で鍵盤から音を拾い上げる。素敵なプレイですね。全身全霊で音楽を作り上げる渾身のプレイ。咀嚼は済んで作品が身体から溢れ出るよう。素晴らしい。

〆は同じリストの狂詩曲。
日フィルの太くて柔らかめの音。安定感抜群。めくるめく多彩な絵の具を塗りこめていく。音浴びの愉悦。派手に鳴らして、アンコールもつけて、激演フィニッシュ。

沢山楽しめました。ありがとうございました。
おわり






2738- バッハ、Vn協2、メンデルスゾーン、弦楽シンフォニー10番、ベートーヴェン、プロメテウスの創造物全曲、西村まさ彦、ライナー・ホーネック、紀尾井ホール室内管、2019.9.28

2019-09-28 22:00:45 | コンサート

2019年9月28日(土) 2pm-4:20pm 紀尾井ホール

J.S.バッハ ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042  9-6-3
  ヴァイオリン、ライナー・ホーネック

メンデルスゾーン 弦楽のための交響曲第10番ロ短調MWV N 10  11

Int

ベートーヴェン プロメテウスの創造物Op.43 全曲  75
 語り、西村まさ彦


ライナー・ホーネック 指揮 紀尾井ホール室内管弦楽団


プロメテウスの創造物 duration
語り 7
序曲 5
Ⅰ~Ⅳ 10
語り 1
Ⅴ~Ⅷ 19
語り 1
Ⅸ~ⅩⅡ 10
語り 2
ⅩⅢ~ⅩⅥ 20


来年のベートーヴェン生誕250年に向けて色々とレア演目を内々に聴いていくうちに、この演目の公演を早めにチェック。全曲公演というのにはなかなかお目にかかれない。貴重公演ですね。

俳優の西村まさ彦さんがはっきりとした口調で語る。俳優の発声はさすがだと思いましたね。冒頭、縫いぐるみを持ち腹話術風に語るところから始まる。結構長く話しして、その後は、次のシーンを4曲ずつ語る。これは分かりやすい。全体で80分に迫ろうかという長丁場のプロメテウス、語り付き公演。

作品43というあたりを頭の中に入れながら聴いていく。ベートーヴェンのワイルドな運びのリズム、それに流麗なメロディー、それらがせめぎ合いながら進行。やや埃っぽい、でなければシックとでも言おうか、そのような色合いのオケの雰囲気も良い。ドライです。これが何故か質実剛健を感じさせてくれるところもあって生真面目さと勇猛さがハイブリッドしている。手応えの大きな演奏でした。ベートーヴェン見えました。
馴染みの序曲それに終曲のエロイカ。全体を通して聴くと終曲はあまりにツルツルしたピース、多少の違和感もある作品というところも無きにしも非ず。聴後感としては総じて大きな一曲でしたね。
顔ぶれは寄り合い所帯で、種々のプロオケの連中が多い管セクションはこういった音の響きに慣れているだろうし、さまになるし安定感ありますね。ちょっと音が強いところも見受けられます。弦がもっと前に出ても良さそうですが。バランス配慮は指揮者のものでしょう。

プログラム前半の一曲、ホーネック弾き振りのバッハ。ひとつとびぬけて艶がある。バックに比べて音に幅があり音も大きいがそれよりもなによりもツヤですね。輝いて濡れている。以前もここで聴いたことがあるが同じような弾きを毎度している。凄いもんですね。
楽章が進むにつれて長さがしぼんでいく作品、これはしぼんでいくのではなくて作品の緊張の糸が進むにつれて時間軸を感じさせなくなるのだろうなあなどと思う。空間がゆがみ構成感は正しく屹立している。バッハ堪能。
続くメンデルスゾーン。初楽章といった雰囲気の一品。それにしては結構規模感がある。さっきのバッハでのホーネックのツヤが弦のセクションに転移してきたところも感じる。

企画、内容ともに満足な演奏会でした。ありがとうございました。
おわり


2737- シャブリエ、狂詩曲スペイン、ピアソラ、バンドネオン協奏曲、小松亮太、幻想交響曲、ミシェル・プラッソン、新日フィル、2019.9.27

2019-09-27 23:38:19 | コンサート

2019年9月27日(金) 2pm トリフォニー

シャブリエ 狂詩曲スペイン  6

ピアソラ バンドネオン協奏曲  8-8-7
  バンドネオン、小松亮太

Int

ベルリオーズ 幻想交響曲Op.14  13-6-15-5-10

(encore)
ビゼー カルメン 前奏曲  3


ミシェル・プラッソン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


1933年生まれというからもうすぐ86を迎えるプラッソンが悠然と登場。風貌はどことなく往年のアルミン・ジョルダンを思わせる。出てくる音も粋なもので同種の趣きを感じさせる。プラッソンは何度か聴いて、自然体で肩の凝らないもの。美音を奏でてくれてそれに寄り添っていけば気持ちよく音楽を満喫できる。

コンマスの豊嶋さんよりも上背があって、大きな指揮ですね。髪も豊富。
最初の曲シャブリエのスペインで一気に空気を変えてしまう。短い作品、リズミックで活力あるし、音の線が目立つ。新日フィルが精力的に明るく鳴る。

次のピアソラの作品、バンドネオンの音をこれまで聞いたことがあるのかどうかも怪しい自分ではある。楽しみでした。
伴奏オケはストラヴィンスキーの協奏的舞曲を思わせるもので、音がサクサクと立って進む感じ。バンドネオンはけっして大きな音ではないと思うが、オーケストラの音と似ている、合っている。明るいオケ伴で鳴ると全体がさらに輝きを増す。特にハープとの絡みは美しい。弦と蛇腹の絡み合い。
聴きものはモデラートの中間楽章、バンドネオンを満喫。人の息づかいを感じさせるもので、なにか風情があって情緒的な色合いの音楽が流れていく。キャパ小さめのホールならさらに耳を撫でてくれていたに違いない。
バンドネオンの重さはどのくらいあるのだろう。終わったところでバランスを崩した小松さん、一気に緊張が取れたのかもしれないが重そうだった。プラッソンが支えていたからこれはこれで大したもの。プラッソンはピアソラだけ椅子に座って指揮、他の2曲は椅子も無くて全くの立ち振りで、体力的にも自信があるのだろう。やっぱりこういう良いコンデションでの音楽を聴きたいですね。小松さんのバンドネオン、自分的には新発見、堪能しました。


