河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2105- モツ5、モツpf協24、中村紘子、幻想、飯森宣親、東響、2016.4.30

2016-04-30 22:42:16 | コンサート

2016年4月30日(土) 2:00pm ミューザ川崎

モーツァルト 交響曲第5番変ロ長調   3′2′1′

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番ハ短調  14′8′9′
   ピアノ、中村紘子

Int

ベルリオーズ 幻想交響曲  13+7+15+6+10′


中村さん、病気療養から復帰、最初のコンサートということで出向きました。
テンポが一定せず不安定なもので、今ひとつ覇気も感じられませんでした。試運転的な演奏会であるとすれば、いたしかたがないような気もしますが。
第2楽章は速めに進んだが、速くなったり遅くなったりでどうもモーツァルトに入り込めない。終楽章は逆にびっくりするぐらい遅めのテンポで入りましたが、やはりちぐはぐと変わる。音価レングスもまちまちでした。結局、最初の楽章が一番良かった気がします。

伴奏の指揮は、1曲目の5番とこの協奏曲、これまた国内指揮者の流行病なのか棒を持たない。協奏曲では棒を持たない人は相応におりますけれども、彼の場合、ほかの人の場合も、持たないメリットが感じられない。むしろデメリットの方が大きいのではないか。棒を持った幻想の切れ味とモツ5のぼやけ気味なものと、もう、一耳瞭然ですから。
おわり


2104- スコットランド×3、準・メルクル、新日フィル、2016.4.29

2016-04-29 21:35:31 | コンサート

2016年4月29日(木) 2:00pm サントリー

ドビュッシー 民謡の主題によるスコットランド行進曲  5′

ブルッフ スコットランド幻想曲 序+Ⅰ=8′、Ⅱ+Ⅲ=13′、Ⅳ=8′
  ヴァイオリン、豊嶋泰嗣
  ハープ、平野花子

Int

メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調 スコットランド  13′4′10′9′

準・メルクル 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


スコットランド3連発。
メルクルは身体が軽そうで切れ味鋭い。エネルギッシュで颯爽としている。どのオーケストラを振ってもオケがリフレッシュされるようだ。
とはいえ、新日フィルにはもっともっとガッツが欲しい。指揮者に良く応えてはいるのだが、自分たちが満足してしまうのではなくて、その気持ちをもっと音に変えてほしい。
メルクルがPMFを振って幻想をやった時のPMFのような気の持ちようが欲しいですね。
新日フィルにはもっと貪欲になってほしいものです。
サントリー、トリフォニー両方スペシャルな席を持っているのですが、たまにものすごくいい演奏の時があるのだが、その時のテンションをどの演奏会でもみせてほしい。
おわり


2103- ワルソー、ルル、ブラレク、ノット、東響、2016.4.24

2016-04-24 23:00:00 | コンサート

2016年4月24日(日) 2:00pm サントリー

シェーンベルク ワルシャワの生き残り    6′
  バスバリトン&語り、クレシミル・ストラジャナッツ
  男声合唱、東響コーラス

ベルク 「ルル」組曲   16′4′2′3′9′
  ソプラノ、チェン・レイス (3,5曲目)

Int

ブラームス ドイツ・レクイエム  12′13′10′6′8′11′12′
  ソプラノ、チェン・レイス
  バスバリトン、クレシミル・ストラジャナッツ
  合唱、東響コーラス

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団


前週の素晴らしいコスモプロに続きこの日も意欲的なプログラム。やる前から2時間半ロングだろうなとだいたいわかる。
音楽監督を2026年まで延長となったノット、あまりに素晴らしすぎるプログラム連発で声にならない。振り返るとブーレーズのノーテーションなんか忘れ難いですね。ノットは東響に決まるもっと前に、N響を振ってショスタコーヴィッチの15番をやったことがあり、まぁ、あれとはだいぶ様相が変わってきた。とはいえ、ヨッフム、シュタインの流れで随分昔からバンベルク響のCDをこつこつ買ってきた事を色々と思い起こすと、SACDのシューベルトのシンフォニーを出るたびに揃えてきたことなどを、それなりにこれはこれで良い話だったとちょっと感慨に更ける。
2026年まで延長とはいえ、もはや既に果実のようなプログラムと演奏で今更何も言うことは無い。

1曲目のワルソーはショートピースで非常に緊張感に富んだ曲。最初からテンションあげてやらなければいけない。大変だと思います。真っ暗な色彩のトゥエルヴトーンがシリアスな内容に良くマッチしている、なによりも最初からトップギアのオーケストラと合唱が素晴らしく締まりの良いものでシェーンベルクの脳内細胞を照らし出す。語りと歌のストラジャナッツも負けじと進行。深刻な内容ながらベクトルの方向性が一致しシナジー効果満点。音楽は暗くても先に進むものだ。ノット棒全開です。

2曲目はルル組曲。オペラはエキセントリックなものですが、ロングな1曲目を聴き進むうちにそのオペラに中に吸い込まれそうになる。緊張感だらけのオペラの雰囲気がよく出ている。組曲をシンフォニックなものとせず、長短バランスのあまりよくないこの組曲をそういったものを気にせず中に入り込んでいっている、これも見事な棒です。3曲目のルルの歌のルイス、彼女もいきなりのハイテンションで、もう、歌う前から劇の中をさまよっている。いきなり同化が凄い。ルイスはルル全曲いきなりでも出来そうなスタイリッシュで正確なシンガーでした。魅力的です。
最後の5曲目まで息をつく暇もない。ベルクのややドライ風味な味わいと、このオペラにはウェットな味わいもありそれがなにか冷静に横から眺めているような雰囲気を漂わせてくれる。

これら前半2曲で十分なおなかのふくらみとなりました。曲を終えるごとに、う~んと感嘆するしかない。
この2曲を歌ったレイスとストラジャナッツそれに東響コーラス、これで、このテンションを保持させた状態で、後半ブラレクに突入しなければならない。もちろんオーケストラもそうです。指揮者のノットには力がみなぎっておりますね。

前半は真っ暗な作品ですけれども、その暗さを見事に表現したということよりも、なにか、作品の力を照らし出した、そのような印象が濃い。むしろ、明るい。東響の能力の高さがそのように思わせているのかもしれない。ちなみに、このオーケストラ、ノットと他の指揮者の時と気の張り具合が違いますね。選曲によるところもあるかと思います。あと聴くほうの、のめり込み具合ももちろんあると思います。

