河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1657- ブラームス・プロ、ピアノ協奏曲第1番、ポール・ルイス、交響曲第1番、ダニエル・ハーディング、新日フィル、2014.6.29

2014-06-30 02:09:13 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月29日(日)2:00pm サントリー
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ブラームス ピアノ協奏曲第1番 23′13′13′
 ピアノ、ポール・ルイス
(encore)シューベルト アレグレット ハ短調D915 4′
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ブラームス 交響曲第1番 14′9′5′17′
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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前半から後半へ振幅の大きい演奏会でした。
前半のコンチェルト。
まずオーケストラが最高。吠えるティンパニ、地を這うモノローグ風味の弦、ビロードのようなピッチ揃いの管。長い長い提示部、ピアノが待ち遠しいというよりこのまま行ってくれ、そんな感じのエネルギー放射のオーケストラでした。
そして、オケに導入されたピアノのこれまたなんという充実度。ルイスは確信的な弾きで正しい音価、正確な長さと圧力、バランスしたハーモニー、ステンドグラスのような響き。素晴らしい。
オーケストラの重みと風格のある素晴らしい伴奏というにはもったいない充実サウンドの中、ルイスはそれに調和して、かつ堂々と渡り合う。圧倒的。
ブラームスのこの協奏曲のしっかりした構造があればこその名演ではありましょうが、とにかく、ふーとうなりたくなるようなアドレナリン全開の両者でした。
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後半はちょっと小ぶりになり、いつも通りの演奏に戻ったなという感じ。このシンフォニーも大作ではあるのですが、協奏曲と雰囲気がだいぶ異なる。曲の大きさの受け止め度が違うのではないか。もっと大きなスケール感が欲しいところ。
ギクシャクとしないのはフレーズを伸ばし切るハーディングの指揮のためか印象的ではある。
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ハーディングによるブラームス・サイクルのシンフォニー、4番が一番充実していたと思います。2番3番は今一つで、1番はもう一つ。
あと、気になるのかすぐハーディングと抱き合う個人的なお仲間風なモジャモジャコンマス。このオケが本格的な演奏スタイルを常々目指しているのなら、合わない。
そりこみコンマスさんのほうが演奏に落ち着きが出ています。
なんで、二人コンマスがいるのかわかりませんが、他オケも含めここはアメリカ方式を見習い一人にしてはいかがでしょうか。
オーケストラの意見集約をはかり、指揮者の意図を伝播させる。複数いることによるそれらが効率よくやられない。または時間がかかる。ユニオンの強いアメリカでは効率の良い一人コンマス体制のほうが理にかなっているのはよくわかる。日本の場合、そうではないのかもしれないが、複数のメリットはあるのだろうか。責任分散なのかな。体力軽減ではないでしょう。ニューヨーク・フィルにこの前までいたディクテロウは30数年にわたりシーズン200回以上一人でコンマス続けていましたしね。
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1654- グレン・ディクテロウ、ニューヨーク・フィル2014.6.28が最後の、
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1人コンマス「和」奏でます。岩崎潤 ナッシュヴィル交響楽団
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おわり


1656- シベリウス、夜の騎行と日の出、マーラー、悲劇的、ピエタリ・インキネン、日フィル2014.6.28

2014-06-29 02:22:52 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月28日(土)2:00pm サントリー
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シベリウス 夜の騎行と日の出 15′
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マーラー 交響曲第6番 悲劇的 25′14′17′30′
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ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
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マーラーは大きな曲だがインキネンはきっちりもう一曲やる。昔風というより音楽への誠意、客への配慮を感じる。
シベリウスの曲は同じリズムが続き、時として煩わしさを感じるが、インキネンは刻みのリズムとは別にメロディーラインを丹念にすくい上げている(席が近いのでよくわかる)。
透徹美を強調するというよりはバランス重視です。ギザギザ進行している中に息をするようなラインが浮かび上がってきます。これはこれで味わい深い。愛着を感じているのを聴くことが出来ます。
曲の残り香のなか、近場でいつものしったかりぶりのフライング気味ブラの迷惑行為、これ、しったかぶりが癖に変化してしまっていて喉と耳が同化してしまっているのでしょう。注意しても理解できないというパターンのおじちゃん。同じようなケースでは、最後の音が鳴り響く中、拍手用の両手をセットアップし、終了寸前のところでパチパチ開始、冬場にこの癖の人の臨席に座ったことがありますが、なんて注意すればいいかわかりませんでした。知っている曲にはすべてこの癖が出ると思います、知らない曲ならこのパチパチのために予習してきていそうな感じ。
無くて七癖。他人にケチをつけるだけではお互いダメでしょうね。わが身を振り返る。この人に咳がどうにかならないか注意されましたから。
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後半のマーラー、終楽章で3回ハンマーが打たれます。自分の記憶では初めての遭遇ではなく、昔はハンマー3回の演奏会を何回か聴いた記憶あります。
オーケストラにとっては厳しい曲ですけれど、インキネンの表現というのは概ね気張らず自然な流れ。策を凝らした意味の無いいじりとは一線を画す品のあるものです。
このオーケストラにありがちな力任せ、気張ったところ、そのようなものが奥に引っ込みサラッとした肌触りが感じられる。ブレーキ色の無い演奏で、例えば、
第4楽章で徐々に上り詰めていって最後の劇的なエンディングにいたるところも、流れが自然で滑らか、ドラマティックなものをことさら強調するという話でもない。
巨大な曲ですがパースペクティブや派手さよりも、メロディーラインや構造を浮き彫りにした佳演でした。含み味が濃く長い演奏となりましたが一つ一つかみしめて聴くことが出来ました。久しぶりに騒がしくない6番でした。
ホルン群の幅広音で全体を包み込む安定感、ベースは切れ味が必要、チェロはもっと音が欲しい、最後のブラス強音パンパカパーのところで少しこんがらかってしまったのは体力不足か、など、もっとスキルの底上げが必要なのは言を俟たないが、全体表現には概ね満足しました。
ありがとうございました。
おわり