プログラム後半は幻想。これがまた圧巻の美演。実際のところ50分に満たない演奏でしたのに、随分と悠久の時を過ごさせてもらった。わけても、第1,2,3楽章のセンスの良さは抜群で、こっちがあえて言うのもおこがましいもの、構わず聴き書く。
出だしはゆっくり目で、もしかしてよくある年と比例してなんとか、みたいなことがよぎったが、結果的にそういったところはなくて、音の流れ以上に線の際立ちを聴かせるもの。注意深く奏でられる線の妖しい動きに聴くほうのテンポ感が惑わされた。それと、色合いのバランスですね。後で思うと、本当にコントラバスあったのかな、と、ふと考えてしまうほど全体の音の強度が均質なもので、文字通り平衡感覚に優れたものだったのではないか。どっしりとというのではなくて中空に全体が浮くように持ち上げられたサウンド妙味。こういったところはもはやマジックとしかいいようがありませんな。明るい線が美しく鳴っている。2楽章のワルツなんて、ワルツだったの?と、フレージングの妙をヒタヒタと聴かせてくれた。どれもこれも美しいものでしたね。もう一度聴くのが一番良いのかもしれない。
中間の第3楽章、野の風景では、オーボエはしもて階段を上りオルガンレベルのしもてサイドで吹く。遠近感が良く出ている。弦の美しさ、鮮やかなウィンズ。ティンパニの控え目な美学。どれもこれも美しい線が際立つ。プラッソンの見事なコントロールとドライヴ。オケの積極的な音楽づくりも瞠目。

次の断頭台はリピート無し。激しさが増しあっという間に終楽章へ。その終楽章はもしかしてどこかカットしたのではないかと思えるぐらいすぐに終わってしまった。なんだかいつまでも鳴っていて欲しかった。これからもまだまだ振れるんだよってプラッソンが言ってるみたいな〆具合でした。
もう、本当に満足でお腹がいっぱいになりました。アンコールやるとは本当にびっくり。やっぱりまだまだ振れそう。
心に残る素晴らしい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり












2736- トゥール、ルーツを求めて、ニルセン、フルート協奏曲、パユ、シベリウス6番7番、パーヴォ、N響、2019.9.26

2019-09-26 23:11:49 | コンサート

2019年9月26日(木) 7pm サントリー

トゥール ルーツを求めて ~シベリウスをたたえて~ (1990)  5

ニルセン フルート協奏曲   12+7
 フルート、エマニュエル・パユ

(encore)
ヴァレーズ 比重21.5     4

Int

シベリウス 交響曲第6番ニ短調Op.104  9-5-4-10
シベリウス 交響曲第7番ハ長調Op.105  -19


パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


空前絶後の激演といえよう。
宇宙の鳴り。シベリウス7番。コーダに至って鬼気迫る鬼形相と化したパーヴォ、渾身の圧巻フィニッシュ。N響の極上精度で奏でられたシベリウス、もはや、ウルトラハイパフォーマンス、草木もなぎ倒す圧巻のマンモス演奏でした。
中間部練習番号L(下記4)からの圧倒的なブラスセクション怒涛の咆哮。マンモスコスモスユニバース、何と言っていいかわからない。強烈な響きの世界に我を忘れる。そしてその火照りが冷める間もなく弦の歌が続く。強烈な弦のしゃくりあげスウィング(5)、この弦の歌に悶絶失神。驚異的なハーモニーがさらに続いていく(5.1)。あまりの美しさにもう一度我を忘れる。
このあたり、白眉白眉の大絶景演奏でした。アンビリーバブルパフォーマンス。

トロンボーン・ソロ1回目(60小節目から)はソロをあまり浮かび上がらせずアンサンブル的進行、直後のティンパニは強弱記号が無い中、強烈に鳴らす。このあとのウィンズがまた絶妙(1.3)。
2回目のソロのあとのティンパニは譜面の指示通りpからデクレシェンド。1回目との対比がわかりやすいし、クライマックスに向かっているんだなと気づかせてくれる。

まあ、誉めだすときりが無い。明るくぶ厚く透明で、切れば飛び散る充満エネルギー。切り尽したわけですから。全部満喫、もう、ブラボー以外無い。筆舌に尽くし難い絶対演奏。

シベリウス7番私的分解図
演奏は約20分。交響曲とは言いながら自由な曲想で進む。主にテンポや雰囲気が変わるところを羅列してみる。

1. Adagio ティンパニの弱音pによる導入。
1.1 (22小節目) mezza voce弦楽器による流れるようなメロディーライン。
1.2 (60小節目)トロンボーン・ソロ。
1.3 (71小節目 練習番号D)ティンパニの打撃。
2. (練習番号Fの前後)Un pochett meno adagio ~poco affrettテンポ徐々にアップ。
3. (練習番号J)Vivacissimoスケルツォ風。
4. (練習番号L) Adagioトロボーンのソロに導かれ金管の彷徨。
5. (練習番号Nから13小節目)Allegro molto moderato 流れる弦と木管。
5.1 (練習番号T)弦の驚異的なハーモニー。素晴らしい。
6. Vivace さらなる加速。
7. Presto シベリウスのギザギザ音。
8. Adagio トロンボーン再帰。
8.1 (練習番号Y)ティンパニ弱音炸裂
9. (練習番号Z) Largamento全金管炸裂。
10. Affettuoso 最後の準備。
11. Tempo I


(1)抑え気味のティンパニに続いて2分の3拍子で弦が先を急ぐように上昇する。
(1.1)すべるような長い長い弦楽器主体の柔らかなフレーズ。飛行機から見る眼下の流れる雲。魔法のじゅうたん。そして曲想は一気に盛り上がり最初のクライマックスをむかえる。
(1.2)圧倒的なトロンボーン・ソロ。
(1.3)しかし真のクライマックスはこのあとにやってくる。トロボーンを引き継いだホルンがシベリウス的イディオムのショートフレーズでこのメロディーラインを切り上げた直後だ。強烈なティンパニの一撃。スコアに強弱記号はない。それに続く木管の鬼気迫るユニゾン。これこそが真のクライマックス。
(2)テンポは加速を2度重ね、
(3)スケルツォ風のヴィヴァーチェシモにはいる。
(4)トロンボーン・ソロに導かれ、大伽藍の圧倒的な金管の彷徨が始まる。まるで宇宙が共鳴しているようだ。そして再度スケルツォ風にもどりすぐに、
(5)弦楽器と木管による流れるような音楽が始まる。なんと素晴らしい弦楽器のハーモニー。
進むにしたがい曲は少しずつ刻みが短くなり始める。中低弦の刻みをベースにヴァイオリンの流れるハーモニー。
(5.1)ここで我々はまたしても忘れがたい弦の響きに遭遇するのであった。
(6)音楽はさらなる加速をしながら、
(7)最後のプレストに突入する。シベリウス特有の執拗な弦楽器の刻みの中、
(8)アダージョで例のトロンボーン・ソロが再帰する。1.2と同じ進行だが、
(8.1)このあとの真のクライマックスの再帰。つまりティンパニの強打ならぬ弱音叩き。スコアではここはピアノからデクレシェンドするトレモロと書いてある。
(9)音楽は急速にブラスの響きが急降下し、ウルトラ超フォルテッシッシッシモで、八分音符をかなでる。擬音で言うと、グワッ、という風に聴こえる。
(10)弦が長い音をクレシェンド、デクレシェンドしながら最後の、たった5小節だが、内容てんこ盛りのクライマックスを導く。
(11)弦がシンコペーションを繰り返すなか、ブラスセクションがメゾピアノから一つの音をクレシェンドしはじめる。その最後の炸裂音、彷徨のなか、全ての弦がユニゾンで二つの音、全音符+2分音符、2分音符、をブラッシングしながら終わる。

