河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2372- 細川、フルス、アルディッティSQ、スクリャービン3、大野、都響、2017.6.30

2017-06-30 23:16:41 | コンサート

2017年6月30日(金) 7:00pm コンサートホール、オペラシティ

ブリテン ピーター・グライムよりパッサカリアop.33b  7′

細川俊夫 弦楽四重奏とオーケストラのためのフルス(2014) (日本初演) 19′
 弦楽四重奏、アルディッティSQ

Int

スクリャービン 交響曲第3番 神聖な詩  1+23+12+11′

大野和士 指揮 東京都交響楽団


ブラスセクションによる開始の序奏の音がデカすぎる。このオーケストラにとっては日常的なパワーの表出のはずで、でもこのパワーが音量正比例で大オケ全般におよぶとこのホールでは飽和してしまう。1632席とある。開館20年。なんでこの時節、このようなシューボックスを作ってしまったのだろう。2階3階の横席ではロクにステージが見えない。コンパクトと言えば聞こえがいいが、10年ほど前かニューヨーク・フィルがここでコンサートをやったときも完全飽和状態。シカゴ響なんか絶対無理だろうね。ヴァント&北ドイツのラスト演奏、未完作品2曲ここで聴いた記憶があるが、あのときはオケメンが指揮台を中心に半円に囲むような集中型フォーメーションだったハズ。
スクリャービンの3番シンフォニーはオーケストラ編成規模の妙よりも、めくるめく音の綾を浴びたい。

今日の大野棒、華麗な流れは横に置き、ズシズシとくる。滔々と流れ滑るようなパフォームではない。作曲家特有のフォルテシモをうならせた後の急激ピアニシモ、そこに何か空気が香るようなところがない。飽くまでも地の音で進む。これはこれで。
めくるめくテイストが出てこないのはこのホールのせいもあるような気がする。飽和ブラスセクションのあとピアニシモによるウィンドハーモニーが効果的に響かないのは、過剰飽和でエコーが潰れたようになってしまうからかもしれない。これなら持ち前の技量でスパッスパッと切って進んだ方が効果的。
それから、作品消化不足もあるようだ。慣れていない曲でぎこちなさが感じられる。滑らかな音の推移が欲しいところだ。第2楽章のレントではゆったりとした歩が欲しい。余裕やふところの深さが今一つだ。
終楽章のアレグロはなんだか短い。カットでもしているのだろうか。あっという間にフィナーレ。どんなヴァージョンなのかわからないがティンパニを連打して終わる。打撃と空白が無いものですね。容赦ない太鼓のクレシェンド連打。吹き上げるような弦とブラスの音は見事にかき消された。

全体的にこれといったツボが無い演奏で肩透かし。10日ほど前に奏されたベートーヴェンの田園におけるプレイヤーたちの体の揺れ動きと演奏は一体化して全く見事なものだっただけに。あのような演奏だったらどれだけ素晴らしかったことか。

(参考)
2369- スクリャービン3番 ライブラリー Plus rev.1


前半に演奏された弦四オケフルス。
細川さんの作品は新作、再演かなりの数聴いている。現音コンサートにそんなに頻繁に通わなくても接する機会が多くて、耳慣れたものとなっている。
フルスは2014年作日本初演。相反する事物、陰と陽が相殺されることなく補い合い宇宙を生み出していく。世界の奥に流れる音の河を陰陽の原理で生成させる。
弦四は人、オケはその内と外に広がる自然、宇宙。弦四とオケの衝突、交合の流れの変容。

まず印象的なのは弦の刻みと震え。弦四にメロディーは無くひたすら刻む。オーケストラから始まるが、するりと入り込んだ弦四が震え始めると、それがオーケストラの弦パートに逆伝播する。この広がりは見事なものだ。指揮台を底にした扇状地のような広がり。
「私はあなたに流れ込む河になる」私(細川)の存在が音となり、より大きなものに流れ込む様をイマジン。
こうなると最初の話との境目がよくわからなくなる。メルトする形状。もうちょっと具体的に書いてくれたら助かるのに。
オケ弦の刻みに対して、ブラスセクション、ウィンド、それにパーカスの響きは、切れてバッ、バッと向かってくるあたり、このような音型の波状攻撃は一時代前のいわゆる現代音楽、その時代の時代音楽だったものが聴こえてくる。耳に響くエコーは過去のスタイルを若干感じさせる。

終わり際になり弦四は刻みをやめ息の長いフレーズが出現する。束の間の流れ。割とあっけなく終わる。

アルディッティSQの結成40周年のお祝いとして作曲、彼らにデディケートされている。オーケストラのバックが要るのでステージにあげるには簡単な作品ではないだろうとは思うが。
おわり


2371- プロコフィエフpfcon3、アブドゥライモフ、アルプス、ヤング、読響、2017.6.24

2017-06-24 23:47:33 | コンサート

2017年6月24日(土) 6:00pm 東京芸術劇場

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番ハ長調  9-9+9′
  ピアノ、ベフゾド・アブドゥライモフ
(encore)
チャイコフスキー 6つの小品、第4番ノクターン  3′

Int

シュトラウス アルプス交響曲  51′

シモーネ・ヤング 指揮 読売日本交響楽団


アブドゥライモフの突進力は凄いもんで爽快感が漂う。一方、アンダンテは木の香りが漂う、木目の色彩感。柔軟な演奏。
余裕にやや作為が見うけられて、全部仕事に使ってくれたらもっといい出来になるんだろうな、などと思うところも。
リサイタルを聴きたいですね。

アルプスは太めの読響、安定感抜群の演奏。キャンバスに描くのも重量級の筆とデカいパレットが要る。能力全開、出し尽くし、拠点で練習場所もあり、お給料も良くて、好条件が整っている会社なんだろうと想像せざるをえない。うがった見方だが。
尾根が太い演奏、際どさが欲しくなったりもする。

ヤングさんは大満足の様子、ご満悦。意図したものがうまく表現できていたのだと思う。
大オーケストラの醍醐味を満喫しました。
おわり


2370- ラ・ボエーム、日生劇場、伊香、園田、新日フィル、2017.6.24

2017-06-24 22:28:06 | オペラ

2017年6月24日(土) 1:30-4:00pm 日生劇場

日生劇場 プレゼンツ
プッチーニ 作曲
伊香修吾 プロダクション
ラ・ボエーム  (宮本益光新訳による日本語上演)

キャスト(in order of appearance)
Before Act  (黙役)
1.マルチェッロ、桝貴志
1.コッリーネ、三戸大久
1.ショナール、近藤圭
1.ムゼッタ、高橋絵里
2.ロドルフォ、樋口達哉

Act
1-1. マルチェッロ、桝貴志(Br)
1-2. ロドルフォ、樋口達哉(T)
1-3. コッリーネ、三戸大久(BsBr)
1-4. ショナール、近藤圭(Br)
2.ベノア、押見春喜(Bs)
3.ミミ、北原瑠美(S)

4.パルピニョール、青柳貴夫(T)
5-1.アルチンドロ、小田桐貴樹(Bs)
5-2.ムゼッタ、高橋絵理(S)

合唱、C.ヴィレッジシンガーズ
児童合唱、パピーコーラスクラブ

園田隆一郎 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


(duration)
無言劇+ヴォイスオーヴァー的な会話 5′
ActⅠ 33′
会話 3′
ActⅡ 20′
Int
会話 2′
ActⅢ 24′
語り 3′
ActⅣ 29′

