河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2675- 林美智子、田部京子、デュオ・リサイタル、2019.2.23

2019-02-23 23:35:13 | リサイタル

2019年2月23日(土) 3:00-5:10pm 音楽ホール、川口総合文化センター・リリア、川口

シューベルト 音楽に寄せてD.547   3
シューベルト 野ばらD.257  2
シューベルト ただ憧れを知る人だけが(ミニヨンの歌)  D.877-4  2

(ピアノソロ・ピース)
シューベルト 即興曲第2番変イ長調 D.935/op.142-2  5
シューベルト 即興曲第3番変ロ長調 D.935/op.142-3  9

Int

(ピアノソロ・ピース)
グリーグ ペールギュント 第一組曲op.46  5-3-3-2

シューマン 女の愛と生涯op.42  3-3-2-2-2-4-2-3

(encore)
シューベルト アヴェ・マリア  5

メゾ・ソプラノ、林美智子
ピアノ、田部京子



昨年2018年に聴いた中嶋さんが歌う、女の愛と生涯、が素晴らしくて、今回はその曲お目当てで、お初でリリアにうかがいました。

2593- =女と男の愛の生涯= アラベスク、女の愛と生涯、テレーゼ、アデライーデ、エリーゼのために、遥かなる恋人に、中嶋彰子、小菅優、2018.8.2


今日も楽しみにしていました。が、
前半特にトークが長く、合わせて20分以上話ししていたと思いますが、長すぎです。
こうゆうものだと思えばいいのでしょうが、主役級が二人ご一緒に出ているのに、シナジー効果のないものとなったのはトークのせい、とでも思いたくなります。

それから、プログラム冊子にテキストが無い。対訳でなくても何か手掛かりが欲しい。折角のデュオ・リサイタル、ちょっと出鼻をくじかれた。

林さんは下から上まで安定していて声色の変化が無くて自然、作為という言葉を忘れさせてくれる。
喉安めにあたるところが無いピアノは弾きっぱなし。硬派と勝手に思い込んでいる田部さんのピアノ、素敵でしたね。
シューマンで歌と同じ節が重なるあたりでは配慮と主張がよくわかりました。
また、ソロ曲のシューベルトの即興曲2曲とグリーグ、大きな演奏でした。木質良質のホールで硬派な色彩が分解していくさまはお見事でした。聴きごたえ手応えありました。


うかがったのはメインホールでは無くて音楽ホール。600人規模の客席数、ワンフロアのみで、後部に行くに従い上にしなっている。トリフォニーの1階と同じ仕様だが、リリアはもう少し角度が付いていて見晴らしが大変に良い。
それから、木質の色あい、音具合が魅力的。シックな色合い、柔らかすぎずに包み込むサウンド、クリアでまろやか、焦点が定まっていて聴きやすいもの。本当に気持ちよく過ごすことができました。
次回はもっとマジなの、聴きに行く。
おわり





















2674- リーム、Ins Offene...、ブルックナー7番、ツァグロゼク、読響、2019.2.22

2019-02-22 23:45:01 | コンサート

2019年2月22日(金) 7:00-9:10pm サントリー

ヴォルフガンク・リーム Ins Offene… (第2稿 日本初演)  29

Int

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調WAB107 (ノヴァーク版) 21-24-9-12


ローター・ツァグロゼク 指揮 読売日本交響楽団


リームの大規模オーケストラ曲、第2稿が日本初演なのか、作品自体が日本初演なのか、やや不明瞭な視界が漂うが、もともと知らない曲だし、まあ、聴くほうも体当たりで。
Ins Offene… このタイトルの最後の・・・も作品名のうち。
この語句の感覚がわかりませんが、解説にある通り「開いた...の中へ」と。