これも是非。
1251- シベリウス交響曲第7番 演奏は曲を超えた。異形の絶演!ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル



ところでこの7番は最近の流行かどうか6番との連続演奏で行われた。といっても実際は6番の1,2,3楽章は一服し、終楽章済んで一呼吸して7番のコトリとしたティンパニで入っていく。
パーヴォのシベリウスは上記の7番の位相と同モード。音圧が鮮やかに多層化していて何層もありそうだ。正確にこなすオーケストラのべらぼうなスキルにはアングリと口を開けてしまう。こういったあたりの高技術での表現が可能なのがこのオケ。パーヴォの指示だろうし、そのままプレイできてしまう集団にひれ伏すしかないなあ。それと細やかなパウゼ、フレーズの変わり目であまり長く取ることは無いが、響きを確かめ次の音をイメージする、この間が絶妙、音楽が生きているという実感です。
3,4楽章は緩急自在で蛇腹のように速度が変わり音楽が連れてうねりとなる。ここの後半楽章の微熱からの加熱、激しい6番でした。そして印象的な静へ収束し7番に繋がっていく。
6番の第2楽章冒頭のティンパニのタタンという開始。7番冒頭で思い出しますね。
寂寥感、熱、凝縮された精密ハイテンションパフォーマンス、連続する演奏に納得。
●●

前半最初はトゥールの作品。5分あまりの曲。
激から静に至るもので、冒頭からブラスの短い連続するクレシェンドが激しく進行、コントラバスは大海のうねりがシベリウス的イディオムで流れる。つまるところ、インストゥルメントの束ではシベリウス的で、総体としてみればトゥールの鳴りとなっているのだろう。輝かしいN響サウンドが実に香ばしい。作品としてはもう少し長く楽しみたい作品。A little bit too short

前半2曲目はパユを迎えてのニルセン。
世の中にこんな面白い協奏曲なかなか無いだろうと思う。フルートのカデンツァにアカンパニする楽器が最初にティンパニ、そして次々と楽器が変わって行き、セクションがフルートに順番に絡む。実にユニーク。いかにもニルセンらしいという話しでもあるのかな。
パユのデカい自信満々の吹きが息つく間も無く次から次へと。極めて美しいニルセン。それに伴奏オケの精度が高くて解像度が高く、ソロとの分離がよくわかる。双方の動きが手に取るようにわかる。驚くほど透明ですね。
お仕舞はトロンボーンが奇妙に萎れるように終わる、最後までユニークなニルセン。堪能しました。

ということで全4曲、出来栄え麗しく、満腹満足感、大100パーセント。
ありがとうございました。
おわり








2735- ハイドン62番、ベートーヴェン32番、シューベルト21番、シュテファン・ヴラダー、ピアノリサイタル、2019.9.21

2019-09-21 23:03:28 | リサイタル

2019年9月21日(土) 7pm トリフォニー

ハイドン ピアノ・ソナタ第62番変ホ長調Hob.XVI52  8-7-5

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第32番ハ短調Op.111  9-16

Int

シューベルト ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960  24-9-3-7

(encore)
リスト コンソレーション第3番変ニ長調S.172-3  5


ピアノ、シュテファン・ヴラダー



それぞれの作曲家のピアノ曲のラスト作品を並べた。こういう聴きかたにはあまり慣れていない。余計な観念が入り込みそう、という無意識のこばみがあるのかもしれない。そういうことがいつの間にかワイプアウトされて極上作品と演奏に、最終的には、浸りつくしました。

ヴラダーの雰囲気はストイックというほどではないが、それと端正な趣きがブレンドした所作ですかね。人は何を考えているのかわからないものだ、というところもあるかな。


ハイドンの初楽章は運命終楽章冒頭のような音型で動く。肌触りの良いもので、ちょっとしたねじれも感じるのは、やっぱり、形式を越えてくるような世界を垣間見れるからか。新たな形への挑戦というよりも、それまでの蓄積物のインテグラルな感じ。
アダージョの中間楽章は聴いているうちに不思議とベトソナ30番のスケルツォが頭の中を駆け巡る。とっても濃い作品と知る。

ベトソナ。いわゆる、中間楽章が無い状態で冒頭のカオスから最後のクララティに至る道筋を追う。今は32番の最初の和音はあまり好みではない。それはそれとしてヴラダーの音を聴こう。
道筋、ナチュラルな位相の転換。極めて明快なタッチでベートーヴェンの線が描かれていき、32番が晴れていく。お仕舞はむしろリアリティな響き。消えゆく現世ではないのだね、ヴラダーさん。
そして、物凄く長い空白。この緊張感。なんだかいろんなものがあった。思考が音になって作曲家の頭の中が現実化した。


後半のシューベルト。毎度のセリフ、で、シューベルトの場合、頭の二つの楽章で言いたいことをほぼ言い尽くしている。今日は2,3,4楽章連続演奏。初楽章と第2楽章のムードがよく似ている。濃い、濃い。垂直タッチがきれいで浮遊していくようだ。このように美しい演奏を聴くと未完成シンフォニーの事もよくわかるものだ。
どこまでも長い第1楽章、澱みのない世界はリタルダンド的なものを排したプレイで、しなって崩れることがない。この張り詰めた音とフレーズ。神経の先々まで血が通っている。
いつまでも聴いていたいシューベルトでしたね。
素敵な内容、ありがとうございました。
おわり


 


2734- キプロスの女王ロザムンデ、讃歌、マクリーシュ、栗友会、新日フィル、2019.9.21

2019-09-21 22:43:37 | コンサート

2019年9月21日(土) 2pm トリフォニー

シューベルト 劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」D797 より
序曲  8
第3幕への間奏曲  8
バレエ音楽第1番  8
バレエ音楽第2番  6

