河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2752- メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、2019.10.31

2019-10-31 23:13:52 | リサイタル
2019年10月31日(木) 7pm-9:20pm 小ホール、武蔵野市民文化会館

メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし 2時間12分

10-3-4-5-9- s31
11-3-4-3-9- s30
8-3-4-5-12- s32
3-6-6-11-13 s39


ピアノ、スティーヴン・オズボーン


約2年半経って同じピアノで同じ曲を聴けるとは思ってもいませんでした。僥倖です。
2345- メシアン、幼子イエスに注ぐ20のまなざし、スティーヴン・オズボーン、2017.5.18


この奇跡の様なまれなる作品。前回は一心不乱、テンション高めて集中するちからフル活動で根詰めて聴きました。今読み返すと感想も随分と長く書いてしまいました。そいうこともあってか、今日は楽な気持ちで聴くことが出来ました。良かったと思います。やっぱり一度熱く接していると2回目からはあちこちみる余裕が出てくる感じ。

前回は2時間5分。今回は2時間10分越え。この違いは細かなアゴーギクの多用といった事では無くて、各曲、ひとつのメローディーライン、そういったところの締めが大きくリタルダンドする。びっくりするぐらいですね。それから随所に響きを確かめるためのパウゼが大きく取られている。こういった事は演奏会場の違いなども作用しているのかもしれない。このホールは余韻まで楽しむには申し分ないホールなんだということだろう。

オズボーンの音の厚みは何階層もありそうだ。自由に響きの階層をコントロール。それに、打楽器的叩きの多用、これなど前回より明らかに強烈でしたね。叩くと、硬質で明るいメシアンサウンド・テクスチュアが、より一層浮き彫りになってくる。
暗い中とはいえ、手掛かりは各ピースについた副題だ。あらかじめ内容をかじっておけばこの副題をチラ見するだけでイメージがグッと湧いてくる。作品がグッと近寄ってくる。オズボーンの響きやプレイの方針など、悉くイメージに合致するもので、冴え冴えとした気持ちになってくる。手助けはあるに越した事は無い。
オズボーンの技巧は全て数値化できるのではないかと思えるほどの精緻の極み、そして、ピアノの音を長く保持するには静寂の取り込みと支配も要る。なんだか、二律背反的なことの両立可能性を示してくれているようでもある。人間の叡智を浴びる。オズボーンのメシアンへの共感はそのまま聴衆のものとなる。凄いもんだ。

20曲目終曲フィニッシュは、最も右側の鍵盤をタラッタタッと跳ね、一瞬の間を置き、最も左側の鍵盤をダダダッと押し込んで終わる。長い静寂と世界の包容。両翼まで包み込んだ幼子イエスを見るメシアン、世界の変容に和を成すこの音化力。メシアンの幾何学模様の思いの深度はオズボーンによって一つの解を得たように見えた。
今回も素晴らしい演奏でした。ありがとうございました。
おわり










2751- BBCプロムスジャパン、フィンガルの洞窟、チャイコン1、アヴデーエワ、マーラー5番、ダウスゴー、BBCスコティッシュ響、2019.10.30

2019-10-30 23:33:14 | コンサート
2019年10月30日(水) 7pm-9:30pm オーチャードホール

メンデルスゾーン 序曲 フィンガルの洞窟Op.26  9

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23  21-6+7

Int

マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調  11-13-17-9+15

(encore)
エルガー 威風堂々 第1番  5

トーマス・ダウスゴー 指揮 BBCスコティッシュ交響楽団


BBC Proms JAPAN Prom1 first night of the Proms
プロムスが日本に乗り込んで来た。企画の初日。
演奏は演奏として、このオーチャードホール、席に音が全然来なくてしらけてしまった。
東フィルの定期を3階席で聴く事はあるがそんなに不満は無かった。のに、今日座った1階席、横通路のやや後ろ、眺めもいいし、今日はきっといい演奏会になるだろうと、祭的な雰囲気もありウキウキしていた。が、全然音が来ない。ひどい席だった。

視覚的な距離感と、それをイメージしての音の飛んでき具合が、ズレている。この眺めならこんくらいの音で来るだろうという思いが打ち砕かれる。音は全く来なくて、届いた頃には半分ぐらい吸い取られている。マーラー5番でホールが揺れることは皆無。で、バスドラは鳴ってたの?というぐらいもはや忘れられた存在と化したひどい音響。

