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河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2052- トスカ、藤原歌劇団、2016.1.31

2016-01-31 19:22:51 | オペラ

2016年1月31日(日) 2:00-5:15pm 東京文化会館

jofプレゼンツ
プッチーニ 作曲
馬場紀雄 プロダクション

トスカ

キャスト in order of appearance
1.アンジェロッティ、 久保田真澄 (Bs)
2.堂守、 安藤玄人 (Br)
3.カヴァラドッシ、 笛田博昭 (T)
4.トスカ、 佐藤康子 (S)
5.スカルピア、 須藤慎吾 (Br)
5.シャルローネ、 田中大揮 (BsBr)
6.スポレッタ、 深一了 (T)
7.羊飼い、 時田早弥香 (S)
8.看守、坂本伸司 (Br)

藤原歌劇団合唱部
多摩ファミリーシンガーズ
東京フィルハーモニー交響楽団
指揮 柴田真郁

(タイミング)
ACTⅠ 44′
Int 25′
ACTⅡ 43′
Int 25′
ACTⅢ 27′


昨年の藤原さんは今一つパッとしなかったので、あまり期待することもなく出かけたのですが、なんと、これが、すごい、すごい。

マリオ、トスカ、スカルピア、この3人衆、思う存分歌い尽くしている。もう、爽快としか言いようがない!
中でも、若いスカルピアの須藤さん、ものすごい鬼形相で役に同化、何も怖いものは無いという感じであれだけ歌い切れば、もう、脱帽するだけ。ジャストフィットでした。
この3人衆は何よりも声が大きくて安定している。声が大きいので小声のニュアンスがこれまた、さえまくる。ダイナミックレンジが大きくてニュアンスも大きい。知りつくされたオペラがまるで陳腐にならない。切れば飛び散るといった雰囲気で新鮮でした。

そして、指揮の柴田、これがまたいい。まず、歌い手への指示が明確で大胆。歌い手たちにグイッと指示ができる棒、いいですね。遠慮無用の世界。
メリハリがきいて、ダイナミック、グイーンとドライブをかけてスパッと切る。気持ちがスカッとする。ムーティの若い時の棒に雰囲気似ていますね。

全キャスト、指揮者、体当たりのド迫力なトスカ、すっきり最高!
この前の初台でのちょっとモヤモヤした気分の魔笛が飛んでいきました。
ありがとうございました。


この日も残念ながらぶち壊し屋が多数おりました、それだけが残念。特に2幕、マリオが勝利のロングトーンを奏でるところ、その声をのばしている最中に、それに乗せてブラボー、ハモりたかったのかもしれないが、あれはあまりにもひどくてクレイジー、フライングの域を完全に越えていて、ただ邪魔しに来ただけだろう。オーケストラル・コンサートで運命のフィナーレのコーダの最中に叫びますか、そのくらいひどい迷惑行為。


2051- 若林顕 ピアノ・リサイタル、2016.1.30

2016-01-31 12:28:04 | リサイタル

2016年1月30日(土) 6:00pm サントリーホール

ラフマニノフ コレルリの主題による変奏曲  18′

ショパン 12の練習曲  34′

Int

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 12′3′17′11′

(encore)
チャイコフスキー 金平糖の踊り(くるみ割り人形より)  2′
リスト  愛の夢 第3番  4′
ショパン  革命  3′
ヘンリー・マンシーニ  ムーンリバー  2′


ピアノ、若林顕


ベートーヴェンを聴きに来ました。若林さんはたぶんお初で聴きます。ホールはいっぱいです。

ハンマークラヴィアは精神集中させるにはいい曲。第3楽章はやはり、情がまさっていると感じます。
ピアノはちょっと脂ぎっているような雰囲気ありますね。指の太さがそのまま音の太さになっているといった感じ。
ヴィルトーゾに違いないとは思います、前半のショパンやアンコールを聴いているとそう感じます。
ショーンバーグの「ピアノ音楽の巨匠たち」、第10章あたりを思い出します。

ベートーヴェンの多様な世界を感じました。
ありがとうございました。
おわり


2050- オール・ベートーヴェン・プロ、バルナタン、ギルバート、都響、2016.1.30

2016-01-31 12:16:35 | コンサート

2016年1月30日(土) 3:00pm 東京芸術劇場

オール・ベートーヴェン・プログラム

序曲コリオラン  8′

ピアノ協奏曲第3番ハ短調  17′、10′+9′
 ピアノ、イノン・バルナタン
(encore)ピアノ・ソナタ第6番、第3楽章  2′

Int

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調  14′8′8′9′

アラン・ギルバート 指揮 東京都交響楽団


この前と今日、こうやって日本で都響を振っている間に、ニューヨーク・フィルの次の音楽監督が決まったとのニュース。彼にとっては済んだ話だとは思いますが。

ギルバートが振ると都響に重みが出てくる。もたれる感じは無く、パースペクティヴが良くなり、ノリも出てきて活力がみなぎり躍動する。
良い事尽くしなのだから、このオケの次期音楽監督になってもらうてもあるかと思う。

