河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

686‐クルト・ザンデルリンク シュベ9 NYP 1984.1.21

2008-09-30 00:10:00 | 音楽

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昔の演奏会、オペラから。

昨日に続き、1983-1984シーズンについてのものです。

1984121()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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10,441NYPコンサート

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ムソルグスキー/“ホヴァンシチナ”前奏曲

  (ドミトリー・ショスタコーヴィッチ編曲)

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シマノフスキー/ヴァイオリン協奏曲第2

  ヴァイオリン、ヤン・ウク・キム

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シューベルト/交響曲第9

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クルト・ザンデルリンク指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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放送予定日未定

1983年の年末から1984年の年始にかけてのコンサートはNYPを中心にこんな感じでした。

659‐

それで、シュベ9は既に660‐で聴いた。

再度聴く。何度聴いてもいいものはいい。

660‐の時と2曲目のプログラムが異なる。

今晩は、シマノフスキーのヴァイオリン協奏曲第2番。

ヴァイオリンはヤン・ウク・キムだが、どちらかというのと別の曲で聴きたかった。

シマノフスキーはつかめない。。

ムソルグスキーとシューベルトの9番は、この前聴いた時と同じ印象。

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この日の演奏については、実はメモ書きが残っていない。というかノートはあるのだが、書いていないといったほうが正確。

こんなことはめったにないのだが。。

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685‐オーマンディ・キャンセルでもフィラデルフィア・サウンドは光り輝いていた。1984.1.18

2008-09-29 00:10:00 | 音楽

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芸術の秋がはじまってますが、先週末は一服感があったので、この前まで書いていた1983-1984シーズンの演奏会、オペラの続きを少し書いてみます。

日取り的には、バーンスタインの棒によるニューヨーク・フィルハーモニックのマーラーの復活の翌日の公演です。

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1984118()8:00pm

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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GREAT PERFORMERS AT LICOLN CENTER presents

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プロコフィエフ/古典交響曲

メンデルスゾーン/ヴィオリン協奏曲

 ヴァイオリン、ピンカス・ズッカーマン

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シベリウス/交響曲第2

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ウィリアム・スミス指揮

フィラデルフィア管弦楽団

グレイト・パフォーマー・シリーズというのは、内外のオーケストラ公演をシーズンにわたって行うもので、ホールはだいたいエイヴリー・フィッシャー・ホール。たまにカーネギーホールでも。

普通は日曜日の午後3時開始の公演が多いが、今晩のようにニューヨーク・フィルハーモニックの定期がない水曜の夜に催されたりする。(NYPの定期は木金土火で1プログラム)

この時代、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督はリッカルド・ムーティ。桂冠指揮者がユージン・オーマンディ。今日はオーマンディが振る予定であったがキャンセル。代わって準指揮者のウィリアム・スミスが棒を取った。昔からそれなりに振っているとはいえ、今でもメンバーに名を連ねるキーボード・セクションのプレイヤーである。

それで演奏のほうは?

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いくら指揮者がオーマンディからウィリアム・スミスという人に代わったとはいえ、この人自身本来プレイヤーであるからして今日の演奏は昔のオーマンディの解釈をなぞっているようなものなのだろう。

いつぞやのブルックナーと違い、全くフィラデルフィア・サウンドを満喫した。

全楽器が唸りをあげているといった感興であり、やっぱりこれは世界中探してもどこにもない音である。

なんと表現して良いかわからないが、とにかく全ての音はずぶとく、特に弦楽器の光り輝くばかりの音、そして奥行きの深さは昨日聴いたバーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニックによる音とは全く異なるがこれまたすごいの一語に尽きる。

あの唖然とするようなブラス・セクションの咆哮の中で、微妙なニュアンスを表現していた弦セクションには驚きを通り越すものがあった。

例えばシベリウス、ピアニシモを主体にした音楽ではなく、あくまでもそれぞれの楽器の特徴となる音質を惜しげもなく出しているといった感じであり、音自体も非常に太い。

また、みなさん、こんなことは言わなくてもわかっていることだと思うのですが、そのブラス・セクションのものすごさ。この太陽の光そのものみたいな音は本当に実際に聴いてみなければわからないだろう。光り輝く何かアメリカ的なものにふさわしい。

活字ではなく素晴らしい生のフィラデルフィア・サウンドに埋もれたことを素直に喜ぶ。

たった一ヶ所、第3楽章から第4楽章にアタッカで移った時の例のブラスのファンファーレ風なところが不揃いになったが、それすらも光り輝いて聴こえるなんてフィラデルフィア管弦楽団以外には考えられないことだ。

このような素晴らしい演奏を実際にアメリカで聴いていると日本ではよく言われているフィラデルフィア管弦楽団に対する批評というのは全く日本的な発想でしかないということがよくわかる。これはアメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィアの音。彼らはそれをニューヨーク州の人に主張しているのです。それぞれの州の持つオーケストラの音は異なる。この音はフィラデルフィア管弦楽団の命なんだろうと思う。

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ズッカーマンはこれまた音が太く、光り輝くようでありフィラデルフィア管弦楽団指向の音のように思えた。そのズッカーマンの音でさえ時として忘れさせてくれるような瞬間があるというフィラデルフィア・サウンド。

ズッカーマンは今日はあまり調子が良くなかった。というよりもまるでぶっつけ本番のようであり、まさしく地力自力で弾きとおした感がある。

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684‐ 究極か!XRCD2のSHMD-CDが出た!ライナー/シカゴ響 ベト7

2008-09-26 00:10:00 | 音源

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出ました。

XRCD2SHMD-CDです。

何点か出てます。

さっそく一点買ってみました。

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ベートーヴェン/交響曲第7

ベートーヴェン/フィデリオ

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フリッツ・ライナー指揮

シカゴ交響楽団

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録音/19551024日、1212

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Victor JM-CXR 0006S

2Chオリジナル・マスターテープ使用

RCAレッド・シールXRCD発売10周年記念

SHMD-CDエディッション

価格¥3,800

2008829日発売

録音は1955年でオリジナルのマスターテープからおこしたもの。

XRCD2は同社のカッティング技術で、20ビット相当の音を再生可能にしたもので、また音の経路のディストーションも極力排除。といったオリジナルの音を出来るだけそのまま信号化しようとしたもの。