ブラレクはこれまた真っ暗な作品で、節(ふし)は相応にあるものの、曲想はハーモニーさえあればあとは要らないとブラームスが言ったかどうかわかりませんけれど。素材だけが並べられているようなこの作品を聴かせてくれるには、前半同様、プレイヤーの腕が相当高くなければなりません。ノットはこのタイミングでベストな演奏を展開してくれたと思います。解像度が高い。うったえてくる力が凄いですね。エネルギーの放射を感じます。
譜面なし、立ちっぱなし、歌いっぱなしの東響コーラス、波打つ高機能オーケストラの歌。もう、何も言うことは無い。
ブラレクをこうやってあらためて聴いていると、4曲目を中心にしたアーチ型構造と言うよりも、終曲第7曲はむしろコーダのように聴こえてくる。その前に前半3曲と後半3曲がまとまっている印象です。
それにしてもいくらレクイエムとはいえ、これら7曲のテンポ設定。
かなりゆっくりと―ゆっくりと―アンダンテ・モデラート―速度に動きをもって―ゆっくりと―アンダンテ―荘重に、

これに前向きに向き合って緊張感を1秒たりとも切らせず最後まで聴かせてくれたノット棒は凄いもんです。ブラームスの内面を照らし出した見事な演奏だったと思います。

拍手は、最初無く。そのうちじわじわと少しずつ、放心状態から解放されたように少しずつ湧き始め、だんだんと盛り上がりをみせつつ、ブラボーも混ざり始める。いつものどこぞの2千円ブラボーとは真逆の進行で感興を表現。聴衆の反応のさまも見事でした。
いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり


2102- ブリテン、VnCon、庄司紗矢香、惑星、インキネン、日フィル、2016.4.23

2016-04-23 21:32:22 | コンサート

2016年4月23日(土) 2:00pm サントリー

ブリテン ヴァイオリン協奏曲Op.15  10+8+15′
  ヴァイオリン、庄司紗矢香
(encore)
スペイン内戦時軍歌  アヴィレスへの道  2′

Int

ホルスト 惑星 8′9′4′8′10′6′8′
  女声合唱、東京音楽大学


ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(トーク・アフター・コンサート)
ピエタリ・インキネン  7′


ブリテンの若いときの作品は、以前きいたピアノ協奏曲の時も感じましたが、いかにも若作りと聴こえてきてしまう。ピアノ協奏曲もヴァイオリン協奏曲も若いと言いますか、なんだか散らばっていくような曲で、ドライ風味が強くビリヤードの最初のショットみたいな雰囲気に拡散していきとりとめがない。そういったものが魅力的というところもありますね。構成感は緻密ではないと思います。
じっと聴いていくとたしかにベルクを感じるところがある、特に最後のところはベルクへのオマージュ色が濃いですね。
紗矢香さんのヴァイオリンはますます磨きがかかり、力強くなっている。なんだか、普段、トレーニングでもしていそうな気配すら感じます。魅力的なプレイヤーですね。
弾き終えて、キュートなしかめ顔していましたが、どこが思い通りにならないところがあったのかしら、全然わかりませんでしたけど。

後半の惑星は最初の火星が激しい演奏でスピード感、ダイナミックレンジ、とても大きく沸き立つ演奏。基本的に全曲にわたりインテンポの芯があったように思います。
この前のヴェルレク、そして、惑星とインキネンがあまり振り慣れていないものを今回振っているようですね。このような名曲に関しては日本で振って経験増やし、下地を作っていく感じなんでしょうかね。
おわり


2101- デュリュフレ、レクイエム、レオ・フセイン、都響、2016.4.17

2016-04-17 20:23:43 | コンサート

2016年4月17日(日) 3:00pm 東京文化会館

ヴォーン・ウィリアムズ トマス・タリスの主題による幻想曲 16′

ヴォーン・ウィリアムズ 5つの神秘的な歌 5′3′5′2′3′
   バリトン、クリストファー・マルトマン
   合唱、東京オペラシンガーズ
Int
デュリュフレ レクイエム 10′5′3′5′3′3′4′5′3′
   メッゾ、ロクサーナ・コンスタンティネスク
   バリトン、クリストファー・マルトマン
   合唱、東京オペラシンガーズ

レオ・フセイン 指揮 東京都交響楽団


今年の東京・春・音楽祭、最終公演。
ヴォーン・ウィリアムズの5つの神秘な歌、プログラム解説が紛らしい。実際のところは、1と2と3がバリトンと合唱、4バリトン、5独唱となっていました。
前半2曲、音楽の具体的な核がどこらあたりにあるのか今一つわからない。
後半のレクイエムは、最良の演奏でもどうかという作品で、作曲家の気持ちが先に行ってしまっている作品で、音楽の立ち位置が過小。もっと音楽が膨らまないと音楽作品としてはなじまない。レクイエムの言葉を歌により、さらに際立たせて、その上にもっと音楽の存在を主張させないと、小さい作品と感じてしまう。
都響のベースとティンパニのバランスが気になる。ともに妙に大きい。
おわり


2100- ヴェルディ レクイエム、インキネン、日フィル、2016.4.16

2016-04-16 23:21:31 | コンサート

2016年4月16日(土) 6:00pm みなとみらいホール

ヴェルディ レクイエム 9′35′10′3′5′7′13′

ソプラノ、安藤赴美子
メッゾ、池田香織
テノール、錦織健
バス、妻屋秀和
合唱、晋友会合唱団

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


宗教色の色合いが薄い。例えば多くあるピアニシモエンディングなどブラスをむき出しにすることなく、オケ全体のバランスに配慮した具合となる。ヴェルディのブラス、強音フレーズやメロディーラインだけでなく、弱音部分でもコラール風味なブラス強調ハーモニーに聴きなれているせいなのか、インキネンのバランスは全体に骨太でしっかりしたものとなっていると感じました。振り慣れていない気もしましたが、ヴェルディの迫力ある曲、楽しめました。
おわり


2099- コスモ・プログラム、ジョナサン・ノット、東響、2016.4.16

2016-04-16 23:07:19 | コンサート

2016年4月16日(土) 2:00pm コンサート・ホール、オペラシティ

リゲティ アトモスフェール  11′+
パーセル 4声のファンタジア ト調Z.742、二調Z.739  7′+
リゲティ ロンターノ  14′+
パーセル 4声のファンタジア へ調Z.737、ホ調Z.741  8′+
リゲティ サンフランシスコ・ポリフォニー  13′
Int
シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき   34′

ジョナサン・ノット 指揮
神戸愉樹美ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏団 (パーセル)
東京交響楽団