バルナタンのピアノは几帳面ですね。
おわり


2049- 魔笛、パーテルノストロ、東響、オペラパレス、2016.1.28

2016-01-29 00:06:04 | コンサート・オペラ

2016年1月28日(木) 2:00-5:10pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
モーツァルト 作曲
ミヒャエル・ハンペ リヴァイヴァル・プロダクション

魔笛

キャスト (in order of appearance same as voice’s appearance)
1.タミーノ、 鈴木准 (T)
2.侍女Ⅰ、 横山恵子 (S)
2.侍女Ⅱ、 小林由佳 (Ms)
2.侍女Ⅲ、 小野美咲 (Ms)
3.パパゲーノ、 萩原潤 (Br)
4.夜の女王、 佐藤美枝子 (S)
5.モノスタトス、 晴雅彦 (Br)
5.パミーナ、 増田のり子 (S)
6.童子Ⅰ、 前川依子 (S)
6.童子Ⅱ、 直野容子 (S)
6.童子Ⅲ、 松浦麗 (Ms)
7.弁者、 町英和 (Br)
8.ザラストロ、 妻屋秀和 (Bs)
9.僧侶、 大野光彦 (T)

10.パパゲーナ、鷲尾麻衣 (S)
11.武士Ⅰ、 秋谷直之 (T)
11.武士Ⅱ、 大塚博章 (BsBr)

合唱、 新国立劇場合唱団
ロベルト・パーテスノストロ 指揮 東京交響楽団

(タイミング)
序曲 6′
第1幕 61′
Int
第2幕 85′


1998年5月6日がプレミエ公演ですから随分と前から人気のプロダクション。
最後のシーンは舞台奥に大きな地球のような星が現れるので、これまでのことは宇宙での出来事だった、みたいなユニバース的な雰囲気になるのですけれども、第1幕終盤でザラストロが出てきたあたりの祭事のような全体的な人の動きというのは、何か、入信儀式に入っていく感じで、言われなくてもフリーメイソンのことしか浮かんでこないもの。それが正しいものと言われてしまうとプロダクションの色濃さも手伝って、人によっては相当な抵抗感があってもおかしくないのではないか。それがユニバースというわけではないのですし。ザラストロが絶対正義ではないでしょうと言いたくなる。

モーツァルト最後のオペラはドイツ語のジングシュピール。タイトルがマジックフルートですから、タイトルロールは誰なの?という話しになってしまう部分があって、この日の内容でも良く言えばキャスト皆おしなべて良い具合、と言ったところか。
指揮者以外オール・ジャパニーズのキャストでタミーノの声が全然出ていないことを除けば概ね満足のいくものでした。特に冒頭に書いたことの象徴である3、侍女や童子の重唱が素晴らしい。それに合唱ですね。キャストの歌は一人むき出しで歌う局面が多く、それはジングシュピール的なしゃべりと相応しているものでそうゆうものだと思うしかない。みなさん揃ったいい歌でした。キャラクター的にはモノスタトスがぴったりときまっていましたね。

それにも増して印象に残ったのはコラール局面の素晴らしさに代表されるパーテスノストロ指揮する東響の透明でピュアなハーモニーの美しさ。そもそも序曲の時からオーケストラの引き締まり具合が普通でなくて、最初から完璧なシンフォニックな腕前披露という感じで、こう言ってはなんですが、もったいないぐらい。

舞台はシンプルで縦と横の移動を活用、それに宙ぶらりんで横に動く童子たち。夜の女王の例のアリアは舞台中央、なにもないところで歌う。かなり印象的ですね。東響の伴奏に合わせてスキッとスカッと聴くことができました。
ゴチャゴチャしない舞台でメリハリの効いたわかり易いもの。横広にとった舞台の縦の移動のスケール感、そして床の蓋をあけてパパゲーナがちょこっとでてくる細やかさまで色々と対比も面白かった。
それから、怪獣たちの中にアリゲーターがいて、這って歩いてましが、あれはどうやって動かしているのかしら。


指揮とオーケストラが緊張感のフレームづくりにかなり寄与していて、これがあればこその散漫ならずの舞台になったわけですね。いい演奏腕前でした。
パーテルノストロは、前はパテルノストロ表記で、いつぞやの11枚組1790円の残響の長い名演ブルックナー全集だけでなく1990年代にたまに日本に来てオペラ振っていました。