SHMD-CDは最近イエローレーベルからカラヤンはじめ多量に出ているのでネイミングはわりと知られ始めている。CDの素材の品質を上げ高音質CDとしたもの。

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要するに、音の信号面からとハードの素材面から、両面から同時に高品質化をねらったもの。

値も張る。三千八百円。。

タイミングは2曲合わせて4115秒。

それから、これはSACDではないので、普通のCDプレイヤーでの再生となります。

早速聴いてみた。

曲が曲だけにスピーカーが地響きをたてると思いきや。。

その清涼感に驚いた。

クリアなサウンド。

フォルテシモでも音が全く歪まない。

あまりの自然な音にびっくり。

耳が全く疲れない。何度でも聴ける。

1955年録音だから53年前の録音だが、そのオリジナル・マスターテープから直取りした信号は大変に素晴らしいものでした。

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ライナーの冷徹な棒。

シカゴの驚異的技術力。

よくぞ残っていてくれました。

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683‐シルヴァン・カンブルラン トゥーランガリラ 2006.12.15

2008-09-25 00:10:00 | 音楽
683‐シルヴァン・カンブルラン トゥーランガリラ 2006.12.15


前回のブログにミスターSの演奏会のことを書いたが、読売日響はミスターSの後任にシルヴァン・カンブルランをあてるようだ。2010年4月から。。
それで、2006年にトゥーランガリラを同じオーケストラで聴いたことがあったので再アップする。

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東にその演奏会あれば、
雨にも負けず出かけ。
西にその演奏会あれば、
風にも負けず出かけ。
北にその演奏会あれば、
寒さに負けず出かけ。
南にその演奏会あれば、
暑さに負けず出かける。
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熱意はいつもこんなよそおいで、この曲だけははずせない。
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2006年12月15日(金)
19:00 サントリー・ホール
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メシアン作曲
トゥーランガリラ交響曲
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ピアノ、ロジェ・ムラロ
オンド・マルトノ、原田節
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シルヴァン・カンブルラン指揮
読売日本交響楽団
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何度聴いても面白い曲だ。
第3楽章だけはよくわからないけれども、とにかく第10楽章まで全てが天才の一瞬のひらめきの音楽のように聴こえる。
そのときは一生懸命考えながら年月をかけて作曲していたのだと思うが、出てきた音楽というのは凝縮されたひらめき。
作曲に思考する長い年月(としつき)も宇宙的光の時間尺度では、地球上の全ての事象はたかだか一瞬のまばたきの様なもの。
そんなことを実感させてくれるひらめきの音楽。
100人規模のフルパワー・オーケストラで、いろんな所でいろんな人がいろんな事をしている。
奥でパーカッション群がコトコトやっている。
その前方ではブラスのキザミがミキサーのようなうなりをたてている。
ウィンド群は複雑に短フレーズを繰り返す。
弦はコントラバスから第1ヴァイオリンまであちこちでストリームの塊がメロディーラインを作っている。
なんだかみんなバラバラだ。
鳴っているようで鳴りきらない。
かと思えば山水画のような一筆書きユニゾンが高らかに鳴り響き、強烈で圧倒的に鳴りきる。
指揮者カンブルランは、その譜めくりの大胆さもさることながら全身でリズムを作っていくさまが、そのポニーテールの揺れともども説得力のある迫力を感じる。
音楽への一体感。
この音楽は光であるのかもしれない。
色彩とリズムの競演。
強烈な刻み節。
なんという魅力的な音楽。
このような曲は、サントリーホールであれば、二階席からフルオーケストラを見渡しながら聴くのがよい。つまり生演奏に限る。
音が出てくるという事象が、前後左右どこからどのような形で出てきてるのかを確かめながら見聴きすると本当に楽しくなる。
オンド・マルトノ、ピアノ、ともにステージギリギリのところに位置し、従ってそのサウンドもクリアに前方に響く。
ダイナミックな指揮姿がピアノに邪魔されてよく見えないのは多少残念ではあったが。
カンブルランの作り出す演奏はその指揮姿ともどもわかりやすい。
まず、丁寧である。
やや遅めにとられたテンポが音楽に余裕を与えている。
つまりプレイヤーに次の音を出す準備をさせてくれる。
一回もつれたら元には戻らないのが音楽であるから、用意周到な事前練習は当然としても、演奏中の心の余裕も、あればそれにこしたことはない。
カンブルランの譜めくりはあわただしいものだ。一度に2ページめくったりしている。
これはこの種の音楽に対する知識練習不足苦手意識のあらわれではなく、逆にオーソリティー、スペシャリストであることを感じさせてくれる。
スペシャリストがスコアを見ながら振る姿というのは、クレンペラーのベートーヴェン演奏の譜めくりみたいなものだ。
それでカンブルランは第1,2楽章でいきなりこの音楽の魅力を全開させる。
ダイナミズム、リズミックな音楽、音色変化、特に、刻むリズムが受け持つパートが目まぐるしく変わることによる音色の変化を克明に表現している。
それがいつも以上に魅力的な音楽にしている。
クラクラするような多彩な変化。
でも調子にのってうきうきばかりもしていられない。第3楽章はよくわからない。とまどう。
ここでメシアンのひらめきが一瞬途絶えたかと思う瞬間である。
しかし、あと7楽章残っているのだ。
この第3楽章は聴き手ももっと勉強しなくてはいけない。
第4楽章は第1楽章に由来する部分が鳴り前半の〆のような感覚に襲われる箇所があるが、実は次の第5楽章ではっきりと決然と前半の締めくくりを教えてくれる。
ここまであっという間の40分強。
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ここまでで二階席から2名リタイア。
思っていたような曲とは違っていたのだろう。よくあるパターンだ。
意思表示もこのように大人しくやってくれれば問題ない。
楽章の終わりのクライマックスあたりでわざと席を立ち、みんな立たせて騒々しくさせておいて帰るやからも外国ではある。
日本人はここまではしない。
日本人はやるとするとたぶん声をだすだろう。
昔はわがまま不平不満声はたまに聞いたことがある。
定刻になってもオケ団員があらわれないと、せっかちな聴衆が、早くやれ、って騒いだりする。
ちなみに今晩のような休憩のない一曲だけの演奏会では通例10分ほどおそく開始するのが常識だ。
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とにかく前半が終わり、後半いきなりの、この曲白眉の美演、第6楽章。
いままでのリズミックな世界とは全く対極にある、しなりの極致、のような音楽だ。
愛の眠りの庭。
前半遅刻して後半この曲から自席で聴き始めた人にはなにがなんだかわからない雲をつかむような音楽に聴こえることであろう。
カンブルランはここでも力を発揮。
異常に丁寧であり、よく練られた考え込まれた音楽を聴かせてくれる。
表情が豊かというか、各パート毎のニュアンスが豊かで音楽に表情がある。
決して作為的に聴こえないあたりがスペシャリストの矜持であろうか。
第7楽章で、小声のリズムで我にかえり、第8楽章は前提なしで聴けばほぼフィナーレのようなまとめにはいる。しかしここも本当のクライマックスではない。
第9楽章は、今回一番魅力的に感じた楽章だ。
パーカッションとウィンドのリズムの軽やかなアンサンブルが徐々に自然発火していくさまは魅力的な音楽。しかし、それも突然やむ。
そして、阿鼻叫喚ダイナミックリズム、メシアンのトゥーランガリラ、フィナーレの人間業とは思えない‘キザミ節’の始まり。
理屈を超えた生理的快感が走る。
作曲しているときの作曲家というのは大部分が理屈で作っていると思うのだが、結果、出てきた音はこのようにかくも天才的な一瞬のひらめきとしか思えない。
これが音楽、芸術というもの。
カンブルランはダイナミックさだけではなく、ルバートも多用する、余裕の音楽造り。
リズムとルバートの同時表現というのは合わせるのに苦労すると思うが、読響ともども練習を重ねたのだろう。また、スペシャリストなりにうまく表現できるコツがあるのかもしれない。
90分、渾身のカンブルランと読響の圧倒的熱演であった。
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ところでこの曲の初演は、1949年バーンスタイン指揮ボストン交響楽団。
タイムマシンがあるのなら一度は立ち寄ってみたい。
おしまい
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682-ミスターS 涼しげにブルゼロを振る。読響。2008.9.22