1654- グレン・ディクテロウ、ニューヨーク・フィル2014.6.28が最後の、

2014-06-27 23:05:05 | インポート

グレン・ディクテロウがニューヨーク・フィルを引退するにあたりニューヨーク・タイムズがインタビューをしたようです。その意訳です。

オリジナルはここ→NYT

自分の自力意訳は以下です。参考になればと。


2014/6/25NYT
グレン・ディクテロウ、ニューヨーク・フィルを去るにあたり

マイケル・クーパー 記 2014年6月24日
エイヴリー・フィッシャー・ホールの楽屋、空で開いたままのヴァイオリン・ケースそれは、ニューヨーク・フィルの歴史の中で最も長くコンサートマスターとして仕えたグレン・ディクテロウが土曜の夜のコンサート(K注:土曜の夜=2014/6/28)を最後に引退をするということをあらためて気づかせてくれている。すなわちニューヨーク・フィルが初めてディクテロウに貸与した1727年グァルネリ・デル・ジェスが返却されるのを待っているということなのです。
ディクテロウがニューヨーク・フィルのコンサートマスター、第1ヴァイオリンの首席になってから34年になります。教えることに専念するためにニューヨーク・フィルを去ることになりますが、この土曜日で6033回の演奏会、その首席にいたということになるはずです。うち、219回のソロ演奏。4人の音楽監督と200人以上の指揮者に仕えました。また、バーンスタインが所有していた古いトランクに自分の持ち物を入れて運びながら51か国174都市でのツアーコンサートに参加。

「イッツ・ゴナ・ビー・ア・タフ・サタデー・ナイト」65才になるディクテロウは最後の演奏となるピアノのイエフィム・ブロンフマンと首席チェロのカーター・ブレイとのベートーヴェンのトリプルコンチェルトの準備をしながら、今週自宅ステューディオでインタビューに答えました。「さあ、最後のコンサート、それでおさらばさ。」
コンマスというのは指揮者の左隣に座っているヴァイオリニストでオーケストラの音合わせの指示をしたりソロ演奏をしたりする人のことであると、聴衆はよく知っている。でもその陰で、オーケストラのサウンドを作り出すための力を行使できるのだ。それはオーケストラで一番給料がいい理由でもある。(ディクテロウの2011年の年棒は523,647ドル(K注:だいたい5千万越え))
ディクテロウは30年以上コンマスをやってきたわけでこの期間いろんな決定を行ってきている。弦のパッセージのボウイングの合わせ、オーケストラと指揮者のもめごと調停、ダニー・ケイとテレビ番組でおどけたり、ちょっとした反抗なども、まぁ、1回はしてる。
このての話はニューヨークの前のロスアンジェルス・フィルのコンマスをしていたときにもあった。長年尊敬されていたウィリアム・スタインバークがパウル・ヒンデミットの作品を指揮していたときに、最終コーダの前の長い休止のところでわけが分からなくなってしまった。「スタインバークは、これで終わりだと思ってしまったんだよ。」 とディクテロウは思い出しながら言った。「代わりにみんながその先、数分をやったんだ。スタインバークの両手は上がったまんま、俺はひとり言、なるようになるさ、みんなは俺が次のセクションの開始合図をじっと見つめて待っているというわけさ。」
指揮者がわけがわかっていても、みんながちゃんとしたコミュニケーションをとれないときもあるもの。そんなときみんなはコンマスが出すキューの合図待ちとなる。「まぁ、弦楽四重奏の第1ヴァイオリンのリードと同じさ。」とディクテロウは言う。
ニューヨーク・フィルの音楽監督アラン・ギルバートは最近のインタビューでこう言っています。ディクテロウさんはオーケストラのサウンドを作り出すのに非常に重要な役割を持っていました、ですから私にとって後継者選びは一番重要な決定事項なんですよ、と。
「コンマスというのはオーケストラ全体のサウンドに影響を与えつつ、音楽の流れを先導、動かすことが出来る唯一ただ一人の最重要な人なんです。」と、ギルバートが続けて、ディクテロウさんは指揮者の思いをオーケストラに伝える「大変に素晴らしい才能が」あったのです。
コンマスの仕事は外交みたいなもの。

ディクテロウはオラトリオのリハーサルで開始のところに1時間かかったことを思い出した。指揮者はオーケストラからピリオドサウンドを引き出そうとした、バロックよりも輝かしいサウンドになるはずだからと。「私たちはそうしなければならない。」とディクテロウは言った。「えらいコンマスなら何をするべきか考えている。指揮者は、国務長官のようにうまくさばく必要があるしね。」

桂冠指揮者バーンスタインに関してもうひとつ別の出来事をディクテロウは思い出した。オープンリハーサルでバーンスタインは聴衆にしゃべりすぎてオーケストラは超過勤務になっている雰囲気。超過勤務が長引き、その場合、メンバーは帰ってもいいオプションが有る。実際かなり多くのメンバーが帰った。バーンスタインは指揮台を蹴散らした。ディクテロウはバーンスタインに訊いた。「バーンスタインさん、こんなことしてて、何したいの?」

指揮者とのお笑いもあった。テレビで放送された1981年、ダニー・ケイの棒によるコメディー・コンサート。ディクテロウは音符を違えて弾いた。激怒したケイは、ディクテロウがステージから離れる前に怒鳴りつけた、「コンマスとはこんなことする人なの?」、銃声が響き渡り、効果てきめん、ディクテロウはステージに戻った。