Int

メンデルスゾーン 交響曲第2番変ロ長調Op.52讃歌   60
第1部 シンフォニア  8-7-7
第2部 +8+3+2+4-4+4+5+3+5

ソプラノ、馬原裕子
ソプラノ、相田麻純(Ms)
テノール、清水徹太郎
合唱、栗友会合唱団

ポール・マクリーシュ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


マクリーシュと言えば都響を振った公演が忘れがたい。今度は新日フィルをこれまた素晴らしいプログラムで振ってくれた。

シューベルトのロザムンデ。10曲中4曲をピックアップして演奏。思いの外、規模が大きく聴きごたえ満点でしたね。
素晴らしく柔軟なオーケストラ・サウンドが魅力的。ソロ、アンサンブル、合奏、どれをとっても陰影がそこはかとなく同じようでもあり、うつろい、移り行きの呼吸が生き物を感じさせてくれる。シームレスで曲線が揺れ動きながら進むさまは極美であり、どこまでもいつまでも続いてほしい、終わってほしくない。シューベルトが今更ながらに息を吹き返す。指揮者とオーケストラの一体感、作品愛、お見事でした。なんだか全部聴きたくなった。
10型対向。

讃歌。シンフォニアと第2部で60分の大曲。
馴染みのあるトロンボーン節が割とさっぱりと速めに始まる。コクのあるシンフォニア3曲、実によい流れ。何かモノローグ風味で静謐。聴き手の心をまずは鎮めてくれる。
第2部に入り、合唱の線が見事に決まり美しい。バランスも良いもの。そしてなによりもオーケストラと同じく表情の味わいが深い。リブレットを見ながら聴き入る。この日のテクストはマクリーシュ改訂による英語版。そのせいかどうか、響きがまろやかさを醸し出している。極上の演奏によって作品を改めて知る。愉悦の極みですな。
これら合唱、そして、上に抜けるような独唱共々、ウェットな清涼感、メンデルスゾーン節、もはや、堪能の言葉しかない。
極美演奏会ありがとうございました。メンデルスゾーンの讃歌はもっともっと演奏されて然るべきものですね。お陰様で作品の良さが心に染み渡りました。繰り返しになりますが、シューベルトのキプロス女王ロザムンデはあまりの美演に丸ごと聴きたくなりました。
12型対向Cbは右左2本ずつ。

美しい演奏、ありがとうございました。
おわり










2733- シュトラウス、カプリッチョ、ファルカシュ、マーラー5番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2019.9.20

2019-09-20 23:29:37 | コンサート

2019年9月20日(金) 7pm-9:20pm NHKホール

R.シュトラウス カプリッチョ から 月光の音楽、最後の場  4+17
  ソプラノ、ヴァレンティーナ・ファルカシュ

Int

マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調  12-16-18-10-14

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


パーヴォが渋谷の街中のデモの渋滞にあったとの事で約20分遅れのスタート。

プログラム後半のマーラーではいつもと異なりブラスセクションが横一線に並ぶ。これを見るだけでも壮観。第2楽章の締めで高らかになるファンファーレ。めくれるようなサウンドがブラスの列のように一つの線で鳴り切る。パーヴォのファンファーレは結構なスローテンポ、息が切れることなく輝かしい響きを味わい尽くす。それに、手前2列のウィンズのアンサンブルの凄さ、バランス、テンション、最高峰の木管の妙技が奏でられる。もはやここまでで既にマーラー満喫。
ベースしも手、ハープ一台かみ手に。弦は対向でチェロ左、ヴィオラ右。ロングな3楽章ではホルンセクションのプリンシパル福川がハープの斜め後方に移動し陣取ってソロを軽々と吹きまくる。3番木川が1番へ移動でこちらも頑張ってる。まあ、みなさん、出来栄え見栄え、スッキリ。
スキニーなオーケストラサウンドは線になり、線の際どさは些細な事でも崩れそうなのだがそういったところが一切なくて、右でも左でもない尾根、稜線。シャープなプレイは確信の歩みですな。
余りの素晴らしさにそういったところにばかりに耳がいってしまう。アダジェットではここぞとばかり弦が美しく奏でられる。パーヴォ棒はここらあたりから伸縮自在な揺れが目立つようになる。蛇腹のように動き始めたテンポの抑揚は終楽章に向けてのものでもあろう。ドライながらしっとり感も保ちつつ、パワーも発揮のアダジェット。人間の息の深さを感じるような演奏は、ただ、ここでは決して終わりではないという終楽章へ向けての序奏の様でもある。かなりエキサイティングに動いたアダジェットに続き、際どいソロの連結で終楽章へ突入。面白いように動く。音楽の表情がこれによって最大限生かされている。軽々とした線の美しさと自在な動きがガッチリと組みあって、線が広がりとなって一気に揮発、昇天、見事な消え具合で5番はこういうものだろうとなんだか全部納得してしまった。ブラボーパフォーマンス。
ところで、N響のベルアップって角度がみんなよく揃っていて、これも気持ちよい。ただベルアップすればいいというもんでもないなあと、こういったことも説得力ありますね。


前半のシュトラウス。カプリッチョにホルンセクションのアシ付き。後半のマーラーではアシ無しで、まあ、ここらあたりの対比も面白い。
インタールード月光の音楽から始まる。ソロの福川プリンシパルは見事だ。シュトラウスの陰陽がまるで心模様のように吹き尽される。光と影、なんて素晴らしいんだ。マウスピースから口が離れてからも音が鳴っている。不思議だ、このなんとも言えない妙技。絶品でしたね。

音楽はそのままファイナルシーンへ。
ファルカシュは舞台のイメージが完全に出来上がっているのだろう。どうしたらいいの?あたし困っちゃう。オペラの結末は?鏡の中のマドレーヌを見るように前方からオーケストラのほうを向いたファルカシュ、ため息の出るようなシュトラウスの音楽が不思議な世界を醸し出す中、聴衆に向きなおり、音楽は宙に浮く、見事なカプリッチョのエンディング。抑揚が音楽を生き物にしている。素晴らしいファルカシュ。伴奏のオケも申し分ない。感涙のシュトラウス。
おわり













2732- プフィッツナー、ケートヒェン、シュレーカー、王女の誕生日、マーラー7番、和田一樹、豊島区管弦楽団、2019.9.16

2019-09-16 23:31:29 | コンサート

2019年9月16日(月) 1:30-4:10pm トリフォニー

プフィッツナー 付随音楽「ハイルブロンのケートヒェン」序曲  14

シュレーカー 組曲「王女の誕生日」 6-3-1-5-1-5

Int

マーラー 交響曲第7番 ホ短調  21-15-11-12-18


和田一樹 指揮 豊島区管弦楽団


お初で聴くオーケストラ、指揮者です。アマチュアのオーケストラですが腕達者。
明るくゴージャスなサウンド、言葉のように物言うプフィッツナー、抜けるようなアイロニーのシュレーカー、静けさと炸裂が峻烈に交錯するマーラー。セッション収録ならパーフェクト感漂わせる腕っぷしオケの見事な美演でした。

今日のお目当ては前半2曲、これまで全く聴いたことのない2作品。作曲家の名前や作風は他の曲を聴いて知っているだけ、こうやって色々と幅広くやってくれると益々興味尽きないものがありますね。ひとつずつしゃぶるように聴きました。
最初にプログラムを見た時は重力MAXのヘヴィー級プロと思ったのですが、そこは自分の勝手な印象。実際にこうやって接してみると、オケの明るくゴージャスなサウンド、そしてそれにきっちりとあった選曲。妙な暗さが無い作品群だなあと納得。いずれにしても垂涎の演目ですね。

