河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2801- ニュルンベルクのマイスタージンガー クラウス・ペーター・フロール 二期会 東フィル 2002.7.28

2021-09-22 16:29:53 | 2002年
2002年7月20日(土) 3pm よこすか芸術劇場
2002年7月27日(土) 3pm 東京文化会館
2002年7月28日(日) 1pm 東京文化会館 ●
2002年8月3日(土) 3pm 東京文化会館
2002年8月4日(日) 1pm 東京文化会館

東京二期会オペラ劇場 プレゼンツ

二期会創立50周年記念公演
ベルギー王立歌劇場モネ劇場提携公演

ワーグナー 作曲

クルト・ホレス プロダクション

ニュルンベルクのマイスタージンガー 全3幕・字幕付き原語上演

キャスト
ザックス 黒田博(Br)
ポーグナー 長谷川顕(Bs)
ベックメッサー 萩原潤(Br)
ヴァルター 田中誠(T)
コートナー 青戸知(Br)
ダーフィット 小貫岩男(T)
エーファ 林正子(S)
マクダレーネ 堪山貴子(MS)
夜警 甲斐栄次郎(Br)

二期会合唱団
クラウス・ペーター・フロール、東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
ActⅠ 1:22´
ActⅡ  58´
ActⅢ 2:04´


当時の短い感想を書き留めたものがありますので、ほぼそのまま掲載しておきます。以下、

リピーターになりそう。

7月28日(日)、二期会マイスターを観てきました。コーラス、指揮者、オケ、歌手、この順番でおしなべて好演を見せてくれました。
前回の公演が1981年ということですから、ふた昔前ですね。この大作を昔は観ただけでラッキーだったのかもしれませんが、今回のイベントは一家言ある人たちをも満足させてくれたのではないでしょうか。規則だらけの現状と規制緩和の対峙と言う今の日本に妙にマッチした演出が興味を倍加させてくれました。また、字幕の効果も異常に絶大でした。20年前に字幕があったかどうかわかりませんが、第2幕でタイミングを逃さず笑い声を漏らす事が出来るというのは字幕の効用以外の何物でもありません。
コーラスは二期会の誇りと矜持を感じさせてくれるのに十分な見事さでした。特に第3幕では日本刀のような強靭な合唱が聴きものでした。
指揮に関しては、このような曲を身につけている人そのものが人材不足なのでしょうが、かなりふけてしまったフロールが、その見た目とは全く違うコントロールのきいた棒で楽しませてくれました。
オケはしまっている、というよりはちょっと硬い感じがあります。オケピットの底から湧いてくる感じがなく、アタックを叩きつける感じ。これは指揮者のせいもあると思いますが、回数を重ねるとこなれてくる質のものです。
また、第1,2幕では歌手ともども大波小波がなくダイナミックレンジの無い緩急"不"自在の演奏でしたが、第3幕になるとにわかに活気づき始め、過去の事例としてのトリスタンが流れてくるあたりから、あふれ出るニュアンスと響きの充実感を感じることが出来ました。
歌手については、この歌手はどうだとか、という固有名詞レベルで語れるところまではいかないと思いますが、概ね力演だと思います。声が前面に出てこず、そういう意味では歌手/コーラスともにステージのかなり手前の方に配置した演出は功を奏したものの、まだホールを鳴らすような歌い手はいない。それでも、日本人だから心配、みたいな呪縛はもうそろそろ過去のものになりつつあるのでしょう。見栄えにおいても、昨今の日本人プロレスラーのマッチョ型大型化に時代の反映を感じることが出来るのと同様にこのオペラ界においても、その時代のトレンドを如実に感じさせてくれます。
ただ、ヒゲはよくないなぁ。顔の輪郭がわかってしまう。威厳を感じさせてくれる前に頭のサイズを感じさせる。ウェストポーチが日本人の短足を証明しているのと同じだ。ヒゲのない清潔感あふれたマイスターもあるのではないか!
モネプロダクションについては不勉強なのでよくわかりませんが、第1幕において審査員が上横一列に配置されるあたり権力/規則の意図強調は明白だとは思いますが、So what? という疑問は否めません。見た目的には、むしろゼッフレルリ演出のボエーム第2幕における舞台の二重構造、トスカ第3幕における舞台の上下移動、など見た目的二重構造を思い起こさせるだけです。
あと、東京文化会館はそれなりに奥行きのあるステージだと思いますが、歌手/コーラスをこれだけ、「前方に押し込めた」配置も珍しいのではないでしょうか。もともとの演出なのか、それとも声が通るように前に持ってきたのかよくわかりませんが、この酷暑にちょっとむさくるしい感じが無きにしも非ず、です。
それにしても、第3幕入場場面における一糸乱れぬ動き/整列の極度な見事さは、やはり国民性というものでしょう。先般のワールドカップチケット問題も日本人がやれば何の憂いも無かったのに、ということがよくわかります。
天井から足が4本出てくるのだけは意味不明でしたが。。。。
最後に、オールジャパニーズということであれば、演出も指揮者もジャパニーズでやって欲しかったという気持ちはあります。そうすれば演奏中に多少の地震が発生しても、誰一人憂いも無く演奏し続け、歌い続け、聴き続ける、でしょうから。指揮者が逃げたら演奏になりませんからね。(フロールがそうだと言っているわけではありませんが。)