このホールは上で聴くに限る。平土間は絶望の音。


アヴデーエワさんのピアノは2010年ショパコンのあとデュトワ、N響で初見参、そのあともたびたび聴いている。
雰囲気は随分と変わったように思うが、まあ、本来の姿なのかもしれませんね。
酷いホール音響の中、アヴデーエワさんのチャイコン1が始まった。メロディーラインが流れ始める時の、普段聴いているバーンバーンと叩き付けるようなところが皆無で、むしろmpあたりから少し絞り出す感じで音響を作り上げていく。独特の柔らかさがある。見た目との違いもそういったことを強調しているところがあるかな。柔らかさというのとはちょっと違うか、やや硬質な切込みの良いプレイなんだが底から絞り出す旨味がある。伴奏をするダウスゴー、BBCスコティッシュのオケも同じモードで奏でている。息の合った演奏でした。

マーラーのほうはひどい音響ホールでの演奏については語りたくない。ダウスゴーは3年前に新日フィルに客演してこの曲をやったことがあるので、そちらのブログをあげておきます。第2楽章の締めの強い終止音など、同じでしたね。あたりまえといわれればそれまでですが。
2048- ハフナー、マーラー5番、ダウスゴー、新日フィル、2016.1.27 

おわり

















2750- 鬼火のメヌエット、ラコッツィ行進曲、ビゼー1番、牧神、ロメジュリ、ソヒエフ、N響、2019.10.23

2019-10-23 23:19:28 | コンサート
2019年10月23日(水) 7pm サントリー

ベルリオーズ ファウストの劫罰 より 鬼火のメヌエット、ラコッツィ行進曲  6-5

ビゼー 交響曲第1番ハ長調  7-9-6-7

Int

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲  11

ベルリオーズ ロメオとジュリエット 抜粋  13-19-8
ロメオひとり―悲しみ―遠くから聞こえてくる音楽会と舞踏会―キャプレット家の宴会、
愛の場面、
マブ女王のスケルツォ

トゥガン・ソヒエフ 指揮 NHK交響楽団


一週間前に破格のチャイコフスキー4番を聴かせてくれたソヒエフが、今度はコンパクトな4作品、聴く前はちょっとリラックス感もあったのだが。

今日はオール・フレンチ・プログラム。ベルリオーズにビゼーとドビュッシーが挟まっている。そういう聴き方では無くてここはやっぱり、前半プロ、後半プロ、の聴きかたで。

いきなり、オーケストラの充実サウンドに唸る。ファウストの劫罰は名とは違う感覚でこちらにはなごみの曲。馴染みのある響きを満喫。いいですね。
次は、ついニ三日前にプレトニョフ東フィルで聴いたばかりのビゼーの1番。素晴らしく引き締まっているもののパーヴォが振るときの様な筋肉質演奏とは少し異なる。エッジのきいたブラス、弦は膨らみをより感じさせてくれる。しなりがあって表情が多様。これも楽しく聴けましたね。

後半の牧神、耽溺しない妖しさ。クリアで妖艶さが分解されて流れ落ちてくる。耳をそばだてればそばだてるほどにその安寧な心地よさのとりことなる。

締めの曲はロメジュリ、結構な規模の抜粋で3束、うち、真ん中の愛の場面がメイン。その前の一束目でブラスはほぼ終わりで、あとはベルリオーズのややドライで綿々とした描写音楽がソヒエフによって表情豊かに濃く濃く続く。弦、ウィンズを中心に弾き切っている、吹き切っている。音に気持ちが乗り移っているからこその豊かな描写でしょうね。深刻な美しさです。
この抜粋はその大きさもあり手応え十分、聴き応えありました。あとあとまで残る内容のパフォームでした。