暗くなり指揮者登場はわからないまま幕が開く。少しだけ光がさす。舞台は空っぽで何もない。唯一真ん中手前に小さな墓石だろうか。そこにロドルフォを除く3人とムゼッタが花を添える。少し置いてロドルフォが現れお花を。そして5人四方に散らばっていく、と、この5人と思しき会話が映画のヴォイスオーヴァーのように流れる。
悲劇ラ・ボエームの結末のそのあとのお墓参りのようなシーンから始める演出はインパクトの強いものであった。5分ほどの動きと会話がおわり、いつの間にかポーディアムに立った指揮者のもと第1音が奏でられる。
1幕から2幕への場面転換、3幕前、同じように会話が入る。それに3幕から終幕の場面転換では会話ではなく語りですね。

前奏曲も序曲も無いエキスのみで出来上がっているこのオペラにまことにふさわしい印象的なシーン。このオペラの冒頭にそのような曲があればそれに乗って無言劇が行われるところだろう。無い事を逆手に取った演出ですね。
日生劇場に響く新日フィルのシルキーで心地よいサウンドの中、舞台が始まる。

演劇的な要素が濃い演出、オペラが始まっても同じように色々とある。
冒頭から4人の動きが激しい。これだけ動いてまともに歌えるのだから、相応なリハなどを積んでいると思う。終幕あたまでの1幕冒頭回帰、そしてダンスとここらへんの動きも達者。日本語上演なので歌うほうでの余計な負担が軽減されているところもあるのではないか。
全般にわたってこのように動きがいいとキャストのメインロールがどうだこうだという話はあと回しで良くて、まずこの劇をまとめるにはロール全員が同じように動くことが一つのポイントになってくる。
これをみながら昔、もっともっと演劇性の強烈なボエームの事を思い出した。

364- ラ・ボエーム、ベルリン・コーミシェ・オーパー、クプファー・プロダクション、1991.6.13 (1991-13)

クプファーの演出はひとつの頂点だと思う。この上演はドイツ語でおこなわれております。

今回の上演は宮本益光さんの新訳による日本語上演でこれに日本語の字幕がつくという非常にわかりやすいもの。
日本人が日本語で歌うというのは本当に負担軽減になるものなのかどうか、それはこっちが勝手に思っていることであって実際のところは聞いてみないとわからない。
観ているほうとしては例えば第1幕のあたまと終幕冒頭は相似形でありながら、言葉で含みを持たせたようなところがあるし、そういったところは言葉で意図されたものがこちら側により浸透してくるといった効果もあったかに思う。母国語で歌われるとそういったところの理解がすすみ易い。

言葉や動きの事だけでなく舞台の動きも練り込まれている。終幕4人のダンスは最初明るいものだが、ガラス窓の外は少しずつ風が強くなっていく。そして少しずつ全体が暗くなっていく。観ているほうの心の動きまで掌握しているような演出。
2幕モミュス、ムゼッタはマルチェッロのほっぺを思いっきり殴って手を握り合い二人で去る。2幕の舞台はゴチャゴチャと混みいったもの、そんな中で6人衆の動きをきっちりわかるような配置の妙。
3幕の行商人と兵のやり取り、日常のやり取りが暗い中でしっくりと表現されている。
等々、このプロダクションは6/18とこの日だけの2回公演のようですが、こういった面白みを観るにはもっと多い上演が望まれるところではある。リヴァイヴァル上演、貸出上演、これから先もっとやってほしいものだ。細部がよくきまっていて、終わる前にそういったことが脳裏をよぎる始末。

結局、こういった細部の丹念な積み重ねが濃い演劇性のみならずドラマチックで躍動する舞台を築きあげる要素になっている。
ここニ三十年、序曲の中でパフォームするといったことがやられていて、ワーグナーのようなスタティックなものだとかなりサマになるのだが、イタオペだとどうも安い感じがしてしまう。付け足しのように見えるんですね。ワーグナー物からのアイデアの真似だからかなあと勝手に思っているのですが、そういった事が多くて、たまに濃い演出もあった記憶はありますが全体的にはどうも今一つという印象があったのです。今回の伊香演出はそういったことを全く感じさせない。クプファー演出を思い出したけれども、古さは感じない。古さというのは陳腐と置き換えてもいいが、そういった事を感じさせない。むしろ何か新しい新鮮な現代性を感じさせてくれた。新鮮というのはこちらが周りの事を知らないという事に寄るのかもしれない。でも一つの方向性は感じる。それはもしかして日本語上演によるところがあるのかもしれない。そこらあたりが微妙にうまく絡み合っているのかもしれない。
演出は古くなり、音楽だけが残る。だから演出は何度でも創作し続けなければならない。そうかもしれない。現代性は問われ続けられるものかもしれない。それはこれからの話だろう。

4幕ラストシーン直前。ミミが二人だけになりたくてベッドで一芝居打って、二人になりそこでこれ以上ない糸を引く様な音楽がつながる。第1幕のデュエットシーンでの歌そのもののフシが今度はオーケストラだけで奏される。二人がするのは動き。渾身のパフォーム。プッチーニ節ここに極まれり。園田、新日フィル、身も心も中から砕け散るようなウルトラ絶品の演奏。
そして、仲間たちがもどり、ミミはこの世を離れる。コラージョ、ここからあっという間にエンディングとなるのだけれども、伊香プロダクションではもうひとつ動きを作る。
屋根裏部屋が左右にツーと動いて消える。ミミとそのベッドは奈落の底に沈みこむ。舞台は空になる。そして奈落から墓石があがってくる。そこにいるのは5人。冒頭でオペラが始まる前の無言劇的なシーンに戻るのである。
ラ・ボエーム、ソナタ形式を思わせる構造、第1幕導入提示展開と終結、2幕スケルツォとトリオ、3幕見事に弧を描くアダージョ、終幕では1幕再現と展開それにフィナーレ、この強固な形式を後押しするような冒頭、結尾の見事な演出というほかない。秀逸な演出で見ごたえありました。
プログラム冊子を拝見すると、五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表と書いてありました。

ロドルフォ樋口は歌、動きともに好調。彼の歌はこれまで何度も聴いてますしなじみのあるもの。舞台は総じてグレイな色合いの中にブラウンな色調があり、光が効果的。シックでいい舞台。樋口ロドルフォの色はそれにしっくりと合うもので、深みがあって息が続き歌い込まれているもの。1幕でのソロ、デュエット見事な歌でした。3幕での弧を描くミミとの絶唱、シルキーなオーケストラサウンドに乗って、無限の美しさ。
ロドルフォを入れた4人衆はバランスが良く取れていて、激しい動きの中でもきっちりとした歌唱でしたね。マルチェッロの立ち位置はわきまえた加減を感じるもの。
ミミ北原は最初から役になり切っている。最初ちょっと弱すぎるミミと感じたがあれは動きのほうですね。歌のほうは少しドライで中太な線が安定感の高いもので、いつか崩れるといった余計な心配もない。役とは別の強さと芯を感じさせてくれた。
ムゼッタ高橋はまず、サマになるというか絵になる。気が強そうでわがままで実は寂しいのかもしれない複雑な女性を見事に演じましたね。ワルツは魅力的。ここ、ミミをくいました。
洒落た2幕、悲劇の4幕、両面感じさせてくれました。素晴らしかったです。ビューティフル。

オペラ振り園田の棒、これも鮮やか。ピットでの新日フィルのサウンドがいつも聴いているオンステージでの音と同じ。前向きで積極性のあるタクトだったのだと痛烈に思う。
プッチーニに泣き節全開とはせず、締めるところはサッと切り上げたりする。ムーティの妙技とオーヴァーラップするところがある。プッチーニは振らないムーティ、でもなんだか冴え技はそんな感じ。
オーケストラとともに舞台の上を見ながらの指揮姿、説得力ありますね。自在な棒はこのようなオケでさらに躍動する。鮮度高し。秀逸な伴奏を終始展開してくれました。

ラ・ボエームにジャストフィット、みんな最高!、ボエーム最高!!