みなさんは今回のマイスターどのように感じられましたか。私はリピートしたいと考えております。8月3日か4日ですね。
このように、ホールも盛況で、活気に満ち、イイ盛り上がりだったら毎年恒例行事でやればどうなんでしょうね。歌い手だけではなくて、みんな育つと思うんですけど。また、価格も相応ですし、土日にやるというのも良心的だと思います。企画としては大成功だと思います。
おわり

以上、実に簡単におもて面だけを語ってしまっている感想でした。
おしまい



















2800- ワルキューレ キース・ウォーナー 準・メルクル 初台 2002.3.29

2021-09-21 16:41:34 | 2002年
オペラ劇場、新国立劇場、初台
2002年3月26日(火) 5pm
2002年3月29日(金) 5pm ●
2002年3月31日(日) 3pm
2002年4月1日(月) 5pm
2002年4月4日(木) 5pm
2002年4月6日(土) 3pm
2002年4月7日(日) 3pm

ワーグナー 作曲

キース・ウォーナー プロダクション

ワルキューレ 全3幕・ドイツ語上演・字幕付

キャスト in order of appearance
ヴォータン、ジェームズ・ジョンソン(Bsbr)
ジークムント、ロバート・ディーン・スミス(T)
ジークリンデ、スーザン・アンソニー(S)
フンディング、ドナルド・マッキンタイア(Bs)
ブリュンヒルデ、リンダ・ワトソン(S)
フリッカ、藤村美穂子(MS)

準・メルクル 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
ActⅠ 70min
ActⅡ 98min
ActⅢ 70min


当時のメモを残していますので、ほぼ原文のまま書き留めておきます。以下

実験工房とでもいうべきか、かなり奇抜な演出であった。

こちら観聴きする方の脳内キャパも広がっているので、余裕を持って楽しむことが出来て面白かった。第1・2幕の不思議の国アリス的な作りはどのような意味を持つのであろうか。

第1幕は巨人族が住んでいそうな小屋である。
ジークムントとジークリンデの倍ぐらいあるテーブルや椅子が中央にあり、左サイドには大きな写真たてがあり夫婦のような感じで二人写っている。
第1幕冒頭ではヴォータンが中央に立っているところから始まるが、これはクプファーのラインゴールド冒頭を想起させる。また、フンディングは複数のマスクマンのような子分を引き連れて我が家に入ってくる。つまり第1幕は3人ではない。