以上4曲、極上のショートカクテル風味、サッと飲みつくすが、あとあとまで余韻がマチュアなままでいる。
美味しかったです、ありがとうございました。
おわり






2749- 阪田知樹ピアノリサイタル、横浜18区コンサート、2019.10.22

2019-10-22 22:36:05 | リサイタル
2019年10月22日(火) 2pm-3:15pm フィリアホール

ラフマニノフ 楽興の時 Op.16より第5番 変ニ長調  3
ラフマニノフ 楽興の時 Op.16より第2番 変ホ短調  4

リスト 3つの演奏会用練習曲S.144/R.5より 第2曲 「軽やかさ」  5

ショパン ノクターン 第16番 変ホ長調 Op.55-2  5
ショパン バラード 第1番 ト短調 Op.23      9


ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110  6-2-13

(encore)
シューマン/リスト 献呈  3

ピアノ、阪田知樹

トーク司会、岩崎里依


横浜音祭り2019 横浜18区コンサート

阪田さんのベトソナを聴きたくてうかがいました。阪田さんを聴くのはこれで3回目。
休憩の無い1時間余りのリサイタルでしたが、トーク共々、充実した内容でした。

好物の31番。1,2楽章は思いの外、軽めのタッチでまるでエチュードのような趣きでサッと過ぎる。ベートーヴェンもなんだか、それでいいと言っているようだ。線ですね。
終楽章、やや込めた形になったフーガ、そして2回目の嘆きの後のコラールから盛り上がりを魅せたプレイ、それまでの線が絡み合い、この曲、いったいどうやって締めくくるんだろうとエキサイトする中、ベートーヴェンの離れ業的解決をものの見事に示してくれた。見事だ。ため息が出る。素晴らしい作品、それに演奏。


初めにラフマニノフを2曲、そのあと10分ほどトーク、なかなか興味深かった。割と一心不乱にしゃべるんだが、内容は、要は、作曲家の事、作品の事、演奏の事、こういったことばかりをしゃべり尽す。余計なおひれはひれがまるで無い。自身のピアノの事に集中している日々なのだろうと強く感じた。今の彼の充実度をよく物語っていると思う。

さりげなくもうならせてくれるコンセントレーション高いリスト。それにショパン、わけてもバラ1、聴き惚れました。
それとアンコールの献呈、こう、なんだか、濃い空気が場に充満してくる。素晴らしく冴えたパフォーム、唸るばかりなり。

充実の1時間15分でした。ありがとうございました。
おわり





2748- ビゼー1番、リスト、ファウスト、イルカー、新国立劇場男声、ミハイル・プレトニョフ、東フィル、2019.10.21

2019-10-21 22:05:34 | コンサート
2019年10月21日(月) 7pm-9:20pm サントリー

ビゼー 交響曲第1番ハ長調  8-9-6-6

Int

リスト ファウスト交響曲 LW-G12(S.108)  31-22-18+7
 テナー、イルカー・アルカユーリック
 男声合唱、新国立劇場合唱団

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


前日のオーチャードホールとはサウンドコンディションがかなり異なる。オーチャードも素晴らしい演奏でしたが、今日のサントリーホール、体感がだいぶ違い。こちらのほうがベストに近い。

ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェーレス。神秘の合唱。
今日も濃い濃い80分ファウスト。グレートヒェンが昨日より2分あまり伸びて、全体としてさらにタップリと音楽に浸る一夜。

もはや、言葉もない、破格の鬼演奏、鬼気迫るプレトニョフ・マジックここに極まれり。超絶ビッグな演奏、心の内部に突き刺さる。どうだろうこの、内面の照らしこみ。音楽作品が光るばかりなり。リストも草葉の陰で感涙していることだろう。
このオペラ・オーケストラの合奏アンサンブルの凄さ。音を出す前に響きが分かっている。圧巻の鳴り。終曲のうねりに悶絶昇天しました。ここだけでもいいからもう一度聴きたい。

第1部ファウスト、既知のソナタ形式。それとプログラム冊子にもあるようにオクターブ内の音を全部使った12音主題。素人耳には追う楽しみもある。ピアニストのプレトニョフだし、鍵盤でも見えているのではないのか。ものすごくナチュラルで滑らかな第1部でした。オケメンが鍵盤に見えるのかもしれない。
30分のレベルだと足りないかもしれない。この味わいの深さ。

まあ、第2部グレートヒェンがさらにタップリゆっくり深く濃く、そのように鳴るのはなんだか昨日から見えていた気がする。メフィストの第3部とそのあとの合唱。進むにつれ大きく高い山の頂が見えてきた。お仕舞は我々をその頂上に立たせてくれる。見事だ。
神々しいパーフォームにひれ伏すのみ。



前プロのビゼーも、やっぱりホールの格が違う。この実感。16型でさわやかに、機動性をもって、このように鳴るのは指揮者とオーケストラ、それにホール、この3つが揃っているからでしょうね。目の覚めるようなビゼーでした。