昨日と一昨日聴いたベリオは指揮する生姿を見たことがあるが、リゲティは歩く姿でも見たことがあったかどうか今のところ記憶に浮かばない。ベリオ棒の演奏会のことはいずれ書くことがあると思うが、今日はとりあえずリゲティ3連発。
映画のスペースオデッセイで使われる曲を絡めたコスモ・プログラム。アトモスフェールとツァラはこの演奏会とは逆の順番で鳴りますね。

プログラム前半は、アトモスフェールA1961、ロンターノL1967、サンフランシスコ・ポリフォニーS1974、の順番で演奏され、それぞれの作品の間にパーセルがサンドウィッチ。そしてこれら全7曲は連続演奏されました。パーセルの作品はヴィオラダ・ダ・ガンバ合奏がオケ後方の2階席(P席)やや左側に配置。このパーセル演奏のときはステージの照明を落とし、ノットは指揮せず。合奏にだけスポットライトをあてる。
このプログラミングの前半テーマはポリフォニーということでしょうが、重なり合ってミックス、ビルドアップされてメロディーの様なものも聴こえてくるはず、とも。
律動という観点では、Aはまるで無くて、L、Sと進むにつれて出てきて、Sエンディングはホルンを中心とした、めくれるような律動終止。ノットは腕をホルンにのばしたまま数秒間動かずのノット・フィニッシュでしたけれども、S自体は激しくリズミックな曲で、Lを軸としてAと対照的なもの。
Aはなにがどれなのかわからない、音が細分化されていて区別がつかなくて極度なポリフォニック世界、ミクロ・ポリフォニー・ワールド、主従関係もなくリズムもない。やっぱり浮かんでくるのはスペースオデッセイで、いい曲がつけられたものですね。何が何だかわからないシーンにピッタリ。
でもこのサウンドのクリアなこと。驚きました。東響の極めて明瞭にセパレートされた音響はカオスの世界がジャングルジムのように骨格の間からあちらが透けて見えるような見事な音響。
パーセルは音が比して弱くなりますが、なにかリゲティがリセットボタンを押されたようなモードで、本来のポリフォニックな世界が寄り戻る。
Aがこんなにクリアに響いたあとだとLはかなり見通しがきく、動きも感じる。Sになるともうこれは律動の世界と感じる、ざわめきの律動。これらリゲティ3曲、オーケストラの精巧にして高分離度なサウンドの説得力はものすごくて楽しめました。連続演奏も奏功しておりますね。持続する緊張感とテンションの高さ。

後半のツァラもまず一番にオーケストラの解像度の高さがこの聴きなれてしまった曲をあらためて聴かせてくれる。リフレッシュされた響きで飽きない。東響サウンドはその昔から自分では黄色いサウンドと言っていて特色のあるものでした。今でもその感覚は変わらない。付け加えるに全体バランスが見事になりました。
イエローから黄金色に変化しつつあるオーケストラサウンドの魅力を堪能しました。
ありがとうございました。
おわり


2098- ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェン、Ⅱ、ジャックSQ、2016.4.15

2016-04-15 23:28:19 | 室内楽

2016年4月15日(金) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

ベリオ シーケンス7  10′  オーボエ、古部賢一
ベリオ シーケンス9  13′  クラリネット、アラン・ダミアン
ベリオ シーケンス12  18′  バスーン、パスカル・ガロワ

ブーレーズ 弦楽四重奏のための書、より
5 5′
6 6′
    ジャック四重奏団
      ヴァイオリン、クリストファー・オットー
      ヴァイオリン、アリ・ストレイスフェルド
      ヴィオラ、ジョン・ピックフォード・リチャーズ
      チェロ、ケビン・マクファーランド

Int

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第16番ヘ長調op.135   7′3′7′7′
    ジャック四重奏団


前日に続き3大B、ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェンの組み合わせ公演。
東京・春・音楽祭の一環、ポリーニ・プロジェクトと銘打っているがご本人が出るわけではなく、冠演奏会で紛らわしいと言えば紛らわしい。

ベリオのシーケンスは前日はなにがなんだかわからなかったが、この日は少しこちらの理解が進んだような気がする。響きの世界ではなくその逆への思考の深化という感じで、たとえて言うとマーラーの5,6,7番あたりの究極の音響世界への思考推移と真逆的なもので、フォルムについても同じく反対思考のような気がする。既成概念を壊そうとするものではなくて、それと関係ないところでゼロから何かが生まれるときの逆のことをしているように思える。作品への照射よりむしろ演奏者への照射でここが終点。あるのは先ではなく戻ってくること。
この日の3曲は長大。
最初が7番のオーボエ。単楽器ではなくどこかで一つの持続音B音が最初から最後まで入る中での演奏。譜面の中に時間指定があるようで、そのようなものを含めた困難な技巧の方に気がいってしまうのをそうさせないための持続音なのかどうか意図はわかりません。最初と最後、古部さんがスタートとエンドを大きくアクションしていましたので、マニュアルベースの持続音音出しだったような気がします。
オーボエの音は、これは結果的な話ですが、次の完全オーソリティ2プレイヤー、クラリネットとバスーンに比べて、小さい。技巧指定への配慮が一因なのかどうかわかりませんけれども、曲想合わせ全体に繊細風味が勝っているような作品とプレイでした。

次が9番クラリネット。ダミアンのクラリネットは非常に滑らか。困難そうな音の推移をいとも簡単に吹いているのだろうとは思いますが、技巧に余裕があり、高低飛び跳ねるオタマジャクシもごく自然に聴こえてくる。楽しめる代物ではないが聴き手に色々と思考する余裕を与えてくれる演奏でした、

3つ目は12番のバスーン。これはベリオがデディケイトしたご本人の演奏。パスカル・ガロワはご本人というより、もう、御本尊という雰囲気。
この日の前半プロの照明は前日よりかなり暗かった気がしますが、それをさらに落とし、真っ暗状態にして暗闇の中からどこからともなく、なぎなたのようなものを持った影がのしのしとステージ中央に歩いてくる。なぎなたを横にして軽くお辞儀なのか重くてそうなるのか判然としない中、少しだけ照明が御本尊をスポットライトする。そこでようやくなぎなたがバスーンとわかる。目に見える譜面はなかったがもしかして楽器にフィックスしていたスマフォのようなものが電子譜面だったのかもしれない。でないとあんな恐ろしい18分もの演奏が説明つかない。神業という話です。それと電子音のようなサウンドが時折顔を出しますけれど、あれ、別なところで何か鳴っているのではなくて全部、御本尊のなせる技なんですかね、なにがなんだかわからないとてつもない演奏でしたね。鳥肌、サブいぼが出てきそうな不気味で恐ろしい演奏で、デディケイトされた作品の方がプレイヤーに屈服させられちまったような驚異の演奏でした。ありとあらゆる技巧が何の引っ掛かりもなく素直な悪魔みたいな雰囲気でホールを包む。ソロ楽器の技を堪能できました。素晴らしい演奏とアトモスフィア。

