河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

751- キリ・テ・カナワ リサイタル メト 1984.3.11

2009-01-20 00:20:00 | 1983-1984seson






1984年3月11日(日) 5:00pm メトロポリタン・オペラハウス

ヘンデル/「サムソン」から「輝けるセラフたちを」

シューベルト/4曲

シュトラウス/4曲
 子守歌
セレナード
悪天候
解き放たれて

デュパルク/2曲
 旅への誘い
 戦のある国へ

フォーレ/2曲
 夢のあとに
 ネル

カントローブ/「オーヴェルニュの歌」から4曲
 女房もちはかわいそう
 子守歌
 紡ぎ女
 背こぶの人

イギリスのフォークソング/4曲
 ブリテン/サリーの園、とねりこの林
 HUGHES/I know Where I’m Goin’
 ブリテン/オリヴァー・クロムウエル

ソプラノ、キリ・テ・カナワ
ピアノ、ジェイムズ・レヴァイン
のはずがアクシデントにより、
ピアノ、ダグラス・フィッシャー

レヴァインにちょっとしたアクシデントがあり、ピアノが弾けなくなり、かわりに全く知らない若者が出てきた。
その前にとりあえず、レヴァインが謝りの挨拶をしに出てきたわけだが、こうやってみると彼は本当にメトの住人みたいなものだなぁとつくづく感じないわけにはいかない。なにはともあれ一応は顔を出すのだから。
ということで代役のピアニストはメトで華々しいデビューをかざってしまうことになったらしい。

カナワはいくつか知らないがいわゆる八頭身美人とでも言おうか、素晴らしく均整がとれ、出てくるだけでホールがなごむ。変なせせこましさがなく堂々としていて見ていて実に気持ちが良い。

最初はやはりピアノとしっくりこない面があり、曲によっては歌を間違えて最初から歌いなおしたのもあったくらいで、かなりピアノに気を使っていた。しかし、ここらへんのタイミングにおけるアメリカ人聴衆の気持の盛り上げ方は抜群だ。
カナワの声はいわゆる典型的なソプラノの美声とでも言おうか、セクシーな雰囲気は裏切らない声である。低音のヴォリュームがもうひとつ出ないような気がしないでもないが、安定感は抜群であり、またその美しい高音におけるピアニシモの微妙な変化がなんとも言えない。本当にその容姿と美声の両方で聴衆を包み込んでしまう。
曲はほとんど断片みたいなものばかりで、本当はもっと大曲というか重みのある曲に挑んでほしいような気がした。アンコールの最後の曲でみせたピアノ伴奏なしの正確無比な安定感はやはり実力そのものである。
おわり

二日後にニューヨーク・タイムズに評が載ったが、数歌った曲の列記みたいなところがありあまりほめられた内容ではない。



RECITAL: KIRI TE KANAWA
By BERNARD HOLLAND
Published: March 13, 1984

THERE was a subsidiary drama surrounding Kiri Te Kanawa's song recital at the Metropolitan Opera Sunday afternoon that often proved more vivid than the singing itself. James Levine, Miss Te Kanawa's scheduled accompanist, had rehearsed with her all week despite a cut finger; but finding the soreness increasing, Mr. Levine called in - less than 24 hours before the concert - young Douglas Fisher to replace him. This was Mr. Fisher's first major New York appearance; and with a soldout house at the Met, it must have been a daunting one.
The program he faced was difficult but extremely rich - Miss Te Kanawa choosing such Schubertian beauties as ''Du bist die Ruh' ,'' ''Gretchen am Spinnrade'' and ''Nacht und Tr"aume,'' Strauss's ''St"andchen'' and ''Befreit'' and the magical ''L'invitation au voyage'' by Duparc.
At the start, her strong, even soprano hurtled confidently through ''Let the Bright Seraphim'' from Handel's ''Samson,'' mashing some of the quick detail on its way but giving the music a sense of force as well. The heart of her program - the four songs by Schubert and four more by Strauss - seemed touched, however, only from a distance. The long exposed lines of ''Nach und Tr"aume'' were smoothly handled - indeed, one could only admire Miss Te Kanawa's skillful production of sound. Yet in almost all the German songs, there was a detached beauty that seemed to float clear of the music's emotional and spiritual core.
The French items were elegantly sung; and beginning with Faure's ''Nell,'' then four ''Chants d'Auvergne'' by Canteloube, and finally the English folk songs, Miss Te Kanawa's voice and her heart seemed to come together. Especially striking were ''The Sally Gardens'' and ''The Ash Grove'' in Britten's wonderfully original arrangements.
Mr. Fisher proved himself a musical and cooly reliable pianist, surviving even a major memory lapse by Miss Te Kanawa in Strauss's ''Wiegenlied.'' His collaborations were often too reticent - particularly in the Duparc - but his modesty, given the situation, was certainly understandable.

