河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

644‐最後の咆哮ツァラトゥストラ    テンシュテット NYP 1983.11.17

2008-07-23 00:11:41 | 音楽

Scan10006

前日のブログでは1983.11.15NYPO定期のことを書いたが、その二日後の演奏会がこれ。

.

19831117()8:00pm 

エイヴリー・フィッシャー・ホール

10,306回定期

.

シュトラウス/メタモルフォーゼン

シュトラウス/ホルン協奏曲第2

  ホルン、フィリップ・マイヤーズ

シュトラウス/ツァラトゥストラはかく語りき

.

クラウス・テンシュテット指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

.

WQXR 1984.7.22 3:05pm 放送予定

ドイツ・ロマン主義最後の栄光をテンシュテットは見事に表現した。

ニューヨーク・フィルハーモニックがそのアメリカ的なものに全く感化されることなく、ただひたすら、テンシュテットとともにその音楽に浸るとき、私がもしドイツ人であったなら、その湧き出てくる涙を抑えようとはしないであろう。

テンシュテットはこのほとんど風化してしまいそうな曲に感動をもたらしてくれた。

.

その23弦楽器のなんとしっくりしていることか。

また、ホルンの素晴らしさ。

そして、ほとんどその極致とでもいうべき大壁画。

.

テンシュテットは素晴らしい指揮者であり、またニューヨーク・フィルハーモニックもすばらしく節度をもったオーケストラである。

.

メタモルフォーゼンで弦楽器が一見何の変化もなく、ただひたすら音のあやを作っていくとき、そこにあるのはドイツの素朴な手工業的なものであり、ここにダイナミックな変化を求めるのは筋違いというものだ。これはベートーヴェンの世界とは全く異なる世界である。

.

一昨日のブルックナーでも大いに感心したのだが、このホルン協奏曲を軽々と本当に軽々とこなすニューヨーク・フィルハーモニックのトップというのはいったい何者なんだろう。

完璧だ。。

シュトラウス特有のメロディーが弦楽器的な様相を帯びた表現など、よくピアニシモであれだけ軽々と吹きこなしてしまうなんてとても信じられない。また、普段はNYPの一員として演奏しているわけであるから、音色に違和感がなくバランスもよく、オーケストラに溶け込んでいる。曲自体はつかみどころがなく、まるでオペラの一節でも聴いている雰囲気なのだがやっぱり超一流で聴くとこのようになるのであろうか。協奏曲としては第1番のほうがわかりやすいのかもしれない。

.

そして最後にもうこれ以上の超ロマン的な曲はないだろうと思えるツァラトゥストラ。

この曲をテンシュテットは誠実に指揮し、ふちどりがくまなく彩られ本当に交響詩にふさわしい大壁画となっていた。

このホールにオルガンがあるとは思ってもみなかったが、現実にあった。その出だしからなにか‘2001年’から編曲したような逆のイメージを持ってしまうのだが、テンシュテットが指揮をするとき、かまえが最初からシンフォニックであり、またあいまいさがないので通俗性を感じさせない。やっぱりこの出だしにはドイツ音楽の光と影がある。このような曲に感動するということはおかしいことだろうか。全く感動してしまった。

テンシュテットが独特のクラウチング・スタイルで姿勢を整えると、オルガンがピアニシモで地の底から湧きでる。そして徐々に音楽が高まり、ついに圧倒的巨大な大壁画の宇宙サウンドとなるとき、そして弦楽器がその高音においてむせび泣くとき、ここに身を置くだけでよいのではないか。批評すべきではない。このような音楽をこのように受けとめてよいのではないか。

最後にピアニシモでウィンドとコントラバスがかけあって消え入るように終わるとき、ドイツ・ロマン主義の最後の火すら消えていく。

人気blogランキングへ

Banner2_1 人気blogランキングへ