河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2592- 魔弾の射手、皇帝、シュテファン・ヴラダー、ブラームス4番、高関健、東京シティ・フィル、2018.7.29

2018-07-29 20:31:45 | コンサート

2018年7月29日(日) 3:00pm ミューザ川崎

ウェーバー 魔弾の射手、序曲  9

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73皇帝 18-7+10
 ピアノ、シュテファン・ヴラダー

(encore)
リスト コンソレーション第3番変ニ長調  5

Int

ブラームス 交響曲第4番ホ短調op.98  12-11-6-10

(encore)
ブラームス ハンガリー舞曲第1番  3

高関健 指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


埃が一掃、ワイプアウトされたスッキリエンペラー、音楽に内包された技量というものはこんなにも自然なものなんだとうなるばかり。素晴らしい。

ヴラダーのピアノは腕の動きに明らかに一つ上の余裕というものがあって、どこからでもなんでもできる。色合いの変化、アドリブ的崩し、音符・休符、等々の出し入れが自在、見た目、思いついた瞬間にいろんなことをしているようにさえ見えてくる。それが、場当たり的なものではなくて、ベートーヴェンの筆の運びとしてはまことに納得のいくもので、作品に光が見事に照射されている。ベートーヴェンもこうゆう弾きをしていた頃もあっただろうなと思わせてくれる。
ヴラダーのエンペラーに妙な重さは無くて、贅肉はあらかじめそぎ落としているのだろうし、オーケストラもすっきりしたもので、両者の進行が心地よい。強弾きの弦も良く弾んでいていい伴奏でしたね。
埃っぽくないプレイで、ベートーヴェンの音符が蛇腹のように流れていく。ナチュラルな流れであり聴くほうも心地よい。初楽章からよく引き締まった演奏、力の抜けた端正な弾きには惚れ惚れする。うまいさばきが積み重なってややヒートしていく、前進するベートーヴェンが顔を出す。静謐な中間楽章は時折音符の形がわからなくなる彷徨う音符探し。ユニークだ。終楽章は、自然積分された1,2楽章の溜まりに押されるよう。まるで整理体操の趣きも魅せつつ変幻自在なベートーヴェンが現れてくる。なんて素晴らしい演奏なんだ。

ブラ4は古典的な難しさを実感。初楽章をはじめとして、弦とウィンドのハーモニーが交互に出てくる。セクションが錯綜せず裸に直列アンサンブル。この響きのバランスを取りながらの進行は極度に難しいものだろうなあとあらためて思わざるをえない。実感の難関構造建築物件。聴きごたえのあるシンフォニー、高関が魅せたアンコールでのハンガリアンダンスの彫りが深くパースペクティヴとリズムに優れた割とエモーショナルな棒、あの棒がこの4番にフレーヴァー添加されていてもいいのではないかと、後付けではあるがそう思った。
味わい深い演奏でした。
おわり


フェスタサマーミューザKAWASAKI2018






 

 