双子の歌はそこそこ。ジークムントの
ヴェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーールゼ
は異常に長く、この一点に賭ける意気込みのようなものを感じた。
メルクルの棒がスローである。かなりのおそさだ。これは曲の解釈というよりも東フィルに丁寧に演奏してもらう為のギリギリのテンポのようにも感じられる。オケの音が浅いのがちょっと気になるが、この5時間ものをプレイ出来るだけでも良しとしよう。
フンディング役のマッキンタイヤは昔METで聴いて以来である。あの時はヴォータンだったので紛らわしい。この前ベルリン国立歌劇場で歌ったルネ・パぺとは水と油ほど違う。あの筋肉質の歌とは明らかに異なり、ここでのマッキンタイヤはほとんど浪花節である。歌うというよりもしゃべってる感じ。「やつし」まくりの極致である。いくら経験豊富とはいえあまりやりすぎるとちょっと聴きづらい部分もある。やにっぽい。
いずれにしてもここまで聴いて、値段以上のレベルであることは言を俟たない。さすが国から補助が出ている新国立劇場だけのことはある。専属オケがないのが玉に瑕だけれども。
さらに、第1幕の小屋は冒頭からそこにあるのではなく、曲の始まりとともに奈落から上がったくるものだ。さすが新国立劇場のしかけは最新だ。第1幕最後は巨大なテーブルが真ん中から割れ、そこの上でトネリコから剣を抜いたジークムントが滑り落ちながら、ジークリンデを引きつれ幕となる。演出もなかなか見事だ。

第2幕では、ブリュンヒルデが小さな木馬に乗ってステージに出てくるが、ここで聴衆大爆笑となる。リンダ・ワトソンは一生懸命に歌っているが。このグルーネと書かれた木馬を歌い終わったリンダが足蹴にしてステージからほっぽり出すあたりかなりのインパクトがある。
この舞台もいろいろと趣向を凝らしている。地図をあらわした床。ダンボール箱に書かれたWincなど、意味はよくわからないが目を引くものだらけだ。
ジーン・ハックマン風片目のヴォータンはサングラスで左目を伏せてあるので、これも即座にクプファー演出を想起させる。ファルク・シュトルックマンの印象が強くて、このヴォータンどうかと思ったが、全く別の表現で聴かせる。ワーグナー音楽のキャパの大きさを感じさせることにもなる。語りの部分では、ほとんど小声でささやくような感じ。これが見事にはまり聴衆は水を打ったように静まり返りその静寂自体が音楽効果となって、聴衆ともども抜群の集中力が形成された。
死の告知における、ブリュンヒルデとジークムントのやりとりは、これまたクプファー演出の、顔にドーランのようなものを塗っていくあのインパクトにはかなわないが、ジークリンデが周囲を歩き回る演出ともどもかなり凝縮され練り上げられたものだ。
ステージ左サイドの段ボール箱が取り払われると、そこには今度は小人族が住んでいそうな小屋の屋根が現れる。その屋根を頭で突き破って出てくるのがフンディング。強烈な演出。そして多数のマスクマンに袋叩きにされるジークムント。かなり過激な演出だ。

さて、第3幕である。これは何というか見なければわからない。救急病院である。部屋毎にくるくる回転し点滅する赤いランプ。そこを、救急ベッドを押しながら走りまくるワルキューレたち。この病院は廊下にある名前からWALHALLというらしい。ベッドの上にいる患者は立ち上がり奥に歩いていくが、ここも即座にクプファー演出を想起させる。
血がついた手術着(?)を着たワルキューレたち。一騒動の後の真っ白な看護婦衣装と病院の真っ白さ。赤十字を表すような赤い盾(?)。
そして、ストップモーションとともにその舞台は奥に引っ込んでいき、下から、第2幕で足蹴にされた木馬グラーネが奈落から今度は巨大な姿を現す。このインパクト!
クライマックスでは一度幕が下がり、ヴォータンが戸を3回叩く音とともに現れたのは救急ベッドに横たわるブリュンヒルデ。そしてベッドのフレーム全体が燃え始め(本当の火!)、消防車は来なかったけれど、奇抜な演出が聴衆を引きつけ続けた。
むろん、この間みんな歌は歌っている。
まずオールジャパンによるワルキューレたち。動きの敏捷さもさることながら、歌が非常に強靭で安定している。それにいかにもヴォータンの娘たちという雰囲気が良い。
ヴォータンもここにきて全開。娘たちを蹴散らすあたりの迫力は満点。リンダのブリュンヒルデも強靭であり、こんなに歌えると思わなかった。
この全体の迫力満点さが、後半からクライマックスにかけてうまく収斂されていって、最後は清純とさえ言える形に昇華されていった。舞台とのミスマッチはまるで感じない。
キース・ウォーナーの力だろう。