今日も昨日に続き素晴らしい演奏、ありがとうございました。
おわり





2747- ビゼー1番、リスト、ファウスト、イルカー、新国立劇場男声、ミハイル・プレトニョフ、東フィル、2019.10.20

2019-10-20 22:03:40 | コンサート
2019年10月20日(日) 3pm-5:20pm オーチャードホール

ビゼー 交響曲第1番ハ長調  8-9-5-6

Int

リスト ファウスト交響曲 LW-G12(S.108)  31-20-18+7
 テナー、イルカー・アルカユーリック
 男声合唱、新国立劇場合唱団

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


例によってミハイルのタップリ2時間半コンサート。常々思うに彼は、演奏会は2時間半かけてするものだ、と。

ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェーレス。神秘の合唱。
濃い濃い80分ファウスト。
いやあ、天空に吹き上げるようなファウスト・シンフォニー。持続する緊張感。プレトニョフの真骨頂2部のグレートヒェンの濃い囁き。弦の多様な鳴り、色彩の変化が濃い。この2部に限らず全体的に弦のニュアンスが多彩で表情の移り変わりが説得力ありましたね。作品の内部を照らし出すマーヴェラス・パフォーマンス。なんだか、やや埃っぽいリスト作品が今日ばかりはウェットな佇まい。
3部までで完成の構成といたく思うも、終結のところでそろりと出てきたテノール、イルカーの美声、そして、強靭な男声合唱。劇の終末展開進行が一段とダイナミックになってドラマチック。お見事な筆の運びにエキサイトしました。
ところで、この、リストのファウスト交響曲、フシ、一個しかないよね、て、いつも思うの。錯覚だとは思うのだけれど。

リストの大きな作品見事な内容の演奏でした。手応えありましたね。

この日はこの巨大作品の前プロがあって、それがまた実に悠然。
若きビゼーの1番は16型巨大編成、まあ、ふくよかな鳴り。濃い副主題。一段テンポを落とした展開部。大人の品。編成、品格共々巨大なビゼー。

両作品、心ゆくまで堪能できました。
ありがとうございました。
おわり









2746- ブラームス、ヴァイオリン協奏曲、セルゲイ・ハチャトゥリアン、交響曲第2番、ユーリ・テミルカーノフ、読響、2019.10.19

2019-10-19 22:20:52 | コンサート
2019年10月19日(土) 2pm 東京芸術劇場

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77  25-10-8
  ヴァイオリン、セルゲイ・ハチャトゥリアン

(encore)
ナレクの聖グレゴリオ (英語名 ナレカッツィ) (950-1003) 
ハヴンハヴン(アルメニアの伝承歌)   3

Int

ブラームス 交響曲第2番ニ長調Op.73  15-9-6-8


ユーリ・テミルカーノフ 指揮 読売日本交響楽団


秋のブラームス2品。
コンチェルトのセルゲイは、込めた気持ちの強さがよくわかるプレイで、自身の音を聴くことにそうとう集中している。最初はオケのピッチからやや乖離していきそうな具合だったが徐々にいつものような弾きに戻ったのだろう。総じて秋のブラームス佳演。

シンフォニーは切れ味がいまひとつで、先週のバビ・ヤールのような張り詰めた音楽になっていなくてちょっと緩い。
テミルカーノフは演奏終了2回ほどポーディアムに上がってサッとおわり。そのあと、ウィンズ連中が、拍子交えながらかなり長い時間話し込んでいましたね。
おわり









2745- バラキレフ、イスラメイ、ラフマニノフ、パガニーニ狂詩曲、アンゲリッシュ、チャイコフスキー4番、トゥガン・ソヒエフ、N響、2019.10.18

2019-10-18 22:20:52 | コンサート
2019年10月18日(金) 7pm NHKホール

バラキレフ(リャプノーフ編) 東洋風の幻想曲イスラメイ  8

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲Op.43  25
  ピアノ、二コラ・アンゲリッシュ