2591- ラフマニノフPC2、オルガ・シェプス、チャイコフスキー5番、上岡敏之、新日フィル、2018.7.27

2018-07-27 22:39:02 | コンサート

2018年7月27日(金) 7:00-9:10pm トリフォニー

<リクエスト・コンサート>

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18  12-12-12
  ピアノ、オルガ・シェプス

(encore)
プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第7番第3楽章  3

Int

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調Op.64  18-12-5-12

(encore)
ニールセン 仮面舞踏会 より第3幕 若い雄鶏たちの踊り 5

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


Njpシーズンファイルの公演はお客によるリクエスト・コンサート。あらかじめ客にお気に入りの作品をアンケートしておいてそれを集約したもの。自分としてはラフマニノフの3番コンチェルトを上岡音楽監督の弾き振りでセツにお願いしますと、5回ほど書いたがかなわず。キュート美人のシェプスさんによる同2番となったようです。シェプスさんはお初で聴きます。聴きなれた曲だけれどもなんだか新鮮に聴くことが出来ました。
第一音が出るまでの長い時間、見た目には思い入れが強く、場の雰囲気を作り出す。エモーショナルな動きが違和感なく音楽が作り出されている。フレージングはかなり揺れ動く。空振りではないが、見た目と音の圧力がなかなか一致しないところがありました。特に弱音で。
両肩がこわばっていて、そのせいかどうか音の出がおそい。オケよりも遅れ気味になります。
ピアノの音が不明瞭になったり、粘りっ気が出たり、と、どうも、昨今のスタイリッシュな演奏や計算されたズブズブ微細パフォーマンスに慣れてしまっているせいか、そういったものとは随分とちがうものだなあ、などと、腕を組みながらも、なるほど世界は広いものだと、一方では思う始末。聴くほうもそうとうな揺れ動き。
中間楽章済んで鍵盤から浮いた両腕はそのまま左髪ヘアピン止めなおしの余裕の仕草、キュート美人なだけにご本人も色々と気になることもあるんでしょう。ラフマニノフ終止は両腕左サイドバック放り投げフィニッシュ、この種のアクションにも事欠かない。全部様になりますね。
アンコールはさらにギアアップ、戦争状態に一気に突入。鮮やかな得意技でしょ。立ちフィニッシュの勢いで。

ラフマニノフからそうでしが、今日はいつもとずいぶん音が違うなあと。いつもの柔らかさに加えてザラッとストレートなところもあって大変にいい肌ざわり。思わずあたりをぐるりと見渡せば、いつになく満員。沢山の夏服に程よく吸収されたホール音響が醸しだされたのかもしれない。

もはや陳腐という言葉が似合うやり尽しチャイ5、と思いきや、うんざり感は最初の序奏で彼方に飛んでいってしまった。
ストイックとは言わないが、譜面通りなのだろう、とにかくまるで騒がしくない。
序奏の少しリズミックで膨らみがありサッと終える、この肌ざわり。なんだか、納得のあっさり感。結局この序奏が全てを語っていましたね。ダークな中にリズムと潔癖な筆の運び。
律動と滑らかさ冴えたバランス感覚、気張ることの無い音楽に埋没のプレイヤー達、一見、淡々としていながら、音が満ち溢れている。上岡監督のタクトのもと、プレイヤー一人一人の心の安定がひしひしと伝わってくる。非常に静かな流れは無理やり抑えたものではなくて、こうやって音楽が作られていく。すばらしい、いい演奏でした。
上岡フレームがきれいに出来上がった。

上岡監督が振るときはアンコール付きでそれも含め全て収録されているときく。この日は一段とマイクが林立。いい演奏でしたし、メディア化されたらじっくりと聴きなおしてみたいですね。
おわり

 

 








2590- 道化師、両手、小山実稚恵、牧神、海、ロレンツォ・ヴィオッティ、東フィル、2018.7.19

2018-07-19 22:49:05 | コンサート

2018年7月19日(木) 7:00pm サントリー

ラヴェル 道化師の朝の歌  8

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調  9-9-4
 ピアノ、小山実稚恵

(encore)
ドビュッシー 前奏曲第1集8曲 亜麻色の髪の乙女  2

Int

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲  11

ドビュッシー 海 9-7-8

ロレンツォ・ヴィオッティ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


前日からホールを変えての定期。

2589- 道化師、両手、小山実稚恵、牧神、海、ロレンツォ・ヴィオッティ、東フィル、2018.7.18

一日寝かせた分、昨晩よりコクが出た気配がある。きめ細やかさと大胆さは変わらず、それから、線がうまくつながっていきます。セクションやアンサンブル毎の繋がっていく様は、音色の変化も味わえる。独特のバランステイストもあって、楽しめる。鮮やかな演奏でした。
おわり