出てくる音は点と線。線は同じ帯域にとどまる。つまり出た高さのまま消えていく。フシは無い。それと、点の強弱のインパクト。
一体全体、拍子を取る音楽なのかといわゆる現代音楽最盛期の頃に戻ったような感覚を少し味わう。そして、光が破裂する様な筋模様はモーツァルトのフリーメイソンの冒頭の響きが最初から最後までよぎり続けた。
オーケストラは39人3群。1群はサントリーLB上方とRB上方、それに2階センターの通路に、それとP席右と左、計5か所に散らばっている。5か所の散らばりが一つの群という定義のようですね。
2群はステージ上かみて、3群は同じくしもて。これは分かりやすい。
1群は客席を囲むように散らばるので一つずつの音は極めて薄くなる。このイメージもたないといけませんね。
音楽的ドラマよりも音色変化、音響空間のデザインといったあたりのことに注力されているリームの作品、ということのよう。聴くほうは響きの世界を多角的にとらえないといけないのだろうが、最初に書いたように聴こえてくるフィーリングはひたすらフリーメイソンだった。
最初のピアニシモの出のあとすぐに、何十秒にもわたる空白。あれはツァグロゼクが頭の中でカウントしているように見えたのだが、あの静寂カウントのあとからが本編なのだろう。静寂カウントの前のピアニシモ開始も含めて、静かに始めるための儀式のようなものだったのかもしれない。
点と線。破裂する点。線は一度出た音はその音高のまま消えていく。最初に書いた通り。
フリーメイソンの様に圧縮された音、空気の圧縮、凝縮された世界。はて、何がopenなのだろうか。響きの世界に身をゆだねているうちにピアニシモエンド。さて、最初のppは全体モットーだったのかと。いやいや、静寂カウントからの開始をしたかったのだ。静寂開始だとどこから始まるのかわからないので、pp開始でマークを付けたんだろう。等々、色々と妄想が広がる。
開かれた世界に押し込まれていく音の世界はほぼ短調モードの様相を呈し、光が一点から散らばるような閃光が見えるようだ。凝縮した響きはフリーメイソンの音以外ない。
30分におよぼうかという作品。ツァグロゼクの緊張力。構成感。極端なpp開始、すぐにするりと静寂カウント。場を鎮める力が凄い。やっぱり、彼が若い時代のいわゆる現代音楽、それに共感するときと同じような今日のリーム作品の様に見える。だからか、もの凄い説得力。
響きの世界をブルックナーの構成力の世界に結び付けていくには、何もしないことが正解なのかもしれない。何もしないのではなくて当たり前のことを当たり前にするという話しか。

AB7 elapsed time
Ⅰ 3-3-2 5 2-2-1 3
Ⅱ 5-3 6-2 3-3-2
Ⅲ 3-3-3
Ⅳ 1-2-2 1 1-1-3 1

端正の極みのフォーメーション。二つ目の主題やBをさらりとテンポを切り替え比較的快速、と、肌感触。でも実のところはそうでもなかった。素晴らしく均整の取れた全体像が浮き出てくる。ナチュラルな進行ですね。まるで、何もしていないかのような進行なのだが、リームの響きの世界から連続して聴こえてくるものは、りきんだソナタの構築よりもむしろストレートな響きのアヤをこのブルックナーサウンドに合わせて表現している。リームの残光が消えぬ間にブルックナーが静かに始まり繋がる。まことに見事なツァグロゼクの響きの構成力。逆説をつないでくれたようなブルックナーだった。見事な力学だった。

端正、淡々と進めていく音楽、主題がpp経過で次の主題に移る前、このppをもう一段pppに押し込んで、それから次のpp主題開始となる。この絶妙な音楽づくり。端々まで隅々まで響きに支配された音楽は極めて美しく光る。自然に背筋が伸びてくる。正しい姿勢に導くツァグロゼクの指揮。もはや、場の空気も静まり鮮やかに光る。ううむ、見事なブルックナーだ。荘厳な世界でしたね。
もうひとつの表現世界を垣間見ました。
ありがとうございました。
おわり


2673- マーラー 9番、チョン・ミョンフン、東フィル、2019.2.20

2019-02-20 23:16:59 | コンサート

2019年2月20日(水) 7pm コンサート・ホール、オペラシティ、初台

マーラー 交響曲第9番ニ長調  27-15-13-26

チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


→2/15
コンセントレーション、指揮者の作り出す音楽的集中力。音がコリコリと固まって隙間が無く、圧倒的な音響美が醸しだされる。

音が薄まるところ集まるところ、各インストゥルメント、パートの単旋律が音色旋律風に他のインストゥルメント、パートに次々に感染していく。パートからセクションへの広がり、音色旋律の拡大系の様な広がりの様相を呈していく。圧倒的な音楽のアヤであり指揮者の要求に応えるオーケストラは見事というしかない。それで、その、1インスタンス的な音色旋律進行の現象の塊が、別に2インスタンス、3インスタンス、と、複数あらわれてくるのだ。一見すると錯綜の様相を呈するのだが、それぞれのインスタンスが輻輳しあう。輻輳というよりかは、インスタンスを音で侵食していく感じ。響きの進行が風邪のようにうつっていく。
音色旋律の束が複数あって、お互いに音の浸食をする。これがGM9の際どい世界だ。