2008-09-24 00:10:00 | コンサート・オペラ



2008年9月22日(月)7:00pm
サントリーホール

ブラームス/ピアノ協奏曲第1番
 ピアノ、ジョン・キムラ・パーカー

ブルックナー/交響曲第0番

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮
読売日響


一見すると、前半にウェイトを置いたようなプログラミングだが、結果的にはやっぱり後半のブルックナーだった。
はっきりとわけのわからない曲。いくら後期の名作の萌芽がみられるとはいえ、それは後期を知っているからのセリフ。
しかし、この曲を譜面なしで、特に第2楽章などかなりの愛着がないと振れないであろうと思うのだが、うっすらと感動させてくれるあたり、さすがはミスターS、大したものだ。
この曲の形式感なんて作った本人が、作っていた時だけしかわからなかったようなものだろうと思ってしまうのだが、これだけ説得力のある棒を振られてしまうと有無を言わせぬ指揮者の力を感じる。後期の曲のように下手をすると曲に助けられながら振ったりする指揮者がいたりするなか、ミスターSには力、本当の実力を感じる。

第1楽章と第4楽章はソナタ形式であろう。
第1楽章はよく聴くとかろうじてブルックナーの特徴である三主題構成で作られているような気がする。かろうじて主題らしきものが三つ。それらを並べ終わったところですぐに展開部へ。といっても展開しているのかどうかかなり怪しいが、何となく7番的サウンドのそれこそ萌芽を感じなくもない。
どこからか再現部になるようだが三つ目あたりの主題は不明確。コーダで少し盛り上がりを見せながらそれらしく終わる。響きが全体に薄いのが印象的。透けて見えるような感じだ。

第4楽章もソナタ形式なんだろうが、もしかして提示部の前は序奏かな。序奏付きだと第5番的な空中分解?
主題を追っても追ってもうどん状態。かなり追いづらいがかろうじて主題の断片のようなものが三個ほどあるのかもしれない。
展開、再現、最後のコーダは実に短く、なんだか小爆弾がボッと爆発して湯気が舞いあがり、ハイ終わりっていう感じで終わる。

この曲を完全に掌握しているミスターSは快適に、第1楽章アレグロ、第4楽章モデラートを振る。見ていて気持ちがよくなるぐらい不明確な部分を残さずひたすらインテンポを目指して引っ張る。
崩れそうなフレーズのところでインテンポにもっていく、メロディーラインのよくわからない箇所でのクリアな棒、軽い曲にしては圧倒的な棒さばきと言わざるをえない。
それにこの読響だが、妙に息が合っているというか呼吸が合っているというか、ミスターSの思いのままに音をだしてくれる絶妙のコンビ。

圧倒的にわけがわからないのに結果的に素晴らしかった第2楽章アンダンテ。なんともいいようがない。これは二部形式なのだろうか。よくわからない。なにしろ‘ふし’がない。。
第1主題は明確ながら、第2主題あたりから行方不明。たぶん作曲者本人の頭の中にはあるのだろうが、同じ位相まで追い付かない。ミスターSはしっかりと追体験しているようだ。完全なる共感。
響きが薄く息の短い主題、深み高みを追求するわけではないが、そのドライで真摯な棒はある種崇高なものを感じさせる。この楽章のピアニシモの弦によるエンディングはまわりを静かにさせる見事なものであった。

だけに、第3楽章にはアタッカではいって欲しくなかった。しばらく第2楽章の余韻を楽しみたかったというのが本音だ。第3楽章のスケルツォ、トリオ、スケルツォは規模はだいぶ小さいながらこれはよくわかる。読響の息のあった合奏が一層の響きの美しさをもたらす。

結局、この第0番、ミスターSの路線以外考えられない。明確でクリア、簡潔にしてインテンポ。
ひとつ書き忘れたが、チェロとコントラバス、特にチェロの充実度がすごい。これは前半のブラームスでもいきなり感じたことだが、音圧がものすごく、また動きがそろっており、この厚みがブルックナー0番の薄い管弦楽を支えている。