2589- 道化師、両手、小山実稚恵、牧神、海、ロレンツォ・ヴィオッティ、東フィル、2018.7.18

2018-07-18 23:44:23 | コンサート

2018年7月18日(水) 7:00pm コンサートホール、オペラシティ、初台

ラヴェル 道化師の朝の歌  8

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調  9-8-4
 ピアノ、小山実稚恵

(encore)
ドビュッシー 前奏曲第1集8曲 亜麻色の髪の乙女  2

Int

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲  11

ドビュッシー 海 10-7-9

ロレンツォ・ヴィオッティ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


きめの細やかさと大胆さが同居した棒。小節を決めていくというよりも個々のフレーズの流れを示していく棒はよりオペラティックと言える。棒さばきよく小気味よい演奏でフレッシュ。指揮棒が柳のようにしなりをみせる雰囲気あります。
ドビュッシー、ラヴェルともに精緻な音作りと鳴らすところはおもいっきり鳴らしアンサンブルバランスにお構いなしなところもある。この大胆さはイタオペの歌い節を感じさせますね。
コントロールはオケ自身がして、ドライヴは指揮者がかける。進行に余裕があって、オーケストラの歌い節がお見事。精緻な演奏でした。
なんだか、才能がビッグバン起こす直前の指揮者のような気がする。


ラヴェルのコンチェルトも楽しみにしていました。が、
全体的なふちぼかし、それと単音ひとつひとつに音が分解されない。今はこのような演奏のラヴェルは聴くことが無い。時代が違ってきている。演奏会の前提が変化してきているのだろう。
おわり




2588- シューベルト2番、マーラー1番、アラン・ギルバート、都響、2018.7.16

2018-07-16 23:11:41 | コンサート

2018年7月16日(月) 2:00pm サントリー

シューベルト 交響曲第2番変ロ長調D125  11-8-4-7

Int

マーラー 交響曲第1番ニ長調(クービク新校訂全集版/2014年)  13-6-7-11+19


アラン・ギルバート 指揮 東京都交響楽団


首席客演指揮者就任披露公演という物々しい演奏会。

アランはストックホルム、N響、ニューヨーク・フィル、都響、折を見てたくさん聴いてきた。指揮ぶりは随分と変化した。芸風が変わってきたのかもしれない。特にニューヨーク・フィルあたりから。
今回の物々しいタイトルの公演は一番新しい彼の姿。ニューヨーク・フィルの重きが取れたものだろうが、それだけでもなさそうだ。
ほとんどタメを作らない息をつく間もない演奏は、さりとて駆り立てるものではなくて、響きに隙間を作らない方針なのか、アランが得意とする現代物により相応しい指揮ぶりと言える。もはや現代音楽一本でもいけそうな気配。棒さばきはニューヨーク・フィルの監督になる前のあたりとは比べ物にならないほど雄弁に進化。

マーラーは花の章付き。決定稿前の稿に基づく2014年新校訂版。アランらしい選択だろうね。目新しさのみ追いかけたわけではないだろう。彼の昨今のスタイルに稿も含めて魅力ある選択肢だと思う。
演奏はストレートなもので、エネルギッシュ、プレイヤーのテンションも最後まで高くて佳演。ためが無くて息をつけない方針は、音の響きをむらなく均質化、長さの精度も含めて。
少しギスギスしたものだったが熱演にある程度溶解。鉄板ブラスは相変わらずでこのアタック、アクセントにはもはやそこはかとなく虚しさを感じる。ブラスセクションの強奏するところではアランの指揮ともどもほとんど息が出来ない苦しい音楽。

前半のシューベルト2番。ピアノソナタではないけれど第1,2楽章でいいたいことをほぼ言い尽くしている。型重視のシューベルト作品、演奏はコンセントレーションを保持し、終楽章までギッシリと聴かせてくれた。
おわり


2587- エルガー、ゲロンティアスの夢、ジョナサン・ノット、東響、2018.7.15

2018-07-15 20:53:39 | コンサート

2018年7月15日(日) 2:00-4:15pm ミューザ川崎

エルガー ゲロンティアスの夢Op.38 10+27 int 3+54

キャストIn order of vocal appearance also including chorus
1.テノール、マクシミリアン・シュミット、ゲロンティアス&魂