そうはいっても普段の仕事は目立つものではありません。コンマスの最も基本的な役割の一つとしてパッセージのボウイング方法の決定があります。その音符をアップストロークにするかダウンストロークにするか。ディクテロウの話では、音楽監督によって考えが違うと。自身ヴァイオリニストでもあるロリン・マゼールは独特なボウイングを指示することがありました。メンバーが望む方法と有機的快適なボウイングを比較検討しようとした。
またまれに、メンバーたちに、一種の音楽のディーラーズ・チョイスですね、任せてしまうことがありました。「私が「勝手に弾いていいよ」と言っているのは、どのようなボウイングが決めなくていい時があるということ」と、マゼール。「レオポルド・ストコフスキがフィラデルフィア管弦楽団を指揮していた時の彼のマジックよ「サウンドをシームレスにするためにできることをしてくれ」、とね。」

1967年、18歳でアンドレ・コステラネッツの棒、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でニューヨーク・フィル・デビューした頃と今では、音楽それに音楽業界ともに大きく変化した。(因みにデビュー時のNYTの評では、ディクテロウの演奏は才能と未熟なものが入り混じっていた、と。)
演奏はある程度のところまでは変わりましたね、と、ディクテロウ「技巧的に、完璧に演奏するのは当然になりました。しかし、音楽を創造する個々のスタイルを持っていないように思えます。我々が生きている今の時代の単なる生産物なんですね。」
2011年のフィラデルフィア管弦楽団の破たんやメトロポリタン・オペラの労働問題、コストカットですね、ディクテロウは本当に驚いたと。また、音楽教育の消失、音楽に対する政府からの支援の無さ、を悲しんでいる。芸術のことオーケストラのことを語る時、ディクテロウは訴える。「もし私たちにそれらが無かったら、何があるというの?」
でも、ディクテロウは、父親が52年間メンバーだったロスアンジェルス・フィルの地カリフォルニアに帰るのを楽しみにしている。サウス・カリフォルニア大学ソーントン音楽学校で弦楽と室内楽でロバート・マン・チェアーに座ることになっているし。
それに、ニューヨーク・フィルを去るのはさみしいが、コンマスの席に座るストレスから解放されるのはさみしいとは言えないと思うよ、と。

ディクテロウはオーケストラを引退した友からの激励を思い出した。その友はディクテロウに、いかなる責任もなく音楽を聴けることをまず楽しめと。「ステージでは自分の周りのことをあれやこれや聞いているしね。まぁ、これからは、人を動かしたりソロ演奏をしたりといったことを何にも心配することがないし、ゆっくりくつろいで」
おわり


1653- リゲティSQ2、ショスタコーヴィッチSQ13、フロイド、レッド、危機、モルゴーアSQ、2014.6.26

2014-06-27 01:39:58 | コンサート・オペラ

1653- リゲティSQ2、ショスタコーヴィッチSQ13、フロイド、原子心母、クリムゾン、レッド、イエス、危機、モルゴーア・クァルテット2014.6.26

2014年6月26日(木)7:00pm 浜離宮朝日ホール

リゲティ 弦楽四重奏曲第2番 5′4′3′3′4′
ショスタコーヴィッチ 弦楽四重奏曲第13番 21′

ピンク・フロイド 原子心母  10′
キング・クリムゾン レッド 6′
イエス 危機 19′

荒井氏のトークと宣伝 7′
(encore)
キース・エマーソン ザ・ランド・オブ・ライジング・サン 3′

モルゴーア・クァルテット
 第1vn、荒井英治
 第2vn、戸澤哲夫
 ヴィオラ、小野富士
 チェロ、藤森亮一


これが何かと問われてもよくわからない、リゲティ目当てではありましたが。

2曲目のショスタコーヴィッチは、これだけ聴いてもわからない。彼の他の作品とその時間の推移のようなものを理解していないとわかりづらい。断片fragmentを聴いたような気持ちです。
リゲティとショスタコーヴィッチを並べるのも斬新でいいのかもしれませんが、ここはショスタコーヴィッチを2作品並べて、点ではなく、二点あることによる線をのようなものを感じさせてくれたほうがよりわかりやすかったような気がします。
リゲティの作品は音色変化がそれにとどまらない色彩変化の多様性を響かせてくれたように思います。天才的なひらめきのちょっと手前と言ったところでしょうか。これは聴いて手ごたえのあるものでよかったと思います。

後半はプログレッシヴ、いわゆるプログレのジャンルものということで、このような作品と演奏は初体験でした。
一言で言うとプログラムにあるような、曲の構成説明とか進行説明は、曲の流れとは明確には一致するものではなく、不要ではないかと思いました。曲のイメージ、フレーム、そういったあたりの解説が欲しいところです。解説の苦労はわかりますが。
それから響きという点においては、聴く前からわかっていたと事とはいえ、弦楽四重奏だと響きに限界があり頭の中で色彩を追加していかなくてはならない。リゲティの専門作品との違いがくっきり出たと思います。
ドラマの脳内補足はこういった曲に慣れていない分、ちょっと厳しい。
タイトルの妙もあり惹きつけられるところはありますが、結果的には時代の音楽であり、ある時代を越えて栄えるものかは、まぁ、一度聴いただけではわかりません。
おわり