1曲目のプフィッツナーは、運命の女性はすぐそこにいたという話しで、序曲だからおそらくストーリー全体をなぞったようなものだろう。フルオケが華麗に鳴る。標題音楽的な物腰で流れていくが、そのうち楽器群が何やら言葉のように語りかけてくる。なんだか、楽器が言葉になる。この作曲家のバイアスのありようが妙に理解できるもの。流れるメロディー、讃歌のような響き。プフィッツナーの両面を垣間見る、とはこちらの思い。
お初で観る和田一樹、見事な棒で、連日連夜振りまくっているのはもはや明らか。シャープなタクトさばき、いきなりグッと締まった演奏を聴かせてくれましたね。

次のシュレーカーは残酷なストーリー。パントマイムのための音楽。王女の誕生日にたくさんのお祝い、なかに奇形少年のダンス、鏡を見た少年は死んでしまうが、王女のほうは、今度は死なない者を。という残酷なもの。
でも、シュレーカーだと音々がこれでもかというぐらい溢れだし、快活で明るくエネルギッシュ、お祝いのシーン、ダンス等々が中心になっていて、次から次へと一気に音楽の表情が変わっていく、変幻自在のシーンが見事に活き活きと描写されていく。オケの多彩な色合いが素晴らしい絵巻物。そして、消え入るように印象的なエンディング。
指揮者とオーケストラともに先を急ぐことのないテンポでズレないぶれない音楽づくり、和田のコントロールが本当によく効いた演奏。これだけ締まっていると何事も無かったような気になってくるから不思議だ。作品を知る喜びというのはこういうことだろうと思う。


シュレーカーの作品にはマンドリンとギターが出てくる。指揮者の前、中央に横並びした二人のプレイヤーが音楽に華を添える。
そして、後半の大曲。マンドリンとギターによるナハトムジーク。いい流れですね。この日のプログラム冊子には、夜の歌という副題が書かれていない。何か理由があるのかもしれない。などと浅い事を考える中、開始。
アマチュアのオーケストラにとってこの7番、難所だらけで、次から次へと困難な箇所が頻発、聴くほうも落ち着かない。ということは全くなかった。スキルレベルハイで音楽を思う存分浴びることが出来た。感服しかない腕前ですよね。

指揮者のきっちりとしたドライヴィング、ばたつくことのないオーケストラで音楽がよく流れる。事態が静観されている。目まぐるしく変わるマーラーの表情がくっきりと縁どりされる。それと、粒立ちが良い。この粒立ちの良さが大体、活力ある主主題に実に効果的だ。縦に跳ねる様な音の動きはブラックホール的重さの第1楽章をなにか明るく感じさせる。ダークなりに、フィナーレのあのフィニッシュがあるんだよという感じ。
指揮の和田は主主題から副主題に移る経過句のもっていきかたが見事だ。滑らかでナチュラルな移行。それで、副主題そのものをよく歌わせる。タップリというよりもむしろ、弦がまるで一本になったかのようなスキニーな響きを醸し出し、マーラーの線を鮮やかにフレーミングする。ここらへん、実に見事で、応えるオーケストラの熱演プレイにも驚くばかりだ。
主題の対比がよくわかるものでソナタの型がレントゲン写真のように透ける。ジャングルジムのような骨格とその遠く先までスカスカに見通せる。この見通しの良さがブラックホールに透明感を与えていて、重さよりも前進する楽章に変えてくれましたね。充実した内容でした。
終楽章まで全ての楽章が10分越えのヘヴィーな作品なれど、二つのナハトムジーク、それにシーソー中央点的スケルツォ、全部味わい尽くしました。これら第2,3,4楽章は編成の割には音が薄くなるところが多々あって、つまりソロやアンサンブルの活躍が多く、オケ腕前が良いということもありじっくりと聴くことが出来ました。静かで落ち着いたもので耳をそばだて思わぬ発見もありましたね。二つ目のナハトムジークはマンドリンとギターの世界があるとはいえ、ここは終楽章への序奏的な雰囲気が濃厚だといつも思うのだがこの日ばかりはそんなことが浮かぶこともなく夜の歌を満喫。7番がこれだけ鮮やかに表情を変えてくれるとマーラーも小躍りしているに違いない。

終楽章はダークな初楽章と対をなすが、型は複雑になっていていかにも〆の楽章という感じ。ここでも指揮オケともに全くつんのめっていくことが無い、皆無。
この楽章、いわば内部に光をあてた演奏で構造がよくわかり、ロンド、ソナタ、そういったことが目に見えるよう、そして情感も自然に湧いてくる。クライマックスが半ば自然発生的に積分されていく。歩みの品があり、冷静な盛り上がりと言えるかもしれない。振り返るに、起点となる80分前の響きが思い出される。結果、巨大な作品の全体像が完成、圧巻のフィニッシュ。


それにしても、だ。冒頭のテナーホルンの腕前にはびっくり、増して、ホルンは並大抵のことではない。尋常ならざる技の連続。アシさんもいたように思うが見るところソロのみにとどまらずアンサンブルもほとんどプリンシパルが吹きっぱなしだった。ありゃあ大変の大変ですわね。マーラーさんはホルンになにか恨みでもあるのか、楽章が進んでも進んでもこれでもかこれでもかと過酷な譜面が惜しげもなく迫ってくる。まあ、吹きがいがあると言ってしまえばそれまでなんだろうが、音楽はノンストップだからね、あれは大変。
ブラスとウィンドのセクションは本当にご苦労様と言いたくなる。プロオケ聴いている時はあまりなかった気持ちになったのも事実ですね。
濃い演奏会を存分に満喫しました。ありがとうございました。
おわり











2731- バツェヴィチ、弦楽オケコン、ヴィエニャフスキVn協2、ジョシュア・ベル、ルトスワフスキ、小組曲、オケコン、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2019.9.15

2019-09-15 23:44:21 | コンサート

2019年9月15日(日) 3pm NHKホール

グラジナ・バツェヴィチ 弦楽オーケストラのための協奏曲(1948)  5-5-5

ヴィエニャフスキ ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調op.22  16+7
  ヴァイオリン、ジョシュア・ベル

Int

ルトスワフスキ 小組曲(1950/1951)  4-7

ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲(1954)  8-5-17


パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


2019-2020シーズン・オープニングのサブスクリプション・コンサート、欧米なら節目となるものでセレモニーなどを催すオケもあることだろう。日本の場合は、秋開始、正月開始、4月開始、オケによりばらつきがあるし、あってもなくても、何事もなく淡々と始まるのは昔も今も変わらない。今シーズンもめでたく始めるに至りました。というのが無い。
この日と翌日のサブスクリプションは、日本・ポーランド国交樹立100周年記念事業の一端。ということでオール・ポーランド・プログラムと銘打っている。
では、いつ、節目の日に、オール・ジャパン・プログラムという日が来るのだろうか。