魔笛の1000円プログラム冊子。作品ノート絡みとは別に色々と読みごたえあります。

・ウィーンのジングシュピール公演と魔笛
・旅に病んで - シカネーダー一座小史
・モーツァルトの政治利用 - 排他か包摂か

ヒットラーの写真まで引き出していますから、その意気込みというか。

おわり


2048- ハフナー、マーラー5番、ダウスゴー、新日フィル、2016.1.27

2016-01-28 00:51:28 | コンサート

2016年1月27日(水) 7:15pm サントリー

モーツァルト  交響曲第35番ニ長調ハフナー  5′9′3′4′

Int

マーラー  交響曲第5番嬰ハ短調  12′、14′、17′、9′+15′


トーマス・ダウスゴー 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


NJPの場合はプレイヤーの自発性をどれだけ引き出せるか、指揮者の才能が特に問われます。
ダウスゴーの見た目の指揮具合は、同じく新日フィルを指揮したスピノジとクリストフ・ウルリヒ・マイヤーを混ぜたような雰囲気です。こんな感じの指揮者がこのオケにはあっていそうな雰囲気はあります。

前半のモツハフナーは小編成で締まっていて、以前、ハルトムート・ヘンヒェンが振ったモーツァルトを思い出しました。引き締まっていて小気味いい。リハーサルをしっかりこなしている指揮者とオーケストラを感じます。リハは厳しく本番解き放つ。
このモーツァルトも後半のマーラーもリハーサルで全部やりつくしている感じですね。

マーラーの3楽章中間部のワルツは際どさの極み。かなり変形していたが、双方ともにやりつくした感あり。
全体としては、なんだかモヤモヤしているようでいながら、妙にメリハリがあるのか、スウィングしているのか、ノリがある演奏でしたね。
弦のチリチリ感、ブラスは一本ずつが骨太。
第2楽章のビッグサウンドのティンパニの締め、ユニークでした。
おわり


2047- 武満、シベリウス、アランリング、アラン・ギルバート、都響、2016.1.26

2016-01-26 23:25:15 | コンサート

2016年1月26日(火) 7:00pm サントリー

武満徹 Twill by Twilight, In Memory of Morton Feldman (1988)   12′

シベリウス エン・サガ 18′

Int

ワーグナー(ギルバート編) 指環の旅  49′
 (タイミング詳細(たぶん))
ラインゴールド -
ワルキューレACT1 -
ワルキューレACT2 -
ワルキューレACT3 6′2′2′2′
ジークフリートACT1 -
ジークフリートACT2 -
ジークフリートACT3 4′
神々の黄昏prologue&ACT1 13′
神々の黄昏ACT2 -
神々の黄昏ACT3 15′2′3′

アラン・ギルバート 指揮 東京都交響楽団


ニューヨーク・フィル音楽監督が振る演奏会。
現代音楽オーソリティのギルバートが振ると武満の曲も説得力がぐっと増す。オーケストラもしなっていていい演奏。

ワーグナーはカミタソに力点を置いたものですね。都響は重心が高すぎです。ワーグナーをみっちりやった方がいいと思います。
おわり


 


2046- ブルックナー 8番、スクロヴァチェフスキ、読響、2016.1.21

2016-01-22 22:57:39 | コンサート・オペラ

2016年1月21日(木) 7:00pm 東京芸術劇場

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調  16+16、29、20

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮 読売日本交響楽団


Sの指揮するブルックナーはずいぶんと聴いてきたけれど、この日の8番の印象は類するものではあれど、少し印象が異なりました。
円錐の先をこちらに倒して奥に直線的に放射していくようなストレートな線の流れであったものが、この日のブル8では直線的な奥行き感よりも横に幅広な音場空間となり、ともするとゆるいような雰囲気で、オーケストラの特にブラスの縦ずれ、それにホルンを含むウィンドの不安定さにいつものS棒のときの緊張感が少しだけ希薄になったように感じたのがそれを助長したのかもしれません。
年と共に体内時計がスローになり流れが間延びした分だけ密度が希釈されてしまうようになったのかしらという漠然とした思いは終楽章の激烈ないつも通りの棒によって杞憂であったと感じたのは良いことでした。0番1番の類とはまるで異なる巨大さで、直前の流線型の7番とも異なる。9番のやにっこいニ短調以上に扱いにくい8番というあたりあらためて感じました。読響の演奏ももう一度腰を据えてやらせてもらえるならクリアリセットからやり直すといった感じで各プレイヤー自覚し直したのではないか。幸いもう一度同じプログラムがあるので気持ちを入れ直してやる機会はある、幸いにも。
この日の演奏の技術的レベル感はストレートにハイレベル演奏に結びつくほど高いものではありませんでした。オーケストラの方に緊張感が足りませんでした。
いまさら無骨なブルックナー演奏という言葉を探し出すのは似て非なるものを探し出すような記憶の掘り起しであり、単に、思ったほど決まらなかったというところですね。リハーサルが少なかったとしたらうなずける部分はあります。