前半のブラームスの1番。交響曲と変わらないフル編成のオケ。
ティンパニーに導かれた弦の深みは秋深しといったところか。チェロの響きが素晴らしい。
ピアノが出る前に主題が並べられるが、ベートーヴェンの3番のピアノ協奏曲以上の展開だ。
ミスターSは第二主題でぐっとテンポを落とし、その下降するフレーズを落とせるところまで落とす。今までに聴いたことのないミスターSの解釈だ。彼のブラームス感はこんな感じなのだろうか。はたまた、今日のソリストの解釈に合わせたテンポなのだろうか。とにかくいたるところぐっと落とす。味わい深い演奏だ。
それでピアノであるが、一言で言って普段あまり練習をしていないのではないか。才能にまかせて弾いていれば、第2楽章あたりから音楽は充実してきていいものになってはくる。第1楽章は流れないというか、ひと区切りごとの束が細い糸でつながっているような雰囲気で、盛り上がっては盛り下がる、の繰り返し。
でも、自分の音を思い出したのか、しり上がりに音楽が滑らかになる。第2楽章の後半の静けさはホールを支配した。
ただ、どうも特徴のようなものが見えてこない。この交響曲のようなオケの音に飲み込まれてしまうことのない鋭いタッチで迫ってくるが、音のうねりみたいなものがない。何かうるさい演奏というわけでもないのだが、どうもインパクトがあまり感じられない。
この曲は協奏曲ではなくて、半分はシンフォニーのようなものだ。シンフォニーの流れの中で単楽器としてのピアノを表現するのは全体が見えてなければできない。このオケとの合わせが少なかったのか。前日も演奏しているわけで、普通ならずいぶんとこなれてきていいはずだがオーケストラの表現の豊かさ、雄弁さのほうが圧倒的であり、ピアノのほうは自分の出番であまりぱっとしない。
結局、ブラームスのシンフォニーのような本格的な響きは堪能した。
おわり



 

 

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681-フィガロの結婚 プラハ室内歌劇場 上野2008.9.20

2008-09-22 00:10:00 | 音楽

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オペラ前日の華金は、ギフト券をもって九兵衛に行ってみるも、その青天井というか底なしというか暴挙のようなプライスに感動し、つい力なく笑ってしまう。ギフト券はむだであった。二人で一流どころの来日オペラハウス公演の上席を2枚買えそう。今日の公演ならS席を5枚買える。

ここまでして喰らう食い物だ。たしかにうまい。仕込みに時間をかけているのがよくわかる。練習を重ねたオーケストラの音と同じ。。

蒸鮑にバターさえ染み込んでいなかったら100点満点だ。

ということで、青天井には青天井で。というわけでもないが、結局3軒はしご。

連れは疲れない模様だが、こちらは軽いのは財布だけ。身も心も重い。

それで華金翌日。奮い立って夜の上野に向かう。

2008920()18:30-21:50

東京文化会館

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モーツァルト/フィガロの結婚

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指揮/マルティン・マージク

演出/マルティン・オタヴァ

演奏/プラハ室内歌劇場管弦楽団、合唱団

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アルマヴィーヴァ伯爵/イルジー・クビーク

ロジーナ伯爵夫人/イヴェタ・イルジーコヴァー

スザンナ/クセニーナ・ポドルコーヴァー

フィガロ/パヴェル・クレチュカ

ケルビーノ/ヤナ・ドヴォルジャーコヴァー

マルチェリーナ/ヤルミラ・コシノヴァー

バルトロ/イェフヘン・ショカロ

バジリオ/ミロシュ・グチ

クルツィオ/ヨセフ・モラヴェツ

バルバリーナ/リブシュ・ミリュースカー

アントニオ/ミロスラフ・ウラバーネク

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1965年設立、プラハ国立歌劇場、プラハ国立劇場、チェコフィルなどのメンバーからなる40人規模のオケ、10人規模の合唱団。実態ははよくわからないが、こうして来日しているから本物だろうし、最初の鳴りからして、チェコ・フィル等のように弦の一本一本が分解されて、小川を流れるせせらぎのような独特な響きである。ただ、チェコ・フィルのようなベラボーな管ではない。オペラのエンジンかかりにくいノリはわかるがこのオペラはまず序曲をきっちりこなさなければその後のワクワク感がいまひとつでてこないのだ。聴衆のノリもぱっとしない。

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少人数の為かどうか最初はさっぱり音楽の陰影のようなものが見えてこず、これは楽器が少ないためオケとしての音色の出し入れがままならないためだろうが、そんなこといったら聴くほうも贅沢になったものだが、それはそれとしても、歌とオケの縦の線が不揃いなため、指揮者の悪戦苦闘にもかかわらずあまり改善されないまま2幕まできてしまったが、その2幕も終わりに近くなって巨木のような庭師アントニオがでてきたあたりから、なぜか音楽が滑るように生き生きしてきて活気づきはじめた。

すぐに休憩になってしまい流れが止まるかと思われたが、その後の34幕、特に4幕は音楽の力もあり、まずはめでたしと言ったところか。

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休憩といえばとんでもない休憩。

この4幕もので1回しか休憩がないという暴挙。

最近フィガロを観たのはいつだったか記憶にないが、昔、メト座の河童の頃は、しっかりと3回休憩をとっていたものだ。公演の夜中終了はメトでは当たり前。

それでこの日はどうかというと、

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680-飛び石連休前の華金はどちらへ

2008-09-19 12:30:00 | 銀座にて

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また週末がやってきました。

今週末はオペラひとつ、コンサートひとつ、の予定です。

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おや、クラキチさん。

また深夜営業のお店をひとつアップしたようですね。

銀座のレサシエル、バー&ビストロ。

なんかよさそうじゃないですか。

演奏会のあとはここによってみましょうか。

この週末は天気が良くないみたいですが、テレビ、騒ぎすぎですね。テレビの台風ニュースは、特に民放は、完全に昔のアメリカのマネ。本当にまねることが得意な民族です。

なんで、毎度毎度こんなにお祭りみたいに騒ぐのか。脳の思考が停止状態なんだろうね。

駅のホームの五月蠅いアナウンスも限りなくどうしようもないが、民放のワンパターンなニュースの五月蠅さに比べればかわいいもんだ。口から生まれた口太郎みたいなアナウンサーがなんと多いことか。あと、大衆迎合アナとかね。

皆さん、ニュースは消音で観ましょう。

そうすればだんだんとテレビに関心が薄れていきます。

テレビの時代じゃないよね。。

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679-ホルスト・シュタインのパルジファル第3幕 1998.2.18後記