(encore)
ショパン マズルカ ヘ短調 Op.63-2  2

Int

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調Op.36  20-11-5-9

トゥガン・ソヒエフ 指揮 NHK交響楽団


もはや、瞠目すべき破格のコントロール。ブラス、ウィンズがセクション毎に束になって迫る、弦は5つに明確に分かれ、マッシヴな弾き。それぞれのインストゥルメント、セクション、それらが分離独立して濃いアンサンブル主張し尽す。これは凄い演奏だ。なにか、上から押しつぶされそうな音をオケのちからで跳ね返しているようにも聴こえる。押し込むソヒエフ、そして、その開放もソヒエフのものだ。圧倒的なコントロール。オーケストラが全員これに納得のプレイの様だし、もはや、魔術ですな。ソヒエフのマジカル棒(棒は持っていないが)。
この瞠目すべきチャイ4、短調だったことを改めて思い起こさせてくれる。前半のラフマニノフからがらりと変えて、オール・テヌート・モード、ささくれ無し、騒ぎ立て皆無、ジタバタせず、先を急がず、ジックリと煎じた味わいを与えてくれる。抜群のアンサンブル、ここは日本語でやっぱり、合奏と言いたい。合奏の実感。入念に微に入り細に入り練り込まれた珠玉のアンサンブル。音色は秋の味。秋の夜長のブラームスでも聴いているような感興で、普段聴いているチャイコフスキーとはまるで違う。びっくりでした。
異端の解釈と言うべきものかもしれない。エネルギーの内なる爆発。充満したエネルギー、音が中に満ち溢れている。もの凄い説得力ですね。全員の総力を聴かせてくれる。作品へ立ち向かう姿、主眼がそれに向かっている解釈ですね。音を最高度に詰めまくっている。隙間の無い缶詰のようなものだ。
といった感じで、音響構築の事ばかりに耳がいってしまった。もちろん、先を急がない姿はフォルムのバランスの良さも聴かせてくれる。メリハリの効いた演奏というのとはちょっと違っていて、オール・テヌート・モードのプレイに息をつく間を感じさせてくれる。間のある流れだ。フォルムの主張は主題移動や経過句が同じモードでスムーズ、それでいて表情や色合いの違いを浮かび上がらせて型を作っていく。これ、まさに、ブラームスでは?などと思わせてくれますね。チャイ4も相応に強固な構成感だなと。型と音色と内在するエネルギーとその放出の仕方。こういったエレメントの気づきをさせてくれて、また見事にバランスし尽している。指揮者の技量と言うしかない。いい演奏とはこのような事だろうなあ。


前半のラフマニノフ。
なにやら感性と理性の対決のような趣きなんだか、そのような資質の向きは色々あれど、対決もこのように味わい深いときもある。ピアノの横流れ自由な放物線がツボのプレイ、ソヒエフの粒立ちに重きを置いたオケ伴、これらが反せず呼吸の一致を見るというのはリスペクト芸術のたまものだろう、両者の懐の深さを思わずにはいられない。作品の深みを魅せてくれましたね。

アンゲリッシュのアンコールは本当に、鍵盤を撫でて始まった。撫でて出る音から始まる独特の味わい。名人芸の芸風の極み。

最初のイスラメイから最後まで充実の演奏でした。秋も満喫。
ありがとうございました。
おわり








2744- ハイドン驚愕、ショスタコーヴィチ13番バビ・ヤール、テミルカーノフ、読響、2019.10.9

2019-10-09 23:54:08 | コンサート
2019年10月9日(水) 7pm サントリー

ハイドン 交響曲第94番ト長調 驚愕  9-6-5-4

Int

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番変ロ短調Op.113バビ・ヤール (日本語字幕付き)
16-9-9+12+11
 バス、ピョートル・ミグノフ
 男声合唱、新国立劇場合唱団

ユーリ・テミルカーノフ 指揮 読売日本交響楽団


これもでかい演奏でした。手ごたえ感ありすぎの公演が続きます。

1曲目のハイドン。それを振る指揮姿に角は一切なくて柔らかい一筆書き。あれでオケの音出しが揃って奏でられる。驚くばかりなり。オケの自発性のウェイトが高い。あのような棒、といっても棒は持っていないのだが、しなやか也の一筆、あれだと自発性がより必要で、方向性併せ、指揮者と大きさ・向きが一致しているのがこのオケの凄いところ。
テミルカーノフの長けた引き出し能力、息があっているというのはこういうことなんだろうなあとうなずくばかりなり。オーケストラという集合体におけるもう一つの機動性の可能性を魅せてくれているような気になってくる。ビッグな驚愕に驚く。