といったあたりのことが、たくさんこのコンビで聴いてきたブルックナーの演奏がもう一度聴けるという普通の思いがあり、1923年生まれの人が立って指揮をするというそれだけで割とエポックメイキングな歴史足跡的なものを二の次にしか脳裏をかすめなかった自分の率直な感想です。


7番までのS的解釈は形式の正しい構築をS本人が積極的にかかわって作り上げてきた演奏スタイルで、説得力も抜群だったように思います。
8番では完全である構築物自身に語らせるような演奏であったように思います。
ただピアニシモエンドの第1楽章はこれまでにないものであり、とくに再現部以降の語り口は滑らかなエンディングに至るまでの流れにS的解釈をもっと注ぎ込んでもよかったのではないか。もっと形式感を立体的にわかるように、ということなのですが。メリハリと言いますか。
8番の演奏スタイルを意識的に変えたのかどうかはわかりませんけれども、終楽章のいつも通りの演奏スタイルを聴くつけ、意識されたもののように思えて。
それにオーケストラがついてこれなかった。
第1楽章はどちらかというとこのような具合で不発。
しり上がりに良くなるのはオペラの常套句の様な具合であれですが、アタッカで突っ込んだスケルツォ楽章、この一連の流れは思わず、5番の2,3楽章を思い出してしまいました。それとは違う局面であり相応な苦労が感じられます、が、たしかに、しり上がりに良くなってきた。
この1,2楽章はデューレーション的にも時間のかかっているのが明らかで、結構テンポを落とした演奏。真のブルックナー演奏はやはり難しいものだったと第1楽章で感じたのかどうかプレイヤーたちが気持ちを入れ直して少しずつ上向きに。トリオの静かなたたずまい、判で押さないスケルツォ1回目2回目の多彩なニュアンス。それにしても気持ちの立て直しというのは簡単ではないですね。今日のことは忘れ明日全力でやろうといった感覚ではだめですし。

スケルツォとアダージョ楽章が逆順で良かったと、その3楽章は緊張感にあふれ、音に隙間のないもので、気持ちの乗り具合もSがポーディアムにいるときのいつもの緊張度に。
コーダ前のクライマックスは熱にうなされたようなものではなく、それまで通りのインテンポで貫くあたりはSの真骨頂と言えそうです。5分超のコーダはブルックナーの気持ちの安定が見えるような深い素晴らしい表現。ホルンがもっと自信を持って吹いてくれればさらによかったと思われますが、線の細さが精神の不安定感を少しだけ感じさせて残念。オーストリアのブルックナーにシュヴァルツヴァルトがどうなのかよくわかりませんけれど、深くて黒い森の大胆な安らぎの音楽にホルンの悠然たる響きは欠かせません。

ここまでの3楽章、バランス感覚は上記いろいろあれど見事です。手綱を少しだけ緩めつつ全体のフレーム感覚は見事にバランスしました。(ここで終わってもいいくらいです)

終楽章20分、いつものSの研ぎ澄まされた演奏が戻ってきました。やっぱりゆだねて語らせるのは作品にだけではなく、オレに触らせろといった感じ。
3主題が切れ味鋭くスパッスパッと移り変わっていき、明快。各主題のブラスの咆哮は生理的快感。また、展開部における第1主題のティンパニを抑え気味にしてブラスを際立たせたきれいな強調はリズミックな楽章であることを再認識させてくれる。総じて展開部での動きが他楽章との対比を際立たせていたものと言えよう。

再現部はどこから始まるのか、については、終楽章の再現部はアウフタクトで始まる全奏から、作品の再現部はそのちょっと前の第1楽章の第1主題のブラス強奏の雷的ギザギザ炸裂音からという自分なりの解釈です。まぁ、二重構造的と言えなくもないですけれど、全主要主題が折り重なって出現する見事さは、S棒であればこそ作品の輝きをさらに増し、このびくともしない音響構築物はインテンポを貫きつつも何か加速度的なカタルシスをおおいに感じさせながら、圧倒的に瞬間的な3個の打撃音であっけにとられるうちに下降音形でありながら天上の高みに飛んでいく。
素晴らしい演奏でした。
ありがとうございました。
おわり