終楽章は少し振り向きパトス、過去を振りむき過ぎたのかもしれない。感動パトスがはびこる中、チョンの棒は、過去を振りむき過ぎたと思わせてくれたりする。つまり、マーラーとしてはもう1曲、作る必要があったのだ、と。
チョンの冷静で知的、光るセンス、大きく作品を見据えた棒は見事というほかない。応えるオーケストラは万全、細かいところまで練り上げられた演奏。マーラーの完成作品は、この先にあるのだと、思わせてくれるチョンの冴えわたる指揮であった。
ありがとう、本当に素晴らしい演奏。
おわり













2672- マーラー 9番、チョン・ミョンフン、東フィル、2019.2.15

2019-02-15 23:05:19 | コンサート

2019年2月15日(金) 7pm サントリー

マーラー 交響曲第9番ニ長調  28-15-13-24


チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


毎回の3回定期のうち手持ちは2回分。溜池と初台。今回のGM9は15日と20日。思う存分聴いた。心地よい疲れが漂う。

妙な情けの深刻さが無い彼の演奏は好みだ。まずは音楽の事から入っていく、作品の事を第一にして、考え抜いた表現であり、そびえ立つ作品が美しい。
この日のフォーメーションは16-16-14-12-10(たぶん)で巨大な弦のうねりの中、大きい音響は管に余裕を持たせるバランス。マーラーの音が薄まっていくところはグッとテンポを落とし、集まるところではチリチリとインテグレーション。もはや明らかなり。伸縮自在な運びと立体的な深彫り。GM9の余計な観念を思わせることなく音楽の表現に集中していく演奏はお見事ですね。マッシヴサウンドを美しく響かせ進行するオーケストラの →2/20


2671- ハイドン、四季、ソフィ・イェアンニン、新日フィル、2019.2.15

2019-02-15 23:00:03 | コンサート

2019年2月15日(金) 2:00-4:50pm トリフォニー

ハイドン 四季   31-36-35-33
春 4-27
夏 36
Int
秋 35
冬 33

ソプラノ、安井陽子
テノール、櫻田亮
バス、妻屋秀和
合唱、栗友会合唱団

ソフィ・イェアンニン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


新日さんの金曜午後2時、土曜午後2時企画のルビー・アフタヌーン・コンサートは好指揮者連発で内容が毎度の佳演。それに価格帯が一般で4500円と2000円の2コース。これだけでも大お得なんだが、内容が毎度優れている割には客が埋まらず、(だいたいいつも、2000円席を買い4500円席に座るという僥倖を繰り返している。)
こうゆう話はファンとしては痛し痒しのところがあるわけで悩ましいが、好指揮者佳演の連発を楽しんでいる勝手な自分がいる。まして、今日みたいなビッグな作品も聴けるわけで願ったりかなったり、ありがとうございます新日さんというしかない。

お初で観るソフィさん、スッキリしている。パンツまで黒でかためたもの、上にあげた金髪が美しい。きびきびとした振りで、両腕はほとんどお腹より上での動き。主に縦振りと横振りで斜めに撫でる動きは皆無。虚飾を排したものでポイントを突く棒には、目障りという言葉は完全に忘れ去られる。オケのほうからは見やすいと思うが、どうだろうか。


字幕があれば助かるのだがそこまで贅沢は言わないでおこう。プログラム冊子に対訳が載っているし、隣近所はエンプティシートなので気兼ねなく見ながら聴く。日本語それにドイツ語のほうを一生懸命見ながら、結局、春夏秋冬、全部追った。気持ちよく達成。

