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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2011年11月27日(日)1:30pm
文京シヴィック・ホール
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ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
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グリーグ 「十字軍の兵士シグール」より3曲
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シベリウス 交響曲第1番
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(アンコール)
シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ
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新田ゆり 指揮 新日本交響楽団
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アマチュア・オーケストラの演奏会を聴いたことはほぼ皆無。東京フルトヴェングラー研究会の公演にたまにいくぐらいだが、これはちょっと主旨が違うし、とにかく初めてのような経験です。
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それで演奏会のお初の感想としては、一言で言って、ゼロから100へ。そんな感じ。だんだん良くなり最後はアンコールで燃え尽きたという感じですね。ワーグナーのどちらかというと物語前史のタントリス状態から徐々に燃えフェスティーヴォにたどり着いたというところでしょうか。
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メインディッシュのシベリウスの1番は、指揮者がいかにもシベリウスのオーソリティといった雰囲気でこなれた棒になっていました。クラリネットの序奏に続く第1主題のテンポが結構進みまくるので驚きますが、メリハリをつけたというところでしょう。ただ個人的には第1主題は序奏と同じ速度で行ってほしかった。シベリウス特有の透明感はソロ楽器ではなく合奏で限りなくでてくるものですから。曲の第1印象としてあるのは序奏ではなくやはり第1主題。
昔々最初に買った1番のLP(アナログディスク)は、アンソニー・コリンズの棒、ロンドン交響楽団のロンドン・レーベル。これを最初に聴いたときはインパクトありましたね。学校に持って行って音楽室でブラバンの連中に聴かせましたから。全日本吹奏楽コンクールなんかでも材料が過激にオーケストラ曲に偏向していった時期があり、よもややるまいと思っていたタコ5の第1楽章!、シベリウス1番の第1楽章!、ここらあたりまで行き着いてしまった時期がありましたから。定期演奏会では運命の第3,4楽章とかね。ブラバンですよ。まあ、そんな時代もありました。
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シベリウスのこの第1楽章は、吹奏楽でもオーケストラでも序奏の後の透明感の深さで決まります。今日の演奏はその部分を深く味わうには少しスピードがありすぎました。埃っぽくなり輪郭の明確さが多少犠牲になる。でもいわゆるモザイク語法の初期ではあるのですが、一見(一聴)気まぐれ風なショート・フレーズが次々につぎはぎにされ最後はジグソーがはまったような感覚、この曲はまだ初期ですのでそこまではいきませんが、後記交響曲をイメージさせてくれていたように思います。
第2楽章の広い音楽、前広で豊かな音楽になっておりました。第3楽章のトリオのブレーキ感、いいですね。
第4楽章は、横ではなく縦の響きです。フレーズが縦になっている。ろうそくの炎の核が上に向かうように、そのような流れです。ミステリアスな垂直的な響きがよく表現されていました。第3楽章の爆発は間違いのないところで腕達者なオーケストラだと認識できましたし、そのまま第4楽章へアドレナリンがうまく移っていき最後の爆発とピチカート、よく決まりました。あの響きを最初に感じたい。第1楽章の透明な第1主題ですでにミステリアスなピチカートが用意されている。そういうことなんでしょう。
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前半1曲目のトリスタンは前奏曲結尾の盛り上がりのあたりで急激に合わなくなりましたけれど、プロとアマの違いは演奏中の自発的な矯正力の有無といったところかもしれません。愛の死は字余り的でメリハリが今一つ。指揮者がワーグナーに慣れていないというか今一つオペラの呼吸になっておりません。
2曲目のグリーグでようやく活力が出てきました。指揮者が積極的に音の粒立ちにもっと関与してもいいと思うのですが、とにかくいい方向感が出てきました。
そして最初に書いた通りシベリウスのメインディッシュはよかったと思います。
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それでアンコールのアンダンテ・フェスティーヴォ、祝祭アンダンテですね。弦のウエットで幅広い表現を全部聴きことが出来ました。ここで最高潮、最初のワーグナーから始まりようやく頂点を聴けました。指揮者の最も得意とするところでもあったようです。