2045- ブリテン、戦争レクイエム、ハーディング、新日フィル、2016.1.15

2016-01-16 01:30:17 | コンサート

2016年1月15日(金) 7:15pm トリフォニー

ブリテン  戦争レクイエム   12、28+10、12、3、24

ソプラノ、アルビナ・シャギムラトヴァ
テノール、イアン・ボストリッジ
バリトン、アウドゥン・イヴェルセン
栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

(タイミング)
永遠の安息 12
怒りの日  28
奉献誦   10
聖なるかな 12
神の子羊   3
われを解き放ちたまえ 24


指揮者の下手側に外側からテノール、バス、指揮者の上手側に半円形状に室内オケ、ティンパニ、ハープは結構場所を取っている。
このテノール、バリトン、室内オケのかたまりでオーウェンの詩の歌と伴奏。(英語)

フルオケが上記かたまりを取り囲むように舞台中央、後ろに合唱、児童合唱は3階席、舞台後部上方、オルガンの横にソプラノ、オルガン奏者は出番の時だけちょこっと出るだけ。
この合唱、フルオケのかたまりでミサの歌と伴奏。(ラテン語)

字幕なし。プログラムにリブレットが載っているが字が小さく、また照明を落としているわけで、見ながら聴くというのは出来ない状況。
リブレットは原語の節(せつ)単位に原語の下に日本語で。

ブリテンのレクイエムは音がやにっこくてあまり好きな作品ではないけれども、今回、生聴きはたぶん3回目。相応に接している。シリアスで深刻過ぎるだけの作品でもなくて技をたくさん使っていてそれが自分には自然で素直にはあまり感じられなくて、必要以上の作為と聴こえてくる。しなくていいことを作品表現に盛り込んでいるというか。でも今回それもこれも含めてブリテン作品を聴く極意、聴き方みたいなものが少し踏み込んで理解できたような気がする。

リベラメの大詰め、オーケストラと室内オーケストラが融合するあたり、レクイエムにこめた意味も含め音楽が美しく昇華していく様は見事と実感しました。音楽の表現が気持ちに作用したところです。

じわっとくる演奏、ハーディングのディテールへの光の当て具合も素晴らしくて、共感の棒、作品に馴染んで溶け込んでいく様がよくわかるものでした。
オーケストラはラフなところが無くて室内楽的アンサンブルはかなり説得力ありました。
テノールのボストリッジは相当に気合が入っていて、この曲を何度も歌っていることと思われますが、合唱のあたりでも一緒に体を動かしながらの歌唱でコンセントレーションが凄い。バリトンとの息があっていて室内オケと一緒のアンサンブルはいい具合でしたね。
オルガン横のソプラノはこれまた強烈な声で、一番奥のそれも上方にいるのに前に前に声が出てくる。オペラティックなところがなくすっと入ってくる。大きくてクリアな声はストレートで爽快でさえある。

いい演奏会でした。
ありがとうございました。
おわり


2044- ドンファン、リスト協2、ピエモンテージ、人魚姫、ボーダー、読響、2016.1.14

2016-01-15 16:40:38 | コンサート

2016年1月14日(木) 7:00pm サントリー

シュトラウス  ドン・ファン  16′

リスト  ピアノ協奏曲第2番イ長調  22′
  ピアノ、フランチェスコ・ピエモンテージ
(encore)
リスト 巡礼の年 第1年「スイス」から「ワレンシュタット湖畔で」 4′

Int

ツェムリンスキー  人魚姫  16′12′13′


ミヒャエル・ボーダー  指揮  読売日本交響楽団


斬新、大胆、異端といった解釈はありえず、これら作曲家たちがこう鳴らしたくて作った作品なんだから、まずはそう鳴らすべきなのだ。ボーダー棒はそのように言っているように聴こえます。それは面白くないといった話も無くて、あるべき姿で演奏して作品の中身を照らし出してみることこそ一番の仕事なのですね。
音はぎっしり詰まっているように聴こえます。充実サウンドと言いますか、曲のツボを心得ているんでしょう。

それにしてもリストの2番コンチェルトの1番とのこのへだたりの大きさ。1番はオーケストラが強烈ですので2番との違いはさらに際立っているのですけれど、それ抜きにしてもこの2番のピアノのリスト特有のドライなデリカシー。こまやか過ぎていくところまでいった感がある。これは別の境地なのか。
ピアニストはインテリ風な風貌で冷静な感じ、曲ともどもウエットな感じは無いがこの作品に妙に合っていると言いますか、流されない演奏、デリカシーが勝たない演奏、いいと思いました。