 










617‐トップそろいぶみ NYPオープニング・ナイト 1983.9.14 その3

2008-06-05 00:21:08 | 1983-1984seson



 

前回、前々回とニューヨーク・フィルハーモニック1983-1984シーズンのオープニング・コンサートを書いてきました。
今日は、その3ですが、当時のメンバーはどんな感じだったのでしょうか。
プリンシパル他、主だったところだけ書いてみます。

メータがロス・フィルから連れてきたとされるコンマスのグレン・ディクテロウはいまだ健在。
アシスタント・コンマスはお父さんが作曲家のチャールス・レックス。
もうひとり限りなく怪しく結構長いケネス・ゴードン。
センカンド・ヴァイオリンはマーク・ジンスバーク。
ヴィオラはソル・グライツァー。

チェロは言わずと知れたローン・マンロー。
いつも気品のあるスタイル、サウンドで聴衆を魅了してました。
ベースはジーパン男、ジョン・シェーファー。彼もいまだ健在。日本に来ても、ちょっと落ち着きがない。いつも。

フルートには昔の流れの人たちがいた。
ジュリアス・ベイカー、ペイジ・ブルック。
ピッコロは女性。ミンディー・カウフマン。

オーボエはついこの間リタイアしたヨゼフ・ロビンソン。そしてアルバート・ゴルツァー。
ロビンソンは、やめる前に日本に来た時、僕は昔ニューヨーク・フィルハーモニックのサブスクライバーだったと言ったら、それはグー、でももうすぐリタイアするんだ。後釜はボストンからくる誰それだ、などといった会話があった。

イングリッシュ・ホルンは省エネのトーマス・ステイシー。いまだがんばってますね。
同じく日本に来た時、君のマスターチはどこへいったのかね、と訊いたら、剃ったと言ってた。当たり前すぎる会話に両者笑うしかない。

クラリネットは、もはや天然、生きる人間国宝、歩く歴史、スタンリー・ドラッカー。
1948年、19歳でニューヨーク・フィルハーモニックに入団したドラッカーは、2008年いまだに主席で健在。思えば入団60年!
スタンリー・ドラッカー with フィルハーモニック

バスーンはジュディス・レクレア。だいぶお年を召されたが大きなどんぐり目はいまだキュート。
コントラバスーンは写真も撮るバート・バイアル。

ホルンは、アトランタから来た言わずと知れたフィリップ・マイヤーズ。
何年か前の来日ではアンコールでブラスセクションだけの曲をやったあと、しこをふんだ。相撲も出来るらしい。。
それに、ジェローム・アシュビーさんですね。

トランペットは、昔シカゴ交響楽団が初来日した折はまだそのオケの末席に座っていたフィリップ・スミス。ヴァッキアーノのあとは難しい。
トロンボーンはあまりうまくなかったエドワード・ハーマン・ジュニア。
アレッシはもっとずっと後です。
チューバはワレン・デック。

ティンパニは、練習の帰り道とかに、といっても河童の蔵はリンカン・センターまで5分ぐらいなので短い道のりですが、道端でよくすれちがったローランド・コロフ。若者。
そう言えば、ディクテロウも演奏後ケース片手にアップタウン・ウェストの方に帰り際、タワレコに寄ったりしてましたね。
パーカッションはウォルター・ローゼンバーガー。

ひとり忘れてました。
1946年にニューヨーク・フィルハーモニックのトップに居座った、あのジェームズ・チェンバースがおりました。1983年にはもちろんホルンは卒業です。マネージャーですね。
一度事務局に用事があり、いったときにお話をしたことがあります。

何か用事かね。
すみません、ホルンの吹き方教えてほしいですけど。
なにぃ、フィルハーモニックに寄付するほうが先だろうが。
はい、そうでした。すみません。

会話の内容は定かではない。
おわり


616- 誰か訳して NYPオープニング・ナイト 1983.9.14 その2

2008-06-04 00:16:10 | 1983-1984seson

NYP 1983-1984シーズンオープニングの翌日ニューヨークタイムズに掲載されたヘナハンのレビュー記事です。

MUSIC: RUDOLF SERKIN PERFORMS BEETHOVEN
By DONAL HENAHAN
Published: September 15, 1983