生命力溢れる春の序奏に始まり、夏の息の長い起伏の見事な表現、等々、満喫しました。時間をかけてドラマを作り上げていくハイドン、四季折々にはこれだけの時間が必要なのだろう。ドラマというよりは生活ですね。生命、生きることの意味、そして、生の息吹き。本来の人間のテンポを思い出した3時間ロングの演奏会でした。

スペシャリストの櫻田さん、ちからが入ってましたね。コンセントレーションの質が違うっていう感じ。
ソフィさんは合唱の能力をどんどん出していく。この力感は生きている実感。なんだが、合唱は気張るとピッチが揃わなくなる気配。無色ではなくとも透明に伸びていく合唱が聴きたかったところもある。

指揮者、ソリスト、合唱、そして充実のオケ、よく揃ったもので長い長い指揮のドラマを満喫しました。
素晴らしい演奏、ありがとうございました。
おわり




2670- チャイコン1、牛田、ブラ2、炎、読響、2019.2.14

2019-02-14 23:53:33 | コンサート

2019年2月14日(木) 7pm サントリー

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ長調op.23  22-7+8
  ピアノ、牛田智大

(encore)
ショパン 前奏曲op.28-15 雨だれ  6

Int

ブラームス 交響曲第2番ニ長調op.73  17-10-5-10

(encore)
アイルランド民謡 ダニー・ボーイ  3


小林研一郎 指揮 読売日本交響楽団


ちょっと、斜めに引っ掛かり上げ気味の弾きで、終わりは終わりではないというイメージを持ちたい自分としては引き際までコクのあるプレイを見たい。それに
何か一つのものを求めようという意識が強すぎるように見え、それが暗中模索気味なところもあって、あまり余計な事を考えずに弾けばいいのに、と、聴くほうは気楽なもので好きな事を言って仕舞う。
内に向かってストイックに集中していく姿はいいものですね。

伴奏振りがあまり得意とは思えない炎さんですが、入念な型作りで大きなサポートでした。チャイコフスキーだからですからね。


後半のブラームスはふところの大きな演奏。ゆるりとした進行で、色々な引出しをじっくりと魅せてくれる。味わい深い。
初楽章は音をふるいにかけて良き味に濾す。時間の要るものだ。納得の巨大さでしたね。これをきくと2楽章は、足りないなもっとあってもいいな、という実感。ひとつずつのハーモニーがさえわたりもっと聴いていたいという実感。
頭2楽章のホルンソロは見事なもので、若いホルニストにとって炎さんのような海山指揮者が色々と道筋をつけて、節の味付けもしてくれるんだろう。そういったことがよくわかるプレイ。炎の存在は大きいものですね。
3楽章をステップにして終楽章はケバさを全て取り払ったもので読響の重心が生きる生きる。腹にこたえる。
炎さんは最後に向かってややテンポ上げました。気がつくと初楽章の冒頭から聴いて、ここで初めてこのようなことしている。スローで押し通していたらどんな演奏になっていただろうと、こわいもの見たさになります。
いい演奏でした。
ありがとうございました。
おわり




2669- シュトラウス、Vn協奏曲、バーエワ、ハンス・ロット1番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2019.2.9

2019-02-09 23:25:48 | コンサート

2019年2月9日(土) 6pm NHKホール

シュトラウス ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.8  15-6+7
 ヴァイオリン、アリョーナ・バーエワ

(encore)
イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番ト長調op.27-5 より 第1楽章 曙光 2

Int

ハンス・ロット 交響曲第1番ホ長調  9-10-12-21

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


バーエワさんお初で聴きます。メンタリストのリズボンの雰囲気ありますね。
演奏したのはシュトラウスの8番目の作品。この作品は生演奏で聴いたのは何度かあったと思う。
オーケストラのメイン楽器であるヴァイオリン群、それと同じ楽器でのソロは音が埋もれてしまいかねない。終始ぶ厚すぎる伴奏作品と思う。シンフォニックな響きの流れが続く。が、そんな懸念を一掃する様なバーエワさんのヴァイオリン。よく聴こえてくる。ソロのパート・パッセージもなにやらシンフォニックな趣きがあり、音色、肉太感も同一ベクトルな中、タップリと弾き切るバーエワさんの実在の弾きといった印象。作品を上回る。空気をすーっと自分のものに変えていくあたり、凄いヴァイオリニストですね。
ヴァイオリンのコンチェルトとしては、飛び跳ねるような瞬間がもっとあってもいいような気がする。