人魚姫の味わいはそのストーリー展開を追ったもので、映像でもあればさらに理解が進んだかもしれない。ツェムリンスキーの細やかさとロマンチックな音楽はそれにとどまることなく現代に向かったもので、今こちらサイドから見てみると時代中庸的なブリッジであったと思う。

この日のプログラムは交響詩を5曲聴いたような気持となり帰路につきました。
落ちついたいい演奏会でしたね。
おわり


2043- オール・シューベルト・プログラム、クリスチャン・ツィメルマン、2016.1.13

2016-01-14 00:16:02 | リサイタル

2016年1月13日(水) 7:00pm サントリー

オール・シューベルト・プログラム

7つの軽快な変奏曲ト長調 Anh.I‐12  9′

ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D.959  14′7′5′12′

Int

ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D.960  19′9′4′8′

(enocre)
シマノフスキ  前奏曲 op.1-1   3′


ピアノ、クリスチャン・ツィメルマン


クリアできれいで明瞭な音の粒が流れていくシューベルト。けっして重くならず、軽快というか、シャボン玉の泡のような具合に音符が次から次へとたわむれていく感じ。ざわざわと拡散している雰囲気は無く透明なガラス細工の中での出来事のようにも見える。端正な切れ味といったところか。
ソナタ形式としてのピアノの味わいは越えてきてしまった感があり、ポイントになるべきところはドラマチックに、息を切るようにパウゼして空白の緊張感を最大限効果的に醸し出す。それでも緊張感に押しつぶされるという悲壮感はまるでなく音楽の中の出来事としての味わい。ストレスのない心地よい張りつめた空気が聴衆の中に浸透していき音楽が同化していく。

手首の動きは無く、指を横に大きく広げることがないのは作品のせいかもしれないが、指を前にそろえて端正に弾いているように見える。均質な音価で縦の線がきれいにそろったハーモニー、音の入りに神経を集中している。それと音楽の自然な空白が効果的。
20番は先週、佐伯周子さんのピアノで聴いたばかりだけれども、まるで違うもの。佐伯さんのところで書いた問題点は溶けて見えなくなってしまっている感がある。深刻モードもまるで無くてかかった時間も大幅に異なる。対極の解釈と言ってよいかもしれない。
ツィメルマンは演奏する上で精神的な落ち着きが絶対必要で、まさにそのような中でプレイしているということが手に取るようにわかる。りきみがまるで無い。
ところで、佐伯さんの感想のところにも書きましたが、この20番の第2楽章はベートーヴェンの7番シンフォニーの2楽章にイメージが良く似ていますね。中間部の爆発のあたりは少し違いますけれど、あとは、まぁ、よく似ています。

20番も21番も冒頭楽章が長いのはソナタ形式の十分な展開とこの作曲家の歌謡性みたいなものがないまぜになって、どんどん長くなっていく。3,4楽章が短くなってしまうのは、頭で十分やったんだからあとはソナタ形式なんだからそこらへんわかってくれてるよね流すから、みたいな雰囲気かもしれない。
そもそも21番は冒頭楽章の第1主題を聴けば分かるように、最初からこんなに流れてしまって、第2主題はどうする、みたいな雰囲気でいきなり始まって、最後の作品といった変なこだわりは無くて、まだまだバリバリ書くよ、まだまだ途中よ、とシューベルトが思ったかどうかは知りませんが、きっとそうでしょう。
20番同様、劇的なあたりのポイントが深刻ぶらず、もったいぶらず、心地よく聴けた演奏、昨今あまりお目にかかったことのないものでした。
いい演奏でした。

オーケストラルコンサートだとシューベルトとブルックナーの組み合わせというのが割とあって、その歌謡性の面からの近似性、その側面で見てみると、シューベルトはシンフォニーではなくピアノ・ソナタのほうが似合っているようにツィメルマンの演奏を聴いて思いました。現実としての演奏会で、前半シューベルトのピアノ・ソナタ、後半がブルックナーのシンフォニーというプログラムは組めそうにありませんけれども。


この日のサントリーはほぼ満員で、オーケストラ定期演奏会越えの人気。
ツィメルマンは11月12月1月と国内リサイタルを二つのプログラムで通している。もう少し別のプログラムも欲しくなりますね。