おわり


2369- スクリャービン3番 ライブラリー Plus rev.1

2017-06-23 23:26:01 | ライブラリー

スクリャービン 交響曲第3番 神聖な詩
2017年6月23日時点で保有している音源です。

1 エフゲニー・スヴェトラーノフ/USSRso.
                 1966 MELODIYA

2 エフゲニー・スヴェトラーノフ/USSRso.
                  1990.4.14 RUSSIANDISC

3 エフゲニー・スヴェトラーノフ/ロシア連邦so.
                  1996.5.16-20 EXTON

4 ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツRso.(**注**)
                 1975.5.22-23 hanssler

5 ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツRso.(**注**)
                 1975.5.28 NHK-FM

6 キリル・コンドラシン/コンセルトヘボウo.
                 1976.2.12 ETCETRA

7 エリアフ・インバル/フランクフルトRso
                 1978 PHILIPS

8 リッカルド・ムーティ/ベルリン・フィル
                1987.5.31 NHK-FM

9 リッカルド・ムーティ/フィラデルフィアo.
                1988.4.29,30 EMI

10 リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル
                1990.10.21 NHK-FM

11 リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル
                2005.5.2 WNCN

12 ダニエル・バレンボイム/パリo.
                1987.11 ERATO

13 ジュゼッペ・シノポリ/ニューヨーク・フィル
                1988.1 WQXR

14 ジュゼッペ・シノポリ/ニューヨーク・フィル
                1988.1 DG

15 レイフ・ゼーゲルスタム/ストックホルムpo.
                1989.8.14-15 BIS

16 ヴァレリー・ゲルギエフ/レニングラードpo.
                1989 LENINGRAD MASTER

17 ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRso.
                1990.4.22 NHK-FM

18 ウラディミール・アシュケナージ/ベルリンRso.
                1990.5.23 LONDON

19 ネーメ・ヤルヴィ/デンマーク国立Rso.
                1990.5.31-6/2 CHANDOS

20 ドミトリー・キタエンコ/ベルゲンpo.
                 1990 VIRGIN CLASSICS

21 ジョン・プリッチャード/BBCso.
                ?頃 BBC ARTIUM

22 アレクサンダー・ラザレフ/NHKso.
                 1994.2.16 NHK-FM

23 ミカエル・プレトニョフ/ロシア国立o.
                  1998.3 DG

24 アレクサンダー・ドミトリエフ/ペテルスブルク・アカデミックso.
                   2003.9 WLA

以上、24点


8,9,10,11番
ムーティについては別稿を参照願います。ムーティはこの曲が大好物でたくさん振っております。

724- スクリャービン 交響曲第3番 リッカルド・ムーティ フィラデルフィア管弦楽団 1984.2.22

060- スクリャービン 交響曲第3番  ムーティ フィラデルフィア、NYT評

061- スクリャービン 交響曲第3番 ムーティ音源


4,5番
ミヒャエル・ギーレンの演奏は最後の二つの打撃音が無い(**注**)。盛り上がって突然終る。5のNHK-FMのものは放送を聴いていて、編集ミスかと思われたがNHKの解説者は平然と解説を始める。当時、知られていない曲とはいえ、ありえない。のちにどこかで文章を読んだ記憶があるのだが、このように終わる解釈もあるらしい。消化不良気味なのがギーレンらしい。
内容的には4のヘンスラーの正規CDの方が精度で上を行く。最後のところもスピードアップしていき、打撃音無しをうまく解決していると思う。

13,14番
シノポリ&ニューヨーク・フィルの演奏は、肩の力が抜け75%の力で100%の感動を、といった、いかにもNYPらしい余裕の演奏である。運動後の整理体操みたいなリラックスさが聴くほうにも心地よい。
この曲の解釈にはマス系とアンサンブル系の二つの行き方がありそうだが、NYPの演奏は完全に後者。
べらぼうなうまさのブラバンによくありそうな開始。こじんまりとブラスがハーモニーを奏でる。目先の楽譜を一歩ずつ消化して進んでいく。実に心地よいアンサンブル。ウィンドも同じく均衡を保ちながらブラバン系の響きのなかを進んでいく。弦は控え目であり、徐々に糸が絡んでいく。進むうちにやがて全奏が出現するが飽くまでも75%の力。品位と節度が保持される。アンサンブルは室内楽的透明さで。
オペラを振っている途中でゴロンと死んでしまったシノポリは、よく分析的、解像度の高い演奏、などと言われたものだが、たんにアンサンブル重視の演奏・表現を目指したのではなかったのか。その結果としての世評のような気がしないでもない。NYPのこのような演奏を聴いているとますますそう感じる。いずれにしろこのNYPはヘヴィー級マス・サウンドとは明らかに方向性が異なり、秋の夜長でも気張らないで聴くことができる超一品である。かむほどに味が出る。

12番
バレンボイム指揮パリ管の方向は、ロシア風マスサウンド、へヴィー級サウンドとはかなり異なる、かといってきらびやかな演奏というわけでもない。この演奏の解釈としてはかなり異色。
前奏部分は滑らかというか、スローでワーグナーでも始まるのかといった雰囲気。その遅めのテンポは最後までかわらない。
聴き進めるうちに異常に丁寧な棒さばきにはまり込む。フレーズ毎の響きを重視した解釈で、モザイク風に進む。ある部分だけ聴きとるとスクリャービンの3番のようには聴こえない個所が多々ある。まるでラヴェルのマメールロワであったり、シェーンベルクの浄夜であったりする。
アップテンポのところも全く急かさない。かといって悠然たる響きというわけでもない。飽くまでも変奏曲の響きの変化を提供する。
52分オーバーの演奏でスヴェトラーノフまではいかないがかなりスローだ。
最後の空白の滞空時間も、誰のが一番長いのか知らないが、心理的には圧倒的なバレンボイムの解釈だ。

といった感じで、全部の印象は書いていないが、機会を見つけて書いていこうと思います。
このライブラリーのなかから一つだけ選べ、と言われれば。
8番
リッカルド・ムーティ/ベルリン・フィル
        1987.5.31 NHK-FM

この幾何学模様的な演奏は強烈。最後の打撃音間の空白の空気音がフィルハーモニーで見事にとらえられている。(空白なので音はしないが、ものすごい威力だ)
なぜかブーイングがはいっている。戸惑っている聴衆がいるのかもしれない。
空前絶後の演奏ではある。
おわり


2368- 牧神、山人、ムラロ、田園、大野、都響、2017.6.21

2017-06-21 22:07:10 | コンサート

2017年6月21日(水) 2:00pm 東京芸術劇場

ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 11′

ダンディ フランスの山人の歌による交響曲  10-6-7′
  ピアノ、ロジェ・ムラロ

Int

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調  12-12-5+4+9′

大野和士 指揮 東京都交響楽団


硬質できめの細やかなストリングが奥行きを感じさせつつ心地よく鳴る。ウィンドの入念なハーモニーバランス、鉄板吹きさせないブラスセクション。大野の知的で品のあるコントロールは細部にわたっている。他の指揮者ではこうはいかない。美ニュアンスに満ちた演奏。