ヘヴィーな3曲、楽しめたというか、ねじふせられたと言いますか。


こうなると、前半〆のブーレーズは最悪のプログラム・ビルディングがあらためてわかる程度の整理体操みたいな雰囲気でしかない。昨日も書いたが、なんでわざわざ二日に分けたのか。作品初演の時期が分散していて、その初演の束を想定したものという話であれば、さらに、振り返った歴史をトレースするものというのであれば、それはそれで大いなる時代錯誤としては理解できるが、そうでなければこんなことをするのは、商業的オペレーション、つまり二日に分けることにより人の興味をひいて入場者をつなぐという陳腐なレベル発想でしかない。
創作のずれはあったが4以外ほぼ出来上がっている作品を今の時代の人間はひとつの作品として見ることが出来ているのに、なぜ、わざわざわけるのか、一つの個体作品を聴くいいチャンスをみすみす逃したわけです。昨日も書いた、あと10分の世界です、この冠プロジェクトの最大の大失敗はこのブーレーズのプログラム・ビルディングです。ブーレーズを好むピアニストがプロジェクターですから、最悪の上塗りとしか言いようがない。

そのようなことがあるにしろないにしろ、5,6はあまりに唐突で薄い。インパクトがまるで無い。パスカル・ガロワの巨大な演奏の後に、跡形もない。あとでやっているのに、
むしろ、ガロワに感謝すべきは、とりあえず次にブーレーズを聴く体勢に気落ちをさせてくれたこと。そういう音楽会だったと思い出させてくれたことをガロワの演奏に感謝しなければならない。あれがなかったら本当に虚しさだけが漂う5,6だったと思います。
企画者は真剣にプログラム。ビルディングをしてほしいと思います。


後半のベートーヴェンは、抜けた明るさのようなものが出てこない。何よりも、昨日同様、聴衆への訴える力が不足していると感じる。
ヴァイオリンは1番2番さんが昨晩とスイッチしておりましたが、演奏自体変わるものではありませんでした。
おわり

 


2097- ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェン、ジャックSQ、2016.4.14

2016-04-14 23:59:36 | 室内楽

2016年4月14日(木) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

ベリオ シーケンス1  5′   フルート、工藤重典
ベリオ   シーケンス2  11′  ハープ、篠崎和子
ベリオ シーケンス6  12′  ヴィオラ、クリストフ・デジャルダン

ブーレーズ 弦楽四重奏のための書、より
            1a    3′
            1b    3′
            2    12′
            3a    4′
            3b    3′
            3c    2′
    ジャック四重奏団
      ヴァイオリン、クリストファー・オットー
      ヴァイオリン、アリ・ストレイスフェルド
      ヴィオラ、ジョン・ピックフォード・リチャーズ
      チェロ、ケビン・マクファーランド

Int

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第10番変ホ長調op.74  9′9′5′7′
    ジャック四重奏団


「ポリフォニー的なリズムの統合」、この場合の自分の理解と言うのは、リズムがポリフォニック的に多リズム、そしてそれが一つの世界になる。始点と終点がそれぞれ一つずつあり、一つの始点から始まりすぐに4つのリズムに独自の広がりをみせつつ、一つの終点に収束する。それが連続していく。独自のリズムの広がりはバラバラではなくてユニバース的ユニットの世界で綴じられている。そういった感覚で聴きます。口ずさめるようなしろものではありませんがブーレーズの作品は割とよく聴く。誰風、メシアン風、レイボヴィッツ風、ウェーベルン風、でもなく、この凝縮されたポツポツ音楽と言うのはまさしくブーレーズ風としか言いようがないもの。この聴き方、非常に疲れた。ブーレーズのこの作品、縦のものを横にして聴くような努力が要る。そうすると不思議なことに自然と、これはものすごく凝縮、圧縮された音楽作品に間違いないとフツフツと思うようになってくるから不思議。疲れが快感に変わる瞬間ですね。
ハイなスキルレベルで鋭利なサウンドのジャック四重奏のこの集団。ブーレーズの作品には欠かせないものと思いました。研ぎ澄まされた響きがひとつずつ短く、すべての音に意味があるということをこのように明確に表現できる集団の見事なアンサンブルで聴かせてもらうと、もう声にならない満足感。完成度の高い演奏です。

「対立構造」、厳格や硬質、と、柔軟や豊かな装飾性や即興的な軽いリズム構造。これは楽章対楽章の対立。この聴き方には時間の推移を止めて聴ける技が要る。全体構造を俯瞰できなければなりません。それは割と得意なんだが、この対立する2種類のエレメントを理解するには、まとめて連続演奏されなければならない、とプログラム解説にある。当たり前すぎる話なのだが、このポリーニ・プロジェクトという冠プロジェクトでは舌が乾く間もなくわざわざ二日に分けているのでお話にならない。言っていることとやっていることがこれほど違うのも対立の構造なのか。ジョークが過ぎる。二日に分けたのが商業的なものだともし仮にすれば、実際のところ誰の企画か知らないが、ほとんど論外級のダメ企画です。わざわざ、数日に分けて演奏されるのが通例で今回は二日でやると胸を張っているのはたった2回で全部できるから素晴らしい企画だろうということのようですが、残り5と6は合わせてあと10分の時間があれば出来るのですよ。何を考えているのでしょう。素晴らしい企画なのにダメさ加減のほうが浮き彫りになるケースと言うのはよくあることとはいえ。
1と2、3、5と6、という束、演奏されてきた経緯束みたいなのは確かにあることはあるが。
まぁ、明日も行く。そうしないと自分の気持ちも完結しない、二日分のチケットを買わないとならない、わかっていながら商業ベースに乗らざるを得ないこのもどかしさ。

今日のジャックを聴くと、パリジイの録音はもう少しゆったりしているなぁと感じる。どっちがどっちと言うこともなくて、やっぱり生演奏の説得力は凄いものとあらためて感じるところでもありました。ジャックは楽章間の音合わせにかなり時間を取りますね。ベートーヴェンでも同じでした。


ベリオの作品は、これはもうなんというか、何の世界かわからない。誰それさんのピアノリサイタル、同一作曲家の全作品連続演奏会みたいな世界の作曲作品版みたいなものでしょうか。フルート、ハープのシーケンスはポツポツと短く、突き刺さる音が連続する。上下によく飛ぶ音の響きの妙、音楽なのかどうかはわからない。
ヴィオラのかたはオーソリティのようでして、譜面無し。フルートやハープの楽想とそうとうに異なっていて最初から最後までギザギザ刻みまくり、これはなんなのか、やっぱりわからない。最後のみロングなトーンで落ち着きをみせる。