アンコールが終わったのが9時過ぎで充実の好演でした。
ありがとうございました。
おわり


2042- メンコン、イザベル・ファウスト、家庭交響曲、小泉和裕、都響、2016.1.12

2016-01-13 01:34:56 | コンサート・オペラ

2016年1月12日(水) 7:00pm 東京文化会館

メンデルスゾーン  ヴァイオリン協奏曲ホ短調  12′8′7′
 ヴァイオリン、イザベル・ファウスト
(encore)
クルターク  ドロローズ  2′

Int

シュトラウス  家庭交響曲  44′

小泉和裕 指揮 東京都交響楽団


イザベル・ファウストさんは昨年ブラコンを聴きました。
今回、なんでメンコンなのという思いはありますが、享受するという前向きな姿勢で。

ファウストさんのヴァイオリンというのは音が美しく芯が強い。同じ音域、音程でも区切りや強調がただのタイやスラーにおさまらない非常に明確でクリア(同じ意味か)。ただ同じ音をのばしてるだけの演奏とはずいぶんと違う。聴きごたえのあるプレイですね。
メンコンは個人的にはもういいので、別の聴きたいです。

後半のドメスティカ、素晴らしいハーモニー、あらためて味わい深い曲と再認識。同じフレーズ、メローディーラインの中で、一音ずつハーモニー音色がめまぐるしく変化していく、一音ずつでさえ織りなす色合いが万華鏡のように変化していく。小泉棒は情にズブズブというのがなくて、機能的な色合いが濃い。まぁ、都響の特質をつかんでいる棒ですね。
的確な指示と見事なオケ反応。コンクリートのような音ですが、この日はティンパニもあまりうるさくならずスッキリ演奏。

この曲は最後これでもかのちょっとしつこい終わりなんで、ここらへんのエネルギーを、もっと前半や中間部に持っていって山を作ればさらに面白い曲になった作品の気がします。
おわり


2041- 佐伯周子ピアノリサイタル、2016.1.6

2016-01-07 17:18:48 | リサイタル

2016年1月6日(水) 7:00pm 東京文化会館小ホール

オール・シューベルト・プログラム (曲目詳細は一番下に別記)

作品番号無しで生前出版されたピアノ曲全15群   28′

ピアノ・ソナタ第10番嬰ヘ短調D571+D570   9′3′8′
  (パウル・バドゥラ=スコダに拠る補筆完成版使用)

Int 20′

ピアノ・ソナタ第20番イ長調D959   17′10′5′12′

(enocre) 楽興の時  2′

ピアノ、佐伯周子


初めて聴くピアノストです。色々とシリーズもののリサイタルの一環のようです。
後半の第20番は最後ひとつ前のソナタ。45分ほどかかるヘビーな曲。前半の10番でも感じたが形式デフォのシューベルト。当時デフォの形式があらかじめ大前提にあるので、つまりルールがあってそれを見据えての作品ですから形式からの逸脱野望行為があまりなければ、それ以外のこと、主題や曲想をひたすら考えれば良くて多作なのもなんとなくわかる、といいますかピアノ・ソナタというぐらいですから、沿って色々なことができるし深みにはまっていくこともできると思えました。
20番の第1楽章はかなり長い。聴くほうとしては普段シンフォニーにばかり浸っていますのでソナタ形式の作品であればそれは主題からなんからよくわかるが、ピアノのソロ作品となると、そこらへんあまり慣れていないところ、プログラム冊子の解説が良く、おおむね理解の範囲内におさめることができた。ということであっという間の第1楽章17分を思う存分楽しむことができました。後続楽章の長さバランスが心配になるぐらいのロングな1楽章、ピアニストの好演で全体バランス良く、つまり最後までの見通しを最初から感じてプレイしているピアニストと思いましたが、彼女の好演により充実した楽章でした。
第2楽章は雰囲気似てますね、ベートーヴェン7番シンフォニーの第2楽章に。
聴いている間中、あれがイメージされました。ベト7の2楽章は以前であれば誰か指揮者とか演奏家が亡くなった時にその直後の演奏会などで追悼の意をこめて演奏されました。今はあまりそのようなことが無くて、あってもバッハのアリアが定番でしょうか。
それやこれや、シューベルトの2楽章、色々なことが頭の中をめぐりました。同楽章後半は別のシーンに展開していっているような気配ですね。
終楽章は第1楽章の主題回帰、そして割と思いいれたっぷりに終わる。見事な曲です。