TO open each season, the New York Philharmonic traditionally puts on a gala benefit concert for the orchestra's pension fund, with the aid of a universally admired soloist, if possible. Last night the attraction for a richly turned out audience was an old favorite, Rudolf Serkin, playing Beethoven's Piano Concerto No. 1 in C under the baton of Rafael Kubelik.
It was his 106th appearance with the Philharmonic over a quarter of a century and it proved at least one thing to the satisfaction of devoted Serkinites, which means almost everybody with ears: at age 80, he obviously has not given up practicing. The great man still has the fingers to handle Beethoven and the mind and soul to make you care deeply about a work that time and technology have made as familiar as your own face in the mirror.
This is a fairly small-scale work, although in spite of its numbering it was Beethoven's third piano concerto, if an immature effort in E flat is counted. It does, however, call for considerable power and sonority in places, qualities that Mr. Serkin does not supply as easily nowadays as he once did. Still, it was a supple and forceful performance, recognizably Serkin. He did not tinkle away at the piece and hope that his listeners would think he was trying for an elegant, Mozartean interpretation. His touch, though often rather brittle, was firm and his command of the musical line was total.
With Mr. Kubelik drawing an alert and sympathetic accompaniment from the orchestra, Mr. Serkin sustained the Largo with long, gentle phrases and made the concluding Rondo dance with delicacy and wit. There sometimes was an autumnal quality to his reading or a contemplative turn of phrase that threw a strange light on superficially robust, virtuosic passages. There also were a few blurred spots, notably in the brisk finale, but perfection is demanded only of mediocre artists. Great masters such as Mr. Serkin can drop a note or two without shocking anyone who knows what musical performance is, or should be, all about.
Another pianist might have chosen either of the two shorter cadenzas that Beethoven left for the opening movement, but Mr. Serkin opted for the exhausting long one and played it splendidly, every last note. Many a pianist has trimmed this cadenza here and there, because it can seem a bit long and weighty for this concerto. Sviatoslav Richter, for one, used to chop out 21 bars near the end. But Mr. Serkin has never been known for compromises and he does not seem to need them now.
For his part, Mr. Kubelik chose Mahler's Symphony No. 1 and treated it to an affectionate reading. This was a performance that did not try to emphasize the Classical formalities of structure that can be discerned in this work. Instead, Mr. Kubelik changed tempos so often and so drastically that one had to refer continually to the score to be sure that he was not twisting Mahler's intentions all out of shape. In fact, there is ample justification in the score for the kind of exaggerated rubato and swooning phrasings that characterized this performance. Mr. Kubelik, like Mahler a Central European by birth, plainly feels this music's idiom deeply.
For my own taste, it was all too soupily rhapsodic and ponderous to be entirely convincing, but there certainly are sentimental aspects to Mahler's music, early and late, that lend it a strange and heartbreaking quality. The orchestra, faced with a score that often exposes soloists and small groups mercilessly, played with commendable accuracy and followed Mr. Kubelik's stop-and-go interpretation without serious trouble.

シーズン・オープンにあたり、ニューヨーク・フィルハーモニックは毎シーズン伝統的に、オーケストラの年金基金のためのガラ・コンサートで始める。また可能であれば著名なソリストを招くこともする。
昨晩、聴衆のためのアトラクションは、昔から好きだったルドルフ・ゼルキンのベートーヴェンのピアノ協奏曲。指揮はラファエル・クーベリック。
25年以上に及ぶニューヨーク・フィルハーモニックとの共演で、今日はゼルキン106回目の登場となった。この日、熱狂的なゼルキン愛好家に一つのことを証明した。それは、ほとんどすべての人にとって、ゼルキンは80歳にしていまだ練習することをあきらてはいないということだ。
この偉大なピアニストはいまだにベートーヴェンをハンドルする指を備えている。また、鏡の中の自分自身の顔をよく知っているのと同じぐらい、その時代の技術をもった作品についてその考え方、本質を深く表現できる力を備えている。

(以下、いつか、する。)

 


615‐ ニューヨーク・フィルハーモニック・オープニング・ナイト1983.9.14

2008-06-01 23:16:11 | 1983-1984seson






この前まで、真夏のさ中、夏イベントのモーストリー・モーツァルトのシリーズを聴いていたと思ったらあっというまにシーズン開幕の季節となった。セントラル・パークを7周の週末チャリジョギングも快適な季節になってきた。
今日は1983-1984シーズンのオープニング・コンサート。
いつもなら、木金土火という週4回のサブスクリプションが日常なのだが、今日はオープニングでさらにベネフィット・コンサート。いつもと違う、水曜日開催一発コンサートとなっている。