2.合唱、東響コーラス、
友人(従者)たち&悪魔たち&天上の合唱&地上の声&煉獄の魂たち&魂たち

3.バリトン、クリストファー・モルトマン、司祭&苦悩の天使

4.メッゾ、サーシャ・クック、天使

ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団

Duration
PartⅠ
前奏 10
シーン 27
Int
PartⅡ
前奏 3
シーン 54


エルガーの大作。観るのも聴くのもお初です。作品38、シンフォニー1番は作品55、取りあえずの目安。
全体は2部構成、合計1時間40分弱。合唱、ソロの一部、歌がかけ持ち。歌による情景描写は無い。もし舞台化するなら制約は無制限に、無い。そんな感じ。オラトリオの範疇のようですね。

第一印象は、気負いのある構えがそこはかとなく漂う。そうとうな入れ込みでやらないと答えは出そうにない。やる気度満点のノット棒、説得力大きかったですね。

短い音符や短く切る音が無い。押して流す音形波形。ノーブル系の原型を聴く思いも湧いてくる。とにもかくにも、音は伸ばし切らないといけない。そしてその末梢神経の先までタクトは全て活き活きと振られなければならない。コンセントレーション要ります。
エルガーが見たストーリー展開につけた音楽とはこのようなストリームのものであり、作品の良否の比較といった事とは別のところで、この日のノットのようにこの作品に埋没していかなければならない。

歌はほぼ全面にわたる。歌によるシーン説明は無くて、時折オペラ風味も無くはない。ソリスト、コーラスともに冴え渡り、特にコーラスはソロ並みに作品熟知の様相を呈している。お見事な噛み砕き節。

入れ込めば入れ込むほどに、注ぎ込めば注ぎ込むほどに、作品から何か突拍子もないエネルギー出てくるのだろうか。それはわからない。コーラスとオーケストラによってエルガーに照射された光を感じた。演奏しだいだと思う、この作品。

クライマックスは紛れもなく2部の天使のソロのあとの天上の合唱による2回目の「いと高きところでは、~」の長くてドラマチックなコーラス。場面の動きを感じさせてくれる。転換ではなくてその先へ進むシーンの動きですね。

長いセンテンスが続くオラトリオ、字幕無しは画竜点睛を欠く。幸いこのホールは席により明るさが保たれているので、リブレットを最後まで追うことが出来ました。

プログラム冊子にあるワーグナーワーグナーの刷り込み、良くないですね本当に。ライトモチーフうんぬんくんぬんはさらに良くない。


ところで、肉体を離れた魂の物語はゲロンティアスが見た夢だったのか。
おわり










2586- ラフマニノフ、PC2、小林愛実、シンフォニー2番、西本智実、日フィル、2018.7.14

2018-07-14 23:30:13 | コンサート

2018年7月14日(土) 6:00-8:15pm みなとみらいホール

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18  12-12-12
  ピアノ、小林愛実

(encore)
ショパン 夜想曲第20番嬰ハ短調 遺作  4

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調Op.27  19-10-14-15

西本智実 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


小林さんのピアノはお初で聴きます。
弾きっぷりがいいですね。慎重さと大胆さを兼ね備えていてそれらが交互にあらわれる。曲の山谷とよく合っていて自然。作品の一番良いところが次々と光る。
太くて透明なラフマニノフ。角度が効いていて甘さもある。角砂糖のテイスト。悩ましくもだえるピアノ、熱々圧力、耳をそばだてる静謐さ、振幅の大きな表現。
ラフマニノフ満喫しました。アンコールも絶品。

シンフォニー。西本さんは久しぶりに見る。音の出を待つようなところ、点火だけするところ。オーケストラのドライヴ感はあまり無くてプレイヤーの自発性がそうとう浮かんでくる。指揮者の近場にいる弦は活発、遠い所にいるブラスセクションはやや混濁。総じてスケールのある演奏ながら、譜面の中の出来事といったところか。作品を押し上げるような主張とかドラマが欲しい。
おわり

 


2585- ブルッフVnC、木嶋真優、ブルックナー4番1874、濱地宗、シモーネ・ヤング、新日フィル、2018.7.14

2018-07-14 23:00:49 | コンサート

2018年7月14日(土) 2:00-4:20pm  トリフォニー

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調Op.26  14-8
 ヴァイオリン、木嶋真優

(encore)
岡野貞一 ふるさと  3

Int

ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調WAB104ロマンティック
(1874年初稿・ノヴァーク版)  19-18-13-18
  ホルン、濱地宗