この曲を世の中に知らしめたのは、個人的には、たぶん、ネーメ・イエルヴィ&エーテボリのCD黎明期のBISから5番との組み合わせCD。イエルヴィはその後DGにも全集を作っているが、アナログ・ディスクからCD移行期の全集が印象的です。ブラックディスクはジャケットもブラック模様で、移行期のCDも同じような雰囲気。新鮮なシベリウスを呼吸のように聴きました。とにかくあのあたりからこの佳作が比較的演奏され始めたように思います。初めて聴いたときのみずみずしさを思い出すことが出来てよかったと思います。
(イエルヴィは1970年代後半1980年代前半あたりのNHKの表記です。いまはヤルヴィと発音、表記されてます)
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このホールで聴くのはお初です、天井が高すぎるのか拡散系でまとまりのつかないホール音。また椅子の座り心地がやたらとよくない。前に狭い。
コンサートホールという感じではない。シヴィックなホールということで。
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シベリウスつながりということで、
ムラヴィンスキーの棒による7番を紹介しておきますね。
1251- シベリウス交響曲第7番 演奏は曲を超えた。異形の絶演!ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(改変・再々掲)
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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
2011-2012シーズン
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2011年11月26日(土)6:00pm
NHKホール
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マーラー リュッケルトによる五つの歌
Ⅰわたしの歌をのぞき見しないで
Ⅱほのかなかおりを
Ⅲ真夜中に
Ⅳわたしはこの世に忘れられ
Ⅴ美しさを愛するのか
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マーラー 交響曲第4番
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ソプラノ、ダニエレ・ハルプヴァクス
準・メルクル 指揮 NHK交響楽団
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美しさゆえに愛しているのではない、それならば、
太陽を愛するよ、金色の髪なのだから!
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若さゆえに愛しているのではない、それならば、
春を愛するよ、毎年若々しいままなのだから!
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財宝ゆえに愛しているのではない、それならば、
人魚を愛するよ、綺麗な真珠をたくさん持っているのだから!
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愛ゆえに愛しているのだ、
わたしはあなたを永久(とわ)に愛す。
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今日の5曲目のリュッケルトの詩を男の立場から意訳するとこのようになるのだろうか。
トラヴィアータのヴィオレッタは言う。
わたしがあなたを愛している以上にわたしをもっと愛して。
この場合、男の立場に立って何を言えよう。はい、ぐらいしか思い浮かばない。
歌詞の力はすごい、そうゆうことです。
リュッケルトのこの曲順は3曲目まであっという間ですので、前半プログラムは短く済んでしまうコンサートかもしれないなどと思ったりするが、4,5曲目が結構長いのです。終曲第5曲の盛り上げ方はよかったと思います。
歌は好きです。ただリサイタル風なピアノ伴奏による歌曲の夕べといったものには足が向きません。オーケストラル・ソングが大好きです。シュトラウスものがメインですが、なんというかオーケストラの厚み、しっとりとした滴のような音のかたまりに乗せて歌う美しい詩の数々。人間の本質的なウェットさが感じられます。
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今日のハルプヴァクスの歌よかったですね。力が抜けていて、技巧というものを感じさせない。自然な流れがすべてを支配しているような。静けさと不思議なリラックス、そして心地よい緊張感、なにかすべていい方向を向いていました。
劇場畑の歌い手の感じがよく出ていて、その場その場、そのフレーズそのフレーズで呼吸を整えていきますね、歌が生きている。そして場の雰囲気に自分を乗せていくことが出来る。まさにオペラの歌い手ですね。4番は第3楽章がはじまるところで登場、第3楽章の後半のあたりでは、歌う前なのになにかとっても曲に入り込んでいっていてイメージを作っていく姿が本当に音楽している感じ。場数を相当踏んでいるとみました。
声質は極度にメロウな感じはないものの、とげとげしさが全くない自然な柔らかさの声質も聴きやすく静かで美しいオーケストラル・ソング、大変に美しいものでした。やっぱりオケ伴の歌はいい!!