牧神の肌ざわり。海原のようなたゆたう弦。最上バランスで聴かせるウィンドのハーモニー。美しい。この美バランス、最高ですね。

ダンディでは美弦の表現がさらに広がる。
ピアノは横向きではなく指揮者の奥に正面向き。折角の鍵盤側シートへの努力が水泡に帰した。シンフォニーだからいたしかたないか。
長身痩躯ムラロの音はそれほど聴こえてくるわけではなくて、耳をすませばクリスタルのような響きが垣間見える程度。席が前過ぎたのかもしれない。今回リサイタルもあるが都合によりそれは聴けないので残念。
山人は大野の棒でなければこれほど魅力的に響くことはなかったと思う。演奏が作品を上回ったものでしたね。ビューティフル。

この日はツートップのパートが目につきました。相応な態勢でおこなっていたように見える。内容も良いものでした。
田園でも大野の美意識はいたるところにある。最後のホルンのソロをウルトラピアニシモで吹かせるあたりバランスに非常に気を使っているのがよくわかる。
びっしりと敷き詰められて歌う弦。1,2Vlnをはじめとして体の動きがみなさん激しい。没頭プレイで歌い尽くしている。渾身の演奏。
1,2楽章のコッテリとしたウィンド、味わい深い。ウィンドへのバランス配慮は特に洒落ている。
深彫り、彫刻された田園、豊に流れるベートーヴェン。素晴らしいものでした。
おわり


2367- ワルトシュタイン、ラ・ヴァルス、シューベルト19、ヒンターフーバー、2017.6.19

2017-06-19 23:25:42 | リサイタル

2017年6月19日(月) 6:30-8:30pm 日経ホール

シューベルト 12のドイツ舞曲Op.171 D.790 & 17のドイツ舞曲D.366
              抜粋シャッフル演奏  8′
              D.366-10,1,8,9, D.790-5, D366-9 D790-6,3,4 D.366-2,3,4,5,10 da capo

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 ワルトシュタイン 10-4+9′

ラヴェル ラ・ヴァルス(ピアノソロ版) 11′

Int

シューベルト ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D.958 11-8-4+7′

(encore)
ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ  5′
ツェルニー シューベルトのワルツによる変奏曲  4′

ピアノ、クリストファー・ヒンターフーバー


お初で聴きます。端正な風貌からは想像つかないような止めようもない激烈な演奏。最初のシューベルトのドイツ舞曲のシャッフル演奏は飛び跳ねるような快活な演奏でこんな曲なんだろうぐらいにしか思わなかったのだが。
ワルトシュタイン、もともと激しい第1楽章で最初はあまり感じなかったがどんどん過激になっていく。スピード感、飛び跳ね感。終楽章に至ってはきれいな縁取りの流れを少し横に置いて第1楽章と同じようなテンポ感でビンビン進めていく猪突猛進型。
第1楽章終わったところで長めの拍手。主催とか協賛の招待客が多数だったのだろう。なにしろ入場もぎりでは一般客より招待列のほうが長かった。座席指定リサイタルとは言え。
わからない連中の拍手は仕方がない面もあるが、GGBB連中はなかなか拍手をやめない。自分たちの非を認めたがらない年寄りたちを前に奏者は苦笑いするのみ。といったところもあったのだが、すぐに切り替えてコラール風味のアンダンテ。キリッと落ち着くあたり大したもんだ。
激しいベトソナでした。

と、ここで一服する間もなく、さらに過激なラヴェル。開いた口が塞がらない。そもそも徐々に崩れいていくワルツ。それがヒンターフーバーのプレイで崩壊的になる。低音から始まり入念な盛り上がり、叩き、グリッサンド、荒れ狂い。悶絶ラヴェル。これもワルツ。なぜか築城感。物が一つ出来上がったような感覚。不思議と言えば不思議。

後半のシューベルト。遺作1番。ほぼベートーヴェンという印象。形式感が前面にでる第1楽章、それにアダージョ楽章の対比が際立っていて、見事な演奏でした。
メヌエットから終楽章アレグロは一気。特に終楽章の飛び跳ねエネルギーには恐れ入る。音楽がこれから先このまま永遠に続いていきそうな気配すら感じる。

沸騰リサイタルでした。
アンコール1曲目のパヴァーヌは整理体操のような雰囲気が醸しだされて、こっちも一息つけた。
おわり

 





2366- ベトソナ11,23,30,31、6変、エロイカ変、浜野与志男、菊地裕介、田部京子、2017.6.18

2017-06-18 23:02:09 | リサイタル

2017年6月18日(日) 2:00‐5:40pm 一橋大学兼松講堂

オール・ベートーヴェン・プログラム

ピアノ・ソナタ第11番変ロ長調  6-9-4-6′
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 熱情  10-7+5′
  ピアノ、浜野与志男
(encore)   2′

Int

創作主題による6つの変奏曲ヘ長調  13′
≪プロメテウスの創造物≫の主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調 23′
  ピアノ、菊地裕介
(encore)   5′

Int

ピアノ・ソナタ第30番ホ長調  4-3-14′
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調  7-2+11′
  ピアノ、田部京子
(encore)  3′

ナヴィゲーター、インタヴュワー、西原稔


ベートーヴェン6曲を有名どころ3人で2曲ずつ、アンコールそれぞれ1曲ずつ、このエキスだけで2時間半近く。ナヴィゲーターによるショート解説と3人へのインタビュー、それに2回の休憩含め、3時間40分ロングのリサイタルとなりました。お話も含め大変に充実した内容でした。ガラス窓から外の小雨模様が見えるホール。カーテンを閉めることなく外から緑の明かりが入り込む。

浜野さんのベトソナ11,23からスタート。
11番。ソナタ強固でヘヴィーな曲。全体的に明るい曲、非常に充実した手応え十分なものでいきなり大曲からスタートで聴く方も構えがいる。
浜野さんは息を整えて、終始落ち着いた演奏で技もさえる。粒立ちの良いフレーズがきっちりと弾かれてゆき構造が照らされる。素晴らしい。後半2楽章はさらにさえ渡る。
3楽章のキラキラするメヌエット、終楽章ロンドのデリケートな中にきらりと光る鮮やかな響き。光沢、フレッシュ。

熱情も同じスタイル。終楽章は攻めきれずのところがありましたけれども、この楽章は正確な流れが快感。2拍子16分音符の正確な流れ。突進力、勢いよりも自然で正確なスタッカート気味の粒立ちが上回る。
第1楽章の谷から山へのクリアな動き、一歩抑えた運命動機。アダージョ楽章のコラール風味のきれいなハーモニー。全て音符のクリアな響きが心地よい。

2月にオペラシティのリサイタルホールでB2Cの企画で弾いたのを聴いたばかり、今回はベートーヴェンで、なるほどあのような切り口でのベートーヴェンかと納得。

2279- 浜野与志男 ピアノ・リサイタル、2017.2.21


二人目は菊地さん、黒の軽装。お初で聴きます。
既にベトソナ全の録音もしていて、力んだところが無くて自由自在な気持ちで作品にあたっている。一仕事やり終えた達成感からくる視野の広さというか広がりの実感が心に余裕をもたらし、幅広な視点に立ったプレイが出来るのだろう。変奏曲2曲果てしも無く続く妙技。
プロメテウスはソナタ1曲分の規模になる大掛かりなものでストレートな進行の作品ですね。変奏曲、大スケールのフーガ。圧倒的な演奏でエロイカの突進力が目に浮かぶ。徐々に大きくなっていくその傾斜が見事なプレイで表現されて圧巻でした。素晴らしい演奏でベートーヴェン満喫。
6つの変奏曲は各ピースが3度ずつ下がっていくもので、それに他の変化もあって創作料理のようなものか。そんな感じで聴けば興味は色々とつながっていく。ガラスの窓のホールの響きの良さが実感される作品と演奏でした。