シモーネ・ヤング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ブルックナー4番の初稿をヤングがNJPに乗り込んできてルビコンで敢行。
金・土の午後、ルビーコンサートシリーズと銘打って行われている、内容、キャストともに充実した、カツ、びっくりするようなリーズナブルプライスなチケット。新日さんには毎度頭が下がる思い。


AB4 duration
Ⅰ 2-1-2-7-2-1-2-c2
Ⅱ 3-2-3-2-5-c3
Ⅲ 5-3-5
Ⅳ 序2-1-2-2-4-1-1-1-c4

版比べ大好きな日本人にはこたえられない今日のプログラム。そのプログラム冊子の解説もほとんど版の話だけ。でも、今回ばかりはそれもいたしかたないと思いたくもなる、普段聴いている種々な版のブル4とはまるでかけ離れたもので、あちこちにある断片だけが面影をしのばせてくれる。別の作品のような目まい。ブルックナーが最初に書いた時はこうゆう事だったのだろう。遡り追体験のような作曲スキルの逆流を感じさせてくれる。

メロディーが少しぎこちなくて馴染みにくいと思うのは普段聴いている出来上がり版に耳が慣れているからだと思うけれども、例えばスケルツォ‐トリオの執拗さなど、オンリー形式を追ったものという証明にはなるけれども、あまり魅力的でないメロディーラインは単に乾いたフレーズストリームのような雰囲気を醸し出していなくもない。それに、型は型だが息が短い。主題、経過句が判然としないところがあってモヤモヤがつのる。聴くほうも自然とぎこちなくなる。
とりあえず、ブルックナーの型を型通り聴いていくことにする、新曲だと思って。

ブルックナーのソナタだと自然に長大で大規模になってしまうところがあって、それも主題を追っていけばあっという間の出来事、それにしても約70分の申し分ない長さで軽い眩暈もタップリ感がある。

ここはヤングの十八番なのか振り慣れた初稿の棒さばきが見事で、彼女が引き留めてくれたところが大きいですね。
実に締まった演奏でありながら、埃っぽさがなくてある種ウェットな質感を感じさせてくれるのはこのオーケストラのサウンド特色によるところが大きく、それが魅力的でもあり、彼女の捌く棒はそれぞれの特質を最大にしたもので、良いパフォーマンスとなりましたね。憂いを忘れさせてくれる美味テイストは普段聴きなれない作品にとって最高のフレーヴァー、まあ、下ごしらえも万全という話しだろう。パワフルヤングは整理整頓がきっちりしていて、カツ、ブルックナー美の彫琢をお見事に表現。素晴らしい内容でしたね。

聴きようによってはホルンコンチェルト、難関のホルン、パーフェクトでした。ところで、初楽章第1主題が済んだところで持ち替えてあとは最後までそのままでしたけれども、あの第1主題何かあるのかな。

演後のブラボーは沢山で、トリフォニーであんなにブラボーがとんだの久しぶりでした。

プログラム前半は木嶋さんのブルッフ。
何度か聴いています。どのホールで聴いても音が良く飛んでくる。しなやか強靭、柔らかな厚みと力強さ。コクのあるブルッフで一つ一つ味わい尽くす。
ヤングはかなりパワフル。ソロがやむところではそのパワー全開モリモリ。剛直と言えるところまで登りつめる。ヴァイオリンが入ってくると激変で、ソロに沿うタッチ。起伏のある伴奏でした。オーケストラお見事でした。
おわり

 

 