かなり厳しいプログラムと思うのだが、聴きかたとしては、現音系と発掘系音楽を混同せずに聴く、かな。
昨今のN響サウンドはますますシェイプアップされてググッと引き締まったもので、さらに、技が硬直皆無の柔らかさがあって、うまくなればなるほど柔らかく聴こえてくる。湯気が出るようなホヤホヤの音、明瞭明晰。後半に置かれたルトスワフスキのオケコンはジャングルジムのあっち側がもろにスカスカに見えるような演奏、それで強い鉄骨構造でもある。凄い演奏でした。精度の高いパフォーマンスはルトスワフスキの作品にもろに寄与しますね。オケコン満喫。

ベルはちょっとお父さんぽくなった感じ。弾きは流麗なノリの良さ、加えてヴィエニャフスキの主題をどんどん引っ張っていく押しの強さが魅力的。オケ伴の能力の高さも特筆ものですね。

手ごたえとしては1曲目と3曲目が飾りに見えてしまった。演目的にはもう一押し欲しかったと思う。
おわり






2730- プッチーニ綺想曲、パガニーニVn協4、クリスチャン、シュトラウス、イタリアから、三ツ橋敬子、東京ニューシティ管、2019.9.7

2019-09-07 21:58:14 | コンサート

2019年9月7日(土) 2pm 東京芸術劇場

プッチーニ 交響的綺想曲  13

パガニーニ ヴァイオリン協奏第4番ニ短調  15-5-10
 ヴァイオリン、トーマス・クリスチャン

Int

シュトラウス イタリアからop.16  9-12-12-9


三ツ橋敬子 指揮 東京ニューシティ管弦楽団


お初で聴くオーケストラです。記憶を探り寄せれば聴いているかもしれないが本格的ないわゆるオーケストラルな演目で聴くのは初めての事と思う。それもこれもシュトラウスのこの作品が好みなので取り上げる演奏会があればなるべく出かけて聴くという話しで。
冒頭に置いたプッチーニからわかるようにこの日のプログラミングはきっと指揮者の三ツ橋さんのビルディングだろうし、期待値も高かった。
全くそれに違わぬ素晴らしい内容で心ゆくまで満喫できた。まずは指揮者の意をくみ取り大きく歌う、大胆な歌い口で滑らかに流れる。ブラスセクションの歌と流れには瞠目。三ツ橋さんの振りはこれらのことに加え、歌のエンドフレーズでの丁寧さ、まとめ上げが鮮やか、音楽の呼吸が眼前にフツフツと迫ってくる。柔らかな物腰と大胆な切込みがハイブリッドに同居、この絵巻物ストリーム。
カンパーニャ、ローマ、ソレント、ナポリ、次から次へと噛み応え満点で、ひとつも聴きのがせない。シュトラウスの若い時のこの作品、ナチュラルなハーモニーの表現が、意識された情感をそれほど伴う事が無くストレートに響きの世界を楽しめる。標題は副次的な物聴きだが作曲家にとってはこの後、重要なファクターになってくるのだろうね。彼の若い時代の作品はだいたい好きですね。イタリアから、が出来たのが1886年、ピンとくる、フルトヴェングラーの生まれた年。まあ、自分としてはここまでなら遡れるなあという思いも少しはありますね。脱線。

ソレントの中間あたり、一段と弦がよく歌い始めギッシリと敷き詰められたペイヴメントのようになり光が増す。ブラス、ウィンドにすぐに波及し充実のサウンド。フィナーレのナポリ、前3楽章分の主題が散りばめられて回帰するあたりから演奏はさらに過熱し、歌い上げたエネルギッシュな進行、聴くほうも、もう、ノリノリ。フィニッシュは裏打ちというより、激しい後打ちの8連発、そして前打ち打撃3発、この位相転換が鮮やかに決まる。実にそう快、この作品はこうやって終わるんだよお、全くそんな感じ。アメイジングビューティー絵巻物サウンドでした。

冒頭のプッチーニも三ツ橋さんの十八番でしょうね。このままボエーム全部やってほしいぐらい。あすこを聴くと2時間4幕ドラマ全部浮かんできます。オペラと同じ響きでした。
ボエームは4幕物のソナタの形式だと思っているので、シュトラウスを聴いた後の事だけれども、イタリアから、の雰囲気をイメージしながら、きっとボエームも素晴らしい内容になるに違いないと、想像が膨らむ。


プッチーニとシュトラウスに挟まったパガニーニ。やにっこいニ短調。でも、パガニーニのコンチェルトのオケ伴て、なんだかケツマクってて、やけっぱちみたいな鳴りが魅力的で最後まで聴かせてくれる。ソリストのトーマス・クリスチャンはお初で聴きます。身体が結構重そう、胴回りが三ツ橋さんの3倍ぐらいありそう。腰高の椅子に腰かけながらのプレイ。でもまあ、不自由なところは無くて、パガニーニのスペシャリストなんでしょう。瑞々しい響きと安定した技巧、それに魅力的な歌い口、楽しめました。アルチザン的雰囲気もありますかね。オケ伴は本当に面白い。雄弁ともちと違う。

東京ニューシティ管、オーケストラの演奏て、やっぱり集中力。個々のプレイヤーの気持ちの持っていきかたがいい演奏を生むし、指揮者もこれだけの大人数をまとめ上げるのは大変だと思う。両方揃った佳演でした。

この日の芸劇、ざっと見渡したところ、1階は概ね埋まり、2階は六七分、3階席がややまだら模様、全体としては盛況で沸いてました。
いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり




2729- サン=サーンス、バッカナール、間宮Vn協1、田野倉、大島、BPNR、ルーセル、バッカスとアリアーヌ、山田和樹、日フィル、2019.9.6

2019-09-06 23:12:00 | コンサート

2019年9月6日(金) 7pm  サントリー

サン=サーンス 歌劇《サムソンとデリラ》より「バッカナール」  7

間宮芳生 ヴァイオリン協奏曲第1番(日本フィル・シリーズ第2作) 8-4-10-8
 ヴァイオリン、田野倉雅秋

Int

大島ミチル Beyond the point of no return(日本フィル・シリーズ第42作)世界初演 14

ルーセル バレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第1・第2組曲 17-19


山田和樹 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


派手に鳴らした巨大フルオケ、ゴージャスサウンドナイト。サンサーンスとルーセルは分厚いバンズ。中に現代もの2品。おなか一杯のフルフルナイト。
いきなりバッカナールが鳴る鳴る。オーケストラサウンドを聴く醍醐味、ここに極まれり。
バッカスとアリアーヌそこここと極限を行き来する絵巻物。分厚いバンズがタップリこってりと味付きで出てくるもんだから、もうこうなったら、食べつくすしかないね。