2008-09-19 00:10:00 | 音楽

コンサートの醍醐味は、音響の迫力、響きの美しさ、あるときは形式感への集中、また指揮者の演奏解釈の理解、など尽きるものは無い。

また始まるまでの事前準備としての精神の高揚、コンディション作り、体調管理、なども怠ってはいけない。

そんな中、一番楽しいのは終了後の感想の述べ合い、言い合い。それも場所を変えて、一杯飲みながらの歓談が一番楽しい。

NHKホールなら、21時頃に終了したあと、その日が金曜日であればゆっくりできるので、小1時間ほど、塔レコやHMVでCDを物色する。ここには同じようにコンサートを聴いてきた連中が余韻を楽しみながらうじゃうじゃと歩き回っている。NHKホールの延長のようだ。

そしておもむろに、感想を述べ合う場所に向かうのである。渋谷なら、あすこかあすこ、盛り上がりたいときはタクシーで六本木のあすこかあすこ。

そして、まずはビールから。

静かな悪友S

「河童さん、今日の演奏はどう感じましたか。」

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河童

「そうですね。水も滴るいい演奏でしたね。シュタインもよく立ったまま棒を振り切りました。さすがにバイロイトで活躍しただけの根性は今でも健在のようですね。」

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S「はいはい。私も同感です。」

.

河童「それでは、乾杯しましょうか。」

「乾杯」

「今日のN響定期は、パルシファル第3幕というユニークなものでしたね。」

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河童

「第1,2幕を昨晩、頭の中でシミュレートしてイメージを作り上げておきました。」

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「そうですね。いきなり第3幕からというのは、ちょっとつらい。」

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河童

「でも、パルジファル全曲で私が一番強く感じるカタルシスはあすこなんです。

つまり第3幕の練習番号252の一小節前から聖金曜日を導くティンパニの5つの音。

あんなにシンプルで雄弁な音楽はめったにあるものではない。

あすこまでいきつくのにオペラ公演であれば、休憩も含めて4時間半ぐらい我慢しなければなりませんね。」

.

「ごもっとも。今日は3幕のみでしたから、30分ぐらいですぐにたどり着きました。

それにしても素晴らしい1時間20分でした。

N響のヴァイオリンの高音がホール全体にみずみずしく響きました。

私は久しぶりにワーグナーの音に感動しました。」

.

河童

「シュタインの足はかなり悪そうだし、棒もほとんど10センチ四方しか動かない。

それでどうやれば合計200人にもおよぶオケと合唱団とソリストたちを圧倒的にコントロールできるのか。

何故あんなに素晴らしい音楽を作ることが出来るのか。

聖金曜日が鳴り渡り、オーボエがソロを奏でるあたりで河童の目も皿も、もはや真っ赤。

そして、春になると畑や小川の小さな誰も見えない場所から雪が解け始め、ガサッという音とともに、小さくくず折れた雪の下には既に早春の草花が芽をだしている。

地面からは春の陽射しとともに、湯気のようなものがたちこめ、小さな草や花がめでてくる。

少年は学校の行き帰りその目線で、そのような変化を感じ取り、一日一日の違いを走り抜けていた。そのような決して戻りこぬ昔の懐かしい思い出。それは夢か現実か。

我々は救われるのか。。

私の体は終結部にむかって固まってしまった。

そして、歌いきったパルジファルのポール・エルミングはパルジファルその人となり、終わっても頭を抱え込んだままいすに座って動かない。

なにもかも本当に聖金曜日の不思議だ。

あぁ、全ての苦悩は取り払われてもシュタインの足は癒えないのか。」

.

「ままぁ、ままぁ、河童さん、酔いのせいか少し舌が饒舌になってきましたね。」

.

河童「はっ。」

.

「河童さん。正気に戻りましたか。

私も今日のパルシファルには心から感銘を受けました。

シュタインがそこに存在するだけで音楽は生き返りました。

やはり圧倒的アルチザンでした。私も同じく泣けました。」

.

河童とS「今日は泣き上戸に乾杯。」

.

河童

「ところでSさんはバイロイトやメトまでわざわざワーグナーを聴きに行くほどの猛者だとうかがいましたが。」

.

「ワグネリアンというほどではないですが、そこそこかなり好きです。」

.

河童

「リングの公演はバイロイトで見ましたか。」

.

「バレンボイムのを見ました。メトにも行きました。日本での初リング・サイクルも見ました。」

.

河童

「それはすごい。

Sさんはワグネリアンと呼ばれるのを嫌がってるみたいだし、日本のワーグナー協会にもはいってないでしょう。

孤高の趣味、といったところでしょうか。」

.

「そうですね。あまり縛られたくないし、あくまでも個人的なものです。」

.

河童

「なるほど。

メト座の河童はメトのリングサイクルのうち最初の年のワルキューレしか見てないのですが、もう少し長く棲息していれば、一緒に見れたかもしれませんね。」

.

S「そうでしたか。」

.

河童

「私は明日もこのパルジファル見る予定です。」

.

「私は今日ので精魂尽きてしまいました。明日は仕事に精を出します。

ところで、ここはいいお店ですね。渋谷からタクシーできた甲斐がありました。特にこの〆鯖。」

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河童

「はい。〆鯖は河童の好物で、ここのはとくにいけるんです。」

N響定期

1998218()19()

ワーグナー

舞台神聖祭典劇「パルジファル」第3(演奏会形式)

ホルスト・シュタイン指揮

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3幕のみ演奏会形式で行われたパルジファルの公演は両日とも聴いたが、今まで聴いたことも無いような圧倒的な演奏であった。特に2日目は神がかり。

初日はいつも通りNHK-FMライブがあったはずだが、あの音は現場でしかわからない音だと本当に思った。

おわり

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678‐二日目 パルジファル第3幕 ホルスト・シュタイン N響 1998.2.19

2008-09-18 00:10:00 | 音楽

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昨日はホルスト・シュタイン指揮N響によるパルジファル第3幕の定期初日の模様であったが、今日は二日目の模様。といっても、心の模様のような感想文だ。

1998219()7:00pm

NHKホール

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ワーグナー/パルジファル第3

 (演奏会形式)