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マーラーの4番を初めて聴いたのは、ハイティンク&コンセルトヘボウの1977年来日公演でした。美の極致の演奏でした。
あの演奏がいまだに脳裏にある、基準があすこらあたりなってしまっていて、あれと比べると今日の演奏はどうだった、みたいな感じになってしまいます。もっとも、4番は演奏会で取り上げられる回数が多くなく生聴きする機会も限られているので、大好きな曲だけにしっかりと聴いておかなければいけません。
第3楽章の天上の響き、メルクルはやや速めのテンポで開始したが、結局21分かかった。一つの音をこれだけ延ばし延ばしながら演奏を進めていかなければならない、この難しさ、裏も表も透けて見えるような音の流れ、オーケストラの力がなければ困難なピッチの同一化がうまくなされない。一つのピッチに音クラスターのような響きの圧力の変化も全員同質化されなければならない。両方揃って初めてこのruhevoll平穏にみちて、という表現が可能となる。
N響は両方クリアしていると思いました。一つの音符の中での音圧の微妙な変化、そこまできっちり表現されていました。
そのさきにある音楽の滔々とした流れ、そこまで達していたかというともう一息といったところでしょうか。指揮者との呼吸は短い練習期間という尺度だけでは測れない別の長い呼吸が存在しているように思えます。そういった部分は感じられました。
第1楽章の短い粒立ちからすぐに同じ刻みでコントラバスが対位しますが、ちょっと軽い。軽くしないと動けないということではないと思いますが、響きの厚さがもう少し求められるところではある。
芝居がかったテンポはとらないが、伸縮自在な流れはなにかアコーデオンのじゃばらのようでもあり、こうなるとオペラチックな濃い部分も出てくる。限りなくついてくるN響のウィンド能力の高さは圧倒的で、ウィンドがこのように伸び縮みするオーケストラはやっぱりすごいですね。
今日のコンマスはコンセルトヘボウの方。第2楽章もつるつる。どぎつさがもっとあるような表現も可能な曲だと思うのだが、そうではない方の弾きっぷりということになるかと思います。第3楽章に頂点を持ってきたものでしょう。
第4楽章はなにか最初から終わっているような、それとも繰り返しが永遠に続きそうな、そんな奇妙な楽章です。でも三度目のリピートで終わる気配を感じさせてくれるあたり指揮者の感覚、それにハルプヴァクスの表現の豊かさなんだろうね。
ハルプヴァクスは本当に柔らかくて自然。この響きとならSehr behaglichとてもくつろいで、そんな気分になれます。
今日のコンサートは静かで深く沈み込めるいい演奏会でした。
おわり
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(文中紹介演奏会)
今年も命日が近づいてきました。
野村さんからのメッセージです。
本物の熱意とはこうゆうことなのです。
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皆様
こんにちは。ずいぶん寒さも増してまいりましたが、お元気でしょうか。
今年も残り少なくなってまいりましたが、本会では11月30日に命日の集い、12月10日にオケ演奏会、23日に忘年会イベントを行います。
詳しくはホームページのニュース欄をご覧ください。
ニュースにはさる11月3日に行われたフルトヴェングラーフォーラム・イン東京2011のレポートも掲載しています。
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賛助会員の皆様には、平素からのご指導ご鞭撻を心より感謝いたします。
以前、賛助会員であられた方の再入会、また新規の入会も歓迎いたします。
今年は生誕125周年に際して、多くの方の新規ご入会を賜り、感謝しております。
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本会は世界で唯一のフルトヴェングラー音楽祭を毎年行い、秋にはフルトヴェングラーフォーラムを開催しています。
さらに年間3回のオーケストラ定期を行い、月例では研究会、著作の読書会があり、その他に彼の誕生日、命日を祝う会、納涼会、忘年会など、ふんだんにイベントが用意されています。
人と人との密接な交流が魅力です。
CDや楽譜、論文集などの出版活動も行っています。
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ぜひともこのような本会にご関心をお寄せ下さい。
また、ご関心をお持ちの方にご紹介下さい。
今後とも、共にこの稀有な芸術家、人間である彼を通して、彼に関心のある人が集い、親睦を深め、また現代の音楽と人間について考える会として発展させていきたく思います。
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東京フルトヴェングラー研究会
代表 野口 剛夫
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http://www.kt.rim.or.jp/~otakesan/furt.htm