バビ・ヤール、ユーモア、商店にて、恐怖、立身出世。
改訂前の原典版歌詞による。とのこと。
こんなに重い演奏でいいのかと言いたくなるような重さ。これ、文字通りの重さ。演奏のメカタを計りたくなる。さらに、バスソロと男声合唱とダークな色彩感が重さを後押しする。
まあ、各楽章の副題をもって字幕を見ながら聴けばその面白さがよく理解できる話ではあるが跳んでいくような重さですわ。読響の正三角錐的音場バランスのド迫力と相俟って、舞台底にあるかもしれないブラックホールと拮抗でもしているのではないのかと思わせる無差別級の重い重い音の創造物でした。まれにみる分厚さ。最初の四つはずっとこんな感じ。最後の立身出世、お仕舞にきてようやく中空に重力場がやや解き放たれて救いがあったかと。胃に来るインパクトの13番、ド圧演でした。ショスタコーヴィチ、ひとつの真相なる演奏でしょう、これはこれで。
プログラム冊子にはハープ2と書いてありましたが、実際のところは4でした。

今日の一発公演、1曲目のハイドンはどうしても必要だったと思う。オケとの息の合い具合、オケの自発性の発露・方向性の一致、こういった事を手探りから確信に変わるまでのハイドン・タイム。
バビ・ヤールはぶら下げマイク12本、床に数本、という具合で多数あったので後日聴けることと思うが、あの重さメディアに入りきるかな。

おわり














2743- プロコフィエフ、ロメジュリ、チャイコフスキー、ロココ、鳥羽咲音、ストラヴィンスキー、春の祭典、沼尻竜典、日フィル、2019.10.8

2019-10-08 23:24:30 | コンサート
2019年10月8日(火) 1:30-3:40pm サントリー

プロコフィエフ ロメオとジュリエット より
        決闘、少女ジュリエット、バルコニーの情景、愛の踊り 3-4-5+4

チャイコフスキー ロココの主題による変奏曲イ長調Op.33
 (フィッツェンハーゲン版)   19

チェロ、鳥羽咲音

(encore)
プロコフィエフ マーチ  2

Int

ストラヴィンスキー 春の祭典   15+17

(encore)
チャイコフスキー くるみ割り人形 より トレパーク    1

ナビゲーター、政井マヤ

沼尻竜典 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


日フィル&サントリーホール企画、とっておきアフタヌーン Vol.11
政井さんがナビゲーター。

沼尻さんのハルサイお目当てでうかがったが、結局のところ、2005年生まれ14歳の弾くチェロに首ったけになった。
チェロはこの日、大ホールデビューとなる14歳の鳥羽さん。遠目にはしぐさ含め大人な感じ。緩徐部分のピアニシモで創る陰と陽の色合いのコントラストが息をのむような美しさ。強弾きのフレーズは水滴のような切れ味。音が滴り落ちる。どぎつさ皆無のマーベラスなパフォーマンスで、辻本さんも弾きながらじっくりと見ているような具合でしたね。
鳥羽さんによって作品の一つの形を見たような大きな体験でした。フィッツェンハーゲン版による演奏。


ハルサイ。ロココを聴くまではこれお目当てでしたが、あの美演で気が抜けたというか、満足してしまった症候群、でした。
オーケストラの精度はいまひとつ。明るくて速めのルーチンワーク。沼尻も特にこの上を望んでる風もない。そのような演奏でしたが、指揮者の個性は音色や締まり具合に表れていたようです。
おわり







2742- グラス、2人ティンパニスト協幻、ショスタコーヴィチ11番、井上道義、N響、2019.10.6

2019-10-06 23:16:57 | コンサート
2019年10月6日(日) 3pm NHKホール

フィリップ・グラス 2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲(2000年)
 5-10+4+6
 ティンパニ、植松透、久保昌一

Int

ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調Op.103  16+12+20+15


井上道義 指揮 NHK交響楽団


グラスとショスタコーヴィチ。なかなかいいコンビネーションのプログラム。指揮者とオケ、こういったプログラムはツボな感じ。聴く前から冴え冴えとした雰囲気が漂う。

グラスの作品をこれまで沢山聴いてきた中、この2ティンパニストの作品は初めて聴いた。喜びもひとしおだ。
ティンパニは指揮者の手前中央、左7個、右に8個。オケは14型でオケにティンパニは無しで、それ以外のパーカスが充実。
いきなり印象的な変拍子。明るいグラス。伴奏オケはグラス独特の息の長い同一音高でシンコペーション。この長さが難しい打楽器、だからティンパニストが2人要るのかな、などと最初は思ったりしたがそんなことはなかった。インド風味な叩きが激しい。叩きの激しさが少しグラス越えのようにも思えた。この楽章お仕舞はカデンツァで変拍子が回帰。
中間楽章は静けさ。初楽章の息の長い音をバックにミニマルな刻み節が陰陽を添加。この楽章が一番グラスらしいかもしれない。カデンツァがあってそのまま抜けるような終楽章へ。シンコペーションより弦のギザギザが強調されていく。音楽は激しさを増しジョン・アダムズ方面へのめっていくように終わる。
彼のひとつのアイデンティティーともいえるインド風味のオリジナリティー、それにアメリカの現代の息吹きがうまくシャッフルした作品で、自分の持っている彼へのイメージがまたひとつ加わった。特に、アメリカの空気を今も吸い続けている印象が濃く有った。