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ホルスト・シュタイン指揮

NHK交響楽団

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パルジファル/ポール・エルミング

グルネマンツ/マッティ・サルミネン

アンフォルタス/ヴォルフガンク・シェーネ

クンドリ/押見朋子

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合唱/二期会合唱団

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聖金曜日のあとに、オーボエがソロを奏でるあたりで、私の目はもしかして真っ赤になり、泣いていた。

春になれば田んぼや小川の小さな誰も見えない場所から雪が解けはじめ、がさっという音とともに小さくくずおれた雪の下にはすでにふきのとうが芽を出している。

そして地面からは春の日射しとともに湯気のようなものがたちこめてくる。小さな草や花が芽出てくる。

子供の頃、学校の行き帰りにその目線でそのような微妙な変化を感じとり一日一日の違いを走り抜けていた。

そのような決して戻り来ぬ昔の懐かしい思いで、それは夢であったのか。

今となっては二度と戻ることのできない遠い昔の美しい思い出の数々。

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私の体は途中から固まってしまい動かなくなってしまった。目だけゆるむのである。

作曲家がどんな気持ちでこの曲を作曲し、今日の演奏家がどのような気持ちでこの曲を演奏していようとも、私は遠い昔をこんな美しい思い出を夢のように思い出させてくれた今日この日に感謝したい。

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上には上があり、そしてもっと上があったのだ。

N響は昨日が、ワーグナーのバイロイトからの霊感で演奏したのであれば今日はそれを100年間醸造したコクのあるまろやかなブランデーのようにしたものを付け加えた様な演奏であった。

滑らかであり、一日でこんなにこなれた演奏になるものなのか。

3人の巨大な巨人族に囲まれたシュタインがほとんど神がかり的な霊感を発した。

気がつくとこんなにこなれてすべるような演奏なのに気がついてみたら昨日よりさらにおそい1時間25分という時間を費やしているではないか。

時間だけで測っても良いが、物理的なときの流れがこんなに空しかったことはない。

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歌い終わった後、パルジファルになりきったエルミングが頭を抱え込んで椅子に座っている姿が印象的であった。それにN響の、最後のフォルテシモからピアニシモに消えいるように推移するフレーズの指揮者から与えられたアクセントを冷静に、そして高ぶりを抑えきれないようななんとも言えない演奏も、私の頭に深く刻み込まれた。

パルジファルは大きな子供。なにもかもがピュアな夜だった。

おわり

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677‐初日 パルジファル第3幕 ホルスト・シュタイン N響 1998.2.18

2008-09-17 00:10:00 | 音楽

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昨日のブログにドレヴァンツ指揮によるN響の2008-2009シーズン初日の模様を書いたが、演奏会に先立ちホルスト・シュタインを追悼しバッハのアリアが演奏された。

また、N響の小冊子フィルハーモニー9月号をロビーで手に入れたが、こちらにもやはり727日に亡くなった同氏のことを紙面を割いて書いている。

個人的にもホルスト・シュタインはN響だけでなくわりと聴いている。

N響冊子フィルハーモニーによると、シュタインがN響定期に初登場したのが19732月、最後に登場したのが19982月。

個人的には最初から聴いているような気がするが、特に印象に残っているのは、「英雄の生涯」、「運命」、「パルジファル第3幕」など。

最後となったパルジファルは両日とも聴いた。

1998218日、19日である。

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2008-2009シーズン、N響はシュタイン追悼からはじめたことになるが、自分にとってもシーズンがはじまったばかりであるが、あのときのパルジファルについてメモ書きをアップしてみようと思う。1819日分を二日にわたって。

()この12月にはベルリン・ドイツ・オペラが来ていた。また、前年199711月にはバレンボイム率いるベルリン国立歌劇場が来日しており、1116日には演奏会形式のパルジファルが上演された。このとき、パルジファルのポール・エルミングはキャンセルしている。そんな前提での文章です。

1998218()7:00pm

NHKホール

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ワーグナー/パルジファル第3

(演奏会形式)

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ホルスト・シュタイン指揮

NHK交響楽団

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パルジファル/ポール・エルミング

グルネマンツ/マッティ・サルミネン

アンフォルタス/ヴォルフガンク・シェーネ

クンドリ/押見朋子

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合唱/二期会合唱団

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正直なところ上には上があるものだ。

これで、バレンボイム/シュターツオーパー・ベルリンのショックから抜け出せる。

シュタインの見るからに痛々しい足の運びで、指揮台を上り下りする姿にはなにかやりきれないものがある。

しかし、直立不動で、わずか上下10センチ幅ぐらいの手の振りで、この200人におよぶと思われるオーケストラ、合唱それに3人の絶品ともいえるソリストたち、全てをコントロールしてしまう姿は、指揮者という存在感そのものが音楽を作り出しているのだということを痛切に感じさせる。昔バイロイトにその名をとどろかせた主なのだ。

それに今日のN響は一体どうしたことか。

まるでワーグナーの霊感をバイロイトから運んできたようなくすんだ、しかし透明で、地の底から湧き出てくるような音ではないか。

一体どうしたというのか。

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バレンボイム/シュターツオーパー・ベルリンのときは風邪で歌えなかったエルミングが、透き通る声で素晴らしい。ピアニシモの高音が異常にさえている。

サルミネンは来日していたベルリン・ドイツ・オペラの延長で居残って歌っていると思われるがメリハリの効いた音は低音にあいまいさを残さない。

それにシェーネという初めて聴く歌い手もアンフォルタスの死にきれないもがきをよく表現できている。歌もベスト。

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3幕、単旋律の音符の上げ下げからさりげなく始まり、弦のぶ厚い響き、ブラスの地鳴りのようなハーモニー、そしてウィンドの美しいソロ。

今日のN響は一体どうしたというのか。

何が起ったのか。

全員がワーグナーのうねりの中にはまりこんでいく。

自分たちが出している音自身がうねりとなり同じ楽団員を共鳴させ、感動させ、うちふるえながら演奏しているのだ。

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ジャスト1時間20分の演奏であったが、ワーグナーの全てを聴いたような錯覚に陥ってしまった。そもそもこの1時間20分自体かなりの長さではある。しかし、緊張感が全体を支配しておりみんなうちふるえている。

このような身を任せることができるような演奏、感動にまた会うことができるのであろうか。聴いて良かった。生きてて良かった。

これだけの苦悩から解放されてもシュタインの足は癒えないのか。肉体の老は無情だ。

おわり

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676‐この時期著名な指揮者はこない。N響定期シーズン初日2008.9.13