2584- ブラームス悲歌、ブルックナー、ミサ3番、飯守泰次郎、東京シティ・フィル、コーア、2018.7.13

2018-07-13 23:15:09 | コンサート

2018年7月13日(金) 7:00pm コンサート・ホール、オペラシティ、初台

ブラームス 悲歌  13

合唱、東京シティ・フィル・コーア

Int

ブルックナー  ミサ曲第3番ヘ短調WAB.28  10-11-17-2-8-8

ソプラノ、橋爪ゆか
メッゾ、増田弥生
テノール、与儀巧
バス、清水那由太
合唱、東京シティ・フィル・コーア

飯守泰次郎 指揮 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


なかなかシックなプログラム、いい作品、いい演奏に癒されました。

追悼の悲歌、大変に力強い演奏でした。浄化のパワーは力強い合唱により表現、これらの力というのは質感が同じものではないという事は無くて、同じであることもあるはずだと思わせてくれる。力学的な力強さによる浄化のパワーを表現。
合唱が圧倒的に充実している。強靭なソプラノをはじめとして前面に広がる音場。ユラユラ揺れるオーケストラ、わけてもベースの醸し出す余裕のホール感。一体となった見事な演奏でした。

後半のブルックナーはさらに雄弁に。ソナタの型にはまらないブルックナー音響、満喫しました。2tp-3trb-2hrの鳴りは奥ゆかしきもので、弦とのバランスがお見事。コーラスは3階席の奥に座っていても近すぎるのではないかと錯覚させるような強力なもので、なるほど、ピッチさえぴったりと合えば、妙に気張らなくても透き通った声は奥まできれいに響き渡るものだ。
飯守の棒は冴えていて殊の外、サッパリ系で進む。濃厚なテイストはひとまず横に置き、このあまり演奏されることの無い作品の内面の理解のための棒発信だったように聴こえた。
最後のアニュス・デイのあっさりとしたエンディングは多弁不要、音楽に語らせる棒であって、はじめからここまでそのスタイルは変わらず。充実の6曲、かみしめるように味わい尽くす。
圧倒的な合唱に対しソリストはパワー不足を否めないけれども、どうも、あまり聴こえてこないブルックナーの筆のせい、そんな気もする。

いずれにしてもレア生のブルミサ3、メディアで聴いているものとは随分と違う印象。奥行き立体感、彫りの深さ、説得力の大きい3次元でしたね。


5月の公演では3階席を少しクローズしていましたが、この日はそんなことも無くてだいぶ良い入り。それでも空席が少なからずあるのは寂しい。いい内容、というのは結果的なところもあるけれども、ここのところ好調ときいているし5月の定期もたしかに素晴らしかった。そのときにすぐに買った今日のチケット。珠玉の演奏でしたね。それに選曲の良さが光る。

2552- はげ山の一夜、素朴な交響曲、ラフマニノフPC3、清水、高関、シティフィル、2018.5.9


おわり



 



 






 


2583- バッハ、管弦楽組曲第3番、マニフィカト、尾高惇忠、時の彼方へ、広上、日フィル、2018.7.7

2018-07-07 21:22:15 | コンサート

2018年7月7日(土) 4:00-5:20pm サントリー

バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068  8-5-4-2-3

尾高惇忠 交響曲 時の彼方へ  16-9-11

Int

バッハ マニフィカトBWV243  29
(in order of vocal appearance)
1. 吉田和夏、ソプラノ
2. 鈴木玲奈、ソプラノ
3. 浅井隆仁、バリトン

4.中山茉莉、アルト
4.吉田浩之、テノール

合唱、東京音楽大学

広上淳一 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(encore)
バッハ アリア  2


16型でのバッハのあと、さらに鳴り物等を追加して尾高作品、後半は14型ベース7とした歌もの。大規模バッハ、試演ではなく定期公演。終演後のお話は良し悪しです。

1068は陳腐の正反対の演奏。素晴らしく研ぎ澄まされ切れ味よくて、けれんみ無し。それに大編成オケだからこそその質感を実感できる締まり具合。ギュッと引き締まっていて、ありがちな余韻は全部無駄なんだよとでも言いたげな凝縮された美演。音楽の香りとはなんだろう、少なくとも余韻では無いな、などと思う。
空気の入り具合がちょうど良い柔らかゴムチューブの弾みのような充実オケサウンド満喫。最初から最後までなにか新作でも聴いているようなフレッシュな気持ちとなる。
指揮者のコントロールがオーケストラによく効いてますね。指揮者の思い通りの演奏という気がする。やっぱり、多くのジャパニーズ指揮者の中にあって群を抜いてますね。あらためてこの実感。