プログラム後半のベートーヴェンは、ブーレーズの流れから全く違和感がないもの。ベートーヴェンはやっぱり凄かったという結果に落ち着く。これはいいコンビネーションのプログラムと感じます。ジャックの演奏はブーレーズのときより柔らかい。滑るような演奏とまではいかない。息の合ったアンサンブルは音楽への共感はわかるが、聴衆への伝播がもう一つ欲しい。訴えかける説得力が要ります。


この日の演奏会は、東京・春・音楽祭の一環。ポリーニ・プロジェクトという冠プロジェクトで、明日と二日続けて行うもの。
当公演はポリーニにより、本年亡くなったブーレーズにデディケイトするということで「ブーレーズ追悼公演」として行われました。
おわり












2096- ペトルーシュカ、火の鳥、グザヴィエ・ロト、都響、2016.4.12

2016-04-12 23:11:18 | コンサート

2016年4月12日(火) 7:00pm 東京文化会館

ストラヴィンスキー ペトルーシュカ(1911年版) 36′
Int
ストラヴィンスキー 火の鳥(1910年版)  45′


フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮  東京都交響楽団


他人(ひと)より耳がいいとか、自分の感覚に音の響きを近づける仕方をわかっているといったことが群を抜いているのだろうか。実現方法の具体的な手法を自分の中で確立しているのだろう。自分の感覚というのは、今の風、先の風、これこれこうだからどうすれば前へ進めるか、といったことの、世界の、より普遍的な感覚を、自分の中に同質化できる才能とそれを表現する方法をマスターしているという話ですけれども、そんな思いをロトの指揮で演奏を聴いていると感じます。彼も棒を持たないスタイルですが、途中から指揮棒を持たなくなった日本人指揮者達への違和感とはまるで異なるもの。例えばブーレーズのような指揮スタイルを感じるわけですね。
いわゆる現代ものを皮膚感覚で出来るうんぬんくんぬん言うのは、やっぱりちょっと違っていて、このように理知的にやることの集積値、彼の場合は積分値みたいなものでしょうが、そういった才覚がやっぱりどうしても必要で、考え抜かれたものが響きとなって具現化していると思います。具体的な音楽表現の実現ですね。

火の鳥でいうと、前半の音静かなシーンにおいても、最初から、すべてのインストゥルメントの基本は全部スタッカートで表現しよう、と言ったかどうかわかりませんけれども、そういった粒立ちの良さ、音が一つずつ沸き立つようなエクスプレッションというのは、具体的な指示があってあのような音の響きになるわけでしょうし、その表現がのべつ幕なしに全部と言う話でもなくて、ほかにも、アンサンブルの束、メロディーラインの束、それぞれ楽器群の単位毎に明確に分離し同じ強さ感覚で別々に響きあうこの分解能の高さというときもあるし、はたまた、ダイナミクスがアッというほど幅広くなったかと思えば、それはパースペクティヴの妙とも関連するわけですけれども、遠近感覚であってダイナミクスとはやっぱり違うものも表現しているなぁ、などと本当に色々なことを次々と音で実現していると屈服せざるを得ない、この説得力と思うわけです。また、アゴーギクは副次的なエレメントのような気もします、というよりも別世界のことかもしれない。テンポ、リズムの出し入れを忘れさせてくれる指揮者で、これはこれで凄いものとあらためて感じるところでもあります。
オーケストラル演奏だけだと少し長すぎると感じる1910年版の火の鳥の前半シーン、このような具合で弛緩することのない、そして色々な引出しから多彩な響きが次々と出てくる演奏でむしろ短いと感じるぐらい。後半シーンの強靭でクリアなサウンドは前半ともども見事なもので、明確なフレージングで曲のフレームをロト感覚で鳴り響かせていくあたり、もはやナチュラルな爽快感がホールを満たす。

腕達者が多く、硬質なサウンドのオーケストラにストラヴィンスキーは最適で、ロトとの組み合わせでストラヴィンスキーのオーケストラル全集など作ってほしいと思うぐらいです。このオケはセッション収録でも力を発揮すると思いますので、海外戦略を打ち出せるような高レベルな録音を望みたいところ。うまいオーケストラの動かぬ証拠が刻めると思います。

この日は演奏会通して、指示通りやっただけといった雰囲気が漂わなくもなかったのですが、前半と後半のプログラムの出来の違いは、そのオーケストラ側の意識の違いが原因とも思いませんけれど、その通りでしたと逆に思わせるぐらいの日常のレベル感のポテンシャルが全編にわたり欲しいところです。自発的行為としての演奏といったあたりのことですね。個人プレイからアンサンブルへのつながりの意識とでもいいますか。
前半のペトルーシュカは火の鳥ほどの完成度には至らなかった。部分的にちょっとボテ系のところがあり、音を押している感じのところありました。オケの少し強引なプレイがあったと思います。
響きが限りなく薄められて、横に広がっていくような、ひとつずつの線が有機的につながっていくようなスリルある響きがこの人形の劇にはほしいところ。線むき出しの大胆で際どい響き全開にまでは至らず。この曲のスペシャルな演奏は難しいと思います。
おわり


2095- ジークフリート、ヤノフスキ、N響、2016.4.10

2016-04-10 23:04:42 | オペラ

2016年4月10日(日) 3:00-8:10pm 東京文化会館

ワーグナー ジークフリート  30+20+28′ 23+27+22′ 18+12+45′

キャスト(in order of voice’s appearance)
1.ミーメ、ゲルハルト・シーゲル (T)
2.ジークフリート、アンドレアス・シャーガー (T)
3.さすらい人、エギリス・シリンス (BsBr)
4.アルベリヒ、トマス・コニエチュニー (BsBr)
5.ファーフナー、シム・インスン (Bs)
6.森の鳥、清水理恵 (S)
7.エルダ、ヴィーブケ・レームクール (Ca)
8.ブリュンヒルデ、エリカ・ズンネガルド (S)

マレク・ヤノフスキ 指揮 NHK交響楽団


東京・春・音楽祭、ビッグな演奏会、2016.4.7に続きこの日もうかがいました。
素晴らしいキャスト、指揮、オケ、全部そろった公演でこの日もたくさん楽しめました。上野の超満員と言うのも久しぶりに見ました。熱気がありましたね。
公演の感想は7日と概ね同じ。何度見ても素晴らしい。