それにしても2曲で40分近く。本当にデカい曲。こちらの気持ちも緩みません。


三人目は田部さん。最近の記憶はありませんが、以前聴いているはず。
30番31番。まずは鮮やかというしかない。きれいな指使い、きれいな音。全てがピュア。それに姿勢が凄く良くて、なにか正しさの極みを見ているような気持ちになってくる。
31番は終楽章のフーガのあとのフィニッシュの仕方が人間技を越えていると思う。2回目の嘆きの歌の直後にコラールの響きが始まりフォルテまでもっていき、技を駆使したところで極限フィニッシュ。唖然とする素晴らしさ。ベートーヴェンの閃きここにあり。
第1楽章の頭、なにか、途中から始まったようなその冒頭、ここで既に嘆きの歌は感じられる。それが田部さんの指使いで美しくも枯れたような押しで開始される。ピュアな響き。
スケルツォは30番と31番ともに短くてすっと始まってすっと終わるのだが、鍵盤の叩き強調のようなフシは最後まで、やっぱりベートーヴェン、ですな。
30番終楽章は変奏曲でこの作品の中核。きれいなタッチで次々と現れてくる変奏、田部さんは姿勢が良くてぶれがない。演奏にもそういうところがきっちりと出ますね。端正というのではなくて華麗というあたりが、やっぱりいいですね。
31番終楽章はフーガ、最初に書いた通りですけれども、音を確かめるように弾く田部ピアノは心の落ち着きが見ていてわかる。ジワジワとくる高まり。鮮やかな弧を描いてフィニッシュ、素晴らしすぎる。


各ピアニストのプレイ前にナヴィゲーター西原さんの解説、そして2曲終わってアンコール前にピアニストにインタビュー。すっきりしたもので中身の濃いもの。4時間近くの公演でしたけれども全部楽しめました。充実のリサイタルありがとうございました。
おわり








2365- グラズノフ、お嬢様女中、プロコフィエフ、pfcon1、若林顕、スキタイ、ラザレフ、日フィル、2017.6.17

2017-06-17 23:58:41 | コンサート

2017年6月17日(土) 2:00pm 東京文化会館

グラズノフ バレエ音楽≪お嬢様女中≫  48′

Int

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番変ニ長調  4+7+4′
  ピアノ、若林顕

プロコフィエフ スキタイ組曲≪アラとロリー≫  6-4-6-6′


アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


大変に素晴らしい演奏会で大満足。

グラズノフが大曲。ラザレフが取り上げてくれなかったら聴く機会が無かったかもしれない。
入れ代わり物ストーリーが目に浮かぶような鮮やかな曲。日フィルのサウンドが素晴らしい。柔らかくて流れがよい。切れ味あるスタッカートとの対話の妙。表現の幅が大きくて自然。アンサンブルの充実は各パートが聞きあいながらプレイしているからだろう。ときおりみせるあの香り、チリチリするようなアンサンブルの妙。オーケストラの一体感がよくわかるもので、好調オケを聴く実感。
終始、小節の頭拍で押していく曲、拍やリズムの変則や強調があまり無くて、スイスイ進んでいく。気持ちが良い。バレエが浮かぶ。
エアクリーナーのような作品ですみずみのチリやほこりを取り去ってくれる。響きの美しさには聴き惚れる。ビューティフル。
ラザレフの音楽描写はお見事。指揮は自然で音楽が呼吸している。ときおりこちらを見ながら気持ちよさそうに振ってますね。しばらく忘れられない優雅な作品と演奏でした。

後半は一変、プロコフィエフ。
1曲目のコンチェルト、ピアノはのべつ幕なしに弾きっぱなし。
若林さんのピアノは昨年2016年の1月にハンマークラヴィーアを聴いて以来のもの。まるで趣向の違う曲ながら弾きっぱなしに変わりはない。
プロコフィエフの1番は回転運動を休みなく続けているような印象。オケ伴奏のフシはあまり洗練されているようにみえない。巨大編成とはいえ巧妙に作られた作品で、オケのデカい鳴りとピアノは被っても聴こえては来る。とは言え、咆哮には咆哮を。
若林ピアノはもっと叩きがあってもいいかと思いましたけれども、一音を叩く間もなく回転を続けないといけない過酷な曲ですね。ピアノも伴奏も引きずられるようなところがなくてエネルギッシュな演奏でした。若林さんならさらに爆発的なプレイも可能だった気はします。

最後のスキタイ。確定爆演満喫。
巨大な演奏でした。4曲ともに印象的。3曲目の夜は落ち着いたものでしたね。
それと最後の4曲目、これってまるごとフィナーレのフィニッシュをずっとやっているようなところがありかなり特殊な鳴りで面白かった。ストリングのギコギコは最後まで圧巻、大変だったと思う。エネルギーの放出のさせ方が少しやにっぽくて効果的だ。
滞空時間の長いばんざいフィニッシュ、ラザレフ。
今回もオーケストラの醍醐味十分に楽しめました。ありがとうございました。
おわり


2364- ベトソナ、30,31,32、松本和将、2017.6.16

2017-06-16 23:36:00 | リサイタル

2017年6月16日(金) 7:00pm カワイ表参道コンサートサロン パウゼ

オール・ベートーヴェン・ピアノソナタ・プログラム

第30番ホ長調op.109    3+3-16′
第31番変イ長調op.110   6-2+10′
Int
第32番ハ短調op.111    8+17′

ピアノ、松本和将


松本さんを聴くのは昨年2017年7月のベトソナ以来。
本日の公演はベトソナ全2年半企画の第8回最終回。

自分の感覚では30番と31番の間には少し距離があると思う。31番終楽章2回目の嘆きの歌のあと音楽は極限状態までいく。もはやこれ以上圧縮は不可能だろうというところまでいきつき、一気に解放してエンド。人間技とは思えない作品。どうやったらこのような作品を作ることが出来るのか。アンビリーバブルな曲。

プログラム前半の30,31の演奏は少し乾いている感じ。音を一つずつ作っていくような弾きで流れがでてこない。活力がいまひとつ。滑り具合が滑らかでなくてちょっと継ぎ目のようなものが出てしまう。ベトソナの素晴らしさが十分には伝わってこないところがあった。31番のフィニッシュはベートーヴェンの極限技を聴きたかった。

プログラム後半に置かれた32番。これは冒頭から明白にお得意の作品という感じの演奏。
ダイナミックな序奏、そして圧倒的な主題。
2楽章変奏曲は変奏の切り替えが自然で美しい。ここでは一つずつ音をかみしめながら作品を構築していく、それにふさわしい作品。きれいに鳴っている。流れよりも響きの妙が際立っている。手を鍵盤の上に置けば出る音、それが欲しかったのだとベートーヴェンが言っている。最高峰の作品。何度聴いても素晴らしい、ひらめきの作品。


この日は、アンコールは無くて松本さんのベトソナ企画最終回という事もあって締めのご挨拶と今後の企画の説明などを5分ほど。
声はあまり大きくないですが、細めの声で非常によくとおる声でびっくり。
いいリサイタルでした。
おわり