1652- アゲイン!パシフィック231、バルトークpf協3、ピョートル・アンデルシェフスキ、春の祭典、、ヤクブ・フルシャ、2014.6.25

2014-06-26 01:01:55 | インポート

2014年6月25日(水)7:00pm 東京芸術劇場
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オネゲル 交響的楽章第1番パシフィック 7′
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バルトーク ピアノ協奏曲第3番 8′12′7′
 ピアノ、ピョートル・アンデルシェフスキ
(encore)  バルトーク 3つのハンガリー民謡 3′
             バッハ パルティータBWV825より サラバンド 5′
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ストラヴィンスキー 春の祭典 15′19′
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ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団
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まず、前の日サントリーで問題のあった響きの狂いは、この日の芸劇では全くありませんでした。やはり、ホールの問題かと思われます。
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二日続けて聴くとわかりづらいバルトークも分かるようになる。やはり聴きこまなければならないんでしょう。アンデルシェフスキは音符を自在に操る鍵盤の魔術師、肩の力が抜けたタッチでバルトークの字余り節が自然で滑らかに聴こえてくる。曲の素晴らしさがよくわかった。音楽の内面を見つめた演奏で、私を評価する前に曲の素晴らしさを知ってほしい、そのような演奏放射力があります。自分がどう演奏すれば曲への理解が深まっていくのか、そのようなことを考えているようなピアニストなのでしょう。
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フルシャは最初のオネゲルでカマーがずり落ちてしまったけれど、かまわず振っていました。内容は前日と同じ雰囲気。
最後のハルサイは、前日に比べて少し間延びしたようなところがありました。別の解釈が必要なのではないかと感じました。
おわり


1651- パシフィック231、バルトークpf協3、ピョートル・アンデルシェフスキ、春の祭典、ヤクブ・フルシャ、2014.6.24.

2014-06-25 00:29:29 | インポート

2014年6月24日(火)7:00pm サントリー
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オネゲル 交響的楽章第1番パシフィック 7′
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バルトーク ピアノ協奏曲第3番 8′12′7′
 ピアノ、ピョートル・アンデルシェフスキ
   (encore)  バルトーク 3つのハンガリー民謡 3′
                 バッハ フランス組曲第5番 サラバンド 5′
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ストラヴィンスキー 春の祭典 15′18′
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ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団
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最近、初めて聴くピアニストが結構たくさんいて、みんな素晴らしい。皆さん自分の世界を持っているので、こちらも思わず引き込まれる。この日のピアノもいいものでした。ただ、ピアニストとは別のところで問題がありました。アンコールで弾いたバッハのサラバンド、特に高音域のほうが調子っぱずれで、どうしたのか、こちらの耳が壊れたのかと一瞬戸惑ったのですが、あとで分かったのですけれど他にも同じように思った人たちがいて、つまり調律がどうのこうというのはわかりませんが、それよりもこのホールの問題点なんだろうと思いますが、要は音程が狂って響いてきたというのは事実であったようです。席位置によるかもしれませんので聴衆全員が全員同じく感じたとは思いませんが、個人的にはたしかにひどかった。そうするとアンコール一曲目のバルトークも同じ現象なはずですが、狂いを感じなかったということは、曲を知らないだけでそんな曲なんだと普通に、思ってしまうこちらのプアさも並はずれていたということか。
バルトークの3番コンチェルト久しぶりに聴きました。同じ作曲家のヴァイオリンコンチェルトよりは格段にわかりやすく、また民謡じみてもいない。昔40年近く前、初めて聴いたのがラーンキのピアノ。あのときは第2楽章でミスタッチがあったと記憶しますが、今日、こうやって聴いてみるともしかしてこのような節の曲ではなかったのかと思い直しました。理詰めだけれども幾何学模様は無い「数2B」の世界、乾いた響きがウエットなものを欲するところが常にある。消化不良ではなくそれ以前の歯がゆさがこちらにあります。聴きこまないといけないんでしょう。演奏会でたまに聴くだけではわからない作品のような気がします。
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アンコールはひとつひとつ愛しむような感じで弾いていていいものでしたけれど、最初に書いたとおり響きの問題があります。
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後半のハルサイ、この指揮者は出し入れが激しいというか、猪突猛進と微に入り細に入りが入り混じっている。曲想の移動は滑らかではなくメリハリをもったもの。緩急が急に来る感じです。踊りが入っていたらどのような動きになるのか興味のあるところではあります。
このような移動はリハーサルであらかじめ決められたもので、そういう意味では濃い練習を行っていたんだと思います。それから弦の分解度も高かったと思います。
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最初の曲のオネゲルは副題興味本位的なところがおおいにある。内容自体は面白くない。オネゲルのシンフォニーは最大番号のほうから遡って聴くと割と納得できる。
この1番はプログラムの枕詞として、あってもいいでしょう。
おわり


1650- 池辺晋一郎、鹿鳴館、飯森範親、東フィル、新国立劇場、2014.6.21

2014-06-22 02:25:04 | オペラ

2014年6月21日(土)2:00-5:20pm 

  プレイハウス、新国立劇場

リバイバル公演
新国立劇場 プレゼンツ

三島由紀夫 原作
池辺晋一郎 作曲
鵜山仁 演出

鹿鳴館
 前奏4′+第1幕33′+間奏2′+第2幕48′
 Int30′
 第3幕41′+間奏1′+第4幕31′

キャスト(in order of appearance)
1 影山朝子、大倉由紀枝
1 大徳寺季子、手嶋眞佐子
1 大徳寺顕子、高橋薫子
1 宮村則子、鵜木絵里
1 坂崎定子、池田香織
2  草乃、山下牧子
3  清原久雄、鈴木准
4  清原永之輔、星野淳
5 影山悠敏、黒田博
5 飛田天骨、早坂直家


新国立劇場合唱団
飯森範親 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


三島由紀夫の文庫本を買ってあらためて読もうと思いつつ、舞台のセリフ本ですので、この上演は日本語の歌ですが字幕スーパーがつくし、あえて読む必要もなし。予習要らないのが字幕スーパーのメリットの一つ。文庫本は買ってしまったので、他の収録戯曲を読むか、と。
流れにまかせながら土曜の午後、ゆっくりと楽しもうと思ったのですが、3時間オーバーのヘビー級で、心地よすぎる疲れがグッとたまりました。