2008-09-16 00:10:00 | 音楽

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N響も秋シーズン開始。

今日が最初の定期。その定期の初日の方に出かけてみた。

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2008913()6:00pm

NHKホール

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ホルスト・シュタインさんを悼して

バッハ/組曲第3BWV.1068から「アリア」

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デニゾフ/絵画

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マーラー/交響曲第5

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ハンス・ドレヴァンツ指揮

NHK交響楽団

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最初に、今年亡くなったN響名誉指揮者ホルスト・シュタインを悼してバッハのアリアが演奏された。

シュタインはN響に1973年から1998年まで断続的に来日。

個人的にもずっと聴いていた感がある。

特に覚えているのが「英雄の生涯」、「運命」、そして1998年最後の来日の折に演奏された「パルジファル」第3幕、これは両日とも聴いた。ハートが昇天してしまいそうな演奏で明日にでもブログにアップしようと思う。

こうやって思い起こしてみるとカイルベルト同様有無を言わせぬ一筆書きのような押しの強さ、そして音楽が曲がらない芯の強さ、バイロイトで名をはせたワーグナーの息の長い見通しのきいた演奏、やはり見事の一語に尽きた。

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ということでアリアをしんみりと聴いて昔のことを思い出したそのあとが、本日のメイン。

マーラーの5番の第2楽章後半にある輝かしいブラスの強奏によるファンファーレはオーケストラを聴く醍醐味。快感以外のなにものでもない。

ティンパニが全体に張り切り過ぎで耳触りの局面もあったが、強打ではなく芯の音を聴かせてほしいといったあたりのこともあるがおしなべてフル強奏の醍醐味は味わえた。そのファンファーレに前進性はないもののN響の能力の高さを証明するには十分。

1楽章から5楽章まで同じような印象。

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前進性がないのは指揮者のせいである。

今はやりのこまかいアーティキュレーションをつけた演奏ではなく実にあっさりとしている。流行に乗り遅れたといえばいいすぎか。80に手がとどくのにマーラーの曲の棒を振れるんだよと言っている感じ、といえば言いすぎか。ブーレーズのようなスタンスはない。

なんだか重い。昔はこのような演奏で十分だった。だいたい聴けるだけで幸せだった時代もある。その時代を今に持ってきたような演奏は確かに、悪いけれど、古い。

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1楽章の第2主題のあっさりとした‘いり’。第2楽章へはアタッカでも何でもなく、一服置いて、さて。と言った感じ。N響の高みが指揮者をフォローしている。

ここまでなら、第2楽章のファンファーレの素晴らしさと帳消しで良しとしよう。

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675-ふるいたつブル9は流れの悪い未完成から ハルトムート・ヘンヒェン 日フィル2008.9.12

2008-09-15 00:10:00 | 音楽

1

秋のコンサートシーズンが始まった。

ちょっと汗ばんだりして秋のクールさはまだ実感としてはあまりないが、それでも演奏会場を出る頃にはちょうどいい風が吹きはじめた。

639-以来、2か月ぶりのコンサート

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2008912()7:00pm

サントリー・ホール

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シューベルト/未完成

ブルックナー/交響曲第9

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ハルトムート・ヘンヒェン指揮

日フィル

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これらの曲の組み合わせで即座に思い出すのは、

20001114()

ギュンター・ヴァント指揮ハンブルク北ドイツRSO.

三日間連続同曲公演の最終日であった。

ひたすた剛直な演奏の中に妖しいしなやかさを秘めたヴァント究極の演奏であったが、日本に単独で来て、国内のオーケストラにブルックナーの解釈を移植しなければならないという条件ではなかったわけで、その分、日常のしなやかさが表現できていたのだと思う。

遠い昔N響への客演の折のブル4を思い出した。解釈というよりも、伝統の移植といった感じで、一人で遠い地まで来る意味の深さを思い知らされたコンサートだった。

それこれの模様はいつか書くことがあると思う。

今日は日フィルの秋シーズン初日だ。

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ヘンヒェンという指揮者ははじめてみるが、大柄でわりとエネルギッシュな振りだが、大げさ感はなくいたって普通の棒だ。

選曲を見る限りそれ相応の自信、確信がなければ振れない、振ってはいけない曲たちだ。。

結果的には、

流れの悪い未完成が久しぶりにふるえたブル9をもたらすことは見えた。両曲とも見事であったヴァントの高みまで駆け上がってほしい。

といったところか。。

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未完成は難しい。

2楽章練習番号Eのフォルテッシモをピアノで始めるムラヴィンスキーの技は天才のひらめきとしか言いようがないが、普通の路線で、美しさを求めるか、形式を求めるか。

ヘンヒェンは両方求めて失敗したのではなく、形式を求めた。それ自体はいいのだが未完成の流れがないがしろにされた。

12主題を明確にして、対比感を出し、曲を立体的に掘り進める路線はよくわかる。縁取りをクリアにし曲の構造に光をあてる。

でも、流れない。だから流れないともいえるが、主題の転換部分、フレーズの変わり目で音楽がとまる。立ち止まってしまうのだ。もう少し流れる未完成が聴きたかった。

ただ、この路線でブルックナーをやるとたぶんうまくいきそうな気配はあった。

両方すごかったのがヴァントということになるのだが、それはそれとして。。

ブルックナー特有の三つの主題の提示はだいたい唐突というか明確にわかれていればいるほど曲の転換点がクリアになり見事な立体構造物のようになるのだから、未完成でみせた解釈を推し進めればよい。

ヘンヒェンは明らかにこの曲が得意と思われる。第2楽章の棒さばきを見ていればわかる。自信確信に裏打ちされている。譜読みも丹念に行われているようだ。

スケルツォにおける音の粒立ちのよさはオーケストラの能力も示しているが、見事な呼吸の棒でありオケとの一体感がある。ソノリティーとダイナミックスがバランスしていて曲の力を感じる。未完成ではホルンのバランスに少し違和感があったが、ここではそのようなことはない。

トリオにおける弦の透明な響きとウィンドの空虚な響きも音楽の歌を感じさせるに十分。

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ブル9は二短調。第1楽章からどうもやりづらいというか聴きづらいというか、音楽が終始安定しきらないような調だ。未完成であるということ以外に、この調の不安定感、この曲特有なものなのかもしれないが、どうも8番までとは異質と感じる。