後半のハンス・ロットの1番。初めて聴く作品。
第1楽章は全部序奏のように聴こえてくる。なだらかに音が上昇し厚みを増す。そしてそのまま終わる。ブラスのソロだけでなく全体的にブラスセクションに力点がありそうだ。
次の楽章は変化が投じられるものの初楽章の流れがありますね。
スケルツォは、トリオを挟んであとのスケルツォが変形しているように思ったがどうだろう。一回聴いただけではなかなかわからないことが多いですね。中間部のトリオが一番静かで落ち着く。
プログラム冊子の解説は、他の作曲家の名前を出して誰に似てるとか影響を与えたとか、馴染みのない作品だけにいたしかたが無いのかもしれないが、それはそれとして、作品の形や内容にふれたものが欲しい。楽章が進むにつれてタイミングが長くなり大きくなっていく作品、冊子解説は真逆の尻つぼみ。もう少し書きようがあると思う。推測と事実のシャッフリングはわるくは無いと思います。
それで、1,2楽章となだらかに続いてきた音楽はこのスケルツォ楽章で、活路でも見いだしたかのように充実してくる。明瞭に形が決まっているスケルツォフォルムだからなのだろうか。でも、響きの創意工夫は型をどかすインパクトがありますね。トリオの静かさは作曲家のもうひとつの脳内を垣間見るようでさえある。いいものでした。

20分越えとなる終楽章は冊子解説に必要な事が書かれていない。これは残念です。
序奏モードのような手探りの音楽が延々と、結果的に、同楽章三分の一ほど続く。びっくりするほどの思わせぶりで、このあとどう展開していくのか、1,2楽章とのアンバランス感が脳裏をかすめる中、不安期待半ばで待つも。
大規模オーケストラ、ブラスセクションがメインとなり、ひたすらマーチが続く。序奏に延々と思ったのも束の間、マーチが手を変え品を変え延々と続く。長めの音符を中心とした節はブラスにはきついだろうね。前半楽章の拡大系のようにも聴こえてくるが、作品の質がレガート気味で呼吸の間、タメ、そのようなところが無くて棒吹きを要求している楽章なのだろうか。昔のN響は行進曲が得意でなかったが、今は違う。かなり硬質になったサウンド、シャープさにシフトしっていったスキル模様。ハイスキルの向かうところはあちこちなのかもしれない。硬質なサウンドとなった訳、を教えてくれる。この皮膚感覚。硬質になった分、軽くなる必要は必ずしも無いとは思うのだが。

似てる話でいうと、なんというか、捨て鉢でもいいからほの暗さや憂いの様なところが一瞬でもいいからあればいいなあ、スクリャービンの2番シンフォニーのように、とは思った。似ていない話になってしまうが。
おわり


2668- コープランド、ファンフェア、クラリネット協奏曲、重松、交響曲第3番、ヒュー・ウルフ、新日フィル、2019.2.7

2019-02-07 23:58:26 | コンサート

2019年2月7日(木) 7pm サントリー

オール・コープランド・プログラム

Fanfare for the Common Man   4

クラリネット協奏曲  17
 クラリネット、重松希巳江

(encore) with Base
モートン・グールド ベニー・グッドマン70才誕生日に  2

Int

交響曲第3番  11-8-10+13


ヒュー・ウルフ 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

スペシャリスト、ヒュー・ウルフによるまことに香ばしいオール・コープランド・プログラム。

大作のシンフォニー3番。冒頭楽章の一音目から聴き入るしかなかった。音色バランスというよりも、正確な均等配分とでも言えばよいのか、聴いたことも無いようなブレンドされたハーモニー。各インストゥルメント、アンサンブル、音の強弱が見事にバランスし進行する。ヒュー・ウルフの冴えた耳感覚のなせる技だろう。どの音も押さない引かない、ちょうどよいのだ。ハーモニーの進行がこれほど美しく響くとは、なんというか、正しく驚いた。正確な音の配分でめったに聴けない音色(ねいろ)アンサンブルのハーモニーと全体合奏。その中に一筋のファンフェアのフシが絶妙に出入りする。スペシャリストの作り出すパフォームは限りなく用意周到と言わねばならない。
レガート気味のストリングと出しゃばらないブラスセクションの一体感。ウィンドはなめし皮のように流れる。小川の底が見えるようだ。パーカッションのアクセントが物凄くメリハリ効いていて実にツボツボ、ツボですなあ。コープランドの立体感が一瞬にして構築されて、お見事というほかない。静かなパレットが大きく広がっていく。美しかった。