圧巻は第3幕第3場、ジークフリートとブリュンヒルデの絡み。ラスト30分は、もう、食い入るように観るだけ。この作曲家特有の否定して肯定するを段階的に繰り返しながら、急上昇のドラマより長い斜面がいいだろう、ドラマチックなものにも何事も積み重ねが大事、そんなじわじわとした上り坂、これは歌詞だけの味わいとは少し違ったもので、この音楽的エレメントと絡み合ってこそ一つの作品となる。
ズンネガルドの巨大なブリュンヒルデの声がホールを満たす。あの身体のどこからあのような空気が揺れ動くような声が出てくるのか、ハイに突き刺すような声、包み込むような声、ドラマチック・ソプラノを堪能しました。
ヘルデンテノールのシャーガーは恐れを知らぬタフさで、この3場でもブリュンヒルデと丁々発止、でも、第1幕の頭、第1,3場からフル回転していた。ここは抑えておくみたいな話はどこにもなくてとにかく行けるところまで行く、そんな感じがこの第3幕3場でも、まだそんな状態。無尽蔵のエネルギー。まさに恐れを知らぬジークフリートで、恐れを知った後でも歌は突っ走っているから、聴くほうも恐れ入る。完全脱帽というお話です。

ミーメのシーゲルは4月7日のほうが、よく決まっていたと思います。発音のクリアさはこの日も素晴らしかったです。ドイツ語が美しく響く。生真面目なミーメで、キャラクター要素は感じられず、第1幕ではジークフリートと対等で、二人の美しい声を同時に聴けるのはこれ以上ないものでした。

さすらい人のシリンスは何度聴いても素晴らしく深いバスバリトンで味わい深い。ややストイックと思うぐらい沈み込んでいくところもありますけれど、それもこれもいいもの。真面目に歌えば歌うほど、アルベリヒとたぶんミーメにも見破られているさすらい人はなかなか簡単にいかない役だとおもいます。

アルベリヒのコニエチュニー、ほかの方々も初日と同じくファイン。


シャーガーは自分で金床叩きダンスで1幕からノリノリでしたが、その金床叩きはパーカスの方が指揮者から上手に少し離れた最前列でたたく。終わったらパーカスポジションへ移動。第2幕の角笛のホルンは同じく金床位置での吹奏。
ファーフナーは見えないシーンでのセリフのところは、舞台上手奥に出てきて、巨大メガホンを持って歌う。
森の小鳥は5階の右奥席のドアを開けて入ってきての斉唱。
おわり


2094- ウェルテル、E.プラッソン、新国立、2016.4.9

2016-04-09 23:19:12 | オペラ

2016年4月9日(土) 2:00-5:25pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
マスネ 作曲
二コラ・ジョエル プロダクション (ニュー・プロダクション)

ウェルテル

キャスト(in order of appearance)
1. 大法官、久保田真澄 (Bs)
1.6人の子供
2.シュミット、村上公太 (T)
2.ジョアン、森口賢二 (Br)
3.ソフィー、砂川涼子 (S)
4.シャルロット、エレーナ・マクシモア (Ms)
5.ウェルテル、ディミトリー・コルチャック (T)
6.ブリューマン、寺田宗永 (T)
6.ケッチェン、肥沼諒子 (S)
7.アルベール、アドリアン・エレート(Br)
合唱、新国立劇場合唱団
児童合唱、TOKYO FM少年合唱団
エマニュエル・プラッソン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)

第1幕  4′+41′
Int
第2幕  3′+32′
Int
第3幕  4′+34′+
第4幕  5′+17′


この前2016.4.6に一度観ました。概ね同じ感想です。タータン、タータン、4つの音で出来ていますね。

伴奏が練り上げられたものであれば、もう一つ上を行けるだろうなぁ、この前と同じく思いました。
おわり


2093- ロマノフスキー、ウェールズSQ、2016.4.8

2016-04-08 23:45:50 | 室内楽

2016年4月8日(金) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

モーツァルト 弦楽四重奏曲第2番ニ長調K.155   4′4′2′

ドビュッシー 弦楽四重奏曲ト短調op.10  6′4′8′8′

Int

ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲第2番イ長調op.81  15′15′4′9′

ウェールズSQ(嵜谷直人、三原久遠、横溝耕一、高岡廉太郎)
ピアノ、アレクサンダー・ロマノフスキー


東京・春・音楽祭より。
充実した濃いプログラムでした。
モーツァルトは軽快でリズミカル、歯切れのよい演奏で素直に楽しめました。このウェールズは普段は別のところで個別に活躍していて、ときおりこのように集結して演奏するのでしょうが、SQとしてのノウハウはグループとして基礎を固めていると思われます。呼吸が合っていて生き生きしている。溌剌とした演奏で裏表なくモーツァルトを楽しめました。このグループ、軽い音も出せるということでした、結果的には。

ドビュッシーは、一本ずつの線の細やかな動きのあや、弦が隙間なくホールに敷きつめられる。ウェットで途切れることのない作品で、まぁ、弦楽四重奏ものとオーケストラル作品との区別が一瞬つかなくなったりする。ドビュッシー堪能しました。

後半は、ドヴォルザーク1曲のためだけに来日したロマノフスキーのピアノが加わり極上のアンサンブル。これは聴く贅沢ですね。主導するピアノがきれいに流れる。フメクラーさんを見ていると随分と繰り返しの多い曲だなぁという実感なのですが、リピートでも表情が色々と変化していて味わいが深い。意識されたものと勢いの流れがうまくミックスした弛緩しない見事な表現でした。
ロマノフスキーの鍵盤に垂直にポーンポーンと跳ねるような腕の動き、斜めに風を切るようにグリサンド風に勢いをつける手、弦四グループをウォッチしながら絶妙な呼吸。
フレッシュな切れ味と真正面から作品に取り組む姿勢がにじみ出るウェールズ。ピアノと過度にずぶずぶにならず、むしろ端正と言いたいぐらいだが、これはこれで現代の呼吸のような気もする。5人衆みなさんそれぞれ相応な距離感を保ちつつ音楽の緊張感を作り出している。
ドヴォルザーク45分とヘビーな曲でしたけれども、最初から最後までこんな感じで楽しめました。歌うのだけれどもそれよりも全体の流れの見通しの良さ、素敵な演奏で満足しました。ありがとうございました。
おわり