このようなステージが単に新奇さを狙ったものなのか、はたまた回を重ねるごとに説得力を増していくものなのか、今後の展開を待たなければならないが、この新国立劇場で集中的にではあるが年に一回しか行なわれないというのは残念だし、レパートリーとして定着する為には、このほとんどオールアメリカ人キャストに頼っていてはダメだろう。日本人の力量からして無理もないが、昨今プロレス界における大型化を見るにつけ、オールジャパンの安定した舞台もそう遠くない未来見ることが出来るのではないか。

最後に、今年バイロイトでフリッカを歌う藤村フリッカは、その自信と音量で圧倒していた。
そして、日本3大悪のひとつであるNHKホールの音とは比べるのも失礼な、抜群の音響効果を持つこのホール。専属オケがないのは返す返すも残念だ。
おしまい

以上、当時の感想。自分でも、よくこれだけのシーンを記憶しているものだと、感嘆。
おわり


















2799- ワーグナー・ガラ エルミング ラング モル 緑川 アルブレヒト 読響2002.11.15&16

2021-09-20 18:59:08 | 2002年
2002年11月15日(金) 7pm 東京芸術劇場
2002年11月16日(土) 2pm 東京芸術劇場

ワーグナー・ガラ

愛・地球博 プレゼンツ
読売日本交響楽団創立40周年記念

ニュルンベルクのマイスタージンガー
第1幕への前奏曲
ザックスのモノローグ、なんとふくよかなニワトコの香りよ (Bs)クルト・モル
第3幕への前奏曲

トリスタンとイゾルデ
前奏曲と愛の死 (MS)ペトラ・ラング

Int

タンホイザー
序曲

さまよえるオランダ人
ゼンタのバラード、血のように赤い帆に、黒いマスト (MS)ペトラ・ラング
ダーラントのアリア、見知らぬ旅のお方に歓迎のあいさつを (Bs)クルト・モル

リエンツィ
リエンツィの祈り、全能の父よ (T)ポール・エルミング
アドリアーノのアリア、正義の紙よ、もはやこれまでだ (MS)ペトラ・ラング
二重唱と三重唱、(S)緑川まり、(MS)ペトラ・ラング、(T)ポール・エルミング

ゲルト・アルブレヒト 指揮 読売日本交響楽団

(duration)
Nc









2798- ワルキューレ第1幕 エルミング ラング モル アルブレヒト 読響2002.11.9&10&11

2021-09-20 18:54:08 | 2002年
2002年11月9日(土) 6pm サントリー
2002年11月10日(日) 7pm サントリー
2002年11月11日(月) 7pm サントリー

ワーグナー 作曲

愛・地球博 プレゼンツ
読売日本交響楽団創立40周年記念

ワルキューレ 第1幕 演奏会形式 日本字幕付き

キャスト
ジークムント、ポール・エルミング(T)
ジークリンデ、ペトラ・ラング(MS)
フンディング、クルト・モル(Bs)

ゲルト・アルブレヒト 指揮 読売日本交響楽団

(duration)
ActⅠ nc









2797- パルジファル エルミング モル ラング アルブレヒト 読響2002.11.2

2021-09-20 18:37:33 | 2002年
2002年10月27日(日) 2pm 東京文化会館
2002年11月2日(土) 2pm 東京文化会館 ●
2002年11月4日(月) 2pm 東京文化会館