2363- エンペラー、モナ、エロイカ、ドゥネーヴ、ブリュッセル・フィル、2017.6.11

2017-06-11 19:44:09 | コンサート

2017年6月11日(日) 2:00-4:20pm 東京芸術劇場

コネソン フランメンシュリフト(炎の言葉)   10′

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調エンペラー 21-7+11′
 ピアノ、モナ=飛鳥・オット
(encore)
リスト ヴェネチアとナポリより、カンツォーネ  4′

Int

ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調エロイカ 15-12-6+11′

(encore)
シューベルト ロザムンデより、第3番  5′

ステファヌ・ドゥネーヴ 指揮 ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団


改名を重ねている初来日のオーケストラ。これまで持っていたイメージというのは、歴史的に、それと最近の鬼才タバシュニク絡みで、現音得意系オケ。
技巧を前面に出すことなくオーソドックス・ヨーロッパを感じさせつつ、得意系は自信満々な演奏を展開していく性能良好オケと思いました。クリアな線。活き活きアンサンブル。自らの伝統をバックに現代音楽までの様式を自家薬籠中の物としている団体と見うけました。素晴らしい。現時点ではドゥネーヴの前のタバシュニクの功績が大きいような気がする。

最初の曲、コネソンの作品。1970年生まれ、2012年の作品。演奏前にドゥネーヴによる解説マイクパフォーマンス。
ベートーヴェンのことを念頭に置いた作品。激烈で最後までテンションが高い。拍子は見る限りシンプルでとりたてて変速拍子ではないと思う。内面よりもベートーヴェンの気性を追ったような作品に感じられる。オーケストラのデモにはいい作品。もう一度聴いてみたい。

次の曲はエンペラー。
モナさんはお初で聴くと思います。両手の骨格だけみていると男のようなたくましさ。大きくて迫力ある手です。出てくる音もそういった類のものかと思ったのですが、実際のところ殊の外デリケートでナイーヴ。強音の方にシフトせず弱音重視のプレイでした。エンペラーの激しさとはだいぶ違う。また緩徐楽章の思索の森、それをかき分けながらの演奏でもない。この2楽章はそうとう意識した弱音プレイに終始したようで静けさの醍醐味のようなものはありました。明らかに意識されたスタイルだと思う。ただ、たくましい手であえて小さい音運びをするには、もっと練り上げられた微に入り細に入りの入念な仕上がりが必要。ちょっとのっぺりした印象が全体を覆う。音楽の表情の豊かさが欲しい。

エロイカは明快な演奏で爽快、オーケストラの醍醐味を満喫。
鮮烈な一拍子振り。峻烈なアクセント。細やかな糸の集合体のような鳴りの弦。ノンビブで突き刺すように進んでいく。ウィンド8人衆は総じて強吹きで、大胆なプレイは現代音楽物に一家言あるオーケストラのソロパートの自負を感じる。これらウィンドとブラスセクションのバランスが大変に良い。芯のある弦との融合が小気味よい。
ということで、この第1楽章は提示部リピートありでソナタバランス良好。ドゥネーヴは最後まで一拍子で振りぬいた。

葬送行進曲はスピーディと言えるもので、一か所たりとも停滞するところがない。前進あるのみの葬送。張りつめた空気感というものは無くて、飽くまでも器楽的な響き。速めのテンポ設定にすることによって消えてしまったものがあるように思えた。葬送の歩としてはどうかと思うが、4楽章ソナタ作品としての見通し、バランスの良さはお見事というほかない。

スケルツォは突進力とともに線の細さを少し感じさせる。トリオのホルンはバランスよしだが小粒、手堅い。このオーケストラには名物プレイヤーがいるのかどうかわかりませんけれども、こういったあたりを聴いていると、そういうプレイヤーは必要としないオケのような気もする。まんべんなく秀逸プレイヤーが揃っている。ホルンはエンペラーの4人がエロイカでは別の3人に入れ替わっているように見受けられました。

終楽章変奏曲。導入部の後、弦四弾きから開始。柔らかい変奏とストレートな変奏があり、ノンビブスタイルは一貫しているものの柔軟性が欲しいところもある。1楽章と拍子は異なるが前進する推進力は切れ味の鋭いもので爽快。後半部の丁寧な進め方、それとコーダでアンサンブルがきっちりと鳴っていくあたり、どうしてもこのオケで現代音楽を聴きたくなった。次回の来日では是非、ブーレーズとストラヴィンスキーの作品をお願いします。
15-12-9-8-6型

ドゥネーヴは長身、足の細さは西欧人そのものといった感じ。全体的にギリギリのバランス感覚のような体躯はそのまま彼の音楽を感じさせてくれる。
秀逸な演奏会、楽しめました。
おわり





2362- 首席客演指揮者イルジー・ビエロフラーヴェク氏へ、哀悼の意、日フィル

2017-06-10 23:58:51 | アート・文化

今日2017.6.10、日フィルの横浜定期に行ってきました。プログラム冊子に一枚の紙が挟んでありました。ビエロフラーヴェクへの哀悼の意。

日フィルのホームページサイトにも訃報については書かれておりますが、今日見た紙のものは、内容は同じではありますが、少し違う文となっておりまして、なんとも心からの強い哀惜の念を感じたのでした。ネットとは別に、紙で表す哀悼の意。
日フィルが重ねたビエロフラーヴェクとの歴史、それは点であったのかもしれないが、共にした昔年そしてこれまでの思いを強く感じさせるものです。

 


ビエロフラーヴェク、日フィルの最後の公演は2009年12月、ブルックナーの5番シンフォニーとのこと。

私がビエロフラーヴェクを最後に聴いたのは2015年、チェコフィルとのわが祖国でした。今から1年半ほど前の公演でした。今読み返すと不思議なことに、この日を感じさせるものとなっていました。

2009- わが祖国、ビエロフラーヴェク、チェコ・フィル、2015.11.4

おわり


2361- チャイコン、山根、タコ5、ラザレフ、日フィル、2017.6.10

2017-06-10 23:06:24 | コンサート

2017年6月10日(土) 6:00 みなとみらいホール

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調  19-7+10′
  ヴァイオリン、山根一仁
(encore)
イザイ ヴァイオリン・ソナタ第2番より、メランコニア  3′

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番ニ短調  15-5-12+11′

(encore)
ショスタコーヴィッチ 「馬あぶ」組曲より第3曲、祝日  2′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

山根のヴァイオリンの音色は幅広でとげとげしさがなく優しい。どことなく、生徒といった雰囲気もたまに垣間見られる。立ちつくしてプレイのほうを進めるようなところがあって、周りの気配を感じとるところまではいっていない。マイウェイのスタイルとも違う。
総じて演奏に不安定要素が少なからずあって、特に指揮者とのテンポ感の違いは顕著。お互いの呼吸があっていないように見受けられた。
チャイコフスキーを堪能したとは言えない。

後半のショスタコーヴィッチ。
今日のコンマスは大阪フィル兼名古屋フィルのコンマスのかたがゲストコンマスとして客演。コンマスの客演というのも変だが日本では指揮者の次に人気がありそうなコンマスのあちこち客演。アメリカではコンマスは一人しかおらず、それが効率化アップ、生産性の向上に一役買っていて、シーズン100回200回と演奏会が多いアメリカならではの現象なのかもしれない。指揮者からプレイヤーへの意思疎通に欠かせないコンマス、ユニオンが強くて残業が発生しないようにということもあろうし、潤滑油的コンマスの立ち位置は非常に重要で、従って、客演であろうが複数所帯のコンマスであろうが、アメリカではそういった発想はないのが普通。私が昔通ったNYPはシーズン250回前後の演奏会をディクテロウ一人でこなしていました。つながりの強さはプラスに大いに働くもの。あちこちとコンマスは呼んだり出かけたりするものではないというかそんなことは考えたこともないと思う。
日本人がコンマスをしているオケのお話はここ。
2309- ナッシュヴィル・シンフォニー、コンサートマスター岩崎潤、1人コンマス「和」奏でます。