後半のマニフィカト。
独唱も合唱も1068のオーケストラ同様、指揮者の意のままのコントロールが続く。
広上の指揮によるマニフィカトは以前どこかで聴いた記憶があるのだが思い出せない。あらためてじっくり聴く機会と、ひとつずつ噛みしめる。味わい深くていい演奏だ。
最近日本の古書に触れる機会を持つようになってから、西欧音楽のいわゆるモダン、ピリオドの時代変遷による演奏様式のリヴァイヴァルを絡めた根掘り葉掘り的比較には興味がなくなった。時代が近すぎるというのもあるし、一番は、その時代に思いを馳せるイメージりょく不足。何しろ直列回路の頭につきそこまで手が回らない。それにまずは自国のことだろうなという思いが強くなったのもある。
大型編成で聴かせるあとくされのないスパッとしたエンドフレーズ、それ一つとっても素晴らしい歌いくちと説得力。この音楽の様式も揺れ動く歴史の振り子の中に、いまだ、ある。
広上のマニフィカトは熟成している。たまに、やってほしいですね。繰り返し。


前半2曲目の尾高のシンフォニー。
一昨年2016年に同じ組み合わせでピアノ協奏曲の世界初演があって、彼の作品に接するのはそれ以来。
3楽章形式、時代的な音楽の安心感がある。初楽章はメシアンの弦の動きのような風味。中間楽章はしゃべっているようなモノローグ風味。終楽章の冒頭、弦による広がりはショスタコーヴィチ15番シンフォニーの終楽章が浮かぶ。そのあとは変奏曲のように続いていき、最後に初楽章の息の長いややリズミックなメシアン音形の弦の動きが再帰。
型は出来上がったもので、つかみやすい。副題がついているけれども、なにしろプログラムにあるご本人解説では各楽章の音の動きをそのまま説明しているだけであって、それが何を生み出す、どのようなイメージなのか、そう言ったことは書いていない。これはこれで潔くてわかりやすいものともいえる。副題は全体像ととらえることに。メシアン風味のタイトルではある。
おわり

 

 

 

 


2582- ベートーヴェンPC1、ヴィルサラーゼ、マンフレッド・シンフォニー、小林研一郎、読響、2018.7.5

2018-07-05 22:59:18 | コンサート

2018年7月5日(木) 7:00-9:10pm サントリー

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番ハ長調Op.15  17-10-9
 ピアノ、エリソ・ヴィルサラーゼ

Int

チャイコフスキー マンフレッド交響曲Op.58  17-10-13-16+3

小林研一郎 指揮 読売日本交響楽団


両プログラムともに聴きごたえ十分、充実した内容の演奏を満喫。

1時間におよぶ圧倒的な絶演。オーケストラ屈指の名演。
マンフレッドは何物にも変えがたい惚れ惚れする最高峰の演奏。小林の何もかも知り尽くし棒は作品の構築感、造形美、ともにパーフェクトで、あまりの見事なただならぬ表現に唖然。唖然茫然、騒然の気分。
彼の2回目の同作品の演奏に接して、その思いを強くするのみであった。ほぼ全面的にBマイナーが漂うあきらめの下降ラインがかつてこれほど充実し説得力を持ったことがあっただろうか。割と実演に接しているマンフレッド、聴くごとにのめり込む。表面的なけばい美しさを意識して排したような、標題的と言えば言えるのかもしれないが、その深刻度には標題の力を借りずとも、込めた意志の強さを感じさせる。深刻さでこれだけつなげていけるのは構成感のなせる技で、もちろん小林の熟知した透視力があればこそというのもある。

各楽章に副題のついた標題音楽のような趣きが濃厚だが、聴き心地はいつも大体ソナタで。
第1楽章は4番シンフォニー的規模を感じさせるが、序奏の巨大さと主題のスケールが4番の上をいき、後続楽章は軒並み一段と大規模。最初から最後まで吹っ切れないチャイコフスキーとしても異色の作品、最後の3分でさえ悲劇的増幅の締めくくりのようだし。
この終楽章は形が溶解していき標題化に傾斜していく中、偉大な演奏が作品を標題の中に押しとどめることをさせない。