ヘンヒェンの速度感は一般的な演奏と少し異なり、普通ならテンポを落としこむような場面で、急きたてるように推し進めることがあるが変なはみ出しではなく、その解釈は納得させるものをもっている。ここらあたり、シューベルトにもあてはめてほしいものだ。

ホルンとワーグナーチューバの響きは圧倒的だが、こすりつけるような弦のぶ厚さがそれに負けない。日フィルの充実した演奏。ホルンのソロは細くホールを包み込むようなサウンドではないが、チェコ・フィルなんかも同じで細さが不安定感を生むわけではなく、むしろ音楽に繊細さを与えている。日フィルのホルンにもそこらあたりを求めたい。

いずれにしてもあっというまの第1楽章24分であった。ヘンヒェンが全体の見通しを立てながら曲を構築していっているのがよくわかる。

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2楽章は前述したとおりで、出色の12分。

さて、本当はここで終わりではない第3楽章アダージョ。

このアダージョ楽章は、聴いていてたとえば第7番アダージョのようにa-b-a´-b´-展開~といった切り分けがうまく出来ない。だいたいにおいて第1主題と思って聴いてる出だしのフレーズであるが、途中からいきなり全奏によるフォルテシモが爆発するのである。そしてトランペットがピアニシモの和音で締める。不思議なアダージョ楽章。

ヘンヒェンのコントロール、見通し感はここでも見事。なにやら変奏曲の趣きでこの楽章を進める。変奏曲風であるからか曲想が少しずつ変化するたびに演奏のほうは盛り上がってくる。シンプルなリピートでさえ続ければその積み重ねが結果としてあらわれる、そんな感じ。

そしてなによりも、彼の自信があらわれていたのが、あまりにもあっけない幕切れ。

その前に、コーダにはいる前に、ウィンドによる不協和音が音を切りながら長々と続くが、ここをどのように演奏するか。スタッカート風に切っていく指揮者。ヘンヒェンのようにテヌートで進める指揮者。そのテンポもあわせ多種多様。ひとつの聴きどころではある。

ゆっくりめのテンポでテヌートで進めたヘンヒェン。さぞかしコーダも粘ると思いきや。ワーグナーチューバと弦のかけあいはあるものの必要以上に味わい深くなることを意識して避けているかのように、、

そして、、

さっと終わった。

このコーダのあっけなさがヘンヒェンのこの曲に対する自信のほどを物語っている。

この曲はまだ終わっていない。

まだ先を振るべきだ。

そのような構築物だ。

そのようなことを思い起こさせるに十分な印象的な結末。

お別れの曲ではない。見事な解釈。。

25分ぐらいかな。

サントリーホールでの演奏。

2階LD席中央寄りの席に座ったのだが、なんだか音が以前よりいい。ホールの鳴りがいい感じがした。もともと一階席で通過する音よりも、2階席のほうが音像の焦点が合う感じがあり気持ちのいいサウンドを味わえるのだが、以前に増して情報量が多くなったように感じた。昨年の改修のおかげだろうか。改修後に何度か聴いたが、その際も少し感じたことがあるが、今年は音がさらに馴染んだのか2階席のやや奥の席なのに、眼前にオーケストラの音が迫ってくるようなところがあった。演奏のよさもあったと思うがなかなかいい感じになってきた。

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674- ニューヨーク・フィルハーモニック 2008-2009シーズン・オープニング・ナイト・ゲイラ

2008-09-14 13:28:09 | 音楽

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芸術の秋が始まりましたが、日本のオーケストラの場合、初日になにか催しものがあるわけではなく、ワクワク感もなくただなんとなくはじまってしまう。

さて、ニューヨーク・フィルハーモニックのオープニングもまもなくです。こちらはイベントという感じがあります。それにマゼールがこのシーズンで終了。一段と燃えあがることでしょう。といっても早くアラン・ギルバートになってフレッシュな演奏を聴きたい、といったところが正直な思いではあります。

2008917()

ニューヨーク・フィルハーモニック

オープニング・ナイト・ゲイラ

音楽監督ロリン・マゼール

グランド・フィナーレ

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ロリン・マゼール指揮

サー・ジェイムズ・ゴールウェイ、フルート

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ベルリオーズ/ローマの謝肉祭、序曲

イベール/フルート協奏曲

チャイコフスキー/交響曲第4

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エイヴリー・フィッシャー・ホール

ブラック・タイ

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6:007:00pmレセプション

7:30pmコンサート

ディナーはリンカーン・センター内テントにて団員が案内

ゴールウェイは少し違和感がありますが、あとはマゼールらしく派手にならべて初日を盛り上げる。そんな感じです。

オープニング・ナイトの前は、92日のルツェルンの音楽祭への出演からはじまって、12日ボンのベートーヴェンホールでのブルックナーの8番まで、ずっとヨーロッパ旅行。

だからわりとあわただしいオープニングではありますが、こんなこと慣れっこ。

そして、オープニングの翌日からは全く別プログラムで定期を開始。例の一プログラム4日間のパターンの始まりです。

9/18,19,20,23

スティーヴン・スタッキー/ラプソディーズ

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3

 イエフィム・ブロンフマン、ピアノ

ラヴェル/マ・メール・ロア組曲

バルトーク/不思議なマンダリン組曲

それではみなさん

がんばりましょう。

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秋シーズンスタート2008-2009シーズン

2008-09-14 11:28:29 | 音楽

芸術の秋が始まりました。

演奏会、オペラの模様を順次アップしていきたいと思いますが、なかにブレイキング記事を書いたりするかもしれません。

この前まで書いていた1983-1984シーズンの聴いた演奏会、観たオペラは一服です。トップページの左側にリンクをまとめてありますので、今までの分はそちらからご覧くださいませ。

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673-芸術の秋は華金からスタート

2008-09-12 00:10:00 | 音楽

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いよいよ華金。もとい。。

いよいよ芸術の秋。

本日華金より音楽の秋もスタートです。

今日の演奏会の模様はまた別にアップしたいと思います。

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お花見も演奏会も同じようなもんで、お酒飲みながら夜桜見物、とはいきませんが、とりあえず、先にお花見して、お酒はそのあとで。ということで。。

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