中に挟んだハンバーグ2種。
まずは間宮の作品。あの時代のいわゆる一つの特性を形作っていると思われるオーケストラのフル活用は伴奏越え。コンチェルトだろうが何だろうか、とにかく使えるものは大いに使え、そんな感じ。
4楽章形式で、前奏曲、行進曲、間奏曲、フィナーレ(prelude-marcia- intermezzo- finaleの表記)。約30分の大物。作曲家の記によると、核はインターメッツォの中の中間部とのこと。この楽章は10分に渡り、一番長いもの。
渋めのトーンとハーモニーのオケ伴に支えられ骨太なヴァイオリンがよく歌う。前奏曲、行進曲はその名の通りの味わい。
間奏曲は作曲家個人のオリジナリティなのかそういった雰囲気大。印象的な歌が途切れながら続く。ひなのうた、ひよわなわらべうた、押しつぶされたように進行。まさしく作品は語る。だから、深みが欲しいといった聴く欲望は場違いなのだ。そしてそれらが最後は解決に向かう。短いカデンツァの後、前奏曲の音型に戻り終わる。オケ伴の分厚いヴァイオリンが印象的。
ご本人登場、90歳。この作品は30歳の時の作品。聴くほうとしても振り返るものが大きかったですね。

次は大島さんの世界初演作。
Beyond the point of no returnこのタイトルを日本語にするとどうなるんでしょうか。戻ることのない点を越えて。ですか。
組み立ては、急緩急コーダ、といったところか、急は独特なリズムで進む。変則が法則な感じ。聴いているうちに違和感は薄れていく。あとの急はさらに独特なリズムとなり、かなりしつこく咆哮を続ける。ちょっとやりすぎな気もする。ご本人のイメージを理解し消化できるようになるにはこちらの時間がかかりそうだ。
大島さん登場。


バンズに挟まれた二つの作品は双方、日フィル・シリーズとあり、委嘱作品なのだろう。間宮作品が日フィル・シリーズ2作目、大島作品が日フィル・シリーズ42作目となっている。本当に大きな歴史が脈々と続いてますね。
ありがとうございました。
おわり









2728- シューベルト4番、ブルックナー7番、上岡敏之、新日フィル、2019.9.5

2019-09-05 23:29:22 | コンサート

2019年9月5日(木) 7pm-9:10pm サントリー

シューベルト 交響曲第4番ハ短調D417 悲劇的  7-8-4-6

Int

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調WAB107 (ハース版) 22-23-10-13


上岡敏之 指揮 新日本フォルハーモニー交響楽団


Ⅰ 3-3-2-6-2-2-2-c2
Ⅱ 4-3-7-2-3-c4
Ⅲ 4-3-3
Ⅳ 2-2-2-2-1-1-2-c1

先般の、同じコンビによるワーグナー、
2697- オール・ワーグナー・プログラム、上岡敏之、新日フィル、2019.5.10 
基本的にあの路線を自らに踏襲したもので、薄膜表面張力に見えて内実は、敷き詰められたペイヴメントのようであり、パースペクティヴが見事に冴えわたる柔軟で美しいブルックナー、佳演でした。

アゴーギク的アクセルブレーキは、もはや、副次的派生的なものであり、主なる関心は響きの世界だと思う。聴こえなければ響きは無いわけだが内なる響きまで追求しようとする演奏スタイル。上岡真骨頂の空間エネルギー則であり、冒頭はまさにその典型的なもの、あすこに彼のしたいことが全て詰っている。
約70分、弛緩することのない見事な演奏。十分な時間である。それはそれとして彼のブル7世界最長演奏と比べてみよう。
今日の新日フィル 68:xx (22:xx-23:xx-10:xx-13:xx)
ヴッパタールSO. 90:33 (28:36-33:27-12-02-16:28)

ヴッパータールのほうは響きの世界をさらに推し進めたものと推測できるが、こればかりは現場で体感しないことには何とも言えない。

上岡が創り出していく音楽というのが自分のイメージの中にあって、目をつむると、左官職人の塗り壁のモーションがいつも湧く。これは見た目の話ではなく作品創造のスタイル・イメージですね。1,4楽章の第2主題の運び、主題から主題への経過句の濃い扱い、アダージョ楽章のコクの深さ。緩徐部分におけるこのようなことばかりではなくて、第1,3主題の律動と、その律動の種類が1と3主題ではかなり異なっている。スケルツォ、トリオの性格分けも、そう。等々、全体俯瞰をすると、それらが全て見事に塗り壁のような見事さになる。
上岡スタイルのブル7解釈だと、終楽章の、展開部のコネリが少なさ、再現部の出現順序が第3,2,1主題の順序になることによる淡白な短さ、3主題の一様な律動による先急ぎ感、などが全て払しょくされてブルックナー的宇宙時間が必要にして十分な配分で満たされる。
結果、ブル7の尻つぼみが無くなり終結に向けて大きく羽ばたくものとなり、滑らかにして壮大、大伽藍世界の建立、お見事なバランスで出来上がった。釘は無い。マーヴェラスにしてビューティフル。感動しました。



前に置かれたシューベルトは、NJPのシューベルト交響曲全曲演奏企画の一旦。
第1楽章はたびたび上岡が魅せるガスを抜くような終止。あれはチェリが1970年代に好んでやっていたスタイルと似ている。柔らかく歌い全く気張らないもの。次々と美しいメロディーフレーズが流れていく。第1,2楽章でほぼ言いたいことを言い尽くしている作品が多いシューベルトとは思うけれども、今日の演奏は負けず劣らず、後半楽章の規模感を認識させるに足るもので、演奏が充実感に満ちていましたね。
プログラム冊子には、シュベ全は上岡と客演指揮者で完成させると書いてあります。一人で全部というのもいいような気もします。
おわり







2727- ロッシーニ、ランスへの旅、藤原歌劇団、園田隆一郎、東フィル、2019.9.5

2019-09-05 22:09:55 | オペラ

2019年9月5日(木) 2pm-5:10pm    オペラパレス、新国立劇場、初台

藤原歌劇団 プレゼンツ
新国立劇場、東京二期会 共催

ロッシーニ 作曲
松本重孝 プロダクション、リヴァイヴァル

ランスへの旅  ドランマ・ジョコーゾ1幕〈字幕付き原語上演〉 109-43

キャスト
コリンナ、砂川涼子(S)
メリベーア侯爵夫人、中島郁子(Ms)
フォルヴィル伯爵夫人、佐藤美枝子(S)
コルテーゼ夫人、山口佳子(S)
騎士ベルフィオーレ、中井亮一(T)
リーベンスコフ伯爵、小堀勇介(T)
シドニー卿、伊藤貴之(Bs)
ドン・プロフォンド、久保田真澄(Bs)
トロンボノク男爵、谷友博(Br)
ドン・アルヴァーロ、須藤慎吾(Br)
ドン・プルデンツィオ、三浦克次(Br)
ドン・ルイジーノ、井出司(T)
デリア、楠野麻衣(S)
マッダレーナ、牧野真由美(Ms)
モデスティーナ、丸尾有香(Ms)
ゼフィリーノ、山内政幸(T)
アントーニオ、岡野 守(Br)
ジェルソミーノ、None(T) *当演出ではカット