前奏や間奏は大河ドラマのような鳴り具合、幕中も劇的で劇風。概ね管弦楽が非常に雄弁、あわせる歌は日本語ですしスムーズな響きが心地よく耳をさする。
ストーリー展開に合わせてオーケストラが棘のように突き刺さる鳴り。第2幕、夜会のホストをするという朝子のワルツからエンディングへの流れ、お見事。たまって圧縮されていたものが解放される、こうゆう音楽展開はカタルシス的感興を聴衆にもたらすものだ。

後半の幕も激しく緊張を強いる展開が続く。奇妙なダンス、ミステリアスな雰囲気、赤の閃光、白黒衣装の舞台、妖しげな色模様。グイグイと引き込まれていく。
鹿鳴館のもはや偽りのワルツが激高し、そしてピストル音。音は伸ばされ果てるようなエンディング。いやぁ、なんだかとっても素晴らしい充実の緊張感。


この公演は中劇場で上演。舞台の上にさらにもうひとつ小さな回り舞台がある。字幕スーパーは舞台の上のほうに横に。いわゆる字幕スーパー付きオペラ上演の初期の頃と同じ。この条件だと2階席のほうが観るにはベター。中劇場2階最前列は遮るものもの無く角度的にも最高でした。
舞台は、シルエットは赤が基調。ダンサーは赤、白、黒の衣装。そしてたくさんの菊、摩訶不思議な三島ワールド。劇の始まりというのはいつも奇妙で、空気が少しずつ変化していく。乱歩の迷宮の世界にすぐにでも飛び込んでしまいそうな歪みのディメンション。劇とともに動く鋭い音楽。間延びせず、圧縮感はそのまま充実の音楽劇。短いワルツも魅惑的。

最後のほうで、政治政治政治、というけれど、権力権力権力という感じかな。でもそれはメインテーマではないな。愛憎劇。
大詰めの段になって政治家ライバルを「君」づけにして双方の立ち位置的なものが明瞭となりますが、この劇の展開なら最初に「君」付けにして然るべきかと思います。いずれにしてもぞっとするような三島な世界、よくできているプロダクションだと思いました。
飯森はクリアでメリハリがあり、いい棒でした。
印象的なワルツはラヴェル風シュトラウスかな(リヒャルトの)。
おわり


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1649- ブラームス、ヴィオリン協奏曲、イザベル・ファウスト、交響曲第4番、ダニエル・ハーディング

2014-06-21 03:19:52 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月20日(金)7:15pm トリフォニー
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ブラームス ヴァイオリン協奏曲 20′9′8′
 ヴァイオリン、イザベル・ファウスト
(encore)バッハ パルティータ2番より、サラバンド4′
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ブラームス 交響曲第4番  13′12′7′10′
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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このヴァイオリン協奏曲のカデンツァはブゾーニ作とのことで初めて聴くかもしれない。通奏低音的に持続するティンパニが独特のドロドロしさを曲に与えている。聴いた記憶が無いので妙に新鮮。
イザベルのヴァイオリンは曲想毎のテンションが高い。緊張の糸が切れることなく、全般的に前へ前へと押してきます。ズブズブと耽溺しないで押してくる感じ。割とあとくされなく前に進んでくる型。周りの空気を高密度化してしまうような雰囲気を持ち合わせています。
かなりはっきりとした弾きっぷりで、伴奏のオーケストラは無防備ながら、独奏者ともども第3楽章で両者息が合い乗ってきたようです。
引き締まったブラームを聴くことが出来ました。また、アンコールのバッハ、サラバンド。同じような色合いの曲ながらテンション高く、味わい深いものがありました。客を黙らせる力が凄いです。
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後半の4番は、明らかに練習を積んでいる。この前(2014.5.2)の2番3番のときとまるで違う。数段上の演奏でした。練習に相当時間を取ることが出来たのか、意思伝搬、曲の解釈移植の作業を濃くやっている。これ、明白です。16型がいつになくボテボテとせずきびきびと鳴っていた。それでもまだある縦の線の緩さなどはもうこのオケの実力そのものを語っているわけで、この日の演奏とはちょっと別。スキルのレベルアップは別の話ですね。
演奏の引き締まり具合、さらに目を見張るのがこの曲の型。主題や断片フレーズまで、その曲想の方向に合わせたような具合で、濃く濃く丁寧に伸縮する。これは素晴らしい音楽の律動。4番にぴったり。変幻自在、自由自在な出し入れ、まさしくハーディングのあるべきブラームスのイメージが良く出た演奏になっていたと思います。生きた音楽になっていました。良かったと思います。
おわり


1648- アゲイン!、グリーグ、ピアノ協奏曲、中野翔太、エルガー、1番、ウラディミール・アシュケナ

2014-06-20 01:12:08 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月19日(水)7:00pm サントリー
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シベリウス 恋人 4′4′3′
グリーグ ピアノ協奏曲 13′7′10′
 ピアノ、中野翔太
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エルガー 交響曲第1番  21′ 8′+12′ 13′
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ウラディミール・アシュケナージ 指揮
NHK交響楽団
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前の日と同じような感じです。
一曲目のシベリウス、昨晩は90秒ぐらいはなんとかもったのですが、この日は始まる前から寝落ち。
グリーグはしっかりしたテンポ感、カデンツァの深い読み。第2楽章の滴る詩情、ストイックなモノローグ。昨晩に続き良かったと思います。沈みこみがあるのが良いですね。
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後半のエルガー
昨晩の演奏と比べて明らかなシームレス演奏で、良く流れてビューティフル。
第3楽章は他の楽章と規模感を対等にバランスしたいからか、どうしても薄味な楽章。
前の日よりオーケストラが良く流れており、ブラスの張りが今一つだったことを除けば概ね秀逸。アシュケナージ・ワールド完成。
おわり