一つ一つのモチーフやテーマがシェイクした後のゆっくりと落ち着いていく液体を見ているようで、細かい振動と大きな揺り動きが余裕をもって空気の隙間を埋めて定位していく。いっぱいいっぱいでは決してない余裕のシェイクと落ち着き。どれもこれも味わい深く奥深い。読響のブラス・セクションの彫の深さがただならぬ共感を示している。柔らかいアタックは作品に馴染んでいて、まるで、小林の棒を引き出しているようにさえ見えるときがある。共感のプレイとはこのようなことを言うのだろう。また。このオーケストラ特有の正三角錐に広がる弦セクション音場は、もはや、音響カタルシス。お互いに耳をそばだてたような線密なアンサンブルは神経が研ぎ澄まされているからで、指揮者を中心点に置いたコンセントレーションの空気振動が目に見えるようだ。
棒を持った右腕一本振りが増えてきた昨今の小林の棒はそれだけで感動的な説得力だ。蓄積の昇華を感じさせてくれますなあ。そして、プレイヤーは全員、自分がすべきことをはっきりとわかっていて、棒を見ての脊髄プレイ。一体化した指揮者とプレイヤーが偉大な作品を偉大な演奏へと導いていく。感動的だ。声にならない幽玄の響きの世界を垣間見せてくれた。世の中には凄い演奏もあるもんだ。もはや、炎の核が見えるようだ。
悶絶の感動演奏。


前半のヴィルサラーゼが弾くベトコン1。ベートーヴェンのピアノの音符が数珠のように繋がっていく。音符のつながりが波のような流れとなる。初楽章はふとワルトシュタインが浮かぶ。音の流れや造りが似ている雰囲気。音符等価性とでも言おうか。
ラルゴはものすごくモーツァルト的、気張らず淡々と弾く中にそこはかとないメランコリー。終楽章は初楽章のベートーヴェンとラルゴのモーツァルトがハイブリッド、微妙に交錯しながら進む。時折見せるティンパニの強打が効果的で、はっと、我にかえる。

見た目、力を抜き切ったように見える芸風、これも蓄積の昇華にほかならない。
結果、そこにベートーヴェンが屹立している。大した演奏でした。
おわり


2581- ベートーヴェン8番、ショスタコーヴィッチ4番、アンドリュー・リットン、新日フィル、2018.7.4

2018-07-04 23:13:41 | コンサート

2018年7月4日(水) 7:00pm サントリー

ベートーヴェン 交響曲第8番ヘ長調Op.93  8-5-4-6

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第4番ハ短調Op.43  25-8-25


アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


メインプロのショスタコーヴィッチ、ちょっと聴き進むうちにいつにもまして柔らかすぎる音にびっくり、思わず上の反響板を見たり、オケの配置を見たりと、色々ときょろきょろしたのだが特段いつもと変わるところは無い。なんでこんなに柔らかいのかな。リットンマジックなのかしら?

リットンの振る4番は、深刻さとは別の、さりとて純器楽的な響き追求ということでもない。音のぶつかり合いから生まれる新たな響きといったものを求める棒ではなくて、これはゆるりと手綱を緩めるとそのまま分解してしまう作品だから高テンションの要求はそれはそれとして、分解しない程度のテンポで進めるべきものなのだ、人は楽天的と言うかもしれないがそうではなくて中庸の捌きなのさ、とリットンが言ったかどうかは竹林の中に答えがあるのだろうかそこを探していかなければならない。前週の演奏の中に答えがあるのかもしれない。
リットンの棒に15番風のエンディングを殊更強く感じることは無い演奏でそういった事をねらっているわけではない。3楽章枠組みを感じさせることの多いシンフォニー、この4番は3楽章構成そのままな作品なわけで、見事な造形を魅せてくれました。見事なバランスでしたね。

前半のベートーヴェンはリハーサルが少なかったのか、このオケ特有なバシャバシャ感が出てしまいました。最近好調でこのような演奏をすること自体びっくり。油断大敵。
おわり