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/b7/018fe6a53622301cd733c2c6165447c2.jpg)
1981年11月13日(金) 6:45pm NHKホール
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この前のブログで紹介した1981年の演奏会の秋山つながりでひとつ。
秋山さんは1941年の生まれということですから、今から35年まえの35歳ごろにニューヨーク・フィルにデビューしました。
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1976年1月8,9,10,13日
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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ドビュッシー イベリア
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ショパン ピアノ協奏曲第1番
ピアノ、ゲイリー・グラフマン
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オネゲル 交響曲第3番 典礼風
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秋山和慶 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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典礼風というとすぐに思い起こされるのがムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1965年モスクワ・ライブの異常な爆演なんだが、秋山はニューヨーク・フィルを相手にどんな棒さばきをしたのだろうか。残念ながらこの4日間のうちどれも聴いていない。だから何とも言えない。この日にこの演奏会があったということだけです。グラフマンのショパンの響きも興味あるところですね。
この時代のニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督はピエール・ブーレーズ。トランペットの首席はツー・トップでジェラルド・シュワルツの名前も見えます。
そういったところです。
秋山はこのプログラムを4日間振り、その後はこのオーケストラとは縁遠くなっているようですね。
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一番下の写真はプログラムの裏表紙なんですが、東京もニューヨークも地下鉄の混雑は同じような感じ。煙草は固めの箱に入っているのを買うべきだと。
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1981年7月17日(金) 6:45pm 東京文化会館
松平頼則 作曲
フリュート独奏と室内オーケストラの為のセレナード (改訂初演)
フルート、小出信也
二群のオーケストラの為の循環する楽章
第Ⅱピアノ協奏曲(初演)
ピアノ、高橋アキ
オーケストラの為の舞楽(日本初演)
秋山和慶 指揮 NHK交響楽団
例によって当時のメモを書いておきます。
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いわゆる「現代音楽」である。これら4曲のワンパターン的雅楽的表現をなんと表現してよいものか。作曲者の語法の確立なのか、素材の限定なのか。
指揮者の棒を振る姿は、なんとも滑稽なものにみえてくる。声を発した方がプレイヤーは演奏しやすいのではないかとつくづく思った。
音楽を難しくする必要はあるのだろうか。あるのだろうが、半部しかついていけない。現に指揮者は半分しか棒を振っていないではないか。Ⅱにおける演奏のやりなおしは、その端的な表れであるし、また、やり直しても別に全体の関連性といったことに少しも疑問を感じない。これはN響の高度な技術性とは何の関係もないことだ。
ただ、聴きたくない音楽だとは思わなかった。何がしかの意味でのおもしろさはあったと少しは思う。
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といった感じで、感じたままのショート・メモでした。2曲目のやり直しのことはよく覚えています。冒頭クラがボキャボキャといったあたりその繰り返しっぽいところでみんな絡まってしまい必死に棒についていこうとしたが、指揮者がストップをかけ、聴衆に向かってお辞儀をして、あらためての演奏となりました。双方ともに練習不足だったのかそこらへんのことにはあまり興味がありませんが、それが時間不足によるものであったら演奏会自体あまり意味のないことだったやに思います。
その後、特に話題になることもなく(なったのかどうかも知らない)、一つのコンサートが過ぎ去りました。
おわり
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