ワーグナー 作曲

愛・地球博 プレゼンツ
読売日本交響楽団創立40周年記念
高島勲 プロダクション
ヘニング・フォン・ギールケ セットデザイナー

パルジファル 全3幕 原語上演・日本字幕付き

キャスト
グルネマンツ、クルト・モル(Bs)
パルジファル、ポール・エルミング(T)
アムフォルタス、フランツ・グルントヘーバー(BsBr)
ティートゥレル、クルト・モル(Bs) (テープ)
クリングゾル、工藤博(Br)
クンドリー、ペトラ・ラング(S)
二期会合唱団

ゲルト・アルブレヒト 指揮 読売日本交響楽団

(duration)
ActⅠ 1時間32分
ActⅡ nc
ActⅢ nc

奇抜な演出であっけにとられているうちに終わってしまったという感じでした。当時のメモは短いもので、だいたいそのまま転記しておきます。以下。


うつせみのパルジファル
11月2日(土)のパルジファルを見ました。
随所に出てくるパジャマのご老人は誰なのでしょうか?
歌い手ではないと言うことは、この豪華キャストではみんな面が割れているので、すぐにわかります。歌い手ではないと言うことは配役ではないという事でもあるのでますますわかりません。ベッドの中ですりかわったパルジファルなのでしょうか。老人が今のパルジファルで若いパルジファルは現身(うつせみ)であるような、空蝉(うつせみ)でもあるような。
過去の投影が今を見ているのでしょうか。それとも。。。。そうだとすると輪廻風なストーリー展開でありリングのように終わりは始まりみたいにも見えます。あの角部屋はなんでしょうか。音楽家の部屋の中のようにも見えます。あの老人はワーグナーなのでしょうか。ワーグナーが過去の老人パルジファルの姿を借りているのでしょうか。そうだとすると幽霊風に部屋の中を詮索している姿は結果的には納得できます。ですから、前奏曲で既に動きがある舞台は、最初はわずらわしいと感じましたが結果的にはあそこで動くのが一番効果的であるような気がします。
終わってから全部氷解したような劇的な舞台であったと思います。

巨人族の歌い手たちは内容も巨人。なかでもアンフォルタスが役になりきっていたのが印象深い。また小人族のような(失礼)取り巻きは、歌は別にしてバランスがいささか奇異。エルミングが椅子に座るとちょうど目線が水平の位置にくるというのはかなり苦しい。
アルブレヒトは第1幕を1時間32 分ほどで終わらせた。別に速いからどうだということもないのですが、そのスピード感覚で何か表現できないもの、失われたもの、があるとすれば問題です。オーケストラのかおり、みたいなものが無いので速くせざるをえないのかな、とは感じました。第1 幕の終結はチェリビダッケの新世界の終結部と同じく、確信犯的しりつぼみ、をもって終わらせておりました。あれだと第1幕の拍手はどうしようか、などという心配以前に、第1幕は本当に終わったのだろうか、というとまどいの拍手がまずあり、その後、三々五々拍手が沸き起こるという妙な現象となってしまいました。いずれにしても第1幕で拍手をしてしまうと次がうまく始まらない曲ではないのかな、というのはこれまで何十回か生演奏観聴きしているのでなんとなく感じます。

第1幕の合唱は散々でした。せんだってマイスターを力演した同じ合唱団とはとても思えません。歌うときのポジショニングにも問題があったのでしょう。一人一人の声が浮き上がってしまいバラバラに拡散してしまいました。後半は持ち直したようですが。いずれにしてもオーケストラともども芯が無く薄い響きでした。パルジファルはそのような響きでそもそも作られているという部分もあると思うのですが、それよりも奏者自身の、音を出す事に対する自信の無さ、に起因しているのではないでしょうか。(この曲に関する限り)
演出は劇的でしたが、例えば前奏曲の後の祈りで居眠りするしぐさとか、それを小突くグルネマンツなどの表現は不要でしょう。毎日の儀式なのに何故今日も眠くなるの?といった違和感ですね。このような余計な動きは音楽を殺してしまいます。
それから、レヴァインと同じで私も第二幕は嫌いです。それは現実の自分と似ているからでしょうか。
おわり


といった感想で、完全に中途半端ですが、この駄文でも、追えば目に浮かんでくるものもあります。
あとあとまで残る演出でしたね。
おわり