以下、当時のノート通り(ほぼ)。

80歳とは思えないゼルキンと大柄のクーベリックが、いかにも軽快に颯爽と小走り気味にステージに現れた。

1983年9月14日(水) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール

ニューヨーク・フィルハーモニック10267回
第142シーズン 1983-1984
オープニング・ナイト

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番
マーラー/交響曲第1番

ピアノ、ルドルフ・ゼルキン
ラファエル・クーベリック 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

今日はNYP第142シーズン・オープニング・コンサートであった。
それにふさわしい演奏家たちの熱のこもった吐息を聴くことができた。
このクーベリックによるマーラーの1番のすさまじさ。なんだか「超絶的な名演」といった範疇をはみ出してしまった。疾風怒濤とはかくのごとき、本当に何かが熱く完全燃焼したような演奏であった。ラファエル・クーベリックがマーラーを好んでいるのはむろん承知のことであるが、NYPにとってもこれはマーラー当人以来続いてきた歴史そのものなのだ。それらが見事にかみ合った演奏だった。
クーベリックは、このマーラーに関して言えば、テンポの動きがものすごく多く、古典的な形式感を感じさせない。テンポの揺れが、既に知りつくされているこの曲に異常な新鮮さをもたらしている。ありきたりの表現ではあるが。
彼の場合、さらにその上に微妙な音色の組み合わせが不自然さを伴わないかたちで大胆に迫ってくる。
例えば、ブラス・セクションのほとんどむき出しともいえるフォルテシモがこのように説得力を持つのはその前の同じくブラスによるピアニシモのハーモニーが実に美しいからであります。また弦楽器のアインザッツの粒立ちがよく、一瞬ピッチカート風に聴こえるときがある。これなどは、その姿とともにすぐにフルトヴェングラーに結びついてしまうのだが、あの揺れ動くテンポの中にあってはっきりとひとつの主張といったものを感じとることができる。

まず、第1楽章の導入部の緊張感が素晴らしい。
ここがだめだと全部だめになってしまうような気がするものなのだが、そこはさすがNYPO。この導入部は単にこの曲の導入部のみにとどまるのではなく、第142シーズン・オープニング・コンサートの緊張感にふさわしいものといえる。
そして、すぐに地下水が湧き出るような木管による三連符。全く素晴らしい。この生理的快感は言葉で表すのは無理だ。
ちょっと一か月ほど生の演奏に接していないと、このような雰囲気の素晴らしさのとりこにたちまちまたなってしまうのである。わかってはいても。
クーベリックはこの楽章の冒頭から既になにか劇的なものを求めている風であり、その後のフレーズの移り変わりが見事、テンポも既にフレーズの中でさえ微妙に揺れ動き、それに全く妥当性をもった強弱の陰影が本当にこの曲を初めて聴くような気にさせる。かなり興奮していました。

第2楽章も見通しが良く、当然のようにスケルツォとトリオの対比が天と地の如くであった。
このスケルツォにおける弦楽器奏者は、テンポにもよると思うが、不揃いなところが目立ち、といっても彼らにやって出来ないはずはないのだから、この現象はむしろ各小節、各フレーズ単位に、一気にしゃくりあげるといった趣である。つまり各小節、各フレーズ単位の視点に立つとそれはよく歯車がかみ合っている。小節の頭のアインザッツに自然に全体の熱と力が集中されるようなかたちになり、従って乱れよりもクーベリックによる疾風怒濤のようなものをより強く感じてしまうのかもしれない。しかも、そのアインザッツが極端に小節の頭で合うのではなく、この一小節三連符のような曲想において最初のオタマジャクシの三分の四ぐらいのところに力点があるような名状しがたいものを聴くことができるのである。これはマーラー的なものなのかそれともクーベリックの熱がそうさせたのか。よくわからない。

第3楽章、コントラバスのソロから始まるシンフォニーなんてほかにあったのかなあとあらためて感じさせてくれる。席が前から10列目ほどの右寄りであったため、特にそのようなことを感じたのかもしれない。いつものサブスクリプション・シートは2階ファースト・ティアの最前列なのだが今日はいつもとは違う。
中間部の例のメロディー、ここにはマーラーの青春そのものがある。
私たちはあの溢れ出るメロディーに浸りきることができるほど普段苦悩しているのだろうか。あれはマーラー若かりし頃の苦悩の裏返しである。人がなんと言おうとこの曲がここにくるとき、どうしても涙をおさえきれない。永遠にこのメロディーが終わってほしくないと思う。感傷的としか言いようがないが、そんなことは百も承知の上であえて浸りきってしまいたい。そんなメロディーである。
ここをクーベリックはどうやったかというと、分かりやすく言えば、ドヴォルザークの新世界第2楽章のエンディング近くに奏でられる弦楽四重奏風な感じでやった。なにか共通するようなものを感じ取ったということか。ここはNYPOの細分化された弦楽器群がクーベリックの要求を完璧に表現したような気がする。これ以上のものを聴いたことがない。