佐伯さんのピアノというのは大変に形式感を意識した演奏のように感じました。シューベルト自身はからだの一部になっている形式感。そこの違いが色々なことを生み出している。
音楽の流れというのは形式を意識しなくてもよくなった時に自然に出てくるような気がする。形式とは定義であって音楽の構造の出来具合ということとはこれまた少し違う気がする。形式感を意識の中で保ったまま流れをうちだしていくには最初に構造の破壊を行なって再構築していく、まぁ、意識レベルでの話だが、それが、今出てくる音楽に自然なうねり、高まりをもたらし、結果として自然な流れが出てくる。この際、フォルムが乱れるように感じるのは幾何学的な話の外面現象なのであって、そこから見た空間のゆがみこそが正しい寸法なのかもしれないという生き物の音楽を認識できないからだと思う。これはFが自らの棒で実践し示したことでもあった。と話が大幅にそれましたが、突き詰めますと、形式感への深い寄り添いはそれによって何かを失うという話しではない。もう一つ深くはまれば音楽のうねりや高まり、そして自然な流れがそこに出てきたのではないかと。
理解してほしいという感じが割とあったように感じました。それによってシューベルトを大いに理解できたことは自分にとって良かったことではありました。

前半2曲目の10番ソナタ。最初の‘_ _ _ - _ ’という音の飛び跳ねが印象的な主題から始まり、いかにも短調のストイックなシューベルトの一面がよく見える作品で一緒に深みにはまっていくことができました。理解の深いコントロールの効いた良い演奏でしたし。

最初の全15群は、作品番号無しのピックアップと演奏順番も含めて色々な方々のちらかの集大成だと思いました。作品が羅列的展覧物としてではなくまるで関連があるかのようにチェーンされていて興味がどんどんつながっていく。最初のほうにかなり長いピースがあったと思いますが、全体に山をうまく作っていて楽しめました。照明が真っ暗というわけではないのでプログラムを見ながら追えたのも良かったですね。

全体として、第28回シリーズとか、ベーレンライター版とか、第20回リサイタルとか、全曲演奏会VOL.17といったあたりの記録カウント的なことはとりあえず横のほうに置いて、継続はちからなりとは言いますけれど、そこらへん全部一旦横に置いて、演奏会の中身だけで十分に満喫できました。
ありがとうございました。
おわり


(1)作品番号無しで生前出版されたピアノ曲全15群
(1-1)「ディアベリ変奏曲」ハ短調 D718(1821.03作曲,1823.06.09出版)
(1-2)「吟遊詩人の嘆き」変イ長調 D780/6(1824.12.09出版)
(1-3)ワルツ 変イ長調 D978 3/4 26小節(1825.12.29出版)
(1-4)「ロシア風の歌」ヘ短調 D780/3 Allegretto moderate 2/4 54小節(1823.12.19出版)
(1-5)2つのレントラー D366/6 + D146/2 3/4(1824.02.21出版)
第1番 ハ長調 24小節 第2番 イ長調 16小節
(1-6)ドイツ舞曲 ニ長調 D769/2 3/4 16小節(1823.12.19出版)
(1-7)トリオ付きドイツ舞曲ニ長調 D779/8 + D779/9 3/4 16+16小節(1825.02.07出版)
(1-8)2つのワルツ D980 3/4(1826.12.23出版)
第1番 ト長調 24小節 第2番 ニ長調 16小節
(1-9)ワルツ ト長調 D979 3/4 16小節(1826.12.23出版)
(1-10)3つのエコセーズ D781/4 + D782 + D781/7 2/4(1824.02.21出版)
第1番 ト長調 16小節 第2番 ニ長調 16小節 第3番 ト長調 16小節
(1-11)ワルツ ハ長調 D980D 3/4 16小節(1828.01.26出版)
(1-12)3つのドイツ舞曲 D971 3/4(1823.01.10出版)
第1番 イ短調 16小節  第2番 イ長調 24小節 第3番 ホ長調 24小節
(1-13)ワルツ 変ホ長調 D366/17 3/4 16小節(1824.12.22出版)
(1-14)コティヨン 変ホ長調 D976 3/4 24小節(1825.12.29出版)
(1-15)「グラーツのギャロップ」ハ長調 D925 2/4 24小節(1828.01.05出版)

(2)ピアノソナタ第10番 嬰ヘ短調 D571 + D570 バドゥラ=スコダに拠る補筆完成版使用(1817.07作曲)
第1楽章 Allegro moderato 嬰ヘ短調 2/2 ソナタ形式 141(+101)小節
第2楽章 Scherzo : Allegro vivace ニ長調 3/4 3部形式 41+30小節
第3楽章 Allegro 嬰ヘ短調 2/4 ソナタ形式 173(+128)小節

(3)ピアノソナタ第20番 イ長調 D959(1828.09作曲)
第1楽章 Allegro イ長調 4/4 ソナタ形式 357小節
第2楽章 Andantino 嬰ヘ長調 3/8 3部形式 202小節
第3楽章 Scherzo : Allegro vivace イ長調 3/4 3部形式 79+34小節
第4楽章 Rondo : Allegretto イ長調 4/4 ロンドソナタ形式 382小節

以上