続くスケルツォ楽章はこの曲では一番短いものだが、それでも10分に迫るもので、フォルムの安定感もさることながら随所にちりばめられたコープランド特有のリズミカルな躍動感が生き生きと伝わってくる。ウルフの振る初楽章はウェットなコープランドサウンドを醸し出した見事なもので、続くこの楽章でも刻みは刻みとしても、なにかこう、しっくりと音が鳴る。乾くことが無い。
第1楽章はまるまる序奏の様な趣きなのだが、耳を拡大してみると、動く2楽章があって、3楽章はもう一度序奏に戻り、アタッカで入る終楽章が大きなコーダ・フィナーレ。つまり序奏とコーダ・フィナーレだけの構成のようにも聴こえてくる。
このウィンド弦楽メインの3楽章は初楽章と同じくコクがあって味わい深い。ファンフェア主題がより明瞭に近づいてくるのを感じますね。レガートモードでぎっしりと音を埋め込んでいくストリングは聴きごたえあります。ストリングの合奏ではコープランドシンコペーションは薄められている。深い弾きに身を浸す。

やがて静けさを取り戻しいつのまにか終楽章のファンフェアが弱音で奏される。劇的な回帰ではない。静かなのだ。この静まりで1曲目のfanfare for the common manを思い出すことになる。ああ、なんだか最初に聴いたなあ、という感じと、そもそも根源的にあったようなものが綯い交ぜになっているようでもあり名状し難い心持となる一瞬とでも言えばよいのだろうか。
音量を増して熱を帯びてくる終楽章だが、ウルフの求めているものはパワーではないだろう。パワフル演奏を求めているのではないのは最初のファンフェアで明白。飽くまでも均整であって、聴後感というのは、この戦後作品をクラシックなもの古典の領域に屹立させたようなものだと深く思う。正比例グラフのような音量の増大は周到に配置されたバランスの響きであり、正しく正確で、思えば最初の楽章からそういった思いがあり、ここに最終的に集大成の響きワールドを結実。まさしく、古典的なウルフのパフォームが見事にきまった。
しびれました。


前半の2曲目に置かれたクラリネット協奏曲。これも聴きもの。
ゆっくりと、なにか、アイヴズ風な丘陵の家々、煙突の煙、そのようなものが心象風景としてイメージされた音楽、そんな歩みをクラリネットの重松さんが緊張感の中にいい色合いでプレイ。吹き始めはそうとうな緊張感のように見うけました。音は少しずつもまれてきて、ようやく柔らかい響きが居心地良さを感じさせてくれる。
やがて、コープランドのリズムの世界。ノリとはちょっと違う。音がとんがってない。このオーケストラに身を置くクラリネットの音とパフォームだと思う。なんだか、奥ゆかしい。
シンコペ的なリズムの殊更な強調といった事はそれ主眼のプレイとしていないことで明白だし、はみ出させることでは無くて内に向かう美的センスを思わせる。ウルフと相似形なところがあるように思いましたね。
アメリカ風味と和がジャストマッチにブレンドしたような表現だった。極上の内容で大いに楽しめた。
アンコールでプリンシパルのコントラバスさんがクラリネットと並びモートン・グールドの作品を。
はじけるベース、粋に間を埋めいくクラの洒落た味。オーケストラメンバーの息の合った演奏、これも楽しかった。

ウルフさんにはもっと来日にしてもらってアメリカ物をたくさん振って欲しいものです。


この日は、同オケの600回目の定期公演という節目のもの。ロビーには色々と昔の写真、プログラムが置かれていました。
客入りは7割ほどでしょうか、最近の同オケの充実度を思うにつけ、もっと盛況になってもいいと思います。
まずは、おめでとうございます。
おわり