後半は60分越えのタコ11。
ショスタコーヴィチは11番も含め演奏会で取り上げられることが多くなり、シンフォニストと呼ぶにふさわしい手応え満載の15個と言う事になる。ヘヴィー級の作品のほうが多く取り上げられるように見受けられるのは面目躍如といったところか。圧演が並ぶ中、この日のミッキーも会心であった。
ミッキー仙人の指揮振りを見ていると一筆書きの按配で、この作品は既に世間でもやり尽されたフォーマットが出来上がってきていて、内容の理解も進んでいるものなのだなあと、そういったことが全て取り込まれたうえでの振りっぷり、そう思わずにはいられない。
4楽章の配分がもの凄く整っている。構成感がきっちりしている。仙人の棒というのはそういったことがデフォでオケメンにまで染みわたっている前提があっての振り姿。墨汁の水分多めに書き流された一筆書きそれだけで、音楽がきっちりと出来上がる様は見事というしかない。N響は仙人の振りと作品の有り様、両方を咀嚼している。唖然とする腕前で作品がパーフェクトフォームにそびえ立つ。こんなクリアな演奏無い。重く暗い作品ではなく実にわかりやすい。深刻な内容の標題音楽が中身は別にして、もしかして案外スルっと書けたのではないかと思える見事さだ。

ここ何年かで、ネルソンス&ボストン響、ラザレフ&日フィル、カエタニ&都響。古くスラットキン&セントルイス響。と聴いてきてやはり聴き手に集中力を強いる曲という観念はあります。一度、標題系のことを横に置いてピュアなシンフォニーとして聴いてみるのもいいと思う。ショスタコーヴィチのいわゆる3楽章構成(似たバランスの物も含め)の作品と違う出来上がりフォルムであってそういったところに重きを置いて聴くのもいい。作品の造形を作りやすそうというのはありますね。ミッキー仙人とN響のコラボはなにか明るさも漂う。清涼感とでも言おうか。不思議な感興に浸った。この作品を作った経緯は当のショスタコーヴィチは口をつぐんで、血の日曜日か、はたまた、どこかに真意が。
思わせぶりのミッキー仙人の秀逸な解釈によるスペシャリスト集団による充実した演奏でした。
おわり














2741- 未完成、モツレク、上岡敏之、新日フィル、2019.10.4

2019-10-04 23:25:00 | コンサート
2019年10月4日(金) 7:15pm トリフォニー

シューベルト 交響曲第7番ロ短調D759未完成  10-9

Int

モーツァルト レクイエム ニ短調K.626  41

ソプラノ、吉田珠代
アルト、藤木大地
テノール、鈴木准
バス、町英和
合唱、東京少年少女合唱隊、東京少年少女合唱隊カンマーコア

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


上岡の先般からの演目、ワーグナー、ブルックナーを聴いてきた身としては、今日の未完成、モツレクともにプログラム冊子にあるタイミングとは大幅に異なるもので、それぞれ20分、40分、あわせて60分、あっというまに終ってしまった。まあ、休憩はあるものの、肩透かしを食らってしまったというのが本音です。

未完成は速い。20分切った。昔チェリがよくやっていたような強くても抜けるようザッツ、どうすればああなるのかは知らないが、プレイヤーたちの意識された統一感が垣間見えるので指揮者の意図が浸透してあのような響きを醸し出しているのだろう。エンディングのフレーズの隅々までこのように流れていく。なにか確信犯的で見透かしたような肩透かしではある。彼の未完成はこのように進むということか。全ての音に上岡の意識が乗り移っていましたね。ユニークで説得力のある演奏でした。