合唱 藤原歌劇団合唱部、新国立劇場合唱団、二期会合唱団
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
指揮 園田隆一郎


第1場~第7番 109
Int
第8場、第9場  13+30


もう、気絶しそう。何が起きているのか頭の整理がつかない。破天荒な面白さ。最高峰のキャスト、独唱の自己主張、張りのあるアリア、混声6部合唱、14声の大アンサンブル、フィナーレでのお国の歌、全ての声とフルオケの華麗なフィニッシュ。もはや、全員主役。とことんとことん料理しまくり食べまくるロッシーニ。圧巻、美食満腹、歌の嵐。

派手な大人数な歌と動き。それが直列回路で進むので、字幕共々わかりやすい。初めて見るほうは、混乱は混乱だが、続々と手を替え品を替え名人芸が楽しめてこの上ない爆な喜びに浸る。楽しいなあ。

指揮の園田はこれまた大変だろうね。歌い手たち全員のテクスチュアを覚えてるんだろうね。大変だわ。まあ、アンビリーバブル。

目を閉じると浮かんでくる。CDでもDVDでもゆっくりこってりと思い出しつつ聴きこみたいものですね。

いつもは高いなあと文句を言っている千円プログラム冊子。今回ばかりはそんなことは言えない。ストーリーの解説のこと多々あるし、ほかの文も価値あるものだ。園田の一文もあるし、2006年上演時のアルベルト・ゼッダの再掲文もある。かなり読める冊子で理解が深まるし、あの劇のことがありありと浮かんでくる。

ありがとうありがとうの上演でした。
おわり


【ゲネプロレポート】藤原歌劇団公演《ランスへの旅》














 


2726- ベルク、ヴァイオリン協奏曲、エーベルレ、ブルックナー9番、大野和士、都響、2019.9.4

2019-09-04 23:48:13 | コンサート

2019年9月4日(水) 7pm サントリー

ベルク ヴァイオリン協奏曲 11-15
  ヴァイオリン、ヴェロニカ・エーベルレ

(encore)
プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2楽章  2

Int

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109(ノヴァーク版)  23-10-22


大野和士 指揮 東京都交響楽団


AB9
Ⅰ 3-4-3-7-0-2-2-c2
Ⅱ 4-2-4
Ⅲ 3-4-5-3-5-c2

昨晩に続き今日はサントリーに場所を移しての二日目。
昨晩は今ひとつのオケ、今日は精度が増しコクのある演奏となった。トリオは前晩越えのスプラッシュ、キラキラと輝く猛速、線があっていて迫力ありましたね。
終楽章は3管4ウィンズがお見事。プリンシパルフルートの音がやたらとデカい。気張り気味でそんなにデカくなくてもいいんじゃないかと思ったり。
総じて概ね前の晩と同じ演奏、オーケストラの正確性がありました。


前プロのベルク、本日も納得のプリサイスな演奏。もはや、トゥエルヴトーンの選択音型がなんだか手に取るようにわかる。鋭く深い切込み。それと息の長いベルクフレーズ。なるほどピアノではなくヴァイオリンが必要だったのだろうと思いいたる。
オーケストラは昨晩とは別人の様な鉄板運びでした。
おわり












2725- ベルク、ヴァイオリン協奏曲、エーベルレ、ブルックナー9番、大野和士、都響、2019.9.3

2019-09-03 23:20:41 | コンサート

2019年9月3日(火) 7pm 東京文化会館

ベルク ヴァイオリン協奏曲 10-16
  ヴァイオリン、ヴェロニカ・エーベルレ

(encore)
プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2楽章  2

Int

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109(ノヴァーク版)  23-11-22


大野和士 指揮 東京都交響楽団


AB9
Ⅰ 3-4-3-7-0-2-2-c2
Ⅱ 4-3-4
Ⅲ 3-4-5-3-5-c2

ニ短調のやにっこさが今日は思いの外、深刻ぶらずに進む。長い経過句がその前の主題のモードで流れてその主題とまとまる気配で、節目のくさびが四角四面にならずに進行。オケが気張り気味というのがやや有るけれども総じて良い風が吹いた。精度はいまひとつ。

9番の初楽章は展開部と再現部が溶解している。展開部の順序は提示部と同じだが第3主題で混乱し溶解、この余波か再現部の第1主題は欠落して進行する。と理解しているのだが、この日の演奏はこういったあたりのメリハリ感、呼吸がピシッとしている。再現部第2主題から大波の後のコーダまできっちりと決まった。大野の見事な棒でした。

スケルツォ楽章は弦群の身体の揺さぶりがもの凄い。出てくる音も見事だ。深彫りされた音響の立体感が快感をもたらす。律動がいい。
トリオも律動的で粒立ちがありウィンズ、ブラス、共によく揃ったもので快活。2回目のスケルツォもハンコの雰囲気は無くて若干速度を上げ、時間の進行とともに演奏に勢いがついてくる。エモーショナルなものの積分。

ブルックナーの9番のスケルツォ配置はベートーヴェンの第9のものと思うし、同じ第九の緩徐楽章をこの9番で踏襲していると思う。AB-ABときて3回目はAのみで、大野が丹念に掘り起こしたこの3回目の長いA。比して最後のコーダはその主題が継続しつつ割とスッと終わる。第九のように明らかに次の楽章があると匂わせながらのエンディングで、漂う空気感は虚無に向かう中空ぶらさがりエンドながら、なにか、心地よさもある、指揮者のこの曲に対する意図を感じないわけにいかない。思いもあろう。



前半のベルク。
配置されたトゥエルヴトーンが冒頭、一つ置きに並んでいるというのは、その時にはわからず一通り出てきて初めてわかるし、いや、その後の並びを聴かないとわからないものだろう。ベルクをそのような聴き方で聴くというのは簡単ではない。それで、その配置の転換点がよくわかるというのは、エーベルレのヴァイオリンでソロに聴耳を立てているとシャープな響きと柔軟な弾きが見事に色分けされていて実にわかりやすい。ロマンティシズムのある種ウェットなものがその音色からのみならず、音階の流れの束からも感じられてくる。わかりやすいというのはこうゆうことだったのかと、納得できる内容のプレイでしたね。
オケ伴は現代物十八番の都響にしては切れ込みがいまいち。
おわり