2092- ジークフリート、ヤノフスキ、N響、2016.4.7

2016-04-07 23:25:21 | オペラ

2016年4月7日(木) 3:00-8:10pm 東京文化会館

ワーグナー ジークフリート  75′ 70′ 72′

キャスト(in order of voice’s appearance)
1.ミーメ、ゲルハルト・シーゲル (T)
2.ジークフリート、アンドレアス・シャーガー (T)
3.さすらい人、エギリス・シリンス (BsBr)
4.アルベリヒ、トマス・コニエチュニー (BsBr)
5.ファーフナー、シム・インスン (Bs)
6.森の鳥、清水理恵 (S)
7.エルダ、ヴィーブケ・レームクール (Ca)
8.ブリュンヒルデ、エリカ・ズンネガルド (S)

マレク・ヤノフスキ 指揮 NHK交響楽団


第1幕第2場、ミーメとさすらい人の知恵比べ両3質問は、たしかに場を長くしているのだが、これまでの経緯やシチュエーションがわかるような内容になっていて、つまり彼らの世界の状況と過去の出来事がわかるようになっていて、今回の東京春祭りのように単発で年にひとつずつ、一昨年のラインの黄金、昨年のワルキューレ、そして今年のジークフリートという具合にポツポツとやられるような場合は、このワーグナーのいたるところにある振り返り語りはそれなりに思い起こしには良いものだし、それから、やり取りが3回ずつ計6回あるわけだが、この6個目の質問、さすらい人がミーメに問う内容はミーメには答えられないものだろう、というのは、過去ではなく先の話を問うているのだから。「あの破片を誰がノートゥングに仕上げるのか?」と訊かれても、先のことはミーメにはわからない、わかっていたなら苦労はしない。つまり、ワーグナーは過去の話とともに、ストーリーの興味をそそるように話を先に繋いでいる。予告編ですね。ほかでも例えば、ワルキューレの第2幕の幕切れも一つの終わりとヴォータンがブリュンヒルデを追いかけるところで終わる、過去と先のこと、うまく同時表現していてストーリーテーリングのつなぎがうまいと思う。
コンサートスタイルだとこういったあたりのところが落ち着いて聴いていられるせいかよくわかる。
また、ジークフリートでいうと第3幕の冒頭のエルダのふしが滔々と流れる中、裏打ちはワルキューレのリズムではないのか、その思い起こしとこれからのエルダ登場のあたりがうまく同時並行的に表現されていると感じるし、指揮のヤノフスキはもしかしてワルキューレのリズムを主眼に振っているのではないかとさえ思えてくる。下から上に上がるあたりに打点があるような音の出具合を嫌っていると何かで読んだことがあるヤノフスキの棒は、たしかに打点が前で、叩きつけたあたりでオーケストラの音がポーンと出てくる。この棒を何度も見てきたわけですが、この叩きスタイルだと腕の動きは大きくする必要はまるで無い。というよりも大きくすると自然と音の出が遅れがちになってしまい、その分、正確性の点で不確実性が増す確率が高くなるのが道理というのがよくわかる。したがって彼の振りは彼のスタイルでやればコンパクトになるのは必然であって、彼の中では音の出の不確実性の要素を減らす自然な行為。実際のところ見た目では非常に軽い棒に見えるし、振っているか振っていないかわからないぐらいの小さな動きでもオーケストラがものの見事にザッツの揃った咆哮を繰り返していくあたり、驚嘆すべきものがある。と今回はさらに強く感じました。見事というほかない。ワーグナーの本質表現は高演奏精度がベースになるのだろう。ヤノフスキの極意棒がすこしずつわかってきたような気がします。

それから、振った後の話であるべきものだとは思いますが、今年と来年、バイロイトでリング・サイクルを振る指揮者が、こうやってその3か月前ぐらいに、東京でジークフリート、来年はカミタソ、それぞれ振ってくれるわけですから、期待するなというほうに無理がありますね。贅沢なイベントです。


今日は世界最高峰が何人もおりました。あまりにも素晴らしい内容であんぐりと開いた口がふさがらない。唖然茫然、極上の極み。何も言うことは無い。

最初のミーメとジークフリートのやりとり。ミーメを歌ったシーゲルの輝くテノールはキャラクター風味の癖のあるものではなくて、ヘルデンテノールのモード。こうやって歌だけ聴いていると気品が漂ってくる。非常に美しくて明瞭なドイツ語の発音がホールを揺るがす。聴きごたえありました。
ミーメがひと歌いしてから、ホップステップジャンプのような小気味よさで登場のシャーガー、身のこなしを見ただけで、なんだか絶好調のように感じてしまう。アドレナリンが歌う前からみなぎっている。自分のイメージしているシーンがあるのでしょう。踏んでいる場数の多さがよくわかるもので、こちらはこの安心感みたいなものから歌に集中できる。
テノール二人による丁々発止のやりとり。
シャーガーは身体全体をよく動かしながら歌う、リズムをとり時に拍子を取ったりしている。ヘルデンテノールは輝き、ねっとりと、まではいかないが比較的明るめで密度が高い。空気の隙間がないような声の響きで濃い。また、しなりがよくきいていて強靭なゴムのような柔らかな弾力性。そして、ミーメ同様、発音が素晴らしくよく響く。聴いているだけでドイツ語全部わかったような気にさえなってくる。日本人歌手が日本語で歌ってこれほど明瞭な発音の人いるのかなとあらぬ比較をしたくなってしまう。この段階でのジークフリートの粗野な感じもうまく表現されていて、終幕への絶頂シンギングまでの推移もお見事。英雄に相応しい声ですね。息も続きます。堪能しました。
第1幕のジークフリートはエンディングに向けて熱くなっていくわけですけれども、コンサートスタイルだと金床たたきながらの歌もないし、歌に集中できる強みもありますね。
いずれにしましても、このお二方、同質な声でありながら役柄の違いがうまく出ておりまして、対比が明確。シーゲルは絶賛拍手多かったですね。

先にも書いたさすらい人はシリンス。日本国内でも色々な役柄でたくさん出ています。この生真面目で深いバス、何度聴いても魅力的です。シリンスは役柄にかかわらずいつもシリアスで少しばかりストイックな雰囲気が漂う。それもこれもいい。このシリンスも発音が明瞭で美しく響く。メリハリのきいたバス。魅力的です。
ヤノフスキの棒はときおり風のようにするりと抜ける。過激な色濃さを追ったものではない。棒はどちらかというと高速に振りぬいている。肩の力が抜けていてひょうひょうと進む。第3場の鉄火場状態もすり抜けていく感じ。ジークフリートの原型のようなものがうまく表現されていると思う。

以上の第1幕、ミーメのシーゲル、ジークフリートのシャーガー、さすらい人のシリンス。ともに発音の声がきれい、明瞭でクリアな歌、3人の声の強さバランスも良くて、堪能しました。