この日のぎくしゃく感はそういったアメリカ式の良さを思い出させるものでした。
指揮者登場できっと通常なら自動的に立つことをしていると思われるゲストコンマス。習慣になっているのだろう、自動的に立つ。ところが、すぐに演奏をはじめたいラザレフはコンマスに立つな立つなと指示。オーケストラプレイヤーは立っている者もいれば座っている者もいるというバラバラなちぐはぐ状態。ラザレフがすぐに座らせて、それでもワンテンポ置いてしまったので気がそがれた感じでスタート。不揃いな演奏開始。そして2個目の音が鳴ったところで、すぐにバーンという強烈な足音で、意趣返しではないが、オケメンの気合の入れ直し指示みたいな意識的な踏み鳴らし。バーンと。
最初が肝心、まさにそのとおりで肝心な最初で出ばなをくじかれたのは当のラザレフ。もし、いつものコンマスであれば無い事態。余計なでき事でこちらも気をそがれた。
気のせいか、そのあともコンマス、第1ヴァイオリン側への抑制、盛り上げ指示が多い。これも通常であれば、無いような話かもしれない。最後まで後味の悪い雰囲気が漂っていました。残念です。

演奏は猪突猛進。日フィルに荒々しさが戻ってきた。合わせるオケ能力の高さは見事なものです。この前、インキネンの指揮によるラインの黄金を聴いたばかりで、なかなかイメージ変更が出来ないのか、オケにも少しそのような気配があるやに感じるところもあった。インキネンモードのオケに変わりつつあるのかもしれない。

これまでのラザレフの一連の演奏では緩徐楽章にコクがあり、深い演奏が多かったので、今日の5番もそういったあたりを意識しつつ聴いたのだが、特にコクを求めるものでもなかった。終楽章はコーダ前の三拍子のインテンポ、そして最後の小節の太鼓を中心としたアップテンポ気味の締め付けはさすがラザレフとうなりました。
おわり






2360- ミュージック・トゥモロー2017、反田、レネス、N響、2017.6.9

2017-06-09 22:48:17 | コンサート

2017年6月9日(金) 7:00pm コンサートホール、東京オペラシティ

岸野末利加  シェイズ・オブ・オーカー (世界初演)  21′

ターネイジ  ピアノ協奏曲(2013)  (日本初演)  5-9-7′
   ピアノ、反田恭平

Int

一柳慧  交響曲第10番(2016)  14′

池辺晋一郎  シンフォニーⅩ(2015)  16′

ローレンス・レネス 指揮 NHK交響楽団


岸野末利加 シェイズ・オブ・オーカー。
ご本人による日本語訳は、オークルの陰影。
オーカーは黄土や赤土。顔料や絵の具で、顔料が周波数を反射・吸収した結果のスペクトラムがひとの目に色彩を感じさせてくれる。同じように、音の周波数成分は音色として耳に伝わると。
シェイズ陰影というのは色の陰影の事なのか音色の陰影の事なのかはたまたオーカーの色彩が音楽に陰影として作用したといった事を言いたいのか、プログラム解説を読んでもいまひとつわからない。音で土のこと、顔料の飛び散らせ、塗りつけ、垂らすことによる絵画を描くことをしたいとあるので、音による模写なのかイメージの標題音楽のようにも思える。
高音クラスターの幅の中でグリサンドするように聴こえてくる。金切声のような耳障りな音、束で何かにぶつかるようなしこりのような音。パーカッションの強烈な叩き。なんだか1970年代に戻ったようなその頃の流行の作品がもう一個追加されたような感じです。
オークルのインスパイアものかもしれませんが、枠がある自由度を感じる、閃きは全てを突き抜けていくものだろうと思う。

ターネイジ ピアノ協奏曲
今、大活躍の反田さん、お初で聴きます。
この作品については語法というか表現手段については割とはっきりと書いてあって、スウイング、ストライドピアノ奏法の活用、超絶技巧で挑発的と。その辺、明快ですね。ある種の素材はフル活用という感じは見ていてもわかる。
1,3楽章は急・急で音がせわしなく目まぐるしく動きまくる。ピアノの反田はオケ伴だけのところでは手で拍子をとっている。ああしないと次の入りのタイミングが簡単にはとれそうもない。ただ、叩きまくるという感じは無くて弱音からメゾフォルテあたりまでの音量変化が何階層かあって、実際のところ余裕弾きのように見える。オーケストラはコントロールされていてピアノはよく聴こえてくる。厚みより流れを感じさせるオケ、ピアノの乗り具合が小気味良い。語法のシャッフルのような音楽が冴える。
2楽章は緩。急と急の間に挟まれるようにウェットで緩やかでロマンティックな緩徐楽章。
この楽章には副題がついている。「ハンスのための最後の子守歌」。ハンス・ウェルナー・ヘンツェの訃報に接して書いた作品をオーケストラ化したもの。そう解説にはあるがデディケートされたものではないように見えるので、そこにウエイトを置いた聴き方はしなくていいと思う。落ち着いたいい音楽です。反田ピアノも冷静で響きに余韻や艶がある。隙がない演奏です。
反田は淡々としているというよりもむしろ、あっさりとしたもんで、マイウエーの世界観を感じさせてくれる。いいピアノでした。

後半2曲。
一柳のシンフォニー10には長い副題がついている。「さまざまな想い出の中に―岩城宏之の追憶に」
岩城宏之没後10年に合わせたシンフォニー10番なのだろうか。それはないだろうとは思うのだが。
打楽器奏者岩城宏之のイメージも組み込んでいるとの事。打楽器奏者だったからこのシンフォニーにも打楽器要要素で岩城宏之のイメージ感をだそうとしているのか。おかしいとは言えないが、それだけだと、シンフォニーとしての限界もありそうだ。
大時代的な作品は10番でも同じと思う。

池辺のシンフォニーⅩ、エックスではなく10です。なぜこのような表記なのかは不明。この作品にも副題がついている。「次の時代のために」、武満の言葉にインスパイアされた作品のようです。解説通り進む音楽。自作の引用のことを書いてあるが、自作の引用と言われても、引用された音楽を聴く機会もないし、説得力あるものではない。こうゆう言葉は無い方が雄弁である。
大時代的な作品と思う。

以上、一柳、池辺の作品は第65回尾高賞受賞作との事です。
おわり


2359- 岡田博美、ピアノ・リサイタル、2017.6.8

2017-06-08 23:25:13 | リサイタル

2017年6月8日(木) 7:00-8:50pm 小ホール、武蔵野市民文化会館

ピエルネ パッサカリア op.52  10′
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番ハ長調ワルトシュタイン 11、4+9′
Int
マラフスキ ミニチュア  6′
ドビュッシー 子供の領分  2+3+2+3+2+3′
リスト ドン・ジョヴァンニの回想  17′