1647- グリーグ、ピアノ協奏曲、中野翔太、エルガー、1番、ウラディミール・アシュケナージ、N響2014.6.18

2014-06-19 02:16:57 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月18日(水)7:00pm サントリー
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シベリウス 恋人 5′3′3′
グリーグ ピアノ協奏曲 13′7′11′
 ピアノ、中野翔太
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エルガー 交響曲第1番  22′ 8′+13′ 13′
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ウラディミール・アシュケナージ 指揮
NHK交響楽団
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この最初の曲、恋人は何度か聴いているが、どこがいいのかさっぱりわからない。若い時の作品で男声合唱の編曲というのは解説に書いてあるので前から知ってはいる。合唱だと聴き映えがするのかしら。とにかくさっぱりわからず。愛しんで聴いて、いいとこを探し出す努力してもだめだった。短い曲ながら瞬間寝落ちを何度でも繰り返せる。彼の青年期に位相を移して聴けばいいのかもしれないが、なかなかそこまで集中できないな。
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次のグリーグのピアノ協奏曲は響きが魅力的な曲。ちょっとギザギザしているあたりフィヨルドっぽい。ピアノの中野は骨太で端正な表現、ストイックな雰囲気を感じる。このような曲に合っていそうだ。オケ伴奏メロディーは吐息みたいなところがあるけれど、この感じがピアノでも出ればいいですね。
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後半のエルガー、第2、3楽章の構成感が弱くて両端楽章とバランスしないというのがアシュケナージの隙間無し表現だとよくわかる。厳しい棒です。
ブラスはもっとささくれ立たせてイギリスブラバン風だと様になる。N響だとシンフォニックすぎるというか、全体の一部であるという感覚が広がってしまい、今一つ面白さに欠ける。もっともっと強調していいと思う。四分音符と3連符のハイブリッドなあたりは明確なギザザ感が欲しいですね。
総じて、アシュケナージが振ると曲の良し悪しもよくわかります。
おわり


1646- オール・シュトラウス・プログラム、浜田理恵、飯守泰次郎、東フィル2014.6.17 &モ

2014-06-18 01:04:17 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月17日(火)7:00pm サントリー
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オール・シュトラウス・プログラム
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ドン・ファン 18′
4つの最後の歌 4′4′5′7′
 ソプラノ、浜田理恵
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サロメより、7つのヴェールの踊り 9′
カプリッチョより、序奏、月光の音楽 11′ 3′
ばらの騎士、組曲 ACTⅠ4′ Ⅱ5′ Ⅲ11′ コーダ3′
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飯守泰次郎 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
(*カプリッチョの序奏は指揮無し)
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オペラでは割と聴いている指揮者です。やみつき席からこうやってオーケストラ・コンサートであらためて見てみると、非常にわかりにくい棒。といってもこっちが演奏しているわけではなくオーケストラの人たちがわかればいい話で、早い話、しったこっちゃない、ということだろう。
オール・シュトラウス・プロで曲目はかなりばらけている。全てもう少しコクが欲しい。この指揮者にはサロメのような俗な音楽よりもエレクトラのように聴衆に迎合しない、耳触りのあまりよくない音楽のほうが合っていそうだ。
指揮者無しのカプリッチョはなかなか聴かせるアンサンブル、そのあとの月光があっさりしすぎた。日本のホルニストで、ビブラートで聴かせる吹奏が出来たのは今のところ千葉馨だけだったと思います。当時、それなりのN響で外来指揮者に自慢できる奏者がいるんだよという暗黙許容の演奏家がいたということは、オーケストラも聴衆も、少し鼻を高くできた部分であったのかなと思います。今はおしなべてスキルはありますが他のオーケストラメンバーや外来指揮者の主義主張や美学を、(自我で)押しとどめさせることのできるプレイヤーはいません。のっぺりのうまさスキルを保有した奏者は沢山おりますけれど、そこどまり。月に光はあったのか。
ばらのタイミングは自分のイメージで幕割をしたタイミングです。山や谷が欲しいですね。
前半のドン・ファンと歌の組み合わせが奇妙と思いましたけれど、4つの最後の歌の浜田は風格あります。余裕と言いますか、オペラの場馴れ雰囲気。オーケストラル・ソングですのでホルン、ヴァイオリンのソロの部分、もっともっとコクが欲しい。浜田さんももう少しゆっくり歌いたいわ、と思っていたのかも。
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ところで今秋、新国立の監督として冒頭、パルジファルを5回振る飯守さんは2012年9月にも二期会で4回振りました。4回とも見ましたけれど崩れない演奏で、同曲を何回も振るというのはバイロイトを経験した人ならでは、といったところでしょうか。ただ、日本人のワーグナー振り手の人材不足は深刻ですね。飯守以外は一人しか思い浮かばない。
そのバイロイトで助手をしていたというお話で、ちょっと同年代比較を。ショルティは同年代ではありませんが便宜的にいれました。
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飯守1940生
ショルティ1912生(バイロイト・リングサイクル1983)
シュナイダー1939生(同1984-1986)
バレンボイム1942生(同1988-1992)
レヴァイン1943生(同1994-1998)
シノポリ1946生(同2000のみ。椿姫指揮中ゴロンした為(2001))
A・フィッシャー1949生(同2001-2004)
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飯守さんは舞台のリングサイクルは振らないのでしょうか。新国立でキース・ウォーナー・プロダクションを定番で持っていればよかったのにと思いますね。
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それから、ミトロプーロス国際指揮者コンクールの入賞歴があるという話はたまに出てきますので、データのみ記しておきます。最初はもっと大人数でだんだん絞られてくる。内容の詳細についてはいつかブログにアップします。
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【ミトロプーロス国際指揮者コンクール1966年】
・セミ・ファイナリスト13人選出

