河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

809- ヘナハンの評 クラムとナッセンHorizon’s 1984 Festival 1984.6.7 HF-9.1

2009-04-09 00:10:00 | 音楽

1983-1984シーズン聴いたコンサート観たオペラの一覧はこちら

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前日のホライゾン1984の評が日をおかずさっそくニューヨーク・タイムズに載った。

言葉も内容も恐ろしいへナハンさんの評。

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198468()

ニューヨーク・タイムズ

ドナル・ヘナハン

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質はいつでも量を打ち負かす。悪いことに、プログラム・ビルダーにとって、わかりきったことを認識する、あるいはとにかく行動を起こすというのは難しいものだ。

エイヴリー・フィッシャー・ホールにおける昨晩のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会は、演奏時間を合計しても約1時間のものであったが、全ての瞬間が重要なものであった。

オーケストラによる‘ホライゾン1984’シリーズ第8回目のプログラムは、世界初演となるジョージ・クラムの‘魅入られた情景’と、オリバー・ナッセンの合衆国初となる完全演奏会版のオペラ‘ワイルドなもののあるところ’。

両曲とも注目にあたいする作品で、おそらく、繰り返し聴くのに耐えられるだけのものがある。

ズービン・メータが、肘の手術から戻ってきてナッセンの曲を振った。その指揮ぶりは休みの間、あたかも電池を充電していたようなものであった。そして、納得。グラインドボーンその他で演奏されているモーリス・センダクのリブレットによる子供たちのファンタジー1幕物オペラは、メータ氏がいつも大いに楽しんでいるようなある種技術的挑戦に富んだものであった。

ナッセン氏の音楽は、いつも人を安心させるようなシンプルなものである。しかしそれはとんでもない。たくさんのパーカッションを伴った輝かしいスコア、それは、ムソルグスキー(‘ボリス’や‘子供部屋’サイクル(河童注:合唱曲))やラヴェル(‘子供と魔法’)やドビュッシー(‘おもちゃ箱’)による子供たちについてのほかの作品への言及を伴って重なるものだ。普通目立たない方法で。

舞台の効果なしで、オペラの魅力や不思議な雰囲気を全て表わすことはできないけれども、ナッセン氏の音楽は良い作品であることを証明していた。それは行儀の悪い子供たちのことに関係しているので、当然ながらいつも騒々しいものであり、抒情的な瞬間に不足している。その点において、それは当然の如くその時間の子供たちのことだ。

カレン・バーズレイによって突進するおてんば娘の役割を演じたこのオペラの悪がきマックスのように、ナッセンは大騒ぎすることで子供たちの喜びをあらわした。そしてそれはうまくいった。この成果を大いに助けたのが、キンボール・ホィーラー、ウィリアム.・シャープ、ケヴィン・ディーズ、クレイグ・ニム、ケニス・ベルらにより歌われた気難しくて文句をいうような感じの‘ワイルドなもの’彼ら自身であった。声は全てアンプを通している。スコアは舞台バージョンではそのようなリクエストを何も示唆していないが。

バーズレイ女史は魅力的なマックスであった。自分を崇拝し、‘ボリス’の戴冠式音楽の緊張感のように王に王冠をのせるような、恐ろしくワイルドなものを支配する幻想的な国に航海する子供のようだ。彼女のコスチュームはみごとに男のようだ、役の割には少しフォーマル(ディナー・ジャケットに赤いタイ)であるけれども。しかし、気にすることはない。彼女は笑われる様にはみえないソプラノの声をもった印象的な女優である。この役は彼女の才能のために書かれたように思える。

クラム氏の‘魅入られた情景’、不吉な予感で満たされた18分の作品は、バルトークの‘野外にて’組曲、の手法で夜想曲風に作られたものである。それは過去の作品でかなりしばしば彼が奮いおこしたムードの音楽である。作曲者によるプログラム・ノートによると、曲のタイトルは、地上の特定の場所がミステリーのオーラで満たされている、という感覚を反映しているものだそうだ。

(訳途中)

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