(encore)
ダカン かっこう  2′
ショパン 革命  3′
ドビュッシー 月の光  4′

ピアノ、岡田博美


ワルトシュタイン、弾むような感覚。それも結構な押しの強さで。ひとつずつの音が次々に光と影になる。タイルのようなマス目で表と裏が目まぐるしく変わる。濃い。
第1楽章は主題と副主題の違いがはっきりとしている。テンポ感はそんなに違わないけれども、どうも副主題のふところの深さを実感。太めの線、いいですね。
プログラム解説にある第3楽章というのは正しくは第2楽章のことだと思うが、このアダージョ楽章味わいありました。清らかな小川の底にでもいるような居心地。そのまま終楽章へ。小川の流れ、水切りの輪。太陽の日差し、光と影。なめし皮のような小川の流れ。何にでもなりそうな演奏、素晴らしい。小川への日差しは強くとも底は冷えている。

1曲目のピエルネのパッサカリア。バッハのトッカータのような最初のフレーズが続く。左手はそのフレーズの繰り返し、右手は変奏曲のように進む。モードは最初から最後まで変わらない。浅い。

後半の最初の曲はマラフスキのもの。5ピース明確に分かれている。どれもせわしなく動く。ゼンマイ仕掛けの人形の踊りのよう。バレエの伴奏音楽のように聴こえる。

子供の領分、浮遊感のある音楽でそれを少し抑えつけるようなプレイ。落ち着いた音楽を感じさせてくれる岡田さん独特の品の良さ。響きの世界堪能。

リストのドンジョ回想、パラフレーズもので最後はチャイコフスキーの1812年よりしつこいと思えてきて我慢ならない(笑)。
ひたすら、技もの。技巧駆使のもので、何を聴くかと言えばそれを聴く楽しみに他ならないわけで、ひたすら岡田さんの冴えた技を聴く。凄いもんです。圧巻。

アンコールは間をあまりおかず3連発。革命を聴けるとは思いませんでした。余裕のプレイ。最後のドビュッシーが雰囲気出ていました。右手の高音の運びがとても美しい。
今日はちょっと遠出でしたけれどもいいリサイタルでした、ありがとうございました。
おわり






2358- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.7

2017-06-07 22:17:02 | オペラ

2017年6月7日(水) 2:00-7:50pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ジークフリート  80、75、81

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)

1. ミーメ、アンドレアス・コンラッド (T)
2. ジークフリート、ステファン・グールド (T)
3. さすらい人、グリア・グリムスレイ (BsBr)

4. アルベリヒ、トーマス・ガゼリ (Br)
5. ファフナー、クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
6. 森の小鳥、
6-1. (黄) 鵜木絵里 (S)
6-2. (白) 吉原圭子 (S)
6-3. (赤) 安井陽子 (S)
6-4. (緑) 九嶋香奈枝 (S)
6-5. (青) 五月女遥 (ダンサー)

7. エルダ、クリスタ・マイヤー (A)
8. ブリュンヒルデ、リカルダ・メルベート (S)

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration approx.)
ActⅠ 29+25+26
ActⅡ 24+30+21
ActⅢ 17+15+49


初台ジークフリート3日目。
初日公演感想はこちら
二日目公演感想はこちら

第1幕は場面転換無し。この楽劇はもともと場面転換の音楽が濃くなくて、この幕は場面ではなく登場人物の入れ替わりだけです。さすらい人は2場のミーメとの質問ごっこのシーンだけではなくて1場3場にも歌わなくてもつなぎのように登場してくる。
ノートゥングを鍛える小屋はカミテにセットしてあるがカミテ過ぎ。かつミーメ、ジークフリートともに右寄りでの歌唱が多い。R側の聴衆は何も見えなくて状況確認のため左のほうへ首を長めて観るか音だけ聴くことに。特に3場は最悪と思う。前回書いた通り問題の多いセッティングで、演出というよりもここのホールの角度、多数の観えない席等の顕在化している問題点を把握しているはずのスタッフが調整すべき事項のように思える。小屋の左にあるミニチュアが見える人は限られている。

第2幕も場面転換無し。1幕同様登場人物の移動でシーンが進む。ナイトヘーレと森が同じ舞台で、森はもうちょっとなにか広々感というか工夫があってもいいかと思う。森の小鳥は4羽で、森の木のあちら側から現れて歌う。その前のホルンはちょっと線が細い。
その後の展開、ミーメのモノローグはジークフリートに接近しすぎている。この日は、ミーメがジークフリートにやられるシーン、決まりませんでしたね。両者このシーンの前は離れているほうがより効果的な気がします。

第3幕は動きがある。第1場は何もないところでさすらい人の歌、そしてその舞台が上に持ち上がって下にエルダ。上下の舞台。シンプルですっきりしている。ここは警告シーンではないもののエルダと小鳥は警告面でダブって見える気がする。
2場は、さすらい人が歌った上の舞台に戻り、そこでジークフリートとやりあう。1場2場は合わせて30分ほどで、このあと長大な3場となる。が、2場の最後で剣を折られたさすらい人はすぐには去らずカミテギリギリのところで3場への場面転換のマジックファイアの音楽が鳴るまで立ち尽くす。効果的なつなぎです。が、R側上階だと全く見えないと思う。
その3場はワルキューレを思い出させる炎、横一線の炎が奥から手前に移動、岩山はメタリックな台。その上にブリュンヒルデ。
怖れを知ったところで舞台奥一点から手前にレーザー光線、非常に効果的ですね。心模様とレインボーのような光線が見事に錯綜する。レーザー光線の動きは無し。
ブリュンヒルデのメルベート、惚れ惚れするのは歌だけではない。身体全体中央に縦軸があるかのように左右対称。口よりも大きくひらいた眼も圧倒的、まして歌唱の顔全体が対称性を実感させるもので正しく精密な歌唱を導いているような気がする。シンメトリックな西洋美学を感じさせてくれる。正確でドラマチックなソプラノ、お見事というほかない。

グールドは前2回に比べ1幕から飛ばす。楽に声が出るようになったのではないか。力まずきれいなヘルデン斉唱が素晴らしい。ミーメとさすらい人の掛け合いもいい。
飯守棒は活力があり滑るように進んでいく。快調です。オーケストラの弦が大変に充実していてグイッと持ち上げられた力強さと透明感、スバラシイ。これに比して本日、ブラスは粗雑過ぎた。特に一幕。緊張感足りない。大雑把な吹奏、もう3回あるので気合いを入れなおしてほしい。

2幕は大蛇ファフナーとミーメがお隠れになる修羅場シーンがあれど、それぞれのキャラクターが良く決まっていてなんだかのびのびと歌ってる。みなさんよくとおる声で聴いていて気持ちがいい。アルベリヒとミーメの掛け合い、ファフナーの存在感。ジークフリートも憧憬な味が出た。

終幕1場のさすらい人、グリムスレイは大きく声が出ており大迫力。舞台が持ち上げられるので声の角度もあるのかもしれない。1幕2場から終幕次の2場まで、間髪をいれずの大活躍でした。それにこの場、強靭なエルダ、ぶつかり合うさすらい人。上下の舞台で双方見えていないと思うが息の合ったもので指揮の飯守の見事さも感じるもの。
2場から3場への場面転換は書いた通り。さすらい人は炎の中に眠るブリュンヒルデを確認してから去る。
長大な二重唱。圧巻のカタルシス。1幕からさえていたグールド、ここにきてもうワンステップ踏み込んで大馬力。メルベートとのぶつかり合いは愛というより横綱相撲。唖然茫然の二重唱、今日も心地よくぶっ飛びました。大したもんだ。よかったよかった。
おわり