・ファイナリスト7人選出

・優勝者ミトロプーロス賞4人
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●内訳
【セミ・ファイナリスト13人】1966.1.11火
・Sylvia Caduff スイス
・Leon Cuykens ベルギー
・Vladimir Kojoukharov ブルガリア
・Juan Pablo Izquierdo チリ
・Zdenek Macal チェコスロヴァキア
・Alain Lombard フランス
・Walter Gillessen ドイツ
・Manfred Ramin ドイツ
・Taijiro Iimori 日本
・Johannes Vonk オランダ
・Theo Alcantarilla スペイン
・Sidney Rothsetein アメリカ
・Bernard Rubenstein アメリカ
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【ファイナリスト7人】1966.1.14金
・Sylvia Caduff スイス
・Juan Pablo Izquierdo チリ
・Zdenek Macal チェコスロヴァキア
・Alain Lombard フランス
・Walter Gillessen ドイツ
・Taijiro Iimori 日本
・Theo Alcantarilla スペイン
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【ミトロプーロス賞4人】1966.1.17月
・Sylvia Caduff スイス 28才 初の女性優勝者
・Walter Gillessen ドイツ 24才
・Juan Pablo Izquierdoチリ30才これまでの最年長優勝者
・Alain Lombard フランス 25才
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【スペシャルコンサート】1966.1.19水
受賞者4人のNYP演奏会(サブスクリプション) 
・Sylvia Caduff マーラー10番第1楽章
・Walter Gillessen ワーグナー ジークフリート牧歌
・Juan Pablo Izquierdo  チャイコフスキー ロメジュリ
・Alain Lombard バルトーク マンダリン組曲
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以上、
ということで飯守さんはあと一歩及ばず。
月曜の決戦で惜しくも5000ドルと、ニューヨーク・フィルまたはナショナル交響楽団のアシスタントになれるチャンスをかすめ取られた。実に惜しかった。
でも今、自分としてはこの中で知っているのは、飯守、アラン・ロンバールとズデネク・マーカルだけです。
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この1966年ミトプー賞のプロセスについてはあとで、別途書きます。
おわり


1645- ノタシオン、夏の夜、サーシャ・クック、グレイト、ジョナサン・ノット、東響2014.6.14

2014-06-14 23:16:48 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月14日(土)6:00pm サントリー
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ブーレーズ ノタシオンⅠⅣⅢⅡ 3′2′4′2′
ベルリオーズ 夏の夜 2′6′5′5′5′3′
 メッゾ、サーシャ・クック
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シューベルト ザ・グレイト 16′15′15′12′
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ジョナサン・ノット 指揮
東京交響楽団
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個人的にはノタシオンという発音はちょっと抵抗感があってノーテーションでいいのではないかという気がする。同じブーレーズのドメーヌはドメインで。でも、サイクルはチクルスと今でも言っているので、母国発の作品は母国語の発音でいいのかもしれませんし、二通りのサウンドを知っているだけで幅が広がったような気にはなります。普遍性を英語に求めるかという話で、ポイントとしては音楽作品のグローバル化。日本の作品は日本語のままの発音で紹介されるものが多いのですけれど、それら結構、一過性で根付かず済んでしまうような気がしないでもない。タケミツ作品はそうではないようなところもありますね。
この日のプログラムでは、シューベルトのほうは「ザ・グレイト」と紹介されています。これはこれで。
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それで1曲目のノーテーションは大きな編成です。18型ほぼ4管それに膨大な数の打楽器。この11分のためによくこれだけ集まったなぁという感じです。演奏順はブーレーズ推奨通り。
ブーレーズ初期の作品、短い曲でかつオケ用の編曲ものですから、雑草みたいなところがありますが、響きの相似性だけではなく天才技のひらめきという観点でメシアンのトゥーランガリラとの雰囲気の親近性を感じさせてくれる。メシアンのほうは80分の大曲ですが、双方ともに言いたいことのエキスのみ抽出している感じで、長さは結果的な帰着点でありあまり関心事ではない。
東響独特の黄色いサウンド、金切り声をあげるのかと思いきや、そうでもない。軟らかい感じ。鋭く突き刺すような表現ではなくもっと一般的な作品の扱いのように聴こえる。ノットが振る作品の傾向からすれば自然なものかもしれない。まぁ、2回演奏してくれればもっといい。(昔、小沢征爾&ボストン響来日の折、ウェーベルンだったか曲が短くてもう一度演奏しますと小沢が言って2回演奏したことありましたね、せっかくの膨大な編成ですしこのブーレーズも2回演奏やってもよかったかも。)
ノットの演奏は以前、N響とのショスタコーヴィッチの15番を聴いたことがあります。
(2011.2.16)、(2011.2.17)
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ベルリオーズの夏の夜、これは予定ではジェニファー・ラルモアが歌うはずだったが早めのキャンセルで、サーシャ・クックとなった。ラルモアお目あてのコンサートだったのでどうしようかと思案したが、ノーテーションもあることだし、やっぱり聴きに来たというところもあります。
この曲はオーケストラ伴奏は小規模ながら、曲自体30分物で結構なサイズです。ベルリオーズのシンプルにして落ち着いたメロディーが魅惑的。ストーリーを思い浮べながら静かな気持ちで聴きたいところです。冒頭のわくわくするような音楽、一度聴いたら忘れられないようなメロディーにのって進行。
クックは独特の細く明るい声でさわやかさがあります。僕のこの曲の愛聴盤はテノールですがメゾソプラノの歌もいいですね。伴奏の東響がまたいい。透明感あふれ、音色傾向がクックと同じ向きというか同質性を感じさせる。表情豊かで伴奏の域を越えている。
どっちかというとしりつぼみ系の作品ですが、クックのシンプルなドレス同様、さわやかさが心地よい。このような小ぶりな演奏もいいものです。最後まで楽しめました。
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後半はシューベルトのザ・グレイト、14型だがパーカッションが抜けた分、見た目はノーテーションの半分サイズ、また第1ヴァイオリンに男は3人というさみしさなり。
演奏は1拍子振りもまじえ比較的早めのテンポ。気張らずに、肩の力が抜けたいい演奏。くどい言い回しや妙なアクセントもなく小気味よく進む。第1楽章は提示部のリピートありで、天国的な長さがさらに長くなるが、冗長なところはなく飽きない。以降、おしなべてリピートあり。密度の濃い鳴りで真正面からシューベルトに向かっている。随分前にノットのシューベルトの交響曲全部のSACDを手に入れたことがあるのだが、彼の得意としている作曲家の演奏ですね。自信たっぷりです。
日本人某指揮者のようにマーラーの変態解釈みたいなのものは一時的には受けるが長い目で見ると陳腐さの極みであり、まずシューベルトのような作品で真っ当な演奏を行い正面突破の説得力が出てきて聴衆の心をつかむのが先。そうゆうことをせず変態演奏を行うのは単に音楽に対する冒とくであろう。
表面的には何をねらっているわけではないノットの演奏は、音と構成感の充実度で圧倒的であり、まずこのような演奏ができてはじめて変態解釈も可になる。彼はしないと思うが。
最後の音の空気の抜き方はチェリビダッケの方針とよく似ているが、チェリは極端。ノットはそれまでの流れに相応しいエンディングとなっていた。
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この日の演奏会の長さは20分の休憩をいれて合計2時間20分ぐらい。全く長さを感じさせなかったし、普段の他のオーケストラの演奏会もこのくらい欲しい。
おわり