第2幕ではアルベリヒとファーフナーが新たに出てきます。アルベリヒはラインの黄金の時の存在感は無く、どちらかというと、ミーメとアルベリヒの中心的役割は逆転している。ジークフリートでのミーメの活躍は多くて素晴らしい。
アルベリヒの出番はこの幕の第1場と3場。見た目だけだと、兄アルベリヒは弟みたいな雰囲気で、役を反対にすればいいような気もするが声質が異なる。ミーメのテノールに対し、アルベリヒはバスバリトン。シリンスほどの強さはありませんけれど、確実にこなしている。声のバランスも非常にいいもの。このコニエチュニーの歌唱も安定していていいものでした。
ファーフナーの出番はもっと少なくて、1場での見えない大蛇、3場でようやく舞台に現れて短く歌う。インスンの声は柔らかく、大蛇というより音楽の表現者という感じが強い。
あと、ジークフリートと絡む森の鳥が聴こえてきます。5階の右寄りの席からの歌唱。シャーガーが舞台で鳥の清水さんを対角線上、斜め上に指さしながら。思いの外、太い森の鳥で、赤裸々感ありましたね。
それから第2場のジークフリートの角笛を吹いた福川さんのホルン、完ぺきでしたね。2幕のカーテンコールに歌い手たちとともにご挨拶。次の3幕ではプリンシパルとして吹いていました。角笛の吹奏がこれだけきまると快感のこれまた極みですね。
角笛の後のところ、オケの方の今井さんがちょこっとはずしたのはご愛敬か。

終幕では新たにエルダとブリュンヒルデの出番。
エルダのレームクールの胸には圧倒されてしまいました。エルダの骨太ながら少しばかり妖しくて現実感の無い表現がうまく出ていたと思います。
そして第3幕第3場、大詰めも大詰め、煮え切ったところでブリュンヒルデの目覚めの動機がピアニシモから徐々に大きく。
ブリュンヒルデは息を吹き返し、ズンネガルトが極めて美しく、そしででかい声で、聴衆の脳天に突き刺さるようなもの凄い声。圧倒されまくり。
第2幕作曲の後、第3幕が出来上がるまで随分と期間があって、たしかにかなり違うものになっている。個人的には第3場はジークフリート劇から異質の静かな成長、もちろんワーグナーがという話ですけれど、そんな思いを強く感じます。この3場以降は神々の黄昏の方向に大きく近寄っていると思います。切り離してもいいぐらいと感じます。観るたびにそう思います。
その静かな音楽がスクリューのように徐々に盛り上がりを見せる中、ズンネガルドのソプラノはさらに他を圧する声量で上に突き抜け、天井からそのまま降ってきて脳天に突き刺さる勢い。大詰め約35分の出来事です。ブリュンヒルデに必要なのはこの強さですね。あの身体のどこからあのような声が出てくるのか、人間の不思議。

ヤノフスキの棒というのは最初に書いた通りで、エモーショナルなところで勢いをつけたり、音楽を余計な加速で追い込んだりしない。あの棒ですとそもそも流れるようなテンポで進む理屈と思えて、全般に速くなるのは必定と思います。タイミング見るとかなり速い、でも、シーンの濃淡や感情重視といったことからくるものではなくて、それは、第1幕のエンディングを聴いただけでわかりますね。追い込みありません。そもそもそのテンポでずっと押してきているわけで。あのテンポで概ねサラリと進める、ように聴こえてくるが、実のところ3幕冒頭の主旋律とリズムの絡み合い等々のように考え抜かれたもので、突き詰めて言いますと、一つの瞬間に二つのことを表現している。見事な棒だと思います。
ヤノフスキもにやけない指揮者ですが、あの目まぐるしい旋律の山、にやける暇はない。国内にやけ系指揮者には、彼の爪爪の垢垢でも煎じて飲んでほしいところです、にやける前にすることが山ほどあるわけです。
話がいつも通りそれましたけれども、まぁ、それでも、3幕フィナーレでのジークフリートとブリュンヒルデの二重唱の掛け合いは、もう少し音楽のエモーショナルなセンスも出してほしかった気もします。あまりの素晴らしいデュエットの前に茫然としているうちにスゥーと終わってしまった、そんな感興が漂ったところでもありました。
所有している音源か生観劇だったか記憶が定かではありませんが、あのデュエットの最後のハイなエンディング、テノールの方もオクターブあげて歌ったのを耳が記憶しています。シャーガーでもそこまではしませんでしたけれども、あの耳記憶、誰が歌っていたのか。いつか思い出す日もあるでしょう。

ヤノフスキはカーテンコールにはあまり出てこず、歌い手たちを引き立てます。やっと出てきてもオーケストラを称賛する。
最後、キュッヒルとちょっとだけなごんでいたのが印象的でした。
素晴らしい絶演、ありがとうございました。
おわり








2091- シューベルト、ベートーヴェン、ブラームス、室内楽、東京春祭り、2016.4.6

2016-04-06 23:53:02 | 室内楽

2016年4月6日(水) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

シューベルト 弦楽三重奏曲第1番変ロ長調 D.471  8′

ベートーヴェン 弦楽三重奏曲第2番ト長調 op.9-1  9′7′6′5′

Int

ブラームス ピアノ四重奏曲第2番イ長調 op.26   12′13′11′11′

(encore)
ブラームス ピアノ四重奏曲第3番ハ短調 op.60 第3楽章  10′

ヴァイオリン、長原幸太
ヴィオラ、鈴木康浩
チェロ、上森祥平
ピアノ、田村響


東京・春・音楽祭より。
前半は三重奏。後半はピアノが加わり四重奏。ピアノの田村さんの見た目印象随分と変わった気がしました。それはそれとして、この4人衆素晴らしいアンサンブルでしたね。長原さんはオケ演奏会でよく見ますし、それぞれバリバリのプレイヤーたちです。

生き生きとハイレベル、レベル越えでいて、いっぱいいっぱいではなくて、余裕のある演奏で、変なわざとらしさもなくストレート。上森さんのチェロはシックで深い音色が魅力的ですね。

ベートーヴェンもブラームスもフォルムが強固。ブラームスの息の長さには少しばかりのめり込んでいかないと時間が長く感じるところもある。まぁ、それでも、ハーモニーだけで勝負しているような箇所がたくさんありそうなブラームスは、それはそれで味わい深く聴くことができました。ベートーヴェンの黒光りする三重奏は彼なら何本のインストゥルメントで作った曲でもあのような味わいを出せそうだと、なんだか納得。
いい室内楽の夕べ。楽しめました。
ありがとうございました。
おわり