そして第4楽章の荒れ狂う波と静かなささやき。3楽章まではこんなに静かでおとなしい音楽だったのかと一瞬思ったくらいである。
ここでNYPのブラスはその威力をいかんなく発揮し、ミュートによるフォルテシモからはだかの音によるピアニシモまで本当に素晴らしい表現であった。私たちはここにマーラーの狂気みたいなものを自然に感じてしまう。やっぱり生の演奏を聴くに限る。

クーベリックは思ったとおり素晴らしく、よくいわれるようにフルトヴェングラー風であり精神的後継者にふさわしい。その姿もフルトヴェングラー風であり若い指揮者のようなしなやかな棒ではなく無骨ともいえるほどあっさりしたものである。体全体で強引にオーケストラを包み込んでしまうようなものを持っていて、これがベートーヴェンを指揮した場合にどのようになるのか興味深い。(今日のようなピアノ・コンツェルトではなくシンフォニー)
幸い、来週はエロイカを聴くことができるので非常に楽しみにしている。

次に、今晩の最初の曲として演奏されたベートーヴェンのピアノ・コンツェルト第1番。
ルドルフ・ゼルキン、彼は80歳だというのに、ほとんど颯爽といってもいいような足取りで歩いてきた。とても80歳には見えない。
この演奏は約45分~50分程かかったがはたしてこんなに長い曲だったのかしら。
本当に悠然と音楽を奏でるような雰囲気をもっていて、また技術的なものを考えた場合にも、ホロヴィッツのような老人性を感じさせない。ゼルキンは80歳という先入観さえなかったら、まだまだその技巧的、精神的なもので多くの人をとらえることができるのではないだろうか。
彼のタッチは曲のせいもあると思うがベートーヴェン的というよりも何かモーツァルトみたいなものを感じさせてくれる。音の粒立ちはちょっとぎこちないようなところもあったが、そのフレーズの良く流れること。歌があるからである。全体的な構想で曲想をとらえることができるから、このように流れるような音楽が出来上がったのだと思う。タッチは比較的軽いが、これがクーベリックの作りだすベートーヴェンの伴奏となぜかよくかみ合い、暗さをあまり感じさせず、実際にはそうとうなスローテンポのはずであるのだが全く没入してしまった。
この曲は最初の出だしからして非常に魅惑的なメロディーであり、自然と心がわくわくしてきた。あの第1楽章のカデンツァは異常に長かったのだがベートーヴェン作なのだろうか。
このカデンツァの終わりとそこからオーケストラへの引き継ぎの大胆にして微妙なテンポの揺れ、みんながはっとするほど即興的でありなおかつピアノとオーケストラの息があっていた。これには本当、聴衆のため息が聴こえてくるようであり、今日の演奏の素晴らしは、これで予約されたとみんな思ったに違いない。

本当に素晴らしい演奏会でありました。
これで体から毒がとれ、また快適な音楽生活をおくれるのでありまっし。
ところで日本でこのような組み合わせの演奏会が開かれたら曲目以上に、その演奏者の組み合わせに興味を持つのではないかと思う。
指揮、ラファエル・クーベリック
ピアノ、ルドルフ・ゼルキン
ニューヨーク・フィルハーモニック

あらためてこのように書くと、やっぱりちょっと日本では実現しそうもないなぁ。
終わり

といった感想だった。稚拙な文章は今も昔も変わらず。
ところでこの日の演奏は毎週のサブスクリプションと同じようにブロードキャストされました。
EXXON/NEW YORK PHILHARMONIC Radio Network
WQXR 1984年2月19日(日) 3:05pm
ニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートの模様は毎週日曜日WQXRで午後3時のニュースのあと3時5分からだいたい5時まで放送されていた。
日曜の午後はチャリジョギングなので、オープンデッキによる留守録でチェック。
この日の演奏は翌年1984年の2月19日に放送されたが、前半のベートーヴェンはテイク失敗!後半のマーラーは録音できた。今では河童蔵に歴史的なものになりつつあるDATにダビングしてある。オープン・テープからカセットにもコピーしてある。当時カセット・テープはこれ以上ない水準に達しており、今のところ、どちらも無事。
おわり