1644- ラフマニノフ、pf協3、アブドゥライモフ、アルプス交響曲、アシュケナージ、N響2014.6.13

2014-06-14 00:45:17 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月13日(金)7:00pm NHKホール
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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 18′11′13′
 ピアノ、ベフゾド・アブドゥライモフ
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シュトラウス アルプス交響曲 52′
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ウラディーミル・アシュケナージ指揮
NHK交響楽団
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このピアニストはお初で聴きます。情感、躍動感、無機的感、いずれもちょっと違う。それらを内包させているのだろうか。敢えて言えば中性的な不思議な魅力を持っている。
ガラスのような音に徹するわけでもない、技術志向の誇示も醒めたものかもしれない。弛緩するところがないので聴き手としては集中できる。間延びすることなく、このコンチェルトの素晴らしさをきっちり表現した演奏でした。
アシュケナージお気に入りのピアニストらしく何度も共演しているみたいですね。ということは察するにアシュケナージ自身と同じようなピアノスタイルということでもあるのだろう。
アシュケナージはピアニストのほうをほとんど見ない。最後の最後のクライマックスのところだけは一緒になって振っていたけれど、他はほとんど見ていない。むしろこのピアニストのほうがだいぶ気配りしている感じだ。全体フレームはアシュケナージのものです。
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後半のアルプス交響曲。
以前振ったマーラーの悲劇的もそうだったが、アシュケナージは音符間のすき間を歌の呼吸に利用しない。タメも作らない。緩めないで進む。音符そのものに呼吸をさせるといった厳しい音楽づくり。オペラを振らないシンフォニストの真骨頂。緩んでしまいがちな拍をなぎ倒すように突き進む。したがってそもそもが音楽表現の完成度が高くなるような解釈を内在した指示なのである。彼のピアノも同じような傾向だし、この日のプログラム前半のピアニストも同じような傾向なのかもしれない。
結局、特性が物理的な特徴によるようなところがあり、好きだ嫌いだという話とは別のところで作曲者の曲の完成度といったあたりに着目して聴くのも一つの方法ではあると思うのです。嫌いな指揮者でも、自分なりの観点をもって、一度は耳を傾ける価値はあると思います。
おわり


1643- ヴェルディ、レクイエム、パオロ・カリニャーニ、読響、2014.6.12

2014-06-12 22:55:00 | インポート

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当公演は前の日に亡くなったラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス氏に捧げられました。日取り的には、これは偶然の出来事です。当初よりこの公演は予定されており、加療中のブルゴスが前日無くなったことにより、ブルゴスにデディケートされました。
何しろブルゴスはこのオーケストラを169回も振ったということですから、尋常ならざる関係と言えます。最後に振ったのが2年前ということでメンバーにとって遠い昔の出来事ではない、本当に近くの出来事に違いない。この日の演奏は心なしか音色(ねいろ)も涙色。
いつもと違う音の色、フロントに4人の独唱、そして管弦楽、うしろに合唱がそびえ立ち、その天上からは、このオーケストラを169回振ったブルゴスの眼差しが注ぐ。ヴェルディが呼んだに違いない。最後の黙とうは全くの自然発生的行為で、突き刺すような静寂がホールを襲う。

カリニャーニという指揮者は2度目です。棒さばき良く、イタリアものを振りつくしているように見える。この曲もツボを押さえポイントをわきまえたもの。うるさくならず楽器の増加が音量の増加なのであってあまり気張らず、合唱のほうに神経がいっている。対して、独唱には割とそっけない。任せておけばうまく歌うだろうという感じですね。メッゾとバスが安定していて聴きやすい。ソプラノはギネス・ジョーンズ型のぶら下がり傾向がありますが健闘、難しい曲ですね。テノールは馬力が欲しいところです、体躯の関係で声の発声ポジションが他のかたと高さ的に少し異なるため、うまく溶けこまないようなところがあったように思いますが、ときおり黒光りする声はまさしくテノールですね。片鱗が出たというところでしょうか。
カリニャーニの棒は流れが止まるということはありませんが、流麗というわけでもなく、この曲に必要な熱がもっと欲しいところではあります。
総じていい演奏だったように思います。ありがとうございました。
おわり