20分の休憩でモツレク。これもササッと過ぎ去りし。5-3-3-2-3-3-3-3-3-1-5-7
どうも、ニ短調はやにっこいという印象があってモツレクも同じ。第九、ブル9、シュマ4等々、浮かんでくる。
前プロの未完成のモードがさらに切れて各ピースが連続してスパスパとメリハリ良く進行する。概ねメゾフォルテ、そしてそれ未満での進行。なんだかさわやかですらある。モーツァルトがこれで終わるとはとても思えない。あとは聴くほうに任せたということかな、上岡さん。ワーグナー、ブルックナーときて、今回このような解釈は意味深としか思えなくて、逆に考え込んでしまった。合唱は少年少女による。



今日の1階席はまだら模様も小さめでいつもよりは随分と入っていた。演目とキャストが大きいと思う。NJPもそれは分かっていると思うので、こんな時にこそ、ヒート感有る宣伝で煽る(言葉はアレだが)、客の枯渇感を満たすのだよ、という戦法もいいのではないか。
例えば、アルト、藤木大地さんというキャスティングをクローズアップして広めるだけで、風速60メートルぐらいで飛んで来る人もいるのではないか、と思う。
ので、新日さんは街場の他オケのことや常々の音楽シーンをウォッチするスタッフがいればと思うこともあり。
ツボな演奏会でした。ありがとうございました。
おわり









2740- ハイドン34、ブラームス3インテルメッツォ、ベートーヴェン、ディアベッリ、ポール・ルイス、2019.10.1

2019-10-01 23:09:04 | リサイタル
2019年10月1日(火) 7pm 王子ホール

ハイドン ピアノ・ソナタ第34番Op.42 HobⅩⅥ:34  5-6-4

ブラームス 3つのインテルメッツォOp.117  5-5-6

Int

ベートーヴェン ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲ハ長調Op.120  54

(encore)
ベートーヴェン  6つのバガテルOp.126より 第5曲  2


ピアノ、ポール・ルイス


ディアベッリは真のベートーヴェンという趣きで作品のあまりの広がりに終わる否や、ふ~とまずは一息。約1時間弱の連続演奏。あっという間に終わってしまいました。終盤のバッハモードで演奏は佳境に入る。結局、32番の先を行く様な流れやバッハまでの圧倒的なすそ野の広さ。全てを内包しているのではないかとさえ思わせるベートーヴェンの見事な作品、それに、ルイスの激静強弱色彩等々、変化が同質の美音で響き渡り、作品を押す。音楽の使徒のようなルイスの佇まい。まことにもって何も言う事は無い。
ルイスのピアノはどんな場面でも結構な強い弾きで決然としている。太くて明るく響き渡る。
ベートーヴェンは作品120までいっても変奏曲を追う。ディアベッリは徹底的、完膚なきまでの追及のあかし。あの一つのフレーズからこんなにたくさんのものが生み出されるとは、創作の意欲が止まらない。
自分のイメージとしてはベトソナ31番の冒頭、なにか人生、途中から始めたような、あの達観メロディー、あれを思い出すんですね、ディアベッリのフシ。
キリリとしていて幅広な演奏、なんだか人柄そのものの様な内容でしたね。圧巻のディアベッリ。



前半1曲目はハイドン。ベトソナ1番の駆け上がるような出だしを思い出させる。そして完璧なソナタ。提示部リピートではやや表情が変わる。
アダージョは隙が無い。スローでも全く弛緩しない。どこにも隙間が無い。明るくて太くてややウェットな響きが続いていく。そしてクルンとモードが変わり終楽章へ。音楽の表情という言葉がふさわしい。魅力的。ソナタの作品が見事に出来上がった。

次のブラームス。3曲ともに、アダージョ・~。となっているインテルメッツォ。2曲目はややテンポを上げ快活に。結局3つ合わせて一体化した姿が見えてくる。ハイドンとはやや違い、一音一音を伸ばし切るところがあって余韻に浸りながら味わう秋の味覚。それに込めた表情の変化、陰陽、光の指す場所が少しずつ変化していく。見事なブラームスでした。

いかにも生真面目そうなポール・ルイス、ストイックな感じは無くてなによりも音楽への使徒のように見える。表情は変わらず、割とあっさり弾き始める。コンセントレーションが始まる前から炎なのだろう。ひざの間に両手を持ってくるおじぎ。さあ、聴衆の皆さんも音楽への感謝を一緒に、そんな感じかな。
かぶりつき席で拝聴、たまに声も聞こえてきましたね。
充実の内容でした。ありがとうございました。
おわり